LSD_第05話後編

Last-modified: 2007-11-18 (日) 17:15:07

 クラナガンの大型デパートの三階。周りが女性だらけの場にシンはいる。
 女性は十台半ばから二十代、三十台といった若々しい女性ばかりだ。彼女たちは周りに
有る店の中で楽しそうに喋りながら商品を物色している。
「まだかよ……」
 目の前の店にはやて達がそろそろ一時間は経とうとしている。
 はやてと共にクラナガンに到着すると、予想外の人間がシンを出迎えた。
 ルナマリアだ。自分たち二人を見ると手を降ってきた彼女。どういうことかはやてに尋
ねると、
「六課が今日休日だってこと知っとったみたいなんよ。それでシンも連れて三人で遊ぼう
って話になってな」
「いいじゃない。こんな美女二人と一緒にいられるのよ。両手に花よ、シン」
 白目を向けるシンに、ルナマリアはあっさりと返す。
 そんなこんなではやて案内の元、クラナガンのお勧めスポットなどを巡っていたのだが
──
「なんで全部喫茶店やらケーキやらアクセサリー店やら、女性用洋服店なんだよ……!」
 よくよく考えればシンが好むような店をはやてが知るはずはなく──ルナはわざと避け
ているような素振りがあった──そうなるのは当然の成り行きだったのだが気がついた時
には後の祭りである。
 はやて達に好き勝手に引っ張りまわされ、現在に至るというわけである。
 時折注がれる若い女性の視線に羞恥プレイの屈辱をシンが味わっていると、ようやく小
さな袋を持ったはやてとルナの姿が見える。
「お待たせ」
「お待たせ、じゃないだろ。何分待たせてるんだよ!」

「なに怒ってるのよ。女性の買い物が長いのは常識でしょ」
「何メイリン見たいなこと言ってるんだ。ミネルバにいた時はさっさと済ませてたくせに」
「あの時は戦時中。今は平時中。状況が違うのよ」
 ああいえばこういうルナの屁理屈にシンはがっくりと肩を落とす。
「まぁ、確かにちょっと時間はかかったなぁ。どこかで休憩しよか」
 苦笑じみた声ではやてが言う。
「……喫茶店やケーキ屋以外だぞ」
「はいはい。わかったわよ」
 肩をすくめるルナ。休憩する場所はデパートの地下にある和食店になった。
 夕食をとるにはまだ早い時間だったが引っ張りまわされたシンは空腹だ。席に着くなり
メニュー表を開いて、冷やを持ってきた店員に早速注文する。
「今日はありがとね。予想以上に良い物が買えたわ」
「いや、私もそれなりに楽しめたし。お互い様や」
「……なんだか二人とも、妙に仲が良いけどいつからそんなに仲良くなったんだ」
 仲むつまじい二人を見て、シンは前々から思っていた疑問を投げかける。
 シンが知る限りルナが108隊舎に来た回数は数回だ。にもかかわらずルナははやてだ
けではなくフェイトやなのはとも妙に親しげだ。
「別になにもないわよ。会って話したりしてる内にこうなってたの。で、何でそんなこと
聞くのよ。……さては、私達の仲が良いことに嫉妬でもしてるのかしら」
「まさか」
 肩をすくめてシンはふと思いだす。アカデミー時代、最初に少しばかり話をしただけだ
ったのだが、気が付けば友達という間柄になっていたことを。当初成績でライバル視して
いたレイともルナつながりで仲良くなった。
 前々から感じていたことだが彼女には何か人を仲良くさせる才能のような物があるよう
だ。
「で、シン。あんたはどうなのよ。はやて達に何か迷惑かけてないでしょうね」
「別に、なにも」
 一瞬昨日の会議でのことを思い出すが、内心で否定する。
 迷惑はかけていない。あれは仕事での言い争いなのだから。
「ならいいけど……と、きたわね」
 運ばれてきた料理。早速シンは手をつける。
「相変わらずの食べっぷりねぇ」
「昔から、ああなん?」
「そうなのよ。アカデミー時代も――」
 半分ほど料理を平らげたところで、人をネタに会話を展開しているルナをシンは止めよ
うとするのが、
「あははっ、なんや、それ。おかしいなぁ」
 笑うはやてを見て、止める。
 ルナの話を聞き、笑うはやては、今日は頻繁に、いつもはごく希に見る姿だ。
 仕事中や八神家の一同といるときには決して見せない、思いのままの感情を表わす姿。
 勤務時間外で、なのはやフェイトといるときのみ見せている、姿。
 部隊長ではなく、八神家の母でもなく。ただ一人の、女の子としての、顔――
 普段の姿ならあんな風に笑ったりもするのか、と思うだけだろうが、今の姿とその顔を
見てシンは素直にこう思う。
 ――可愛い、と。
「シン、何はやてを直視してるのよ」

 言われはっとなる。見ればジト目のルナと微笑を浮かべつつも、少し恥ずかしそうにし
ているはやての姿がある。
「あ、いや。別になにも……」
「何もない奴が、そんな食い入るように女の子を見ないわよ。……さて、何を考えてたの
かしら」
 詰問口調になるルナを見て、シンは慌てて残っている料理に手をつける。
 さすがに先程思ったことをばらすわけにはいかない。しかし自分は気持ちを隠すのは上
手くない。何か上手いごまかしはないだろうかと思い、ちらりと視線を向ける。
 料理を口にしつつ、先程と同じ横目のルナと、そして何やら真剣な表情で腕時計を見て
いるはやての姿がある。
 見ればはやてはルナと違い、料理にほとんど手をつけていない。そして時計を見る表情
に、僅かばかりの影もある。
 思わずシンは箸を止めて、訊く。
「はやて? どうし――」
「すまない。遅くなった」
 シンの声に被さるように誰かの声が聞こえる。その声を聞きシンは一瞬驚きで固まり、
しかしすぐに顔を上げてその人物を見やる。
「アスラン!?」
 何故か目の前には仇敵、アスラン・ザラの姿があった。

 先程までの和やかな空気は消え去り、緊迫した雰囲気に一転する。
 至近にいるルナマリア達には目の前で放たれる殺意は肌を刺すように感じる。
 自分達でコレなのだから、周囲に影響を及ぼさないはずもない。周囲にいる客や通りか
かった店員達が殺意の発生源をおっかなびっくりで通ったり、居心地悪そうにしている。
「シン、落ち着きなさいよ。アスランだって一応ミッドにいるんだからこういこうもある
でしょ」
 呼びかけるがシンはアスランへの視線は外さない。アスランを睨めつけるその視線には
見覚えがある。
 大戦末期、出撃前に幾度となくシンが見せていた物だ。全てを焼き尽くすような怒りと
凍りつかせるような凄絶な殺気が込められた眼。
 それを見て、終戦後の自分のアスランへの対応を思い出し、ルナマリアはそれ以上の言
葉を控える。
 終戦後、戦時中の罪を問われることがなかったルナマリアは軍を辞めた。
 軍を辞めたのは戦争が終わったのと、軍にいる理由――プラントを守る――がなくなっ
たからだ。
 デュランダル議長を倒したラクス・クラインが率いていた反乱軍にはCE最強の魔導士
の呼び名高いキラ・ヤマトに伝説のエースアスラン・ザラ。彼らの実力はメサイア攻防戦
において、目のあたりにしている。
 彼らの圧倒的な実力は自分など必要ないと思わせるには十分と言えた。
 何より、彼らはルナマリアの大切な仲間を、平和への導き手であった議長を討った。例
え彼らの言うことが正しかろうと、そんな人間と肩を並べられようはずもない。軍を辞め
るという選択は当然と言えた。
 何をする気も起こらず、半年ほど何をすることもなく自堕落な生活を送っていたそんな
ある日、実家にアスランが訊ねてきて、軍に戻って欲しいという言葉を聞かされたのだ。

 当然ルナマリアは激怒した。軍を裏切り、その反抗勢力の英雄と祭り上げられている人
間の言うことなど聞けるはずもない。かつて上司として仲間として信頼してただけ、その
怒りは強かった。
 しかし彼は諦めず何度も訪れては説得を繰り返す。その態度にはかつて幾度と見た誠実
さ、また自分が攻める彼の態度から、自分達と敵対したことへの後悔も感じられ、徐々に
心が揺らいでいった。。
 そして半年、とうとうルナマリアは折れた。一つの条件を付け加えた上で。
『二度の裏切りは許さない』
 そして現在、ルナマリアはアスランを信頼はしているが、もし彼が裏切れば誰よりも真
っ先に自分が彼を倒しに行く。その思いを心の片隅に抱きながら彼と共にいるのだ――
 怒りのまま睨めつけるシンと複雑な感情を見せながらもそれを真っ向から受け止めるア
スラン。彫像のように動かない二人だったが、ふとアスランが口を開く。
「すまないが二人とも、席を外してくれないか」
 ルナマリア頷き、立ち上がる。はやてもそれに倣い、店を出る一瞬気遣わしげにシンを
見て、店を出る。
 店を出てすぐ近くの休憩所に着くと、
「……大丈夫やろか」
 ため息をつくはやてにルナマリアは答えない。期待を持たせるようなことは言わない。
ルナマリアとてはやてと同じ思いなのだ。
 昨日アスランより方針の違いでシンとはやてが揉めたと聞き、それについてアスランが
シンと話すと言うことを聞いたのだ。
 ルナマリアは仰天した。シンのアスランへの感情を察するに話し合いが上手くいくとは、
いや話し合いどころか殺し合いに発展しかねない可能性もあったからだ。
 止めるべきだと進言したのだがアスランは頑と聞かず、ルナマリアははやてと共に二人
の話し合う場を用意することにした。
 しかし事前に話せば当然シンが一緒に来るはずもない。そこでそう見せないようカモフ
ラージュをしたと言うわけだ。
 横に座るはやては不安の色を強く見せている。無理もない。彼女には二人の間に何があ
ったのか、店内でルナマリアが知る程度には話している。
 それ以外にも、はやてとしてもアスランから話をすることには賛成ではなかったようだ。
「いい加減にしろ!」
 数分後、身を叩きつけるような怒声が店内から聞こえ、慌ててそちらに視線を向ける。
 入り口にかけてあるのれんの隙間からはキャッシャーに伝票と金銭を叩きつけるシンの
姿が見えた。

「シンっ!」
 呼び止めるアスランの声を無視して、シンは店から飛び出す。
 燃え上がる激情を必死に押さえシンは走る。周りも見ず、どこへでもなく、闇雲に走り
続ける。
 我慢の限界なのだ。あれ以上あの場にいれば、アスランの言葉を聞いていれば、自分が
押さえきれない――
 息が上がったところでようやく止まる。周囲を見れば夕日の茜に染まった人気のない見
晴らしの良い場所にいる。
 幾つかの自動販売機にベンチ。どうやら屋上のようだ。

 焼けるような乾きを覚え、販売機で幾つかジュースを購入。瞬く間に飲み干す。
「アスランの奴……!」
 手に持っていた空き缶を原形をとどめないぐらいに握りつぶす。アスランから言われた
のははやてへ迷惑をかけるなという注意と六課の方針に従えという忠告だ。
『彼女の言うことは正しい。軍にいたときとは違う。ただ敵を殺せばいいと言うものでは
ない』
「……何も、分かってないくせに」
 アスランは知らないのだ。アッシュ・グレイの危険性を。だからあんな言葉がのうのう
と吐ける。
「――シン!」
 顔を上げると入り口には息を切らしたはやての姿がある。
 しかし彼女の姿を見てシンの胸に内に沸き起こるのは、怒り。
「……こういうわけだっただな。俺を誘ったのは」
 一瞬、はやての表情が固まる。その反応を見て、シンの怒りが瞬く間に燃え上がる。
「わざわざアスランに言うとはな。一体何の嫌がらせなんだか。それともアスランが言え
ば俺が納得するとでも思っていたのか」
「シン、聞いて――」
「お前は何故分からないんだ!? あの男が管理局の、生っちょろいやり方で対処できる
はずがないだろう! 倒すのが最善だと、どうして納得しない!」
 話が通じる相手、また自分達で対処できるならばシンとて殺そうとまでは考えない。
 だがアッシュは別だ。あの男は普通の人が持っている倫理観というものが微塵もない。
命の大切さを理解せず、ただ己が快楽のために殺しを好むような男だ。
 何より現状の六課の面々では対処ができない。それこそ六課の主力全員がリミッター解
除するか、”デスティニー”が直らないかぎりは。
「シン、私らは次元世界の法の番人。私達の身勝手な正義で誰かを殺すわけには――」
「それが甘いって言ってるんだ! そんなふざけた建前を気にしてて、もし犠牲が出たら
どうするつもりだ!?」
 シンの脳裏に蘇る過去の傷。爆撃で抉られた大地に横たわる腕。へばりつくように叩き
つけられ、原形をとどめない大切な家族。
 自分の腕の中で、力無く消えていく命。守ると誓った、何よりも、誰よりも、大切な少
女の最後――
――なのはが、フェイトが。シグナムにヴィータ。――そしてはやてが、もしそうなった
ら……!
「――なんで、わからないんだよぉっ!!」
 今も残る。消えない、忘れられない、焼け付くような、締め付けるような、深い深い、
傷跡。
 凍りついた表情のはやてに、シンは灼熱の怒りを叩きつける。
「……お前達は、知らないんだろうな」
「……え」
「目の前で誰かを失う悲しさ、悔しさ、痛みなんて……!」
 そう、彼女らは知らないのだ。喪失によるあのどうしようもない痛みを、悔しさを、悲
しみを。
 知っているならば自分の意見に同意するはずだ。知っているならば――

 パン!

「……え」
 何か妙な音がした。一体何の音かと思っていると、左の頬が熱を持っている。
 気が付けばはやてがいつの間にかすぐ近くにいる。右手を振り抜いた体勢で。
 それを見てシンは自分が彼女に叩かれたのだと理解。固まっていた思考が瞬時に怒りの
熱を注ぎ込まれて動き出そうと――
「!?」
 動き出そうとして、再び固まる。
 自分を睨みつけているはやての表情は、今にも泣き崩れそうになっていたからだ。
 そしてその表情が語っている。――知っていると。あの痛みを知っている、と。
 だがシンはそれを見てさらに強い反発を覚える。
「……知っているなら」
 呻くような声が唇から漏れる。その先は言葉にならず、内心で叫びを上げる。
――知ってるなら、何故自分と同じようにしないのだ!? 組織のやり方に従ってまた同
じ過ちを、大切な人を失うことを繰り返すのか!?
 思いの強さのあまりに言葉にできず、シンははやてを睨む。と、その時。
「!?」
 結界の発生を感じ、シンは目を見開き、それと同時にはやてが血相を変える。
「シン!」
 感じる圧力と殺意。考える前にシンは動き、はやてを突き飛ばす。
 それから刹那の時間、背中にとてつもない重力と破壊の衝動を感じ、シンの意識は闇に
落ちた。

 シンに突き飛ばされたはやては瞬時に騎士甲冑を纏うと、シンの背後にシールド系防御
魔法を出現させる。
 だが巨大な藍紫の光は数秒にも満たないほんの僅かな時間でそれを破壊、シンに激突す
る。
――シン!
 爆発に包まれたシンを見て、さあっと血の気が引く。フィールド系防御魔法を展開し爆
発で発生した煙や熱を反らし、発生源を見据える。
「……!」
 そこにはシンが散々危険だ、殺すべきと言っていた男、アッシュ・グレイの姿があった。
 彼の足下には地に伏しながらも真紅の光に包まれたシンの姿がある。しかし無傷という
わけではなく体のあちこちからは魔力光よりも濃い真紅の血が流れている。
 医療にさほど詳しくないはやてでもシンの負傷や出血具合が、危険な状態であることは
すぐに分かった。アッシュ・グレイからシンを引き離すべく、シュベルトクロイツをはや
ては構える。
 支援、高域攻撃に特化したはやてにとってアッシュ・グレイは危険なタイプだ。近接近
においては勝負にならないし、生半可な広域魔法ではあの”リジェネレイト”ですぐに回
復されてしまう。
 はっきり言って、はやてのみならず六課の方針である”殺さず捕縛”というのに、アッ
シュ・グレイほど難しい相手はいない。
 だがだからといって殺すのは論外だ。それに策がないというわけではない。
 相手の様子を伺いながらそこまで考えていると、はやては違和感を感じた。
「……?」
 シンを踏みつけた体勢のまま、アッシュが動かないのだ。よくよく見れば全身が脱力し、
体が傾いている。こちらを見る目も、表情も何やら力がない。
 放たれる殺意や圧力は痛いぐらい感じるので、なお不気味だ。

「――小僧は、どこだ」
 ぼそりと呟き、そして次の瞬間、大きく両目を見開く。
「あのクソガキ、シン・アスカはどこにいやがるんだぁ!!」
 叫びと同時、青紫の魔力をまとってアッシュが突進してくる。
 唐突な相手の動きにはやては慌てて防御魔法を展開。白い盾が生まれ、突進を受け止め
るも、勢いに押される。
「どこだ、どこにいる! さっさと教えろぉお!!」
 血走った目で、涎をまき散らしながら叫ぶアッシュ。理由は分からないが精神状態がま
ともではない。
 自分が先程倒し、足下にいることさえ、分かっていないようだ。
「くっ……!」
 ともあれ距離を置かなければ話にならない。はやては眼前に黒の短剣を出現させ、アッ
シュに放つ。
 アッシュの視界を塞ぐ程度の爆発。だがそれで相手の動きが一瞬緩み、それを察知した
はやてはアッシュの腹部を蹴りつけて、離脱。さらに背部の三つの黒羽を羽ばたかせ、さ
らに距離を置く。
 無傷のアッシュは充血しきった眼をめいいっぱい開き、血が出るほどに唇を噛んでいる。
「どこだぁぁぁ!!! どこに隠したぁ!!」
 音程のずれた、明らかな狂気の叫びを上げてアッシュはやてに向かってくる。離れてい
た距離が瞬く間にゼロになる。
――なんとか、せえへんと…!
 アッシュから繰り出される鉛のように重く突風のように激しい猛攻。避けることもまま
ならずはやては一方的に受けに回るばかりだ。無詠唱で使用できる魔法すら、使う隙もな
い。
「うっ、ぐ……」
 近くにいるルナやアスランへ念話を送ってみるが、通じない。周囲に張り巡らされた藍
紫の結界は念話遮断の効果もあるようだ。
――なんとかして外と連絡を取らんと……!
 アッシュを捕縛するにはここの力量では不可能だ。せめて自分を含めなのは達が二人は
いなければ。
 防御魔法越しとはいえ息つく間もなく放たれるアッシュの攻撃。痛みが蓄積され、徐々
に動きが鈍く、重くなる。
「……!」
 そして気が付けば、なんと離れたはずのデパートに戻ってきている。しかし防御一辺倒
のはやてにはどうすることもできない。
「ああああっ!」
 鞭のように繰り出された両腕の二連撃。それを受けてとうとう白の盾が砕かれる。
「……!」
 目を見開き、はやてはすぐに新しい盾を造ろうとするがその時間さえも与えられない。
 旋回の遠瞬力を載せ、放たれた横蹴りがはやての右脇腹に突き刺さる。何かが折れるよ
うな音が聞こえ、呼吸が止まる圧迫感を感じ、小さく呻き声を漏らす。
「…ぁ」
 蹌踉めくはやてへ更なる一撃が放たれる。はやてにはもはやそれがどのような一撃かわ
からず、まともに食らい、デパートめがけて吹き飛んだ。

「う……」
 枯れた声で呻くシン。目を開けるとアスファルトの床が視界に入り、自分が倒れている
のだと自覚。
 すぐさま起き上がろうとするが背中から走った稲妻の如き激痛がそれを許さない。
「ぐ……? これ、は…」
 幾度か深呼吸をして痛みで乱れた呼吸を整え、どうしてこうなっているのかを考える。
 数秒後、自分がどうして倒れていたのか理解するとゆっくりと立ち上がる。
「くぅっ………」
 傷塗れ、血まみれの体を見る。何者かの突然の襲撃を食らい、ダメージを負った体は魔
導士としての、コーディネーターとしての回復力やデバイスの自動治癒魔法により、幾つ
かの傷からは血は止まっている。
 とはいえ相当なダメージを受けたようで足下がおぼつかない。屋上に建てられた給水塔
の影に隠れ、周囲に気を向けつつ簡易の治癒魔法で傷口を塞いでいると、
「……!」
 敵の姿が視界に入り粗に身を隠す。
 アッシュ・グレイはこの距離からでも子供でも分かるような殺気や狂気を振りまいてい
る。
――くそ。今日、よりにもよって……!
 最悪だ。”デスティニー”は手元にはなくあるのは管理局が造った貧弱なデバイス。こ
の負傷に、さらにははやてが――
「……はや、て?」
 名を呟き、シンは思う。――彼女はどこにいるのだろう?
 気を失う前に突き飛ばしたあと無事に逃げたのだろうか? そう思うが周囲の結界を見
てそれを否定。
 では、どこに? 周囲には彼女の姿は見えない。
 背中がひんやりとする。何か酷く不味いことがおきたような、そんな予感がする。
 シンははやての魔力を探り、それがすぐ見つかったことに安堵し、同時にそれがいつも
より小さく感じられていることを不思議に思った。
 アッシュは屋上でうろうろしながら、ぶつぶつと何やら呟いている。
「ん?」
 シンは眉を潜める。何故かアッシュの足下の近くにははやてが騎士甲冑姿の時に被る帽
子があった。さらに所々が破損した十字剣の杖、シュベルトクロイツもある。
「――」
 悪寒が強まる。一瞬想像した悪夢を振り洗うようにシンは周囲に視線を向ける。
 そして、見つける。
「……ぁ」
 給水塔の影からは見えない死角、アッシュから少し離れた場所にアスファルトにめり込
んだボロボロのはやての姿を。
「……なんで?」
 これは一体どういう事なのだろう。何故はやてが倒れているのだ。
 今の自分の状態に状況。全てを忘れ、シンははやてに歩み寄る。
「……シン・アスカぁ!」
 アッシュの狂喜の声が聞こえるも、シンは足を止めない。
「どうして」

 遠目から見えるはやては全く動いていないように見える。その姿を、シンは自分の腕の
中で息絶えた少女の姿と重ね見る。
「どうしてこうなってるんだ?」
 はやての前に立ち塞がるアッシュ。それを視認すると同時、シンの固まっていた思考が
一気に活動を始める。
「……あ、ああ」
 悪夢の光景、敵の姿。目の前の全てがシンの感情を高ぶらせる火種と化す。
「あああああああああああっ!」
 喉が裂けんばかりの叫びと共に、シンは眼前の憎き敵へ向かっていく。
「シン・アスカぁぁぁ!」
 放たれる攻撃をかわすことも頭になく、手にした槍、魔力で強化した四肢で闇雲に殴り
かかっていく。
――どうして――!
 アッシュの一撃一撃は意識を揺さぶるほどに強烈だ。しかし今のシンはそれでも止まら
ない。
 どうしようもないほどの敵への憎しみ、そしてそれ以上に巨大な自身への悲しみと後悔
が彼を突き動かす。
――どうして、いつもこうなる!?
 脳裏に過ぎるのは戦火のオーブで肉塊に変わった家族、殺戮の爪痕を残すベルリンで力
尽きたステラの姿。
――どうしていつも、俺は大切な人を守れないんだ!?
「あああああっ!」
 地面に叩きつけたアッシュへ渾身の刺突を放つ。穂先がアッシュの腹部にめり込み、血
飛沫を吹き出すが”リジェネレイト”によって瞬時に回復してしまう。
 反撃の蹴りを受け、吹き飛ぶシン。しかしすぐに反転しさらにある一撃を叩き込もうと
アッシュの懐に入り込む。
 繰り出された両腕の魔力刃を回避して、再び刺突を放ち――
「!?」
 手応えを感じた次の瞬間、槍全体に大きな亀裂が走り、砕け散る。
「がああああっ!」
 しまった、と思う間もなく、瞬時に回復したアッシュの一撃をシンはまともに受けて、
先程のアッシュのように地面に激突、めり込む。
「……っが」
 内臓が大きく脈動したのを感じたと同時に、大きな血塊が零れでる。苦痛に耐え起き上
がろうとするが、力が入らない。
 それどころか指先さえも満足に動かせない。
「うっ…ぐっ……」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
 両手を掲げ、膨大な魔力球を形成するアッシュ。逃げなければ、と思うが体は動かない。
「殺す殺す殺す――ころおぉぉすっ!!」
 辺り一帯を吹き飛ばす威力を持つ魔力球が放たれる。シンはもがくが、体は――動かな
い。
――こんな所で死ぬのか、こんな所で!
「くっそおぉぉぉぉぉぉ!」
 無念と絶望の叫びを上げたと同時、赤紫の閃光が球体を貫く。
 シンは呆けた表情となり、しかしすぐに赤紫の閃光が放たれた方角へ視線を向ける
「…!?」
 瞳が映したのは二人の魔導騎士。ルナと――アスラン、だ。

 アスランは二本のサーベルをアンビデクストラス・フォームに変えると、加速してアッ
シュに向かっていく。ぶつかり合う藍紫と赤紫の光はあっという間に遠ざかって視界から
消える。
「な……で、アス……」
――なんで、アスランが…!? 出すことのできない言葉を内心で紡いでいると、
「シン、大丈夫!?」
 すぐ側に降りたつルナ。すぐに回復魔法をかけてくれる。
 痛みが引き、動かなかった体に力が戻ってくるのを感じ、シンは訊ねる。
「なんで、アスランがここに……」
「ちょっとシン、何言ってるの。大丈夫?」
 こちらの問いに、何故かルナは怪訝そうに眉を潜める。再び問おうとしてシンははやて
のことを思いだし、
「ルナ…! あいつは、はやては……!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて! 大丈夫よ、彼女は生きてるわ。今守護騎士のみんなが救
助に向かってる。
 だから体を起こさない! 寝てなさいってば!」
 強引に押さえつけるルナ。体の各所の痛みで声が出ない。
 しばらくして痛みが引いたところで大きく息を吐き、シンは呟く。
「……生きて、るの、か」
「ええ、生きてるわ」
 もう一度、息を吐く。安堵の息だ。
――よかった……
 そしてそれを吐き出した途端、瞬時にシンの視界は黒の一色に染まった。
 気絶したのだ。

 病室のベットの上、シンは目の前のモニターに表示された先日の事件のあらましに目を
通している。すでにあの日から数日経っている。
 先の戦闘によるダメージと傷、さらに完全に直りきっていなかった両腕の状態も悪化。
目が覚めたのは今日の朝方なのだ。
 外見上の傷は大多数が僅かに痕を残しているか、完治のどれかだが、左腕は別だ。
 朝、検診にやってきた医師の話によれば先日の戦いでの傷を差し引いても、酷い有様だ
ったらしい。
 話を聞いたとき、そう言えばあの時は、後先何も考えず力任せに殴りかかっていたなぁ、
とまるで他人事のように感想を抱いた。
 また体内の骨や臓器へのダメージはまだ残っていると言うことらしい。結果、しばらく
の間入院、そして絶対安静とのことだ。
 目を通し終えて、モニターを閉じる。軽くため息をつき、
「結局、アッシュの奴は捕らえきれず、か」
 シンが気絶した後、アスランがアッシュと激突。あと一歩の所まで追い詰めたそうだが、
突如出現したガジェットに、ソキウスによってそれは阻まれたと言うことだった。
 さらにその後、クラナガン郊外のとある場所から所有者不明の研究施設も発見されてい
たのだという。
 だがシンにとってそれはあまり意味のないことであり、今は一つの疑問が思考を支配し
ている。

「アスラン……何故、俺を、助けたんだ」
 思わず呟いたその言葉に、シンは反射的に内心でどうしてそんな言葉を吐くのか、と自
身に語りかけてしまう。
 そう、よくよく考えれば愚問だ。シンの知るアスランなら、当然の行為だからだ。仲間
の危機を黙って見過ごすような――
「……って、俺は何を考えてるんだ!」
 思わず右腕を膝に叩きつけ、膝と右腕、両方に痺れが走りシンは悶える。
「あいつがアッシュと戦ったのははやてを守るためだ。それ以外に、何があるんだ」
 ようやく納得のいく答えに辿り着き、シンはほっとする。と、病室のドアが静かにノッ
クされる。
 入ってきたのはシグナムだ。意外な客にシンは驚く。
「目が覚めたと聞いてな。体調や気分はどうだ」
 入ってくるなり、座りもせず彼女は問うてくる。
「体のあちこちは傷むけど、まぁ悪くないよ。一人で来たのか」
「いや、テスタロッサとだ。あいつは今はバレルの所にいっている。じきにこちらに来る.
だろう」
「はやての奴はどうしてる? あいつの怪我は」
「お前と比べれば大したことはなかった。元気に働いておられる。
 六課の方も、お前がいない間はルナマリアが協力してくれているからな。問題はない」
 腕を組み、壁に背をつけるシグナム。
 いつも以上の淡泊な態度にシンは眉を潜める。
「テスタロッサが来るまで少し時間がある。昔話でもしよう。
 今から十年前、両親と死に別れ、足の不自由な少女に元に”闇の書”というロストロギ
アが現れた」
 唐突にシグナムは語り出す。
「主に絶大な力を与えるとされていた禁断の魔導書だ。闇の書より現れた騎士達を少女は
家族として扱い、そんな心優しい主に騎士達も忠誠を誓った。
 だが少女の病状の悪化により、騎士達は闇の書を完成させるために罪を犯した。そして
管理局も闇の書の管制を防ぐべく騎士達と戦った。
 過去幾度となく完成した闇の書は必ず暴走し、次元世界へ多大な被害を及ぼしていたか
らだ」
 淡々と語られる言葉。しかし何故か懐かしさと重苦しさを感じさせる。
「戦いの末、闇の書は完成し暴走。しかし管理局の魔導士との協力により少女は闇の書の
――夜天の魔導書の主として正しく覚醒し、彼女らとの共同戦線の末、闇の書を消滅させ
ることに成功した。
――その代償に、少女の家族である一人の騎士を犠牲にして」
 そこで言葉を切ると、彼女はシンを見て、
「その騎士の名はリィンフォース。今我らと共にいるリィンフォース2の、先代だ」
 告げられた瞬間、シンは今の話がどういうものかを理解する。語られた少女と騎士達、
それが誰であるのかを。
「主は――八神はやてという少女は分かっている。目の前で誰かを失う悲しさ、悔しさ、
痛みを」
 厳しい眼差しを向けてくるシグナム。どうやらどこからか屋上での話を聞いたようだ。
「……わかっているのなら何故」
「それは直接聞くことだ。――主はやては夕方頃に来られる」
 言って彼女は目を閉じ、黙り込む。
 それからすぐにフェイトがレイと共に病室を訪れる。昼から検査があるため、最低限の
話をして彼女たちはすぐに病室から姿を消す。

 幾つもの事細かい検査が終わり、病室に戻る頃には日は沈みかけていた。
 ベットに戻ると、検査による疲労でシンは知らず知らずのうち眠りについてしまう。
 だが眠りについてすぐ、額に誰かの手が添えられたことに気が付き、目を開けると、
「あ、ごめん。起こしてしもうた?」
 ハンカチを持っているはやての姿があった。彼女の肩にはリィンの姿も見える。
「…いや、別に眠ってたわけじゃないから。ちょっと疲れてうとうとしてただけだし…。
 お前が来るのを、待ってた」
「私を?」
「ああ……」
 こちらを見て何を思ったのか、はやては横へ視線を向ける。
 リィンは僅かに頷いて浮き上がると、病室から出て行く。
 静まりかえる病室。しばしの時を置いて、シンは言う。
「この間はすまなかった。あんなこと言って。
シグナムから、少し聞いた。――やっぱり、お前は知ってたんだな」
 何を聞いたのか、知っていたのか。はやては僅かに表情を動かして、シンの言葉に無言
の肯を示す。
「でも、わからない。知っていたのなら、何故捕縛にお前が拘ったのかが。アッシュを倒
すことを、容認しなかったのかが。
 シグナムから話を聞いて、ずっと考えていた。でも……」
 はやてが捕縛に拘るのは、何も管理局員としての責務だけではないことはシンも気が付
いていた。
 それ以外の、何か。しかしシンはそれが何なのかが、どうしてもわからない。
「はやて、お前はアッシュと戦ったんだろう。あいつの危険性は十分に分かったはずだ。
それでも、意見は変わらないのか」
「変わらへんよ」
 躊躇無く答えるはやて。思わずシンは目を見開く。
「どうして…? そこまでして六課の設立が大事なのか? もしあいつによってなのはか
フェイトか」
 重い体を動かし、はやてに詰め寄るシン。
「お前の大事な家族が失われたら……。そうなったときの事は考えなかったのかよ」
「考えとるよ。出動のたびに」
 先程同様間を置かず、きっぱりと彼女は答えを返す。
「隊舎から指示を出したあと、いつも願っとる。みんなが無事に帰ってくることを。でも、
最悪の可能性は心の片隅から消えへん。
 暫定とはいえ初めて自分の部隊を、部下を持って、前線の指揮官がどんな思いなのか知
ったよ。
 確かに怖いよ。そのことを思うと」
 僅かに俯き、両膝に置かれた手が握りしめるはやて。自分を見ていた毅然の表情が不安
に歪む。
「それでもみんなは私を信じて頑張ってくれてる。最良の結果を残すべく、指示を出した
私を。
 そんなら私が皆を信じんわけにはいかんやろ。――だから、私は自分の思いを曲げるこ
とはできんのや。
 六課の皆ならアッシュの捕縛ができる。そう信じたその思いを」
 言い終え、歪んでいた表情がいつもの明るい自負に満ちた笑みに戻る。
 そしてはやてはアッシュを捕縛する方策を語る。それはシンが考えていたものよりもず
っと的確で洗礼されたもので、倒す一辺倒に考えていたシンには決して思いつかない策だった。

「それにな、それとは別で、捕縛に拘った理由はもう一つ、あるんよ」
 額に掌を添えるはやて。いきなりの行動にシンは驚くも、声は出ない。
「こんな仕事をしていてなんやけど、私の隊にいる間だけは手を汚してほしくない。
 みんな優しい子達やから。誰かをその手にかければ、きっと苦しむ。もちろんレイもシ
ンもや。
 私はみんなの隊長やからな。みんなを守らなあかん。そう言う悲しみ、苦しみからもな」
 慈しむような表情ではやては二、三度、シンの頭を撫でる。
「――」
「いつかきっと、そんな綺麗事が通じないときも来るとは思う。手を汚さなければならな
いときも、あるとは思う。
 だからといってそんなときの予行練習みたいなことはしたくないし、するべきやない。
 それに私はそんなのは嫌や。例えそんな状況になってもそうならないよう何とかする、
してみせる。リンディさんやクロノくん、なのはちゃん達が私を守ってくれたように。私
の全てをかけて」
「はやて……」
 確固たるはやての思いを聞き、夢想家、甘い奴と思う前に、シンは一つのことを思う。
 皆を、自分の元に集った全ての人達を守ると彼女は言った。――なら、彼女は、はやて
は誰が守るのだろう。
 機動六課部隊長、総合SSランク魔導士、古代ベルカのレアスキル継承者、八神はやて
二等陸佐。
 数々の立派な称号や呼び名を持つとはいえ、同時に彼女はただ一人の、八神はやてとい
う女性でもあるのだ。それをシンは今日知ったのだから。
 ただ一人の彼女が、皆のために傷つき、責を負わせるような真似は許せない。何より、
はやての自己犠牲のような言葉には、納得しない。するはずもない。
「はやて、お前は皆を守ると言った。――なら俺はお前を守るよ」
 裡に膨れた思いを、そのまま言葉に変える。
「シン……」
 おそらく余計な気遣いだろう。彼女の周りにはなのはにフェイト、そして八神家の家族。
さらにナカジマ三佐やギンガ、六課をバックアップする多くの面々もいる。
 自分の守りは必要ないかもしれない。だが、そんな理屈抜きにシンは彼女を守りたいと、
彼女の夢である六課設立に協力したいと初めて思う。せめて自分が側にいる間だけは――
 アッシュに対する姿勢を、変える気はない。だがそれを実行するとき、綺麗事がすまさ
れないときだ。
 その時になるまで、シンは自身の思いを封じる。出会い、僅か一ヶ月しか経っていない
自分を、親友達と同じように信頼する彼女の思いに応えるために。彼女の思いを、守るた
めに。
 動く右手で頭にあるはやての手を握る。驚くはやてに、シンはもう一度、言う。
「お前は、俺が守る」
 ぽかん、とした表情のはやて。がすぐに破顔一笑し、
「ほんならまずは、怪我を治さなあかんなぁ。あと私の指示にはちゃんと従ってな」
 浮かべた笑みはシンが見惚れた、”八神はやて”という女の子の笑みだった。