D.StrikeS_第19話

Last-modified: 2009-06-08 (月) 17:56:42

わたしが感じているのは怒りであって、悲しみであって……恐怖なのだと思う。
 どうしても、まわりの誰かが怪我をしたりするとあの時の事を思い出してしまって、怖くなる。

 

 今、こうしてこの目でシン君が息をしているのを確認して、この手でシン君の手が温かい事を感じても、それでも怖いし、この震えは中々止まってくれない。
 ああ、こんな時、どうしようも無く実感してしまう――――自分の弱さを。

 

 わたしは……決して強くない。そう、彼が教えてくれた。
 そしてその弱さを守る。そう、言ってくれた。
 
 でもね、シン君。そんな君だから今日みたいな無茶しちゃうのは分るけど……
 それでも、やっぱり全部一人でやっちゃおうってのは、見てて不安になるよ。きっとわたしは人の事言えないんだろうけどね。

 

 あなたは一人じゃない。わたしもいるし、他の皆もいる。
 面と向かって言ったらきっとそれ位わかってるよって言うんだろうけど。
 だから、シン君が寝てる間にもう一度言っておくね。

 

 ――――あなたは、一人じゃない。

 
 
 

 魔法少女リリカルなのはD.StrikerS
 第19話「その手が/を掴むものは、なの」

 
 
 

「……へぇ。これはこれは。」
『何か見つかったのか、ハイネヴェステンフルス。』
「ああ、イグナイテッド。こりゃあ、面倒なことになってる気がしてきたぜ。」

 

 管理局地上本部の資料室。無限書庫に比べれば大した量ではないが、過去に起きた事件等の情報を閲覧できるその場所である。
 そこで端末を操作している男が肩を竦めながら、口を開いた。
 オレンジ色の髪をかき上げて彼、ハイネヴェステンフルスは眼前のモニターの一点を指差した。
 
「あの虫使いはエリオ達と同じ位の年齢だった。
 もしかしたら、と思ってここ10年位の失踪事件で合致するようなのを探してみたんだが……ビンゴだ。」
『ふむ……ほう、なるほどな。母親が管理局員でしかも子供の失踪の直前に彼女が所属していた部隊が任務中に全滅している。見た目もそうだな、確かに昨日の少女と合致する部分が多い。』

 

 彼に答えるのは胸元につけられたフェイスであることを示すバッジ。
 デバイス、イグナイテッドであった。
 感心したようにハイネが集めた情報を取り込みながら更に言葉を続ける。
 モニター上を流れるように各種データが流れ落ちていく。

 

『母親が所属していた部隊を率いていたのは……ゼストグランガイツ。
 珍しいな。当時の管理局でベルカ式の魔法を使っていたのか。』
「しかも実力は折り紙つき。ちょっと調べて見たんだが、あのレジアスの御大とかなり強い繋がりがあったとか。
 まあ、噂だがな……にしても、この事件のデータ。シークレット扱いか。」
『ああ、あの時の……確か中将だったか? ハイネ。これを見てみろ。』

 

 取り込んだデータに何か気付いたのか、相変わらずの不遜な態度でイグナイテッドが情報を提示する。
 動き続けていたモニターの表示が止まり、右手側にその人物の顔写真、左手側に氏名に所属などの簡単なデータが映し出される。
 その女性の写真を見て、ハイネは何故かデジャヴュの様なものを感じた。

 

『母親の所属していた小隊の同僚だ。』

 

 次いで横に提示された詳細な情報を見て、自分の感じたものは間違っていないとハイネは知った。
 しかし……

 

「クイント……ナカジマ。ナカジマ? おいおいおいおい。これ、そういうことかよ?」

 

 どう見ても今は彼の部下であるギンガナカジマの母親だった。
 直接の親子関係では無いとは知っていたものの、やはりよく似ていると思う。
 まあ、遺伝子提供者であったらしいしそれも当然か、と考え直してもう一度確認。
 そもそも現在も彼が居候しているナカジマ家で写真を見たことがあったから間違いなかった。
 確かに亡くなっているのは知っていたし、管理局員だったともギンガとゲンヤからハイネは聞いていたが……
 まさかこんな所で繋がるとは思いもしていなかったので、さしものハイネも驚きを隠せずに居た。

 

「……イグナイテッド。データベースをクラックする。手伝え。」

 

 静かに己の相棒に対して告げる。
 その横顔からは普段の飄々とした態度は微塵も感じられない。

 

『断る……と、言いたいところだが今の貴様は素だな?
 興が乗った。まあ、私と貴様ならこの程度の障壁、どうにかなるだろう。』
「助かる……って、おいおい。なんだよその言い分は?」
『嘘吐きには丁度いい。ハイネヴェステンフルス。貴様、昨日の戦闘で足元にあの戦闘機人が潜んでいたのを気がついていただろう?』

 

 イグナイテッドの言葉にハイネは言葉を詰らせる。
 つまり、それが図星だということだ。
 昨日の戦闘。シンがヘリを守りきった直後、そちらの方に気が行き過ぎていた隙をつかれた。
 液体の中を潜り抜けるように何の抵抗も感じさせない動きで地面から現れた戦闘機人が、まず捕縛していた少女を解放し、次にレリックの入ったケースを奪っていったのだ。
 しかも逃げた先が地面の中なのだから追いようも無く、敵ながら天晴れと思わざるを得ない、完璧な奇襲に撤退だった。
 
「まあ、な……どちらにせよレリックは敵の手に渡らなかったし、あの時の俺じゃあ気付いていてもどうしようも無かったんだよ。」
『確かにレリックは事前に……ティアナランスターと言ったか? 彼女の機転のお陰でなんとかなったが……』

 

 地上に出る寸前の話だ。彼女の案でレリックケースの中に偽者を。キャロに本物を別のものにそれぞれ幻術を用いることで見立てたものを持たせていたのだ。
 ケースの中にレリックがあると思いこんでいた敵は見事にその策に掛かってくれたのだ。

 

『ハイネ……貴様はやはり甘いな。二重に仮面を被ったところで隠しきれてなければ意味が無いだろうに。』
「……ほっとけよ。ほれ、さっさと始めんぞ?」

 

 イグナイテッドが甘い、という言葉の中に含めた所を理解する。
 苦虫を噛み潰したような表情をしてハイネは端末に手をかざした。
 流れるように新しい情報を吐き出し続けていたモニターの動きが止まる。

 

『ふん、まあ余り無理はするな。ギンガが心配する。』
「……お前さ、結構アイツのこと気に入ってるよな。」
『当然だろう。何せ彼女は貴様よりもからかうと反応が面白い。』

 

 デバイスの言い分には到底思えないその言葉にハイネは軽く肩を落とす。
 なんでこいつはこうなんだろう……いや、もう慣れたけどさ、と胸中でぼやいてキーボードをタッチし始める。

 

『情報を得たらどうする?』
「まずゲンヤさんから当たるさ。出来るならレジアスの御大とももっかい話といきたいとこだな、色々と。
 訓練校で偶然会った時以来……となると半年振りになるかね?」

 

 とりあえずは眼前の作業に集中集中、とハイネは指を躍らせた。

 
 

「…………」
「…………」

 

 溜息すら許さない雰囲気が車中を覆う。ずんと内臓に重くのしかかるようなプレッシャー。
 冷や汗を流しながらシンは包帯まみれの右手でハンドルを切り、道なりにカーブを曲がった。
 少しだけ突っ張る様な感覚が右腕から伝わるが、まあそこまでの物ではないと、気にせずに彼は車の運転を続けた。
 先日の戦闘の後遺症的なものはそれ位で、治療を受け一晩ぐっすり寝れば大体の不調は完治していた。
 
 暫くそのまま先を進めていたが信号に引っかかり、ブレーキペダルを踏み一旦動きを静止させる。運転という行為をしなくなると余計にこの空気を感じてしまい、思わず呻きたくなるがそれも我慢。
 ちらり、と自分の左手側。つまり助手席の方を横目で確認する。

 

(……怒ってるよなぁ?)

 

 無表情すぎるその顔が如実に全てを語ってるような気がした。
 心中でぼやいてから信号がまた変わったのでシンはペダルを踏み込み、アクセルをかけた。
 エレキカー特有の静かな滑り出しを感じつつ、手前に備えられたナビゲーターの指示に従いハンドルを切り交差点を右に曲がる。
 免許はこちらに来た時、ごたごたしていたもののはやての「持っといて損はない」の鶴の一声で試験だけ受けに行った。
 操縦に関してはMSや戦闘機のパイロットでもあったシンにとっては何の問題も無く、また筆記の方も一夜漬けは得意な方だったのでなんとか乗り切れた。
 ……それはさて置き。
 今朝起きたシンを待っていたのは3日間の訓練禁止の命令。
 理由はまずシンの魔力に関する機関にかなりのガタがきているのと、インパルス
の一部デバイスの修理に時間がかかるとの事だった。一応インパルス自体は持ってきているもののフォースシルエットは使用不可になっておりそもそも出来るだけ使うな、とも言われている。
 流石に保護した女の子を迎えに行くだけでデバイスが必要になるとも思えなかったが、念の為とのことだった。
 シンは医務室で目を覚ました直後、はやてとの今朝の会話を思い出す。

 

『お、シン。おはようさん。』
『ふぁ……部隊長? って、なんであなたが医務室なんかにいるんです?』
『ええやないの。部下が怪我したのに見舞いに来て悪いん?』
『……嘘だ。絶対嘘だ。だってその手に持ってるの俺の制服じゃないですか!?』
『おや、勘のいいこと。まあ、仕事もあるしそれと聞かなあかんことがあってな。』
『……何です?』
『シン。昨日のあんたの話やねんけどな。いや、詳しくは後でレポート作らせるさかいまあ簡単に聞かせてほしいんやけど……
 シン、あんた魔力量増やしたりできるやろ?』
『意識して出来た事はないんですけどね。こう、なんていうべきかな?わーってなったりうがーってなったりしたら……というかレポート書くの俺だよな。』
『さよか……ってかわかりやすい擬音やね。まあ、あんまりそれ使うんや無いで? 今回はそこまでやなかったらしいけど、やりすぎたらリハビリが必要なレベルまで自分の体を潰しかねんらしいから。』
『なのはみたいに?』
『なのはちゃんみたいに。』
『そう……ですか。』
『あれ、あんまおどろかへんね。自覚はあったん?』
『なんとなく、ですけどね。今の俺にあの力を使いこなせるかって言われたら無理だと思います。こっちで初めて使ったときもフラフラになりましたし……
 ……でも、いずれ絶対にモノにしてみせるつもりです。
 それまではまあ、出来るだけ使わないようにしますよ。』
『ん……ならええんよ。ああ、それと今日から三日間訓練禁止な。ええか、デバイスとか使うんやあらへんで? 絶対、使うんやないで?』
『……了解。』
『よろしい。そやそや。これを渡しとくの忘れてたわ。はい。』
『っと、これは……車の鍵?』
『後30分後にガレージ。なのはちゃんと二人で昨日保護した子を迎えに行ってな。
 うちで預かることになったし。場所はナビがついてるから大丈夫やろ?』
『本当ですか!?』
『ってえらい食いつきええやないの。昨日教会の人らとも話した結果やから本当やって。
 あ、そうそう。なのはちゃんと言えば……ちゃんとお礼いっときや?』
『へ? なんでです?』
『はい、その不自然に型のついたベッドの掛け布団に注目ー。』
『……まさか。』
『寝ずの看病……ってのはああいうの言うんかもね? 途中でなのはちゃんも寝とったけど。』
『……あー。』
『取り乱しっぷりも凄かったしなぁ……シンが来てから珍しいなのはちゃん見てばっかやわ、ホント。多分、あの子昨日の件でかなり怒っとると思うから、まあがんばり。』
『何をだよって、もういないし。』

 

(……あの人もなぁ。)
 
 いい人ではあるし、親しみやすい上司なのでミネルバにいた時のアスランとは比べるべくもないのだが……色々厄介なところがありすぎる、とシンは思う。
 もう一度ちらりと横を見る。目があった。逸らされる。

 

(どないせーと。)

 

 少々ではなく、結構、かなりショックが大きい。
 ガレージで会った時から剣呑な雰囲気でここまできている。
 会話も事務的なものばかりで、口を開こうとしても話題が見つからない。

 

(取り付く島が無さ過ぎるだろ……)

 

 うぅ、と呻きながらシンは時計を確認。まだ六課を出てから15分も経っていなかった。
 聖教会の施設までは大体1時間ほどもあれば着くと聞かされている。まだまだ先は長いことを理解して、いい加減しくしく痛み出した自分の胃が心配になってくる。
 怒っていると確かにはやても言っていたがここまでだとは思わなかった。

 

(理由はまあ、なんとなくわかるんだけどな。)

 

 ハンドルを握る包帯まみれになっている右腕を見る。痛みなどは大したことは無いものの確かに酷く違和感を感じた。
 外部からの傷は、弾けたインパルスの部品が突き刺さった肩も含めてさほどの物ではなかったらしい。コーディネイターとしての治癒力やシャマルのヒーリングのお陰で傷口もほぼ塞がっており、確かに訓練が出来るかと問われれば怪しいものの動く分には問題はないと感じていた。
 では何が問題だったか。それは自身の許容量を超えた魔力の供給による自壊現象。
 詰まる所オーバーフロー寸前だったらしいのだ。体が己のエネルギーに耐えられず、反動で自らを傷つけていたらしい。
 強すぎる力は時として自分すらも焼き尽くしかねない。そしてなのはが気にかけているのもそこなのだろうと思う。

 

(でも、あの時は……)
「あの時は仕方なかった?」
「……なのは。」
「そんな顔してたよ、今。」

 

 考えていることが読まれたのか。それとも気がついたら口に出していたのか。そのどちらかはわからなかった。ただ、なのはがシンの思考を読んだかの様な言葉を放ったのだけは事実であった。
 その横顔からはさっきまで感じていた怒気は感じられなかったが、しかし代わりに何処か悲しみとでも言えばいいのだろうか。そんな雰囲気を湛えながらなのはは口を開いた。

 

「ふぅ……わたしがあの時のシン君の立場にいたら……多分、きっと、同じように無茶したと思うよ。」
「なら……」

 

 シンがした事に理解を示すようなことを言って、でもねとシンの言葉を遮ってなのはは先を続けようとした。
 運転の為に前を向いてるシンにはその表情は伺いしれず、彼はただ彼女の言葉を待つ。 少しの間だけ、車内をエンジンが上げる低い唸るような音が支配する。

 

「初めてわかったかもしれない。辛いね。知ってる人が無茶をしてるのを見るのって。
 わたしもこれまでに何度も、何度も同じようなことしてきたから……
 そう思うと……ね?」
「それは……」
「本当に、本当に怖かった。シン君が大怪我でもしたら……もし、死んじゃったりしたら……
 あの時、力を手に入れたはずのわたしは何も出来なくて、祈ることしか出来なくて。
 自分がいつもしてるようなことなのに、他の人がしてるのが怖くて見ていられなくて。
 そんな自分が、凄く嫌だった。」
 
 自嘲めいた声がその沈黙を破った。語られる言葉にシンは静かに耳を傾ける。恐らく、自分もその気持ちは理解できると思った。しかし何を言えばいいかわからない。
 ハンドルを握り締める手に知らず力が入る。一旦軽く深呼吸してから、逡巡する自分の心を無理矢理抑えつけて、シンは喋りだした。

 

「昨日さ……命日だったんだ。俺の家族、父さんに母さん、それから妹のマユの。」
「え?」

 

 いきなりの告白になのはが戸惑うのを感じるが、構わずシンは続けることにした。
 少しだけきつくアクセルペダルを踏みしめる。

 

「ちゃんと話すって言ったと思ったんだけど……まあ、続けるな?
 3年前、俺達の住んでた国がマスドライバー、つまり宇宙に上がる方法を求めた他の国に攻め込まれてさ。
 ……俺と、俺の家族は避難が遅れて、もう市街地まで戦場になっている中必死に逃げたんだ。」

 

 ここでもう一度眼前の信号が停止を示す色になる。停止した車の中でシンはふぅ……と大きく息を吐いた。
 
「空にはMSが飛んでた。沢山の砲撃とかビームが飛び交ってて。
 マユが携帯電話を落とした。俺が取りに行ったんだ。
 そうしたら……」

 

 背後で生まれた光、音、衝撃。

 

「気がついたら俺は吹き飛ばされてて、起きた時には……。
 俺は無力だった。どうしようもない位何も出来なくて、守ってやるって……そう言ったのに。本当に……本当に駄目な兄貴だった。」
「だから……強くなりたくて、力が欲しくて軍に?」
 
 ここで今まで静かにシンの話を聞いていたなのはが合いの手を入れてくる。

 

「……ああ。今でもたまに思うんだ。あの時今みたいな力があれば、もしかしたら救えたかもしれない。助けることが出来たかもしれない。俺の家族は死なずに済んだかもしれない。
 だけどさ……きっとこんな事を考えたって意味は無いんだ。
 …………認めたくないけど。それでも、俺の家族は死んだんだ。
 死んだ奴は生き返らない。他にも沢山の知り合いが死んだから……わかる。
 ハイネみたいになんか知らないけど生きてた事もあったけど、でも、きっとそうなんだ。」
 
 死んだ奴は生き返らない――――自分に生きてくれと言ってくれたアーサーもレイも。
 守ると誓ったはずのステラも――――マユも。
 他にも沢山の――――父さんに母さん、議長に艦長――――本当に沢山の人たちが。

 

 全てこの手のひらの中から零れ落ちていった。
 そこには慈悲も優しさも無く。二度とこの手の中に戻ることは無かった。何度も何度も願った。しかし世界はその声に応えてくれなくて。
 そしてやはり自分は無力だったのだ。力はあっても、無力だったのだ。

 

 既に信号は変っていたので運転を続けながら、もう一度口の中でそう言ってシンは更に続けた。
 それをなのはは黙って聞く。
 
「でも、だからこそ俺は守らなきゃいけないんだ……って思う。
 もう、嫌なんだよ。目の前で起きてる事を、何も出来ずにただ見てるだけなのは。
 その為の方法と力はこの世界に来て、もう一度知ることが出来たから。
 なのはが教えてくれたんだぞ?」
「……そう、だったね。にゃはは、そう言われるとちょっと恥ずかしいけどね。
 わたしも……うん、わたしもね。もうあんな想いはしたくないから。
 だからこうやって戦ったりする事が出来る。」

 

 ああそうか、と言った風になのはは目を閉じ天を仰ぐように顔を上に向けた。
 その先にあるものはただの天井だったが。

 

「同じ、なんだよね。結局。」
「何がだ?」
「シン君とわたしが無茶する理由。なら、わたしからはやっぱり何も言えないのかなぁ……」
「そんなこと、ない。」

 

 そんなことは無いとシンは思った。それを言うならこの前自分が目の前の彼女に対して言った言葉はどうなるのだろうかとも。
 それにシン自身自分のことを決して頭がいいとは思っていない。
 
「俺、馬鹿だしさ。言われないとわからないから。」
「うん……じゃあ次からそうするね。って自分で自分の事馬鹿って言わなくても……」

 

 言ってくれればまだわかる。以前も感じたようにしっかりと話すことが出来ればアスランともあんな風にならなくて済んだかもしれない。そうするにはシンは余りにも子供であったし、アスランにしても生来のものなのだろうか。なんでも一人で抱え込むきらいがあったので、どうとも言えないことではあるが。

 

「あ、それとも今から言おうかな?」
「……勘弁してくれ。ごめん、心配かけちゃったみたいだな。」
「ホントだよ、もう。ちょっと嫌なこと思い出しちゃったし。」

 

 ハンドルを握るシンを横から少し睨むようにしてなのは。
 しかしその口元には笑みが浮かんでいており、纏っている雰囲気も先ほどまでとは違い穏やかなそれ。もうそこまで怒っていないと言う事がわかりそうなものだが、当然のように謝罪の言葉をシンは続けた。
 
「うぅ、重ね重ね悪い……看病とかもしてもらったらしいし。」
「……へ!?」
 
 頭を垂れたくても運転をしている以上そもういかないシンが弱弱しい声で返事をする。
 その中に含まれていたある一節になのはが異常に反応を見せた。

 

「あ、ああ、あの、シン君? そ、それ誰から?」
「誰って……そら八神部隊長だけど。あれ、違ったのか?」

 

 違わない違わないと首を横にぶんぶんと首を振るなのは。
 はやてちゃんめ、言わないでって言ったのに……という呪詛の言葉も聞こえたような気がしたがシンは気にしないことにした。

 

「なんで言っちゃうかなぁ。いやいや、知られたくなかったってわけじゃないし、ある意味ぐっじょぶかも知れないけど。う~……恥ずかしい。大体はやてちゃんはいっつもこうなんだよね……そんなんじゃないって言ってるのに誰も聞かないし。フェイトちゃんやヴィータちゃん、果てはシグナムさんにまでからかわれるし。デートすればいいとか……ってあれ? これ二人で出かけるって意味ではもしかしてある意味デートなんじゃ? なら制服じゃなくて私服にすればよか……ハッ、違う違う違う。これじゃあ思う壺だよ。孔明の罠だよ。というかまさか全部仕組まれて……いや、でも。は、はやてちゃん……恐ろしい子っ。」

 

 取り乱す彼女を横目に見てみる。俯き加減にぶつぶつと呟かれるその言葉は全部が全部聞き取れたわけでは無かった。寧ろ聞かないほうがいいのかもしれない、とシンは運転に集中することにしたのだが、やはり気になるものは気になる。
 何せすぐ横で顔を真っ赤にしたと思ったら真っ青にして、恥ずかしそうにしたと思ったら次の瞬間何故か怒りが見え隠れしている。気にならない方が嘘だろう。

 

「あー……なんか悪いこと言ったか、俺?」
「う、ううん! そんなことないよ! 悪いのは全部あの腹黒狸だから大丈夫!」
「……いや、そんな眩し過ぎる笑顔とサムズアップでとんでない事言われても。
 と、とりあえず。その、なんだ。 ……ありがとうな。」

 

 このままだと話の流れがどこかに飛んでいってしまいそうなので――――というか既に遅い気もしたが――――とにかく言ってしまうべき事を言うことにした。

 

「う、うん。ええと……どう、いたしまして?」

 

 まだ少し混乱しているのだろうか。あれあれ? 首を傾げながら言葉を作るなのはにシンは思わず笑ってしまう。

 

「わ、笑わないでよー。うぅ、はやてちゃんの馬鹿ぁ。」
「ご、ごめん。……でもなあ。あ、そろそろ着くぞ。」

 

 なんとか不思議とこみ上げる笑いをシンは噛み殺すが、しかし頬は緩ませながらなのはに目的地まであと少しだということを告げる。
 ナビゲーターの表記を信じるならあとものの数分で辿り着くはずだ。

 

「昨日の子が元気にしてるといいけどな。」
「そう……だね。一応疲労で気を失ってただけらしいけど。」

 

 もう起きてるかなあと気を取り直したなのはを横目に、シンはナビが示す通りに車を走らせた。目の前の角を曲がれば目的地である聖教会の施設が見えるはずである。この先に待つあの少女との出逢いに少し逸る気持ちをシンはなんとか押し止める。
 焦る事は無いのだ。急がないとあの子が消えてしまったり居なくなったりするわけではない。そう心に言い聞かせてシンはハンドルを切った。

 
 
 
 

「……へ? ごめん、もう一回頼む。」
「だからね、あの子が居なくなっちゃったんだって。」

 

 呆けたように聞き返すシンに困ったように―――――実際困っていた――――笑いながらなのはがもう一度告げた。
 二人が居るのは既に目的地であった施設の中である。白を基調とした清潔感が溢れる廊下の壁にシンは背中を預け、その前になのはが立っている。
 二人を迎え、案内をしてくれたシャッハという女性になのはがついていき、先日保護した少女を受け取る手はずになっていた筈だ、とシンは思い返す。だから彼はこうやって少し離れた廊下で待っていたわけなのだが。

 

「なんでそんなことになってるんだ?」
「わたし達がここについた時点ではまだ意識を取り戻してなかったらしいから……」

 

 少し目を離した隙にいなくなっちゃったみたい、となのはが歩き出しながら言う。
 カツンカツンと彼ら以外には誰も居ない廊下にリノリウムを靴が踏みしめる音が二人分反響する。

 

「マジで居なくなってるとは思わなかった……」
「ん、どうかしたの?」

 

 先を行くなのはに追従しながら額に手を当て首を上に向けるシン。先ほどの想像が現実となってしまった事に驚きを隠せない。
 頭を抱えたくなる思いで――――現に抱えている――――シンはなのはが行く先についていった。

 

「まあ、とりあえず。子供の足だしそこまで遠くには行ってないだろうからってことで。中は教会の人たちが探してくれるみたいだから、わたし達は……」
 
 歩き出してほんの2~3分。そこでなのはが足を止め、彼女の目の前にある扉を押し開く。
 さんさんと照りつける太陽の光が、生い茂る青葉の隙間から木漏れ日となって降り注ぐ。頬を撫でる風の感触もちょうどいい感じで、ふとああねっころがったら気持ちいいだろうなぁ、なんて事を夢想させるその風景を指差し、一息。

 

「人海戦術?」
「いや、二人でそれは無い。おかしいと思う。ってか疑問系かよ。」

 

 小首を傾げる様はなんとなく可愛らしく感じたのだが、しかし告げられた無茶な宣告にシンは即座に首を横に振る。
 しかし言っても仕方ない事は理解していたので、まあそれもいいか……と半ば諦め気味に肩を回しながらシンはとりあえず動くことにした。

 

「じゃあ、シン君はあっちの方をお願い。わたしは逆の方見てくるから。」
「了解だ。見つかったら……念話でいいよな?」
「うん。それじゃあ、また後でね。」

 

 手を振りつつシンの進む先とは逆の方向にむかうなのはを見送ってから、シンも自分が受け持った方向へと向かった。
 比較的足早に歩を進めるシン。といっても当てがあるわけでもなくただ適当に辺りを練り歩くだけだったが。

 

「そういや、昔こうしてマユと二人でかくれんぼとかしたっけ。」
 
 生い茂った草の陰に居ないものか、と目の前の緑を掻き分けながら懐かしむようにシンは呟いた。
 二人でのかくれんぼ。今思うとそれは余りにも不毛な遊びに感じられたが、それでもそれなりに楽しんでいたことを記憶している。勿論、鬼の役は何時もシンであったのは言うまでもない。一度マユを鬼にしてみた所シンを探し回った末に迷子になり、結局シンが妹を探す羽目になった事件は未だに脳裏に刻み込まれていた。

 

(流石にこれは鬼ごっこでもかくれんぼでもないしな。)

 

 相手はまだ話したことも無い少女であったし、同じように考えるのもどうかという話である。かと言って元々しらみつぶしに辺りを探索する以外に方法も思いあたらなかったので……

 

(こういう時は……大体意外な所にいるもんだよな。)

 

 かくれんぼというよりは迷子になった妹を探していた時の記憶をひっくり返してそう結論付ける。
 しばらくその場に立ち止まり黙考。そして導き出された答えに従いその体の向きをUターンさせた。そのまま来た道を戻り始める。

 

「よし見っけ。」

 

 程なくして始めになのはと二人で外に出た場所が見え始める。木々が立ち並ぶ中、少しだけ開けたその空間。日光がスポットライトのように丸く照らし出したその中心にその少女は居た。その場にへたり込み、誰かが枕元にでも置いていたのを持ち出したのだろうか。その手に持っていたであろううさぎの人形も横に放り出して。
 
 その少女は確かに体を震わせ、何かに怯えている様だった。
 
「……? 一体何に?」

 

 自分の感じたものに違和感を覚え、疑問の声を口にする。
 少女の視線の先はここからだと木が邪魔で見えない。もう少し近づく必要があるようだった。
 改めて先に進もうとしたシンの動きを、前触れもなく彼の胸元から響いた人口音声が止めた。

 

『マスター。』
「お、インパルス。お前、今日ずっと黙ってたけど大丈夫なのか?」
『何処かの誰かが無茶する所為で色々とすることがありまして。あぁ、さらば私のコレクション達……』
「なんだよ、コレクションって? ってかお前泣きそうになってないか?」
『私は涙を流しません。デバイスだから。マシーンだから。だだっだー。
 それよりも、恐らくは敵では無いと思われますが……いかがしますか?』

 

 苦言を呈する相棒に苦笑いで答え、そして頷く。その頃になると距離も近くなり目視で確認できた。その場で一体何が起こっているかを。

 

「……ッ!」

 

 目に映ったのは昨日保護した少女と少し離れた位置で両手に構えたトンファーのようなもの――――恐らくデバイス――――をその少女に向けている女性であった。
 確か、シャッハと名乗ったのをシンは覚えている。教会のシスターをしているらしく、この施設に着いた時、シンとなのはを迎え入れてくれた女性だった。

 

「何を……!」

 

 シンは吐き捨てるようにそう言い放つが早いか、既に駆け出していた。
 同時に叫ぶ。

 

「インパルス、エクスカリバーだけ出せ! ジャケットはいらない!」
『いや、しかし……よろしいのですか?』

 

 その言葉に今朝のはやての言葉が一瞬よぎった。曰く魔法、デバイス、その他戦闘行為の禁止。だが、それを無視して言葉を紡ぐ。

 

「さっさとしろっ! とりあえず準備だけでいい!」

 

 シンがそれだけ告げるとインパルスはそれ以上何を言っても無駄だと判断したのだろう。胸元の翼を象ったバッジが淡い光を放ち始める。
 走りながら距離を目算。シンから5メートルほど先に少女。そこからさらに数メートル先に教会の騎士が一人。一瞬でそれだけの情報を処理する。
 踏み切る足で土を強く踏みしめる。ぐっと手応えが返ってくるのを感じ、高く飛び上がる。地面から体が離れ、視界が一気に人二人分かそれ位高くなる。
 魔力や魔法による補助は無しの身体能力だけでの挙動。彼の上司なら恐らく空中で二回転しさらに捻るだろうがそれは別の話だ。前方に飛んだシンはそのまま少女の頭上を跳び越し、丁度二人の中間点の辺りに着地。
 何事かと目を丸くしているシャッハが何かを言い出そうとするより早く、言葉を作った。

 

「なにをしてるんですかっ!」

 

 その少女を庇うように両手を広げて声を張り上げる。激昂しているのを隠そうともせずに強く目の前の女性を睨みつけた。

 

「貴方は六課の……その少女を保護しようとしているだけです!」

 

 シンの声に負けない位の声で言葉が返ってくるが、その内容にシンは内から怒りが込み上げてくるのを強く感じた。

 

「保護、だって? 保護にデバイスが必要なんて思えませんけどね!?」
「それはっ。ですがこの少女がどういう存在か貴方だって理解してるでしょう?」

 

 一瞬悩むがすぐに理解する。ああ、そういうことかと。ここでもそうなるのかと。
 この少女が真っ当な生まれではないことくらい、シンにだって理解は出来ていた。ここに来る前に目を通したレポートを信じるなら、人為的に作られた存在であろうことも。詳しい事はまだはっきりとしていない。危険な存在である可能性も否めない。
 だがかつてシンが守ろうとした少女は改造人間<エクステンデット>だという事だけで、彼の所属する組織の実験体になる所だったのだ。それを銃殺すら覚悟して逃がしたシンに、この現状が見逃せるわけも無かった。
 だからこそ思う。そんなものが。そんなことが。そんな理由で。
 怯えるこの小さな存在に武器を突きつける。そのような事が許されてしまっていいのだろうか。

 

 ぎりりと奥歯を噛み締める。

 

 ――――いいわけあるかっ。

 

「いいわけ、あるかよっ! 違うだろ!? アンタがっ! 今してるのはっ! この子がどうこうって言ってもな! 結局何も知らない、怯える子供に武器を向けてるだけだ!
 それが正しいわけ……あるかっ!」

 

 叫び返し、左手を薙ぐように振るった。ほぼ同じタイミングで手の中に粒子が集まり、形を成していく。
 形成されたのは連結両手剣<エクスカリバーアンビデクストラスフォーム>。
 中央部にある持ち手を両手で握り締め直し――――右腕全体が軋むように痛みを訴えたが無視して――――強く地面へと突き立てた。

 

「落ち着いてください。別に私はその子に対して危害を加えようとしているわけでは……」
『失礼。ならば先にデバイスをしまっていただけますか? 私のマスターに与えられた任務はこの少女を”無事”に六課に連れ帰ることです。それの邪魔をさせるわけにはいきませんし……
 それにこの通り子供ですから。どちらかと言えばそうやって威圧し、感情の爆発による力の誘発を促すような真似の方が危険のように思われますが?』

 

 その辺りはいかが思います? とインパルスの放つ合成音がシャッハの言葉を遮る。
 口調は淡々としており、元々感情などこもるわけが無い人口音声。だが、その声音にははっきりと篭められた怒気が聞いて取れた。
 その言い分に一理あると思ってしまったのだろうか。言葉に詰るシャッハに対してシンが更に吼える。

 

「この子が何をしたって言うんだよ!? 目が覚めたら知らない場所で! 周りに誰も居なくて! ただ、怖がってただけじゃないのかよ! 俺は、俺はっ……こんな思いをさせる為にこの子を守ったわけじゃないんだよ……!
 なんで、いつもいつもこうなんだっ!」

 

 胸の内から言葉を吐き出す。冷静な部分などもう一握りも残されていなかった。
 火薬が炸裂したような音が重く響いた。同時にエクスカリバーの峰の部分がスライドし、吐き出される空の薬莢。全身に魔力が充足していくと共に、右の腕に鈍痛。
 エクスカリバーの刀身を右手から流れ落ちる赤が滴る。比較的明るい茶色の制服が黒ずんでいき、重く濡れた。
 別に交戦の意思があるかと言えば、そうではなかった。これで相手がデバイスを下げてくれれば御の字だと考えた時、シンが命令するよりも早くにインパルスがカードリッジをロードしただけ。本来ならそれは有り得ない、あってはならない事なのだが今のシンにとっては些事でしかなかった。どうせ、早いか遅いか。それだけの話だったのだから。

 

「あなたは……そんな体で?」

 

 カートリッジをロードしただけで傷が開いたシンを見てシャッハが呟く。
 彼女にしてみればわけがわからない事であった。何故、そこまで……と疑問が口をつきそうになって、しかし洩れる事は無かった。そしてデバイスを握り締め直す。少女への警戒からではない。目の前の、この今にも噛み付かんばかりの様相を見せている少年に対する手段として、手放すわけにはいかないと判断した。
 場の空気が剣呑を通り越して殺気に満ちていく。ピリピリとした緊張感が漂いだした。何かが動いたりすれば直ぐに戦いに突入しそうなそんな雰囲気。

 

「――――――――ぃっく。」

 

 その空気に幼い感受性が耐え切れなかったのか。シンの背後でぐずるような声を少女があげた。それに気付きすぐさま後ろに振り向き、シンは愕然とする。……その手から力を失われ、大剣を取り落とした。
 瞳に涙を溜めて、今にも大声を上げて泣き出しそうな少女に駆け寄る。
 転がるように駆けて、少女の前に跪いた。声を掛けようとして、もう大丈夫だとその腕で抱きしめようとして、その動きが止まる。

 

「あ……」

 

 シンの目に留まったのは自分の右手。血に濡れた、その右手。
 その赤は自分のものだ。でも、この手はそれ以上にたくさんの血で彩られて穢れている。
 それをどうしても思い出してしまってこの手が、この幼い少女に触れることを、シンに躊躇わせた。
 腕を伸ばして空を掴むように彷徨わせていると、ふと、視線が合った。
 その瞳が訴えるものは、ずっと変わらない怯えと恐怖。

 

「ごめんっ……ごめん、な……俺、こんなっ、怖いよ、な……」

 

 どうしようもなくそれが悲しくて悔しくて、肩が震えた。
 瞳の奥が熱い。気を抜けばあふれ出しそうになる嗚咽を必死に堪える。

 

「怖かった、よなっ? でも……聞いて、くれっ……」

 

 ――――信じられないかもしれないけど。

 

 言葉に反応して少し上を少女の視線がシンのそれと交錯する。
 無垢、純真、真白。幼いが故の何も隠さない瞳に映し出される怖れが胸に突き刺さる。
 でも、それでも自分には、これしかないのだ。だから……

 

「俺はっ……君の――――」

 

 そこまで口にして、その言葉の流れは途絶えた。君の、何だと言えばいいのか分らなかった。
 ――――敵じゃない? 味方だ? 
 どの口がそれを言えるんだ、と心中で吐き捨て、シンは真っ直ぐにこちらを見る涙で潤んだ目から視線を逸らした。
 だから、その瞳が湛える感情に変化があったことに、シンは気づくことをできなかった。

 
 
 

「これは……」

 

 その様子を眺めながらシャッハが思わず呟く。
 あれが……あの今にも泣き出しそうにしているのが、先ほど自分が気圧された少年なのだろうかと。
 彼女にはとてもそうは思えなかった。何せあのプレッシャーだ。
 魔道師ランクAAA、管理局でも中々いないレベルであることを示している。
 それを持つ自身が、自分より一回り近く若いあの少年の眼光に確かに怯んだことにシャッハは驚きを隠せず、だからこそ目の前の光景を信じがたいものと感じた。

 

「どちらが、本当の?」
「どちらも、だと思いますよ。」
「高町一等空尉……いつの間に?」

 

 シャッハが口に出した疑問に答えが返ってきた。
 長い茶のサイドポニーを揺らしながら、シンが先ほど来たのとは別方向から高町なのはが歩いてくる。

 

「彼がシスターシャッハ、あなたに向かって叫んだ辺りです。」
「どちらも……とは?」
「んー……弱かったり強かったりよくわからないんですよね、シン君って。
 初めて会った時はいきなり泣き出しちゃったりしたと思ったら、他にもまあ、色々……あったり。」

 

 少し頬を赤らめて言葉を濁すなのは。
 一度、えへんと小さく咳払いをしてから続ける。

 

「あ、後わたしも彼と同じようにあんな小さい子相手ならそれ、いらないと思いますよ。」
「ですが……」
「とりあえず、少しだけ任せてもらえませんか? 大丈夫、多分なんとかなると思いますから。」

 

 シャッハの横を通り過ぎてなのははシンと少女の元へとゆっくりと歩いていく。

 

「あ、そうだ。」

 

 途中、ふと何かに気付いたように振り返ってなのはが申し訳なさそうに口を開く。

 

「すみません、シスターシャッハ。後で医務室貸して頂けますか?」
「は、はあ。それは構いませんが。」

 

 その要請に対してシャッハは戸惑いながらも了解する。
 なのははそれに対して軽く会釈するとシャッハには背を向けて歩みを進めた。
 跪き、今にも泣きそうになっているシンの横にかがみ込みこむ。
 そして地面に落ちていた人形――――この少女が持っていたものと思われる――――を拾いパタパタと二三度叩いて汚れを落とす。教会の誰かが持ってきたのかな? 等と頭の隅で考えながら、それを差し出して口を開いた。

 
 
 
 
 
 

「はい。これ、君のだよね。」

 

 シンはふと横合いの方から声が聞こえたのを感じた。
 
「なの……は?」

 

 彼のすぐ傍に何時の間にか――――本当に今の今までシンは気付いていなかった――――なのはが居て、なんとかギリギリのところで泣き出さないでいる少女に声をかけていた。
 なんで……? という疑問が浮かんで消える。考えるまでもない事だった。彼女もこの子を探していたのだから。ここに現れるのはむしろ当然の帰結であることにシンは気付く。
 その手に持った人形を少女が受け取って。
 
「……」

 

 無言で、しかしその手に帰ってきた人形を大事そうに抱きしめる。

 

「ねえ。あなたのお名前はなんて言うのかな?」
「……ヴィヴィオ。」
「ヴィヴィオ……うん、いい名前だね? わたしはなのはさん。高町なのは。こっちの人はね、シンさん。シンアスカ。」

 

 その少女の名乗りになのはが自分とシンを順々に指差しながら名前を伝える。
 それを聞いた少女は、少しの間首を傾げていたが、すぐになのはを指差し、

 

「なのはさん?」
「うん、なのはさん。」

 

 笑顔で答えるなのは。
 それを認めると次はシンの方を指差して、口を開く。

 

「シン……さん?」

 

「――――――――」

 

 呼ばれた。自分の名前を。この少女に先ほどまで恐怖を与えていたはずの存在である己の名前を。

 

 ――――なんで?

 

 わからなかった。気付けばこの子の目からは涙や恐怖は消え去っていて、それが何故かわからなかった。
 ただ、どうしたらいいかわからなくて、答えないといけないと思っても、そう出来ずにいた。
 
「……いたいの?」

 

 シンの右手を指して言った言葉なのだろう。
 違う、と答えようとしてそれでも喉が震えるだけでシンは声に出来なかった。
 不思議そうにしながら、その少女も自分なりに考えたのだろう。
 立ち上がっていた彼女はシンに近づいて、その手を伸ばした。
 シンの血に染まった右手に向かって。
 
(……駄目、だッ!)

 

 咄嗟にシンは腕を引く。
 こんな幼い少女がこの腕に触る理由は無い。触らせてはいけない。
 ――――こんな汚い赤に染まるのは、自分だけでいい。
 
 その思いでもって行おうとしたその動きは、しかし出来なかった。

 

「……え?」
 
 目を疑う。目の前の少女の手ではない。横合いから伸ばされた手が、シンのそれと重なる。
 その赤が移る事も厭わずに、シンアスカの手をしっかりと握り締める、高町なのはの手。

 

「なにを……っ。」

 

 抗議するようなシンの声は気にせずに、なのはが口を開いた。

 

「ねえ、ヴィヴィオ?」
「なに?」

 

 そしてヴィヴィオがシンの手に触れる直前で声を掛けた。

 

「ヴィヴィオは、シンさんの事が……怖い?」

 

 その問いにシンは愕然とする。
 そんな問いは無意味だ。そんなの答えは決まっている。怖いに、恐ろしいに決まっている。
 だって、今まさに彼女に恐怖を与えていたのは自分なのだから、と彼はそう思っているのだ。
 怯えているこの子を助けようとした。”また”理不尽にこんな小さな存在が酷い目にあっていると思って、止めようとした。
 だが、その行為そのものがこの少女に怖れを与えたのだ。

 

(そんなのっ、だから、答えは決まって……)

 

「ううん。」

 

 少女が首を振る。

 

(き、まっ……て……)

 

 シンは目と耳を疑った。

 

「くらいとこから助けてくれた。『もう大丈夫だよ』っていってくれて、ヴィヴィオのことをぎゅーってしてくれたひと。なのはさんと、シンさん。」

 

 ――――おぼえてる。だから、怖くない。守ってくれるって言ってたから。
 その少女――――ヴィヴィオ――――はそう言った。

 

「あ……ああ……」

 

 全身が、芯から震えた。ぶるりと。揺さぶられる。
 
「ねえ、シン君。わたしも怖くないよ。
 この手はわたしを守ってくれるって言ってくれた手。ヴィヴィオを守ってあげるって言った手。
 シン君の昔の事とか、大体わかるけど……でも、これは本当だよね?」

 

 握る力を少し強くして、なのはも言った。優しい、癒すような声音で。
 

 
 

 ――――これは奪う手だった。

 

 守りたくて、守れなくて。色んなものを壊して奪っていく手。
 この世界に来て、そしてもう一度守るためにやり直しても、シンの中でその印象は消えていなかった。それが今、血に濡れたそれを見て思い出されたのだ。

 

 守るためと謳いながらも、心のどこかにそういうしこりは消えないで残っていた。
 だから、昔のことは極力誰にも言わなかった。
 エリオに話していたのも、あまり血生臭い話ではなくて、友人や家族とかそういった話ばかり。
 怖かったのだ。怖がられることが。
 確かにC.E.で戦士として多大な戦果を上げた過去はある。エースなどと持て囃されたこともあった。それでいい気になっていたのも否定出来ない。
 だが、この世界に来て思ったのだ。人殺しを決して是としない。非殺傷設定というものまである世界において。

 

 自分は……単なる人殺しではないのか、と。

 

(違う、そうじゃない。それは、理解していたんだ。)

 

 戦争だった。殺さないと殺されていた。自分も仲間も。仕方なかったと言えば仕方なかったと思う。そこは理解している。
 それでもここで新しく出来た仲間にはどう映るのだろうか、と思うと怖くて仕方なかった。優しくて、温かい居場所だった。気がついたら、この場所、それを構成する人々、そしてこうして手を握ってくれる人。全てが大切になっていた。
 だからこそ、恐れた。無意識の内に。
 拒絶されることが怖くて、一人になることが怖くて……怖れられることが、怖かったのだと、改めて思い知らされる。

 

 なのはを守ると誓った今でさえ、その気持ちは消えないで確かに残っていたのだ。

 

 今、シンの血で汚れることを全く気にしないでいるなのはも、知っているはずだった
 大体のことは、初めてあった時に言ったのだから。
 それでも……彼女はこの手を離さないでいてくれる。そうじゃないと言ってくれる。
 それが不思議で仕方なかった。

 

(ああ……そうか。あの時、守るって言った俺を受け入れてくれたあの時。)

 

 わかった上できっとこうしていてくれているのだと、はたと気付く。
 
 ならば、ヴィヴィオはどうなのだろうか。
 この少女は何も知らない。どうして……、と言葉にしようとした。その瞬間だった。
 シンの手より一回り小さいなのはの手。その上に、更に小さい、紅葉のような手が、重ねられた。
 そして拙い言葉遣いで音が紡がれる。

 

「いたいの、いたいの……とんでけー。」

 

 それはただの言葉で、しかし正しく魔法であった。
 開いた傷口が疼くのが止まるわけでもない。痛みが消えるわけでもなかった。
 だが、だとしても……その言の葉は不思議とシンの胸の奥深くまで染み渡り、心の内を覆い囲っていた暗い感情を一気に消し去っていく。
 この世界に来てシンが知ったような技術としてのそれではなくて、昔から伝わる親が子を思うような気持ちそのものが体現したようなまじない言葉。

 

「ふっ、ぅぐ……ああ……」

 

 言葉にならなかった。
 重ねられたふたつの手が温かくて、それ以上に心が優しさに包まれて。
 強く目を閉じるがとめどなく溢れる液体を止める事は出来なくて。
 口からは堪える事が出来なかった嗚咽がどうしても洩れてしまって。

 

「シンさん……ないてる。まだ、いたいの?」

 

 自分のした事が無意味になったと思ったのだろうか、ヴィヴィオが表情を曇らせる。
 そして今度はもう片方の手も重ねて、もう一度同じ言葉を放った。
 違うとシンは言いたかった。その言葉は十二分に自分を癒してくれたとも。
 しかし、呻くような声しかその口は吐き出してくれない。
 ただ、ひたすらに首を強く振った。それが自分の意思を伝えてくれる事を祈って。

 

「あのね、ヴィヴィオ。多分、シンさんは痛いから泣いてるんじゃないと思うよ?」
「そうなの?」
「うん。まだ、ヴィヴィオには分らないかもしれないけど。でもね、きっと……」

 

 ――――嬉しいから、だよね?

 

 シンは耳元でなのはの声がするのを確かに聞いた。
 密やかに口にされたその言葉を聞く事が出来たのは恐らくシン一人で、そしてそれは確かに彼にだけ、囁かれたものだった。
 ヴィヴィオは結局なのはが何を言ったのか聞き取れず不思議そうな顔をシンの前でしている。
 その幼い瞳を何処かに彷徨わせていた。迷っているのだろうか。しばらくの間そうしていたかと思うと、一言。たった一言。シンに向けて言った。

 

「――――ありがとう。」

 

 助けてくれてありがとう。救ってくれてありがとう。守ってくれて、ありがとう。

 

「あぐ、ふあっ……うぅあうぇ……!」

 

 その一言に込められた想いが伝わる。重ねられたその手から、真っ直ぐにシンを見つめ続けているその瞳から。
 もう、我慢のしようが無かった。閉じられた目蓋の端からはボロボロと大粒の涙が零れ落ちて頬を濡らしていく。
 シンは左手をゆっくりと持ち上げ、そしてなのはとヴィヴィオ、二人の手の上に重ねた。もう離さない為に。この温かさが、二度とこの手から零れ落ちないように握りしめる。
「あ……」
「シン君……」

 

 ヴィヴィオとなのはの少し驚くような声をシンは聞いたが、それに答える余裕はなく、シンはただ涙を流し続ける。

 

 ――――この手は、奪う手だった。

 

 苛烈な、全てを焼き尽くす力を行使する手で、何もかもを薙ぎ払い、討ち尽くす為の手だった。
 そして同時に、何よりも守りたいと言う願いを込めた手だった。
 だからここまで戦ってこれた。異世界、そんな場所に飛ばされた今でも戦う事を続けていられた。
 今更それを実感して、そして心の底から誓う。

 

 ――――守ろう。

 

 この温もりを。その為に力を揮おう。それは今までの彼の行動指針と何一つ違いは無い。ただ、改めて思った。
 この世界に来て始めて守りたいと思ったなのはと、自分にとって良くも悪くも折り目に当たる日にこの手で守ることの出来たヴィヴィオを、守る。
 自分に何が出来るかはまだ判らなかった。それでも出来ることをする。
 その思いを噛み締めながら、ただ今は止め処なく溢れる涙を止める事をせずにいた。
 それが何故かはシン自身は判断をしかねたが、きっとなのはの言う通り嬉しかったのだろうと感じた。
 同時に、そのように感じれる事が幸せなことだとも。

 
 

 ジェイルスカリエッティの研究室。その場所に似つかわしくない人物――――100歩どころか1億歩譲っても研究者には見えないその体躯を持った――――とこの部屋の主、スカリエッティは向き合うことなく会話を交わしていた。
 向けられる嫌悪の視線を何処吹く風といなしながら、彼は乱雑に書類や研究道具が積まれた机の上をかき回していた。

 

「それで、貴様が俺を呼び出して何の用だ?」
「ああ、少し君に見て貰いたい物があってね。わざわざ大嫌いな私の所までご足労すまない、騎士ゼスト。」

 

 皮肉めいたスカリエッティの言い分に対して気分を害した様子でも無かったのは、既に最高に機嫌が悪かったからかもしれない。
 ゼストと呼ばれた大柄な男は無言で先を促した。頭から被ったカーキ色の外套が首から先を動かすその仕草に併せて軽く揺れ、鋭く射抜くような眼光が垣間見えた。

 

「見て貰いたいと言うよりは相談、と言った方が正しいかな。ああ、君が私を信用していないのは知っているよ? だが、君がこれを見てどう思うか。そして私がこれからしようとする事を聞いてどうするかを知りたくてね。」

 

 言いながらスカリエッティは10枚ほどの紙の束をゼストに渡す。

 

「これは?」
「この先の予定表だったもの、だよ。読んでみたまえ。」

 

 言われた通りにゼストは一枚目の紙に目を通す。そして読み終え次のページ、次のページと読み進めていく程にその表情は渋くなっていく。
 予定表という言葉に嘘は無く、そこに書かれていたのはこの先の起こりうる現象やそれに対する対応。そしてスカリエッティや戦闘機人ナンバーズ、ルーテシアにゼストがどの様に動くか、だったのだがゼストにはそれが気に入らなかったらしい。

 

「読み終えた。」
「それで、どうだった?」
「やはり下種だな、貴様は。」

 

 にべも無く言ってのけられるその内容に、スカリエッティは体を机に預けて天井を
仰ぎ、そして頷いた。
 その言葉を否定するつもりは無いらしい。

 

「それで、こんな胸糞の悪くなるようなものを見せるためだけに俺を呼んだのか?」
「まさか。さっきも言ったろう。それは予定表”だった”物だと。本題はこっちさ。」

 

 もう一束、同じようなものを取り出してスカリエッティはゼストに手渡した。

 

「これは……」

 

 始めの数枚は先ほど書かれていたものと大差ない。否、全てに渡って大きな違いは見当たらないものだった。
 違うのは最後の数項目だけであり、しかしそれが致命的なまでの差異だとゼストは感じた。
 同時ににわかに信じがたい事でもあり、思わず聞き返す。

 

「……本気か?」
「さあ? ゲームの結果次第、と言った所だろうね。
 彼等が私の出すゲームに勝てれば使うのはその予定。負ければ先ほどの予定。
 どうなるか、なんて事は流石にわかりはしないよ。私は神じゃない。」
 
 スカリエッティが肩を竦めるとゼストはその様子をじろり、と睨み付けた。

 

「ああ、すまないね。君から神が如く死を奪ったのは私だったか。
 だが君も一応はその生を受け入れている。そろそろメンテナンスをしようかい? いい加減その体もガタが来ているだろう。」
「……必要ない。俺は、それでも構わない。」

 

 それに貴様に借りを作りたいとも思わない、と首を振るゼスト。

 

「まあ、君がそれでいいなら私は構わないさ。
 君の体は恐らくもって半年。戦闘を行うなら精々3~4ヶ月位だろうが……自覚くらいはあるのだろう?」

 

 スカリエッティの言葉にゼストは渋面を作る。その表情がスカリエッティの言っていることが事実であり、それをゼストも理解していることを示していた。
 彼の体はスカリエッティが先ほど述べた通り一度死に至っている。それをスカリエッティが実験の一環としてその体内にレリックを埋め込むことによって、人造魔導師として蘇生させたのだ。
 もちろん誰でも復活するとは限らない。だが、偶然ゼストにはその素質があった。
 素質というよりも耐性と言った方がいいかも知れない。何せ、彼のような例を除くと同様の処置を施された者は埋め込まれたレリックに拒否反応を起こし、大概は死亡しているからだ。
 こうして死を体験してから8年が過ぎた今も生きていることが出来る。生きる意味はある。為さねばならないこともあった。
 しかし、スカリエッティが言ったとおりそれも限界が近づいてきているのも事実であった。

 

「なんだと言うのだ、今日の貴様は。レリックが絡まない限り互いに不可侵。その協定を忘れたのか?」

 

 不快感を隠さずにゼストはスカリエッティを睨みつけながら疑問を放った。

 

「……忘れてはいないさ。ただ、少しね。
 それで、だ。どう思ったか聞かせて欲しい所なのだけども。」
「協力する気は無い。」
「全く……期待を裏切らないね君は。ああ、それで構わない。
 今まで通りで頼む……と言うよりもそうして貰わないと計画が狂ってしまうのでね。」 
 
 何が可笑しいのか、くつくつと肩を揺らすスカリエッティをゼストは見つめる。
 その横顔に浮かぶ笑みは何ゆえのものなのだろうかと考えて、その思考が無意味なものであるとすぐさま考えを切り替えた。
 何処までいってもキリが無い、頭の回路が吹っ飛んでいって宇宙の果てを見てその先を求めるような存在の思考を推理した所で意味があるのだろうか、と。
 そもそも何故この男が自分にこのような事を話しているのかをゼストは理解できなかった。同様にその手に握り締めたスカリエッティが言う”今後の計画”とやらについても、理解が及ばない。
 己の心の欲するままに動いてきたこの男が……

 

 果たして負けを想定して、更にそれを良しとする計画を建て、実行直前の段階まで持っていくのだろうか?

 

 そこまで頭を巡らしてはたと、気付く。
 もしかして、いや、まさか……この男が? などと頭の中に浮かび消えていく多くの疑問。
 
「だが……」
「ん?」

 

 そして彼は気付けば口に出していた。

 

「貴様が負ける手伝いならば、しても構わない。」
「……おや。裏切るのかい?」
「いや。だが、貴様は――――」

 

 少しだけその先を言うのを躊躇う。これは間違っているのかもしれないし、そうではなないのかも知れない。その判断はゼスト自身にはつけられないものだった。

 

「――――負けたがっているのではないのか?」

 

 シィンと、沈黙の帳が一瞬から数秒の間、その場を支配した。

 

「……だとしたら、君はどうする?」
 
 スカリエッティは、にんまりと口元を歪めながら言葉を放った
 薄暗闇にぼんやりと浮かぶその表情は愉悦に彩られている。
 

 

「否定は、しないのだな。」
「フフ、どちらでも仕上げ以外はやる事に大差ないのでね。まあ、暫くは君も好きに動いてくれて構わないよ。」
「ああ、元よりそのつもりだ。何かあればまた連絡を入れろ。状況によっては手位貸してやる。」

 

 負けるための――――と言外に付け加えたのは伝わったらしく、スカリエッティが肩を大きく竦めるのがゼストの目に映った。
 目の前の男が何を考えているのか理解に苦しむ、と心中でごちてゼストはその身を翻し、スカリエッティに背を向けその場を歩き出した。外套が翻る様を見届けながらスカリエッティが口を開く。

 

「ああ、頼むよ。それとルーテシアによろしく。
 ……さて、私も研究を続けないと。」

 

 ゼストを横目に見送ってから、スカリエッティは手元のコンソールの上にその片手を走らせた。
 軽やかにしかし素早く的確なその動きに合わせて、中空に映し出される数値、図、グラフ。それらを見つめ彼は彼らしくない自嘲じみた笑いをこぼした。

 

「負けたがっている、か。それを否定はしないが……だが、これは彼に勝つ最後のチャンスでもあるのだよ。」
 
 タンッと軽い音が響く。スカリエッティの細長い指が強くキーを叩いた音だ。
 それに反応して開かれた画像データ。
 映されたのは巨大な鋼。余りにも巨大過ぎる黒き刃金の体躯。
 彼が操る、ガジェットと管理局が名づけた機械郡と比較しても比べ物にならない異形。
 まだ未完成なのだろうか、至る所に様々なコードが繋がり、また装甲も継ぎ接ぎだった。しかしその存在感は途方も無いものだった。

 

 その異形を眺めながら呟くスカリエッティ。

 

「ギルバートの忘れ形見達には悪いが、手は抜かないさ。
 それにしても……もう少しいい名前は無かったものかな。こう、なんというか直球すぎやしないかい? 
 まあ、ガジェット呼びは私もいい加減慣れたのだけどねって、仮称ってなんだいウーノ、仮称って。」

 

 遅れて表示されたその鋼の塊の名を目に入れて、呆れたように苦言を洩らした。
 彼が見つめる先。そこにはこう表記されていた。

 

『ガジェット伍型(仮称)/……開発コードネーム 破壊/デストロイ』