CCA-Seed_◆ygwcelWgUJa8氏_23

Last-modified: 2012-10-16 (火) 21:15:55

 C.E.30年代、ジョージ・グレンのもたらしたふたつの衝撃――遺伝子改変問題と、〝Evidence01〟問題に、既存の宗教界は大きく揺らぎ、賛否両論に明け暮れた。
宗教者たちは、なんとかそれらを宗教体系に組み入れるために、安易な論理で自説を糊塗するか、あるいは信仰を曲げまいとして、目にも明らかな現実を拒み続け、それぞれ自説を掲げていがみ合った。
些細な経典上の一文に拘泥し、他者の論理の穴をあげつらい、議論が議論を呼び、もはや当初の問題提起さえ見失われていた。
 そんな宗教界に人々は失望し、背を向けた。
 のちに導師と呼ばれ、ナチュラル、コーディネイター双方のうちに多くの信奉者を持つことになったマルキオも、もともとは旧時代の宗教団体に属する者の一人だった。彼もまた、自らの信仰するものに疑念を抱き、果てしなく続く論争に飽いて法衣を脱いだのだった。
 だが、人は心のよりどころを求める。あらゆる価値観が崩壊する時代であるからこそ、人はよりいっそう、自らを繋ぎとめる価値体系を求めた。
 そんな彼らにマルキオが与えたのは、ごく単純な思想だった。
 ナチュラル、コーディネイターにかかわらず、人はみな同胞であり、同じ木に生った果実である。そしていずれ彼らの中より進み出、彼方の海へ漕ぎ出すであろう者たちがある。
 彼らは『SEEDを持つ者』――人と世界を融和し、すべての人に希望をもたらす、約束された存在。
 〝SEED〟――Superior Evolutionary Element Distend-factor――それ以前に学会で発表されたきり忘れ去られていた、ヒトの認識力に関する研究を、マルキオは自らの思想に取り込んで発展させた。
 それはコーディネイターのことではない。遺伝子を多少いじったとて、ヒトがヒトであることになんら変わりは無い。肉体の変革でなく、精神の変革が必要なのだ――。
 
 
 
 
PHASE-23 約束の地に
 
 
 
 
 「キラ?――キラ、フレイ、聞こえますか?」
 
 艦橋はしんと静まり、無線に呼びかけをつづけるミリアリアの声ばかりが浮き上がって響く。
 
 「――応答してください、キラ?……フレイ!」
 
 はじめは不思議そうな調子だった少女の声に、次第に不安の色が滲んでいくのを、クルーたちはただ呆然と聞いていた。彼女の隣に座るサイは、まるで恐ろしいものを見るように、隣のモニターに表示された『SIGNAL LOST』の文字に目をやる。背面のトノムラとチャンドラはじっと身を硬くして、振り返りたいという衝動を抑えているように見えた。
 マリューは身動きもできず、高く天を焦がした爆発があった場所を――網膜に刻まれたその光の名残を見つめ続けていた。
 
 ――まさか……そんな……。
 さっきから彼女の頭は、その先へ思考を進めようとしない。
 ――そんな……そんなこと……。
 そのとき、思考のループを断ち切るように、アズラエルが怒鳴り声を上げた。
 
 「何をやってるんだアンタ達は! さっさと〝ダガー〟を探せ!」
 
 怒りの形相で彼が、マリューをにらみつける。
 
 「あれは失っちゃならない! あれはこの戦争の鍵なんだぞ!? 機体だけでも回収しろ!」
 
 機体だけでも――その言葉に、マリューは心臓を握りつぶされたような錯覚を覚えた。
 そう、艦橋のクルーはみんな、何が起こったのか気づいている。
 たった一人をのぞいて――。
 
 「キラ? キラ、応答して――フレイ!」
 
 少女の声はもはや、恐怖に満ちたものに変わりつつあった。その甲高い響きがマリューの胸をえぐる。
 ふいに――
 
 「ろ、六時の方向! レーダーに機影っ! 数、九!」
 
 カズイの怯えた声が艦橋に響き、マリューははっと振り仰いだ。
 
 「ZGMF‐六○○ゲイツです! 会敵予測、十五分後!」
 
 クルーの皆の顔が、恐怖にそそけだった。ビーム兵器を搭載したタイプは、まだ〝パワー〟の〝ストライクダガー〟では……。マリューはとっさに叫ぶ。
 
 「迎撃用意!」
 
 しんとした静けさに、マリューは思わず皆を見回す。呆然と虚空の空を見つめているナタルの姿を確認し、マリューはもう一度声を上げた。
 
 「ナタル!」
 
 彼女はそのまま、「えっ」と振り返る。見かねたメリオルが冷静に反論する。
 
 「無茶です艦長! 現在半数以上の火器が使用不能です! モビルスーツの補給だって――!」
 
 するとミリアリアが、さらに声を張り上げ、無線機に向かって叫んだ。
 
 「フレイ――フレイ! 聞こえる!? 応答して、〝ゲイツ〟が――」
 
 必死に呼びかけをつづける彼女の前に、メリオルが手を伸ばして無線のスイッチを切る。驚いて見上げるミリアリアに、メリオルは悲しげに告げた。
 
 「――もうやめなさい、ハウさん。キラ・ヤマトも、フレイ・アルスターも、死んだの」
 
 ミリアリアが息を呑むのを、みな、身を硬くして聞いた。二機が機体の制御を失った場所は、高度四○○○メートル近い。その位置から、落下したとなっては、二人は……。
 
 「そ……んな……」
 
 ミリアリアが弱々しくかぶりを振る。すると、ナタルが何かに気づき、はっと目を見開く。彼女はその報を、唖然としたまま告げた。
 
 「か、艦長――〝ダガー〟が帰投しました……」
 「え!?」
 
 マリューが言うよりも早く、アズラエルが飛びついた。
 
 「本当か!?」
 
 クルーたちの顔にはっと生気が戻る。マリューは慌てて格納庫に通信を入れると、あわただしい作業音にまぎれて、マードックが応答した。
 
 「マードック曹長、アルスター少尉は――!?」
 〈待ってください!――大丈夫なんだな!?〉
 
 彼が作業員たちに向かって怒鳴り、すぐさま答えた。
 
 〈ええ、無事です、意識は無いそうですが――〉
 
 意識が無い――? では、どうやって彼女は〝ダガー〟をここまで運んだのだろう? アムロの〝デュエル〟は高高度から無理やり着地したため、駆動系がぼろぼろで〝アークエンジェル〟の格納庫で急ピッチで修復作業を行っている。
オルガのバスターは両足を破壊され、〝アークエンジェル〟の甲板上に安置されたままだ。ムウとトールの〝スカイグラスパー〟は、被弾箇所が多く飛ぶことすらままならない。〝ストライクE〟も同じだ。ジャンの〝ロングダガー〟こそ、外見自体はフォルテストラを着脱した程度にとどまってはいるが……。
 ふいに、アズラエルが何かに気づき、信じられないことのように口を滑らした。
 
 「――『赤い彗星』……」
 
 クルーが彼に視線をやる。
 
 「彼女を、守ったのか……?」
 
 その言葉の意味を理解できたものは、誰一人としているはずがなかった。
 
 
 
 「――いったいどうやって……」
 「後にしろ、嬢ちゃんを運べ!」
 
 呆然とするブライアンを、ハマナが叱りとばしているのを、ムウは端目で捉え、首と左腕の無い〝ダガー〟を睨み付ける。モビルスーツとは、どこまで行っても機械でしかない。
人間が動かしてこそ、命を持ち、何かを成しえるはずの物。パイロットがいなくては、動くはずが無いもの――。
なのに、こいつは帰ってきた。意識を失ったフレイを乗せ、高高度からの着陸すらもやってみせ、慣れた動作で、格納庫に降り立ち、床に膝を突き、コクピットハッチを開け、そこから降りやすいように右手の平を差し出して……。
 傍らのアムロが、〝ダガー〟を睨みつけ、独り言のようにつぶやいた。
 
 「……シャア」
 
 ムウはちらと目をやり、言う。
 
 「お前さんを……追って来たのかもしれないな」
 
 彼の言葉に口を噤み、じっと〝ダガー〟を見据えるアムロ。ムウは、急激な加速に少しよろめきかけた。
 
 「離脱するか……艦長……」
 
 それが当然の決断だ。支援する機動兵器を欠き、傷ついて迎撃もままならない艦では、さらなる敵襲に対処できるはずがない。だがその決断に至るまで、マリューが辿ったであろう経過を思うと、苦いものを感じずにはいられない。
 
 
 
 そこから遠く離れた小さな島の砂浜で――。自由落下の形でユニコーンの〝デュエル〟と激戦を繰り広げた、イザークの〝デュエル〟は武器を失い、彼は機体を捨てた。ラスティの〝ゲイツ〟も、既に駆動の限界に達し、突っ伏している。アスランの〝イージス〟も、今まさにその役割を終えようとしていた。
四肢と呼べるものはもはや右手しか残っていないのだ。
 イザークがシホの肩に抱かれながら、足を引きずってこちらに向かってくる。ラスティも、ミゲルも皆機体から降り、静かな砂浜を歩み来る。
 ラクスとは、先ほどから一言も口を聞いていない。彼女に、何が……?
 わずかな疑念。
 俺は、彼女と半年も会っていない。『足つき』で、何があった? 彼女はそこで何を見、どんな生活をしていたのだろう。
 俺は君と会えない間に、変わった。たくさんの仲間を得、こうして、ここにいる。では、君は……?
 だが、すぐにラクスは、いつもの様子に戻り、いつものように笑みを浮かべ、言った。しかし――
 
 「ありがとう、アスラン。あなたのおかげでわたくしは――」
 
 そこに、いつもの彼女と違う何かがあった。わずかに言葉を詰まらせ、彼女は視線を泳がせる。
 
 「……わたくし、は――」
 
 こんな彼女を見るのは、初めてだった。いつでも天使のような微笑で、みなを勇気付けてくれる彼女。アスランは彼女は特別なんだと思っていた。でもそれは、本当にそうだったのだろうか?
 俺は、隊長などという重役を任され、多くの者の命を背負い、心が折れそうになることがある。それでも戦うことができたのは、イザークやニコル、ディアッカを初めとする掛け替えの無い友がいてくれたからだ。決して自分は特別な存在などではない。ただの、どこにでもいる人間で……。
 ――彼女は、どうなのだろう。
 彼女に友達はいるのだろうか。
 ふいに、アスランの脳裏に昔の彼女の様子が甦る。
 ラクス・クラインという少女は、アスランがプレゼントしたハロというペットロボをとても大切にしていた。彼女は、ただの雑用向けのロボットに対しても、人間のするように話しかける。ただのロボットの事を、『子供のころからの大事なお友達』と、そう表現した。
 ――友達……。
 ラクス・クラインには、友達はたくさん、いる、はずだ。それはロボットの事ではない。多くの人々が、同年代の者も、ラクス、と、いう、少女に、プラントのアイドルである、彼女を慕い……そうだ、彼女を、慕わないはずが無い、何故なら、彼女、は、アイドル、なのだから……アイドルのラクス・クラインを、慕わないわけが……アイドル、の…………。
 そこまで考え、アスランはぞっと身を震わした。
 アスランとラクスははじめから、親同士の決めた婚約者として出会った。アスランですら、そうなのだ。最初から彼女は婚約者のラクス・クライン。では、それでは……
 彼女に、友達は、いるのだろうか……。
 たった独りで、彼女は特別だから、どんなに孤独でも、辛くても、〝プラント〟の人々の為に……?
 ぞわり、ぞわりと足元から何かが這いあがってくるような、おぞましい感覚を覚える。
 今、目の前にいる人は、ただの少女だ。だのに、その少女に俺達コーディネイターは――。
 彼女の頬に指先でそっと触れ、アスランは聞いた。
 
 「友達、できたんですね」
 
 と。
 
 「――っ! い、いえ……、わ、わたくしは、決してそんな……」
 
 うろたえる彼女の姿こそが、本来の彼女の姿であり、アスランが生まれてはじめて触れた彼女の偽りない心。
 俺は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。
 彼女を救うと、そのために戦ってきた。でも、これでは…………。
 
 「すみません、ラクス……」
 
 今まで出会った仲間、散っていった者達、全ての人々顔が一瞬で駆け、その笑顔が辛くて思わず唇をぎゅっと噤んだ。
 
 「俺は……余計なことを――」
 「――待って!」
 
 ラクスが声を荒げた。
 
 「お願いです、そんなこと言わないで! だってそうでしょう!? その為にたくさんの人が犠牲になって、それで、やっと、こうして……!」
 「ですが俺は!」
 
 俺は、本当にあなたを救った気でいた。あなたを救うことが、〝プラント〟の未来を救う鍵だと思っていた。でもそれは、あなたの心を殺しているだけで、〝プラント〟の、俺たちがあなたの心を貪り食っているだけでしかなかったのでは……。それは、少年の絶望である。
 
 「大丈夫です、わたくしなら」
 
 そう言った彼女は、健気で、愛らしい笑顔であった。
 
 「ねっ? ほら、わたくしは平気です。だから、あなたも元気を出してください」
 
 今まで見たことも無い彼女の明るい笑顔に、アスランは思わず見惚れた。言葉が出なかった。なんと言って彼女を慰めれば良いのだろう。どうやって彼女の心を救えば良いのだろう。アスランには、わからない。
 すると彼女がくすりと笑い、続けた。
 
 「でももし、わたくしが駄目になりそうだったら――その時は、あなたが助けてくださいね?」
 
 それはアスランに差し伸べられた救いの手であったのかもしれない。しかし、アスラン一人に何ができる? ラクスに救いを求める〝プラント〟の人々は、そうとは知らずに彼女の人生を食い荒らす。
ラクスを彼らから奪えば、どうなる……? 同じことだ、きっと代役が立てられ、その新しい少女の人生が犠牲となる。一人を救うために、一人を殺す……。
 アスランにはそれ以上何も言葉にすることはできず、ただただ、無力に打ちひしがれるだけであった。
 
 
 
 〝レセップス〟の甲板に不時着した〝ゲイツ改〟から回収した傷だらけのハイネの応急処置を終え、ミハイルはやれやれと肩の筋肉をほぐす。
 ニコルが心配げに彼を覗き込むと、ハイネは気さくに笑ってみせたが、当然無理をしているようですぐに激痛に笑顔を引き攣らせる。
 
 「当たり前だ馬鹿者」
 
 と愚かな患者に告げると、〝イージス〟のコクピットハッチが開いたのを捉え、注目した。
 〝イージス〟の周囲に集まるイザークたちは無事なようで、一安心であったが、さて、当のラクス・クラインは?
 〝レセップス〟の甲板上で、ディアッカとアイザックが肩を組みながら、そして十数人のパイロットやクルーたちが飛び跳ねるようにイザーク達に手を振る。
 コクピットハッチから誰かが這い出て、〝イージス〟の唯一残った右のマニュピレーターに乗り移る。
 ゆっくりとそれを乗せたマニュピレーターが高々と掲げられ、それは言った。
 
 「皆さん、ありがとう! わたくしは……ラクス・クラインは、皆様のおかげで、こうして、ここにいます!」
 
 それと同時に、仲間たちから歓声が沸きあがる。
 日が落ちようとする空であったが、今となってはそれも美しい。傷は、夜に癒えるのだから。
 
 
 
 ラクス・クライン救出の報は、すぐにプラント本国にまで届けられた。その報道に国民たちは歓喜し、ラクスの父、シーゲル・クラインは、安心のあまり思わずその場に座りこんだという。
 早々に新聞の一面を飾ったその記事を見、ギルバートはそれを友人の座るソファーへと放ってやった。友人はつまらないものを見るかのようにそれを一瞥し、吐き棄てる。
 
 「これだけお膳立てをしたのだ、そうでなくては困る」
 
 その言いようがおかしく、ギルバートはコーヒーをすすりながら噴き出しそうになってしまった。
 
 「そりゃあ、ね? が、それでも君はほんの少し彼女に期待をしていた」
 
 彼がふんと鼻を鳴らし、つまらなそうに外を見る。人工的に作られた太陽に照らされた大地は、自然に……それでいて不自然に明るく輝いている。
 
 「賭けは私の勝ちのようだね」
 
 ギルバートがたっぷりと嫌味を込めて言うと、ラウはもう一度鼻を鳴らした。
 
 「これからさ。既に『あれ』は私のものだ」
 
 彼が立ち上がり、長い金髪をうっとおしげにかきあげた。デュランダルはちらと視線をやり、告げる。
 
 「約束は守ってもらいたいな?」
 
 その言葉に、ラウはやれやれと溜息をつく。
 
 「『ディスティニープラン』には、乗らせてもらう」
 「もちろん。私は最初からそのつもりさ」
 
 そう言ってやると、ラウは短い舌打ちで答える。それに満足したギルバートは残ったコーヒーを口に運ぶ。二人の目的はまるで違うものだが、その為の手段は同じであるから、それを再確認できた今日のコーヒーの味は格別であった。
 
 
 
 ベーリング海の上に、黒々とした影を落としながら、白亜の艦と深緑の艦が陸地に近づきつつあった。
 極北の地、アラスカ――ユーコン川支流の河口付近に、地球連合軍統合指令本部〝JOSH-A〟があった。だが地上からはその全貌を見ることはできない。指令本部施設のほとんどは、ユーコンデルタの地下に隠されているからだ。
 極北の大地の下にぽっかりと穿たれた空洞の中央には、巨大な人工地盤が浮かび、上下、また外縁部の岩盤に無数のサスペンションで接合されている。そのため内部は地盤の動きとはほぼ無関係となり、地震はもちろんのこと、核ミサイルの直撃にも影響を受けない構造となっている。
人工地盤の上には軍関係施設のビルが建ち並び、光ファイバーを介して届く陽光がそれらを照らし出していて、地上の市街地をまるごと移し替えたかのように見える。規模といい外観といい、地下の空洞に建設されたものとはとても思えない。
 これが〝JOSH―A〟――地球連合軍の統合最高司令部だった。
 管制の誘導を受け、満身創痍の〝アークエンジェル〟と〝パワー〟は、流れ落ちる巨大な滝にそのまま突っ込んだ。滝の奥に隠されたメインゲートが、その巨体を迎え入れる。
 そのようすは地下深くの一室で、巨大なモニターに逐一映し出されていた。
 
 「――〝アークエンジェル〟か……」
 
 将校の一人がつぶやく。僚艦の無事を認めるその口調に安堵の色が浮かぶ。
 
 「ハルバートンは本当に連れ帰ってきたというわけだ」
 
 計画の第一人者である将校の名が口に出されると、揶揄するような声がそれに答える。
 
 「彼は何もできなかったように見えますがな」
 「そうはっきりと言うな、サザーランド大佐。彼女を連れ帰ってきただけでも良しとしようではないか」
 
 一人が、そう言った将校に苦笑で答える。モニター画面はすでに切り替わり、軍の公式書類が映し出されている。その書類にはフレイ・アルスターの名があり、皆がそれをしかと見つめる。
 
 「GATシリーズは今後、我らの旗頭になるべきものです。彼女の存在は大きいかと」
 
 サザーランドと呼ばれた将校の言葉に、ほかの者もうなずいた。
 
 「たしかにな……」
 「ナチュラルの希望だよ」
 「彼女らの今後の様子を観察するのが良いかと」
 
 サザーランドの言葉にあわせ、モニター画面が切り替わり、次々にモビルスーツの映像、スペックが示された。巨大な二門の砲を背中にマウントした機体、どういう働きを持つのか、背中に甲羅のような機構を背負った機体、可変機能を予想させる、三角翼を装備した機体、背中に巨大な輪を背負った細身の機体。
そして――。パッと画面が切り替わり、最後の機体が画面に映し出される。
 
 「これこそが、我らの切り札……」
 
 従来のモビルスーツよりも二周りほど大きな躯体に巨大な翼、太くたくましい尾、鋭い頭部。それら全てが従来のものとは違う異質な機体。
 
 「――アズラエルは、〝アークエンジェル〟にいるのだな?」
 
 一人の将校の問いかけに、サザーランドは頭を抱えた。
 
 「……面倒なことになりそうです」
 
 彼は書類を置き、これから面会しなければならない宇宙一面倒な男の顔を想像し、溜息をついた。
 
 
 
 ブリーフィングルームに集められたマリューたちは、入ってきた将校たちに敬礼した。
 
 「軍司令部のウィリアム・サザーランド大佐だ」
 
 彼らに向かって中央の席に着いた将校が、テーブルに書類を投げ出しながら言った。
 
 「まずは、ご苦労であった。諸君ら、第八艦隊〝アークエンジェル〟の審議を任されている。――座りたまえ」
 
 彼の形通りの言葉とともに、クルーたちは椅子に腰を下ろす。この部屋には〝アークエンジェル〟の主立った仕官、下士官が――未だ意識の戻らないフレイを除く――が集められていた。
 
 「――すでにログ・データはナブコムから回収し、解析中ではあるが……」
 
 そこで一度言葉を切り、彼はやれやれと首を振った。どうしたのかと疑念の色を浮かべたマリューに気づき、サザーランドは片手でそれを制した。
 
 「いや、良い。――ではこれより君たちから、これまでの詳細な報告、および証言を得ていきたいと思う。なおこの査問会は軍法会議に準ずるものであり、ここでの発言はすべて公式なものとして記録される旨を申し渡しておく。各人、虚偽の無い発言を」
 
 ここで彼ははじめて目を上げ、マリューを見やった。
 
 「……良いかな?」
 「はい……」
 
 マリューは硬い動作で頷く。
 
 「ではまず、ファイル一――〝ヘリオポリス〟へのザフト軍奇襲作戦時の状況……マリュー・ラミアス――当事大尉――の報告から聞こう……」
 「はいっ」
 
 マリューは起立し、報告を始めた。奇襲を受けたとき、自分が〝ストライク〟を守るために乗り込んだこと、その場に居合わせたキラ・ヤマトを、緊急避難的にそのコクピットに同乗させたこと――今から思い返すと、遠い昔の出来事のように思える。
 その少年も、もういない……。
 目の前にいるサザーランドは、既にその少年のことにはまるで興味が無いようで、問答すらも無く、マリューはこれまで起こった事実を淡々と告げた。
 ふと、地球に下りる際に起こった〝メビウス〟の自動操縦の辺りを終えたところで唐突に、アズラエルが大げさに手を振り、彼女の話をさえぎった。
 
 「あーやめやめ、もう十分です。これ以上は特に聞く必要ありませン」
 
 すると、サザーランドがまたかと言った顔になり、彼を咎める。
 
 「アズラエル理事、今は――」
 「ボクは止めろと言ったんですヨ。何か文句がお有りですか?」
 
 アズラエルが皮肉をたっぷりと込めて言い放つ。ただサザーランドだけが、ぐっと押し黙っている。
 
 「大佐だってアレを見たでしょう? つまり、あの光はそういう事で、それがつまりは、あのモビルスーツにも同じことができるという事なンです」
 
 その言葉に込められた意味に、マリューは気づかずにただ顔をしかめるだけであった。サザーランドはすかさず反論する。
 
 「それはわかりますが、査問会というものをご理解していただきたい」
 「いーえ、理解しませン。〝ストライクダガー〟を作ったのは誰です? ボクでしょう? それからあれも、これも、これから作るアレも、みんなウチのです。困りますよね? ボクがいないと?」
 
 その発言は、恐ろしいものだとマリューは感じた。即ち、軍は彼の私兵となりつつあるのだ、と。
 
 「り、理事!」
 「はい、査問会は終了です。これにて解散」
 「アズラエル理事!」
 
 今度こそサザーランドは声を荒げ、アズラエルに向き直る。だが当の本人はどこ吹く風かとばかりにいつもの柔和な笑みを崩さない。
 
 「ボクはねサザーランド大佐。ムダなことって大嫌いなんだ。さっさと次のステップに進みたいわけ、わかります?」
 
 負けじとサザーランドも反論する。
 
 「それでは軍は成り立ちませんぞ、アズラエル理事!」
 「おーやー? まさかご存知ない? ボクは軍人じゃあ無いんですヨ? 知りませんでした?」
 
 ついにハルバートンまでもが苦笑を漏らし、サザーランドは頭を抱えた。勝利を確信したのか、アズラエルは図々しくサザーランドの前に立ち、マリューたちに向き直る。
 
 「さて、皆さん、ご苦労様でしたネ」
 
 本当にそう思ってるのかもわからない口調で、彼が楽しげに語る。
 
 「とりあえず、皆さんは休暇です。艦の修理もありますし、ネ?」
 
 深く溜息をついたサザーランドが、書類をまとめて帰る準備を始める。
 
 「一応次の任務を言っておきましょうか。エート、〝アークエンジェル〟には月へと向かってもらいます」
 
 その言葉に、マリューはハッと視線を彼にやった。
 
 「つ、月に、ですか!?」
 「そう、月です」
 
 呆然としているクルーたちを無視して、彼は楽しげに一枚の用紙を取り出し、マリューの前にちらつかせる。
 
 「そこに書いてある人たちには――アレェ、ずいぶん少なくないですか?」
 
 ちらとそれを盗み見、不機嫌な顔になり非難の声を上げたアズラエルに、サザーランドはもう一度深いため息をつく。
 
 「内訳を決めたのは理事です」
 「あーあーもう、まったく」
 
 そう言ってアズラエルは、その用紙を手渡し、告げた。
 
 「その紙に書いてある人たちには、別の艦に乗ってもらいます。ちゃーんと人事部を通しておいてくださいネ?」
 
 言いたいことを言い終え、満足したように部屋を出て行こうとするアズラエルを、ナタルが呼び止めた。
 
 「あの……別の艦、というのは……?」
 
 アズラエルの意図が読めずに尋ねた彼女に、彼は振り返り、にっと口元を歪めた。
 
 「アークエンジェル級四番艦――〝ドミニオン〟。艦長は貴女ですヨ、ナタル・バジルール『少佐』」
 「……えっ?」
 
 自分が何を言われてるのかわからずにきょとんとするナタルの様子に、アズラエルは苦笑を漏らし、独り言のようにつぶやいた。
 
 「さあ、面白くなってきましたヨ」
 
 文句を言いたげなサザーランドを無視して、アズラエルは悪餓鬼のように小さく笑い声を漏らした。
 
 
 
 輸送機がまた到着し、ハッチが開くと中から〝ザウート〟や〝ジン〟が現れる。
 カーペンタリアのザフト軍本部では、目前に迫った〝オペレーション・スピットブレイク〟への準備が着々と進行していた。地球連合軍側に残された、パナマのマスドライバーを奪うことが目標とされる作戦に備え、各地から、また宇宙から、モビルスーツや戦艦がこのカーペンタリアに終結しつつある。
その慌しい様子は、アスランがいる〝レセップス〟の隊長室の外部モニターからも窺うことができた。
 ノックの音がして、彼は反射的にドアの方を見やった。
 
 「バルトフェルドだ、入るよ」
 
 ドアが開き、相変わらずの笑みで、上官が入ってくるのを、アスランはしばし無感動な目で迎える。
 
 「……隊長」
 
 少し遅れて、相手が敬意を払うべき存在であることを思い出し、彼は慌てて立ち上がったが、バルトフェルドはそれを制した。
 
 「はっはっは、良いって良いってそのままで」
 「あ、はい……」
 
 アスランは呆気に取られながら、彼の意図を読み取ろうと窺う。すると、バルトフェルドはづかづかと近づき、アスランの両肩をがしと握った。
 
 「――やったじゃないか、アスラン君」
 「えっ?」
 「僕の見込んだ通りだ! 君に〝レセップス〟を渡して良かった」
 
 彼はうんうんと頷き、アスランの両肩を離した。やがて彼は少しだけ視線を落とし、何かに思いを馳せるように、そっと目を閉じる。
 
 「……僕の部下たちは、役にたってくれたかい?」
 
 ふいに、胸の痛みを感じて、アスランは視線を落とす。彼から借りた兵は、もはや一人とて残っていない。皆アスランたちを押し上げてくれるために、ラクスを、救う……ために、率先して犠牲になってくれたのだ。アスランは、唇をかみ締める。
 
 「……はい。彼らの犠牲がなければ、この作戦の遂行は不可能でした……」
 
 バルトフェルドは優しく頷き、ただ一言、こう告げた。
 
 「……ありがとう」
 
 彼は天を仰ぎ見、続ける。
 
 「彼らもきっと、あの世とやらで喜んでいると思うよ。君のような男の下で戦えたことを、ね」
 
 バルトフェルドは、もう一度いなくなった部下たちに思いを馳せてから、ふっと息を吐く。
 
 「さあ、暗い話題はお終いだ。次は楽しい話といこうじゃないか」
 
 まったく、彼のこの移り変わりの速さには驚かされる。こう割り切ることなど、決して簡単なことではないだろうに。
 
 「きみにはネビュラ勲章が授与されるそうだ」
 「――え……?」
 
 アスランは今度こそ驚いて顔をあげる。
 
 「それだけじゃない。君たちザラ隊は、本日付で国防委員会直属、特務隊への転属の通達も来ているんだ」
 「そんな……私などが……」
 
 アスランは呆気に取られていた。それは昇進を意味する通達だ。
 
 「君たちはトップガンとなるんだ。――最新鋭の戦艦、最新鋭のモビルスーツ。それらが本国で、首を長くして待っている」
 「待ってください、俺は――私は……」
 
 違う、そんなんじゃない。何がトップガンだ、何が勲章だ。そうじゃない、今大切な事は――
 混乱するアスランに、バルトフェルドは優しく声をかける。
 
 「――僕もね、勲章の一つや二つは持ってるんだ」
 
 その言葉に虚栄などの色は感じられず、アスランは次の言葉を待った。
 
 「だから、今の君が何を考えているのかくらいはわかっているつもりだ。――君が、本当は誰を救いたいのかも」
 
 彼の言葉に込められた寂しさに、アスランははっと息を呑んだ。
 
 「君が考えている事は、君が思っているよりもずっと難しいことだ。知っているだろう? 〝プラント〟のみんなは、地球のコーディネイターを裏切り者と呼んでいるんだからね」
 
 それは即ち、自分達こそが選ばれし者であるという驕りである。バルトフェルドが続ける。
 
 「強くなれ、アスラン君。彼女を救おうというのなら、君が〝プラント〟の人々の希望にならなければならない。それは、婚約者であり、国防長官の息子である君にしかできないことだ」
 
 それは、残されたわずかな希望であった。ラクスを救い、〝プラント〟も救う、いわば茨の道。それでも――
 ふっと笑みを浮かべ、バルトフェルドが力強く頷く。
 
 「約束するよ、アスラン君。僕も必ず、君の力になる」
 
 それでも、そこにある確かな希望。アスランはもう前を向いていた。立ち止まっている暇は、無いのだから。
 
 
 
 ここは、どこだろう。まるでタイムスリップしたかのように古臭い街並み。木材でできた家々。わたしの住むここもそう。映画で見たことのあるような風景――
 フレイは夢を見ているのだ、彼女は今、別の人物となってスタンドの明かりを頼りに愛しい母へ手紙を書いている。
 ――おかあさん
    今日は書くことが
    たくさんあります
    何日も
    おやすみして
    ごめんなさい
    やっと家の中が
    落ち着きました
    いろいろな
    新しいことが
    はじまって
    います……
 フレイはふと、ベッドの上で丸くなる黒い愛猫が「フミュ~」と鳴くのを聞き、筆をおいた。だが、名前は思い出せない。この子は誰だっただろうか……。彼女は手紙を書き綴りながら自然な動作で猫の名をつづったが、それがまるで穴の開いた紙切れのように空欄で埋め尽くされている。
 
 ――今『    』が
    ベッドの上で変な
    寝息をたてました
    『    』も
    齢をとりました
    二度も宇宙船に乗ったし
    かわいそうです……
 ふと彼女はカーテンをめくり、夜の景色を見る。
    この『        』は
    とてもかわった所なんですよ
    『   』とは違って
    大きな窓から宇宙《そら》が見えるし
    今は夜だけど
    夜でも真っ暗にはなりません
    星や月の光が差し込んで
    変に明るいのです
    ミラーの具合が悪いからだと
    『     』さんは言っていますが
    よく意味が判りません
    でも
    この夜の感じ
    きらいじゃありません
    暗い夜のようにこわくないし
    地球の北の方の地方にあるという
    「白夜」の感じに
    きっと似ていると思います
    白い光の中に
    湖が見えます
    星の光を映して
    きらきら
    光っています
    あ
    おかあさんのお部屋も
    決めました
    建物の右端の
    ベランダつきの二階です
    そのベランダからは湖がいちばん良くみえるんです
    あと
    遠くに教会のある小さな村も……
    その村には
    『     』さんと奥さんも住んでいます
    そして
    これが今日いちばんお知らせしたいこと
    『     』さんの息子さんに会いました
    『         』
    といいます
    高校生です
    一六才です
    『     』兄さんと
    同い齢です
    それだけじゃありません
 フレイは嬉しくなって、昨日のことを思い出しながら手紙に書き綴る。
 
 ――そっくりなんです
    本当に!
    信じられないくらいっ
    あんまり似ているから二人が
    会った時どうなるかと思いました
    でも
    大丈夫でした
    二人はお友達になれそうです
    『   』さんは
    とっても優しい
    すてきな人です
    馬の乗り方を
    教えてもらいました
    教えるのが上手です
    もう駈足《キャンター》までマスターしたのよっ
    今度は早駈《ギャロップ》に挑戦します
    そしてはやく
    ポニーじゃない
    本当の馬に乗れるようになって
    格好よく走るところを
    おかあさんに……
 ふと、部屋の扉が開き、フレイはゆっくりと顔を向ける。少年が左手に何か――手紙のようなものを握り締めている。
 
 「兄さん……?」
 
 そこには、抜き身のナイフのような目つきで唇をかみ締めている、彼女の兄が静かにたたずんでいた。
 
 「どうしたの!? 兄さん!」
 
 あの優しい兄さんが、こんな表情を見せるなんて……。フレイは不安に駆られ、思わず声を上げる。兄がうめくように言う。
 
 「『      』……母さんが――」
 
 彼は一度言葉を区切り、滾る憤怒を、行き場のない悲しみをこらえるようにうめく。
 
 「…………死んだ」
 
 えっ? フレイははっとし、椅子を蹴って立ち上がる。愛猫が驚いて飛び起き、兄の握る紙を奪い取る。それは手紙であった。彼女は嫌な汗を滝水のように流しながら、震える手で手紙を握り、読み上げる。
 
 ――悲しむべきお報せです
    長く病気療養に務められていた
    『アストライア・トア・ダイクン』様は
    治療の甲斐なく
    亡く
    なられ
    ました
    慎んで
    …………
 死んだ……? おかあさんが……? うそ、うそよ……だって約束したじゃない……。別れるとき、ちゃんと、百回満月の日が来たら必ず会えるって……だからわたしは……ずっと、ずっと――
 
 「いやあああああ!!」
 
 獣のように泣き叫び、フレイははっと目を開けた。
 どこまでも続く無限の青空。枯れ果てた荒野、さんさんと降り注ぐ日差し。特に理由も無く、これも夢の続きなのだと感じた。折角夢を見てるのだから、もっと素敵な景色にしたかったなと文句を浮かべながら、彼女はひたすら待った。こういう時は、決まって『彼』が来るのだから。
 ちらと影が差し、フレイは空を仰ぎ見た。太陽を背に、一羽の赤い鳥が緩やかに羽ばたき、やがて傍らの、誰かの墓標へと泊まった。
 これは誰のお墓なのだろう。フレイはちらと刻まれた文字を見る。そこには――
 ――エドワウとセイラを愛せし母
 とだけ刻まれていた。その二つの名に言い表せないほどの哀愁を覚えつつ、なぜこのお墓に眠るものの名が刻まれていないのだろうと気になった。
 
 『元気そうだね』
 
 彼の言葉に、フレイは苦笑した。
 
 「そう見えます?」
 
 〝イージス〟に撃墜されたところまで記憶していたフレイは、きっとどこか怪我をしているんだろうなと思い、そう反す。すると、彼は小さく頷き、言った。
 
 『もちろんだとも。右腕の骨折だけで済んだ』
 「えーっ」
 
 腕の骨を折るなど、フレイは一度たりとも経験したことは無いのだというのに、この鳥は簡単に言ってくれる。
 
 『下手をすれば死んでいたのだ。それに比べれば、随分マシなものだと思うが』
 「乙女の柔肌なんですっ」
 
 そんなこともわからないのか、とフレイはぷいと視線をそらした。
 
 『……やれやれ』
 
 彼の言葉に、フレイはもう一度「えーっ」と非難の声を上げた。
 
 「何その態度っ。普通はもっと心配するもんでしょお!? 女の子って寂しいと死んじゃうんだから!」
 
 そう皮肉ってやると、彼は少し悲しげに――鳥に表情があるのかはわからないが――うつむき、『……すまない』と短くつぶやいた。
 まただ。時々彼は、フレイの何気ない一言――大体は皮肉だが――に、フレイが想定していた以上に酷く傷ついたような仕草をする。それを聞く勇気は、フレイには無かった。
 ふと、彼は遠くに思いを馳せ、独り言のようにつぶやいた。
 
 『もうじき君に会える』
 「え?」
 
 その言葉の意味がわからず、フレイは不思議そうな顔になる。
 会える? 今こうしてここにいるのに? 赤い鳥は苦笑し、いつものように、こう告げた。
 
 『さあ、目を覚ませ』
 
 はっと目を開くと、そこはフレイの知らぬ天井であった。ふと人の気配を感じ、のそのそとベッドの脇に目をやる。するとそこには――。
 
 「ようやくお目覚めか、アルスター」
 
 不機嫌そうな顔のカナードが、読んでいた本をぱたんと閉じフレイをじっと見下ろした。
 
 「またあんたなんだ」
 「悪かったな、またオレで」
 
 顔色を変えずに、彼はちらとフレイに視線をやる。
 
 「減らず口が叩けるのなら、問題無いな」
 
 彼はすっくと立ち上がり、背を向ける。フレイは自分の右腕に視線を向けると、包帯とギプスでがちがちに固められており、『彼』が言ったことが本当であったと実感する。そして、ラクスに、もう会えないんだということも――。
 
 「……負けたんだね、わたしたち」
 
 ラクス・クラインは取り返され、フレイ自身も撃墜。そして〝ストライク〟――キラも、殺られてしまった。今にして思えば、良い子だったのに。会うたびに意地悪をしてしまったあの子。カナードにも、カガリにも似ていたあの子。
弱虫で、情けなくて、根暗で――優しくて、強くて、頑張りやで……。彼はわたしを信じてくれた。わたしのわがままに付き合ってくれた――もう少しくらい優しくしてあげれば良かったな、と思い、少し後悔した。
 カナードは顔だけこちらに向けて、自信に満ちた顔で告げる。
 
 「生きているうちは、負けじゃない。そう腐るなよ、アルスター」
 
 彼のこういうところを見ると、やっぱり兄弟なんだなと思う。どうして彼らはこんなにも強いのだろう。カナードはそのまま天を仰ぎ見る。
 
 「あいつだってそうさ。きっとどこかで生きている……そんな気がするんだ」
 「……双子の勘?」
 
 そう質問すると、彼は苦笑で答える。
 
 「――ま、そうかもしれんがな」
 
 ……良いなあ、兄弟って。一人っ子のフレイは羨ましくなって溜息を吐く。
 
 「ともかく、今は休め。〝ドミニオン〟の出港はまだ先だからな」
 「〝ドミニオン〟……?」
 
 聞きなれない単語に、フレイは彼の顔を見返す。カナードは、ああと頷き説明した。
 
 「〝アークエンジェル〟級四番艦〝ドミニオン〟。オレたちの新しい乗艦だ」
 
 新しい艦……?
 ――彼が言うには、〝ドミニオン〟は、一番艦〝アークエンジェル〟の教訓を生かし、より少ない人数で動かすことができ、それでいて劣らぬ性能を備えたアークエンジェル級の決定版なのだという。
艦長には、ナタル・バジルール少佐が着任し、副長としてメリオル・ピスティス中尉、戦闘隊長にはアムロ・レイ大尉、そして艦のメインパイロットには――
 
 「――サイ!? サイって、サイ・アーガイル!?」
 
 まさか、ここがアラスカなら彼はとっくに軍を除隊して……。カナードがこくりと頷いた。
 
 「アーガイルだけではない。ハウのやつはそのままモビルスーツ管制担当を勤めるし、バスカークも同じだ」
 
 更にそこに、トール・ケーニヒ少尉とカナード・パルス中尉、そしてフレイ・アルスター少尉が加えられた、小数の部隊として結成させられたのだ。
 
 「フラガ少佐たちは?」
 
 彼女の問いに、カナードは答えた。
 
 〝アークエンジェル〟は、マリュー・ラミアスを艦長としたまま、ムウを戦闘隊長とし、オルガ・サブナックを迎え、新たな兵器と補充パイロットを受け取るために、〝パワー〟とともに月へと向かうことになったそうだ。
そしてその〝パワー〟には、ジャン・キャリーが向かうこととなった。〝アークエンジェル〟と〝パワー〟の二隻は、これからも戦力の要として扱われることになり、ハルバートンは連合のコーディネイターと、ガンバレル適性を持ったナチュラルを一箇所に集め、地球連合最強の部隊を結成するのだという。
 フレイはそこまでことが進んでいたことに驚きつつ、皆と離れ離れになってしまうんだなと思い寂しく息をついた。
 苦笑しながら立ち上がり部屋をあとにしようとするカナードにフレイは声をかけた。
 
 「あ、それわたしの」
 
 彼は、「うん?」と、『巨人たちの黄昏』と書かれた本をフレイに見せる。
 
 「お前のじゃないだろう? キラがお前に盗られたってぼやいてた」
 
 むっと押し黙ったフレイはそのままベッドに自分の体をうずめた。
 
 
 
 漆黒の宇宙《そら》に雲母のかけらを落としたように、光るものが一片、きらりと太陽光を反射した。宇宙空間を舞うそれは、二枚の翼を広げた白い機体だ。
 白を基調に、青や黄で塗り分けられた小型の機体は戦闘機だろう。風防《キャノピー》の偏光ガラスを通して、パイロットの白いスーツが見える。
 パイロットはコンソールとモニター上の各データを読み取りながら、操縦桿を操っていた。ヘルメットの奥には、知的さをうかがわせる少年の顔がある。肩までかかる髪は艶やかな金髪、ちらりと覗く瞳は雲一つない青空を思わせるスカイブルーだった。
 空色の瞳の先には白銀に輝く砂時計の形をした巨大な構造物が近づく。はじめて宇宙に出たときは、対象物との距離感がつかめなくて戸惑ったものだった。
大気のない宇宙空間では離れたものもあまりにはっきり見え、巨大なプラントもまるで目の前に置かれた模型であるかのように映る。彼はゆったりと回転する人口の大地を回り込んだ。
 とたんに、えもいわれぬ青色が視界に入る。地球――母なる青い惑星。その美しい姿を見るたび、息苦しいような苦痛と郷愁が少年の胸を締め付ける。
 なぜだろう。彼はそのことをいつも疑問に思っている。自分は地球生まれではないし、行ったことすらないのだ。なぜなら、俺は――。
 青く輝く惑星を見つめ、苦い思いに身を浸していたレイ・ザ・バレルは、スピーカーから入ってきた声で我に返った。
 
 〈――レイ、そろそろ時間だ〉
 「了解です、ギル――いえ、デュランダル所長」
 
 レイは素早く気持ちを切り替え、機首を巡らしてコロニーへ向ける。まるで体の一部であるかのように、思いのまま動く機体に、彼はひそかな満足感を覚えた。
 
 
 
 「違う違う! ロンド隊の〝ジン〟はすべて式典用装備だ! 第三格納庫《ハンガー》だと言ったろ!?」
 「マッケラーの〝ザウート〟かァ!? 早く移動させろォ!」
 
 荒っぽい叫び声が飛び交い、広い敷地内は雑然としている。指示に従って全高二十メートルを超えるモビルスーツが歩き回る眺めは圧巻だ。式典を明日に控え、ザフトの軍事工廠は常と違う活気に満ちていた。ここがこれほどの賑わいを見せることは、万一敵に攻め込まれでもしない限り、そうそうあるまい。
 騒然たる敷地内を走っていたバギーが、建物の陰から現れた〝ジン〟の足に接触しかけた。運転手があわててハンドルを切る。バギーは危ういところで巨大な足の間をすり抜け、助手席に座っていたルナマリア・ホークはぞっとした顔で座席にのけぞった。
 
 「ハァ……なんかもう、ごちゃごちゃね!」
 
 赤い髪の活発そうな少女は、その年齢と見かけにそぐわぬエースパイロットの印、赤い軍服に身を包んでいる。運転席のヴィーノ・デュプレは技術スタッフのつなぎを着、オレンジ色のメッシュが前髪に入った少年で、まだ子供のような顔をしている。
二人とも十五歳――各人の基礎的能力が高い〝プラント〟においてはすでに成人とみなされる年齢だ。
 
 「しかたないよ。こんなの久しぶり――ってか、はじめてのヤツも多いんだし。おれたちみたいに」
 
 ヴィーノはうんざりした顔のルナマリアとは対照的に、どこか弾んだ表情だ。
 
 「でも、これでザラ隊の初任務は終了だ。配属は、噂通り月軌道なのかなァ」
 
 彼は、明日に凱旋パレードを控えた部隊の名を口にした。その口調には無意識に誇らしさがこもっている。〝プラント〟全土が注目する式典に、ヴィーノやルナマリアはスタッフとして参加が決まっていた。
 気がなさそうに周囲を見回していたルナマリアは、自分と同じ赤服を目にして手を振った。
 
 「レイ!」
 
 レイは彼女の呼びかけに反応して目を向けたが、手を振り返すどころか、表情さえ一ミリも動かさなかった。これは彼が不機嫌であるとか、ルナマリアを無視しているというのではなく、ただ無感動な性格なのだ。
彼はルナマリアたちのバギーを見送った後、上空に近づいてきた爆音に気づいて顔を上げた。そして着陸しようとしているジェットファンヘリコプターを目にしたとたん、珍しく表情を緩め、そしらに駆け寄る。
 着陸したヘリのタラップから、長い裾を揺らして身軽に降り立った男は、司令部に向かって歩きながらも補佐官たちとせわしげに言葉を交わしていた。切れ長の目が周囲を撫で、敬礼するレイの上に留まると、端正な顔がしばし笑みをたたえた。
 この男は遺伝子工学研究所所長にして、〝シグー〟や〝ディン〟を開発したハインライン設計局の科学者としても名を馳せる、ギルバート・デュランダルその人だ。
 
 「所長……」
 
 レイが見るうち、デュランダルに一人の補佐官が駆け寄り、あわただしく何かを告げる。デュランダルの目が一瞬、鋭い光を宿した。彼は衣の裾を翻し、随員たちを引き連れて、早足で司令部に向かった。
 
 
 
 燃え立つようなオレンジに染まっていた空が、やがてその輝きを失い、しんと冷たい宇宙の色に飲み込まれていく間、アスランはにぎやかに騒ぎ立てるラスティとディアッカの声を聞きながら、窓の外を見つめていた。地球の空は、美しいものなんだな。
 シャトルは定刻より少し遅れて離陸した。大気圏を出たところで、すぐ隣のシートに座るラクスが難しい顔をして小型パソコンとにらめっこしていることに気づき、声をかけた。
 
 「どうしました?」
 
 すると、彼女は慌てて電源を切り、乱暴折りたたむ。
 
 「い、いえ。何でもありません……」
 
 彼女の様子に呆気に取られながら、アスランは尚もわいわいとうるさいラスティたちを一瞥し、溜息を吐いた。
 
 「すみません、あんな連中と一緒で」
 
 これから〝プラント〟に到着するまでの間、ずっと彼らと一緒なのだと思うと、少しばかりすまない気持ちになってくる。
彼女の力になるとは言ったが、それでもやはりラスティやディアッカがいるような世界に足を踏み入れて欲しく無いし、変な影響を受けては大変だ。……しかし、とアスランは思う。
 
 「良いやつらなんですけどね……」
 
 ラクスがくすりと微笑みを浮かべ、「ええ」と答える。アスランにとって、彼らの軽薄とも取れる態度が救いなのだ。
戦果を自慢げに語るラスティも、それに呆れるニコルとイザークも、いらいらと叱り飛ばすシホも、それを恐々眺めているアイザックも、煽り立てるディアッカも、アスランが手に入れた勲章などより遥かに輝く宝物だ。
 それから数時間後、機内で食事を取りつつ、そういえばラクスと一緒に食事を取るのは久しぶりであったことを思い出し、何やら暖かいものが胸に溢れてくるのを実感した。
ここぞとばかりに茶々を入れてくるラスティとディアッカがいなければ、もっと良かったのになと縁起でも無い事を考えてから、すぐにそれは思考の隅にへと追いやった。
 
 「だからさ、あそこで俺のナイスなフォローがあったからこそ――」
 「まあ待てよラスティ。今回の功労者はなんと言っても俺と〝バスター〟に――」
 「ぼ、僕だって頑張りましたよぉ」
 
 尚も続ける仲間たちに呆れていると、シャトルが〝プラント〟に着いたことを知らせるベルが鳴り、アスランは故郷に帰ってきたんだと実感した。
 シャトルから降り立つと、まずはその光景にアスランは驚愕した。数十を超える士官たちが、綺麗に一列に並び視線を向けるその状況は、一生忘れることは無いだろう。
 アスランはどうして良いのかわからずに辺りを見回すと、若い指揮官が凛として顔を上げ、口を開く。
 
 「――ザラ隊に、敬礼!」
 
 その場にいた数十の士官が一斉に敬礼した。それはそれは、見事なものである。唖然としているアスランの背中をミハイルが軽く押し、はっと振り返ると、彼は無言で頷いた。
 バルトフェルドの言葉が、脳裏に蘇る。俺は全てを得ようとしている。犠牲無しに、やり遂げられるだろうか……。
 意を決して一歩踏み出し、振り返り、ラクスに手を差し伸べた。彼女はそっとアスランの手を握り、タラップへと足を進める。彼女の姿を確認したザフト兵たちから、歓声が聞こえ、若い指揮官が苦笑を漏らした。
 アスランたちが指揮官の下に足を進めると、そこでようやく彼が誰であったのかに気づき、思わず口を開く。
 
 「ユウキ隊長」
 
 士官学校時代に世話になったことのある隊長。レイ・ユウキは、優しく微笑んだ。
 
 「立派になったね、アスラン・ザラ君」
 「いえ……」
 
 彼の賞賛をむずかゆく感じ、アスランは視線を落とす。
 
 「それに、ラクス・クラインさん。よくご無事で」
 「これも皆様のおかげですわ」
 
 彼女のいつもの微笑みに、アスランの胸がちくりと痛む。ユウキがぎこちなく苦笑する。アスランたちはそのままユウキに連れられて狭い通路を抜けドアを開ける。すると――
 「きゃー! ラクス様だあーっ!」
 
 華のような嬌声とともに、一人の少女が黒くつややかな髪をなびかせてラクスに飛びついた。
 
 「え、ええ? あの――」
 「本物のラクス様、ラクス・クラインのラクス様! ああ、こんなに可愛いなんて、あたし感激!」
 
 困惑するラクスがちらと視線で助けを求めたのを察知し、アスランは少女に声をかける。
 
 「あの、君――」
 「アスラン・ザラだぁー! 知ってます、ファンなんです、凄いんです! 『ザフトの騎士』アスラン・ザラ! やっぱり本物って素敵! カッコイイ! ちょっぴり可愛い!」
 
 マシンガンのようにしゃべりながら彼女はアスランを抱きしめ、メロンのように豊満な胸がアスランの胸板に押し付けられた。
 
 「は、はぁ!? いや、あのちょっと!?」
 
 その感触に心を奪われそうになるのを必死にこらえながら、赤面した顔でアスランは慌てて少女の肩に手をやった。なんとかして引き離さなくては……。すると――
 
 「ああー! お前自分だけなに良いことされてくれちゃってんの!?」
 「アスラン、今日という今日は温厚な俺でも怒髪天だぜ!?」
 
 いつものようにラスティが真っ先に声を荒げ、更にいつものようにディアッカがそれに続いた。たぶんこの後シホが叱り飛ばして、ニコルのフォローが入るんだろうなとアスランは頭の隅で考えつつ、可能な限り優しく少女を引き離した。
 体のラインがはっきりとわかる可愛らしい黒い服をぴっちりと着こなし、灰色のミニスカートと黒いロングソックスの間に見える、いわゆる絶対領域と呼ばれる太ももがなまめかしく覗かれていて、それでいて見事な胸は下手をしたらアスランの顔ほどあるのではないかというほど大きく、更に形も綺麗で張りがありそうな……そう、これはおわん型だ。
潤んだ彼女の瞳はこの世の誰よりも純粋で優しげな輝きを放ち、人懐っこそうな笑みが可愛らしい。
 うっとりと幸せな顔になった少女に、ふと声がかかる。
 
 「ちょっとちょっとちょっと、ミーアちゃーん!」
 
 メガネをかけたふくよかな、騒がしそうな男が息絶え絶えとやってきて、続ける。
 
 「軍のお偉いさんがぎょーさん来とるんやでえ!? 勝手な真似されちゃあ――」
 「マネージャー! 見て、ラクス様!」
 「見たらわかるっちゅーねん! だからそう言うことやなくて、遠くから見てるだけやゆうたからこうして――」
 「ごめんなさい。でも、ラクス様なんですよ!? あたし、我慢できない!」
 「ほんま頼むわー、ミーアちゃーん……」
 
 マネージャーと呼ばれた男は、呆れ果てた様子で額に手を置く。はて、ミーアとはどこかで聞いたような。奥からラスティとディアッカ、ついでにアイザックまでもがおずおずとやってきて、ミーアと呼ばれた少女に歩み寄る。
 
 「こ、こんにちは! ラスティ・マッケンジーです!」
 「ディアッカ・エルスマン……よろしく」
 「ア、ア、イアイア……アイザック・マウです!」
 「ええ? ひょっとしてぇ……あたしのファンとか?」
 「ファンですっ!」
 
 三人が一斉に答え、アスランは頭痛がしてきた頭にそっと手をやった。ああ、そうか。そういえばこいつらはそんなことを言ってたな、と思い出す。
曰く、「時代はミーアっしょ? ミーア・キャンベル」「だよねえ……ラクス・クラインには出せない味だぜ、これはさ」「彼女の歌、良いんですよ……激しいのもあれば優しいのもあって、何よりも魂がこもってます!」とのことだ。
その時は大して気にも止めていなかったが、なるほどと納得した。確かにこの激しさはラクスには出せないだろう。というか出してはならない。
 同時に、アスランの中の冷静な部分が、きっと彼女は保険だったのだろうと推察していた。ラクスが死んだ場合の……だが、彼女に代わりが務まるか、というのも難しい話であろう。現にこうして、ラクスは生きてここにいるのだから。
 マネージャーが気を利かせて出してくれた色紙にミーアがサインをし、ラスティたちに手渡すと、彼らは喜び勇んでそれを大切そうに抱える。
 その様子をちらと端目でとらえ、ミハエルは独り言のようにつぶやいた。
 「若いな」
 と。
 
 
 
 眼が覚めてから、既に一週間がたち、フレイの体はとうに歩けるくらいには回復していた。とは言っても、せっかくの新造艦である〝ドミニオン〟の内装は、ほとんどが〝アークエンジェル〟と同一であり、フレイは退屈な気持ちでぶらぶらと歩き回っていた。
厨房は、〝アークエンジェル〟に比べ二倍ほどの広さに改築されていたが、それを使いたがっていた者は、もうここにはいないのだ。それがフレイを一層寂しい気持ちにさせる。だから彼女は、そこを出て、アラスカの基地を見て回ろうという気になったのだ。
……カガリもいなければ、ラクスもいない。ミリアリアたちは、ノイマンらの代わりに、少しでも艦に慣れるようシミュレーション中だ。トールは基地のモビルスーツ隊に混じり、アムロとカナード指揮のもと今もモビルスーツ転換訓練に励んでいるだろう。
 ――一人ぼっちだな……。
 〝ドミニオン〟から降り、静まり返った地下ドックをフレイは歩き出した。一度振り向き、漆黒の、今まで自分たちが命を預けたあの艦と瓜二つの躯体に視線を走らせ、小さく息をつく。
 今頃〝アークエンジェル〟は月だろうか。みんなも――。
 ドックって、こんなに静かなんだ……。今まで彼女は、最前線の〝スエズ〟のドックや、慌しく人が行きかうオーブのドックしか見たことが無く、その広大さと静けさに息を呑んだ。それだけ、今の自分がいかにちっぽけな存在であるかを教えているようで、フレイは首を小さく振って歩き出す。
 数十分ほど歩いただろうか。彼女は迷路のような〝グランドホロー〟内部の要所要所に記された案内用の矢印を辿り、外へと続く扉を見つけ、開いた。
 ふわっと冷たい風が彼女の頬を撫で、優しい日差しが包むようにして差し込んでいる。
 なんて、広いんだろう。
 地平線が見えるほどの滑走路には、輸送機がいくつか並んでいるが、今は動く気配は無い。フレイはフェンスを辿りながら基地施設の出口を見つけ、若い警備員にIDカードを見せると、どういうわけか驚いたような、感動したような顔で敬礼をして通してくれた。
 どこへ行こうかなど決めていなかった。彼女は気の向くまま、ふと小さな木々に囲まれた小奇麗な道を見つけ、足を進めた。人通りは多いようには見えないが、隅々まで掃除が行き届いているようで、汚らしいとは思わなかった。どこまでも清潔な、静かな通り道。木々の匂いを体いっぱいで感じながら歩くと、やがて道は開け、フレイははっとした。
 そこは、白い十字架がいくつも立ち並ぶ――その墓の継承者や、縁故人がいない者たちが葬られる無縁墓地と呼ばれる場所であった。
 そこに、たった一人で十字架の前に佇む老いた男性将官を見つけ、興味本位から、遠めに将官の表情を伺い、その思いつめた表情に息を呑んだ。彼は白髪混じりの髭の口元に深い皺を寄せ、じっと眼を閉じ佇んでいる。彼の手には、真っ白い花を咲かせたオオアマナと真っ黒い花弁をつけたクロユリの花束が握られている。
 ――引き返そう。
 ここはきっと、わたしが来て良い場所じゃ無いんだ。フレイは居たたまれなくなり、来た道を戻ろうときびすを返した、すると――
 
 「――君は、アルスター少尉、か……?」
 
 男が彼女に気づきに、フレイは思わず振り向いた。わたしを知っている……? 老人の眼に、一瞬光が宿る。
 
 「あ、あの……」
 
 フレイは見知らぬ老人に驚き、彼が上官であることに気づき慌てて敬礼で返した。すると老人は優しく微笑み、手で制し「構わん」と告げる。
 彼の優しさに満ち溢れた瞳に見つめられたからだろうか、フレイはおずおずと彼に近づき、「お知り合いですか……?」と聞いた。老人は言葉を濁し、懐かしむような笑みで小さく頷く。
 
 「わたしを――?」
 
 何故知っているのか問うと、彼は気さくに微笑み、答える。
 
 
 
 「――若干十五の少女が、モビルスーツに乗っているのだから、知らぬ者はおらんさ」
 
 そうか、とフレイは納得した。だからあの警備員も、あんな顔をしたのか。警備員の顔を思い出してしまい、思わず噴出しそうになるのをこらえながら、フレイは老人の視線の先にある墓標に視線を落とした。
 そこに、名は刻まれていなかった。ただ、そこにあるだけの簡素な墓標。どういうわけか、それがフレイをたまらなく悲しくさせた。
 
 「この人、名前は――」
 
 老人が静かに首を横に振る。
 
 「友達、だったんですよね――」
 
 問われた老人は唇をかみ締め、何かに思いを馳せるように力強く眼を閉じ、震えるようにして息を吐ききった。彼が手に持つ白と黒の花束をフレイに渡す。
 
 「これを、彼にやってくれないか……?」
 「えっ――?」
 
 フレイは顔を上げると、慈しむような老人の視線と交差し、しばし二人は見つめあう。老人が短く頭を下げた。
 
 「……頼む」
 
 とくんと心臓の鼓動が高鳴った。彼が大事そうに抱えるそれを受け取り、フレイは真っ白い十字架を見つめる。
 フレイはそっと膝を折り、花束を墓標に添えた。不思議な感覚だった。見ず知らずの人のに、こんな気持ちになって花を添えるなんて……。
 彼女の後ろで、老人が居住まいをただし、ゆっくりと右手を額へと持っていく。指先までしっかりと伸ばし、彼の持ちえる最上の敬礼を、その墓に眠る者へと捧げた。フレイは倣うようにして、墓の主に敬礼をした。
 ――どうか、安らかでありますよう。そう、祈りを込めて。
 それから二人は、基地につくまで無言で連れ添って歩いた。不思議な安心感と、どこか懐かしいような錯覚に囚われながら、彼女はもう寂しいという気持ちはなくなっていた。
 入り口にまでたどり着くと、先ほどの警備員が出て来て、見たこともないほど驚いた顔になり、慌てて敬礼をする。
 
 「こ、これは……ビラード准将殿!」
 
 その老人――ビラードは苦笑し、「ん、ご苦労」と告げてから警備員の胸を励ますようにしてぽんと拳で触れた。
 
 「あの、ビラード――准将は、アラスカの偉い人なんですか?」
 
 フレイは彼の名を胸に刻むようにして言葉に発しながら聞くと、ビラードは立ち止まり、彼女に向き直った。
 
 「私はこれから月に向かうことになっている。――だが……あそこで君に会えて良かった」
 
 彼はフレイの頭を優しく撫で、やがて一歩引き距離を置いた。
 
 「……さらばだ、少尉」
 
 彼はすっときびすを返し、どこかへと向かっていく。
 ――別れ際のさよならなんて、言わないで欲しかった。フレイは去り行く彼の背中を、ずっと見つめているのだった。
 
 
 
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