『PHASE 06・地球と風と火』
カガリはその朝、アスランと共に慰霊碑の前に立っていた。
海を望む高台に据えられた、カガリの父や友、あの日、命を落とした者たちのための慰霊碑。
昨日の会議では結局、戦争が始まらないための努力を最重要とし、同盟を結ぶかどうかは、先送りとなった。
今日もカガリはまた駆けずり回って働かなければならない。
だがその前にここに来ておきたかった。感傷にすぎないが、再び戦争が起きようとしていることを、先人にわびるために。
「……戦争は、避けられそうか?」
アスランの問いに、カガリは首を横に振る。
「結局、戦争への流れを止めるほど、私には力がない……非力なこの身が恨めしい。政治家として足りないものだらけだ私は。
しかも、ほんの少し前まで、非力であることすら、気づいていなかった……」
カガリは己の不甲斐無さに、下唇を噛み締める。
そこに、予期せぬ人物が二人、登場した。
「仲がいいことだね、お二人さん」
ユウナ・ロマ・セイランと、その護衛ウェザー・リポートだった。
「首長たちの意見は分裂気味だよ。君が啖呵をきってくれたおかげで」
ユウナはやれやれという風に首を振る。もともと今の首長たちの多くは、自分の意見などない日和見主義者だ。
前回の会議でカガリの雰囲気に呑まれて、宗旨替えを考えているらしい。
「いつの間にそんなに雄雄しくなったんだい?
前もそりゃあ女らしくはなかったけど、なんかあと一歩で兄貴と呼びたくなる貫禄じゃないか」
そう言うユウナも、以前と違っているのではないかと、アスランは感じた。
前はこんな冗談じみたことは言わず、ただ気障ったらしい言葉と行動で、こちらを苛つかせたものだ。
しかし今の彼は自然で、演技的なものがないように思えた。
「私だって変わるさ。少しは」
「ふうん……ま、今のところは君の意見どおり、戦争がそもそも起きないように、僕も父上も努力しているよ。
地球の被害をなんとかすることが優先されることで、プラントと角突き合わせている場合じゃないって、各国を説得してる。
並行して軍備の調整や市民の避難経路確保も行ってるよ」
「そいつはありがたいが……やはり戦いは避けられないだろうな」
「残念ながらここまでくると、惰性がついて止まりそうにないね。
連邦に味方すればプラントと、連邦に味方しなければ連邦と、戦うことになるだろう。
僕らはプラント側の勝利は薄いと考えて、やはり連邦に味方する方がいい考えているけど」
どの道を行こうが被害は出る。なら最終的に勝てそうな方をとるというのがセイラン派の意見だ。
「どうかな。オーブがプラントに味方すれば、戦況も変わるかも知れない」
大西洋連邦に不満を抱いている国は多い。
オーブが従わなければ、そういった国も勇気付けられ、連邦の言いなりになることに反抗するかもしれない。
「確かにありえなくはないさ。けどプラントに味方する方が、総合的に見ればリスクは大きいと思うね僕は。
とにかく一番の問題は最初の一撃さ。オーブが同盟条約を蹴れば、見せしめのために即刻、大兵力が投入されるだろう。
そうなれば、いくらオーブの軍事力でも耐えられない。今オーブにいるミネルバに協力してもらって、やっと五分ってとこかな」
「フリーダムを使ったら?」
その言葉に、ユウナは目を見開く。
「……あるのかい?」
「ある」
ユウナは髪の毛を掻き毟って、
「うーん、それならまあ……連邦もそんなものがあるなんて思っていないし……士気の向上も期待できる。
最初の一撃をしのげば、再攻撃までにプラントと連携を組むこともできるだろうし……にしても」
ユウナはいったん考えを中断して、小気味よさそうに微笑み、
「君にも、戦う気はあるんだねぇ。どんな理由があろうと、馬鹿みたいに戦争反対を唱えるかと思っていたんだよ実は」
「以前の私ならそうしただろうな。そりゃ今だって戦争は反対さ。だが、守るためには戦うべきだ。けど……」
そこでカガリは慰霊碑を見つめ、
「お父様の選んだ道を否定するのは、つらい……お父様は、国と民を愛していた……それなのに、それを間違いだというのは……」
カガリは今になっても、父の志を否定する気にはなれなかった。それは政治家としてではなく、娘として父に対する想いだった。
アスランも彼女に共感し顔をうつむかせた。彼もまた、父の道を否定し憎みながらも、父を嫌うことはできない人間であったから。
そこに、今まで口を開かなかった者が、声を出した。
「誰もが誰かを愛し、誰かのためを思って行動したとしても、結果として最悪になることはある
……どのような結果になったとしても、ウズミ・ナラ・アスハが良い人間であったこと、否定はしない」
カガリはウェザーを見つめる。その表情はいつもの無表情だったが、瞳の奥に哀しみが潜んでいるのを、カガリは見た。
アスランも見ただろう。そしてユウナも。
「だが、親と同じ道を子が歩まなければならない、などという義務はない。君たちは、君たちなりにやればいい」
ウェザーの言葉には確かな労わりがあった。カガリもアスランも驚きと共に彼を見つめる。
ユウナの私兵とも言える立場の彼が、自分たちにそのような言葉をかけるなどとは、思っていなかったのだ。
(俺は俺、か……)
特にアスランは、偶然であれ心の重荷を一つ、軽くしてくれた彼に、感謝せずにはいられなかった。
「ウェザー、そういえば君はこの件に関して、意見してなかったな……君はどう思う?」
ユウナのその言葉にも、カガリたちは驚かされる。ユウナの言葉は、ウェザーへの信頼を示している。
それも部下に対するものではなく、より親しみと敬意の込められたものだ。
ユウナがこのような態度を見せるこの男は、一体何者なのだろう。
「俺は政治などわからん……だが、結果を求めるあまりに過程をないがしろにすることは、『目的の為には手段を選ばない』
という思考に繋がり、果てには善い事を行なっているつもりで、気づかぬうちに悪を行なってしまうことになりかねない……。
それは悪よりも更に悪い、最もドス黒い悪だ……。そのことだけは、心にとめておいてほしい……」
「それは……大儀のない連邦との条約に乗るなってことかい?」
ユウナはウェザーの言葉を、頭で噛み砕きながら問い返す。
「正直、反対ではある……だが、君がそれを選んだとしても、それも一つの決断だし、理もある。文句は言うまい。
俺は俺の仕事をするだけだ」
そういう物言いをされるのは、単純に否定されるより受け取る側は困る。
カガリやアスランにしても、ウェザーの真摯な願いに考えさせられるものがあった。
しかし、彼らに考えている時間は与えられなかった。
「う……?」
カガリが急に顔をしかめた。
「? どうしたカガリ?」
アスランが言う。
「いや……何か……」
そこまで口にした後、
「うげえええええええぇっ!?」
およそ女性らしくない声をあげてカガリが吐き出したのは、十数枚の鋭利な剃刀だった。
「「「っ!!?」」」
アスラン、ユウナ、ウェザーは、そろってその光景に絶句する。
「な、なんだこれは……」
カガリは口から血を垂らしながら、自らが吐き出した金属の塊を見つめ、呆然と呟く。
口内に酷い痛みを感じることから、切り裂かれていることが自覚できた。
傷口は内側だとわかっていても、無意識のうちに右手は口を抑えた。すると、
プツ、プツプツプツプツプツッ!!
「う、うあああああっ!?」
右手の甲から、今度は二十本以上の針が飛び出してきた。甲の血管を貫き、血がドクドクと流れ出す。
「カ、カガリィィィッ!?」
ユウナが混乱の叫びをあげる。
「なんだこれはっ!」
わけがわからないながらも、アスランはカガリをかばうように両腕で抱え込む。
「これは……こんな真似はスタンド能力としか考えられん……だが、スタンドの姿も見せずに金属の剃刀や針を、
一体どうやって体内に入れたというのだ?」
ウェザーは周囲を見回し、敵の姿を探す。だが、身を隠すような場所は無いにも関わらず、発見はできない。
「一体……どうやって……」
「ふん……思ったよりも人が多いが……カガリ・ユラ・アスハだけを殺す事は可能だ……」
その暗殺者は、カガリたちから10メートルと離れていない距離の場所にいた。
「殺り方はすでに……できている」
『地球』上に存在する最多の物質を味方にした、暗殺者リゾット・ネエロは、自分にだけ聞こえる小さな声で呟いた。
ウェザーは観察する。大きな慰霊碑が置かれた、そこそこの広さの高台。前方は階段、隠れるような場所はない。
しかし、どこにも人の姿はない。それを確認すると、ウェザーはすぐさま自らのスタンドを現した。
「『ウェザー・リポート』!!」
ウェザー・リポートは体を分散させ、雲のようになって、周囲の空間に満ちた。
それは、空気の動きを感知するレーダーの働きをする。呼吸による空気の乱れさえ感じ取れる。
だがそれを行った直後、
ザグザグッ!!
ウェザーの右足から、十本以上のメスが飛び出した。
「ぐ、ああっ!?」
だが、そのとき空気はまったく揺らがなかった。
(彼女のときと一緒だ……スタンドも、他の何も、俺に近寄っていないし、触れていない。なのに、どうやってこんなことができる?)
ウェザーは崩れそうになる足を踏ん張り、前を見据えた。
かつて神父に足を切断されたときに比べれば、どうってことない。
心配するアスランの声に応えると、
「……どこにいるのかは、わかった」
ウェザー・リポートは、階段の上にある、一つの呼吸を感じていた。
「目には見えないが、確かにいる。次は、こっちが攻める番だ……」
一方、リゾットも多少の驚愕を覚えていた。
(まさか、スタンド使いとはな……俺たちチーム以外のスタンド使いと直接会うのは、『こっち』じゃ初めてだ)
噂では、自分たち以外にも妙な能力を持つ者がいると聞き、予想はしていたが、こうして戦うことになるのは初めてだった。
(奴のスタンド……体を気化させて空間に広がったが……とりあえず、そのこと自体は攻撃とは違うようだ。ダメージがないからな。とすれば、索敵か。なら、もう俺の位置はわかっていると見ていい。次は攻撃してくる……)
先制攻撃をしかけてダメージを与えたが、相手の目は死んでいない。
こちらの能力への疑問はあるが、恐怖の欠片もない闘志に満ちた表情だ。
(厳しそうだな)
リゾットのスタンドは『メタリカ』。リゾットの体内に群生するスタンド。能力は磁力。
スタンド能力であるため、本来の磁力とは違うかもしれないが、磁力と考えていいだろう。
磁力によって鉄分を自由自在に操ることができる。鉄分は『地球』上どこにでもある。
地表に、空気中に、水中に、生物の体内にも存在する。地表に出る金属の中でも最も多い物質なのだ。それを手も触れずにコントロールできる。
生物の体内にある鉄分を、剃刀や針に変えて、体内から相手を傷つけたり、体に鉄分を付着させることで、光の屈折などで蜃気楼のように模様を描き、風景に溶け込んだりできる。
鉄を操れる距離は、10メートルから5メートル。鉄に近ければ近いほど、自由に操れる。
リゾットはより強力な攻撃を行うために、階段を上り始めた。
「一体……どういうことだ?」
アスランは半ば呆然として呟いた。自分の恋人の体から、突然凶器が湧き出て傷ついたのだ。
わけのわからないことこの上ない。その呟きは答えを期待したものではなかったが、
「多分、スタンド攻撃だ」
意外にも答えが返ってきた。
アスランは回答者である、ユウナを見つめた。
「スタンド能力……まあ、超能力と考えてくれればいい。その能力は物体を触れただけで爆発させたり、気象をコントロールしたり、能力によっていろいろなことができるらしい。
そして、それは科学や常識では計ることはできない。それを認識し、対抗することができるのは、同じスタンド使いのみ」
その説明を聞いて、アスランはユウナを「いかれているのか? この状況で」という目で見たが、ユウナの表情に嘘偽りがないことは感じ取れた。
「到底信じられないが……そういうものがあるとして……俺たちはどうすればいいんだ?」
切羽詰った状況で、敬語を使うことも忘れているアスランに、ユウナは断言する。
「どうしようもない。ウェザーに任せるしかない」
「ウェザーに?」
アスランは自分たち三人の前に立つユウナの護衛に視線を送る。
その時、ウェザーの右足からメスが噴き出た。
「ぐ、ああっ!?」
「大丈夫か!!」
アスランは思わずそう言ったが、我ながら馬鹿な台詞だと思った。大丈夫なわけないだろうに。
「大丈夫だ……この程度」
ウェザーはそう言い、
「……どこにいるのかは、わかった。目には見えないが、確かにいる。次は、こっちが攻める番だ……」
そして、虚空を睨んだ。実際には虚空ではなく、その方向に何者かがいるのだろう。アスランにはまったくわからなかったが。
「ウェザーもスタンド使いだ。彼しか敵を倒せない」
「……俺たちにできることはないのか?」
「……ない」
吉良吉影のときは、ユウナもMSの操縦などで役立てたが、この状況ではまったく役に立てない。
銃を撃とうが、弾丸を弾けるスタンド使いなど珍しくもないらしいし、大体、どこに本体がいるのかすらわからない。
だから、自分にできることなどない。それは役割の違いであって、魚が空を飛べないことを悔しがる必要がないように、政治家である自分が戦士として戦えないことを恥じる必要はないはずであった。
だが、『男』としてはまた別である。ユウナは何もできない自分に、内心強い悔しさを抱いていた。それをアスランに見せてやる気はないから、表面上は冷静にしていたけれど。
――――――――――――――――――――――――
ウェザーは、相手の居場所がわかった時点で攻撃方法を決めていた。
(雷を放つ! 吉良のときは失敗したが、今は相手の場所もわかっている!)
その考え方は間違っていない。強力で形のない雷から本体をガードできるスタンドは、そう多くはない。雷はガードをすり抜けて向こう側にいる本体にダメージを与えることができる。
ウェザーの誤算は、相手がその『多くない』部類に入るスタンド使いであったことだけだった。
「『ウェザー・リポート』ォォッ!!」
ウェザーの言葉と同時に、一条の雷が、目に見えぬ暗殺者に向けて伸びていく。
だが、
「……『メタリカ』ッ!!」
雷撃は、暗殺者に当たる前に急に方向を変え、リゾットとはかけ離れた方向へ飛んでいってしまった。
(馬鹿なッ! ウェザー・リポートの雷が外れた!?)
雷の原理はこうだ。雲を形成する細かい氷の粒が擦れあうことで静電気が発生し、雲の上層に正の電荷が蓄積され、下層に負の電荷が蓄積される。この二つの電荷のバランスが崩れるときに起こる放電現象が雷である。
そして電荷を持った粒子、すなわち荷電粒子は磁力線の周囲にまとわりつく性質がある。
つまり磁力を使えば、荷電粒子の動きをコントロールできるわけだ。
リゾットはメタリカの磁力によって荷電粒子を動かすことで、雷をはじいたのである。
これはともすれば、荷電粒子を使ったビーム砲すらはね返す可能性を秘めいているが、今はそのことは関係ない。
「そしてくらえ、メタリカッ!!」
ザガッ!!
ウェザーの左足を、さっきよりも更に多くのメスが突き破った。
ウェザーはもはや立つこともできず、その場に膝をついてしまった。
「ウェザーっ!!」
今度はユウナが叫んだ。そして、今度はウェザーもすぐに大丈夫とは言えなかった。
相当なダメージを負ってしまった。機動力である足を奪われたのは痛い。
(雷が効かないとは……)
最も破壊力のある『天気』を封じられ、ウェザーはほぞを噛む。
ウェザーの能力は無意識の部分が大きい。かつて自殺しようとしたときも、無意識にスタンドが彼を守ったし、ヘビー・ウェザーも絶望と怒りが生んだ無意識の能力だ。
もともと天気は複雑なものであるため、考えて作れはしない。
こういう天気を作ろうと思えば、スタンドが自動的にそれを作ってくれるのである。
従って精密に動かすことは難しい。
嵐などの強力な天気を生み出せば、周囲を巻き込んでしまう。
傷ついたカガリを巻き込むようなことはできない。
強すぎる能力。それが、ウェザーの弱点であった。
(こいつの能力は、何なのだ……?)
ウェザーは朦朧とする頭で考える。
スタンドは一人一能力。それがルール。
ならばこの相手の能力は一体?
人間の体内に触れもせずに剃刀や針やメスを埋め込み、姿を消し、雷をはじく。
これほど多岐にわたる能力が、たった一つのものであるとしたら、それはいかなる能力なのか。
(それにしても……これほどにきついものか? この傷は)
ズタズタになった両足を見て、そう思う。
かつて、初めて徐倫と行動を共にしたときも、神父と戦ったときも、これ以上の傷を負ったが、もっと意識はしっかりしていたはずだ。だが今は眩暈すらする。単純な出血多量からくるものにしては……おかしい。
(何か……何かヒントはないか……)
そのとき、一羽の小鳥が舞い降りた。何をしたわけでもない。たまたまその小鳥はウェザーと暗殺者の間を抜けて飛び、
ザズッ!!
空中で首を切り飛ばされて死んだ。
「……?」
ウェザーはその光景をポカンとした表情で見ていた。
(なぜ、小鳥なんかを攻撃した?)
その意味を考える前に、彼の左腕から剃刀が飛び出した。
「う、ううっ……」
叫ぶほどの気力もなく、ウェザーは呻き、ついに上半身まで完全に倒れこんだ。だが、左手を見た瞬間、疑問は氷解した。
カガリは石碑のすぐ前に座り込んでいた。
ウェザーはカガリたちから見て右斜め前方1メートルほど離れたところに倒れていた。
ユウナはウェザーの側で彼の様子を見ていた。
そしてアスランはカガリの側に立ち、苦々しい表情で周囲を睨んでいた。
ウェザーが倒れたのを見て、アスランは歯を食いしばる。ユウナの言うことが確かならば、もはや希望はない。だがそれでも諦めきれず、拳銃を手に取る。もっとも、そんなものが通用するはずはない。
アスランの身体能力はかなり高い。某漫画家にはさすがに及ばずとも、コーディネイターの中ではトップクラス。だが、敵の位置がわからない以上は、それも無意味だ。
さっきから救援を呼ぼうともしているが、通信も届かない。Nジャマーの効果があるとはいえ、近距離なら届くはずだが、どうやら何らかの妨害があるようだ。
(俺には、何もできないのか?)
かつて、父を止めようとしてできなかったように、今もまた、無力なままで終わるのか?
過去と同じことを繰り返すのか? 過去に縛られたままに。
「ウェザー!!」
ユウナはウェザーのもとに駆け寄り、名を呼んでいた。
「ユ…ウナ……」
「ウェザー!! 生きてたか!!」
反応したことに顔を輝かせるユウナに、
「……ユウナ……見ろ……」
ウェザーは、血に塗れた左腕をユウナの前に突き出した。
「うわ、ちょ、グロいよそれ!!」
思わず、ユウナは身をのけぞらす。だがウェザーは淡々と、
「見ろ……血の色が、変だ……」
ユウナはそう言われて、やっと気づいた。本来赤くあるはずの血が、妙に黄色っぽいというか、澱んでいるというか、とにかく気持ち悪い色になっている。
「それに……この腕時計……」
ウェザーは次に、自分の左手首にはめたアナログ式の腕時計を見せる。しかしその針は止まっており、ピクリとも動いていない。
「いつの間にか、壊れていた……多分、通信で助けを呼ぶことも……できないだろう……」
「ど、どういうことだ?」
「磁力……だ。相手は、磁力を操るスタンド使いだ……」
―――――――――――――――――――――
リゾットはすでに階段を上り終えていた。カガリまでの距離は、5メートルもない。
(スタンド使いの方は動きを止め、スタンドも消えた……だが死んではいない。相当に消耗しているだろうが、死んではいない……戦線復帰される前に、カガリ・ユラ・アスハを始末しておくか)
リゾットは狙いを定めた。
ユウナはウェザーからすべて聞いて、呆然と呟いた。
「そんな……それってほとんど無敵じゃないか……」
敵の能力の正体が『磁力』であること。
血の中の鉄分を磁力で操って剃刀などをつくっていること。
時計や通信機が壊れたのは磁力の影響であること。
雷を磁力によってはじいたこと。
磁力は本体を中心に発生し、本体に近いものから影響を受けること。
そして……鉄分が体から無くなれば、人は酸素を吸収できず、黄色い血となって死に至ること。
「磁力なんて、かわすことも防ぐこともできやしない。しかも、姿を隠す能力まではわからないんだろ? こちらからろくに攻撃もできないんじゃ、どうしようもない!」
ユウナの切迫した声に、ウェザーも頷き、
「ああ……敵もすでに移動しているようだしな……もう一度索敵しようとすれば、容赦なく殺られるだろう……」
次に攻撃をくらったら、ウェザーの命はあるまい。傷はなんとかなっても、鉄分の欠如が致命的となる。
「だが諦めるんじゃあないユウナ……この世に無敵など存在しない……何か方法は……あるはずだ……」
「ガアアアァァアァァッ!!」
カガリが一際大きな叫びをあげた。アスランは、その理由をすぐに悟った。
彼女の首の皮膚が、不自然に膨れていた。しかも徐々に動いている。その特徴的な形は誰が見ても、何が入っているのかは明らか!!
「『ハサミ』だとぉぉぉ!!」
どうってことのない日用品であるハサミも、皮膚一枚下に入っていて、しかも勝手に動くとなれば立派な殺人道具。
ハサミは徐々に開いて、カガリの首を切断する体勢に入った。
「させるかッ!!」
アスランは閉じようとするハサミを手で押さえると、思い切って皮膚を引きちぎり、ハサミを抜き取った。大きな傷ができ、血が噴き出て二人の服を汚す。
その血は、ウェザーのものと同じ、黄色だった。
「ヤブゥアアアアアアア!!」
カガリは激痛のあまり、奇妙な絶叫をあげる。
「カガリッ!! くそぉっ!!」
だがその一大事に、ユウナは『しめた』と考えていた。別にカガリが苦しみ、死にそうなことを嬉しがっているわけではない。
敵の場所を探るチャンスであるということだ。
ユウナの視線は、ウェザーの足から飛び出したメスに向けられていた。地に落ちている何十本ものメスや針は、かすかにであるが蠢いていた。
そしてその動きには規則性が見える。
(この動きは敵の放つ磁力の影響! 敵が攻撃するとき磁力を放っているのなら、金属は必ず敵の磁力に引き付けられる!!
その動きを観察すれば、敵の位置がわかるはずっ!)
それがユウナの考えた、索敵方法だった。敵の動きさえわかれば、攻撃のチャンスができる!!
だが、ユウナが敵の位置を知るよりも前に、
ボロッ、ボロッ、ボロッ……
「な、何ぃっ!?」
メスが、剃刀が、針が、そしてアスランの手の中にあるハサミまでも、崩れて消えていく。ユウナの目論見と共に。
「やはり……探っていたようだな。俺の位置を……」
リゾットは、ユウナの驚愕の表情を見つめて呟く。
「あの男のメスを見る表情……自信と希望があった。それは俺の能力を見破ったから……それなら、俺の場所を探る方法も、思いつくだろう……」
だが、それも彼の予想の内。
「俺のスタンドの磁力で作ったものだ……元の状態に戻すことも……たやすい」
リゾットは、再び恐怖に染まったユウナの顔と、黄色い血に塗れたカガリとを眺めながら、また一つ、歩みを進めた。
(何を狙っていたのかわからないが……ユウナは失敗したのか)
アスランはユウナの様子から察して、また一つ、希望の芽が摘まれたことを知る。カガリをかばうように彼女の肩を抱く。
「何か、何か手はないのか……!?」
必死で考えるが、焦れば焦るほど考えがまとまらない。頭をハツカネズミよりも空回りさせているアスランに、
「アスラン……ユウナと……ウェザーを連れて……逃げろ……」
カガリが、ヒューヒューと掠れた息をしながら言った。
「「なっ!」」
彼女の言葉に、アスランも、そしてユウナも驚いた。
「敵の狙いは……私のようだ。せめて、お前たちだけでも……」
「馬鹿を言うなカガリッ!!」
アスランが悲痛な声をあげる。だがカガリは静かに首を振り、
「ユウナを、こんなところで死なせるわけには、いかない……彼の、政治力は、これからのオーブに必要だ……ウェザーの、能力とやらも……そしてアスラン……お前の力もだ……一番の役立たず一人ですむのなら……安いものだろう?」
カガリはカガリなりに公平に見定め、そして選択したのだ。この選択に、アスランは逆らえるだろうか?
アスランがカガリの願いと自分の想いとの板ばさみにあっているとき、
「アレックス……いやアスラン」
いつの間にか立ち上がっていたユウナが、彼を呼んだ。
「な、なんだ?」
今までにない、静かで強い口調に、アスランは虚を突かれた気分でユウナを見る。
「……僕さ、これから『死ぬかもしれない』からさぁ、そんときは父さんによろしく言っといてくれる?」
「……なんだって?」
アスランは意味がわからず問いただす。
「僕、育ちいいからさぁ、打たれ弱いんだよねぇ~」
やれやれという顔で、ユウナは左手首を口元に運ぶと、
ガブチィィィィィッ!!
一気に噛み切った。
「え?」
アスランもカガリも、ポカンとしてその光景を見る。
ブッシュウウウウウゥウゥゥ!!
皮膚と血管が破れ、鮮血が勢いよく噴出した。
「何やってるんだぁぁぁぁっ!?」
アスランが動揺して叫ぶが、ユウナはちょっと顔をしかめただけで、落ち着いていた。
「うっさいな……黙って見てろよ」
そのときのユウナは、怒りに満ちていた。
(カガリ……!! 随分、僕をなめてくれるじゃないか!!)
(アスランには説得しながら、僕にはしようとしないということは……僕が死にかけた女性を置いて逃げるような人間だと、思っているってことだよな?)
カガリを置いていくことのみを気にするアスランも、同じように考えているのだろう。良く思われていると思ってはいなかったが、ここまでの侮辱には我慢ならない。
(そんな風に思われたままでいられるものか!! 思い知らせてやる!!)
そして考え付いたのがこれだった。
敵の能力が『磁力』である以上、目標の前に磁力に反応するものがあれば、それに影響を与えないわけにはいかない。
ユウナたちの身につける金属製品に影響がないところを見ると、どうやら敵の磁力は生物の体の鉄分にのみ、大きな効果をもたらすようにできるらしい。
砂鉄にまで影響を与えれば、砂鉄の動きで位置がばれてしまうから、そうならないために能力を調整しているのだろう。
だが、生物に含まれる鉄分であれば、おかまいなしであるようだ。
「小鳥の首を落としたようにね……」
やがて、ユウナの血が床に溜まっていく。カガリを囲むようにして。
「この血の池はレーダーだ。敵がカガリを狙って磁力を使えば、カガリに力が及ぶ前に、この池に引っかかる!!」
そして言葉どおり、赤い血の池に乱れが起こり、湧き出るように針が突き出した。次々と針が飛び出していく。無数の針は血の池を割る一筋の道となる。
あとは、さきほどのように消される前に攻撃しなくてはならない。
「この針の道の先に敵がいる。後は任した」
ユウナは青ざめた顔で、アスランにニヤリと笑みを投げ、バタリと仰向けに倒れる。
「ユウナっ!!」
カガリが悲鳴をあげる。しかしアスランは、もうユウナを見はしなかった。そっとカガリから手を離し、静かに立ち上がる。
「……わかったよユウナ」
今のアスランの脳裏に、父の姿はない。
あるのはユウナが切り開き、示した『道』のみ。迷いはなく、自問もなく、焦りも怒りもなく、ただすっきりとした戦意がその顔にあった。
過去の亡霊は消え、今存在する、未来への道のみが見えていた。
「あんたの覚悟が、心で理解できた!!」
そう言い放ち、アスランの目に『火』が宿る。
「その覚悟に! 答えよう!」
アスランは、針の道の先に銃口を向けた。迷いの無い力強さで。
銃を構えた途端、アスランの体から、針が突き出す。腕から、足から、顔から、口から、腹から。だが、アスランは髪の毛一筋ほどの震えもなく、
正確に引き金を三度引いた。
銃口から三度、『火』が噴いた。
見えはせずとも銃弾が何かに当たる音がして、目に見えぬものを吹っ飛ばしたことが実感できた。一呼吸遅れて、何かが地面に叩きつけられる音がする。
「やったようだね……」
ユウナの声がする。血は止まっているようだ。実はアスランやカガリの血も止まっている。ウェザーが雲を創り、傷に包帯のように巻きつけているのである。
「まったく、大胆な真似をしたものだな……」
アスランが呆れた声を出す。だがそこには、見直したという想いも確かにあった。
目的を達成したユウナはフッと笑って、言ってやった。
「……かっこつけたかったんだよ。君らの前で」
(く、しまった……)
リゾットは自らの身体に開いた、弾痕を見てそう思う。皮膚一枚下に自分の体内にある鉄分で防御壁をつくり、威力は弱めたものの、衝撃はかなりのものだ。
体が痺れている。
(奴らの連携に、はまった……)
自分の居場所をつきとめたユウナ。
ユウナに応えて、攻撃を受けてもひるまず銃を撃ったアスラン。
そして……リゾットが身を翻し、銃の射線から逃げる事を防いだ、ウェザー・リポート。
アスランはメタリカによる攻撃に動揺しなかったといえど、体の動作は一瞬遅れた。その一瞬の隙に、弾丸をかわすことはできたはずだった。
だが、それは『風』によって阻まれた。
突如、一瞬吹き荒れ、リゾットの体を包んだ風が、彼の動きを封じたのだ。
「おのれ……」
リゾットは、口から血を垂らしながらも立ち上がろうとする。そこに、
「リゾット……」
自分のすぐ『下』から声がした。聞き覚えのある声だった。
視線を地面に向けると、そこには『顔』があった。人間離れをした奇妙な怪物の顔。
「ベイビィ・フェイス……?」
それは、リゾットの仲間の一人、メローネのスタンド、ベイビィ・フェイスであった。その能力は、自分や他の生物の体を物質に作り変えてしまうこと。
今、ベイビィ・フェイスの体は高台をつくる鉱物と同化しているのだ。
「なんのようだ……」
ベイビィ・フェイスは血液を元に創り出される遠隔自動操縦スタンド。血液の主を自動的に追いかける。
そして、このベイビィ・フェイスはリゾットの血液を元に創られている。だからリゾットがどこにいても追跡し、連絡を届けることができる。
「メローネからの伝言だ……『この依頼はキャンセルだ』」
「……何?」
「暗殺の依頼をした奴らが口封じのために……俺らを襲撃してきやがった……ディ・モールトなめてくれたもんだ。まあ、そいつらは既に『ぶち割って』ある。
依頼主の裏切りがあった以上、この仕事はなしだ」
リゾットはなるほどと頷く。この暗殺を依頼してきたのは、ブルーコスモスの過激派だ。
彼らの動機に興味はないが、どうやら親プラント派のカガリを殺し、その罪をコーディネイターになすりつけ、大西洋連邦との同盟を進めようとしたらしい。
「で、どうする? 随分やられているみたいだが……やはり標的をブチ殺して帰るか?」
「いや……俺たちを裏切った依頼主に、報復をする方が先決だ」
裏家業の自分たちにとって、面子は命よりも大事だ。裏切ったからには、それ相応の報いは受けてもらう。襲撃した奴ら以外の依頼主にもだ。
どんな形にせよ、カガリを殺す事は裏切られてなお依頼を続行することになり、よろしくない。だが何より……
(あのスタンド使い……まだ何かありそうだ)
あのスタンド使いが見せたのは『雷』、『風』、それに奴らの傷口に巻きついているのは……『雲』か。
おそらく、『天候』を生み出すのが奴の能力。幅の広い能力と見える。まだまだいろいろとできることはあるだろう。
(あえて手負いの獣に挑む事もあるまい)
そしてリゾットは、ベイビィ・フェイスの能力で物質となり、ベイビィ・フェイスに運ばれてその場を去った。
その後、通信機能が回復し、アスランの呼んだ助けによって四人は病院に運ばれた。
後日、この暗殺事件の犯人はブルーコスモスの一グループであったことが判明した。グループは全員死体で見つかった。
彼らが死んだ理由は、仲間割れがあったという結論がつけられた。
それよりも重要なのは、彼らの本拠地に残されたデータから、彼らグループが大西洋連邦との同盟を求めてカガリ暗殺を目論んだということがわかったことだ。
国民からの信望厚いカガリ暗殺を企んだブルーコスモス、そして彼らが味方する大西洋連邦へのオーブ国民の反発心は強くなった。
しかも、親連邦派であるユウナまで巻き込まれたのだ。目的のためなら味方であっても害するそのやり口。
そんな奴らとの同盟を組むと言い出せる状況ではもはやない。
カガリやユウナの意思に関わり無く、オーブは反連邦へと傾いていった。