ヘリオポリスの近傍宙域に、じっと息を潜めるようにしてそれは浮かんでいた。
漆黒の宇宙に沈むカラーリングと特徴的なレーダードームを備えたそれは紛れもなくザフトの長距離強行偵察用複座型ジンと呼ばれる機体である。
その機械の眼は既に2時間もヘリオポリスの管制に悟られないぎりぎりの距離を保ちつつ監視を続けていた。
「動きが無いな。本当に情報は確かなのか?」
パイロットは少しばかり焦っていた。MSの動力はバッテリーであり、このジンが長距離単独偵察行のために他のジンより大きいバッテリー容量を持つとはいえ限度というものがあるのだ。既に母艦から長躯、それも単機で来たこの機体に許される帰還可能限界時間は既に1時間も無い。
「さあな。どちらにしても任務は任務だ……と、動いたぞ!」
その時、コロニーの外壁で何かが動いたのをサブパイロットを務める男の優れた視力は見落とさなかった。
「ガンカメラを最大望遠!」
コクピット内がにわかに慌しくなる。
NJや核爆発の電波妨害にも対応するため光学監視機器の重要性は高まっており、このジンも例外ではなく高性能なガンカメラを有していた。ガンナー兼情報処理役のサブパイロットだけでなくメインパイロットも画像処理された映像を目を皿のようにして凝視する。
彼らが凝視する中、コロニーの外壁に沿って今やそれはその姿をはっきりと現していた。
「間違いない……フォルムと装備が違うが、あれはザフトのジンだ」
「2機居るな。鹵獲機か?」
「おそらく、な」
開戦から既に11ヶ月近い今、連合やジャンク屋がジンを鹵獲し、地球在住のコーディネイターや傭兵が使用している事はザフトでも広く知られていた。しかし。
「……あの動き。本当にナチュラルか?」
推進器をほとんど使わず、質量の移動だけでくるりと回ってみせるその姿は言われなければEVAに長けた人間とそう変わらないようにも見える。
AMBACと呼ばれるその機動はコーディネイターでも活用できる者はそう多くない高難易度を誇る機動であったが、情報が確かならばそれを行なっているのはナチュラルという話だった。
「それは分からん。だが、中立コロニーに鹵獲ジンが居る事自体が情報が確かな証拠だろう。戻るぞ。隊長に報告だ」
「ふざけやがって、オーブめ……!」
吐き捨てる相棒の言葉に、パイロットはうっそりと笑った。
「だが、もうすぐその報いを受ける事になる。この侮辱、安くはない」
それは自己の優位を微塵も疑わない者特有の響きを持っていた。
その時、ちょうどコロニーの外壁を背にして動作試験を行っていたシロー・アマダは視界の中で何かがちかりと瞬いたような気がして手を止めた。
『どうかしましたか、シロー?』
自機を何も無い宙域へ向けて静止させたシローへアイナが接触回線を介し話し掛けた。
「今、あちらの方向で何かが光った気が……気のせいか?」
『シャトルの噴射炎でしょうか?』
『この近傍宙域を通るシャトルはあと3時間は無いはずですが……』
双方向で開いている回線からそう答えたのは連合軍のマリュー・ラミアス大尉だ。
何か嫌な予感にかられ、シローはいつしか独り呟いていた。
「……何事も起こらないといいんだが」
『アマダ一尉?』
『シロー?』
「嫌な予感がする……いや、済まない。テストを続行しよう」
「お疲れ様です、アマダ一尉」
テストを終え帰投しジンから降りたシローとアイナをマリュー、そして技術者たちが出迎えた。技術者、それに整備員たちはシローたちに労いの言葉を掛けながらわらわらと機体に群がる。
シローの乗る動作試験機のジンには現在、様々なテスト用機器が詰め込まれていた。
元々デモ用兼OS調整の動作試験用としてオーブが連合に貸与する形で地上から持ち込んだ機体なのだが、連合側の技術者は返却時には原状に復する事を前提にこれ幸いとこの実動可能な試験機にありとあらゆるテスト用機器を詰め込んでしまった。
このため当初予定されていたテスト期間は大幅に延長され、結果としてシローたちの派遣期間も同様に延期となっていた。なおモルゲンレーテではこれを受け入れる代わりに連合側新技術のライセンス取得の商談を提起し、そちらも順調に進んだらしい。
らしい、というのはテストが連合側で主に行われる関係で、シローたち二人はそちらとあまり関わっていないためだ。ヘリオポリスへシローが来た本来の目的は現在もオーブ本土で着々と改良が進むOSの最新バージョンをヘリオポリス側に渡すためであり、連合への協力はある意味おまけであった。
ユウナ言うところの明日のための布石、というわけだ。
しかし機密保持の関係上連合側施設に滞在せざるを得ず、モルゲンレーテ側の技術者との交流はあるものの責任者であるロンド・ギナ・サハクとの面識は一度しか無かった。
これがある不幸を呼ぶのだがシローは知る由も無い。
現在テスト中のジンはある意味、ザフトとオーブと連合技術の合いの子といえた。
「ラミアス大尉、少し確かめたいことがある。ジンのカメラデータを見せてもらってもいいか?」
「は? はぁ、それは構いませんが」
シローの突然の申し出に訝しげに応えるマリュー。
「先ほど見たという光の事ですか?」
整備員と会話を交わしていたアイナがシローの言葉を補足した。言われてマリューがああ、という顔をする。
「テスト中に仰っていた光、ですか? 分かりました、ちょっと待ってください。ハマナ!」
コクピット内部を覗き込んでいる整備員の元へと飛ぶ彼女は何故かツナギ姿だ。
この姿を見る限り、誰も彼女が技術士官『ではない』とは思わないだろう。そうシローは考えている。彼も最初彼女が新造戦艦の航法担当士官だと知った時は驚いた。
何故艦橋要員が、と問うたところ返って来た答えにもまた驚かされたのだが。
人手不足、なのだという。
現在既に完成しモルゲンレーテのドックにて機器の調整や物資の搬入などを行いつつある新造艦は未だ人員が完全に揃っておらず特にMSパイロットと艦内保安を担当するべき陸戦隊が不在だった。
保安担当として士官が誰かがMS開発に従事する整備班に随行するべきだ、と艦長が判断し、白羽の矢が立ったのが極めて良好な白兵戦技能を有し、そして真っ先に配属されたため機器の習熟等訓練日程を消化し終わっていたマリューだったのだ。
……ある程度疑問が氷解した後も、ツナギを着ている理由は依然として不明瞭だったが。
ハマナと呼ばれた整備員や傍に居た技術者と何事か話していたマリューがディスクと思しき物を手に戻ってくるのを見ながら、シローは何事も無ければいいが、と心の中で呟いた。
シローが不安に襲われている頃、モルゲンレーテヘリオポリス支社には凶報が舞い込んでいた。ヘリオポリスコロニーでのMS開発がザフトに察知され、既に近傍宙域まで進んで来ている可能性が高いのだという。そして、その情報の真偽をモルゲンレーテ側が判断する暇も無いまま下されたオーブ行政府の指示は『ヘリオポリス支社の人員は即時脱出。試作機及び施設は破壊して証拠を隠滅せよ』というものだった。施設破壊のために既に傭兵への依頼も完了しているという事実も合わせて知らされた。この時問題になったのは連合施設へ派遣されている人員である。
先に述べた交渉により盗用した技術のライセンス取得が確実化されて以来、試作機が完成して手の空いた技術者から少なくない人員が連合へ出向しているのだ。今撤収を指示すれば確実に連合側に気付かれる。だが、知らせなければ優秀な人材を失う事になる。
両方を天秤に掛けるロンド・ギナ・サハク。彼が選択したのは――。
「この施設は破棄し、総員次のシャトルでアメノミハシラへ向かえ。ただしMSは破壊するな」
「連合側への連絡はいかが致しますか?」
「あまり動けば気取られる。そうなれば最低限の退避もままならない可能性も出る。必要は無い」
「しかし派遣された人員はかなりの数に……!」
「必要は無いと、既に命じた」
「……分かりました」
指示を下してギナは内心だけで続けた。もし真に優れた人材ならば、生き残ってみせよと。
アークエンジェル艦長フランク・バルケンバーク大佐の機嫌は最近すこぶるよろしくない。
理由は主に3つある。
副長として着任した士官が性格的に合わない類の人間であった事。
彼の手足となるべきスタッフも、載せるべき機材も未だに定数を満たさない事。
そしてこの数ヶ月というものひたすら無聊を囲っている事だ。
1つめについては陸戦隊が乗艦していない事を理由に保安担当として彼の目の届かない所へ追いやる事で一時的に解決した。先送りにしたとも言うが、かといって何か手が打てるわけではない。何といっても彼女――マリュー・ラミアス大尉はデュエイン・ハルバートン准将の子飼いの部下なのである。
俗に人間が3人集まれば派閥が出来るという。もちろんバークも例外ではないが、彼自身は意外にもハルバートン派ではなく穏健派と呼ばれていた。もっと端的に言えば日和見派だった。
ブルーコスモスほど急進的にはなれずかといって敵対する派閥に属する度胸も、また独立して派閥を形成する気力もない。
指揮官としては平凡で、特別有能というわけでもないが無能というわけではない。
彼自身、才を買われて艦長職を拝命したわけではないのは自覚している。要するに複雑怪奇な軍内の勢力争いの結果、ブルーコスモスからの介入を極力排するためだけに艦長職に据えられたようなものなのだ。
しかし棚ぼたとはいえ艦長は艦長である。それもハルバートンが乾坤一擲の意味を込めて建造する連合初のMS運用を前提とした新造戦艦のネームシップの艦長職である。
彼は裏事情はさておき、ヘリオポリスへ勇躍着任したのだが、現在の状況は彼が想像していたもののかなり下を行っていた。軍内での人員の調整が難航しているのか人員も揃わない状況が長く続いていた。幾度かの上申の末ようやくCIC要員は揃ったがそれでも充足率は過半をやや超えるくらいでしかないのだ。
およそこの状況で機嫌よく居ろ、というのが無理というものだ。彼は常々口には出さないもののそう考えていた。
以上のような理由で元々鬱々としていたバルケンバークであるが、彼の監督するべきもう一つの重要任務であるMS開発にオーブの士官が出向して来てからは更なる降下を果たしていた。
彼はオーブが嫌いだった。
もっと言えば血を流そうとしない国を信用していなかった。彼の故国である大西洋連邦は開戦以来おびただしい出血を強いられているというのに、吹けば飛ぶような島国は我関せずとばかりに平和を謳歌しているのが気に食わないのだ。
そうでなくとも他国の士官に口を出されて気分のいい軍人が居ようはずもない。
だからというわけではないが、オーブの士官が副長と連名で何者かがヘリオポリスを偵察していた可能性があるので警戒レベルを引き上げるように上申してきた時、彼は検討するとだけ答えて特に何もしなかった。正確には待ちに待った増員が、特にMSのパイロットが到着するという報を受けて後回しにしたのだった。
彼は知らなかった。
ほぼ同時刻に出るアメノミハシラ行きのシャトルで、モルゲンレーテヘリオポリス支社の人員が家族を含めて脱出する事も。
ゴールドフレームに乗ったロンド・ギナ・サハクが虎視眈々と脱出の機を測っている事も。
シローとマリューの危惧が真実を突いている事も。
ザフトがコロニーにその牙を突き立てようとしている事も。
何も、知らなかったのだ。
――ヘリオポリスの外殻ドックの一つでパイロットたちに訓示を行っていた彼が爆発で諸共に吹き飛ばされたのは数時間後のことだった。