KtKs◆SEED―BIZARRE_第25話

Last-modified: 2009-06-07 (日) 20:54:51

 『PHASE 25:邂逅の特異点』

 
 

 エーゲ海の海岸線から内陸に入り込んだポイント。
 人家の見当たらない森の中。そこにその施設は存在した。
 情報によればそこは、連合軍の研究施設であり、以前は車輌や飛行機、MSまでが出入りしており、かなりの規模が予測されるという。

 

「あーあ、せっかくエーゲ海だっていうのに、こんなしけた仕事とはねぇ」

 

 ポルナレフがつまらなそうな顔でため息をつく。

 

「言わないでください。余計気が滅入ります」

 

 シンも同じような顔で言った。
 今回の二人の任務は、この施設の潜入捜査である。
 ひょっとしたら武装勢力が潜んでいるかもしれないという話だったが、

 

「気配はねえな」

 

 どの建物も薄汚れており、手入れされた様子はない。
 静まり返った空気から、ポルナレフは誰もいないと判断した。

 

「やっぱ、とっくに廃棄された施設みてえだな」
「そのようですね」

 

 派手なドンパチは期待できそうにない。二人はこの退屈な任務に、渋々ながら取り掛かった。
 とりあえず一番大きめの建物にあたりをつけ、中に入る。
 乱暴にドアを押し開け、地下へと向かう階段を降りていく。

 

「そういや艦の修理は大丈夫かね」
「大分うまくいってるらしいすよ。オーブがようやく落ち着いてきて、補給等の協力ができるようになったとか」

 

 シンが明るい表情で言う。

 

「ああ。今までオーブのザフトへの協力は、アスラン派遣程度だったからな。これからはオーブ軍とも共同戦線が張れるわけだ。故郷が味方してくれて嬉しいだろ?」
「か、勘違いしないでください! 俺はただザフトが楽になるのが良かったってだけで、べ、別にオーブなんてどうでもいいんですからねっ!」

 

 雑談をしながら、二人は闇を電灯で照らし出しながら進み、地下に到達した。
 何らかの化学薬品や、すえたカビの臭いが鼻につく。
 だが、ポルナレフはその中に、もう一つ嗅ぎ憶えのある臭いを感じ取った。

 

「……シン」
「なんですか?」

 

 突如真剣な声を出したポルナレフに、シンも体を緊張させる。

 

「気をつけとけ。意外とやばいかもしれねえぜ」

 

 ポルナレフは通路を入ってすぐのドアを開ける。
 ドアの脇のスイッチを押すと明かりがつき、闇を照らし出した。

 

(電気が通っているのか?)

 

 廃棄された施設にしては妙だ。シンはそう思いながら、周囲を見渡す。
 大型のコンピュータや計測機器らしきもの。
 小型化が進んだ今時、これほどの大きさと言うことは、それだけの大容量と性能であると推測される。
 更に手術台が置かれ、奥にはガラスケースが並んでいる。
 床から天井まで伸びる細長い円筒形のそれは、内部が液体で満たされ、何かの影が浮かんでいる。

 

「……なんだ?」
「……シン、すぐに艦長に連絡しろ。ここは地獄だ」

 

 いぶかしげな声を出したシンに、ポルナレフは振り向き重々しく命じた。

 

「ど、どうしたんですか教官?」
「……この臭い」
「臭い?」
「得体の知れねえ薬の臭い。鼻を刺すようなカビの臭い。そしてもう一つ」

 

 ポルナレフは部屋を出て、ずんずんと激しい勢いで通路を進んでいく。
 シンは困惑の表情を浮かべつつ、小走りでそれを追った。

 

「!! ここから臭ってきていやがる!」

 

 ポルナレフはその部屋に入った。その途端、彼の怯むような呻きがした。

 

「どうしたんですか!?」

 

 ポルナレフらしくない声に驚き、室内に入ったシンは、その部屋の光景に言葉さえ出なかった。
 一瞬、頭の中が真っ白になり、やがてだんだんと理解するにつれ、血の気が引いていく。
 無意識のうちに体が震え、酷い吐き気がこみ上げた。

 

「こ、こんな……こんなことって」

 

 吐き気を無理矢理押さえ込みつつ、代わりに言葉を搾り出した。

 

「酷かもしれないが……覚えておきな。この世界の派手な戦いでは、あまり感じられないものだからな」

 

 ポルナレフは、怒りをこらえるような表情でシンに教える。

 

「これが『死臭』というやつだ」

 

 懐中電灯の光が、赤黒い血をこびりつかせた、無数の死体に当てられていた。
 シンとポルナレフは、ミネルバへと連絡を取った後、独自に施設を捜査していた。
 本格的な調査隊が来るまでに、そう時間はかからないだろうが、待っていられるほど余裕をもてなかったのだ。

 

「ハア……ハア……」

 

 シンが呼気を荒くする。精神的苦痛のためだ。
 どこもかしこも死体が転がっている。
 死体の腐敗が進行する過程で出る熱と異臭が、シンの気分を更に悪化させた。

 

(なんだって……子供がこんなに死んでいるんだ!?)

 

 床に転がっている死体は、大人と子供が半々であり、大人は白衣や身分証から見るに、研究者であると推測された。では何の研究を?

 

「コンピュータは……よくわかんねえしな」

 

 ポルナレフはぼやきながら、紙の書類を探り出し、懐中電灯の光を当てながら、パラパラとめくる。
 科学の進んだこの時代になっても、紙という媒体が廃れることはないのだった。
 書類に目を通しているポルナレフを待ちながら、シンは周囲に目を配る。
 床に転がる死体は、どれも傷ついていた。
 死体の手の中や、床には銃やナイフがあり、殺し合いが、内乱が起こったことが容易に理解できた。
 だが、そんな惨状でさえ霞むような悪夢が展示されていた。
 明らかに殺し合いで死んだものではない死体。
 ガラスケースに丁寧に収められ、並べられた子供の死体。
 まるで標本のように。いや、まさに標本なのだろう。
 シンには、ここがどういった施設なのか、ある程度見当はついた。
 その推測を裏付ける言葉を、ポルナレフが発する。

 

「ここは……対コーディネイター用の兵士を生み出すための、人体実験施設……ってとこのようだな」

 

 反吐を吐くような声だった。

 

「人体実験……?」
「噂には聞いたことがあるだろう? 強化人間(エクステンデッド)。コーディネイターに対抗するために、特殊な訓練を積み、薬物で体を強化して生み出されたクソいけ好かない人間兵器ってやつはよ」

 

 ポルナレフの体は怒りに震えていた。

 

「さすがによ……ここまで腐りきったもんは見たことがねえ……。いろんなトコ行って、いろんなコトやって、いろんな奴と会ったがよお……
 人をエサとしか思ってねえ吸血鬼や、ガキに麻薬売りさばくギャングや、罪悪感無しで人も殺せる外道とも会ったけどよぉ……いくらなんでもここまで、ここまで人間ってやつはよお……」

 

 だが、その怒りは次第に哀しみに取って代わられていく。
 この惨状を生み出したのが、自分と同じ人間であることが、人間がこれほどの悪魔になれることが、ポルナレフは涙を流しそうになるほど哀しかったのだ。

 

「……ポルナレフ教官」

 

 シンは何も言えず、自分が知る限り最も強く勇敢で、単純で陽気で、間が抜けていて愉快で、優しく涙もろい男を見つめるしかなかった。

 

「……ええいっ!! くそっ!!」

 

 ポルナレフは書類を近くのデスクに叩きつける。書類がバラバラに乱れ、床にこぼれた。

 

「出るぞシン。調査隊が来るまで俺たちには、こいつらを埋葬してやることさえできないのが、わかったからな」

 

 もはや終わってしまった事柄について、どうしようもなく無力な自分たち。
 悔しく思いながらも、シンは頷く。だがそこに、

 

「まだ……戻ってもらうのは早いな」

 

 二人が聞いたことのない声が響いた。

 

「「!!」」

 

 二人は即座に身構える。その反応の速さは、彼らの戦闘経験の豊富さをうかがわせた。

 

「何者だ。出てきやがれ!!」

 

 ポルナレフが吠える。声の主は微かに笑いを含んだ声で答えた。
 そんなに近くではない。マイクか何かで増幅した音が、地下道に反響してここまで届いているようだ。

 

「哀しいことを言うなよポルナレフ……俺はお前と出会えるこの時を、一日千秋の思いで待ち望んでいたのに……」

 

 こらえようのない喜びが伝わってくる。しかし同時の、その声のなんて殺意に満ちていることか。

 

「はっ! 俺はお前なんざ知らねーぜッ!!」
「確かに、お前は俺の顔も声も知らないだろう。だが、こいつは知っているんじゃないかな?」

 

 ギュバンッ!!

 

 その一撃をポルナレフが避けられたのは、彼の実力と、運と、何より相手が本気でなかったからである。
 もし避け損なえば、それはポルナレフを袈裟切りにして彼をそこらに転がる死体の仲間入りをさせていたはずだ。
 一撃はポルナレフではなく、先ほど彼が書類を叩き付けたデスクを滑らかに切断すると、闇の中へ消えて行った。

 

「ど、どうしたんですか!」

 

 ポルナレフが鋭く動いたことに、シンは問いながらも半ば理解した。

 

(スタンド使いが、現れたのか!?)

 

 ポルナレフは緊張した顔で、

 

「シン……やばいことになったぜ。強敵だ」
「強敵って、やっぱり知っているんですか?」
「ああ……昔、やりあった相手さ。その時は、俺の仲間を二人も戦闘不能に追い込んだ」

 

 ポルナレフの仲間のことはシンも聞いたことがある。
 以前その内の二人であるアヴドゥルとイギーに、偶然出会ったこともある。
 いずれも劣らぬ強靭な戦士だったはず。それを二人も破るとは……。

 

「憶えていてくれたようだな。もう一度言おう。再会できて嬉しいよポルナレフ」
「俺のほうはこれっぽっちも出会いたくなかったぜ。大体顔も見せないで再会もクソもねーだろう……」

 

 ポルナレフは、かつて自分だけでは手も足も出せなかった敵を相手に、自らを奮い立たせるために笑みを浮かべる。
 鋭い爪を構えた腕の形をかたどり、床から伸び上がる『水』へと向けて。

 

「ゲブ神のンドゥール!!」

 

 悪の帝王DIOに忠誠を誓う、エジプト九栄神の最初の刺客。大地の神ゲブを象徴するスタンド使い。
 凶悪なる復讐者との邂逅、そして対決の幕開けであった。

 

   ―――――――――――――――――――――――――

 

 エーゲ海の地球連合軍基地にて、ダーダネルスでの戦闘でフリーダムに傷つけられた艦やMSの修理を待っていたネオ・ロアノークは、部下からの報告に顔色を変えた。

 

「ロドニアの研究所(ラボ)がザフトに見つかっただと?」

 

 ロドニアのラボ。人体実験施設。かつてステラたちを『製造』した悪夢の工場。
 閉鎖し、証拠も残らず隠滅するはず予定だったらしいが、詳しいことは知らされていなかった。

 

(隠滅……つまり、強化人間(エクステンデッド)の子供たちも残らず殺すつもりだったわけか)

 

 不愉快な感情を押し殺し、現状把握に努める。

 

「……始末するつもりが内乱を起こされ、施設にいた人間は一人残らず死んだと推測される。その後始末をする部隊を送るより前にザフトに見つかった。現状はそういうことか?」
「はい。報告を受けて、スエズも慌てているようですが、とりあえずお耳に」

 

 それは慌てるだろう。あの施設の全貌を知られたら、連合軍の恥どころの騒ぎではない。
 守るべき自国の子供に人体実験を施す非人道的行為。敵味方問わず、認められるはずがない。

 

(このことが公表されたら、ただでさえ評判の悪い連合軍、ひいては大西洋連邦は、自分たち以外すべてを敵に回しても不思議じゃない)

 

 だがこれはむしろ、ネオやブチャラティにとってはチャンスかもしれない。このことを、対ジブリール包囲網を発動させる口実にすれば。

 

「ブチャラティと相談の必要があるな……とにかくこのことはステラたちには言うんじゃないぞ。仮にもあいつらが育った場所だ。聞けば動揺するだろうからな」
「はっ!」

 

 報告を持ってきた部下は敬礼をして答える。
 その返答に頷くネオは気付かなかった、彼の視界の影で、一人の少女が彼らの会話を聞いていたことを。

 

   ―――――――――――――――――――――――――

 

 ポルナレフはこの状況をどうするか考えていた。

 

「さて……こいつの能力を整理してみようか。えーと、こいつの本体は盲目の男。目が見えない分、耳がめっぽう良くて、キロ単位の距離からでも音を探れる。しかも冷静で頭もよく、判断力、洞察力に優れている。下手な罠にはかからねえだろう……」

 

 シンに教えるため、考えていることを声に出す。相手はただ耳がいいだけの男ではない。アヴドゥルが腕輪を投げてたてた、偽の足音も見破る知恵がある。

 

「しかもこいつのスタンドは水。決まった形がないから、斬ったところでダメージがねえ。単純なパワーじゃ傷つけられないタイプのスタンドだ。となると本体まで近づくしかないが……」

 

 どこにいるのかがわからない。前はイギーの鋭い鼻で探し当てたが、今回はそうもいかない。

 

「……こいつは思いのほか絶体絶命だぜコンチクショー」

 

 スタンド使いでないシンだが、ポルナレフが愚痴るほどの危機であることはよく理解できた。

 

「けどポルナレフ教官。スタンドはスタンド使いにしか見えないっていう話ですけど、見えてますよ、俺。この水みたいな奴……」

 

 シンの目に、ナイフのように鋭く禍々しい爪を尖らせる『ゲブ神』が映っていた。

 

「それは、多分こいつが水と一体化しているタイプのスタンドだからだろうな。現実に存在しているものと同化して操るタイプのスタンドは、スタンド使いでなくても見ることができる。ま、そいつは不幸中の幸いってとこかな」

 

 多少なりともシンはゲブ神に対して行動をとれるということだ。

 

「よし……。シン、どうするか決めたぜ」

 

 このままじっとしているよりは、一か八かでも行動した方がマシ。そう判断したポルナレフは方策を述べる。

 

「本ッ当にどーしよーもねー状況で使う最後の手段。戦友から受け継いだ最終的必殺奥義だ」
「そっ、そんなのがあるんですか!?」

 

 シンが目を丸くする。ポルナレフと会って一年ほどになるが、そんな凄い技があるなど聞いたこともなかった。

 

「ああ……それはだな」

 

 深刻な面持ちのポルナレフに、シンは息を呑む。そして、ポルナレフはその奥義を口にした。

 

「『逃げる』」
「へ?」

 

 シンがポカンと口を開けたのも束の間、ポルナレフは強く足を踏み出した。
 床を踏みしめる音が響き、水のスタンド『ゲブ神』は鋭い勢いでその音に反応した。
 高速で滑り、爪の一撃を浴びせかけるゲブ神を、シルバー・チャリオッツの刃でしのぐ。
 ポルナレフはドアへと走りながら叫んだ。

 

「逃げる俺をこのスタンドが追っている間に、お前はスタンド本体を探すんだ! 杖を持った盲目の男がいるはずだ! そいつを倒せ!」

 

 スタンドを相手にできなれば本体を攻めればいい。本体がどこにいるのかわからなければ探せばいい。ポルナレフらしい単純明快な方法だ。

 

「お、俺がッ!?」
「お前しかいねえだろうが!」

 

 大役を任じられ慌てるシンに、一喝する。その間にも、ゲブ神は攻撃を繰り出してくる。

 

「ぬおおおおおお!!」

 

 ゲブ神の斬撃をすんでのところでかわすポルナレフ。斬撃はそこに横たわっていた死体を胴切りにし、更にポルナレフに追いすがる。

 

「できるだけ……早く頼むぜ! シン!!」

 

 その言葉を残し、ポルナレフは施設の奥へと走っていった。
 シンは見えなくなっていく背中と、それを追う水のスタンドを見つめていたが、すぐに足を動かし、命じられた役目を果たすために行動を開始した。

 

(急がなきゃ……!!)

 

 シンは焦りながらも、同時に嬉しさを抱いていた。尊敬する師に、役目を託されたことに。

 

(行くぜ……待っていやがれ! ンドゥールとやら!!)

 

 シンはポルナレフと別方向に走り出した。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 施設の一室に、杖を持った男がいた。額に布を当て、大きな輪の耳飾りをしている。彼こそが『ゲブ神』のンドゥール。
 DIOへの忠誠のため、情報を探られる前に自らのスタンドで頭を撃ち抜き、自決したスタンド使い。

 

「二手に分かれたか」

 

 ンドゥールは音を聞くことに集中するために、あまり動くことはできない。
 ゲブ神を遠く離した状態でいるところを見つけ出され、攻撃を受ければ、さすがに勝ち目はない。
 相手は戦闘訓練を受けた軍人なのだから。
 同じ理由で、増援部隊が来ないうちに仕留める必要もある。

 

(まあいい……見つけられる前にポルナレフを始末すればいいだけのことだ。どこへどう逃げようとも……このンドゥール様から逃げきることはできない)

 

 ンドゥールは先端を床につけた杖に、耳を寄せる。
 杖は床に流れる振動、すなわち『音』を、ンドゥールに伝える。
 目で物を見ることができぬンドゥールは、『耳で物を見る』。
 小さな蝿がどこを飛んでいるのか、正確な位置を察することのできるその凄まじい聴力は、この広い地下施設で発生する音を聴き取り、分析できる。
 それこそ目では見えない場所までも感知できる。

 

(現在たっている足音は二つ。一つは若く荒削りな少年の足音。もう一つは迷いのない熟練の戦士の足音。歩幅からしても後者がポルナレフに違いない。こちらを集中して聴き取り、打ち倒す!)

 

 視覚を補って余りある千里眼的聴覚は、ポルナレフの一挙手一投足を捕えていた。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 ミネルバはシンたちからの連絡を受け、ロドニアの研究所へと向かっていた。
 報告によれば、施設内部はそこかしこに死体が転がる地獄絵図とのことだが、どういう経緯でそのような状況が生まれたのか、タリアは美しい眉をひそめていた。

 

「戦争なんてロクでもなくて当然だけど……今回は今までより更に気分の悪いものを見そうな気がするわ」
「はあ……シンたちは大丈夫でしょうか?」

 

 根の優しいアーサーが心配そうに言う。

 

「あの二人は図太くてしぶといから大丈夫でしょう。けどドジなところがあるし、急ぐに越したことことはないけれど」
「ははは、それは確かに。うっかり施設に取り付けられていた自爆ボタンとか押してしまって、ミネルバが着いてみたら施設が瓦礫になっていた、なんてことになったら冗談ではすみませんからね!」
「………不吉なことを言わないで」

 

 タリアはアーサーの軽口を笑えなかった。
 彼ら二人がいるとなると、施設を残骸にしてしまうような大事が起きていても、なんら不思議と思えない。
 どんなトラブルだってありえそうだ。
 タリアの危惧に毛ほども気付かず、アーサーは呑気に次の質問をする。

 

「しかし、アスランや、オーブの援軍の方は、待たなくてよかったんですか?」
「伝言は残してあるし、すぐに来るでしょう」

 

 アスランはどうしただろう。うまくアークエンジェルを見つけ、キラ・ヤマトたちと話せただろうか。
 こういう場合、寝返ったりしないようにアスランに見張り役でもつけるものだが、タリアはそれをしなかった。
 アスランは信頼できる人間だし、そんなことをして、もし尾行がばれたら、こちらの信頼を失う羽目になる。

 

「オーブからの派兵に関しては、確かに礼を失することになるけれど……仕方ないわ。戦時中に礼儀作法云々を言っている暇が無い時があることくらい、わかってもらえるでしょう」

 

 そう答えながら、タリアは感じていた。
 いよいよオーブが動く。平和主義的な外殻の内に、高い技術力と軍事力を秘めた、小さな強国が。
 各地の反抗によってもはや罅割れた連合軍に、決定的な鉄槌を打ち込む時が来た。
 その鉄槌に対し、連合は全力を振り絞って迎え撃つだろう。

 

(戦争の激しさと辛さは、最高潮を迎えるでしょうね)

 

 今までが太陽の光無き、暗い曇天だったとすれば、これから荒れ狂う黒い嵐のごとき時が来る。
 そして嵐が過ぎ去った後、果たしてこの艦は、クルーたちは、残っているだろうか。
 それを思い、タリアは冷たい汗を流すのだった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 タリアの危惧どおり、渦中の人となっていたポルナレフは、廊下を必死で走り、汗を流していた。

 

(シンと二手に分かれたまではよかったが、こりゃあ正直デンジャラスだな!)

 

 ポルナレフは背後から迫る敵意ある水は、徐々にポルナレフとの距離を詰めつつあった。

 

(幸い足元は滑らかな床。砂漠での時みてえに中に染み込めないから、奴の姿は丸見え。不意打ちをくらうことはねえが、正面からでも承太郎のスター・プラチナと張り合えるほどのパワーだって話だからな。逃げながら相手するのは至難の業だぜ!)

 

 海の中でも取らなかった空条承太郎の帽子を、吹っ飛ばしたほどのスタンド。
 後ろを見せている状態で戦うのは無理がある。

 

(前の時はイギーの『愚者(ザ・フール)』で空を飛んで、足音を誤魔化したが……俺の『銀の戦車(シルバー・チャリオッツ)』じゃそんなに長時間、空中に持ち上げてはおけねえし……)

 

 シルバー・チャリオッツは剣のスタンド。腕力そのものは大したものではない。

 

(じゃあこういうのはどうだ?)

 

 ポルナレフはシルバー・チャリオッツを現した。
 鎧をまとい、細身の剣を手にした、勇壮な中世の騎士のごときスタンドは、前方2、3メートル先の通路右側にあるドアに対し、腕を振るった。
 一瞬に切り刻まれたドアの破片が、床に落ちて大きな音をたてる。
 その音に反応して、ゲブ神の動きが迷ったように鈍る。
 だが、すぐにそれとポルナレフの足音と判別して、勢いを取り戻した。

 

(駄目だな。こんなんじゃ十秒と時間をかせげねえ。相手もこっちがやりそうな誤魔化しは考えに入れて、注意深く音を聴いているみてえだ)

 

 考え込むポルナレフだったが、その時、遂にゲブ神がポルナレフの背中に追いついた。
 弾丸のごとく細く鋭く飛び上がり、ポルナレフを貫こうとする。

 

「ちいっ! やられてたまっかよ!!」

 

 ポルナレフは、先ほど切り刻んだドアによって閉ざされていた、今は開けっ放しの部屋の中に、身を躍らせた。
 床に受身をとりつつ落下し、転がって落下ダメージを分散させ、体に衝撃を残さずに起き上がる。
 かくしてゲブ神の攻撃は完璧に避けられた。

 

「よし! あとは壁に穴でも開けて通路を作って……って、おい嘘だろ?」

 

 ポルナレフは、部屋の中の光景に愕然とした。

 

「フ、フハハハハハ……なんと『運』の悪いことよなポルナレフ。よりによって『そこ』に逃げ込むとは……」

 

 ンドゥールは、ポルナレフが床に落ちた時の衝撃音の反響から、その部屋がどこの何であるかを、彼は正確に読み取っていた。

 

「思ったより早かったが……俺の勝ちだ。ポルナレフ」

 

 ポルナレフは慌てて背後を振り向くが、すでにゲブ神の姿はない。相手もここがどこかわかったのだろう。
 そして、ポルナレフにより決定的な攻撃をするために移動したのだ。
 とすれば、次に奴がどうするかは予見できた。
 その部屋。多少なりとも高等な生物であれば、絶対に行わねばならない行為をするための場所。
 人間の住居としては、何が無くてもそれだけは必要となる安息の聖地。
 誰もが厭い、鼻をつまみながら、避けては通れぬ禁断の部屋。
 その名は………『便所(トイレ)』。

 

「なんだって俺はいつも」

 

 ポルナレフが絶望的な顔色で呟く。同時に、それは音をあげてやってきた。

 

「こういうとこでピンチになるんだクソッタレーー!!」

 

 ドゾワアアァァァァアアァアッ!!

 

 水の張った洋式便器や、水道の蛇口から、大量の水が放出され、噴き上がり……そのままポルナレフへと襲ってきた。
 別の部屋の水道に潜り込んだゲブ神が、大量の水と一体化し、津波さながらの勢いでやって来たのだ。
 ポルナレフは背後に跳躍し、トイレから廊下に出る。
 だがトイレを満たすほどに大量の『水』は、蛇が蛙を飲み込むように、蛸が小魚を捕えるように、ポルナレフの体に覆い被さり、包み込んだのだった。

 

「よしッ! これでまずは一人あとはアヴドゥルとあの犬を……」

 

 ンドゥールが勝利を確信して笑みをもらす。だが次の瞬間、その笑みは驚愕にとって変わられた。

 

「ッ……なんだと? まだ殺(や)ってない!?」

 

 J.P.ポルナレフの戦歴は、決して華々しいものではない。
 性格からして罠に嵌りやすいのだ。
 アヴドゥルとの一戦では彼の戦術と炎の前に敗れ、ホル・ホースの軌道を操作できる弾丸にまんまと嵌り、エンヤ婆には操られ便器を舐めさせられ、ジャッジメントのカメオの造り出した土人形を相手に窮地に陥った。
 イギーには一蹴され、アヌビス神には逆襲され、ダニエル・J・ダービーには魂をコインにされ、DIOに不意打ちを食らわすも殴り倒され、ディアボロには身体を欠損するほどのダメージを負わされ、再戦した結果、遂に殺されてしまった。

 

 だが、ポルナレフは決して弱いわけでもない。
 十年の修行によって培ったと言うその剣は、鉄をも一瞬で溶かす形無き炎でさえ、苦も無く斬り飛ばすほどの、力と速度、精密さを備えている。
 強く、鋭く、そして速い、『剣』というシンプルにして強力な戦闘能力。
 DIO配下のスタンド使いの中でも、最強と言って過言ではない怪物ヴァニラ・アイスとの戦いを生き抜き、車椅子の身となりながらもディアボロに立ち向かい、死してなお、その意志を次代へと繋げていった。
 辛い境遇も苦にすることなく笑い飛ばす、その不屈の精神と、それを元に生み出されるスタンド能力。

 

 そんな彼の剣が、この程度でやられるはずはない。

 

「さぁて……勝負だぜンドゥール。やっぱり、『逃げる』のはジョースター一族の専売特許。俺ごときには使いこなせるもんじゃなかったぜ」

 

 もしもゲブ神に視覚があったなら、そこにゾッとするものを見たことであろう。

 

「逃げるのはやめだ……こっからは攻めていく!」

 

 早くも方針を変更したポルナレフを取り巻く、7体のシルバー・チャリオッツの姿がそこにあった。
『銀の戦車』は円陣を組み、ポルナレフを飲み込もうとする水を、その剣を持って斬り飛ばし、薙ぎ払い、押し返し、絶対に寄せ付けることはなかった。
 これこそポルナレフの最終奥義。
 チャリオッツの鎧を脱ぎ捨てさせることで軽量化し、元々凄まじいスピードを更に速める。
 1体のスタンドが、残像により7体に見えてしまうほどの速度だ。
 鎧がなくなる分、防御力が低下することや、スタンドパワーを相当に消費することなどの理由で、滅多に行うことはないが、その威力は絶大だ。
 たとえ水のスタンドを殺傷はできないとしても、アヴドゥルの炎に比べれば、弾き飛ばし続けることくらいは、容易い。

 

「俺のスタンドパワーが尽きるのが先か。俺かシンが、お前を見つけ出すのが先か……勝負といこうぜ!」

 

 不敵な笑みを見せながら、ポルナレフは再び走り出す。
 紅海を割ったというモーゼのように、ゲブ神の水を斬り割り裂きながら。

 

「さすがに……一筋縄ではいかんということか」

 

 危機を脱したポルナレフの動きを感じ取りながら、ンドゥールは次の策を練る。

 

「このまま奴の消耗を待つのも手だが……あまり前向きではないな」

 

 このまま隠れ通すことができれば、ンドゥールは身を危険にさらさずに勝てる。
 だがスタンドは精神力を源とする力。
 安全性のみを追求すると、精神からハングリーさがなくなり、スタンドパワーが低下する可能性がある。
 それはすなわち敗北の可能性が増加するということだ。ポルナレフほどの敵を相手にそれはまずい。

 

「それに、DIO様が死してなお、生き延びていたという罪深い奴を、そのような地味なやり方で片付けるというのも気分が良くない。一つ、仕掛けてみるか……」
(それにしてもこの状況、まったく奴の言葉どおりだな。風水というのも、中々馬鹿にしたものではない)

 

 ンドゥールがここにいるのは、風水師ケンゾーの予言によるものであった。
 ケンゾーは地図の一点を指差し、ヴェルサスに言った。

 

『この場所におもむけ。以前、ここを訪れた盲目の男と共にな。それによってお前さんらは、二人ともが求めるものに出会えるじゃろう。ただし、そこには求めるものと同時に危険もある。人生を揺るがすほどの、いや、滅ぼされてしまうほどの災厄がな……』

 

(確かに、ポルナレフは俺の人生に終止符を打てるほどの強敵。そして同時に求める者!! DIO様の仇……今こそ討たせてもらう!!)

 

 盲目の戦士は薄っすらと笑う。復讐の高揚感に酔うンドゥールは、思い起こしもしなかった。
 今、別行動をとっているヴェルサスもまた、求めるものと災厄に出会っているであろうことを。

 

 カタカタカタカタカタ………

 

 ポルナレフとンドゥールが激戦を行っている頃、施設の一室に、指でキーを打ち叩く音と、機械の鈍い音が生まれていた。

 

「これだ……このデータだ! これが欲しかった! 存在すると期待はしていたが、これで確証を得られた!! さすがだなケンゾー!」

 

 キーボードを叩く男が、歓喜の言葉をあげた。
 男の目はコンピュータの画面に注がれ、周囲のおぞましい光景にはまったく意識を向けていなかった。
 その部屋には、エクステンデッドを生むための犠牲となったものであろう、無数の人間の脳が透明なケースに収められ、保管されていたのだ。
 しかし男はそんなただの肉塊に過ぎぬものに、興味はないようだった。

 

「場所は……情報なしか。だが実在さえはっきりすれば、狙いも絞りやすくなる。ふふ……希望とやる気がムンムン沸いてくるじゃないか!!」

 

 彼の言う希望の源泉が何なのかはわからない。確かなことは、その存在は彼の最近の苦労や精神的苦痛さえ吹き飛ばせるような、重要極まるものであることのみ。
 彼はその顔に満面の笑みを浮かべる。

 

「なあ……そう思うだろう? お前も」

 

 男は椅子を回転させ、背後を向く。その視線がついに画面の外に向けられた。
 その視線の先には、赤服の少年の立ち姿があった。

 

「ガキ……お前は確か、シン・アスカだったな? 情報によれば、インパルスを乗り回す、ザフトのエースパイロット。大したもんだ」

 

 そうは言うものの、その言葉には賞賛の念などまるで含まれていない。
 むしろ見下していると言ってよかった。

 

「なぜ俺のことを知っている……お前は誰だ。ンドゥールじゃあないな?」

 

 シンはいつでも跳びかかれるように体勢を整えながら、問いかける。

 

「ああ、アイツを探していたのか。生憎だったな。こっちは逆方向だ」

 

 男はコンピュータから、データをコピーし終えた情報端末を抜き取ると、椅子から立ち上がる。

 

「お前は……ンドゥールの仲間か」
「いいや、あいつは俺の部下だ」

 

 部下? つまりこいつが上司だというのか?

 

「この死体は、お前の仕業か?」
「ん? ああこれか。いいや、俺はこの施設とはまったく関わり合いは無い。こいつらは俺たちが来た時にはとっくに自滅していたよ。無様なモンだぜ」

 

 脳の納められたケースをノックするように指でつつき、嘲笑を浮かべる。
 シンはその仕草で、相手が他者に対し敬意を表することなく、容易に踏みにじることができるタイプの人間だと察した。

 

「もう一度訊く。お前は……誰だ」
「偉そうだなお前……。だが今の俺は機嫌が好い! 敢えて名乗ってやろう」

 

 もったいぶりながら、気取った調子で名乗りをあげた。
「俺の名はドナテロ・ヴェルサス。憶えておくんだな。この世で最も偉大な血と、その意志を継ぐ者の名を」

 

 彼の声は傲慢極まるものであった。出会うことのなかった父の様を真似るかのように。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 ファントムペインの一員、ステラ・ルーシェは、ガイアを操りロドニアのラボへと向かっていた。

 

「守る……守る……守る……」

 

 その言葉を繰り返し唱えながら。

 

 事の起こりは、彼女がネオと兵士の会話を聞いたことに始まる。

 

『ロドニアのラボ』

 

 聞き覚えのある言葉だった。いつまでも頭に引っかかり、取れずに気にかかり続ける言葉だった。
 そこでステラは、その言葉の意味を訊ねることにした。仲間たちに。
 トレーニング・ルームのドアを開くと、その部屋には4人の男たちが汗を流していた。

 

 スティングはダイアーと対峙している。スティングは険しい表情でダイアーを睨みながら、相手の周囲を歩いていたが、ダイアーの方は泰然として微動だにしない。
 やがてスティングが床を蹴り、ダイアーの顎目掛けて拳を打つ。だがダイアーはその攻撃を最小限の動きでかわした。
 スティングの方もそのくらいは予想していたらしく、体を一回転させて回し蹴りをくらわそうとした。

 

「まだ甘い」

 

 だがその蹴りはダイアーにあっさりと掴まれ、そのまま蹴りの勢いを利用された形で投げ飛ばされた。

 

「お前は並みより身体能力が高く、それだけで勝ててしまうから、技の研鑽が未熟だな。もっと相手の行動を予測してみろ」

 

 スティングは悔しそうな顔で起き上がる。

 

「くそ……もう一丁!」

 

 だが訓練を投げ出しはせず、再度構えを取る。
 ダイアーもスティングの気合いを良しと見て、笑みを浮かべつつ相手をする。
 アウルはナランチャと、ナイフを向け合っていた。二人は同時に刃を振るう。金属がぶつかり合う、よく響く音がした。
 ナイフ同士が噛みあったまま、膠着状態となるが、それも長くは続かない。

 

「ふっ」

 

 アウルがナランチャのナイフを持つ手を、頭上まで押し上げ、素早く背後にまわる。

 

「げっ!」

 

 ナランチャが振り向く前に、アウルのナイフがナランチャの喉元に添えられていた。

 

「はい♪ これで俺の十四連勝」
「う、うううう……くそぉ、俺の方が年上なのに」

 

 ナランチャが情けない顔で呻く。

 

「まあ、ちょっとは成長してるけど乗せられやすいんだよなぁ。主導権握れるようにしねぇとさぁ」

 

 どこか偉そうに講釈をたれるアウル。
 それらの光景は、少し前までは考えられないほど活き活きとした、楽しげなものだった。
 そんな彼らに、ステラは声をかけた。

 

「ねえ、みんな……」

 

 4人は何事かと彼女に目を向ける。

 

「ロドニアのラボって、知ってる?」
「はあ? 知ってるもなにも、そりゃお前……」
「俺たちが前にいたとこじゃんか」

 

 スティングとアウルが順に言う。ステラは以前、記憶を消去処理された時、たまたまその辺りの記憶をいくらか消されてしまったが、二人は割りとよく憶えていた。

 

「なんだァ、いきなり?」

 

 ちょっと懐かしむようにスティングが笑う。
 傍から見れば、ラボは到底許せないような非人道的施設だが、当事者である彼らはそこまでひどいものとは思っていなかった。
 思わないように教育されていたからだが、ブチャラティたちも今更そこに触れることはない。
 そこに触れると、どうしても彼らを同情すべき弱い存在と見なすことになり、かえって侮辱になるのではないかと考えられたためだ。

 

「ザフトに見つかったって……ネオが」
「「ええッ!!?」」

 

 スティングとアウルが急に顔色を変える。ナランチャとダイアーも顔を険しくしていた。その雰囲気に、ステラは怯む。

 

「見つかったって……どういうことだよ!!」

 

 アウルがステラに詰め寄る。その手には、まだナイフが鋼色の輝きを照り返らせていた。

 

「ステラっ! 言えよっ! ネオは何て言ってたんだよっ!」
「わ、わかんない……よくは聞き取れなくて……」
「おい、アウル!」
「落ち着けよアウルっ!」

 

 スティングが二人の間に割って入り、ナランチャがアウルの手首を押さえる。
 今にも刃先を突きつけそうなほどの勢いだったからだ。

 

「これが落ち着いていられるかよ! わかってんのか!? ラボには母さんが……ッ!!」

 

 禁断の言葉が放たれてしまった。それもよりによってアウル自身の口から。

 

「かあっ……さんっ……がぁっ………!!」

 

 呼吸が乱れ、汗が流れ、全身が震える。膝を崩し、床に両手を着く。

 

(いかん……! ブロックワードが……!)

 

 ダイアーがほぞを噛む。強い力を持ったエクステンデッドを支配するため、一言で行動を停止させるために刷り込まれた合言葉。
 アウルの場合は、『母さん』がそれだった。
 母さんとは、ラボにいた女性研究者の一人である。アウルは彼女のことを非常に慕っていたらしい。
 ダイアーは面識が無いが、研究者だったということは、つまり実際はアウルたちを実験動物のように扱っていたということになる。
 まあ人間は複雑なものゆえ、『母さん』とやらが彼女なりに、彼らを愛していたことを否定することもできないが。

 

(いやそんなことは今どうでもいい!)

 

 アウルの状態はいよいよ酷くなっていた。

 

「母さんが……いるっ、んっ、だぞ……っ」
「しっかりしろよアウル! 気を確かに持て!!」

 

 ナランチャが揺さぶって励ます。だがアウルは聞く耳を持たない。

 

「母さんがぁっ………死んじゃうじゃないかぁぁぁッ!!」

 

 それが、更なる禁断の引き金となった。

 

(死ッ!!)

 

 ステラの顔が真っ青を通り越して、真っ白になっていく。

 

(死ぬ? 嫌! 死にたくない! 嫌!!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死死死死死死死死死死死死死死死!!!!!!)

 

 思考が赤黒いその一言によって埋め尽くされていく。それは優しいネオも、頼もしいブチャラティも、親しい仲間たちさえ、無残に無慈悲に埋め尽くしていく。
 絶叫し、崩れ落ちそうになる彼女の脳の中、白く優しい光を放つものが、たった一つだけあった。

 

『守るから……』
「………シン」

 

 その名は、呆然としたように放たれていた。ステラはおぼつかない足取りで、歩き始めた。

 

「母さんが、そんなっ、そんなのやだよぉっ!! 僕はぁっ!!」
「くっ……! 仕方ない!!」

 

 ダイアーは暴れるアウルの肩に手を置き、ゆっくりと呼吸する。
 すると彼の手に力が生まれ、電気のようにアウルの体へと流れた。

 

「くっ……ううっ」

 

 アウルが少しだけ震え、やがてまぶたを閉じ、意識を眠らせた。
 ダイアーの『波紋』の力によるものだ。普通の生物に強い波紋を流すと、意識を奪うことができる。
 熟練ともなれば、催眠術のように生物を操ることも可能だが、それを持ってしても深層心理に刻まれたブロックワードは消せなかった。

 

「乱暴だなことをしてしまったな……」

 

 ダイアーが落ち込んだように言う。

 

「仕方ねえよ……今回ばっかりは」
「ああ……」

 

 スティング、ナランチャは哀しそうに、床に倒れたアウルを持ち上げ、ベッドルームへ運ぶことにした。
 だがアウルにのみ意識を向けていた彼らは、気付いていなかった。
 そもそもの原因となった少女が、その場から姿を消していたことを。

 

「守る……守る……」

 

 それからステラは、整備員を押し退けて無理矢理修理中のガイアに乗り込み、外壁を破壊して穴を開け、J.P.ジョーンズの外に出たのだ。

 

「守る……守る……!!」

 

 あの日、黒髪の少年より教えられた言葉。

 

『守る』

 

 なんと傲慢な言葉か。

 

『死』から逃れられる者などいない。生命はいつか死ぬ。物質はいつか砕ける。それが運命というものだ。
 それを覆すことなど、誰にもできない。それを『守る』など、思い上がりも甚だしい。
 けれどそれでも、あの少年は真剣に守ろうとしていたのだ。
 運命に、決して敵わぬものに、そうとわかっていてもなお、挑み、勝ち、救おうとしていたのだ。
 漆黒の闇を切り開こうとする光のように。

 

『大丈夫だ! 君は死なない! 俺がちゃんと守るから! だからっ!!』

 

 赤い眼。炎のように熱い眼。

 

「シン・アスカ………」

 

 彼女の中で、たった一度出会っただけの少年は、光り輝く黄金のような存在となっていた。
 彼のことを思い出すと、何より怖かった『死』さえも、乗り越えていける気がする。

 

「私も……守る」

 

 ステラは行く。ロドニアのラボへ。
 仲間の大切なものを守るために。その行動によって、あの少年に近づけるのではないかと感じて。

 

 彼女は飛ぶ。
 そこに邂逅が待つとも知らずに。
 そこに再会が待つとも知らずに。

 

「ドナテロ……ヴェルサス……。聞かない名だな。ここで何をしている」
「目的の物がここにあると聞いてな。実際、手に入れることができた。しかし苦難もあるという話だったが、まさか……スタンド使いでもないお前ごときが、俺の危機というわけではないだろうな? だとしたらまったく舐められた話だ」

 

 シンはだんだん腹が立ってきた。
 目の前の男はどう見ても、痩せ気味のチンピラにしか見えない。
 かつて喧嘩を売ってきたので返り討ちにしてやった、二流ギャングと同程度の相手だ。
 そんな相手に、こうも馬鹿にされる覚えはない。

 

「察するに、良くないことをしているんだろう?」
「ふん……俺にとってはとても良いことなんだがなぁ。それこそ、何千何万の人間を犠牲にしても惜しくないことさ」

 

 悪びれることなく、ヴェルサスはせせら笑う。その笑顔だけは、彼がただのチンピラと一線を画すところだった。
 本当に彼は、目的のためには何を踏み躙っても構わないと思っている。命だろうと、世界だろうと。

 

「……なるほど。よくわからないが……お前が反吐以下の臭いのする悪党だってことはわかったぜ!」

 

 シンは怒りの声をあげた。

 

「ンドゥールを探す前に、お前をここで倒す。ンドゥールの上司ということは、お前もスタンド使いなんだろうが……スタンド使いと戦うのは初めてじゃない」

 

 シンは拳銃を抜き、ヴェルサスに向ける。

 

「そして……勝つのもだ!」
「……いい眼だ。生命力と未来に燃え、黄金のように輝いている眼だ。まるであの……徐倫やエルメェスのようだ」

 

 ヴェルサスの嘲りに満ちた、上から見下ろすような視線が、にわかに憎悪に染まった。

 

「俺はそういう眼が……大ッッッ嫌いなんだよぉぉッッッ!!」

 

 彼の隣に、シンには見えない人影が現れる。

 

「この無敵のヴェルサスに勝つ、だとぉ? いいだろう。俺の『アンダー・ワールド』が何でもできるってとこを……見せてやるッ!!」

 

 そして『アンダー・ワールド』はその能力によって、『世界の下』に埋もれた記憶を『掘り起こした』。

 
 

 ポルナレフは命がけで走っていた。スタンドパワーが尽きれば、チャリオッツによる剣の布陣も成り立たなくなり、ゲブ神に殺されてしまう。
 それまでにンドゥールを見つけて倒さねばならない。急いで急ぎすぎるということはなかった。
 電気が通い、通路に明かりが点けられるのが幸いであった。
 でなければ闇の中で懐中電灯の明かりのみを頼りにしなければならず、走るのはよりつらかっただろう。時折倒れている死体に、足を躓かせてしまっていたかもしれない。
 だがそんなポルナレフの足を、止めるようなできごとが起こった。

 

「どうしたってんだオイ?」

 

 ポルナレフは首を傾げていた。
 さっきまでまとわりついていたゲブ神が、急にポルナレフを離れ、別方向への移動を始めたのだ。部屋一つ丸々満たせるほどの量の水が、遠ざかっていく。

 

「何があったってんだ?」

 

 彼は推理をしてみた。
 第一の推理は、『シンがンドゥールを見つけたので、ンドゥールが自分の身を守るために呼び戻した』というものである。
 そうだとすれば、シンがンドゥールを打倒することも期待できるが、ンドゥールを倒す前にゲブ神に追いつかれ、シンがやられてしまう恐れがある。
 第二は、『何らかの罠である』という可能性だ。
 元々この勝負はポルナレフに不利であったが、更にポルナレフを追い詰める罠を考えたのかもしれない。
 その罠に誘い込むために誘っているという推理だ。

 

「となると、奴を追うのはやばい! このまま追わずに外に出るのが一番良さそうだ。そろそろ増援部隊も来るだろうしよ~」

 

 そう呟きながらも、ポルナレフにはそれが実行できなかった。

 

「……けどもしもよぉ、シンがンドゥールを見つけていたとしたら、このままゲブ神をほおっておくと、シンがやられちまうかもしれねえって考えたら……」

 

 ポルナレフはゲブ神の去っていった方角へ足を向ける。

 

「チクショウ! 追わないわけにはいかねーじゃねえかッ!」

 

 そしてまた彼は走り出すのだった。

 
 

「よしよし、追いかけてくるな……」

 

 ンドゥールは足音を聴き取り、獲物が罠にかかろうとしているのを知った。
 ポルナレフがどのような思考のすえに、ゲブ神を追うことにしたのかは容易に理解できた。
 自分の安全よりも仲間のことを優先する者であれば、追うしかないのだ。

 

「立派な行動だよ。だがそれが命取りだ」

 

 ンドゥールのスタンド、エジプト九栄神の一柱、ゲブ神。
 その名は大地(ゲベブ)を表し、大地とその恵みの神である。
 そして同時に死の神オシリスの父であり、『地下世界』、すなわち『死者の世界』の神でもある。
 『地の住民の案内者』と古代の碑文に記されているとおりに、ゲブ神はポルナレフを案内する。

 

『冥界(アム・ドゥアト)』へと。

 

   ―――――――――――――――――――――――――

 

「なんてこった……」

 

 ネオは大穴の開いた外壁を見ながら、彼にしては珍しく心から焦燥にかられた声を出した。

 

「ロドニアのラボか……」

 

 まさか会話を聞かれていたとは。それがこのような事態を引き起こすとは。
 予想もつかなかった展開に、ネオはパニックになりそうな頭を懸命に鎮めさせ、対策をうつ。

 

「とにかく追わなければ……ステラがラボにつく前に抑えられればいいんだが」

 

 ラボには既にザフトがいるはずだ。いくらステラでも、修理中のガイアでは敵わないだろう。
 本来なら自分で捕まえに行きたいところだが、責任者たるもの、この場の指示や、上司への報告を行わねばならない。

 

「祈るしかないか……」

 

 神だの仏だのといった見も知らぬ輩にではなく、人間の宿す運命と精神の強さ、そして人間が起こす奇跡に、ネオは祈る。
 ネットにはじかれたボールが、ネットの向こう側に落ちることを祈るように。

 

   ―――――――――――――――――――――――――

 

 ヴェルサスが己のスタンドを発動させたことを、シンは気配で察知した。
 だが、何をどうしたのかわからない。少なくとも、自分の身体に異常はなさそうだが……。

 

「何をしたのか……って面だな。クク」

 

 ヴェルサスは嫌らしい笑みで、シンから見て右側を指差した。ヴェルサスへの注意を怠ることなく、シンは指差された方向に視線を向ける。
 そこには脳が収められた透明なケースがあった。特に変わったことはない。

 

(ハッタリ……?)

 

 だがそう思うのは早計というものだった。

 

 グジリ

 

 床の方で鈍い音がした。
 下に視線を向けると、床に罅が入っていた。

 

(……なんだ?)

 

 罅が次第に広がっていく。

 

『お……お……』

 

 罅の奥から、音が響く。いや、これは『声』だ。

 

(何かいるのかっ!!)

 

 シンは足を引き、罅から離れる。

 

「何をしたヴェルサス!!」
「さあ?」

 

 ヴェルサスは肩をすくめる。

 

「ふざけるなっ!」
「ふざけちゃいないさ。俺にもわからんのだ。そいつは……お前の『過去』だ」

 

 その言葉と同時に、罅がついに穴となり、奥にいたものが姿を見せた。

 

『おお……お……ぃ………』

 

 それは人間の片腕だった。

 

「なっ!?」

 

 シンの背中に怖気が走る。ホラー映画のような視覚的おぞましさからくる生理的嫌悪感、だけではない。それは見てはならないものだと直感したのだ。

 

『おぉ……おぉ……にいぃ……』

 

 床材が砕け、それは上半身すべてを表した。とは言っても、まともに見られるのは片手だけで、それ以外は焼け焦げた肉片を、無理矢理人の形に固めたような、吐き気を催す塊だった。

 

「え……ええ……う、うう、嘘だっ!!」

 

 シンはその正体を知っていた。その声を、その姿を知っていた。だからこそ否定する。せざるをえない。それを認めるのは、つらすぎた。

 

 バキリ

 

 そんなシンの背後の床に、また二つの罅が入っていた。その罅からも、凄まじい暴力を受けたと連想される、無惨に捩れた腕が伸ばされた。

 

『シ……シ……』
『……シィィ……』

 

 その腕の主たちもまた、声をあげる。シンが知っている声を。

 

「やめ、やめてくれ……!!」

 

 能力『アンダー・ワールド』。
 大地に記録された過去を、掘り起こし、再現する能力。ヴェルサスは自分が記憶している、過去の出来事が起こった時間を掘り起こして使用するが、別の使い方もある。他者に関わる記録、ヴェルサスも知らない記録を引っ張り出すのだ。
 その場合、どのような過去を引っ張り出すことになるのか予想はつかないが、ヴェルサスの人間性によるものなのか、良い過去が現れることはまずない。
 むしろ、その人間にとって最も醜悪な、憎悪すべき過去が、現れる。

 

「あ……ああ!? ああああああああああっっ!!?」

 

 とうとうシンは絶叫をあげた。2年前、オーブであげたような絶叫を。

 

『おにい……ちゃん』

 

 彼のかけがえのない妹、マユは、兄に呼びかけた。灼熱で焼かれ、爆風に砕かれた体の中で、ただ一つ、形を保ってちぎれ残された、片腕を兄へと伸ばしながら。

 

『シ……ン……』
『……シ……ン』

 

 力任せに丸められた紙くずのようになり、顔の判別さえできなくなった、彼ら兄妹の両親と共に。

 

   ―――――――――――――――――――――――――

 

 ポルナレフが濡れた床をたどっていくと、やがて、ドアが開けっ放しの部屋に着いた。部屋の明かりは点いており、もう少し近づけば部屋の中も見えるだろう。

 

(しかし……この不気味な静けさからして、こいつはやっぱり罠の方みたいだな。だとすりゃ、不用意に近づくのはやばいぜ)

 

 いつでも攻撃できる態勢で、ゆっくり近づく。しかしンドゥールのことだから、すでにポルナレフがここまで来ていることはわかっているだろう。

 

(さて……どう来る!?)

 

 そして部屋の内部が少し見える位置まで着く。
 ポルナレフから見て右斜め前方に位置する部屋を覗き込むと、ゲブ神を周囲に展開させ揺らめかせながら、布を羽織って座るンドゥールの横姿があった。

 

(ふーむ、顔や背格好は、承太郎から聞いたとおりだ。奴がンドゥールというのは確かだろう)

 

 ポルナレフがそう考えた時、

 

「どうしたポルナレフ?」

 

 ンドゥールが口を開いた。

 

「そんなところでグズグズせずにかかってきたらどうだ? それとも俺が怖いのかな?」
「けっ……調子に乗っているんじゃねーぞ」

 

 挑発に乗ったように言葉を返しながらも、ポルナレフは飛び掛ったりはしなかった。
 先ほど同様落ち着いた足取りで、ゆっくりとンドゥールの待つ部屋に入る。
 部屋の中は意外に広かった。会議でもするところだったらしく、テーブルや椅子があったが、それらは片隅に追いやられている。
 あとは本棚などのいくつかの備品。そして内乱で殺されたらしい研究者の死体が転がっていた。ンドゥールはその部屋の奥、壁際にいた。
 ポルナレフとの距離は約3メートル。

 

(まだンドゥールはチャリオッツの射程距離の外だ。まだ俺は攻撃できねえ。もっと近づいてきたら、『罠』にかけてやる……。そんな風に思ってんだろうな)

 

 ポルナレフは戦車の剣先をンドゥールへと向け、

 

(できるんだなそれが!!)

 

 心の中で叫んだ。

 

『銀の戦車(シルバー・チャリオッツ)』が高速で動いた。
 チャリオッツは近距離パワー型スタンドの基本射程距離である2メートルをあっさりと越え、ンドゥールの鼻先に立ちはだかっていた。
 その速度はほとんど瞬間移動のような速さだ。
 シルバー・チャリオッツも、元々は1メートル数十センチ程度の射程距離のスタンドであったが、戦友アヴドゥルを殺したヴァニラ・アイスに対し怒りを爆発させた時、その力は飛躍的に跳ね上がった。
 スタンドの力は精神力を源とし、精神の成長によってその力は上昇する。幾多の経験を積んだポルナレフの力は、ンドゥールの持っていた情報のそれを、既に上回っていた。

 

「チャリオオオォォォッツ!!」

 

 ポルナレフの雄叫びに呼応し、銀の戦車は剣を振るう。ほんの一瞬の間に、十数回振るわれた剣は、標的をバラバラにして飛び散らせていた。

 

 だが、

 

「なにぃっ!?」

 

 ポルナレフの驚愕の声が響く。切り裂いた体から飛び散ったのは紅い血ではなく、透明な水だったのだ。

 

「かかったなポルナレフ!」

 

 その声は、ポルナレフの背後から聞こえた。同時にポルナレフの体を強い衝撃が襲い、ポルナレフは右真横へと吹っ飛んで壁に激突した。
「がはっ!!」

 

 それは、彼のスタンド、シルバー・チャリオッツが弾き飛ばされたことから生じた現象であった。
 スタンドを攻撃されれば、本体もダメージを受ける。スタンドが弾き飛ばされれば、本体も同じく弾き飛ばされる。
 チャリオッツもまた、壁際まで弾き飛ばされていた。
 それをなしたのは、さきほど切り裂いたンドゥール……否、ンドゥールの姿を映していた『ゲブ神』であった。

 

「なん、だとぉ……」

 

 ポルナレフがその眼で見て、ンドゥールだと思ったのは、ゲブ神の水の体に映り込んだ、ンドゥールの鏡像だったのだ。

 

「眼が見える、というのは時に不便なものよ。眼に頼りすぎるがゆえに、騙されることもある」

 

 ポルナレフの背後、部屋の出入り口の脇の壁に座っていたンドゥールが、立ち上がった。

 

「お前を殺すと決めた日から、いろいろと策を考えていた。その内の一つがこれだ。目の見える仲間……というほどの関係ではないが、共にいる者たちに映り具合を見てもらい、実物そっくりに映るように訓練した。
 ライトの場所や光の強弱、部屋の内装、見る者の立ち位置なども考慮に入れねばならんから、本物と見せかけるのは中々難しいのだが……うまくはまってくれて嬉しいぞ」

 

 ンドゥールは、勝ち誇るように説明した。冥土の土産、というやつなのだろう。

 

「まだだっ! チャリオッツ!!」

 

 ポルナレフがスタンドを呼び戻そうとする。

 

「させんっ!」

 

 だが彼とスタンドの間に、ゲブ神が立ちふさがる。その時すでにしてゲブ神は、部屋中に水の体を広げており、周囲は泉のようになっていた。

 

「ぐふっ!!」

 

 ゲブ神がチャリオッツの胸を切り裂く。同時にポルナレフの胸が裂け、血が溢れた。

 

「ちょいと浅かったか……だがもはや逆転の目はない。もう高速移動によって円陣を組むほどのスタンドパワーも出せまい」

 

 ポルナレフの負ったダメージは大きなものではなかったが、無視できるほど小さなものでもなかった。
 無理をすれば少しだけなら、高速移動も可能だろうが、すぐに力尽きてそれまでだ。この状況を切り抜けるまでには至らない。
 しかも、スタンドとは切り離された状態で、ろくに身を守ることもできなくなってしまった。

 

「チェックメイトというやつだ」

 

 ゲブ神は、巣にかかった獲物に迫る蜘蛛のように、ポルナレフにとどめを刺そうと狙いをつけていた。

 

   ―――――――――――――――――――――――――

 

 J.P.ポルナレフは諦めない。風前の灯といえる状況であっても、何か脱出口があるはずだと、思考と視線をめぐらせる。
(何か利用できそうなもんは……!)
 部屋の床はほぼ全面、ゲブ神で満たされていた。ゲブ神に塗らされていないのは、ポルナレフが今倒れている床くらいだ。ンドゥールはそのゲブ神の中に立っており、大抵の攻撃はガードされてしまうだろう。
 向かい側の壁には机や椅子、研究員の死体などが押しのけられている。右にはさっき入ってきた入り口。左の隅には本棚が有る。壁には何やら連絡事項らしきものが書かれた紙が掲示してある。あとは電灯や空調のスイッチが有るくらいだ。
(武器になりそうなものは無い……有ってもこれじゃあ取りになんていけねえか。他には……ん?)
 そこでポルナレフは気付く。『有る』ことにではなく『無い』ことに。
(いけるか……? やるしかねえか)
 決断は下された。
「死ねポルナレフ!!」
 ンドゥールが声をあげた。ゲブ神が鎌首をもたげ、今にも跳ね飛んで突き刺そうと言う姿勢を取る。
「チャリオォォォォォッツ!!」
 ポルナレフが強く叫ぶ。銀の騎士が痛む体を起こし、剣先をンドゥールへと向ける。
「くらえ!」
 銀の戦車の剣が、柄より外れて飛んだ。ンドゥールに向かって一直線、矢のように飛ぶ。
 これがポルナレフの最後の奥の手。使えば剣が無くなり、しばらくは戦えなくなってしまうため、滅多なことでは使えない遠距離攻撃。まさに『最後の一射(ラストショット)』。
 空気を貫きながら、ンドゥールに迫る。
「ふん。何かと思えば、こんなことかポルナレフ……お前の最後の手段は」
 だが、ンドゥールはつまらなそうに呟くと、ひょいと身を動かし、剣をかわす。
「風切り音で、何かが飛んでくることなど丸わかりだ」
「へへっ、そうかい」
 ンドゥールはポルナレフの声に余裕があることいぶかしむ。そんな彼の背後で、剣が壁に当たって跳ね飛び、ビリヤードのように反射してンドゥールの背中へと向かう。
「その得意そうな声はひょっとして……」
 ンドゥールは体を傾ける。その動きだけで剣は目標を失い、床に突き刺さって静止した。
「このつまらない不意打ちを期待してのことか?」
「ぬぐっ!」
「剣が壁に当たる音で、剣が跳ね返ってくることくらいわからないと思ったか?」
 攻撃手段がなくなったポルナレフ。もはやゲブ神と戦うこともできない。
「見苦しい真似もここまでだ……楽にしてやろう」
 気を取り直し、壁に背中を押し付けて追い詰められるポルナレフの処刑執行を再開した。

 

(これで、DIO様の仇をようやく討てる……。DIO様以外の者に従ってまで、ここまで来た甲斐があったというもの)
 ンドゥールは楽隊の指揮者のように、杖を持たぬ方の手を上げる。
「今度こそ、さらばだ」
 そして、ゲブ神の攻撃への合図として振り下ろそうとした時、

 

 ガサガサ

 

 そんな音が、彼の優れた耳に届いた。
「っ!?」
 嫌な予感に襲われ、ンドゥールはすぐさま音源を探る。
(今の音は……何かが擦れるような音。場所は……部屋の隅。だが何が……ハッ!)
 ンドゥールは思い出した。剣を放った後、シルバー・チャリオッツの動きを確認していなかったことを。
(剣が無くなった以上、役立たずだと思って注意を怠ったが……さっきの音は間違いなく、人の手が、何かを探し求めて手探りをする音!)

 

 ガサガサ

 

 またさっきと同じ音がした。その音の質から、自分の考えが正しかったことを確認する。
 そして部屋の配置、部屋の隅にあったものが何かを記憶から掘り起こす。鏡のトリックを使う前に調べてあったので、思い出すことは容易だった。
(本棚だ! だが、本を探っている音ではない……棚ではなく、棚の後ろ、棚と壁のスキ間から音がしている……?)
 そんなところに、なぜ手を突っ込んでいるのか。何か役に立ちそうなものが落ちているとでもいうのか。
(何があるのかはわからん! わからんが、奴は壁とのスキ間に落ちている、『何か』を拾おうとしている!?)
 そう考えたンドゥールの行動は迅速だった。

 

「『ゲブ神』!!」

 

 水がポルナレフから、本棚へと、本棚の後ろを探る『銀の戦車』へと狙いを変えた。
 部屋中に水が満ちているため、チャリオッツへ攻撃を仕掛けるまでにかかる時間は、刹那たりとも必要なかった。ゲブ神が刃の形となり、高速で本棚ごと、シルバー・チャリオッツを切り裂いた。

 

「ぐああああっ!!」
 ポルナレフが痛みに悶える。ポルナレフの胸に、切り傷ができていた。さきほどより深い傷から、血が更に溢れる。だが、痛みに歪んだ顔は、すぐに笑みを浮かべた。
「か、かかったなンドゥール……」
「なんだと?」
 ンドゥールがポルナレフの言葉を聞きとがめたと同時に、

 

 ズババババババ!!

 

 凄まじい衝撃がンドゥールを襲った。
「があぁあああああッ!!?」
 ンドゥールの全身を伝い、身を引き裂こうとする激痛。精神を焼き、無に帰そうとする閃光。
「こっ、これはぁっ!!」
「電気……だぜ。この施設には電気が通っている。そして、普通こんだけでかい部屋ならあるだろ? コンセントの穴がさ!」
 ンドゥールの目には見えなかったが、破壊された本棚の向こう側に、ゲブ神によって切り裂かれたコンセントがあった。チャリオッツを切り裂いた勢い余って、壁まで切りつけてしまっていたのだ。そこから流れる電気がンドゥールを襲い続ける。
 水に接していないポルナレフは、流れ出る血が水と接触しないように、注意して押さえながら説明してやる。
「なのにそれが見当たらなかった……。つまり、家具の裏に隠れているということだ。机の脚の間からは何も見えなかったし、となればありうるのは本棚の裏だけ……。ビンゴだったぜ。そのコンセントを、今あんたはゲブ神で破っちまった」
 剣を飛ばしたのは攻撃のためではなく、シルバー・チャリオッツを本棚の裏にあるコンセントの穴まで行かせるまでの、注意を引き付けるためにしたこと。そして『家具とのスキ間に落ちている物を拾い出そうとしている』と思い込ませ、ゲブ神に攻撃させた。
「当然、水であるゲブ神に電流が流れる。そして電気はゲブ神を伝ってあんたまで……ということさ」
「ぐぬうっ!!」
 ンドゥールは電気に耐えながら、やっとの思いでゲブ神を操り、コンセントから引き剥がす。
「かはっ!」
 電気の攻撃は消えた。だが同時にンドゥールのスタンドパワーは底を尽き、部屋の水はただの水へと戻る。ンドゥールの焼けた体がその場に倒れ込んだ。水音が部屋に響く。
「お……おのれ、ポルナレフ……ぬかったわ……」
 ヨロヨロと身を起こし、杖で身を支えながら立つ。荒い息をつきながら、重い足取りで出口へ向かう。
「だが……お前の方も、俺にとどめを刺すほどの力は、あるまい。今回は、痛み分けだ。口惜しいがな……」
 それは事実だった。ポルナレフの傷も大きなもので、ンドゥールを追うほどの力は無い。
「次は、次こそは必ず……」
 そう言い残して、ンドゥールは廊下へと消えていった。

 

「はあ……しんどいねぇ。復讐ってのは。するにしても、されるにしても」
 ポルナレフは一人呟く。復讐というものが割に合わないものだというのは、前々からわかっていたことだ。
 かつて妹を殺した男を殺した自分は、男の母親に狙われた。
 かつて幾多の人々を犠牲にした吸血鬼と敵対したことで、今その吸血鬼の忠臣に狙われている。
 所謂、復讐の連鎖というやつだ。どこかで断ち切られなければ、どこまでも続く連鎖。
「とはいえよぉ……無理ってもんだよなぁ」
 復讐の相手を許し、連鎖を終わらせることなど、簡単にできることではない。
 自分のための復讐ではないのだから。復讐に身を捧げた時より、その人生はすでに自分のものではないのだから。復讐者に、人生を選ぶ権利も、仇を許す資格もありはしない。
 許す資格があるのは、復讐者ではなく、犠牲となった者。だが、死者は何も語れず、許すこともできない。それでも仇を許すというならば、復讐者は、大切なものを裏切る覚悟をせねばならない。
『断罪』と『許し』。どちらも決して否定できない尊いもの。心のありようの限界点。矛盾した特異点。ポルナレフは『断罪』を選んだ。
「そいつは……復讐よりもっと厳しい道だもんな……」
 ポルナレフにとって、敵を殺すよりもなお重い、許す覚悟。自分には歩めなかった道。だが、あるいは彼なら……。
「シンなら……その道に耐えられるかもしれないな」
 故郷を焼かれ、家族を殺された。それでも、攻め込んだ敵軍も、民を救えなかった国家も、恨み憎みはすれど復讐の相手とはせずに、運命へと挑もうとする自慢の教え子なら。あるいはその苦難の道を歩めるかもしれない。
 キラのような偽善と独善と自己満足ではない、『許し』の道を。
「買いかぶりすぎかね? それにまだまだあいつは未熟……」
 ポルナレフはちょっと笑って、ふらつく体を動かす。血が少々足りないが、贅沢は言えない。それにこの程度の怪我、エジプトへ旅では、それこそ日常茶飯事だったというものだ。
「さて……未熟な弟子を迎えにいくか」
 上着を引き裂き包帯代わりにして傷口を縛り、血を止めたポルナレフは、再び歩き始めるのだった。

 

   ―――――――――――――――――――――――――

 

 シンは憶えている。
 わがままなところもあるが、明るく可愛い妹を。
 優しく頼もしい両親を。
 彼らとすごした暖かい日々を。

 

 すべてよく憶えていた。
 だから、原型をとどめぬ残酷な姿と成り果てたとしても、『それ』が家族であることがわからないことはなかった。
「あああああああ!! あああああああ!!」
 シンは叫ぶ。脳が爆発しそうな恐怖と苦痛がシンを精神的に痛めつける。

 

「ウヘヘヘ、どうやらアレは奴の家族みたいだなぁ。なんとおぞましいことよ」

 

『お兄ちゃん……』
『シン……シン……』
『シン………』

 

 シンに呼びかける、死者の声。怨嗟の声ではなく、怒りも悲しみもなく、生前と同じ、親愛に満ちた暖かな呼び声。それがよりいっそうシンには耐え難かった。
「やめろぉ!!」
 何もせず黙っているのが耐え切れず、銃口を向ける。

 

「撃ちたくない……!! 来ないで……!!」
 撃ちたくないと言うシンだったが、その指は引き金にさえかかっていない。それに気付かぬほどに、彼は精神的にまいっていた。
 涙を流し、絶叫するシンを楽しそうに眺めていたヴェルサスは、やがて飽きたかのように身を翻した。

 

「ま、せいぜい家族水入らずの時間をすごしてくれ。そう長くは無いだろうけどな」
 シンの家族らしいこの『過去』の惨状を見ていれば、なんらかの事故に彼らが巻き込まれたことは想像がつく。それならじきにまた、その事故が再現されるだろう。
 事故にシンも巻き込んで。
「そうなりゃ生きてはいられまい。後はあの世で家族と暮らすことだな」
 シンの悲鳴を背中に受けながら、ヴェルサスは悠々とその場を去ろうとしていた。

 

「違う……! こんな、こんな馬鹿なことッ!!」
 シンは現状を否定しようとするが、五感に訴えかける死人の存在をシャットアウトすることはできない。
「俺、はぁっ!」
 もう、このまま倒れ込んでしまいたい。もう、彼らを見たくない。自分の目の前で死んだ彼らを。自分では助けられなかった彼らを。
 助けられなかったのに、これほど傷ついて、それでも、自分へ愛の言葉をかける彼らを。
「もう……やめてくれぇ……!!」
 ついにシンはその場に膝をつく。目を閉じ、耳をふさいでも、彼らの存在を意識から消すことはできない。
 そうしている間にも時は過ぎる。

 

『3』

 

 二年前、シンから家族を奪った無慈悲な破壊。木々を押し倒し、大地に穴を開けた、暴力の炸裂。

 

『2』

 

 それが今、再来する。今度は、

 

『1』

 

 シン自身の命をも奪い去らんがために。

 

『0』

 

 ゴッバッドオオオオオオオン!!

 

 ヴェルサスの耳に爆音が届く。彼は、甘くとろけるチョコレートを頬張った子供のように、うっとりとした表情を浮かべた。

 

(どこだ……ここは)

 

 気がつけば、シンは真っ暗の中にいた。
(暗い……明かりが無いのか? ここは……俺はさっきまで連合の施設にいたはず……)
 朦朧とする頭のまま、シンは歩いていた。
「誰か……いないのか?」
 何もわからないまま、シンは歩き続ける。なぜ歩くのか、シンにもわかってはいない。ただ足が向くままに方向さえわからない暗闇の中を歩き続ける。
 そして何分たったのか、何時間たったのか、何日たったのか、何年たったのか、時間の流れさえ曖昧で、ただでさえぼんやりとしていた思考が、まったく無くなりかけていた頃、

 

 コォォォ……

 

 光が、生まれた。
「……?」
 久しぶりに見る、光。だがその光を見てなお、シンの意識は目覚めなかった。しっかりと覚醒に至るのは、光の中に何があるのかをその目で見た時だった。

 

「マユ……?」
 光の中心で笑顔を浮かべてこちらの方を見ているのは、生前と変わらぬ姿の妹だった。

 

「また会えたね、お兄ちゃん」
 鈴の鳴るような声で、マユが言う。その楽しげな声に、シンも思わず笑みを漏らす。

 

「なんでこんなところに……っていうか、ここはどこなんだ?」
「ここがどこかを知る前に、お兄ちゃんは決めなくちゃならないことがあるの」
 マユはシンの質問には答えず、逆に質問をした。
「お兄ちゃんは……どこへ行きたい?」
 質問に質問で返すなと、兄として説教をしそうになったが、マユの顔があまりに真剣なので、シンは答えた。

 

「俺は……マユと一緒にいるよ。兄貴だもんな」

 

 それは本心からの言葉だった。こんな真っ暗なとこでマユを一人にするなんて、とてもできない。だがマユは首を左右に振り、
「私のことはいいから、お兄ちゃんがどこへ行きたいかを、決めてほしいの」
「………」
 シンはよくわからないながらも、もう一度考えてみた。考えていると、思い出が脳裏に浮かんだ。

 
 

『運命は変えることはできない。変えられるくらいなら運命とは言わねえよな。だがそれでも、恐れずに立ち向かい、突き進んでいけるのなら……超えることはできる』
『そういう奴らを俺は知っている。彼らは死の運命を恐れなかった。奴らは、たとえ死ぬとしても、自分の正しいと信じる道を貫いた。運命に堂々と立ち向かっていったんだ』
『失ったものばかりを見すぎて、今あるものまで失うようなことだけには、なるなよ』

 

 暗い嘆きに囚われた自分を救い上げ、鍛えてくれた師。

 

『インパルスの操縦だけなら、お前が一番うまいだろう。お前ならできるさ』
『ホントにスーパーエース級じゃない。ポルナレフ教官が聴いたら驚くわよ?』
『お前は船を護った。勲章ものの活躍だ』

 

 自分を認めてくれる、共に戦う仲間たち。

 

『いやぁっ!! 死ぬのいやっ! 怖いぃぃぃ!!』
『まも……る……?』
『ステラ……ステラ・ルーシェ……』

 

 守ると、また会いに行くと、そう誓った少女。一度しか会ったことが無い、姿と名前しか知らない少女。それでもなぜか、強く心に残る少女。

 

 それらの思い出が心を巡り……シンは答えていた。

 

「ごめんマユ……俺、さっきのとこに戻るよ」

 

 その答えに、マユは少し寂しそうに、けれどそれよりももっと嬉しそうに微笑んだ。
「うん……それがいいよ!」
 マユがそう言った途端、周囲の闇がかすれていく。
「な、なんだ?」
「戻るんだよ、お兄ちゃん」
 慌てるシンに、マユは落ち着いて教える。そして、
「一つだけアドバイスだよ、お兄ちゃん」
「え?」

 

「『――――――………』」

 

「な、なんだって……」
 シンが問い返そうとする。だがその言葉を最後に、闇も光も、マユの姿も、すべてがシンの視界から消え、同時に、研究所の部屋がシンの視界に現れていた。

 

「うう……」
 シンは体を起こす。節々が痛み、血も少し流れているらしいが、命に別状はなさそうだ。
「……何が……うん? こいつは」
 シンは、視界がぼやけ、顔に妙な感触があるのに気付いた。
「涙……?」
 奇妙な寂しさを胸に抱えながら、

 

「て、テメエ! ど、どうやって生き延びやがった!?」

 

 その怒声を受けてシンは、自分が『向こう』から戦場に帰ってきたことを自覚するのだった。

 

「夢を見ていたんだ……とても寂しい夢だったよ」
「な、何を言ってる!?」

 

 なぜシンが生きているのか理解できずにいるヴェルサスは、余裕の無い声をあげる。

 

「あの衝撃は……ああ、思い出した。二年前にオーブで受けた、あの爆撃だ……」
 シンは呟きながら、銃を握りなおす。

 

「もう、あんなまやかしは通用しないぞ。さっきのあれは……本物じゃない。俺の家族じゃない」
 シンが一歩踏み出す。

 

「本物は、二年前、オーブで、俺の目の前で死んだ人たちだ。何もできない無力な俺の前で、運命の犠牲になった人たちだ!」
 二歩踏み出す。

 

「俺が、さよならさえ、言えなかった人たちだ!!」

 

 銃をヴェルサスへと向け引き金を引いた。放たれた弾丸は、ヴェルサスの頬を掠める。肌が抉れて血が流れた。

 

「ぬうっ!」
 熱い痛みにヴェルサスは頬を押さえる。
(つまりこうか? こいつはさっきの過去の事故で生き残った。ゆえに、同じ爆撃を再現されたとしても、同じように生き残ることになる。そういうことになるのか……くそ! 比較対象がないからわからん!)
 なんとか状況把握に努めるが、しっかりとした答えは出ない。
「こ、このガキがっ! カエルの小便よりも下衆なっ! 鉛弾なんぞをよくも、よくもこの俺の顔に!!」
 ひとまず疑問は置いておくことにし、怒りに任せてもう一度、この生意気な無能力者を殺してしまうことにした。
「『アンダー・ワールド』!!」

 

 ヴェルサスの周囲に、何人もの子供の姿が現れる。子供たちは皆、手に銃を握っており、シンへと向けていた。この研究所で内乱を起こしたエクステンデッドの候補生たちだ。
 この研究所の無惨に血塗られた過去を、ヴェルサスは無情にも掘り起こし利用しようというのだ。

 

「撃ち殺せッ!!」
 強化人間たちが一斉に銃を構え、何十発もの銃弾がシンへと一直線に、放たれる。だがその光景を見ながらも、シンは怯みはしなかった。ただ怒りの声を張り上げる。

 

「よくもっ! よくもお前はっ!!」

 

『プッツ~~~~~ン!!』

 

 シンの中で、何かが切れる。それはかつて、オーブ沖の戦いでMA相手に経験した感覚。感覚が研ぎ澄まされ、空間がやけに明敏に感じ取れる。それこそ、今飛んでこようとしている弾丸が、どのような軌道を描いて飛んでくるのかわかるほどに!

 

(しかしこの量だと、どう避けてもどれかには当たってしまう。となれば、これしかない!)
 シンが強く床を蹴り、ヴェルサスへと足の裏を向けて、ほぼ床と水平の姿勢で跳んだ。

 

「何ぃ!?」
 銃弾が飛んでくる軌道とほぼ同じ角度に、体を倒した姿勢による跳び蹴り。銃弾が当たる面積を最小にしての攻撃。これならば被害を最小限にできる。それでも銃弾は肌を掠めて傷を生み、足の甲を撃ち抜いた。だがシンの怒りは、傷の痛みをも凌駕していた。

 

「よくも!! 俺の家族をもてあそんでくれたなあああぁぁぁっっ!!」

 

 ゴズシャァッ!!

 

 怒りの勢いがついた蹴りは、ヴェルサスの顔面に吸い込まれるようにして命中した。
「ぐげふっ!!」
 ヴェルサスは潰れた悲鳴をあげながらぶっ飛ぶ。同時にスタンド能力が中断されたらしく、強化人間たちの過去が消失した。

 

「さあ、お前の企みも何もかも話してもらうぞ!!」
 シンが吠えて銃を向ける。
「ふ、ふっざけるなぁあああぁ!! この俺を、誰だと思っている!! 俺は、俺はぁぁぁ!!」
 ヴェルサスが唇を切り、血を流しながらもスタンドを出す。
「俺は帝王の息子だぞッ! 貴様のようなゴミが、この俺を足蹴にするなど、許されることじゃあないんだッ!!」
 更なる『過去』を掘り起こそうとしたその時、

 

「撃てェ(ファイアァァー)―――――ッ!!」

 

 ヴェルサスはとっさに跳び退る。一瞬後、ヴェルサスの元いた位置に、無数の小さな穴が開いた。

 

「こっ、これはっ!」
 ヴェルサスは出入り口へと目を向ける。そこには、新たな二つの人影があった。
「虹村形兆……っ!!」
「ほう? 貴様、俺のことを知っているのか? あいにく俺はまったく知らんのだがな」
 増援部隊としてやってきたザフトパイロットの一人、虹村形兆。スタンド、『バッド・カンパニー』の使い手。
 そしてもう一人……
「それにお前か……フラガの出来損ない」
 その言葉に、もう一人の人物、レイ・ザ・バレルが顔色を変えた。『フラガの出来損ない』。レイがアル・ダ・フラガのクローンであることを知っているということを意味する言葉。が銃をかざし、敵意に燃える目で睨みながら叫ぶ。
「お前!! 何を知っている!?」
 レイの冷静な部分しか見たことのないシンが、目を丸くする。
「勧誘に乗っておけば、人並み以上の寿命を得られたものを。早死にする運命から救ってやろうというのに」
「っ!! お前はストレイツォの!?」
「こいつは……色々と聞くことができたな」
 形兆が、バッド・カンパニーを展開し、ヴェルサスを囲む。もはやおいそれとは逃げ出せぬ布陣となった。

 

「……喋りすぎたな」
 だがヴェルサスは恐れることもなく、顔をしかめ、血で濁った唾を床に吐き捨てる。そしてその場の三人の顔を順々に眺め、
「ふん……さすがに3人となると、面倒だな」
 勝てないとはあくまで言わなかった。そしてシンに対して人差し指を伸ばし、
「シン・アスカ……この俺を蹴り飛ばしてくれやがった貴様だけは、俺が殺す!! 絶対だ!!」
 ヴェルサスは憤怒に満ちた声で誓う。この世界に来てから、これほど強い怒りを抱いたのは初めてだった。
 今まで、この世界における全ての人間はヴェルサスの利用すべき道具だった。忌々しいキラやラクスでさえ、自分の思い通りに動かない欠陥道具以上のものではなかった。バルトフェルドに関しても、まだ自分が有利な立場にあると余裕を持てた。
 だが今回、この世界に来て初めて、ヴェルサスは正面きって戦い、無様に打ちのめされるという経験をしたのだ。

 

 初めての苦痛。
 初めての屈辱。
 初めての激怒。
 初めての憎悪。

 

 そして、初めての『敵』。

 

 ヴェルサスは、この世界の住人に対し、初めて明確に『敵』というレッテルをつけた。すなわち、道具ではなく『人』として認めたのだ。

 

「貴様の調子に乗った面を……恐怖でゲドゲドに歪ませてから殺してやる。首を洗って待っていろ!」

 

 宣言すると同時に、ヴェルサスの姿が掻き消えた。
「「「!!?」」」
 その場の三人とも、どのようにヴェルサスが消えたのかわからなかった。だが、少し近づくとすぐに理解できた。ヴェルサスのいた場所に、深い穴が開いていたのだ。どこまでも続いているかのように思える、深い穴が。
「今の一瞬で……まさかスタンド能力?」
 形兆が呟く。三人にはヴェルサスの能力が今ひとつ理解しきれなかったが、どうやら逃げ切られたのは確かと思われた。

 

「シン。今の男は一体……」
「さあ、俺にもよくわからない。ただ……」
 レイの問いに、シンは首を横に振る。シンにも何もわからない。奴の目的も、所属も、経緯も、しかし唯一つだけ答えられることはあった。

 

「『敵』だってことだけは確かだな」

 
 

 TO BE CONTINUED