D.StrikeS_第20話

Last-modified: 2009-06-08 (月) 17:57:19

 あいつがこの世界に来て、早いもので数ヶ月が過ぎた。
 相変わらず”この中”からあいつのことを見続けている俺は、何時までこうしていられるのだろう?

 

 ふと、最近気づく事があった。此処に来てからあいつが出会った人々は、不思議とこいつに過去を思い出させるという事を。
 
 それが、いい事かは俺にはわからない。ただ、あいつが変わろうとしている事は理解出来る。
 喜ばしくもあり、そして一抹の寂しさを感じている事実に、自分でも驚きを隠せずにいる。
 これらの出逢いは偶然なのだろうか? それとも・・・少なくともシン・アスカという人間が今こうしてこの世界に居るのは一種の必然なのだ。同じように俺がこうしているのも、――が全てしてくれたことだ。

 

 ――に何か思惑があろうと無かろうと、関係ない。俺は今此処に在る。
 あいつの為に。俺を親友と呼んでくれたあいつの為に俺が必要になるその日まで。

 

 俺は、こうしていることにしよう。その日が、来るまで。

 

 魔法少女リリカルなのはD.StrikerS、始まる。

 
 

 魔法少女リリカルなのはD.StrikerS
 第20話「悩める思いに応える声、なの」

 
 
 
 
 

「ええかな、シン。」
「……はい。」

 

 起動六課部隊長、八神はやての執務室。
 己のデスクに腰掛け、机の上で組んだ両手に額を擦り当て重苦しく――――彼女の普段のキャラクターからはかけ離れている――――呟く己の上司の次の言葉をシンは直立不動の体勢で待った。

 

「あんな、わたし言ったよな? 魔法使うなって。デバイス使うなって。絶対に使うなって。いや、確かにある意味フリではあったかもしれんけどね?」
「言って、ましたね……フリとは思わなかったですけど。」

 

 シンは答えながら無意識のうちに左手で自分の右腕の肘の部分をを庇うように握った。
 くしゃりと皺がよった制服の右腕の部分はドス黒い染みに染まっている。裾から覗く包帯が痛々しさすら見るものに感じさせた。その部分以外はクリーニングしたての様にパリッとしているのが余計にそれを際立たせる。
 彼の視線は宙を忙しなくさ迷い、決してはやてのそれとは交わらない。

 

「ふぅ……お茶、おいし。」

 

 背後から我関せずを決め込んだのだろうか、紅茶を啜る音とフェイトの声がシンの耳に入る。
 シンがここに報告に来たときからフェイトはここに居て、今では後ろのソファでティータイムと洒落込んでいた。
 一瞬、そちらの方に行きかけたシンの意識をはやての言葉が呼び戻す。

 

「で……や。釈明とか弁解があるなら今の内にきいといてあげるけど?」
「いや、本当、もう……すみませんでした。」

 

 自分がどれだけ馬鹿な事をしたかは自覚があるので、笑顔のまま放たれるプレッシャーに対してシンはひたすらに頭を下げるしかなく。
 そしてそれが引き金になったのだろう。そうかそうか、と何度か頷くとはやてはおもむろに大きく息を吸って。

 
 
 

「こんのぉ……どあほぅがぁあーーーーーー!!」
「ごめんなさい、すみませんでした、俺が悪かったです! でも仕方なかったんやー!」
「わっ……ちょっとこぼれちゃった。」

 

 一息、放たれる叫び声。竜の咆哮もかくやといわんばかりの声量で放たれた怒声にシンはひたすらに謝る。
 後ろからまた緊張感に欠けるフェイトの声が聞こえたがもう気にしているどころの騒ぎではなかった。
 
「仕方なかったぁ? ほーう、なら聞かせて貰おうやないの。
 魔法使うなって約束破っただけでなく! 教会の敷地で! よりにもよって六課の後ろ盾である教会の敷地で! その教会に所属するシスターに武器向けたアホの言い訳をなぁ!
 はっはっはっはっはあ! わたしこれから教会の騎士さんとかと会談やっちゅうのになあ!」

 

 と、やけになっているのだろうか、片手で額を押さえてはやては大きく高笑い。
 
「だってあの状況じゃあああなりますって!
 あの子は、ヴィヴィオは何も悪いことなんてしてないじゃないですか!」
「そうかもなぁ……でもそれはそれ、これはこれ。」

 

 抗弁するもすぐさま切り捨てられる。
 その言い様にシンは拳を握り締めた。噛み締めた奥歯がぎり、と鳴る。

 

「なら……アンタなら許容出来んのかよ、あんな子供にデバイス向けてる場面に出くわしてじっとしてる事が!
 俺には無理だった! それだけだよ、悪いか!」

 

 叫び返して真っ直ぐにはやてを見る。
 そうだ、結局の所これが真実だったのだ。組織の一員としては確かに間違った行動だったかもしれない。でもだからと言って認める事が出来なかったのだ。
 本当に、それだけだったのだ。
 だからはやてが今怒る理由もシンなりに理解してはいたが、それこそ彼女の言を借りるならそれはそれ、これはこれ、だった。

 

「……本当に、やれやれや。」

 

 十数秒、そのままの体勢で顔を抑えた手の隙間からシンと睨みあっていたはやてはそう言って体を崩した。背後の椅子にどかっと座り込んだ。机の上に手を組んでそこに額を預けて数瞬。顔を上げてほう、と息を吐き肩からから力を抜く素振りをみせてから、口を開いた。

 

「確かに人としては間違ってへんかもな。シンの気持ちも少し位は理解出来るし、言いたいことも、まあわかるんやけどね。」

 

 言葉を濁すが言外にはやてにも立場という物がある、と言いたいのだろうと少し冷静になった頭で考えシンは押し黙る。
 この世界に来てまだ数ヶ月もたっていないが、今所属している六課という組織の微妙なポジションはシンもなんとなくだが理解は出来ていた。自分のような存在を設立した直後にねじ込むことが可能な辺りもそうだったし、地味に一部の陸士隊を除いて情報が回ってきづらいことを嘆くロングアーチ勢の言葉を聞くこともあった。
 そもそも、聞くとこの部隊は1年の期限が設けられた実験部隊だという。どんな経緯があってこの部隊が作られたのかシンは知らないし、そこまで興味も無かったが、つまりはこの部隊。薄氷の上に土台を作りその上に建っているような物らしい。その代わり、その分集められたメンバーははやてを始めエリートや実力者ばかりだという事だった。
 まあ、だとしても。

 

(きつい話なんだろうな。部隊運営とかしたこと無いけど。)

 

 前線でちょっとした指揮を取った事はあるもののFaithとして自分の隊を持ちそれを指揮することは無かったシンである。
 はやての双肩に掛かる重圧というものは想像を絶するように感じた。

 

「まあ、その表情見るとそれなりに反省してるようやしね。さっきのはわかってはいるけど納得できへんから吐き出したって感じやし。」

 

 そんなシンの感情の動きを見て取ってか、はやてがそう言う。
 と、そこで先ほどから黙って状況の推移を見守っていたフェイトが横槍を入れた。

 

「ねぇ、はやて? シンに教えてあげないの? さっきシャッハさんからメール来たの。」
「へ?」

 

 シンにしてみれば唐突過ぎるその言葉。シャッハと言えばあの時自分と対峙したシスターの名前だったはずだ。その彼女から連絡が来てる? なんで? どんな内容で?

 

「ああ、もう。もうちょっとひっぱらへんとシンは反省せえへんと思ったから言わんかったのに。」
「んー、いやでもそれ位は……大丈夫だと思うんだけどね。」

 

 頭上で交わされる上司達の会話も耳に入るが理解に困った。己が反省しない? いいや、そんなわけ無いだろうと。少なくとも今朝、教会の施設に向かう際の車の中で感じ続けた重圧を思い出すだけでもう少し上手くできなかったのか、と考える位なのだ。
 ……あんな風な高町なのはは、余り見たいとは思わない。

 

「えぇっと……話がわからないんですけど?」
「ああ、シンは気にせんでええこと。って言いたいんやけどね? 一応教えとくけど、さっきシャッハ……ああ、つまりあんたが剣向けた相手な。
 彼女から個人的に謝罪の知らせがさっき来たんよ。」
「じゃあ……」
「ただし!」

 

 一瞬、少しほっとしたような声をシンが上げたがすぐにかき消される。

 

「シン、さっきも言ったけどあんたのしたことは組織の一員としては決して褒められた物やない。
 それは、わかっとるよね?」

 

 じろり、と射抜くように、また試すようにシンにその視線を向けるはやて。
 それの意味する事を、シンは理解する。つまり……昔のようにはいかないという事だ。
 捕虜を逃がした自分が何の罰を与えられる事無く営倉から出れた、そんな風にはならない。何かの罰がある、と。
 それもそうだよな、と心中でその事実を受け止めた。そもそも前の体験が異常だったのだと今更ながらよくわかる。そう考える横で、謹慎か、はたまた減俸か、恐らくはその当りだろうとシンは考えていた。

 

「……一応、覚悟はしてるつもりです。」

 

 と、それなりの気持ちでもって表情を改めるが、

 

「さよか。なら、頭冷やす意味でも5日の謹慎、と行きたいところなんやけど。
 その怪我の様子やとどちらにせよしばらくは訓練とかできひんやろうから、謹慎の代わりにまず第一に今日から六課で預かる……ええと、ヴィヴィオやったっけ? あの子の世話。それが一つ。
 それと昨日ハイネ三尉が持ってきたデバイス案あるやろ? なんかシャーリーがやたら乗り気になってたから通常の業務に加えてあの子の手伝いを。インパルスのデバイスとしての構成がかなり参考になるらしいしね。」

 

 さらさらと流れるようにはやての口をついて出てくる言葉をシンは口を挟む事無く自分の中で咀嚼、意味を理解することに努めた。
 ヴィヴィオの世話? そんなもの言われるまでも無くするつもりだった。
 シャーリーの手伝い? ハイネとの関係もあるし何かしらするつもりではあった。
 これは、つまり。

 

「お咎め無し、ですか?」
「なんや、減俸でも欲しい? さっき言ったのを通常の仕事に加えてやるんやから休む暇とか、殆ど無いよ?」
「いや、結構です。減俸は全力でお断りします。」

 

 即座に首を振る。ホテルの件ではヴェロッサが取り成してくれたため大して罰則のような物は無かったが、ただでさえそこまで給料は高くないのだ。……高くない、らしい。
 よくよく思い出してみると自分のIDカードに給料が振り込まれてるのは確認しているし、小銭位は引き出して使ったりしているのだが、あんまり買い物してない事にシンは気付く。だから、今一この世界における金銭感覚のようなものをあまり理解できずにいるのだ。ヴァイス辺りがもっと給料増えないか、と愚痴ってるのもシンには何処か他人事のように聞こえていたのを思い出す。

 

「とりあえず、今日はここらへんでお開きといこか。さっきも言ったようにこれから会議もあるし。」
「……となると、俺はこれからどうすればいいんですか?」
「シンは昨日の戦闘に関しての報告書の作成と、後はヴィヴィオのこと見といて。シャーリーの方はまた追ってあの子から連絡行くと思うから。あ、後ついでになのはちゃんに会ったら出来るだけ早くこっちに来るよう言っといてくれる?」

 

 言われた通りにするべきだろう。先ほどの言が正しいのならば、はやては今から六課の後ろ盾。つまり自分たちの上司と会議とのことらしい。自分の行動が関わるかどうかは判らないが、もういい、気にするな、と言ってくれているのを蒸し返すのも不義理な話だと思った。
 了解、とシンは頷き、背筋を正して敬礼をしてから部屋から出た。

 
 
 
 
 

「……意外よね。」
「何が?」

 

 カタカタと手元のコンソールを操作し、珍しく事務仕事に従事しながらティアナが呟いた。
 その声に反応したのは彼女の相方でもあるスバルだった。ティアナと同じように仕事をしているのだがこちらは先ほどから度々首を捻ったりしているので、作業効率はそれほど良く無さそうだった。
 
「ん、ああ、シンがね。まさかあんなに子供の扱い上手かったなんてね、って。」
「あー、そうだよねぇ。あの子、ヴィヴィオだっけ? なのはさんから離れて泣いてたのにすぐに泣き止んだもんね。」

 

 先ほどの出来事を思い出してスバルも納得したように頷く。
 会議に出なくてはいけないなのはと離れたくない、と先日保護した少女がぐずりだしスバルやティアナはもちろん、ヴィヴィオが懐いているなのはですら持て余し気味だったのだ。
 そこに現れたのがなのはが遅いので様子を見に来たフェイトと、はやてに報告を行っていたらしいシンだった。
 ヴィヴィオが泣いているのを見るや否や駆け寄ってなのはと二人であやす様は……

 

「何ていうか、夫婦?」
「……なんか否定出来ない所が怖いよね。」

 

 脳内に再生された風景にティアナがぼそりと呟き、スバルが賛同する。
 しかもシンが来た直後、自分たちやなのはがあれだけ苦戦していたヴィヴィオがすぐ泣き止んだのだ。その手際は熟練のそれを思わせた。
 そのシンは今はエリオ、キャロの二人とヴィヴィオの相手をしているはずだった。
 因みに、彼等がするはずだった仕事はそのままスバルとティアナに回されてきており、だからこそスバルは先ほどから頭を抱えているのだが。
 
「シン……か。ホント、あたし達アイツのこと全然知らないのよね。」

 

 出会った頃に比べると自分の事を話してくれるようになったと思う。
 少なくともティアナ達が無茶をしてなのは相手に立ち回ったあの日から、シンもまた雰囲気が変ったように彼女達は感じていた。
 それが何を原因としたものかまでは知りようが無かったが。

 

「ハイネさんはシンの事知ってたんだよね?」
「らしいわね。元々同じ世界の出身らしいし。」

 

 ふと、気付いたようにハイネの名をスバルが口にする。彼女は六課の中では恐らくハイネと一番長い付き合いがあったはずなのだが、そのスバルもシンと彼が知り合いだったという事は知らなかった。

 

「シンってさ、凄かったらしいんだね、前の世界で。」

 

 そのハイネが言っていた事を思い出し、スバル。
 彼が言ったシンのかつての戦績は彼女たちには半分も理解できないものだったが、それでもなんとなく理解は出来ていた。
 あの後――――シンがヘリを襲った砲撃を防ぎきった後――――ティアナはハイネに聞いたのだ。
 つまり、何故そんな誇るべき功績をシンは自分たちに話そうとしなかったのか、と。
 それに対するハイネの答えはこうだった。

 

『俺達は戦争してたんだよ。理解出来ないか? 俺達がしてたのは戦争だったんだ。
 そこでエースと呼ばれることがどういう事か、本当に理解出来ないか?
 ここは……平和な世界だよ。だからこそ向こうでしてきた事が重くのしかかることがあるのさ。
 まあ、お前さんらがあいつの仲間であり続けるなら詳しいことはその内あいつの口から聞けるだろ。それまで気長に待ってやれって。』

 

 彼がどの様な心境でそれを口にしたのか、その場にいた彼女たちにも果たして理解には及ばなかった。
 ただ、そう言ってから肩を竦めて何処か遠くを見るように空を仰いだハイネの横顔が、その声が記憶に焼きついて今も離れずいる。
 それを改めて思い出しティアナはむぅと眉根をよせ、スバルは小首を傾げた。
 
「戦争、ね。知識としてはもちろんあるけど、ピンと来ないのよね。」

 

 溜息を一つ、ティアナが口を開く。
 シンがそれを体験していた事は聞いていた。思い出してみるまでも無く、ティアナが以前無茶な訓練を重ね、出場待機から外された際のシンの言葉もそういった経験から来る物だろうな、とその後エリオ達から話を聞いたときに感じたのだ。
 日常的に命のやり取りを繰り返す生活。いや、それを言えば今の自分たちもそうなのだが、しかしやはりシンやハイネのそれとは決定的に違う点がある事を、彼女はなんとなくではあるが理解をしていた。

 

「やっぱりさ、戦争って言うと……戦ってた相手は、その、人なんだよね?」

 

 それである。自分たちが今主に相手にしているのはガジェットと呼称される機動兵器、詰まる所ただの機械。鋼。鉄の塊。
 そして人間を相手にするにしても非殺傷設定と呼ばれる、攻撃を仕掛けてもそれ自体ではまず死に至らないリミッターの様な物を常時使用している。
 しかし、シン達の世界にはそんな物は無かったのだろう。そもそも魔法に関する技術そのものが無かったと聞いている。そしてそれがどういう意味か理解しての、少し言葉を濁らせたスバルの一言であった。

 

「でしょうね。その中でエースって言われてたって事は……」

 

 タン、と小気味いい音と共にコンソールを叩いていたティアナの手が止まる。スバルに至ってはとうの昔に作業が中断しているようだった。不安そうにティアナの方に視線を送っている。
 今、彼女達が居るのは机仕事をする為のスペースで、他にもたくさんの課員が仕事をしておりそれなりの騒がしさを持っていたが……
 ティアナとスバルの居るこの場所だけ、重苦しさすら伴う沈黙の帳が下りていた。

 

「なにぼけっとしてんだよ?」

 

 それを破ったのは背後から彼女たちに掛かった声だった。話題の渦中の、ここに居るはずのない人物の声。びくりと二人揃って背筋を震わして恐る恐る振り向いたティアナ達を声の主、シン・アスカは訝しむように見ていた。

 

「何なんだよ?」
「ううん! な、何でも無いって! ねえ、ティア?」
「ええ、まあ。ってかなんでアンタがここにいるのよ。あの子、ヴィヴィオの世話してるんじゃなかったの?」

 

 少しだけ不機嫌そうに表情を歪ませたシンに慌ててスバルが声をあげ、ティアナがそれをフォローする。
 そうか? と何処か納得していない様子を見せながらもシンはティアナの問いに答えた。

 

「今は寝てるよ。俺が行くまでに結構泣いてたんだろ? 泣くってのは結構体力使うらしいからな、後1時間位はぐっすりの筈だ。
 んで、その間に作業用の携帯端末取りに来たんだ。お前らにばっか任したら悪いだろ。」

 

 ヴィヴィオの寝顔でも思い出したのだろうか、ふっとシンの表情が和らいだ。
 
「泣き止ましたのもそうだけど、シンってよくそんなことわかるね。」
「ん? ああ、妹いたんだ俺。親が共働きだったからな、物心つく頃かちょっと前くらいからマユの世話は俺の仕事だったし。
 あれ位の子供の面倒見るのは慣れてるんだよ。」

 

 言ってから過去を懐かしむように少し視線を上に向けたシンを見て、ティアナは軽く息を吐いて、肩から力を抜いた。先ほどから感じていた緊張が和らいでいくのを確かに彼女はかんじていた。彼女が横目で確認するとスバルも同様だった様で、シンが現れてから、いやその少し前から緊張に強張っていた表情が柔らかくなっていた。
 視線が合った。アイコンタクト。互いに感じている事がほぼ同じであることを確認してからティアナは口を開いた。

 

「あのさ、シン。昨日、ハイネさんからシンの昔の事ちょっと聞かせてもらったの。」

 

 彼女達のすぐ横の自分の作業スペースの上に乱雑に積まれた物の中から目的の物を探していたシンは、その言葉に動きを止めた。
 脳裏に浮かぶのは今までに自分が行ってきた所業。破壊して薙ぎ払って敵を殺し続けた日々。
 自分の手が血に塗れているという事実。
 シンはしばし瞑目して、一息。

 

「……ハイネにって事はあっち関連の話、だよな?」
「うん。ハイネさんはこういう所で嘘吐かない人だと思うから……あの人との付き合いも結構長いからねー、なんとなくわかるんだ。」

 

 シンの疑問に今度はスバルが答える。何故スバルがハイネと以前から付き合いがあるのかはシンには及び知れない所ではあったが今は関係ない話だった。
 そして嘘ではないと感じ、それでも直接尋ねるのはその事実を信じたくなかっただからだろうか。
 だが、恐らくハイネが何を言ったか知らないがそれは事実なのだろうとシンは感じた。軍人として自分が積み重ねてきた行いなのだから。この世界では忌避される人殺しという業。
 だとしたら今から自分が言う事は彼女達に失望を与えるのだろう。いや、恐怖かもしれないし両方の可能性もある。シンはそう考えて口を開いた。

 

「そっか。何処まで聞いたかは知らないけどな。
 多分、あの人が言った事は間違いじゃない。俺は……」
「ストップ。」

 

 ティアナが片手を上げてそれを遮った。

 

「こんな事聞いといてどうなんだ、って自分でも思うけどね。別にあんたが昔の事を喋りたくないって言うならそれであたし達はいいの。」
「いや、え? ちょっと待てよ。それじゃなんで……」

 

 困惑するシン。そのシンにスバルが声を掛ける。

 

「シンがさ、ここに来るまでどんな事してきたとしてもあたし達の仲間には変わりないからさ。
 少なくともあたしとティアはそう思ってる。シンにとっては違う?」
「い、いや、違わない、けど……でも、その……いいのか? 俺は、俺のことが怖かったりとか無いのか?」

 

 首を傾げるスバルにシンはしどろもどろになりながらも答える。

 

「無いわよ。ってかあんな風に子供あやせる人間をどうしたら怖がることが出来るんだか。」

 

 ティアナがここで一旦言葉を切る。少しかぶりを振ってからシンに対して向き直り改まって言葉をつむいだ。

 

「あのさ、シンが前居た世界でどんな事してたのかってのはそりゃ興味はあるけどね。軍に居たってのは聞いてるし。でもだからってあんたがここに来てからやってきた事の評価は変らないわよ。」
「そうそう。シンはあたし達の仲間。ティアがこんな事聞いたのはそれが言いたかったからだよね。
 ハイネさんからもシンから言おうとするまで触れてやるなって言われてるし。ただ、ハイネさんからそういう事聞いたって言うのを伝えておきたかったんだ。」

 

 ティアナに便乗してスバルもシンにそう言った。
 シンはと言うと驚きを隠せずにいた。戦争とは言え多くの人命を奪ってきている。その事実はこの世界出身の二人などには忌避すべき事柄だと思っていたからだ。
 シン自身はこの事実に関して開き直っているわけでも無いが、今朝のなのはとヴィヴィオとの一件等もあり、それでも為すべきことを為す。と考えていたのだが、しかしこうしてスバルやティアナにこの様に言われると戸惑いながらも嬉しく思った。
 胸の辺りまで持ち上げた右手をぐっと握り締めながら口を開く。

 

「……ん、わかった。悪いな、なんか気を使わせたみたいで。」
「別にいいわよ。ま、気が向いたら話してくれると嬉しいけどね。ああ、でもあんたもスバルからあたしの話聞いたらしいし、これでお相子ってことで。」
「了解だ。まあ、一つだけ。今日わかったことがあるからさ、一つだけ聞いて欲しい。」

 

 スバルとティアナ、その二人に向き直る。己の胸に押し当てた右手になのはとヴィヴィオの手の暖かさを感じる。この手には出来ることがある。それを改めて理解したのだ。
 じっとシンを見つめる二人に対して、自分を仲間と呼んでくれた彼女らに対して、それを伝えておきたいと思った。
 
「俺は、もうわかってると思うけど戦争してて、この手は沢山の血を、自分のも、敵のも流してきてさ。守る為だった。やらないとやられてた。色々理由はあるけど、それでもこの手が血に濡れてるのは変らないんだ。」

 

 ここで、一拍。一度呼気をもらし、そして自分を落ち着けるために小さく息を吸った。

 

「でもさ、今日。俺、一つだけ、改めてわかった事がある。こんな手でも誰かを守れるし、そう望んでくれる人たちがいる。
 だから俺はこれからもここで戦うと思う。……それで、えっと……」

 

 ここまで一気に話してから急にシンは口ごもった。もごもごと口の中を動かし、あー……だとかえー……だとかを繰り返す。心なしかその頬は朱に染まっていて、それを見ている二人に彼が何故か恥ずかしがっている事を知らせた。

 

「だから、何?」

 

 スバルが聞き返す。

 

「その、だからだな。……ああもう! とりあえず、こんな俺だけどこれからもよろしくって言いたかったんだよ!!」

 

 そう叫んでシンは自分の机に突っ伏しながら己の頭を両手で掻き毟った。なんというかよろしくない。いや、よろしくと言いたかったのだけどもよろしくない。なんでこんな事で自分は恥ずかしがっているのか理解出来なかったが、シンは不思議な気恥ずかしさを感じていた。
 スバルとティアナ、二人の同僚の呆れた様な視線が背中に突き刺さるのを感じ、余計に頭を抱えたくなってくる。
 
「なにやってんだか……ああ、そうだ。じゃ、こっちからも一つ聞きたいことがあるんだけどいい?」
「……なんだよ?」
「いやね、前あんたがヴィータ副隊長と模擬戦した時からずっと気になってたんだけどさ。」
「ああ、ティア。アレのこと?」

 

 ヴィータとの模擬戦と言われてシンが思い出すのは大体一週間と少し程前のことであった。あの後、既にスバルやティアナ、それにキャロにエリオはシンが模擬戦を終えた時点で彼らの訓練に移っていた。なので自分がヴィータと戦っている間にこの4人が何をしていたかシンは知らない。
 ただ……

 

(あの時、部隊長いたよな確か……)

 

 机に上半身を預けたままシンは考える。
 偶々、ではある。珍しいとは言え六課を率いる彼女がその主戦力たるフォワード陣の訓練を覗きに来る事はあったし、それ自体はさほどおかしいことではない。
 だが、ただ一つ。彼女が来ていた時の事を指して”アレ”とスバルとティアナが言うのにシンは体の芯から震え上がるような、そんな悪寒を感じた。

 

「何だよ、アレって?」

 

 恐る恐る、と言った風に聞き返してみることにした。

 

「えっとねぇ……ほら、今もシンが言ったんだけど……」
「……けど?」

 

 嫌な予感とは往々にして当たるものだ。そんな言葉を思い出しながらシンは一度言葉を切ったスバルにオウム返しの様に聞き返した。

 

「シンの守りたい人って誰なのかなぁ……って。」

 

 

 
 
 
 
 
 

「……ふぅ。」

 

 ばしゃばしゃと洗面台の蛇口から溢れ出る水をぼんやりと眺めながら少年は人知れず溜息を吐いた。本来なら今は彼の相棒と、昨日保護した少女の様子を見ているはずだったのだが、その少女がぐっすりと寝ていることもあり、彼がこうして用を足す時間位はあった。
 その口から呼気と共に洩れた音は何時もの彼からすると陰鬱なもので、その原因をなんとなく彼は理解していた。心の中に出来たしこりの様なもの。それが彼の気分を悪くしている一因なのは間違いなかった。
 全ての始まりは先日の戦闘。その中で合間見えたあの紫の長い髪が印象的な少女にあった。彼女が自分に対して言った『あなたにはきっと理解できない』という言葉。確かにその通りかもしれないと思った。何も知らない。聞いてもその一言で先の言葉を潰された以上知りようがなかった。だが、それでも分かる事が一つだけあった。

 

「僕は……あの瞳を、あの目を知っている。」

 

 直感的な物だった。何故そう感じたのか、自分でも理由ははっきりとしない。ただ、間違いは無いと思った。あの、他人を寄せ付けようとしない、まわりに対する絶望を通り越して失望にまで至った視線。それを彼――――エリオ・モンディアル――――は知っていた。何処で見たのだろうか。よくわからない。ただ知っている。
 これ以上考えても仕方ないと考え、彼はのろのろと手を蛇口についている取っ手に置き、捻り上げた。キュッという金属が擦れる音と共に開放口を閉められたため、勢いよく出ていた水はその流れを止めた。蛇口に残った水が水滴になってぽたりと洗面台に落ちる。
 エリオが俯けていた顔を上げると、必然的に備え付けられている鏡を覗く形になった。その鏡越しに見た自分の表情は……ひどい物だった。戦闘の興奮や、色々と考える事もあり昨日あまり寝れなかったからだろうか。余りに精彩を欠いたその顔を見てやっぱり顔でも洗おうか、と思った、その瞬間。
 激しい既視感に襲われた。それが何か思考でなく感覚で理解する。同時に先ほどまで自分の心にあったしこりの様なものの正体がわかった。何故、彼女の目を見たことがあると感じたのか、それの答えを理由をどうしようもなく理解した。させられた。

 

「そう……か。」

 

 他人の言葉を信用しようとせず。

 

「知ってるはずだよ。」

 

 全てを冷めた目で見つめ続け。

 

「アレは……」

 

 全てを諦めている振りをしながら、その実何も諦めることを出来ないでいる。諦める事が出来ずに過去にしがみついている。

 

「昔の、僕なんだ。」

 

 勿論、全く同じというわけでは無いだろう。彼女は彼女の意思に従ってあのような行動を取っているように思える。ただ、あの時向けられた視線がどうにも気になったのはまさにかつての自分の周りを見る目と同じに感じられたからだった。
 喉に突っかかっていた魚の骨が取れたような気分だった。何故、あの視線が自分の心をざわめかせていたのか、その答えがわかった。
 フェイトに出会う前。自分がエリオ・モンディアルのコピー=クローンだと知り、施設にいた頃の自分。
 誰よりも近しい親という存在に裏切られた。エリオがクローンだと露見した時、泣き叫びながら連れて行かれる彼をただ諦観したように眺めていた両親。
 その所為で施設に入れられる頃には当然の様に人間不信に陥っていた。両親の事もあったし、その施設の人間は彼を人と認めているようには見えなかった。別に何かの実験に使われたりしたわけでは無いのだが、それでも彼等が自分の事を人として認識していたかと問われれば、エリオは今でもNOと答えるだろう。中には友好的な態度を示してくれる研究者もいたが、そうであろうと無かろうと。有象無象の差別無く。エリオは彼らに対して興味を抱くことも無く、ただただ拒絶を続けるだけだった。
 そして、それこそが答えだった。

 

(どうすれば、いいんだろう?)

 

 トイレから出たエリオは頭を悩ませながら緩慢な動きでキャロ達が待つ部屋へと向かおうとした。

 

「あいつら……根掘り葉掘り色々聞きやがって。そんな楽しいもんじゃないと思うんだけどな。」
『いえいえ、マスター。あの年頃の女性にとってそういった噂話は甘味所のそれより甘美でスィーツなどよりも興味深い物だと聞きますよ。……まあ、出典はゲームなので私としても判然としかねますが。』

 

 ふと、自分の前方から聞き慣れた声が聞こえてきた。二つ聞こえる声のうち一つはエリオと同室のシンのもので、もう一つは合成音声として放たれているインパルスのものだった。

 

「そういうもんかな。……って、待て。インパルス、今ゲームって言ったか?」
『……………………気のせいでしょう。時にマスター。根掘り葉掘りって言葉はおかしいと思うんですよ。根は掘ったら出てきますが葉っぱは掘ったら破れちゃいますよね、常識的に考えて。』
「いやいやいやいや。言ったよね。お前、今はっきりとゲームが出典って言ったよね? あと、そんな揚げ足取りして楽しいか?」
『何の事でしょうかね。さあ、そんな事よりも早くヴィヴィオ嬢の元に戻らないと。起きたときまたマスターが居ないとぐずると思われますが。因みに凄く楽しいです。』
「……納得いかねえ。まあ、いいか。とりあえずさっさと戻ろう。……っとそうだ、インパルス?」
『何でしょうか?』
「無くなったコレクションの中で一番痛かったのはどんなタイトルだったんだ?」
『もちろん<壱~shining season>に決まって……あ゛』
「……へぇ。さて、シャーリーさんに頼んでお前のデータ領域覗くかな~。まだ残ってるんだろ?」
『な、なななななんの、事でっ、しょうね。し、知りませんとも。ええ、そんな古き良きギャルゲーの事なんて私は知りませんよ?』
「……お前、自ら暴露してどうするんだ? それよかよりにもよってそっちのゲームかよ。」
『ああ、しまった!? 計りましたね、マスター! しかしこちらもこれ以上消される訳にはいかんのですよ! ある意味形見でもありますし! 大体、私に人生とか別れと再会とかを教えてくれたゲームを既に消していると言うのに、これ以上奪われて堪りますか!』
「おーい、何勝手に暴走してるんだお前。語るに堕ちたというか、なんと言うか……キャラ変わってないか?」

 

 やいのやいのと少し離れた場所に居るエリオでさえしっかりと聞き取れたシンとインパルスのやり取り。

 

(相変わらずだなあ……)

 

 シンと同室という環境もあってかこの二人(正確には一人と一機?)のとてもデバイスと魔導師の会話に聞こえてこない、どちらかと言えば友人同士のそれに近い、にも慣れていた。
 今回は何を言っているのか今一エリオにはわからなかったが、シン等は悪態をつきながらも心底この会話を嫌がってる感じはしなかった。
 エリオ・モンディアルにとって出会ってまだ数ヶ月とはいえ、シン・アスカという存在は大分大きなものになっていた。年下でまだ子供だからだろうか、なんだかんだで自分やキャロには気を使ってくれるし、エリオからすれば少し年の離れた兄のように感じていた。フェイトに対するそれとはまた違った形ではあるものの、エリオは十分にシンを信頼している。

 

「あの……シンさん!」

 

 だから、今の様にどうすればいいか判らない。そんな悩みを抱えてる彼が、ほぼ無意識にシンの名前を呼ぶのも無理も無いことだった。自分には出せない答えを教えてくれるのではないか、そんな期待を抱きながら。

 
 

「今の声は……エリオ?」

 

 後ろから聞こえた声に振り返るとそこにはエリオがいた。ヴィヴィオの世話を頼んでいたのだが、何かあって外に出ていたのだろうか。どちらにせよ、ヴィヴィオ自体はまだぐっすりの筈だろうし、まだキャロも居るので構わないか、とシンは判断する。

 

「どうしたんだ? トイレでもいってたのか?」

 

 その問いに対してエリオは少し躊躇いがちに頷いた。シンはその反応を見て少し違和感を感じる。

 

(……やっぱり、様子が変だよな。)

 

 気付いたのは少し前、ヴィヴィオの世話を三人でしていた時だった。何時もより精彩に欠けるような表情をしており、また少し動きが気だるげに見えたのだ。その時は昨日の戦闘の疲れが取れていないのかとも思ったが、どうもそんな雰囲気ではない。
 元々、このエリオと言う少年は、年齢に不相応なほど周りに気を使っていることをシンはなんとなく理解していた。精神年齢が高いとも言うが、しかしだからこそ自分のうちに溜め込みやすい性質だとも。
 ただ、こちらから聞いたところで素直に言葉にしてくれるだろうか、とも思う。何度も繰り返すことになるがエリオという少年は自分の事が周りの負担になる事を嫌うのだ。
 そんな事をシンが考えていると、

 

「あのっ……!」

 

 エリオがもう一度声を上げた。視線が合う。その瞳が言外に伝えてくるのは不安、戸惑い……そして迷い。

 

「どうしたんだ?」
「いえ、その……えっと……」

 

 聞き返すとごにょごにょとして中々先を言おうとしない。どうしたのものか、とシンは思いながらも、それでも無理に先を促したりすることはしなかった。
 暫くの間、視線を彷徨わせたりしていたエリオが顔を上げる。

 

「相談、したいことがあるんです。」

 

 その言葉にシンは少しばかり目を見張る。当然、驚いたからである。そして同時に一種の優越感にも似た感情さえ覚えた。近しい知り合いに頼られて嬉しくないと思うような人間ではないのだ。
 だが、気付く。エリオの表情に浮かんでいるのはシンが思っていたよりもよっぽど深刻なものだということに。

 

「時間、かかりそうか?」
「…………わかりません。別に後でも……って、シンさん? 何を?」

 

 しばし逡巡して先送りにしようとするエリオを見て、シンは行動を起こす事にした。今、エリオは自分に伝えたい事がある。それを切り出そうとするだけで、かなりきつかったに違いないと、シンは知っている。そういう子なのだ。
 デバイスに備えられている通信機能。それを開き、登録されている相手へと繋ぐ。

 

「ああ、キャロ? ヴィヴィオ、まだ寝てるよな? うん、ちょっとエリオと俺、戻るの遅くなりそうだけど大丈夫かな? 悪い、出来るだけ早く戻るから、もし起きたらすぐに連絡してくれ。光より速くそっち行くから。」

 

 エリオの躊躇うような問い掛けに答えるよりも早くキャロと通信を開き、シンは遅れることをキャロに伝えた。キャロもエリオの様子が少しおかしい、と気付いていたらしく快諾してもらう事が出来た。『エリオ君をお願いします。』の一言と共に。

 

「えっと……」
「これでよし、と。それじゃ、場所変えるか。俺が何かの力になれるかはわからないけどさ。誰かに言うだけでも楽になると思うぞ?」

 

 キャロからの期待。また、自分自身が感じるこの年下の少年に対して何かしてやりたいという思い。それらを噛み締めながらシンはまだ戸惑いを隠せずにいるエリオにそう言って笑いかけた。

 
 
 
 

「……以上です。僕は……どうしたらいいんだろう。」

 

 そう言ってエリオはそれ以上口を開こうとせず、先日シンとハイネと使った安物のソファに瀬を預けながら手に持つ砂糖とミルクたっぷりのコーヒーが入った紙コップに口をつけた。
 エリオが語ったのは彼が昨日から今までずっと考え続けていたこと。今、彼とシンがいる談話室についてから、ポツリポツリと、少し支離滅裂になったり整理が出来ていない部分もあったが、それらをシンはじっくりと聞いた。もうここに来て30分近くなる。話す前に淹れたコーヒーは既に冷めていたが構わず口にした。普段以上に苦く、そして心地の悪い味だと感じたのは温かったからか、エリオの話を聞いて思う所があったからだろうか。そのどちらも正解だろう、と感じながらまだ半分近く残っているコーヒーをシンは一気に煽る様に飲み干した。
 敵である少女――――シンはその姿を目撃していない――――がどうしても気になる。エリオの言ったことを一言に集約するならこうなるだろう。
 どうしたらいいかわからない。この最後の一言はエリオが自分自身に投げかけた言葉であると共に、恐らくは一種の懇願であり、それは自分に向けられたものだとシンは気付いていた。わからないから、誰か=シンに道を示して欲しい、と。
 
(俺に……そんなことが出来るのか?)

 

 ふとそんな不安が首をもたげる。仮に何か方法を、これからのエリオの選ぶ道を提示出来たとして、それが正しいと誰がわかるのだ、とも。
 わかっている。理解している。こう思ってしまうのは、重なっているのは敵だという点だけだとしても、どうしてもステラとの一件と被って感じるからだと。シンは理解していた。だからこそ答えに悩む。
 ……自分は、ステラを救えなかったのだから。

 

「エリオは……その子をどうしたいんだ?」
「わかり、ません。僕は、どうしたらいいのか。何が正しいのかっ。だって、あの子は敵で! でも、あれは、僕なんだ! 昔の、クローンだってばれて捨てられた!」

 

 シンの問いにエリオは徐々に声を荒げながら心情を吐き出した。先ほどまでの淡々としたものではない。心の奥底から来る、叫び。その手に持った紙コップがくしゃりと潰れる。
 その中の一部にシンは目を見開く。目の前の少年がクローンだということ。自分の友と同じように、造られた命だということ。驚きながらも何処かで納得は出来た。初めてレイの事を話してから、度々エリオが彼の事を聞きたがったのは、そういうことだったのだ。
 シンはそれについて聞こうとして、止めた。今はそんな状況ではないし、エリオの言葉に水を差したくなかったというのもある。

 

「わからないんですっ。僕は、僕みたいな人を助けるためにここにいるのに! フェイトさんがしてくれたように、僕も誰かを救うんだって、そう思って、そのために強くなったのに……!」

 

 エリオの言葉は止まらない。堰を切ったダムのように心情の吐露は続く。その瞳にはいつの間にか涙さえも浮かんでいて、昨夜あまり眠れなかったのだろうかその下には小さくない隈が出来ていた。

 

「お願いします……っ。教えて、ください。僕には、もうどうしたらいいかわからない。
 ……お願い、教えて……」

 

 どんどんと語勢は小さくなっていき、最後にはかすれる様な声と、ぽたぽたと、雫の落ちる音が横から聞こえる。
 恐らくはエリオは答えを出しているとシンは感じていた。エリオ自身が気付いているかどうかはわからない。無意識のうちに、という可能性もある。
 ただ、だからこそこれほど悩んでいるのだろう、と思う。
 敵だから、救えない。自分は管理局員だから、犯罪者を救うことが出来ない。でも、叶うなら助けたい。それが、それこそが原点だから。
 それを今言ってやることはきっと出来る。それが正しいかはともかくとして。そうすればエリオは躊躇いは消えないだろうが、その道を選べる。
 シンは、エリオの首に左腕を回し、抱き寄せた。自分の胸に少年の額が押し当てられるのを感じながらシンは呟いた。

 

「なあ、エリオ。」
「……はい。」
「俺が、ここで答える事は出来ると思う。俺も似たような経験、あるからさ。」
「じゃあ……!」
「でもな?」

 

 エリオの言葉を遮ってシンは続けた。

 

「多分、俺もよくわからないけど。きっとこれはお前が自分で答えを探さないといけないと、そう思う。」
「そう、ですか……」

 

 少し落胆したような響きが返って来る。それもそうだ、とシンは思った。エリオの望む答えとは違うのだからこれは仕方ないとも。

 

「今、俺がしてやれる事はこうやって話を聞くくらいだ。でも、俺はお前がそうやって出した答えを全力で支持してやる。俺の出来る限りでお前を手伝う。」

 

 例えそれが大勢に逆らう物だったとしても、と言外に忍ばせて。

 

「だからな、焦らなくていい。俺のじゃない、お前の答えを探して欲しいんだ。」

 

 伝えた。伝えるべきと思ったことは全て。
 エリオから返事はまだ返ってこない。焦らなくていいとは言った物のどれだけの時間があるのか、またエリオの言う少女とまた出会えるのかもわからない。そして会えたとしてもそれは恐らく戦いの場のはずだ。
 それが何時になるのかなんてわからない。ただ、シンが思うのは……

 

「それと、これは俺からのお願いだ。」
「……僕に、お願い?」

 

 今度は返事が返ってくる。それに少し安心しながらシンは続けた。

 

「そうだ。頼みって言った方がいいかもな。ま、どっちでもいいか。
 なあ、エリオ。約束してくれ。」

 

 今から自分が言うのは、きっと押し付けなのだろう。自分の過去の押し付け。情けなく、みっともない話だと。

 

「仮の話だ。もし、もしもその子を助けるって決めたら……お前は、俺みたいにならないでくれ。」
「……それって、どういうことですか?」

 

 エリオの顔が上を見上げるようにシンを見た。疑問を孕んだ視線を向けられ、シンは一つ息を入れる。
 ――――そうだよな、ちゃんと言わないと、伝わらないよな。

 

「……俺はさ、一度……じゃないな。一杯失敗してるから。守りたいって、守るって決めた子を、死なせちゃったから。
 その子は俺の所属してる組織と敵対してる組織の一員で。でも、彼女自身の意思で戦ってたわけじゃなかったんだ……利用、されていた。」

 

 エリオの感じた部分を聞くに、その少女は自分の意思で動いている。
 だから、ステラとエリオの言う女の子とは話が違うのだろうとシンは思う。ただ、少し、似ているなとも感じたのだ。
 死なせた、と言った所でエリオの肩に力が入ったのを感じたが、シンは続けた。

 

「俺は、救えなかった。あと少しで説得できた。でも、救えなかったんだ。
 もし、あそこでフリーダムが乱入してなかったら。もし、あの時ステラを返さなかったら。……もし、あの子と出会わなかったら。」
「シンさん……」

 

 心配げなその声にシンは苦笑した。これでは立場が逆ではないか、と。慰められてどうするのだ。
 くしゃりと、包帯に覗く右手でエリオの前髪を潰した。

 

「なんて今でも考えるんだけどな。でも、やっぱこれ意味無いんだ。虚しいだけだから。
 だから、お前は俺の様になるな。どんな選択をしてもいい。それはお前が選んだ答えなんだ。」

 

 ただ、と思う。
 この少年に、自分を慕ってくれている少年に。あんな思いをさせたくない。

 

「ただ、俺みたいにならないでくれ。……頼む。」
「僕は……」

 

 エリオは悩んでいる様だった。当然だろう。唐突にこんな事を頼まれても、困るだけだ。
 元々悩みを抱えていたのを更に重くしただけかもしれない。
 これは自分の我侭だと、理解はしていたが、しかし言わずにいれなかった。

 

「無理に答えなくてもいい。ただ、覚えていて欲しいんだ……悪いな、こんな事、いきなり言って。
 結局ちゃんと相談にものれたか怪しいし……」
「そんな、そんなことないですっ。だって、話聞いてくれて、それにちゃんと答えてくれたじゃないですか! 僕は、今日、こうやってシンさんと話せて良かったって、思ってます!」

 

 シンが不意にこぼした言葉をエリオは強く否定する。
 ここまで来て自分に気を遣ってるのだろうか、と一瞬感じるがシンはそれは違うな、と思い直した。

 

「ったく、お前って奴は。とりあえず、俺みたいなんでいいなら幾らでも話聞いてやるから、あんまり溜め込むなよ?」
「はい。その、ありがとうございました。」

 

 気にすんな、とエリオに言ってシンは立ち上がった。肩を回し、軽く伸びをする。しばらく座っていたため凝り固まった体に気持ちが良かった。
 そうしながら同じように立ち上がったエリオの表情を確かめる。先ほど廊下で見たそれより大分とスッキリしているように思う。少しでも気が楽になったなら、今こうやって話す事が出来た甲斐があったというものだ。

 

「っと、エリオ。戻る前にトイレ行って顔洗ってこいよ。」
「え?」

 

 聞き返すエリオにシンは自分の右目を指差して

 

「目、赤くなってるぞ。キャロにそんなとこ、見られたくないだろ? 待ってるからさ。」
「ほ、ほんとですか? ……行ってきます!」

 

 確かめるように目の辺りをぺたぺたと触ってから、恥ずかしさからか少し顔を赤くしたエリオは慌てて駆けて行った。泣いていた事に今気付いたのだろう。

 

『マスター?』
「ん、なんだ?」

 

 その背中を見守るように眺めていたシンに声がかかる。胸のバッジが淡く赤い光を放っていた。

 

『不安に思いますか?』
「……まあ、な。」

 

 相変わらずこういう時は直球で聞いてくる奴だ、と心中でぼやきながらシンは相棒の声に答えた。

 

『では、一つ助言を。いいですか、マスター。彼はあなたとは違います。また、同様に彼の言う少女はあなたが救えなかったエクステンデッドの少女とは、違います。』
「っ……。そんな事、言われなくてもわかってる。」
『いいえ、違います。私が言おうとしている事をあなたはもうわかっているとは思いますが、それでももう一度言わせて頂きます。』

 

 シンはデバイスの言葉の先を待った。この相棒が今の自分に何を言うか、気になったからだ。

 

『彼はあなたではない。今の彼にあってあの時のシン・アスカに無かったモノ。それが何か、わかるでしょう?』

 

 ああ、そういうことか、とシンは相槌をうった。それなら、一応分っている。その為の行動を起こす事も、今決めたばかりだ。

 

「ああ。そうだな。あの時の俺には今の俺が居なくて、今のエリオには俺が居る。他にも沢山仲間も居る。」

 

 ――――俺のようには、俺がさせない。絶対に。

 

『そうです。とりあえずは彼の解答待ちですが、動いて損は無いでしょう。私も可能な限り協力をします。』
「そうか……サンキュ。ありがとうな。」

 

 シンの礼にいいえ、と答えたきり、それ以上インパルスは何か言うことをしなかった。
 何が出来るか、なんてまだわからなかったがそれはこれから考えればいい。ただ、今は。

 

(なあ、レイ。俺、あの時のお前みたいに出来るかな? アイツを助けてやりたいって思うんだ。
 お前と似た境遇で、俺に似た状況になってしまってるエリオのこと。
 他にもやらなきゃいけない事沢山あるけど、これは見逃せないよな?)

 

 心の中で友に語りかける。当然、返事は無かった。ただ、そう思うのに呼応するように胸のバッジが光を放った。
 その光が温かく感じて、それが何故か、友の答えの様に思えて。シンは天を仰ぐように上を向いた。