F.A.T.E._プロローグ

Last-modified: 2007-11-17 (土) 18:38:13

 都心部より少し離れた場所に、そこはあった。
 近代的な建物といえばある大企業の研究施設ぐらいで、豊かな自然を残す長閑な地方都市。
 その一角、小高い丘に一軒家が佇んでいた。
 時折、少女の明るい声が壁を抜けて外にまで漏れ聞こえてしまっている。
「ねえねえ、今度はこれで遊ぼうよぉ!」
 家の中では、金色の髪がよく似合う五歳ばかりの少女が、小さな両手でボールを掲げながら黒髪の少年に詰め寄っていた。
「アリシア……少し休憩にしないか?流石に四時間続けてはきついし……そうだ、昼食もまだだった。アリシア、先にご飯を食べてしまおう」
「いーや。お腹空いてないもん」
 年の頃十五、六の少年が疲労しているのも関わらず、アリシアは未だ体力を残しているようだ。
「うーん、せめて昼食を食べさせてくれ。朝も食べてないんだし、な?」
「うう……シンお兄ちゃん、そんなにお腹空いた?」
 少年、シンは頭を縦に振りながら、傍のソファーに腰を下ろす。
 ソファーはシンの体を優しく受け止めるようにその形状を変える。
 その柔らかすぎず、硬すぎず、使用者に適した形を取るソファーは、どう見ても一般家庭では買うことは難しい、いわゆる高級品にあたるものだ。
 ソファーだけではない、この家の家具調度品全てが高級品だ。
「ふう、いつ来てもこの家は贅沢だなぁ」
 シンは全身の力を抜くと、だらしない表情で動きを止める。
「うーん……あ!そうだ!シンお兄ちゃん!一緒にお昼ご飯作ろうよ!」
 数十秒の沈黙の後、アリシアは良い事を閃いたとばかりに手を叩く。

 少しの間、アリシアはシンの反応を待つが、シンは黙ったまま規則正しく肩を上下させるだけだ。
「あ!シンお兄ちゃん!!」
 その意味に気付いたアリシアは、シンの体の上に圧し掛かり、大声をあげて寝てしまったシンを起こそうとする。
「っ!アリシア、何でそんな所に乗っているんだ?」
「シンお兄ちゃんが寝ちゃうからでしょう!」
 アリシアはシンの体から飛び降りると、腕を組みあさっての方向を向いてしまった。
「アリシア?」
「……」
 シンは、怒っているぞとアピールするアリシアの頭の上に手を乗せ、優しく撫でる。
「わわ」
「ごめんな、アリシア。俺も疲れていてさ。つい寝ちゃったんだ。もうそんなことしないから、許してくれないか?な?」
 すまなそうに謝るシンに、アリシアは緩む頬を引き締めようとし、しかし結局緩んでしまう頬に顔を赤らめながら、小指をさしだす。
「アリシア?」
「約束。もうこんなことしないって」
 シンはアリシアの言葉に小指の意味を理解し、アリシアと同じように小指をさしだす。
「ほら、お呪い」
 シンとアリシアは互いの小指を絡め合うと、元気良く腕を振る。
 それは二人の約束のお呪い。
「ふふ。あ、そうだそうだ。シンお兄ちゃん、一緒にご飯作ろうよ」
「ご飯、か。アリシアに作れるのか?」
 アリシアの提案に、シンは思わず首を捻ってしまう。
 それを見過ごす程アリシアは甘くはない。
「どういう意味?」
 再び不機嫌になり始めたアリシアに、シンは半笑いで逃げの一手にでた。
「シンお兄ちゃん!」
「はは、悪かったよ。一緒に作ろう」
 シンは困ったように、アリシアは怒ったように、それでいて二人とも楽しそうに。
 そんな風に二人はじゃれ合いながらキッチンへと向かった。

 キッチンに着くと、シンとアリシアは協力して調理に取り掛かった。
 主にアリシアが主体だが、火の使用などの危ないことはシンが担当する。
 他愛も無い会話をしている内に、料理はあっという間にできあがった。
 キッチンの端では、食べ物の匂いを嗅ぎ付けてきたであろうリニスが行儀良く座っている。
「リニスー。はい、ご飯の時間だよ」
 アリシアの差し出した容器に入った猫用の餌に勢い良く貪りつくリニス。
 アリシアはそれをしばらく眺めると、リニスから離れて自分の席に座る。
「シンお兄ちゃん、食べようよ」
 アリシアが笑顔でシンを呼ぶ。
「ん、ああ。ちょっと待っていてくれ」
 だが、シンはアリシアの待つテーブルには行かず、玄関の方へと歩を進める。
「えー、もうお腹ぺこぺこだよー」
 十分前に言った言葉は何だったのか、アリシアは自身の空腹感をシンに示す。
「悪い、すぐ戻ってくるから」
 シンは苦笑し、急いで家の外に出ると自分とアリシアの母であるプレシアの働いている研究施設のある方向を見やる。
「何だ、この感じは」
 シンの第六感が告げていた。
 何か悪いことが起きる気がする、と。
「……試運転か」
 シンは自嘲気味に言葉を漏らす。
 今日、あの施設では新型の次元航行エネルギー駆動炉の起動実験が行われるのだ。
 本社から突きつけられた無理難題を必死の思いでクリアし、遂に起動に至る所まで漕ぎ着けたのだ。
 シンはプレシアの助手としてそのプロジェクトに参加していたのだが、連日の無理が祟り体調を崩してしまっていた。
 ただでさえ足りない人手だったが、周りのメンバーの好意により数日の休暇を貰えることができた。
 その休日には体調を休めろという意味も勿論あったのだが、本当のところはアリシアの面倒を見ていろという意味も含まれていることはシンには容易に察しがついた。
 アリシアはあの施設の人間全員の娘みたいなものだ。
 ここ数ヶ月の忙しさのせいでアリシアを蔑ろにしてしまった後ろ暗さが少なからず皆にあったのだろう。
「……ふう、プレシアさんだっているんだし、きっとうまくいくだろ」
 シンは先程の予感をただの初起動への未練と割り切った。
「シンお兄ちゃーん!」
 アリシアの急かす声に、シンは笑みを深める。
「今行くよ」
 優しさに溢れたシンの声。
 いつもと同じような穏やかな時間の筈だった。
 もうすぐプレシアも仕事の忙しさから解放されて、三人はピクニックに行く約束もしていた。
 それは、シンがアリシアの待つ食卓へと戻ろうとした時だった。
「なっ!?」
 その瞬間。
 この地区一帯の次元が、常態ではあり得ないほどに、完全に歪んだ。

「が、ぐう……アリ、シア……」
 歪み続ける次元の中を、シンは必死で這いずっていた。
 咄嗟の結界も意味をなさず、シンの意識は少しずつ削り取られていった。
「ぐ……っそ!」
 それでもシンは少しずつアリシアのもとへ行こうと体を動かす。
 だが、シンは心のどこかで気付いてしまっていた。
 もう助かることはない、と。 
「……ふざ、けんなっ!」
 そんな思いを叫ぶことで打ち消そうとし、しかしそれがシンの最後の抵抗になってしまった。
 助けたいという思いも虚しく、シンは一際大きい次元の亀裂に飲み込まれ、この世界から姿を消した。