『PHASE 08:泥を見る者』
アスラン・ザラがプラントについた頃、もはやプラントと連合国の戦いは避けられないものとなっていた。
すでに死亡が確認されたテロリストの引渡し、賠償金、武装解除、現政権の解体、連合理事国の最高評議会監視員派遣……これらの要求が受け入れられなければ武力をもって排除する。それが連合からのプラントへの要求。
つまり、最初からまともな交渉をする気がないのだ。欲しいものは戦争の口実……いや、プラントの滅びのみ。
プラントとしては喧嘩を買うしか選択肢はない。かくして戦争は始まる。誰かの望みのままに。
プラント前面に配置された軍事ステーションから、戦艦、MS隊が発進していく。その中には、前大戦の英雄にして、ユニウスセブン破壊にも尽力したジュール隊もいた。
対して連合軍は、月面アルザッヘル基地の部隊を主力とした艦隊を差し向けた。その数はザフトのそれをしのぐ。
二つの軍団は、プラント付近の宙域にて激突した。
「くっ、なんだこいつらはっ!!」
ザフト軍の主力の一つ、ジュール隊隊長、イザーク・ジュールは叫んだ。
敵が予想以上に強いのだ。技量そのものは並みと変わらない。イザークやディアッカの優れたMS操縦技術を持ってすればたやすく落とせる。
だが、その戦意があまりに高い。
落としても落としても怯むことなく、後から後からかかってくるうえに、恐怖や焦燥による乱れも見せない。
「このままじゃ、やばいぜ!」
ディアッカが言う。いくら彼らが精鋭とはいえ、数は連合軍が遥かに優位。質の差でなんとか防衛線をもたせているものの、このままでは質の差を勢いで崩されかねない。
ザフトレッドにして特務隊FAITH(フェイス)であるハイネ・ヴェステンフルスも、現状の危険さを感じていた。
「うおおおお!!」
ビーム突撃銃が放たれ、敵戦艦が爆散する。だがそれも敵の士気を下げることはない。
むしろ奮い立つように三機のウィンダムが、ハイネの乗るオレンジ色のブレイズザクファントムを取り囲む。
対してハイネは激流のような動きを見せた。一機を撃ち落として囲みに穴をつくり、左右から振り下ろされたビームサーベルをかわす。
そして残り二機も正確な射撃によって撃墜した。その間、三秒弱。その戦闘技術、状況判断力、まさにエースの手腕。
だがエースなればこそ、こんな個人プレイで戦局を動かせないことはわかっていた。
「何か起死回生の手はないのか……!?」
並大抵のことは陽気に笑い飛ばしてきた彼も、この状況はやばいと思わざるをえなかった。
「中々にやるな……」
突如、ハイネの機体に通信が入る。だがその識別コードは友軍のものではない!
「!!」
身を翻せば、そこには一体のMSが泰然と存在していた。
宇宙空間の闇に溶けるような全体的に黒い色調。
頭部には二本の角と二つの目。右目は円形で、左目より大きい。
丸みを帯びた四肢は、普通のMSよりも人間のものに近い。
(見たことのないMS……連合の新型か!?)
ハイネが思案していると、そのMSの背後からザフトのゲイツが襲いかかった。だが、
「フゥンッ!!」
そのMSは恐ろしく俊敏な動きで身を躍らせ、右腕を振るい、瞬く間にゲイツを破壊してしまった。
友軍機が破壊されたことに対する怒りよりも、その戦闘能力にハイネは驚きを感じた。
「貴様、ザフトの中でも名のあるパイロットと見た。相手をしてもらうぞ」
MSの右腕から、三日月状のビームの刃が噴き出していた。『リスキニハーデン』と名付けられた装備。
かつてこの漆黒のMSの所有者が戦った、強敵の武器を模したものである。
「へっ……ご挨拶してから戦いとはまた呑気だな」
「ふっ、こういうのはな、余裕というのだぁぁぁ!!」
そうしているうちに、周囲に連合軍のMSが集まってくる。
「閣下!!」
ハイネはその内の一機から出た通信を傍受した。
「お前たち、俺はこいつの相手をする。雑魚どもは任せる。俺の戦いの邪魔にならんようにしろ!」
「なっ、しかし……」
「こいつの相手ができるような者は俺しかおらん! そして倒すことができる者もだ! 心配せずにお前たちはお前たちで手柄を立てろ!!」
「……了解(ヤー)!」
「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」
そして周囲の連合軍MSは、全機一斉に片腕を斜め上に真っ直ぐ突き出した体勢をとる。漆黒のMSは肘から指先までを上げて応えた。
それは異様であったが、壮観でもあった。
『勝利万歳(ジーク・ハイル)!!!』
一斉にその言葉を叫ぶと、MSは散っていき、ザフトMSとの戦闘を再開した。
「では……始めようか」
ハイネは少し呆気に取られていたが、相手の言葉に気を取り直す。
「……変な奴だなあんた。でも、嫌いじゃないぜ」
そう言いながらハイネは理解していた。目の前にいるMSの主こそが、この連合軍の猛攻を支える指揮官であると。
ならばこの男を倒せば、連合軍は士気を下げて瓦解する。
「これだけの舞台だ。名を名乗らなきゃな。俺は特務隊フェイス……ハイネ・ヴェステンフルス!!」
「ほう、ドイツ系か……俺は連合軍少将、ルドル・フォン・シュトロハイム!!」
(シュトロハイム……こいつが例の)
ハイネはその名に聞き覚えがあった。
連合軍に所属する、唯一のサイボーグソルジャー。たった一人の機械化兵成功作。それが彼であった。
その肉体は首から下これ全身機械だというが、プラントのものは信じていない。そんな技術力がナチュラルにあるとは思われないからだ。
ただの宣伝用の客寄せパンダ(偽)だと思っていた。その高い階級も実の無いものだと思っていた。
だが、この相手はそんなものではない。ハイネはそれを肌で理解した。
先に仕掛けたのはハイネであった。まずは突撃銃を放ち、様子見をする。対してシュトロハイムはハイネの射撃に対して、一瞬早く行動をとった。
ビームは撃たれる前に目標を失い、虚空に消えていく。
(やっぱとんでもない速さだ!)
ハイネは確認しながらも信じられない思いであった。あれほどの反応速度、コーディネイターにもそうそうできるものではない。
対するシュトロハイムは、次は自分の番だとばかりに攻撃を仕掛けた。右腕のビーム刃が振るわれる。
ハイネはザクの装甲に薄く傷跡をつけられながらもそれを避けた。そしてビームトマホークを握り、応戦する。
双方、高速で飛びまわりながら幾度も斬撃を振るうが、どちらも攻撃が当たることは無い。
やがてハイネがシュトロハイムの背に回りこむことに成功する。
(よしッ! こいつの速度は相当なものだが、装甲は薄い!! 一撃食らわせれば落とせる!!)
機動力と防御力は両立が難しい。この新型MSも例外ではないようだ。
だがそのMSは、またしてもハイネを驚かせた。
「甘いぞ小童ぁ!!」
MSの右腕が背後へギャルルルルンと曲がる。それは人間の間接では構造的にできない動きであった。
「ぬあっ!!」
ビームトマホークがビーム刃に斬り飛ばされる。ハイネは武器を一つ失った。
「なんて変な動きしやがる!?」
「連合の科学力はァァァ!! 世界一ィィィィ!! できんことはないィィィ!!」
ビシィィィッと効果音がせんばかりに背筋を伸ばし、片腕を突き出すポーズをとった。
そのとき、ハイネのザクに通信が入る。死角となっていた極軌道から核攻撃隊がプラントに向かっているというのだ。
「じゃあ、こいつは囮だというのか!?」
これほどの戦闘力と、覇気と、部下からの支持を得た男が、囮……!?
それは容易には納得できない報告であった。
「ふっ、どうやらばれたようだな。さあどうする!?」
報告を聞いたイザークたちがこの宙域を飛び出していく。だがハイネはそこを動かなかった。
たとえ核攻撃を防げたとしても、この男がいる限り、プラントの危機は変わらないと思ったからだ。
「核はイザークに任せる……あんたは、俺が止めるッ!!」
「よかろう、来いッ!!」
「くらえッ!!」
ハイネはブレイズウィザードのミサイルポッドを解放する。放たれたAGM138ファイヤビー誘導ミサイルの群れは、シュトロハイムのMSに殺到する。
通常以下の装甲しか有さない漆黒のMSにとっては脅威に値する。
「ブァカ者がァアアッ!!」
だがシュトロハイムは哄笑さえ放った。頭の後ろで両腕を組むポーズをとり、MSの腹部を開く。そこから現れたのは銃口であった。
「くらえ! ビームガトリング砲だ!!」
無数のエネルギー弾は、襲い掛かるミサイル群を撃ち落していく。
(うわっ、そんなもんまで!!)
ハイネは驚きを通り越して呆れた。
(考え方としてはイザークが使ってるスラッシュウィザードに近いな。近接格闘専用のMSか。高い速度と機動力、軽量の薄い装甲、高出力のビーム刃、牽制用の飛び道具、よくできてるぜ)
ハイネはビームガトリング砲の射程から身をかわしながら、シールドからビームトマホークを取り出す。
(隙がなけりゃ、つくるまでだっ!)
「こんのォォッ!!」
ビームトマホークが投擲される。トマホークは回転しながら弧を描き、漆黒のMSへ向かう。
(さあ防いでみな!)
ハイネはビーム突撃銃を構えた。正面からミサイル、後ろからトマホーク、右からビーム、三方向同時攻撃。一つでもかわせなければ撃墜は免れない。
「甘いわぁぁっ!!」
だがシュトロハイムはミサイルをガトリング砲で撃ち落とすことを続けたまま、背後に目を向け、右腕をひねって、トマホークが飛んでくる方向に拳を向けた。
だが掴み取るにせよ、払い落とすにせよ、トマホークに意識を向けていては、ビームにまでは対処できまい。
そう思ったハイネに、シュトロハイムはまたしても予想外の動きを見せた。
MSの右拳が『飛んだ』。
それと同時にMSはハイネのザクに顔を向け、
右目を『光らせた』。
同時にコクピット内に振動が走り、ハイネは、ザクの腹部が閃光に貫かれたのを悟った。それは、敵MSの右目から発射された高出力ビーム砲であった。
ミサイル群はビームガトリング砲で破壊しつくされ、トマホークは『拳』によって弾き飛ばされていた。
三方向同時攻撃は、三方向同時攻撃によって防がれた。
シュトロハイムの行動が少しでも遅かったなら、片手を失う事を恐れていたら、勝者はハイネとなっていただろう。
だが、シュトロハイムは九割以上ハイネの勝利に傾いた天秤を、その決断力と行動力で覆したのだ。
(やめりゃあよかった。こんな猛者に戦いふっかけんのはよぉ)
だが、ハイネの表情に後悔はなかった。軍人として、このような結果は覚悟していたし、そう悪い最期とも思っていなかった。
「見事だった。ハイネ・ヴェステンフルス。敵といえど、私はお前のような勇者に敬意を表す!」
シュトロハイムの声が聞こえる。
くだらない血みどろの騎士道、殺し合いを飾る偽善であると彼の理性的な部分は告げていたが、そうでない部分は別のことを告げており、ハイネはそちらの方を口にした。
「あんたもな。ルドル・フォン・シュトロハイム」
その言葉を言い終えられたことを、ハイネは運命とかそこら辺の何かに感謝した。
やがてザクは爆炎をあげて砕け散り、ハイネという男の存在もまた、この世から消えていった。
その命を送るかのように、宇宙の闇を眩い光が閃いた。それは、核兵器によってプラントを狙った連合部隊『クルセイダーズ』の敗北の光であった。
「撤退命令だと?」
本部から届いた通信に、シュトロハイムは憮然として呟いた。核攻撃部隊『クルセイダーズ』は敵の新兵器により全滅したとのことだ。
「まったく我々を囮に使っておいてこの体たらくか」
「どうしますか?」
部下の言葉は、クルセイダーズを止めるためにザフト部隊が戦力を分散させた今、このまま戦い続ければ、プラントを攻略できるかもしれないと考えてのことだ。
だがシュトロハイムは、
「命令とあれば軍人として従わざるをえん。それに残りエネルギーも微妙な量だ。ここは見逃してやろう」
ハイネとの戦いがなければ、引こうとはしなかったかもしれない。
だが、MSの力を出し切らせる強敵との戦いと勝利に満足していた彼は、すがすがしい気分で全軍に命令を飛ばし、撤退を開始した。
結果としてハイネの善戦がプラントを救ったのだ。
しんがりをつとめたシュトロハイムは、戦場で散っていった戦士たちに敵味方の区別なく敬意を表して敬礼し、月面基地へと降りていった。
後に『フォックスノット・ノベンバー』と呼ばれる戦いは、こうして終わったのである。
月面基地に戻った漆黒のMSを、まず迎えたのは技術者の集団であった。
彼らは格納庫に納まったMSの胸部を開けさせる。普通のMSであればコクピットがあるそこに、人間が入るスペースはなかった。
だがそれにもかかわらず、そこにパイロットは存在していた。
「ジークハイル。シュトロハイム閣下」
技術者たちは敬礼して、目の前の『モノ』に挨拶をした。
MSの内部、小さな隙間のような空間に存在するそれは、一つの『生首』であった。
首の切断面には幾本ものパイプや配線が差し込まれ、MSと繋がっている。
その『生首』は奇妙なコルセットを右眼部につけ、髪の毛を逆立てた白人男性のものであった。
その『生首』こそがルドル・フォン・シュトロハイムであった。
技術者たちは、表面張力がぎりぎりの水が入ったコップを扱うように丁寧に、MSとシュトロハイムを分離させた。
同時に別のパイプや配線を首に繋げていく。そのパイプは成人男性と同じ大きさとシルエットを持つ物体に繋がっていた。
それはシュトロハイムの人間型ボディ。かつての彼のボディに、改良を施したもの。
たっぷり一時間をかけて完璧に『生首』はMSから人間型ボディに移された。
「完了しました。閣下」
軍帽を差し出しながら言う技術者に、シュトロハイムは初めて反応を見せた。
軍帽を被ると、まず首を左右に曲げ、ぐりぐりと回して座りを確かめる。次に両腕を曲げる。腰を捻る。足踏みをする。
他にもいくらか動かした後、満足げに微笑んだ。
そして軍帽のつばを右手の親指と人差し指で掴み、
「連合の科学技術は世界一ィィィ!! 相変わらず見事だァァ!!」
「ありがとうございます、閣下」
「うむ。しかしすまん。初陣で片腕を失うとは」
ハイネとの戦いで失った右手の跡を見て、シュトロハイムは技術者に言う。
「なぁに、予備は用意していますよ。それに相手はハイネ・ヴェステンフルス……前大戦でも活躍した凄腕です。片腕ですめばいい方ですよ」
「ふん……確かにな。今までこちらで戦った中では一番だった」
「それを破った閣下とGAT-1938の力は更に高いというわけです」
GAT-1938。それがこの漆黒のMSの形式番号。
1938とは、このシュトロハイムにとって思い入れのある数であるらしく、そこからつけられた。
シュトロハイム専用の機体であり、シュトロハイム唯一の生身である頭部と繋がる事で、シュトロハイムは己の身体と同じようにこのMSを動かすことできる。
操縦を必要とせず、考えただけで動かせるので、その速度は並のMSを圧倒する。
無論、うまく動かすためには動かす者のセンスが優れていなければならないが。
今回が初の実戦導入であったが、結果は良好といえる。
「さて、こいつが使えることがわかったところで名前が欲しいな。GAT-1938なんて番号じゃあ今いち呼びにくいッ!
このシュトロハイムが名付け親(ゴッドファーザー)になってやるッ! そうだな……ゲルマンの伝説に登場するドラゴンで、『抱く者』という意味の……『ファフニール』というのはどうかな!?」
ファフニール。英雄ジークフリートに倒された、欲深き竜の名。決して縁起のいい名ではないが、シュトロハイムはそういったことは気にしない。インパクトがあってかっこよければ充分である。
周囲も特に反対はなかったので、その呼称が正式なものとして決定された。
「しかし我々の部隊は成果を上げたといえ、全体的には大失敗に終わったわけだが……これからの軍の方針はどうなるのだ?」
「まだ定まっておりません。待機命令が出ております」
部下の返答に頷き、シュトロハイムはこれからのことを考えた。
(このまま終わることはなかろう。このままでは引っ込みがつかんし、プラントとて黙ってはいまい)
「まあどうせ、俺にできることは戦うことだけだがな」
彼が連合軍に入ったのは二年前。南アメリカ独立戦争の真っ只中であった。
気がつけばジャングルにいたシュトロハイムは、さまよい歩き疲労の果てにぶっ倒れていたところを、連合軍の兵士に助けられた。
借りを返すために戦闘に参加し、ユニウスセブン条約が締結した後、正式に連合軍人となった。
シュトロハイムには居場所が必要であったし、連合軍はシュトロハイムの機械の体の秘密を知りたがった。
需要と供給が一致したのである。(今のところ、第二、第三のサイボーグソルジャーの完成は遠いようだが)
また、連合軍は独立戦争で活躍した彼に大佐の階級を与え、同時に世界初のサイボーグ戦士として英雄に祭り上げた。
ろくな成果もあげられなかった戦争を起こしたとして責められる前に、讃えるべき華々しい存在を担ぎ出して人々の目をそらそうとしたのである。
そして軍の思惑は成功した。だが、成功しすぎた。彼の猛々しさは民衆からも軍人からも高く指示された。
戦闘力を試すためにゲリラ退治などをやらせるたびにその名声は高まり、階級も増えていった。
ブチャラティと似たパターンをたどっていたが、ブチャラティと比べてシュトロハイムはあまり危険視されなかった。
彼が単純で熱血漢の軍人であることは誰の目にも明らかであり、利用しやすいと思われたためだ。
軍の思惑はともかく、シュトロハイムは何を企むでもなく、軍人としての職務を真っ当するためにただただ突っ走るのみであった。
その突っ走る先に、障害物があれば、それが何者であろうと叩き潰すであろう。そう考えると、彼はただ利用しやすい人物ではなかった。
「閣下が我が軍にいる限り、コーディネイターにも遅れはとりますまい。次は勝てます」
部下が決しておべっかではない、真実そう信じている言葉をシュトロハイムに投げかける。
「……前から思っていたが、お前たちはコーディネイターを特別視しすぎておる。コーディネイターといっても精神はナチュラルと変わらん。いや、人間そのものが石器を持ってイノシシを追い回していたころから変わっちゃいないということか」
あらゆる面でナチュラルより優れているとうたわれるコーディネイター。
だがシュトロハイムの見る限り、科学技術において圧倒的な差異は感じられなかったし、
かつての部下ドノヴァンに勝るような戦闘能力を有するコーディネイターもいなかった。
精神においては、ユニウスセブン落下を見れば、言わずもがなだ。
吸血鬼や柱の男といった真なる超越種や、その超越種すらも倒した波紋戦士を知る彼にとって、コーディネイターが人類の進化型などというのはお笑い種であった。
「まあマシなのもいるが」
さっき戦ったハイネや、かつてDSSD(深宇宙探査開発機構)の研究所で出会ったあの女……セレーネ・マクグリフのように。
共感はできなかったが、あの女は中々の気概を持っていた。
あのどこまでも己の夢と理想を追求し、そのためならば何でもするという強い意志を宿した瞳。
昔、あんな目をした人間を見たことがある。女ではなく男だったが。確かそう……ヴェルナー・フォン・ブラウンだ。
ナチスドイツの兵器開発をしていながら、宇宙へ行くという夢を持ち続けた男。
『こちら』で読んだ本によれば、戦後アメリカに渡り、人類を月へ送った男という栄光を手にしたそうだ。
だが同時にミサイルの概念を生み、ロンドンを焼いた男でもあった。
セレーネは確かにブラウンに似ている。目的のためには手段を選ばぬという姿勢が。それにしても、
「そんなによいものか。この星の世界は」
シュトロハイムは宇宙が嫌いだ。かつて地球をも超越した究極生命体をすら、行って帰ることはできなかった、凍てついた死の世界。
地獄とは地の底ではなく、天の果てにあるのだと確信させられる。
ナチュラルに追われて、やむにやまれぬとはいえ、こんな世界に住むコーディネイターの気持ちがシュトロハイムにはよくわからない。
まして、地球にコロニーを落下させるにいたっては、もはや彼らは地球を母なる星とは見ていないのだろう。
それが、シュトロハイムが連合の側に立つ理由。
たとえ一部の過激派の仕業に過ぎなくとも、ジェネシスやコロニーによって、地球という星そのものを滅ぼそうとした連中に信頼を抱くことはできない。
「二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ……一人は泥を見た。一人は星を見た」
「は?」
「詩だ」
シュトロハイムは部下の疑問の声に応える。
1849年に生まれ、1923年に没したイギリスの詩人、フレデリック・ラングブリッジの『不滅の詩』。
「地球を過去として切り捨て、星を新たな故郷と見るか、コーディネイターよ。ならば俺は泥(だいち)を見よう。どちらが善か悪かなど関係ない。貴様らが我が故郷である地球を害するならば、そこにどんな正当な理由があろうとも、このシュトロハイムが打ち倒す」
その独白を聞いていた周囲の部下たちは、魂が高揚するのを感じていた。
軍に強い影響力を持つブルーコスモスは、コーディネイターを嫌い、その存在を厭う。
それはコーディネイターがナチュラルより優秀であるという嫉妬の部分が大きい。
そんな負の感情からきた敵愾心は自分自身をも貶めてしまう。
しかしシュトロハイムにはそれがない。コーディネイターが自分より上の存在であるなどと欠片も思わず、ただ同格の敵として見ている。
何の負い目もひがみもなく、堂々と立っている。
それが彼らにとっては力強い憧憬の対象であった。彼のようになりたいと思う。彼のように在りたいと願う。
それはコーディネイターに対するような嫉妬ではなく、より前向きで光り輝く想いであった。
「ジークハイル!」
部下の一人が、口にする。それはシュトロハイムがかつていた場所で行われていたという、士気高揚の言葉だという。
その意味も由来も、もはや事典で調べでもしなくてはわからない、忘れられた言葉。だが、彼らはそれを口にする。敬礼と共に。
「ジークハイル!!」
「ジィィークハイルゥ!」
「ジークハイルッッ!!!」
その言葉は連鎖的に広まっていく。誰もが唱える。誓いの言葉を。勝利の誓いを。
「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」「ジークハイル!」………
やがて月面基地中に言葉が響き渡る。彼らはその日、勝利者であった。少なくとも、敗者では決してなかった。