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Last-modified: 2012-11-13 (火) 01:20:22

 ――九月二十七日、0時0分
 
 「フレイ、カガリさん、応答して! フレイ!」
 
 途絶えた通信の回復に努めているメリオルを尻目に、ミリアリアは懸命に二人に呼びかけていた。
 彼女たちが向かった先は、山を一つ越えた向こう側の小さな孤島。無論、そこからでも核が爆発すれば、周囲の群島に多大な被害を及ぼすことは明確である。
 
 「〝ドミニオン〟を前に出せ!」
 
 咄嗟にアズラエルが言い、ナタルが「無茶です!」と怒鳴り返す。
 
 「ようやく『ニュータイプ』が我々の側から生まれたんだぞ!? それを――」
 
 そこまで叫んで、アズラエルは不意に顔を横に向けた。それはナタルたちも、甲板の〝カラミティ〟らも、ミリアリア自身も同じだった。森林地帯の向こう、標高百メートルもない小さな山の稜線がくっきりと浮かび上がり、強烈な光を放ち始めたのだ。
 星空がかき消え、透明な青空がみるみる広がってゆく。まるでシネマの早回しを見ているようだったが、ようやく日が変わったばかりの時刻に、夜明けが始まる道理はない。どだい、山の向こう側に発した太陽の光はあまりにも強く、夜明けと呼ぶには一方的で硬質な感じさえして、ミリアリアは本能的に目を閉じていた。
 あの光を見てはいけない。そう教える本能に従って顔も伏せた刹那、地の底から這い上がる振動が艦橋《ブリッジ》を揺らし始めた。
 
 
 
 宇宙《そら》へと逃れた〝ミネルバ〟で、それは確認された。ここからでもわかるほど目のくらむほどの閃光、すぐさま艦橋《ブリッジ》にアラートが鳴り響く。 
 差し入れを持ってきたラクスもまた、その光を目にしていた。
 綺麗なものとは思わなかった。ただ、なんだろうと疑問に思う。
 あの光は……?
 索敵担当のバート・ハイムが、静かにこう告げた。
 
 「……核に間違いありません」
 
 タリアは苦虫を潰したような顔になり、同時にアスランが「馬鹿な!」と怒りをあらわにした。
 ――核。『血のバレンタイン』を引き起こした、悪魔の兵器。それを、それを、誰が……? 誰が、そんな愚かな事を……。
 呆然とした頭で鈍く思考し、ややあってからようやく、爆心地がオーブである事を思い出す。
 ぞっとするような悪寒が全身を蝕み、最悪の結末が脳裏を過ぎる。
 
 「オーブから発射されたのは間違い無いのですね?」
 
 アスランが問うと、バートが短く頷く。
 
 「確認しております。既に――」
 
 それは、ラクスにしてみても死刑宣告に近いものだった。核を、コーディネイターが、ザフトが、撃ったのだ。それも、親友の、フレイ達に向けて……。もしも、もしもこの一撃で誰かが、命を、散らしていたとしたら……。
 もう、友達ではいられないかもしれない。それは、少女の絶望である。
 そんな彼女の様子に気づかないアスランは短い思考の後、
 
 「モビルスーツ隊はいつでも発進できるようにしてください」
 
 と指示を出した。
 
 「は? しかし……」
 
 タリアが首を傾げる。
 
 「これでザフトの味方はいなくなった。宇宙《そら》に上がってきた我々は無防備です。自力でプラントへ戻るしか、手は……」
 
 それは、ザフトの敗北を決定付けるに等しい。地球で核を使ったのだ。
 ラクスは差し入れのドリンクチューブを渡すのも忘れ、ただ呆然と友の身を案じ、己の無力さに打ちひしがれていた。
 背中越しのもう一人の自分が、また泣いているような気がした。
 
 
 
 
PHASE-32 残る命 散る命
 
 
 
 
 ――九月二十八日
 スクリーンパネルの向こうには、青く透き通った昼下がりの空と、がさがさに乾ききり、黒灰色の地肌をさらすだけになっている大地とが、彼方の地平線を境にくっきりと分かたれている光景があった。
 地面を錯綜する無数の亀裂は、すり鉢状に抉られた陥没地帯を中心に巨大な蜘蛛の巣を描き出し、誰かが並べたような鰯雲がその上にぽっかりと浮かぶ。
いっさいの水分、有機物を失っているという意味では、砂漠以上に絶望的名状況に置かれたオーブ孤島を見下ろし、鳥の一羽も飛んでいない青空に目を戻したキラは、不謹慎を承知の上で、破壊もここまでくれば一種の芸術だな、という感想をまずは紡いだ。
 六千度に達する熱戦がすべてを焼き尽くし、空気中の細菌から土中の微生物にいたるまでが死滅した空間。生が存在しなければ、死という表現もまたあり得ない大地にあるのは、厳粛なまでの静謐虚無を飛び越えた先にある清浄さだ。あれから一日、オーブを奪還し、この国のありとあらゆるところをくまなく探した。
それはキラであり、 カナードであり、トールであり、シンであり……〝ドミニオン〟、〝アークエンジェル〟に関わった者全てが同じ目的の為行動している。
 
 「地下爆発だったのが、幸いしたな」
 
 通信モニターに映るカナードが、爆心地を見下ろしつつ気休めを言った。キラは、既に彼が心の整理を終えている事に気がついていた。でもキラは、そんなに人の死を割り切れるものではない。これまで、ずっと一緒だったのだから……。
 市街地の放射能汚染は確認されていない。それでも、空に舞った無数の毒は、やがて雨に紛れ土壌に降り注ぎ、オーブの街を汚染するだろう。この国の、混乱は続く……。
 ……カガリの事は、まだ報道されていない。未だ生存を諦めきれぬユウナらが、〝アメノミハシラ〟のロンドすらも引き連れて、徹夜の捜索を続けている。だのに、もうじきあれから一日……一日も経とうとしているのだ。
 残酷な結末である。
 キラの心は空虚だった。あの時誰もが全力を尽くしていた。キラ達の向かった核施設には護衛の〝ゲイツ〟が数機配備されており、〝フリーダム〟単機では間に合わなかっただろう。直前に交戦した相手は、白い〝ザク〟のラウ・ル・クルーゼだと聞かされている。では、その男を撃つか……? それで、フレイは戻ってくるのか? カガリが生き返るのか……? 
 ……ただただ、虚しかった。この先の世界は、君のいない世界。泣ければ良いのに、涙が出てこない。大声でわめければ良いのに、声が擦れてしまう。きっとまだ現実を受け止めれていないからだろう。彼女達が死んだという事実を、体中の細胞が拒絶している。
あの時、夜中の夜明けと共に〝ストライク〟のロストをミリアリアから聞かされた、それだけだったのに……。〝ドミニオン〟に戻れば、またフレイがいつものように出てきて小言を言ってくれるような、そんな気がしてならない。そうであって欲しいという拙い現実逃避と妄想に浸るくらいしか、自分を誤魔化す手段を知らない。
 オーブの格納庫――〝ドミニオン〟は補給作業中のため――に戻ると、スタッフたちがやってきて、僅かな期待を胸に状況を聞く、だがキラたちの答えはいつも同じだった。
 最後までフレイの言葉を聞いていたミリアリアは、きっとあの時自分が止めていればと悔やみ続けるだろう。代行のメリオルが通信モニターに映り、キラたちは次の捜索場所を打ち合わせていく。本来ならば、次などは存在していない。既にオーブ群島は、全て捜索済みなのだから。
だが、それでもと、メリオルも、ナタルも言い続け、こうして未だに足掻き続けている。アムロは平静を装ってはいるものの、時折、いつか見せたような悲しげな顔になり、それでも彼は〝デュエル〟でオーブ群島を飛び回っている。
だからいつかはキラ達のそれも、無駄な足掻きなのだと誰かが気づき、口に出し、彼女たちの捜索も打ち切られ、綺麗なお墓が立てられるのだろう。そうして二人の少女は、人々の思い出の中に消えていくのだ。
 キラは二人の墓前には行きたくなかった。
 
 
 
 最初に、木々がざわめいた。深い深い森の奥底。どこともしれぬ、迷いの森。瞳を開けると、葉と葉の隙間すらない漆黒の森。やがてざわめきが止み、薔薇のような赤毛をした少女は枯れ葉のベッドからゆらりと身を起こした。
 まず理解したのは、自分が見知らぬ樹海のような場所にいるということ。次に、閃光に飲まれていった躯体を思い出し、カガリから貰ったハウメアの護り石が砕けたことを思い出した。
 ここは、どこだろう。わたしはどうなったんだろう。
 虫の声一つ聞こえない森の中で、フレイは行く当ても無く歩み出す。立ち止まる事の恐ろしさを知っているから。前へ進む為の勇気を、あの人から貰っているから。
 でもカガリは、どこなんだろう……。
 奥へ奥へと進む。全てを映し出しそうなほど澄んだ巨大な湖の横道を進み、草の分かつ獣道を辿り、フレイは美しい小鳥の囀りを耳にした。はっとして振り向くと、小枝の端に止まった真っ赤な鳥と白鳥が優しく見つめている。
 また、木々がざわめいた。ぞくりと何かの気配を感じ振り返る。そこにあったのは、旧世紀の初頭、そして今のコズミックイラに突入しても尚、大陸の田舎に残される旧式のプラットホーム……無人の駅であった。
 なんでこんなところに? どうして? いくつかの疑問がふつふつと脳裏に浮かんでは消えていく。
 赤い鳥が、再び囀る。
 彼女がもう一度振り返ると、森の奥の小道から大勢の人が、ゆっくりと、それでいて確かな足取りで駅を目指し歩みを進めていた。
 
 「あ、あの――」
 
 ここはどこか、と聞く前に、一人の知った男性にフレイは目を奪われた。二十代半ばの、真ん丸い目をした、どこか人懐っこそうな青年仕官。スエズ基地の戦いで、黒い〝ラゴゥ〟の凶弾に倒れた――
 
 「ヘンリー少尉……?」
 
 彼女は男の名を口にしたが、ヘンリーと呼ばれた男はそこにフレイがいることにすら気づかず、そのまま駅の待ち場へと足を進め、フレイの体をすり抜ける。ぞくりと背筋を振るわせたが、他の人々も皆誰もがフレイという存在に気づかず、一人、また一人とフレイの体を通過していく。
 少しずつ、ここが『どこ』で自分が今『どうなっている』のかを理解していく。 
 来るのかすらわからない列車の到着を待っている夫婦がいた。夫がおもむろに言う。
 
 「あの子たちは、無事だろうか」
 
 妻が、夫の肩に体を預ける。
 
 「大丈夫よ、あなた……。だって、私たちの子ですもの」
 
 夫が胸から小さな写真ケースを取り出し、夫婦はそれを愛おしく見つめた。ちらと写真がフレイの視界に入り込む。映っているのは、赤い目をしたあの少年と、その妹が、仲睦まじげに――
 この人たちは、あの子たちの……じゃあ、わたしは……ここは……。
 少しずつ、少しずつ、駅に人が増えていく。あるものは連合のパイロットスーツを着、あるものは普段着に身を包み、あるものは幼い赤子を抱え、少年であり、男性であり、老人であり、女性であり、少女であり、あるものはザフトの制服に身を包み……。
 
 「ねえ、誰か……誰か返事をしてよ……ねえったら、誰か……」
 
 孤独。不安。恐怖。いくつもの感情が彼女の心をかき乱す。やだ、わたし、いやだ、いやだ、いやだ……! 誰か助けて、誰か……。
 
 「聞こえはしないよ、決して。彼らはもう、逝ってしまった人たちだから……」
 
 なめらかな、それでいて透き通るような声が、フレイの背後から優しくかけられた。とくんと心臓の鼓動が高鳴る。指先が震える。わたしは、この声を知っている。つい先ほどカガリに銃を向けた男と良く似た、そして全く違う、確かな優しさを感じさせてくれる声。背後の男性が、革靴の足音を立てゆっくりと近づく。やがて、彼の両手が、フレイの肩を優しく抱いた。
 
 「……強くなったね」
 
 ああ、あなたは……。フレイは、両の瞳からぼろぼろと大粒の涙をこぼし、嗚咽した。
 
 「パパぁ……!」
 
 彼女を抱く力が、ほんの少し強まる。この時を、どれほど待ち望んだだろう、どれだけ夢見ただろう。もう一度、こうして父に会える日を、わたしは、どれだけ……。
 父は、無言で娘の背中を抱き支える。
 やがて、森の奥から汽笛が鳴り響き、線路の上を滑るようにして、太古の汽車と良く似た黒光する車体がホームへとゆっくり停車した。
 瞬く間に人々が汽車へと乗っていく。ヘンリーが入り口へと消え、アスカ夫妻が消え、一人、また一人と二度と戻れぬ旅へと……。
 フレイは、もう理解していた。わたしたちは、これに乗って逝くんだ。もう誰にも邪魔されずに、パパと一緒に……。
 もう一つの足音が、近づく。こつ、こつ、こつと、ゆっくりと、背後から、少しずつ……。人影がフレイの真横を過ぎ去る時、彼女は見た。オールバックにまとめた黒髪、油断の無い鋭い目つき、壮観な顔立ち、そして何より、鼻筋につけられた真一文字の傷を……。――この人は……
 
 「パパっ!」
 
 フレイと同い年ほどの少女が、汽車の入り口から飛び出し、男に抱きついた。少し遅れて少女の母が姿を現し……その男は、家族と共に消えていった。それはとても悲しく、暖かい記憶――。
 父の腕をそっと握り、もうずっと一緒にいれるのだと、フレイは安堵した。もう、終わったのだ、わたしの人生は。
 結局、何もできなかった。あの子に何も言えなかった。カガリを巻き込んでしまった。ラクスともう一度会うこともできなかった。誰も、救えなかった……。
 わたしは、何のために生きてきたんだろう……。
 ふいに、父が言った。
 
 「……すまない、私たちにできるのは、ここまでだ」
 
 その言葉の意図が理解できず首を傾げると、父はふとフレイを抱く手を緩め、そのまま一歩踏み出す。父の体が、フレイの体を通り過ぎる。一瞬父の寂しげな顔が視界に映る。
 ――パパ……?
 父がふと視線を汽車に向ける。
 汽車の入り口から、一人の女性が降り立った。目の覚めるような薔薇色の赤毛から、ちらと灰色の瞳を覗かせるその女性に父がそっと近寄り、涙を浮かべ、抱きしめ、呻くように言った。
 
 「ごめん、ごめんね。何もできなかった、誰も救えなかった……!。結局私達のした事は、誰かを不幸にしただけで……」
 
 父は言う。
 
 「良いんだ。例えあの場所がどれだけ地獄であったとしても、私は君と出会い、フレイが産まれたんだ。私は誰も憎んでなどいない」
 
 少しずつ、老いた父の姿が生気を帯びていく。
 
 「でも、ラウは――」
 
 その女性がぎゅっと父の胸にすがる様にして言うと、父の髪は艶やかな金色の長髪、ミルクのように滑らかな肌――あの写真に写る姿そのものとなり、言った。
 
 「ならば、それは私の罪だ。君のものではない」
 
 フレイの父はラウと良く似ていた。それでも、確かな違いがそこにある。彼の眼差しは、ラウのそれと全く異なる、優しいものであったから。疑う余地などどこにもない。彼はフレイの父だ。
 女性が、灰色の瞳でじっとフレイを見つめる。父と同じく、優しい眼差し。思わずフレイは呆然と、それでもわずかな期待を胸に秘め、つぶやいた。
 
 「――マ、マ……?」
 
 記憶の中にいる母と、目の前にいる女性は似ていた。そうであってほしいという少女の想いに答えるかのように、目の前の女性が少しばかり気恥ずかしげに、悲しげに微笑んだ。
 それは、待ち望んだ最愛の人。ずっと会いたかった大切な人。彼女の微笑を、彼女の温もりを、わたしは――
 フレイは思わず一歩踏み出すと、父が厳しい顔になり、それを制した。なぜ、と思う間も無く若きジョージはどこか寂しげな顔になり、言った。
 
 「未来はまだ白紙なんだ。まだ変える事ができる、わかるね?」
 
 母が優しく微笑む。
 
 「ごめんなさい。私はあなたに何もしてあげれなかった……。私を憎んでくれていい、怨んでくれても良い。それでも、今度こそ貴女は、貴女が正しいと思うことに従って生きなさい。それが人生だから――」
 
 待ってよパパ、ママ。それじゃあまるで、わたしが――
 汽車の入り口から、連合の士官服を着た男性が上半身だけ表す。
 
 「アルスター事務次官、そろそろ……」
 
 父は男に「もうそんな時間か……」と答えると、
 
 「すぐ行くよコープマン艦長」と続ける。
 
 父と母が、フレイをじっと見つめ微笑んだ。
 
 「ありがとうフレイ。君が産まれてきてくれて、本当に良かった」
 「大丈夫よフレイ。だって私とジョージの子だもの。さ、いきなさい」
 
 二人はどこまでも優しく、その触れる事の許されない温もりは、フレイが求め続けていたもの。
 わたしにとってはあなた達が全てなんです、わたしを置いていかないでください。
 二人は名残惜しそうに微笑み、ふとフレイの背後に立つ二つの人影に声をかけた。
 
 「自慢の子だ。……頼みます」
 
 背中越しの青年と少女が頷くと、父と母は「ありがとう」と行って虚ろな姿へ移り変わっていく。
 待って、待ってよ! わたしを置いていかないで、一人にしないで! だって、もうハウメアの護り石は、壊れちゃって、元に戻らないのに! パパ、ママ!
 
 
 
 迂闊としか言いようがなかった。何故、無理やりにでも止めなかったのか……。これでまた、振り出しに戻ってしまった。〝小夜啼鳥〟も目覚めることは無いだろう、もはや……。
 アズラエルは防波堤でぼーっと海を眺めながら、一向にまとまる気配の無い今後の予定について思考を巡らしていた。全てのチップを、賭けていたというのに、負けたのだ。澄み渡る青空の下、アズラエルはもう一度深いため息を吐いた。
 ふと、一台のリムジンが慌てて止まり、ドアからジブリールが飛び出してきた、
 
 「り、理事! アズラエル理事!」
 
 五月蝿いなと不快感をあらわにした視線を向けたが、それに気にするそぶりなど一切見せず彼が詰め寄った。
 
 「ス、〝ストライクルージュ〟が――!」
 
 
 
 「見つかったって、本当ですか!?」
 
 オーブ上空から〝フリーダム〟で彼女たちの行方を捜索していたキラが、通信モニターに映るメリオルに怒鳴るように言ってしまったことを少しばかり後悔しつつ、彼女の言葉を待つ。
 
 「オノゴロ島よ! 少尉の家の――!」
 
 そこまで聞いて、キラは一気に〝フリーダム〟のフットペダルを踏み込んだ。
 
 〈ちょっと待って! アズラエル理事が拾ってってくれって……!〉
 
 キラは「そんなの――!」と苛立ったが、眼下で思い切り手を振るアズラエルを捉えてしまい、短く舌打ちをして急下降した。
 彼が乗り込むと同時に、ジブリールが「理事、パイロットスーツを――」と言いかけたが、彼は「向かいながら着ます!――さ、出して!」と興奮気味にまくし立てる。
 言われるまでも無かった。
 浜辺に着くと、既に数人の救護班たちが黒焦げた球体の周辺に集まりはじめているところだった。だが、ここは――
 
 「こんなところに……! なんでちゃんと探さなかったんだ!?」
 
 アズラエルが怒鳴る。キラは信じられないものを見る思いで球体を見つめた。
 
 「……探しましたよ」
 「だったら何で見つけられない!?」
 「だから、ここはもう探したって言ってるんです!」
 
 キラはそう怒鳴り、あるはずの無いものをもう一度凝視し、混乱した。
 
 「き、昨日は……何もなかったはずなんだ……カナードも、トールも一緒に探して、こんなものどこにも無かったのに……!」
 
 アズラエルははっと表情を改め、モニターに映る焦げた球体を見据えた。
 何故、どうしてここに……。いや、それよりも、『どうやって』ここに、これが辿り着いたというのだ……。
 キラは〝フリーダム〟を乱暴に着地させ飛ぶようにしてコクピットから降り立つ。アズラエルもそれに続き、黒焦げた巨大な球体に手を触れた。
 
 「り、理事!」
 
 救護班の一人が言うと、アズラエルは短く「コクピットだ……」とつぶやいた。 
 あの爆発の瞬間、脱出したのだろうかと考えたが、それは不可能だということがすぐに思い立った。一瞬の疑念。原色がわからぬほどに焼け焦げたそれを見、キラは彼女たちの生存を絶望視するしかない。しかし、ともキラは思う。
 昨日まで無かったものが、今日ここにある。その異様さが、彼女たちの生存の可能性を物語っているようにも思える。
 
 「放射線が感知されていないんです」
 
 と一人の救護班が告げると、アズラエルは更に難しい顔になる。核の爆心地にいた機体から、放射線反応が出ていないのは信じがたいことだ。だが、目の前にあるそれが、事実である。
 コクピットハッチが開くと、救護班を押しのけるようにしてアズラエルが覗き込み、キラがそれに続いた。一瞬脳裏に過ぎったのは、二人の少女の原型を留めない姿という最悪の結末。
 だが、視界に飛び込んできた姿は、違った。
 
 「……馬鹿な――」
 
 アズラエルが短く言う。
 二人の少女が、寄り添うようにして、コクピットシートで気を失っている。赤毛の少女の胸元から、赤い石が、ぼろぼろと崩れ落ち、キラは目でそれを追うと、もう一人の少女の右下腹部から流血しているのに気がついた。
 
 「怪我してる」
 
 キラの言葉に救護班がぎょっとし、慌てて二人の少女を、身長に担架に乗せ運び出す。その時、フレイの右手から作戦用の時計がずり落ちた。
 そこには九月二十七日、0時二分と、表示されていた。
 
 
 
 最初に見たのは、見慣れた天井。ここで目を覚ましたのは何度目かフレイは思い出せなかった。だが、清潔な天井とほのかな消毒薬の香りは、〝ドミニオン〟の医務室であることを教えてくれる。次に重力間を感じ、己の体が重いことを知覚した。痺れが残っているのか、五体を動かすことは敵わないが、全て揃っているようだ。
 
 「……フレイ?」
 
 花瓶の花の水を入れ替えていたミリアリアの口が半開きのまま呆然と見つめる。フレイは彼女の名を呼ぼうとしたが、乾ききった喉がそれを叶わぬものにし、同時に空っぽの胃が強い空腹感を伝える。
 
 「フレイ、大丈夫!? 喉が渇いたの? ねえ、フレイ!」
 
 彼女は慌てて水を彼女の口元に運ぶ。少しずつ潤っていく喉が、フレイ・アルスターの生還を告げていた。
 
 
 
 三日間眠り続けたフレイが目を覚ましたと報告が入り、アズラエルはふっと胸を撫で下ろした。ようやく復帰したカガリがオーブ国民に向けて演説を行っている様子がテレビモニターに映し出されているが、興味が無いのでスイッチを切る。すると一人の研究員が報告書を持ちやってきた。
 
 「はいはい、待ってましたヨ。で、どうなんですか?」
 
 と聞いたのは、なぜ〝ルージュ〟のコクピットだけが、あの場所にあったのかということである。同時にどうして今まで見つからなかったのか、という意味も込め、アズラエルは研究員に視線を向けた。
 
 「それが、その……」
 
 研究員は酷く要領を得ない様子でしどろもどろになったが、アズラエルは無視する。
 
 「で?」
 
 短く聞くと、彼は諦めたように口を開いた。
 
 「〝ルージュ〟のコクピットには、放射線は感知されませんでした。核爆発の中心いたというのに、です。そして――」
 「そーいうのはどうでも良いんです。それくらい僕だってわかってます。僕は君たちの導き出した結論を、と言ってるんでス」
 
 有無を言わさぬ断固たる口調。研究員はぎくりと視線を逸らす。
 
 「は、はい……。我々は、〝ルージュ〟が『時間』と『空間』を飛び越えたのではないか、としか……」
 
 アズラエルの中で、全ての要素が繋がった瞬間であった。
 
 「し、しかし、タイムワープなどというものなど……ましてや前例がありませんので、その……」
 「――ありますよ」
 
 弁解するように言う研究員に、アズラエルが独り言のようにつぶやく。
 窓から外の景色を眺めると、改修を終えたばかりのユニコーンの〝デュエル〟がちらと目に入り込み、アズラエルは目を細めた。
 
 「前例なら、ね……」
 
 
 
 その夜、「カガリ・ユラの生還とフレイ・アルスター復帰を祝して」とジブリールの思いつきで、パーティが開かれた。場所は〝ドミニオン〟の格納庫なのは、クルー達への労いの意味もあったのだろう。もちろんナタルが嫌な顔をしたのは言うまでもなかったが、モビルスーツの補給作業を中断させてまでねじ込んでくるのがジブリールという男である。
なみなみとビールが注がれたジョッキとジョッキががちゃんと合わさり、どこから持ってきたのかエレキギターやらドラムやらで熱唱するものまで現れる。いつの間にかやって来たジェスがここぞとばかりにカメラを回し相棒と思われる壮年の男が呆れる。
口いっぱいに料理を頬張り、リスのようになるステラの口元をスティングがやれやれと拭いてやり、アウルとシンが競い合うようにして皿に料理をよそり、遠目でマユがやれやれとため息をついた。皆、久しぶりに笑顔を溢れさせ、今を力いっぱい実感している。
 彼らの輪から少し離れた場所で、完全復活を祝うエリカやらアサギやらジュリやらにもみくちゃにされていたフレイが、髪の毛を直しながらちょこんと端に座り込む。すぐにカガリがやってきて、「よう」と手に持つフライドチキンで挨拶し、もう一つのチキンを彼女に渡し隣に座る。
 
 「ありがと」
 
 するとカガリはちらと横を向き、笑みをこぼす。
 
 「礼を言うのは私の方だ。お前のおかげで、こうしてまたオーブに戻って来れた」
 
 彼女の笑顔が、眩しかった。フレイは首を振る。
 
 「……違うよ。わたし、何もしてない。カガリが撃たれちゃったのに、何もできなかった」
 
 あの時、わたしは恐怖に屈してしまった。何もかもから逃げてしまおうと、捨ててしまおうと……。
 
 「駄目だなわたし……本当に助けられてばっかり。なんにもできやしない……」
 
 強くなったと思っても、それは見せ掛けだけ。『赤い彗星』なんて呼ばれても、それは偽の呼び名。わたしは、昔から何も変われていない。
 
 「主役二人が、何暗い顔してるんだ?」
 
 と、カナードがカガリと同じようにチキンを片手にやってきた。
 
 「そう見える……?」
 
 フレイの顔が酷く焦燥していたのか、カナードはやれやれとため息を吐く。
 
 「あのなぁ、生きてる時くらい、笑ってたらどうだ」
 
 生きている時――そう、わたしは生きている。たくさんの人に救われて――。
 
 「みんな、どうしたの?」
 
 と、キラである。
 
 「ちょっとフレイー。まーた何か考え込んでるでしょー」
 「まあまあ」
 
 ミリアリアがお姉さんぶった顔になり、トールが苦笑した。
 
 「良いじゃないか。悩むのだって生きてる証拠さ」
 サイが言い、カズイがうんうんと頷いている。カガリが「そうさ!」と立ち上がり、フレイの手を引っ張った。
 
 「私たちは生きてるんだ! めいっぱい騒いで、飲んで、食べて、笑ってよう!」
 
 カガリに連れられて、再び輪の中へ入るフレイ。彼女を照らす篝火は、温かかった。
 
 
 
 オーブ奪還から数日が過ぎ、日々の激務がようやく落ち着いてきた頃、それは起こった。
 
 「ザフトの残党がこちらに向かってる?」
 
 戦争で家を失ったもの達の住居に関する資料から目を離し、カガリはロンドに向き直った。
 
 「数は多いのか? 規模は?」
 「二個小隊で撃退できるレベルだ。だが連合が部隊を出すと言っているのでな」 
 「連合が……? 彼らには助けてもらってばかりだ。我々からも――」
 
 そう何度も借りを作るわけにはいかないカガリであったが、ロンドは「それはそうだが」と割ってはいる。
 
 「アズラエルが一枚噛んでいるとなれば、話は別であろう?」
 
 カガリはすっと目を細めた。
 
 「あいつ、また何かするつもりなのか……?」
 「それを確かめる必要もある。やつらに任せてみてはどうかな、代表」
 
 ムルタ・アズラエルが裏でこそこそ動いているのは面白くない状況ではあるが、オーブは今再建で手が一杯なのも事実。
 
 「わかったよ、彼らに任せる。後のことは頼んだぞミナ」
 
 すると彼女はふっと微笑み、マントを翻し部屋を後にした。
 
 
 
 オーブの秘密格納庫で警報《アラート》が鳴り響き、フレイはモビルスーツデッキへと走った。ベッドに寝かされたモビルスーツを眺めていたアズラエルに、彼女は怒鳴る。
 
 「何でわたしだけなんですかぁ!」
 「やだなぁ、ちゃんと護衛もつけますヨォ」
 
 奥でM1に乗り込む直前のアサギ、ジュリ、マユラが手を振る。フレイは「もうっ!」と頬を膨らまして、新たな自分のモビルスーツに乗り込んだ。
 従来のモビルスーツよりも遥かに細身のシルエットのそれは、連合の次期主力モビルスーツ、〝ウィンダム〟。昆虫のように二つに割れた踵が特徴的で、二本のブレードアンテナに甲冑のような頭部、〝ダガー〟タイプと似たゴーグルの奥には双眼《デュアルアイ》がちらと覗かせている。レッドとホワイトに塗り分けられ、フロントアーマーにはフレイのパーソナルマークである鷹とAを合わせたようなマーキングがされている。
 フレイが乗り込むと、全天周囲モニターが起動し、周囲の景色三百六十度を映し出す。手のひらサイズの球状操縦桿――アームレイカーに手を置き、〝ウィンダム〟をベッドから起き上がらせる。フレイはこの新しい操縦桿を気に入っている。
今までよりもずっと動かしやすいし、細かな操作だってお手の物だ。操作法はもう頭に入っていた。が、それよりもアムロと同意見であった事のほうが彼女にとっては重大であり、思わず顔を綻ばせる。
 ――なんて素直な子なんだろう。
 それが、彼女の感じた最初の感想。
 ついに完成した空戦用ストライカーパック、〝ジェットストライカー〟が背部アタッチメントに装着される。
外見こそ〝フライトストライカー〟に酷似しているが、加速力、持続性、運動性能共に三割増しとなっており、両翼には空対地ミサイル〝ドラッヘ〟ASM、Mk四三八・三連装〝ヴュルガー〟空対空ミサイルポッド、Mk一三二三脳波誘導ロケット弾ポッドが備え付けられており、その全てがフレイ用にカスタマイズされているため、脳波制御による〝ドラグーンミサイル〟となっている。
 裏側にMk四三八/B二連装多目的ミサイル〝ヴュルガー〟SA一○を装備する耐ビームコーティングシールドが左腕アタッチメントに装着され、右手には従来のものよりもやや大型なM九四○九L可変速ビームライフル――別名〝ヴェスバー〟と呼ばれるそれは、小型のジェネレーターを内蔵した、小型のメガ粒子砲とも呼べる武器である。
最大の特徴は、発射するビームの収束率の調節、そしてビームの射出速度の調節ができる。つまり対象物の耐久力や距離に応じて、高速で貫通力の高いビームから、低速で威力を重視したビームまで状況に応じて撃ち分けることができることだ。取り回しにやや難があるものの、遠~中距離においては部類の強さを誇ることは言うまでもない。
 他にもマルチなんとかなんたらという新機能が搭載される予定だったらしいが、ジブリールが例によって数ページに及ぶほどのくだらないうんちくを垂れた後、小型化が間に合わなかったと最後にそう閉め、がっくり項垂れていたのは記憶に新しい。
 プロペラントタンクが増設された〝ジェットストライカー〟のライフルホルダーに、予備のお気に入りショットガンを忘れずに装備させ、カタパルトへと足を進める。
 
 〈あーモシモシ。良いですか、〝ヴィクトリーガンダム〟の初陣でス。ちゃーんと戦ってくださいネ?〉
 
 と、いつもの調子のアズラエル。彼は〝ウィンダム〟のことを〝ヴィクトリーガンダム〟と呼ぶのだが、ジブリールは〝ヴィクトリアス〟と呼ぶし、他の技術者たちの中には〝ウィニングガンダム〟と呼ぶものもいる。開発段階で呼び名が二転三転したことの名残らしいとマードックから聞いたが、フレイとしては〝ウィンダム〟の名が一番好きだ。
 
 「りょーかーい」
 
 と気のない返事をしてから、ぱっと通信モニターにミリアリアが映りこみ、彼女は表情を明るくした。
 
 〈敵は〝ディン〟が三機、〝グゥル〟に乗った〝ゲイツ〟が三、新型の〝ザク〟が一機よ。気をつけてね〉
 
 こうして彼女の声を聞き、自分が生きていることをもう一度かみ締める。
 
 「ん、了解っ。フレイ・アルスター、〝ウィンダム〟行きますよ!」
 
 双眼《デュアルアイ》が力強く輝き、赤い〝ウィンダム〟がオーブの青空へ飛翔した。
 
 やや距離を置いた後方に、三機のM1がつく。
 
 〈フレイ、病み上がりなんだから無茶しちゃだめだよ!〉
 
 アサギが心配げに言い、マユラが〈そうそう、カガリ様のお友達なんだもん〉と続く。フレイが「うんっ」と返すと、眼鏡っ子のジュリが〈頑張らないとね〉と微笑んだ。
 雲一つ無い空の下、大地を飛び行くと、やがて七機のモビルスーツ編隊を視界に捕らえる。
 
 「警告は?」
 〈とっくに出してる〉
 
 と、アサギ。
 
 「なら、撃つーっ!」
 
 〝ヴェスバー〟から圧縮されたビーム粒子の塊が高速で撃ち出される。シールドを構えた〝ゲイツ〟を、そのシールドごと貫き、すぐ後ろにいた〝ディン〟を貫通した。それでも勢いの止まらない粒子の濁流がオーブの豊かな大地をいくつかの木々ごと焼き抉り、思わずフレイはぞっとした。
 
 「や、やだ、これ強すぎる……」
 
 慌てて散開するモビルスーツ部隊に、頭部と胸部に二門ずつ備え付けられたM二M五〝トーデスシュレッケン〟一二・五ミリ自動近接防御火器をばらまきつつ。ライフルホルダーに〝ヴェスバー〟を戻しショットガンを構える。バルカン砲が一機の〝ディン〟をばらばらにし、飛び交うもう一機をショットガンが蜂の巣にした。
 
 〈やるぅっ〉
 
 とジュリが嬌声をあげる。M1部隊が援護射撃を加える中、〝ザク〟がビームトマホークで斬りかかり、同時に〝ゲイツ〟が左右からビームライフルを構え襲い来る。
 白き奔流がフレイの躯体を駆ける。
 シールドとショットガンを捨て、サイドアーマー内部に隠されたMk三一五〝スティレット〟投擲噴進対装甲貫入弾を両脇の〝ゲイツ〟に投げつける。ニホンという国にいたらしいニンジャが持つクナイに良く似た形状のそれは、推進剤を吹かせ、フレイの脳波コントロールの下正確に〝ゲイツ〟に迫り行く。
そのまま腰部からビームサーベルを抜き去り、〝ザク〟のビームトマホークを持つ右腕から胴にかけてを両断する。ほぼ同時に〝ゲイツ〟に〝スティレット〟が命中し、三つの火球があがった。
 その日のアズラエルが、過去に類を見ないほど上機嫌だったのは言うまでもなかった。
 
 
 
 それは、ただの、何の感情も込められていない、そんな報告であった。文章であった。
 だが、彼女の私室にやってきたアスランから手渡されたそれを、ラクスは食い入るように、何度も、何度も、何度も読み直した。
 同伴していたレイが視線を逸らす。アスランが唇を噛み締め、項垂れる。
 鼓動が早い、心臓が張り裂けんばかりに痛い。痛いのは、胸か、心か、あるいは全てか。呼吸が荒くなり、焦点もまばらになったまま、ラクスはもう一度その文章に、視線を移した。
 ――病に伏せられていた
    あなたのお父上
    シーゲル・クライン様は
    治療の甲斐なく亡くなられました
 歯ががちがちと震え、噛み合わすことが不可能になり、ラクスはそのまま悲しさと、怒りと、憎悪に顔を歪め、頭を抱えた。
 何も、何も言っていない、話すら、会話すら、何も、何も! それを、こんなたった一枚の手紙で、最後の言葉も、何も無く、そんな事が、父が……!!
 一切の思い出が頭の中を駆け巡り、その幸福なはずの記憶の中にいる己の微笑が禍々しい作り物のように思えたとき、ラクスは声を上げることすらせずに心を閉ざし、背中越しの少女がまた泣いている事になど気をとめなくなっていた。
 
 
 
〝プラント〟、アプリリウス市、議事堂の一室。わずかに焦燥した様子のデュランダルを、専用の小型高速艇で一人やってきたラウは冷ややかな視線で見据えた。
 
 「さ、て。今のところ盤上では私が優勢だな?」
 
 ラウが言うと、デュランダルは小さくため息をついて天を仰ぐ。
 
 「この件、君の独断という形にさせてもらうが?」
 「私の『監督不届き』である事は認めるよ。一部の過激な部下の暴挙を抑える事ができなかったのだからね」
 
 それはラウの建前であり、無論デュランダルもわかっている。だからラウは臆する事無く続けた。
 
 「しかし、私がそうせざるを得なかったのは、君の期待する彼らが不甲斐無かったから、とは思い至らないかな?」
 
 ラウの挑発はどうやら効いたようで、デュランダルは仰いだままの視線をわずかに細め、言った。
 
 「シーゲル・クラインが逝ったのは誤算だった……。チェスや将棋の様にはいかないものだ、駒が勝手に消失するなど、あれには無い」
 
 ラウは、デュランダルと言う純粋すぎる男をそれなりに好いていた。この目の前にいる、人類を愛し、コーディネイターを愛し、世界の未来を真剣に考え、それでいて自分と同じほどに狂っているその男は、興味の対象でもある。
 その、友を『疑うこと』をしない愚かな友人は表情を改め、言った。
 
 「まだ勝負はこれからさ」
 「ほー、ではどうする? 核を使い、各国からは抗議の声が挙がっているが?」
 
 するとデュランダルはラウの皮肉全てを跳ね除け、横目で流し見た。
 
 「一つ忘れていないかな?」
 
 ラウが怪訝な顔になると、デュランダルはふっと鼻で笑い、言った。
 
 「私の駒には、君自身も含まれているんだよ」
 
 と。
 
 
 
 その頃――
 地球軍の月面基地の一つ、〝プトレマイオス〟より離脱する艦隊があった。全艦が間違いなく連合の艦であったが、〝プトレマイオス〟から放たれるミサイル弾幕の嵐により、一隻、また一隻と宇宙の藻屑と成り果てる。それでも彼らは諦めず、深緑色の〝アークエンジェル〟級を殿とし確実に距離を開けていくのは見事の一言である。
 
 「艦隊は既に射程圏外へ離脱しました」
 
 オペレーターが言うと、ビラードは「ん」と満足げに頷く。
 
 「ついに始まりましたな、閣下」
 
 ついに、ついに、である。ガルシアは武者震いを抑えきれず、ビラードを見つめる。
 
 「ん、ん。良い手際だ」
 
 ビラードが言うと、皆が振り返る。彼は姿勢を正し、胸を張った。
 
 「これより、『オペレーション・ラグナロク』を発動する!」
 
 同時に彼は作戦が進行しつつあることを示すパネルを見やる。地球、月、〝プラント〟を図示するパネルには、五つの『中継点』が映し出されている。それらはそれぞれ〝フォーレ〟、〝ヴェルディ〟、〝チェルニー〟、〝マルタン〟、〝グノー〟と呼ばれていた。そして〝プトレマイオス〟の反対側に位置するもう一つの月面基地〝ダイダロス〟の外れに、月面に刻まれたクレーターのひとつと見紛うほどの、巨大な円形の構造物が鈍く光り、いまだ閉ざされたその奥では、カウントダウントともにエネルギーが蓄積されていく。
 最後の中継点、〝グノー〟が目的位置に配置される。そのことを確認したガルシアが、ビラードを窺う。
 
 「照準はどこに?」
 
 ビラードはうむと答える。
 
 「地球だ。当てるんじゃあないぞ?」
 
 この一撃で、世界が動く。主導権を大西洋連合からユーラシア連邦へと移し返るのだ。
 
 「〝プラント〟への警告も忘れるな」
 
 とビラードが言う。
 基地の外れに位置する巨大な砲口を覆っていたカバーが、回転しながら奥へ沈んでいく。虚ろに開いた砲口の奥で、ジェネレーターが最後の合唱を始める。
 
 「ファーストムーブメント準備よろし。〝レクイエム〟システム、発射準備完了」
 「シアー解放。カウントダウン開始。発射までTマイナス三五」
 
 ガルシアが命じた。
 
 「トリガーを回せ」
 
 するとビラードの前のコンソールが開き、発射装置がせり上がった。ビラードは一度目を深く閉じ、そしてトリガーを握る。
 
 「鎮魂歌《レクイエム》、発射!」
 
 その指が力強く発射ボタンを押し込む。
 大きく開いた砲口から、光の渦が迸った。その光は瞬く間に月面上空へ駆け上がり、第一中継点に浮かんだコロニー円筒へ吸い込まれる。するとその光条はありえない方向へ湾曲しながらコロニーから吐き出された。
 後に、ブレイク・ザ・ワールドと呼ばれる、悪夢のような戦いの火蓋が、切って落とされる。
 基地施設の奥のどこかで、血塗られた女がにたりと微笑んだ。
 
 
 
 月面基地に在沖するユーラシア連邦のクーデターは、すぐさま世界中に知れ渡った。モニターに映し出された光景を前に、ナタルは言葉を失った。月面で、クーデター――? では、ハルバートン提督は……。アズラエルが信じられないような顔で言う。
 
 「……知らないぞ、あんなもの」
 
 すぐさま〝アークエンジェル〟からも通信が入る、蒼白のジブリールが〈理事、あれは一体!?〉と声を荒げたが、負けじと「知らないって言っただろう!」と怒鳴り、彼は押し黙った。そのまま固まっているジブリールを押しのけ、マリューが沈痛な面持ちで告げる。
 
 〈第八艦隊が今〝アメノミハシラ〟に入港したと連絡があったわ……〉
 
 ほっと胸を撫で下ろしたナタルだったが、アズラエルははっと目を見開きモニターに食いついた。
 
 「さ、〝小夜啼鳥〟は!? あれはどうなったんだ!?」
 〈はっ?〉
 
 マリューが驚いて目をぱちくりとさせたが、アズラエルはなおも興奮して喰いかかる。
 
 「何か聞いてないのか!? 〝小夜啼鳥〟は――」
 〈そ、それはどうかは存じませんが、〝スターゲイザー〟というものでしたら――〉
 「違う、赤いモビルスーツだ! 大型の!」
 〈ぞ、存じません……〉
 
 そこまで聞いて、アズラエルは疲れきった様子でVIPシートにどかりと座り込んだ。
 
 「なんてことだ――」
 
 ナタルが無視して言う。
 
 「では、我々の任務は月面基地の奪還……?」
 〈恐らくはそうでしょうね〉
 
 とマリューが返し、ナタルは〈準備を急がせます〉と告げ通信を切った。
 
 
 
 〈これで、ひとまずは安心ですな〉
 〈ええ、早々に戦争が終わってしまっては困りものですから〉
 〈しかし何故〝プラント〟にまで警告を……? これでは自殺行為だ、下手をすれば双方から撃たれる理由を作ることになる〉
 〈当初のシナリオでは、彼らは〝プラント〟側につくものでは無かったのかね?〉
 
 モニターに映る者たちは、しきりに作戦開始への賛辞と疑問を浮かべるが、そのどれもがたいした意味を持っていないことをブルーノは知っている。彼らは真の意味で、危機感を感じていないからだ。即ち、怠惰の愚民である。
 大西洋連邦の技術発展は目覚しいものがある。その原因を彼らは探り当てることができず手を拱いているだけだったのだが、このままでは大した利益も出せず――ムルタ・アズラエル社のみが莫大な利益をあげていたが――戦争が終結しまうのを恐れ、彼らは行動を起こした。
兼ねてより開発中であった〝レクイエム〟に莫大な予算を投じ、なんとか完成にまで漕ぎ付けた。この時の為に……。
 
 〈このままでは、大西洋連合とザフトは手を組み、という最悪のケースも……〉
 
 と疑るような声で言った後、もう一人の男が嘲った。
 
 〈ムルタ・アズラエル、裏切り者め〉
 
 ブルーノの眉がぴくりと動く。男が続けた。
 
 〈ジブリールまで着いて行ったのは想定外でしたが、あの若造は、取るに足りませんし、な〉
 
 と皮肉り、別の一人が言う。
 
 〈ブルーノ・アズラエル殿は、やはり先見の長があります。おかげであの二人に〝レクイエム〟のことを知られずにすみました〉
 〈いやいや、恐ろしい。実の子すらも切り捨てるその鋼の精神。見習いたいものですなぁ〉
 
 ……愚民どもめ。心の中でそうつぶやきながら、決して表情には出さずにブルーノが告げる。
 
 「なに、あれは出来の悪い男ですから。――それよりも」
 
 一度言葉を切り、モニターに映るものたちを回し見る。
 
 「私を含め、一度我らは身を隠した方が良いかと思います」
 
 すると皆は意外そうな顔になり、一斉に質問を返す。
 
 〈何故今?〉
 〈やはり、ビラードという男が……?〉
 
 彼らの反応を予測していたブルーノは緊張した面持ちを作り、低い声で警告する。
 
 「ええ、先の〝プラント〟への警告、そしてビラードという男、信用に足る人物とは思えません」
 
 皆が固まる。
 やがて一人が忌々しげに口を開いた。
 
 〈我らを、裏切ると……?〉
 「可能性は0では無いにしろ、ユーラシア連邦を裏切る可能性すらもあります。巻き添えという形でメンバーの欠員が出ないとも言い切れません。狂人の思想、理解しがたいものがあるかと」
 
 一同が沈黙し、ブルーノはとどめの一言を繰り出した。
 
 「こちらの調べでは、ビラードという男が我らの内情を探ろうと密偵を送らせていた、という事までは捉えています。どうもあの男は、我々〝ロゴス〟と最初から敵対するつもりだったのかもしれません。恐らく何人かの正確な素性は既にばれているかと」
 
 皆がしんと静まり返る。一人が徐に口を開いた。
 
 〈ブルーノ卿の言うことは最もかもしれん。何よりも、二人の裏切り者を予見した貴方を信じましょう。私はしばらく旅行という形で別荘にでも行くとします〉
 〈わ、私も……〉
 
 皆が各々の用意した、秘密の避難場所へ向かう手筈を進めていく中、ブルーノは思っていた。本気で〝ロゴス〟を潰そうというものが、彼らの体内に埋め込まれている〝ロゴス〟中枢のシステムとアクセスするためのナノマシンデータを、トレースできないはずが無いだろうに、と。
 
 
 
 「月の情勢も、まだあまりくわしいことまではわかっていない」
 
 オノゴロ島の作戦会議室で、カガリが告げた。
 
 「〝アークエンジェル〟と〝ドミニオン〟には、〝カグヤ〟を使って〝アメノミハシラ〟に向かってもらう」
 
 フレイが「は~い」と気だるげに挙手し、カガリが「何か?」と表面上真面目に返した。普段の二人を知っているキラからしてみれば酷く滑稽であったが、笑いはこらえた。
 
 「〝アメノミハシラ〟まで行ったらどうすんのー?」
 
 カガリは「それを今から説明してもらうんだよ……」とため息をつく。彼女に代わり、アムロが一歩前へ出た。
 
 「既にハルバートン提督の第八艦隊が〝アメノミハシラ〟に入港しているという報告は行っているはずだ。俺達は艦隊と合流後、〝アルテミス〟を突破し月へと向かう」
 
 皆が静かに彼の言葉に耳を傾ける。
 
 「だが、問題もある。第八艦隊は〝プトレマイオス〟から脱出する際、かなりの損壊を負ったようだ。よって、今回の作戦の主力は我々〝アークエンジェル〟級の三隻となるだろう」
 
 ――三隻? 一同が僅かにざわめき、彼がこほんと咳払いをした。
 
 「ン、紹介が遅れたようだ。本日オーブへ到着した〝アークエンジェル〟級三番艦〝ヴァーチャー〟の――」
 
 すると、いかにも職業軍人といった生真面目そうな男が一歩前へ出、敬礼した。
 
 「本日付けで〝ファントム・ペイン〟所属となった、イアン・リー少佐です。よろしく頼みます」
 「所属のモビルスーツ部隊は、皆もう知っていると思う」
 
 そういうと、スウェンら五人のメンバーが立ち上がり、一斉に敬礼した。
 
 
 
 ブリーフィングが終わると、フレイがオーブの制服に身を包むシンに声をかけていた。
 
 「結局、来るんだ……?」
 
 彼は赤い瞳をちらとむけ、ぶっきらぼうに言い放つ。
 
 「……帰る場所、ありませんから」
 
 彼女は寂しい顔になり、部屋を後にしようとするシンを後ろからそっと抱きしめる。
 
 「そうじゃないでしょ。あなた、妹のあの子の事も心配だけど、わたしたちの事も同じくらい好きになっちゃったから、それをわかってるあの子が気を利かせてここに残ってくれたの」
 「――えっ?」
 
 わけもわからずシンが振り返ると、フレイは優しく微笑んだ。
 
 「お兄ちゃんのあなたが、前を向いて真っ直ぐ歩けるようにってさ。――ちゃんとお礼、言っておかないとね? あなたの為に、あの子は残るんだから」
 
 しばらく無言だったシンは、そのままわずかに視線を泳がした。
 ややあって、彼が俯き、「はい」と小さく言った。
 ブリーフィングルームの外でキラたちを見つけると、カガリは「よう」と笑顔でとりあえずキラの頭をはたいた。
 
 「もー、カガリはすぐそうやって……」
 
 キラが唇を尖らせると、カガリはけらけらと笑い飛ばす。
 
 「あはは! まあな!」
 「……褒めてないと思うが」
 
 と、カナード。
 
 「なにー、またカガリが馬鹿やってんのー?」
 
 部屋からシンを連れてやってきたフレイが眉をしかめ、釣られてトールたちが笑い声をあげた。一頻りみんなで笑いあった後、カガリは言うべきことを、ためらっていた。言わなければならないことが、ある。だが、それは――。
 
 「なーに? 言いたいことがあるなら言いなさいよ」
 
 フレイが苦笑し、
 
 「言った方が楽になることだってある。――経験済みだ」
 
 とカナードが皮肉るように言った。
 
 「そうだよ。カガリはすぐ悩んじゃうんだからさ」
 
 キラが言うと、フレイが小さく「あんたが言う~?」とからかった。
 
 「力になるぜ」
 
 トールがにっと笑みを浮かべ、ミリアリアが
 
 「私もっ」
 
 と微笑む。
 
 「及ばずながらね」
 
 サイが眼鏡をきらとさせ、カズイが「じゃあ、そういうことで」変な締め方をした。
 カガリはその友情に感極まって涙を浮かべそうになるが、ぎゅっとこらえて向き直る。
 
 「なあ、カナード。その……お前の兄弟って、どんな連中かわかるか……?」
 「――は? い、いや、どうだったかな……。詳しくは……」
 
 想定外の質問だったのか、彼は眉を顰めたが、構わずに答えてくれた。
 
 「……そっか」
 
 聞くのが、恐ろしい。でも、今聞かねば、答えを知るのがいつになるのか――。
 
 「どうした?」
 
 とカナードが心配げに顔を覗かせる。カガリは思わず目を逸らした。
 
 「わ、私は――」
 
 震える指で胸元から、一枚の写真を取り出し、カナードに押し付ける。その写真を見、彼はぎょっと目を見開いた。
 
 「私は、何番目だったんだろうな、って、さ……」
 
 皆が写真に注視し難しい顔になる。カガリは居たたまれなくなって、その場を後にしようと背を向ける。
 
 「じゃ、じゃあ私はもう戻らないとだから、ま、またな――」
 
 彼らは宇宙《そら》へ行く。カガリはオーブへ残る。それが今生の別れにならないことを祈って……。
 すると、背中越しにカナードが「待て」声を投げかけた。カガリはびくりと体を硬直させる。彼の声はどこか優しい。
 
 「ちゃんとこっちを向け、カガリ」
 
 彼に言われるがまま、無言で――それでも顔は見れずに――振り向く。カナードはカガリに向けて手渡された写真を押し付け、言い放つ。
 
 「――カガリ。そう、お前の名だ。ただそこに、オレたちの姉貴かもしれないってのが加わっただけの……ただの、カガリ・ユラ・アスハだ。そうだろ?」
 
 思わずカガリが顔を上げると、彼はふっと微笑んだ。
 
 「俺が十一で、最後のこいつが十二。オレ達以外のは全員兄貴か姉貴なのさ。――それじゃ、またな、ネーサン?」
 
 ふと、フレイがどこか納得したように苦笑し、言った。
 
 「三馬鹿兄弟だったんだ」
 「「誰が馬鹿だ!」」
 
 すぐにカガリとカナードが同時に言い、キラが「あはは……」と苦笑した。
 それだけで、カガリの心は救われた気がした。この想いは、出会いは、友情は、友達は、親友は、仲間は、私が誰であろうと、私だけのものだから……!
 
 
 
 〝ヴァーチャー〟が〝カグヤ〟から射出され、〝アークエンジェル〟と続き、ついに〝ドミニオン〟の番となった。キャプテンシートに座るナタルは視線を落とす。
 スラスターが灯り、強いGが彼らを襲う。びりびりと船体が振動する。マスドライバーから撃ち出された〝ドミニオン〟の前方には、濃い青に輝く空のみが広がっている。
 ふたたび、宇宙《そら》へ。
 おかしな話かもしれないが、ナタルにとって宇宙とは闇ではない。この無限に広がる空と同じような、濃い蒼をしているのだ。以前フレイやカガリにそれを話したら、彼女たちも同じ感じ方をしていたようで不思議と話が弾んだものだ。
 また、彼女たちと居れる。それが、私の力となる。
 〝ドミニオン〟はぐんぐんと上昇して行き、やがて成層圏を離脱する。無限に広がる蒼宇宙《そら》が広がり、ナタルは心が広がっていくような錯覚を覚えた。
 その時、〝アークエンジェル〟から通信が入る。
 
 〈ナタル、〝アメノミハシラ〟が……!〉
 
 差別でも無い、種の尊厳を、でもない。
 ただの戦争が、始まろうとしていた。
 
 
 
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