08MS-SEED_96_第03話6

Last-modified: 2013-12-23 (月) 19:53:16

 ――翌朝6:00、格納庫――
 少年達はすっかり身体に馴染んだ戦闘服と装備を身につけ、格納庫に集合した。
 昨晩倒れるまで練兵場で走り続けていたキラはアラームの音で目を覚ますと、誰もいない自室でベッドに寝ていて集合時間間近かな事に気がついてあわてて着替えて装備を着け格納庫へ走っり、トールと、カズイと、そしてサイと合流した。
 キラが走って駆け込んできたのに気がついたサイはキラに振り向いた…何か言いたげなサイ。
 しかしキラはサイを見ると…矮小で軽薄で醜悪なゴミ以下の自分を思い出し、心に激痛が走って胃の辺りが冷たく重くなって吐き出しそうな感覚が襲ってくる…。
 だがそれでもサイに今までの事を謝った方が…それがどんなに下劣で卑怯な自分をさらけ出す事になろうが、これ以上恥の上塗りをするよりはマシなんじゃないかと思う。
 ……そう思うのだが、なんと言っていいのか…話を聞いてくれるのか…許してくれるのか…そもそもあんな酷い事をした自分が許しを請う資格自体があるのか……。
 そう思うと頭が真っ白になって口の中と咽がからからに渇いて何も言い出せない。
 お互いしばし視線を合わせ…どちらからという事無くお互いに視線を逸らせた…サイもキラと同じ思いを抱いているとは知らずに。
 だがその感情は口から言葉として紡ぎ出される事は無く、時々お互い視線を上げては目を逸らす…。
 まるでうぶな思春期の男女――今は男男だが――のような2人にトールは何が起こっているのか判らず、カズイは“もうお前ら結婚汁”と心の中で突っ込んでいた。
 そんななんとも居心地の悪いというかハリセンがあったら絶対2人共殴ってるよなという時をしばし過ごし、シロー達が格納庫に入って来たのを見てトールとカズイはほっとしつつ4人の少年は整列して背筋を伸ばした。
「総員気を付け!
 フラガ少佐とアマダ隊長に敬礼!」
「諸君、昨日は迷惑をかけた。 今日から復帰するが残りの訓練をしっかりやって行くぞ、いいな!」
「「「「サー・イエス・サー!」」」」
「ヤマト少尉、一歩前へ!」
「サー・イエス・サー!」
「ヤマト少尉、お前は何者だ!?」
「サー! コーディネイターです!! サー!!!」
「クソが詰まったFNGの頭でもさすがコーディネイターだ、きちんと覚えてられたようだな!
 身体は大丈夫か?」
「サー! 平気であります! サー!」
「よし! ならば今日もボディアーマーを着てもらうとするが…平気というなら更に5kg追加だ!」
「「「えぇっ!?」」」
 これに驚いた声を上げたのはキラではない…残りの少年達である。
 これでキラが着けている重石は15kg+少年達と同じ装備が10kgの合計25kgだ…キラの体重の40%近い。
「サー、キラがいくらコーディネイターでもそれは…」
「口を挟むなケーニッヒ二等兵!
 ヤマト少尉、お前はなんだ!?」
「サー! コーディネイターです!! サー!!!」
「そうだ、お前はコーディネイターだなヤマト少尉。
 いいかFNG共…コーディネイターが一般人より身体能力が優れているのは明白だ、それをお前達と同じでは訓練にはならない…より高い負荷が必要だ。
 コーディネイターは一般人の二倍できて当たり前、やるなら通常の三倍を目指せ、判ったか!」
「サー・イエス・サー!」
「……通常の三倍……」
「…アマダ少尉、どうかしたのか?」
「ハッ!?
 いえ…何でもありませんフラガ大尉、よし、総員準備運動開始!」
 ちょっと“通常の三倍”にうっとりとするUC世界のMSパイロット――彼らにとって“通常の三倍”は特別な言葉だ――であったがムゥの突っ込みに意識を取り戻して行動を開始する。
 更に背負うべき十字架の重みを増したキラも、その重量に負けないように心を無にして準備運動を始めた。

「レビル将軍が大好きな♪」
『レビル将軍が大好きな!』
「俺が誰だか教えてよ♪」
『俺が誰だか教えてよ!』
「1、2、3、4、地球連合のMSパイロット♪」
『1、2、3、4、地球連合のMSパイロット!!』
「1、2、3、4、俺の愛するMSパイロット♪」
『1、2、3、4、俺の愛するMSパイロット!!』
「俺の軍隊♪」
『俺の軍隊!!』
「お前の軍隊♪」
『お前の軍隊!!』
「我らの軍隊♪」
『我らの軍隊!!』
「MSパイロット♪」
『MSパイロット!!』
 砂漠を駆ける集団は大声で歌いながら走っている。
 いくらコーディネイターとは言え、昨日より更に増えた重りと、昨晩も倒れるまで動き続けていた疲労、そしてサイと同じ場所にいる事――。
 これらの要因によりキラは集団に付いて行くのがやっとと言う状況であった。
 一歩踏み出すごとに全身の骨が軋み、筋肉が千切れそうと悲鳴を上げ、直にでも休もうと本能が囁く。
 それでもキラは弱音を吐かない、大いなる意思を湛えた殉教者が死を前になお微笑むかのように……。

「……ちょっとキラ、どーゆーつもりよ!?」
「……フレイ?」
 この日も自主的に訓練をしてぶっ倒れてサンダース軍曹に担がれてAAに到達した所で目を覚まし、装備を外して食事を取って重い足を引きずるように自然に倒れる頭で下を向きながら自室に戻ると……。
 まず見えたのは紫色の靴、そこから目線を上げ白いタイツ――否、ニーソだった――、黒いミニスカ、連合のピンクの制服……そして閉ざされた部屋の前に扉に寄りかかって腕を組んでいる怒り顔のフレイがいた。
「どうしてロック番号を変えたの?
 私を部屋に入れないつもり?」
「……疲れてるんだ……一人にしてくれない?」
 壁伝いに頭を下げたままフレイの顔を見ないように、キラは部屋の中へ入ろうとする。
「どうしたって言うのよ?
 私を無視するつもり!?」
 さらにむっとした表情でキラの肩を掴んで振り向かせようとするフレイ…しかし一回り膨らんで固く締まったキラの肩を掴んで動かそうとしても微動だにしない…。
 キラが身体を硬直させているだけではなく、ここ数日で付いた筋肉がフレイを否定するように押し戻す。
 急に男らしくなってしまったキラの身体に本能的な恐怖を覚えたフレイはその肩にかけた手をばっと離して半歩後ずさる――。
「ひ…一人になりたいならそれでもいいけど……せめてロック番号は教えて…。
 なんか私を拒絶しているみたいな感じがして……ゴメンね……」
 ――しかしそれは、キラにとってフレイがコーディネイターへの嫌悪感から恐怖したように感じられた。
「うるさいなぁっ!
 僕なんかほっといてくれよ!」
 顔を上げたキラはフレイを睨んで声を荒げ、まとわり付くうるさいハエを追い払うようにフレイに手を振るう。
 もちろんフレイに当てるつもりは無い、だがその振るわれた腕の風圧とキラの剣幕にフライは更に一歩下がる。
「僕は…僕はコーディネイターなんだぞ!
 気持ち悪い、自然の摂理から外れたバケモノなんだ……君の大嫌いな!!」
「え…ちょっとどうしちゃったのキラ!?」
 オーバーリアクション気味に手を振り回し、怒ったような、大笑いしているような、泣きそうな……そのどれにも当てはまるような表情をしてフレイを睨む。
「君も本当はそう思ってるんだろ!?
 僕を何でもできると思い上がった異常な生物で話すのも汚らわしい、ファッキンなコーディネイターだって!」
「そっ…そんな事……」
 ――考えてるけど――。
「ちっ…違うの、そんなんじゃないの、聞いてキラ、私は……」
「違わない!!!」
 確かに内心言われた通りの事を思っていたので直には言い返せず、一瞬言い淀んだ瞬間に断言するキラ。
 自分へ向けられた怒りの怒号にフレイは身体を竦ませ、何も言い返すことが出来ない。
「もう…沢山なんだ……同情とか慰めとか…そんなのもう要らない…僕はもうこれ以上惨めになりたく無いんだ!!」
 目にも止まらない速さでロック番号を入力し、扉を開けたままにしたキラ。
「忘れ物なら持っていって…30分してまだあったら全部捨てる!」
 通路の反対側まで後ずさって唖然とするフレイをもう一睨みして、キラは踵を返して立ち去った。
 キラに本心を見透かされて恥ずかしいのか、キラを思うがままに操れないのが残念なのか、キラに邪険に扱われた事が悔しいのか、キラに嫌われてしまったのが悲しいのか――。
 自分でも判らない複雑な感情を抱いたまま、フレイはその場に立ち尽くしてキラを見送っていた。

「まぁ……美味しぃ……」
「ほぉ、育ちがいい人はさすがに違いが判るね」
「いえ、わたくしなど……それにしても本当に美味しいですわ。
 わたくしは銘柄とかには詳しくありません…ですが複数のコーヒー豆がブレンドされている事は判ります。
 ……芳醇な香りが鼻腔をくすぐりますが、お互いに争う事無く香りを引き出すように絶妙にブレンドされい
てまるでハーモニーを描くように調和しています。
 一口飲んでみると苦味を押さえていて飲み易く、しかし舌に残るコーヒーが冷えると渋味をしっかりと残し
て薄いだけのアメリカンではないと主張する……。
 好みの判らない客人の為に個性の強い物ではなく当たり障りの無いブレンドを振舞いつつも…最後の後味に
自己をしっかり主張する、入れた人の心遣いと人格を代弁する素晴らしい味です」
「さすがア……」
「バルトフェルド隊長、失礼します! マーチン=ダコスタ、只今帰投しました!」
「よぅダコスタ君、ジブラルタルからのご帰還ご苦労。
 向こうじゃずいぶんいい交渉してきたみたいだね…この時期にバクゥを持ってくるなんて上等だよ」
「おかげで随分時間が掛かりました…しかし滞在時間が長引いたので隊長の“アレ”も持ってこれました」
 自分の淹れたコーヒーをベタ誉めされいい気分の所を邪魔され顔を顰めながら自分の副官に声をかけるが意
に介さず話を進められ更に顔を顰め、それが伝わったのか正面に座る女性もクスりと笑みをこぼした。
 そのダコスタはコーヒーを振舞われている民間人をちらりと見つつ、軍事機密をぼかして報告する。
 その必要は無いよといわんばかりに挙げた手を振りつつ立ち上がったバルトフェルド。
 客人にゆっくりしてくれと言いつつ、ダコスタに目線で強制的に誘われて部屋を出て扉を閉めてからダコスタに聞く。
「で、どうだい俺の“アレ”の出来具合は?」
「はい、細かい調整と慣らしが未だですが…直にでも動かせる状態です、ジブラルタルの技術者がビームサー
ベルの実戦データーは直にでも送ってくれと」
「ほう…じゃぁまだ全てのバクゥに行き渡る程ではないのか」
「はい、まずはそれなりのデータが無いと量産はしないとの事です。
 私の目撃報告だけでは信用できない……バクゥに一撃で敵MSを痛撃できる武器が無いと今後は不利になる
と言う事を完全に理解しては貰えなかったようです」
「ま、頭が固いのはどこの世界の上役や技術者も変らない、か。
 すまんな、俺が行って目撃していればもっと話も通っただろうが…」
「まったくです、寸前にあっちの方が面白そうだと残らなければこんな……」
「まぁそう言うな、場合が場合なんだ……そういえばMSで来たお客さんはどうしてる?」
「AAに出撃すると言って聞かなかったのでAAの居場所は未だ不明だと言っておきました…直に直談判に来ますよ」

「グゥレイトォ………」
 真新しい第二種の赤服――熱帯地方用の半袖赤服――の前を開いて風になびかせながら眼前に広がる砂漠に目を細める。
 プラントから見える地球は親指に隠れる程ちっぽけで、そこに噛り付くナチュラルがいかに狭小で保守的な
存在で…無限に広がる大宇宙を自由に行き来していた自分達の足元にも及ばない存在だと見下していた。
 ……が、この広さはなんだ……?
 足元の小さな砂粒が見渡す限りの地平線まで広がっている…その総数は一体どれぐらいになるだろうか。
 宇宙が何も無い無限の空間だとすると地球はなんでもある広大な空間だ。
 物質があってなおここまで広いとは…親指に隠れると見下していた地球はいざ降り立つと自分には広大過る
空間だった……ちっぽけなのはナチュラルではない、人という存在がちっぽけなのだ。
『こんなに広いとはね……プラントにとって地球ってのは遠くて広過ぎるんじゃねぇか?』
 自分達の優位性を疑う訳ではないがそれにしても広い、この事を議会は判っているんだろうか…そして彼ら
はこの星に一体何をしたいのか……将来自分も関わる事になる、その辺は知っておかねばなるまい。
 後ろで相棒でが部隊長に挨拶――どうせ出撃の直談判――するから来いと叫んでいる…ディアッカはイザーク
はこんな事を考えるのだろうかと考え、同じコーディネイターでも彼はこんな風には考えないだろう…むしろ
こんな考えを持つ事がコーディネイターの中では珍しいのだろうと彼の残された顔の傷を見ながら結論付けた。

「総員気を付け! アマダ隊長に敬礼!」
 すっかり敬礼も板についてきた少年達にシローも敬礼を返しつつシローは密かに緊張していた。
 一週間経った既に訓練予定の最終日、今後はAAもここに留まらないので新兵訓練は縮小せざるを得ない…動いてくれなければ…いや、そろそろ動く筈だ。
「総員直れ。 諸君、今日で新兵訓練は七日目に入るが調子はどうだ?」
「「「「サー・絶好調です・サー!」」」」
「飯はきちんと食ってるか?」
「「「「サー・食べております・サー!」」」」
「夜はきちんと眠れてるか?」
「「「「サー・熟睡しております・サー!」」」」
 本当にそうかは判らないが、少年達の叫び声は一糸乱れぬ叫び声になっている…元々友人である上にここ数日同じ返答や行動を取るように叩き込み、軍人らしくあるように教育してきたのだ。
「ヤマト少尉、一歩前へ」
「サー、イェッサー!」
「お前は何者だヤマト少尉!?」
「サー! コーディネイターであります! サー!」
「お前はコーディネイターか、ヤマト少尉?」
「サー! 自分はコーディネイターであります! サー!」
「よぅしいい返事だ…その返答ならど田舎の泥まみれの豚も2匹は振り返るぞ!
 今日も重石のプレゼントだ、ありがたくって涙が出るだろ?」
「サー! お心遣いありがとうございます! サー!」
「なぁに礼には及ばん…貴様にベッドの上以外で気合を入れる事を教えてやるんだからな!
 今日も+5kgの追加だ…遅れは許さんぞ、しっかり突いて来い!
 少しでも遅れたらコーディネイトされた綺麗なケツにビームサーベルブッ刺してやるからな!」
「サー、イェッサー!!」
 サンダース軍曹とキラの会話で今日も顔を歪ませたのはキラ以外の3人だ。
 なにせ重りを付けさせられたから毎日+5kgづつの増加…元々10kgに3日分の15kg、そして最初からの装備が10kgである…総重量は35kg、重量はボディアーマーやベルトやレガース等に付ける形で全身に分散している為動けない訳ではないが、既にキラの体重の半分を上回っている。
 これで昨日まで訓練に何とか付いてくるキラも凄いのではあるが…もう目に見えてフラフラであった。
「サー、さすがにこれ以上はやりすぎじゃないでしょうか、サー……」
「ケーニッヒ二等兵、ヤマト少尉はなんだ?」
「サー、コーディネイターです、サー!」
「そうだ、お前らの大っ嫌いな自然に逆らって改良された気持ち悪いクソッタレなコーディネイター様だ!
 優秀なコーディネイター様はこれぐらいのハンデが無いとお前らは足手まといだそうだ、そうだろヤマト少尉!?」
「サー! イェッサー!!
 これぐらいのハンデ、へでもありません、サー!」
「ゴミ虫を品種改良してフナムシ程度になったコーディネイター様であるお前はこれぐらいなんとも無いな?」
「サー! イェッサー!!!」
「準備はいいかヤマト少尉!?」
「サー、イェッサー!」
 装備と重りで一回り大きくなったキラは、ふらつきながらも大きく気合を吐く。
「よし、総員準備運動開始!」
 よろけつつも準備運動を終了したキラは皆に続いて砂漠へのマラソンに出る。
 コーディネイターの驚異的身体は前日の負荷を反映して筋力を強化しているが…それでも重り全てに耐えられるまでには強化できる筈も無く、毎日増えて行く重量は筋力強化を上回ってキラに負荷を与える。
 数百mで既に初日に走り終えたぐらい汗をかき、踏み込む度に砂漠に埋もれる深さは倍以上になっていた。
 空調の効いたコロニーがどれだけ天国であったか今なら良く判る…高負荷に全身の筋肉は高熱を発して照りつける太陽と共に外から内からキラを熱し、脳髄を煮立てて朦朧とさせる…少しでも気合を抜くと皆から遅れてぶっ倒れ、水と共に口にするにも憚られるような罵声を浴びせられ、引きずり起してまた走らされる。
 そんな地獄のような状況にいてさえ……キラの心境は『どうにでもなれ』という捨て鉢な物であった。
 自分の醜悪さや汚さ、思い上がっていた自分とその自分がしでかした事の恥ずかしさと罪の意識、同情して貰う事でしか心を保てなかった弱さと惨めさ、消えてしまいたいと思う程の葛藤と孤独と絶望。
 身体を動かす事で何も考えないようにと…そして自分を虐める事で贖罪を得ようともしたが…一体誰が許してくれるというのか!?
 そう、誰もこんな汚く醜悪で弱くて矮小なクズである自分を許す筈が無いのだ……。
 キラはもう感情を無くしたように、言われた事だけを繰り返している…苦しくても辛くてもそれが自分に起きている事かどうかあやふやで、大きな虚構に引き込まれて落ちて行く…そんな虚無な心境だった。

 ――その日、訓練最後の砂漠マラソン――。
 とうとうキラは倒れて動けなくなった。
 身体に食い込む重りは擦れて血が滲み、関節が一歩ごとに軋んで抜けそうになる。
 筋肉はとっくに限界を超えて熱く、茹で上がった脳は正常な思考を止め、グラグラ揺れ動く視線と共に平衡感覚を失い、呼吸は完全に乱れて吸っているのか吐いているのかともかく本能に従い吸えるだけ吸ったら吐けるだけ吐く…渇いた咽がヒリ付くが嚥下する唾も出ない。
 絡まる足をなんとか前――と思う方向――に運ぶが足が地面にあるか…そもそも今どこを走っているか…それすら判らない。
 目が視界を失って行く…代わりに目の前に暖かくて清らかな光が近寄って来た……。

 遠くの聞きなれた怒号と首筋にかけられる冷たい液体の感覚にふと気が付くと、頬に熱い物が押し付けられている。
 否、頬だけではなくいろいろな場所に圧力を受けている……ヘルメットを外して短く刈り上げられた頭に水をかけられてからようやく自分がうつぶせに倒れている事に気が付いた。
「目が覚めたか、お寝ン寝の時間には早いぞ玉無し野郎! 立て! そして走れ!」
「……?」
 それでも自分が何故ここにいるか思い出せない…この何か怒鳴っている人は誰だろう?
 頭が動かないので目だけで上を見ると、何人かが自分を取り囲んでいるようだった。
「……隊長、意識が混濁してるかも知れません、これ以上は危険では……」
「…………」
 シローは黙ってキラの顔を横に向かせて口の中に水を流し込んだ。
 いきなり流し込まれた液体にキラは激しくムセたが、それが水だと判ると夢中で胃の中に流し込んだ。
「目が覚めたか、ヤマト少尉?」
「……サー、イェッサー…」
 呼吸するだけでキリキリと痛む肺からなんとかそれだけを呟く。
「AAまではもうすぐだ、行くぞ」
「サー、キラはもう立てません…許してやってください、サー!」
 見かねたトールがキラを見下ろすシローとサンダース軍曹に声を掛ける。
「サー、自分が担ぎます、キラは休ませてください、サー!」
 カズイもたまらずにそう叫ぶ…いくらコーディネイターであっても不死身ではない、死ぬ時は死ぬ。
 ――そう、今のキラのように――。
「サー、このままじゃキラが死んでしまいます、サー!」
 トールはそう叫んで2人に詰め寄る…だがシローはうんとは言わず、変わりにキラに声を掛けた。
「行けるな、ヤマト少尉?」
 キラは驚いていた……コーディネイターのキラを、最低最悪の存在である自分をトールとカズイは気遣うような発言をしなかったか?
 確かに前は友達だった…だが訓練が始まってから…いや、その前日の夜からロクに話をした覚えが無い。
 それもそうだ、自分がそれまでに取って来た行動を思い返せば…そして自分でそれを自覚していなかったのだ…端から見ていた2人に自分は浅はかで傲慢で酷く滑稽に見えただろう…化けの皮が剥がれたのだ、もう友達でいてくれる筈が無い。
 いや、これも同情だ…一緒に訓練を受けてきたのだ、どれぐらい辛いかは判る筈。
 ……ならばその辛い中、何故助けてくれるような事を言うんだ……?
「……サー、イェッサー……っ!」
 判らない、判らないけど……立とう、立たないと……っ!
 混乱する中で立ち上がろうするキラ…力の入らない手足で砂を掻く動作はもがいていると言うのが相応しい。
 最早何故立たなければならないか判らない、強いて言えば命令だがそれだけではない…キラの本能がそう告げる。
 立とう…立たなければ何かに負けてしまうのだ、魂的に…っ!!
 だが一度力尽きた身体は生まれたての子馬より力なく、プルプルと震えるだけで立ち上がることが出来ない。
 それでもシローは手を貸そうとするトールとカズイを手で静かに止め、見守るのみである。
「立て、キラ、立つんだ!」
 不意に離れた場所から大声が発せられた。
 キラの周囲に集まっていない人物は一人しか居ない…それまでは下を向き、拳を握り締めていたサイだ。
 サイは熱い空気をいっぱいに吸い込み、地平線の向うに届けと言わんばかりに絶叫する。
「どうした、立て、立って走れよキラ!
 お前はコーディネイターだろ、俺達より凄いんだろ、こんな所で挫けちゃいけないんだ!」
 サイの婚約者を奪い、力でねじ伏せ、侮辱し、独房に入る原因を作った人間…キラはその筈だった。
「AAまでもうすぐだぞ、頑張れ、立ってみんなにお前の力を見せてやれ!!」
 なのにサイはキラに立てと、頑張れと叫ぶ……あらん限りの声で。
 全員が驚いたように振り向く中、シローはようやくかと言った風の表情をしてホッとしていた。
「キラ、頑張れ、お前なら出来る!!」
「立ってキラ! ここまで耐えてきたならならできる! 根性だ、根性で立つんだ!」
 サイに引き続きトールも、カズイもキラに頑張れと声援を送る。
 今日だって重りは無いにしろ同じ訓練を受け、もう身も心もくたくたの筈だ…だがそんな事を感じさせないような大声で、仲間に立って欲しいと願い、打算も損得も見返りも無くただ頑張れと、キラにそう叫んでいた。
 ――涙が出た――。
 コーディネイターである自分にナチュラルの君達が敵う筈が無いと思い上がって他人を見下していた自分。
 他人の同情やお情けを当然の与えられる物のように振舞っていた自分。
 そんな卑怯で醜悪で愚かで情けない、クソッタレで蛆虫野郎な自分を思ってくれる人など…友達とか、仲間とか、そう思ってくれる人が居る筈が無い…自分は戦わなければ無意味で無価値で必要の無い人間だ。
 そう思って諦めていたから…否、もう何も考えないで居たから…まさか声を掛けてもらえるとは思わなかった。
 砂を掴む両手と、砂漠を踏みしめる両足に力が戻る。
 聞えてくる声援が心に響き、そこから新たな力が湧いてくるようだ…それでも逃げようとする力を歯を喰いしばって身体に押し留め、全力を立ち上がる事に注ぎ込む。
「そうだ、力を入れろ!」
「いいぞ、足を踏ん張れ、腰を入れろ!」
「もう少しだ、頑張れ、頑張るんだ!」
「みんなが応援してるぞ、立って見せろ!」
「お前なら出来る、いっけぇ~~~っ!」
 サイと、トールと、カズイと…サンダース軍曹もシローもキラを励まし声援を送る。
 その声援を受け取り力に変えて、しばし離れる事の無かった砂上から胴体が離れ、膝を立てるのに体を支えていた顔が持ち上げられ、両手が垂直に立てられた胴体の横に回ってから膝の上に置かれ、上半身を起してからしゃがんだ状況から足をブルブルと震わせつつも、キラ、大地に立つ。
「……行けるな、ヤマト少尉!」
「サー! イェッサー!!」
「「「ぃやった~~~っ!」」」
 完全に立ち上がったキラに問い掛けるシローに元気よく答え、サイとトールとカズイの歓声が降り注ぐ。
「よしクソッタレ共、AAはもうすぐだ、気合入れて行くぞ!」
『サー! イェッサー!!』
 勢い良く4人のFNG達の声が砂漠に響き渡り、行軍は再開された…が。
「ハァ…ハァ…ハァっ!」
 限界に達したキラはなおもフラつき、もつれ、倒れる。
 ……だがそれでもその度に、友達の…仲間の…戦友の声が、キラを叱咤し激励する声が、限界を超えたキラに新たな力を与えてくれた。
「ママがベッドでパパにおねだり♪」
『ママがベッドでパパにおねだり♪』
「パパの股間はショットガン♪」
『パパの股間はショットガン♪』
「ウン! GOOD!」
『ウン! GOOD!』
 誰が歌い出したかすっかりお馴染みになったエロ小唄をまるで一心同体になったように歌いながら、キラと少年達と、異世界の軍人達は砂漠を駆け、キラが倒れた時はその場で足踏みして――苦しんでいのはお前だけじゃないと言わんばかりに――足を止める事無く声をかけ続ける。
 相変わらずキラの視界は呆けている……だがそれは疲労や酸欠の為ではなく、流れ出る涙のせいだ。
 岩場の谷間に入りAAが近づいてくる…そしてキラのとうに使い切った体力も限界という名の天元を突破し、既に精神力と…その精神を生み出してくれる仲間の声だけで前へ進んでいた。
 ……もう歌は歌っていない、歌えるほど長くキラが立っていられないからだ。
 騒がしい風景とそしてそれがなかなか前に進まない事でレジスタンスの人々もAAのクルー達も何事かと集まってきて周囲に人だかりを作る中、キラに声援を送り、その声援を受けてキラが進む…例え這ってでも。
 やがて支援の輪はレジスタンスやAAのクルーにも広がり、キラはたくさんの叱咤激励を受けて走る。
「…おい、何があった?」
「あ、カガリ…連合のパイロットがマラソン大会みたいだぜ?」
「あいつ……?」
「あの野郎、今度はみんなの同情でも引きたいのか…っ!」
「アフメド…そんな言い方は止せ……奴は本気で走っているのが分からないのか?」
「……それは……っ」
 カガリはアフメドを振り返らずにそう言い放つと、自分もキラに声援を送るべく輪の中に入っていった。
「くっ……っ!」

『――そうか――』
 ふらつく足元と巡る視界の中、キラはMSに乗って戦い守るべき人との意味を始めて知った気がした。
「ヤマト少尉、ここがゴールだ!」
 待望の言葉に顔を上げると、シローとサンダース軍曹が左右に別れ、格納庫に続くスロープの横にあるコンテナの横に立っている…そうか……あそこまでたどり着けば……!
 左右にはサイとトールとカズイがここまで走って来た事を…共に走って来た事を誇るように満足げにしながら一緒に走っている……まるで夢のようだ……。
 諦めていた友達や失くした筈の友情がそこにはあった……否、それは新たに見つけた仲間の絆だ。
 それの中に自分が含まれている事を仲間の照れくさそうな笑顔で確認しつつ、聞こえる歓声に後ろを押されてシローとサンダース軍曹の間のゴールラインを今、キラは通り過ぎ…そしてそのまま倒れた。
 まるで何か感動物の映画のラストシーンを見ているように周囲から拍手と口笛と歓声が上がる…やり遂げたと言う達成感と共に、キラは地面にばったりと倒れ込んだ。
「総員整列! とっととケツを上げろFNG共!」
 倒れ込んだキラとそれに駆け寄った3人にサンダース軍曹のギャラリーの歓声に負けない声が響く。
 キラが立ち上がるのを手伝うが、今度はそれを制されることは無かった。
「いいか、今日の訓練はこれで終わる…それと同時に新兵訓練も終わりを告げる。
 今後は各自の担当部署で任務に付くが各自トレーニングは続けろ、いいな!」
『サー! イェッサー!!』
「お前らは本日を以てウジ虫を卒業する…立派な兵士だ!
 忘れるな、お前らはこの地獄のような新兵訓練を乗り越えた!
 自信を持て、この短期間でこれだけの訓練をこなせる新兵はそうは居ない!」
『サー! イェッサー!!』
「お前らはやれば出来る!」
『やれば出来る!!』
「お前らは強い!」
『俺達は強い!!』
「お前らは固い絆で結ばれた兵士だ!」
『俺達は兵士だ!!』
「兵士諸君、お前らは軍人であることに誇りを持っているか!?」
『サー! イェッサー!
 生涯忠誠! 命を駆けて!
 ガンホーっ!
 ガンホーっ!!
 ガンホーーっ!!!』
「辛い時はこの訓練を思い出せ…お前らはこの訓練を乗り越えた猛者だ、これ以上の辛さはめったに無い!」
『サー! イェッサー!!』
 多感な少年時代……絶対的な所属を刻み込み、同属や仲間意識を共感させるというのは自我や自己確信を確立させるのに役立ち、青年期への課題である自己確信を発達させるのに重大な問題の解決を促進し、そして人間として個人を精神的にも強くする……絶対的な所属を刻み込む事がいい事なのかは別として。
 そしてそれは軽い心的外傷後ストレス障害に陥ったキラにも有効に働く……この病は単に精神的に病むのではない、脳内に永続的な変化をもたらす物なのだ…。
 特にそれが幼年~少年期の成長途中におきれば脳の成長にもダメージが加わって人格形成に破壊的な影響を及ぼす恐ろしい物であり、原因となった体験を思い出す事による無力感や生々しい苦痛に襲われ続け、場合によっては生涯食事を一人で出来なくなる等の廃人となり生活に重度の支障を来す場合も起きうる…。
 ――例えば戦争が終わった後コクピットの中で出してくれと騒いだり、どこかの孤児院に引きこもって回復に2年間介護が必要だったように――。
「ヤマト少尉、お前は何者だ!?」
「サー! コーディネイターです! サー!」
「コーディネイターのお前は今後どうする? どうしたい!?」
「サー! 戦います! サー!
 自分と、仲間と、戦友の為に!」
「よし、お前は一人前のクソッタレだ!」
「サー! サンキュー! サー!!」
「ヤマト少尉…自分が何者か自覚しろ、そして自信を持て!
 お前はこれだけの事をやった、やる遂げたんだ!
 お前にはエースになれる素質がある…これからは士官に相応しくなるよう教育してやる! いいな!」
「サー! イェッサー!!
 これからもよろしくお願いします、サー!!!」
 キラの敬礼と高らかな返答に、サイとトールとカズイとAAクルーの歓声が重なる…今キラはAAの乗組員としてみんなに認められ、声援を受け、そして歓迎されていたのである。
「やれやれ…一緒に独房に入った甲斐があったってもんだな…」
 ハッチ入り口からこの光景を眺めていたマードック班長は、自分に気が付いて敬礼をよこすシローに親指を立てるとそう呟いて自分の戦場へと戻って行った…。
「おいキサマ、コーディネイターだったのか!」
 少年達とAAクルーに手洗い歓迎を受けていたキラに鋭い声が突きつけられる。
 アフメドは遠まわしに見ていたレジスタンスから前に進み出てキラを指差した。
「そうだけど…?」
「何でコーディネイターがここにいるんだよ!」
 駆け寄ったアフメドは周囲の人間が止める間もなく、キラを殴りつけた。
 本来のキラなら難無く避けれただろう…だが限界をはるかに凌駕した状況と、35kgもの重りを身にまとった状況では避ける事すら適わない。
 少年達やAAクルーが駆け寄り、あるいはアフメドに殴りかかろうとするのを制したのはまたしてもシローとサンダース軍曹だった。
 2人共手を広げて制し何も言わなかったが、その目は『黙って見ていろ』と強く語っていた。
 ちなみにカガリも飛び出したが、直後にキサカに抑えられている。
「何で…だって?」
 口の中を切って流れる血を拭いながらゆっくりと立ち上がるキラ。
「僕は僕の意思でここに居る!」
「貴様らコーディネイターは虎と同じだ!
 お前らが地球に来なきゃ問題は無かったんだ!」
 さらに殴りかかるアフメド…鮮血を散らせるキラだったが、今度は倒れなかった。
「違う!
 コーディネイターとかナチュラルとか、そんな括りで区別しようとする事自体が間違ってるんだ!」
「生意気言うなコーディネイター!」
 倒れないキラにボディブローを放ち…そこにあった重い鉄板と砂袋に拳を痛め顔をしかめるアフメドはアッパーを打ち上げたが、キラはそれをギリギリで右足を半歩下げ、身体を捻って避わした。
「コーディネイターとかナチュラルとかが問題なんじゃない……」
 そのまま右腕を水平に上げ拳を握り――
「……そんな自分で、何をするかが大切なんだーっ!」
 捻った身体を元に戻しながら右腕を全力で突き出し、打ち上げた姿勢のアフメドの頬に拳を打ち付ける!
「が…っ!」
 無防備だったアフメドはガードも出来ずに地面に打ち飛ばされ、自分が無様に尻餅を付いたのが信じられないように見上げると、右手を突き出した状態で息を付くキラが立っていた。
「くっ……っ!」
 アフメドはキラの台詞に何も言い返せない…だからこそ立ち上がれない…自分が心で、魂の持ち方で惨敗した事に気が付かされたから……そうだ、自分はこいつがコーディネイターだから食って掛ったんじゃない。
 ――カガリがあいつを気にするのが気に食わなくて、錬兵場であいつに適わなかった事を認めたくなくって食って掛ったのだ――。
「やりやがったな! アフメドの敵だ!」
「なにおーっ! ヤマト少尉を守れ!!」
 見守っていたレジスタンスから声が上がり、AAクルーもそれに答える。
 あっという間に場外乱闘が発生したが…それに参加する男達の顔はみな笑っていた。
 それは一つのレクレーションのような物だ…レジスタンスとAAクルーの親睦を深める。
 その証拠に、キラに殴りかかってくるレジスタンスは…殴るという庵は拳でキラの胸を叩いたり、肩をバンバン叩くだけだ……まるで、よろしく頼むと言っているように。
「なんとまぁ……風も人も熱いお土地柄なのね」
「フラガ少佐?」
「よろしく! じゃ照れくさいから、あの少年に便乗してご挨拶でしょ!
 …さって、俺も一つ親睦を深めるとすっか!」
 横にやってきたムゥはキラにそう呟くと、楽しげに乱闘を続ける輪の中に混じって行く。
「キラ、俺達も行こう!」
「装備、外そうか?」
「MSから降りたら、俺達が守ってやるよ!」
 仲間がそう告げ誘う……キラは破願してうなずくと、とりあえずボディアーマーをどさりと外して仲間と共に親睦の輪の中に入っていった。

「隊長、どうやらうまく行ったようですね」
「…ああ、なんとかな」
「でもシロー…結構ギリギリだったんじゃない?」
「そうですよ…アーガイル二等兵が暴走しなきゃ、こうはうまく行かなかったんじゃないんですか?」
「ミケルの言う通りですよ隊長、今後はこんな危ない橋を渡るのは辞めてもらいたいものです」
「みんなそう言うな…結果良ければってな!
 よし、俺達も行くか……8小隊、突撃っ!」
『了解!!!』

 余談であるがこの乱闘はもうしばらく続き止めにきたマリューも巻き込まれたのだが…溜まっていたストレスを発散するかのように髪を振り乱して大暴れして乱闘を収めた言う……。
 その時の事をレジスタンスの一人は『まるでジニィーが降臨したようだった』と言葉少なげに語ったという。
 マリューはその後レジスタンスとは協力しないと言い出したが、その夜サイーブの開いた仲直りと歓迎の酒宴でナタルが咳き込むような強い酒をガンガン煽ってすっかり機嫌を直し、酒豪としてサイーブともうち解けたのであった。
 ……この時ナタルは『艦長は大暴れしてお酒を飲んですっかりストレス解消した、うらやましい』と、ほろ酔い状態でノイマンにこぼしたとかこぼさないとか……。
 まじめな人はどこか損をする物なんだと、その日のノイマンの航海日誌にはそう締めくくられていた。

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