Fate of Destiny 02話/PART-A

Last-modified: 2009-03-01 (日) 11:22:16

 空虚、としか言い様がなかった。青春の全てを戦争に捧げた挙げ句に、今度は異世界へと漂流し――文字通りにシン・アスカは全てを失ってしまった。
 モビルスーツのパイロットとしての肩書きも、ザフトのフェイスの称号も、異世界のミッドチルダではそんなもの何の価値もない。今の自分に残っているのは人殺しの技術と、大勢の命を奪ってきたという事実だけ。
 結局、シン・アスカが生きてきた意味は何だったのだろうか。悲しいことに、その答えを彼自身が持っていなかった。


 フェイトはアルフが寝付いたのを確認して、こっそりと部屋を抜け出した。フェイトはいつも寝る前に今日行った訓練の復習を行っている。これはリニスに言われた課題ではなく、自主的に行っているものだ。リニスには『怪我をしているから休め』と言われているが、とてもそんな気にはなれない。
 特に最近は彼の看病が忙しくて練習が滞りがちになっていた。その遅れを取り戻さなければならない。
 そうだ、先に進まなければならない。自分は早く一人前の魔導師にならねばならないのだ。飛行の感覚にも慣れたいし、直射弾しかない魔法のバリエーションも、砲撃や索敵ができるようにして増やしたい。そのためにも体力を今のうちに強化しなければ。
 いつもの練習場所に辿り着く。誰も見ていないのを確認してから、フェイトは持っていた長柄の棒を頭上に振り上げた。
「い――つッ」
 激痛が走る。危うく棒を取り落としそうになったが、どうにかこらえた。この程度の怪我で挫けるわけにはいかない。一日も早く次のステップに進むためにはこの程度の困難に耐えられなくてどうする。フェイトは自分にそう言い聞かせた。
「いち、に、さん……」
 はっきりと、しかし建物には届かないくらいの控えめな声量でフェイトは素振りを始めた。


 シン・アスカは草原に寝そべって夜空を見上げていた。リニスには絶対安静と念を押されていたが、ベッドに寝ている事に耐えられずこっそりと部屋を抜け出したのだ。
 シンはいつも人工照明で星の光が薄らいだ夜空しか見たことがなく、文字通り満天の星を散りばめた夜空を見るのは数えるほどしかない。
 だが、澄んだ星空を見てもシンの心は安らぐことはなかった。いくら空を見回してもそこにあるはずの砂時計――プラントのコロニーが見つからない。代わりに夜空に浮かぶ満月の傍らに、一回り小さい存在しないはずのもう一つの月が煌々と輝き存在を誇示していた。
 あるはずの物が存在せず、ないはずの物が存在する。
 当たり前だ。ここはシンの知っている『世界』ではないのだから。
「どうして……こんなことになっちまったんだろうな」
 シンは深々とため息をついた。自慢することでもないが、シンの人生は他人と比べても波瀾万丈だったと思う。大抵の出来事には驚かない自信があったのだが――だが異世界に飛ばされるとまでは思わなかった。
「ミッドチルダ――違う世界、か」
 頬を撫でる風も、露に湿った草の感触も、シンの知っている地球のそれとほとんど変わらない。はっきり違うと分かるのは、夜空に浮かぶ二つの満月くらいだ。目覚めて数日経ったが、未だに別世界に来た実感が全く湧かない。
 だが、事実としてシンの世界は遙か遠い彼方だ。地球とコロニーの間にある、大気の壁よりも厚く隔てられた次元の壁を越えた異世界にシンはいるのだ。
 どことも知れぬ場所で、誰一人知るものはなく、帰る術も見つからず、しかも怪我のせいでまともに動くことすらままならない。頼れる者は看病してくれた彼女たち以外にない。
 しかも、このままでは元の世界に帰れるかどうかすら危うい。下手をすればこの世界で一生を終える可能性さえある。
(だが――)
 シンは思う。あの世界でのシンの立場は『元敵軍のトップエース』――要は特Aクラスの危険人物だ。戦後もザフトに残れたのは、あの英雄達の理解しがたい温情主義のおかげだ。シンを嫌っている者は上層部に特に多かった。最後の――この世界に来る直前の――任務はおそらく、そう言った悪意ある者達による差し金だろう。
 そしてこの推測が正しければ、元の世界に帰ってもシンの居場所はどこにもない。よしんば帰ったとしても「存在しない人間」として扱われるか、最悪テロリストの御輿に担がれる可能性も高い。
 そうなればまた戦争が始まる。それだけは許容できない。


 ならば――ならば元の世界に帰らない方がいいのではないか。
 いっそこのままこの世界で一生を過ごすのも悪くないのではないか――?


「……くそ」
 暗い考えばかりが頭に浮かぶ。気分転換のために、シンは起き上がり庭の散策を始めた。庭園の周囲には人工物が全く存在せず、手付かずの森林が鬱蒼と生い茂っている。退屈しのぎにリニスに聞いた話では、生活必需品を手に入れるためには数十km以上離れた街まで一日かけて出かけなければいけないらしい。意識不明のシンが病院ではなく時の庭園で治療を受けた理由もそこにあるようだった。
 どうしてそんな不便なところに住んでいるのか疑問だったのだがリニスに聞いたところ、どうやら病弱なフェイトの母――シンはまだ会ったことがないが――の静養のためとのことだった。
 あるいは、それが今のシンには救いになっているのかも知れない。ここの自然は煮詰まったシンの心を落ち着かせてくれる。
 歩いていると、ふと庭の方から風切り音が聞こえてくるのをシンは感じ取った。察するに長細い棒のような物を振る音のようだ。
「誰だ、こんな時間に外をほっつき歩くなんて……」
 自分のことを差し置いて、正体を確認するためにシンは音のする方向へと歩いていく。
 ややあって、建物からやや離れた場所、森との境目の付近にシンは小柄な人影がいるのを見つけた。人影は長柄の棒を両手に持ち、規則正しく何度も上下に振っていた。どうやら、素振りをしているようだった。
 シンは人影の正体を確認するために眼を凝らした。月明かりを反射して淡く輝く金色の髪。背格好は子供のそれだ。シンの知っている限り該当する人物は一人しかいない。
「フェイトか?」
「え……!? だ、誰ですか?」
 突然投げかけられた声に、少女は大きく身を竦め慌てた様子で周囲を見回した。姿が視認できる近さまで近づき、もう一度呼びかける。
「ここだよ、ここ」
「……アスカさん?」
 人影の正体はやはりフェイトだった。誰と勘違いしていたのか、フェイトはシンの姿を見定めた瞬間胸をなで下ろした。
「こんな夜遅くに出歩くなんて、あんまりよくないぞ」
「アスカさんこそ……まだ怪我が治ってないのに。リニスに怒られるんじゃないんですか?」
「眠れなくて星を見てたんだ――フェイトこそ、どうして?」
「それは……」
 すぐには理由を言えないところを見ると、どうやらフェイトもシンと同じく隠れて出てきたらしい。シンは、助け船を出すことにした。
「じゃあ、互いに他言無用だ」
「は、はい」
 フェイトが胸をなで下ろしたのを見て、シンは思わず苦笑した。初めて会ったときから大人びた子だとは思っていたが、リニスに――保護者に怒られるのを怖がるところに子供らしさを感じたのだ。


「フェイトはいったい何を?」
「ちょっと訓練の復習をしてたんです」
「訓練――って例のあれか?」
「はい」
 例の、とは魔法訓練のことだ。門外漢のシンに詳しいことは分からないが――フェイトが魔導師を目指して専門の教育を受けていると、シンはリニスから聞いていた。
「でも……だったらそれは何だ?」
 シンはフェイトが持つ長柄の棒を指さした。見たところただの木製の棒――東洋の武術に使われる杖に似ている――のようだが、それと魔法使いになることと何の関係があるのか。魔法のことを全く知らないシンには想像も出来なかった。
「魔法使いになるには体力が必要なんです。それに私の場合、武器の扱いにも慣れておかないといけないので」
「武器……ね」
 フェイトは素振りを再開した。が、どうにも動きがぎこちなくキレもない。それが手をかばっているためなのだと気がついたのはすぐだった。
「ちょっといいか?」
「え……あつっ!」
 シンはフェイトの右手を取り、弾みで棒がカランと音を立てて落ちた。細く華奢なフェイトの指が血で滲んでいる。シンの予想通りだった。得物を握る力が強すぎて指にいくつか豆ができて、しかもいくつか潰れてしまっている。少し手を握るだけでも結構な苦痛を感じているはずだ。
「どうするか……」
 本当ならば、水で血を洗い流した後に消毒をしてからガーゼを当てたいのだが――生憎どれもここにはない。仕方なくシンは応急処置をとることにした。
「な、なななっ!」
 シンは消毒のためにフェイトの指を咥え、ポケットからハンカチを取り出し指に巻いた。ハンカチはリニスに借りたものだから汚したらまずいかも知れないが――明日にでも事情を説明すれば多分許してくれるだろう。
「これでよし。もう今日は止めた方がいい、怪我が酷くなるからな」
「……」
 フェイトはパクパクと酸欠になった魚のように口を何度も開閉し、右手を凝視していた。
「どうした、まだ痛いのか?」
「な、何でもないです!」
 フェイトは暗闇でもわかるほど顔を真っ赤に染め、右手を――というよりハンカチの巻かれた指を――かばいながら後じさった。何となく、痛みを我慢しているのとは違うような気がしたが、シンには怪我を庇っているふうにしか見えなかった。
「やっぱり痛いんじゃないのか? だったら、家に戻って――」
「ほ、本当に大丈夫です!」
「なら、いいけど……」
 手持ち無沙汰になったシンは、再び夜空を見上げるために近くにあった石に腰掛けた。


「フェイトも、座るか?」
「あ、う、えっと……はい」
 若干の逡巡の後にフェイトはシンの横に並んでちょこんと座った。
「そういやフェイトは魔法の練習、いつからしてるんだ?」
 何の気なしに、シンはフェイトに話題を振った。今は誰かと話していないと気が滅入ってしまいそうだった。
「大体五ヶ月くらい前からです。それまでは勉強中心でした」
「勉強って……何を?」
「古典物理を中心にいろいろと。魔法は物理法則に則っているので、その基礎を学ばないといけないんです」
 シンはフェイトの言葉に素直に驚いた。ジュニアスクールに通うような年齢で物理を学び修得するとは。フェイトの学力は、平均的なコーディネーターよりも上かも知れない。
 実際、シンは理数系が大の苦手でオーブのジュニアスクールでも成績は決していい方ではなかった。
「すごいな。フェイトの歳で物理ができるなんて、もしかしたら俺よりも頭がいいんじゃないのか?」
「そんなことないです――でも早く一人前の魔導師になって、お母さんの役に立てたらって、それだけが今の私の目標なんです」
 謙遜をしつつも、誉められてまんざらでもないのか、慎ましげにはにかむフェイトに、シンは思わずどきりとした。
 微笑んだフェイトの姿が、シンにはずっと昔にいなくなった妹の――マユの姿に重なって見えたのだ。瞳の色も髪の色も全く違う。性格も似ていない、フェイトとマユの二人を繋げるものは何一つないというのに。
「そっか。月並みな言葉だけどさ、頑張れよフェイト」
 気がつけばシンは、昔マユによくしていたようにフェイトの頭を撫でた。
「ん……くすぐったいです」
「あはは、悪い悪い。フェイトと話してると妹のことを思い出してな」
 しまった、とシンは内心で舌打ちした。ついうっかりとはいえ、妹のことを他人の前で口にするとは。
「いるんですか、妹さん?」
 撫でつけられクシャクシャにほつれた髪を直しながら、フェイトは小首をかしげた。
「まあ、な。もう何年も会ってないけど、俺にとっては大切な妹だ」


 嘘だ。マユ・アスカはもうコズミック・イラの世界には存在していない。ミッドチルダよりもさらに遠い場所――次元よりも厚い『死』の壁で隔たれた世界にいる。例え帰ったとしてもマユはおろか、亡骸も、墓でさえも、マユの面影を残しているものは何一つない。
 突発的に嘘を付いた理由はわからない。フェイトに心配をかけたくなかったのか――もしかしたら、未だに妹の死を受け入れることが出来ていないのか。その答えはシン自身にさえわからなかった。もしかしたら、孤立無援の状況に晒されて心が弱っているのかもしれない。
 シンは内心で自嘲した。もう4年以上も経つのに、まだ家族の死から立ち直れていない。
「なら早く帰って、会ってあげないと。その人が可哀想です」
「あぁ……」
 フェイトの言葉にシンは曖昧に応えた。コズミック・イラもミッドチルダもどちらにしても、シンにとっての居場所はどちらの世界にも存在しない。むしろ「デュランダルの懐刀」という悪評がないぶん、こちらの方がまだマシだと言える。
 それにシンにとって、コズミック・イラの世界には思い出が多すぎる。
「もしかして、帰りたくないんですか?」
 再びシンはギクリとした。リニスの教育のためか、元々の素養なのか、シンが想像しているよりもこの少女は人の心に聡い。
「かも知れないな……」
「どうして? 待っている人がいるのに、どうして帰ろうとしないんですか!?」
 若干、半ば喚くような口調でフェイトは再び問う。フェイトがシンの前でここまで感情を露わにしたのは初めてだった。
 それでも全てをフェイトに話そうとは思わなかった。シンの過去はフェイトが知るには刺激的すぎるし、まだ人に聞かせて話すほどシンも自身の過去のことを割り切れていない。目の前で家族を消し炭になった記憶は、未だにシンの心に深く突き刺さっている。
「事情があるんだ。俺にはどうにもならないような厄介なのが、色々と」
「事情とか、そういう問題じゃないはずです! なんで――なんでそんな大切な人を放っておいて平然としていられるんですか!?」


「……どうしたフェイト。落ち着けよ?」
 とうとうフェイトは立ち上がり、息を荒げてシンに向き合った。こう言ってはなんだが、フェイトにとってシンのことはあくまで他人事のはずなのだ。よくある親切心やお節介とも違って見える。何がそんなにフェイトの癪に障るのか、シンにはわからない。
 わかるのは、フェイトがシンに対して激しい憤りを憶えているようだということだけだ。
「二人とも何をしているんですか?」
 唐突に、シンでもフェイトでもない声が二人の間に割って入った。慌てて後ろに振り返ると、建物の中に人影がいた。遺伝子調整によって常人よりも目の良いシンはそこにいる人物が何者かすぐに見抜いた。
「リニス!?」
「いつの間にいたの!?」
「話し声が聞こえると思って出てきたら……全く、二人とも何をやっているんですか?」
 リニスは――夜中だというのに何故か帽子を被ったままだった――は、呆れと怒りが混ざった表情で、シン達を睨みつけていた。
「あ、あの……これは、その――」
「フェイトは、あれほど夜の訓練はダメだといったでしょう」
「ごめんなさい……」
 フェイトはしおらしく俯いていた。こんな夜中に出会った時点でおかしいと思っていたが、やはり無断だったようだ。
「アスカさんも。ベッドからまだ出るなといったはずですが」
「……すみません」
 リニスの眼光には有無を言わさぬ『凄味』がある。彼女を前にすると、まだ自分が子供で母親と話しているような錯覚に陥るのだ。
 実際、言いつけを守らなかったシンが悪いのだし。自分でも驚くほどの素直さで、シンは謝罪した。
「さぁ、早く戻りましょう」
「うん……あの、アスカさん――」
「なんだ?」
「さっきはごめんなさい。少し、言い過ぎました」
 リニスに促され立ち去る直前、フェイトはシンに頭を下げた。知っている控えめで人見知りなフェイトだった。フェイトはシンに歩み寄り耳元で囁いた。
「あと手当てありがとうございました……でも、いきなり指を舐めるのはやめてください――はずかしかったんですよ?」
 羞恥のためかフェイトの頬は赤く染まっていた。シンは一瞬ぽかんと口を開け――意味を分かりかねたのだ――ようやくフェイトが照れていることに気付き、思わず笑ってしまった。フェイトは恨みがましそうにシンを見つめた後、微笑んでリニスの元に戻った。
「わるかった、今度から気を付けるよ――おやすみフェイト」
「おやすみなさい、アスカさん」
 リニスに連れられて、自室へと戻っていくフェイトの背中にシンはひらひらと手を振った。


 二人の姿が遠ざかったところで、シンはもう一度星空を見上げた。思い浮かぶのは元の世界のことではなく、先ほどのフェイトとの会話だった。
 フェイトは老成していると言っても過言ではないほど、性格が熟している。とても十代に満たない子供には思えないほどに。遺伝子技術が発達しているシンの世界では早熟の天才などざらにいたが、フェイトはそういったものとはどこか違う。どこか、危なげな感じがするのだ。
 強いて言うのなら、アカデミーに入ったばかりの頃のシンに感じが近い。フェイトの行動の端々に焦りがあり、心の余裕がまるでない。「もっと上へ」という情動に突き動かされ、ひたすら己の目的に向かって走り続ける。そうでなければ自分を保つことができないのだという潜在的な恐怖の元に、フェイトの心は成り立っているように見える。
 そしてもう一つ。シンが「帰らない」と言ったときに見せたあの怒り。いったいは何だったのだろうか?
 フェイトはいい子だ。優しさも心の強さも、自分なんかとは比べものにならないとシンは確信していた。だが、あの子はどこか不安定な面を抱えているのは事実だ。それを放っておけばいつか取り返しのつかない事態が起こるのではないか?
「馬鹿な……」
 シンは考えを振り払うように頭を振った。だいたい、シンはフェイトと出会ってまだ数日しか経っていない。そんな自分がフェイトの全てを正しく理解しているとは思えない。それに例えシンの憶測が正しくともフェイトにはリニスという保護者がいる。彼女がいればフェイトが道を踏み外すこともないはずだ。シンが余計な手出しをしてもかえって逆効果にしかならないだろう。
 きっと彼女は大丈夫だ。それよりも、今は自分自身のことを案ずるべきだ。
 そう思いながらも、シンは心に湧いた不安を打ち消すことができなかった。


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