RePlus_第八幕_後編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 17:40:08

「あー、シン君大丈夫」
 名誉の為に断っておくが、シンは以前意識を取り戻していない。
それが証拠に閉じた目蓋を強引に開けると白目が見えるし、膝枕など恥ずかしい
シュチュエーションに晒されている状況を無骨なシンが赤面一つせずに黙っていら
れる性格でもない。
 だが、例え意識が無くとも後頭部の感触だけは理解しているのか、鼻に詰め込ま
れた太巻きのテッシュがドンドン赤く染まっていく。
 スバルは、そろそろシンが失血多量で本当に死ぬのではないかと思うが、湧き出
る赤い液体とは対照的に、至って健康そうな血色安堵し胸を撫で下ろした。
「見られた…見られた…見られた…見られた…全部見られた。兄さん以外誰にも見
せた事なかったのに」
 だが、受けたダメージが大きいのは何もシンだけではない。シン昏倒の下手人で
あるティアナも何やら深刻なダメージを受け、壁を相手に一人ブツブツと押し問答
を繰り広げていた。
 頭に血が昇って冷静さを欠いたのは時点でティアナにも責任はある。戦闘以外で
は押しが弱く、その上女装している弱みまで持っている。シンが、護衛相手である
アズサに上手に出れない事は分かり過ぎる程分かっているが、大体からして警備上
の理由で入浴を断るとか、ダッシュで自分達を起こしに来るとか、火事場の浅知恵
を働かせても罰は当らないとティアナは思った。
 ドサクサ紛れにシンに膝枕をしている親友に形容しがたい敗北感も感じるし、ア
ズサがシンを団扇で扇ぎながら「逆上せる程入ってないのに」と頓珍漢な推理もま
た腹立たしい。
八つ当たり以外なんでもないが、腹腔から競りあがってくる行き場のない怒りは
何処に投げ捨てればいいのか。
黙過の悩みはそこに尽きたが、誰が悪いのかと問われれば、シンをフォロー仕切
れなかったティアナにも非は当然ある。
しかし、過失とは言え、シンに全裸を見られた事には変わりなく、ティアナは羞
恥とも怒りとも取れない、何とも中途半端な気持ちで憤るのが関の山だった。
いっそ全責任をシンにおっ被せれば事は丸く収まりそうだが、ティアナ・ランス
ターと言う少女は、そこまで小器用に出来ていなかった。
 もし、シンが目覚めていればティアナの考えに「冤罪だ」と間違いなく叫ぶだろ
う。
しかし、古き良き時代より"この手"の揉め事で男が女に勝てた試しはない。
恐らく例えようの無い理不尽な思いに駆られながらも、平身低頭、平謝りに徹す
るのが精々だった。
「う…うぁ」
 もう少し眠っていれば、これ以上の騒動が起きる事も無かっただろう。
しかし、シンは、持ち前の間の悪さを遺憾なく発揮し、意識が浮き上がり、ゆっ
くりと覚醒していくのを不承不承ながら自覚した。
「起きた?シン君」
 日頃から鍛えている御蔭か、それとも単純にシンの頭が石頭なだけか。恐らく後
者だろうが、しこたま頭を強打した割には目覚めは思った程悪く無い。
 前後の記憶もはっきりしているし、最近は教導で吹き飛ばされて気絶する機会も
無かった為に、真っ黒な闇に懐かしさすら感じる始末だった。
「あら、お目覚め?」
「あの…大丈夫?アスカ」
 焦点が合い始めればシンを心配そうに見つめるスバルが瞳に飛び込んでくる。
シンが、距離が近いと思うよりも早く、アズサの人を茶化すような視線を浴び、
次いでティアナの申し訳なさそうな表情が飛び込んできた。
「あぁ、おもったよりは…平気そうだ。」
 シンは、膝枕から起き上がり、顎と脳天を摩り傷の具合を確認する。両方とも僅
かに痛むが特に問題は無い。瘤は残るだろうが、明日からの練習に差し支えること
はなさそうだった。
「いや、俺も悪かったランスター。ちょっとデリカシーが無さすぎた」
「ううん。ごめん。やっぱり私やりすぎた」
 意地っぱりに見えてほんの僅かでも自分に落ち度があれば責任を感じてしまうの
が、ティアナ・ランスターと言う少女だ。
裸を見られたのは、ティアナにとって一大事件だったが、やはり、昏倒するまで
暴力を振るうのは流石にやり過ぎだと自覚しているのだろう。シンの謝罪を押し止
め、シンの頭の傷を慎重に確認する。
 シンは苦笑しながらも「それで満足するなら」とティアナの好きにさせる。ティ
アナの白く冷たい指が、血が溜まり火照った瘤に心地良い。

「大した事ないだろ」
「でも、瘤出来てるわね。後で湿布張っとくわよ」
 日頃から無理無茶を重ねるシンの言葉は信用出来ないのか、ティアナは、浮かな
い表情のままだ。
「心配性だな、ランスター。唾でも付けとけば治るよ」
「切り傷じゃ無いわよ馬鹿」
 空元気も元気の内と言う言葉もある。シンは、両腕を元気に回し、もう心配無い
と健全ぶりを殊更強調し、気絶していた分の時間を埋めようと戻ろうと、スバルに
慌てて引き止められる。
「ねぇ…ティアナさん。もしかして、貴女そっち系?」
「はい?」
 ティアナがスバルを引き連れギコチナイ音合わせを始めるシンを見つめる中、突
然耳に届いたアズサの言葉に心臓を和鷲掴みにされる。
「ですから、ズーレーとか百合とか、簡単に言えば同姓愛者ですの?」
「は、はい?」
 ティアナは、アズサの言った意味が一瞬理解出来ず暫く惚けてしまう。しかし、
徐々に時間が経つに連れ、ジワジワとせりがって来る内角高めの一発退場物の危険
球な内容に顔を赤く染める。
「な、なんで、私が!私はノーマルです」
 ティアナは、大慌て否定するが時既に遅し。
 ティアナの慌てふためく反応だけで、アズサはもう十分確信を得たのだろう。
アズサは、下手人の分かり易い反応に気を良くし、玩具を見つけた猫のように瞳
を静かに輝かせる。
 獲物を前に攻撃の手を休める野生動物はまず居ない。
 完璧なアドバンテージを手中に収め、尚且つ相手の弱点が明確ならば尚更の事だ。
 根っからのサド気質なアズサには、うろたえ困り果てるティアナが絶好の獲物に
映っているはずだ。
「でも、貴女とアスカさんの関係変じゃありません?別に女同士なのですから、裸
の一つや二つ見られても減る物ではないでしょう」
「そ、それは」
 そう言われてしまうと、ティアナはぐぅの音のでない程困り果ててしまう。確か
に先刻のティアナのシンに対する態度は女同士に対する態度とは大きくかけ離れ同
性に向ける感情では無い。
 しかし、だからと言ってティアナは女性に恋愛感情を抱く類の人種ではないし、
穿った言い方をすれば"男の子"が好きな極一般的な女の子だ。
外見は可愛い女の子でも、ティアナの中ではシン・アスカは男性だ。
無意識内にシンを男として扱うのは当然の事で、本当の女のように接するのも限
界ああった。
「魔道師って変わった人が多いから、貴女もてっきり」
一体誰の事を言っているのか。ティアナの頭の中に直属の上司達の顔が浮かぶが
、本能が危険を察知し、噂の元凶を記憶の隅に追いやった。そもそも一体何処でそ
んな噂を聞きつけたのか。
「立派な風評被害です」
 誰の影響だ毒づきティアナは、ぴしゃりと言い放つが、アズサの疑惑の視線は晴
れる事無く胡乱な瞳でティアナを見つめ続けた。
「まぁ、ティアナさんの百合疑惑はその内追求すると致しまして。お二人とも練習
熱心なのは感心ですけど、少しこちたに注目してくれません?」
 しかし、やがてそれも飽きたのか、仰々しい態度で手を二度叩き、シンの練習を
中断させる。
「ちょっとアズサさん!」
「今はこちらの方が優先ですわね」
 アズサは、ウインク一つでティアナの追撃を軽やかに且つ優雅に避け、一体どこ
から取り出したのか、アズサの手には真新しい台本が一冊握られていた。
「なんですか、それ」
 藁半紙で作られたいかにも急ごしらえの台本に、ティアナの血圧が急激に低下し
ていく。
 短い付き合いだが、アズサの自由奔放ぶりは、ティアナがこれまで出会った人間
の中でもぶっちぎりのワースト記録保持者だ。
 今度はどんな無理難題を押し付けてくるのか。我慢強いティアナも、膨れ上がり
止まる所を知らない強烈な嫌な予感に、この時ばかりは顔を顰めた。
 しかし、往々にして悪い予感と言う物は不思議と的中してしまうモノである。
「何ってラジオの公開録音よ。ここで、ライブの事正式にファンに発表するから」
「待った!待った!待った」
「却下ですわ。待ったなしの無制限一本勝負。題して、九回ツーアウトからでも逆
転は可能ですぶっつけ本番作戦。副題は、覚悟を決めてる暇があれば行動してくだ
さいましね、でいきましょう…これで逃げられないでしょう」
 あっけらかんと告げるアズサにティアナは間髪いれず猛抗議するが、アズサは闘
牛士がが暴れる牛を制すように、ティアナの口撃をするりと受け流す。
 その様子は、闘牛士と言うよりも、手を滑り抜けるウナギのように感じられたが
、それは言わぬが華だ。
 恐ろしい程に透き通った微笑を浮かべるアズサを見て、シンは一言「女は魔物だ
」とのたまった。

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第八幕『瞬間心重ねて-IDOL@MASTER』-後編-

「はーい、皆久しぶりね。アズサ・サニーサイドアップ!こうして帰ってきたわよ」
 群集観客入り乱れるとこの事だろうか。都内の野外公会堂を借り切って行われた
アズサの公開ラジオ収録には、熱狂的なファンが文字通り大勢詰めかけ溢れかえろ
うとしている。
 キャンペーンガール、主に酒造メーカー系の際どい衣装に身を包んだシン達三人
がアズサの後ろで呆然と立ち尽くしている。
 シグナムとシャリオは、何とも言えない表情を浮かべながらその様子を見つめて
いた。
「私は良く知らんのだが”あいどる”とはいつもこう言う風なのか?」
「いつもかどうかは保証出来ませんけど、アズサ・サニーサイドアップのイベント
毎はいつもこんな感じだそうですよ」
「なるほどな。しかし、人が多いな。何人くらいいるのだ?」
「大体五千人くらいじゃないですか。入れる人数は抽選に当った人だけだそうです
し」
 これだけの人数が集まればイベントでは無く、露天こそ出ていないがちょっとし
た祭りのような物だ。
 押し合いへし合いになりそうな物だが、聞こえてくる雑談の声こそ大きいが、参
加者は大人しくイベントが始まるのを待っているようだ。
 地元警察も協力しているのだろう。
ファンは久方ぶりに見る生のアズサに歓喜の声を漏らしているが、イベント警護
の保安員の数も桁外れだ。
これだけの人数が同時にパニック、もしくは、暴動紛いの暴走行為を起こせばど
うなるか。
 たかがアイドルのイベントと言えど、実際現地スタッフのストレスは大変な物だ
ろう。
 大体、夏の日差しとはどうしてこうも殺人的なのだろうか。
 茹だるような暑さの中でシャリオは、日傘を差しながら持つのも躊躇う程熱くな
った端末を見て思わず舌を出した。
(ほんと、課の備品の端末持って来て良かった)
 これが、シャリオお手製の特別仕様端末ならば、泣きを見ていた事だ。一応耐熱
仕様だが、三十度を超える炎天下の中で精密機械を持ち出す人間の気が知れない。
 シャリオの目の前には、人、人、人の壁が悠然と立ち並び、発する熱で陽炎さえ
立ち昇っている。
 特徴的な栗毛の長い髪は、暑さを理由に結い上げポニーテールに纏めた。
 大柄で野暮ったい眼鏡は取り外し、慣れないコンタクトレンズを採用したシャリ
オの容姿は、垢抜けているとまでは言わないが、いつも室内に閉じこもり端末を叩
く姿とは似ても似つかない。
 繁華街を歩けば、何人かは振り返ってくれるはずだ。
 警備の秘匿性を考えそれなりに気を使って変装してみたつもりだが、やはり何処
か無理があるように感じる。
 だが、シャリオのなけなしの努力をあざ笑うように、彼女の上司は呆然としなが
ら人混みを見つめ続けていた。
「あの、副隊長?」
「あぁすまんな。どうにもデバイスが無いと落ち着かなくてな」
 雑多な人ごみの中で、惚けたように佇んでいたシグナムは、隣のシャリオの声で
漸く現世に帰還した。
 シグナムは、いつのもポニーテール姿では無く髪を下ろし眼鏡をかけている。
 腰まで伸びた真紅の髪は陽光に力強く反射し眩しい程だ。
 服装もいつもの管理局制服では無く、薄手のTシャツ一枚にヘソまで見えたロー
ライズジーンズにミュール。
 眼鏡は流石に伊達だろうが、腕にはシルバーのブレスレットを付け、腰にはスポ
ーツタイプの大柄のバックルのベルト。
(美人は何着ても得ですよねぇ)
 やや、ダサいと思われる服装も中身が平均以上ならばそれなりに見える物だ。シ
ャリオの容姿も平均以上だがそこは研究職の性と言うべきか。
 長年染み付いたインドア気質と体育会系のシグナムでは、容姿に対するベクトル
の違いも重なり、気概で負けてしまうのだ。
 シャリオ自身、半分以上僻みが入っていると分かっているが、普段のお堅い格好
とは正反対の活動的なシグナムの様相にシャリオは眩しさすら感じていた。
 シグナムとシャリオ。隊長各と技術屋と何とも珍しい組み合わせだが、任務の一
環とすれば、それもまた有りだろうか。
「代替機渡してるじゃ無いですか。一応護身用とは言え管理局の正式仕様品ですよ」
「これか?これは、どうにも頼り無くてな」
 シグナムはトートバックから、二十センチほどの金属の筒を取り出す。シグナム
が筒に魔力を込めると柄が赤く明滅し、金属音を伸び上がり長さ一メートル半の金
属棒に変形した。

 シグナムが腕を振るうと暴徒鎮圧用の軽金属で出来た金属棒が空気を裂き唸りを
上げる。
 だが、やはりどこか納得いかないのか、シグナムは数回素振りをしただけで金属
棒を待機形態へと戻してしまった。
「馴染みませんか?」
「私は騎士だからな。棒術も出来ぬ事は無いが、やはり騎士たる者、剣を使ってナ
ンボと言う奴だ」
「一般隊員が聞いたら怒り出しそうな台詞ですよ、それ。駆け出しの管理局員は皆
それからスタートなんですから。駄目ですよ。カデンツァがロールアウトするまで
それで我慢して下さい」 
「カデンツァ?レヴァンティンでは無いのか?」
 シグナムは、シャリオから出た聞きなれない言葉にどうにも嫌な予感を拭えず、
誤魔化すように頬をかいた。
「コードネームですよ。最初はレヴァンティンⅡとかレヴァンティン二式、改、特
式、零式、等々、昼夜問わず開発コードの熱い論議が酌み交わされたんですけど。
結局それになりそうで」
「それはその…名前だけなのだろな」
「名前を馬鹿にしちゃいけまんせん。名は体を現すって言うくらい、名前はデバイ
スの性能を左右する重要なファクターなんですよ。キャベツ千切り二百円って名前
のデバイス使いたいですか?」
 当然使いたいわけがない。
「行くぞ、キャベツ千切り二百円!」等と戦闘中に叫ぼうものなら、興が殺がれる
だけでなく、敵に土下座して謝り倒すレベルだ。
「コアは無事だったのだから、外装だけ取り替えると言う訳にはいかんのか?」
「可能ですけど、あれだけ派手に壊れたんです。やっぱりここは完全改修しか無い
じゃないですか。新型デバイス…なんて言うか萌えません?」
「萌えない」と口の先まで出掛かったシグナムだが、眼鏡を瞳を怪しく光らせるシ
ャリオに只ならぬ気配を感じ思わず口を噤んでしまう。
 技術屋には技術屋の誇りと矜持があるのだろう。
 シグナムは、破壊され技術班の研究通称”魔の館”に運ばれていくグラーフアイ
ゼンを見て真剣に泣きそうになっているヴィータを思い出した。
 直前に見せられた、ドリルやアンギラスと言った、どう見ても武器にしか思えな
い工具を見せ付けられれば不安にもなろうものだが、よもや自分の愛剣も同じよう
な目にあっているのでは無いかと今更ながら心配になる。
「もう少しぱっぱと終わらせる事は出来ないのか?」
「無理ですね。いいですか、魔力は本来曖昧で不自然な物質なんです。それを変換
機に通して出力すんですけど、リニア特性とか非直線性とかスパン調とか微細だか
大雑把だか分からない調整を繰り返し、AIの制御モジュールを…」
「あ、あぁ、分かった。分かったから。レヴァンティンでは無く。カデンツァの調
整はそちらに任せる。それに今は任務中だ。もう少し気合を入れてくれ」
「そうですか?ここからが面白いんですけど」
 楽しそうにデバイス論を語るシャリオにシグナムは嘆息しながらもやんわりと釘
を刺す。
 そもそも、シグナムは、こうすれば魔力が溜まり魔法が使えるを、感覚で体に刻
み込んでいる為に、デバイスの基礎理論を懇切丁寧に説明されても要領を得ないの
だ。
 前線部隊の副隊長としては、薀蓄はいいから、さっさと修理してくれと言うのが
本音だった。
(やはり、デバイスが無いと気分が緩む)
 僅か数百グラムの差異でしかないが、胸元に吊り下げられたレヴァンティンの重
さを今は感じる事が出来ず、シグナムは、デバイスを持たない己を頼りなく感じて
仕方なかった。
「シャリオ・フィニーニ曹長。状況確認だ。大雑把だが怪しい賊は居るか?」
「アズサさんのストーカーじゃなくて"熱心"なファンは、あちらのスタッフが既に
把握済みです。一応ボディガードさんも観客に紛れて近くに待機させてるみたいで
すね」
 シャリオが端末を操作すると、端末の液晶に要注意人物のリストが転送されてく
る。
「そのファンが魔道師の可能性は」
「簡易診断の結果、白ですね。魔力の魔の字もありません。犯罪歴も真っ白、綺麗
な物です」
「まぁそうだろう」
 シグナムも長い間、第一線で戦って来た魔道師である。あまり当てにならない勘
だが、犯罪を起こしそうな人間とそうでない人間くらいの判断はつくつもりだ。
 要注意者リストの中に、人相の悪い人間こそいれど、今回の事件を引きこした犯
人がいるとは思えない。
 最も只の勘の為に、自分の事と言えど全面的に信頼するわけにはいかないのが悩
みの種ではあったがだ。

「爆発物の確認は、どうだ?」
「入り口で念入りにセンサーでスキャンしました。全観客白ですね。未知の物質で
も無ければ、会場内に質量兵器、爆発する可能性の魔力物質は存在しません」
「なるほどな」
 シグナムが、目を瞑り気配を探ると、確かにシャリオの言うとおり、観客からは
魔力を感じる事は出来ない。
 ステージの上に熱い魔力の波動はシンの物だろう。その隣から感じる陽だまりの
ような暖かい魔力と風のように快活で爽やかな魔力は、ティアナとスバルの物だろ
う。
 魔力が揺らぎ緊張しているのが分かるが、三人友心身健康のようだ。
 報告書には随分苛烈な内容が書かれているだけあって、元気そうなシンを見てシ
グナムは少しだけ胸を撫で下ろした。
「しかし、高町とテスタロッサは何をしているのだ。あの二人が居れば、空からの
監視も容易いだろう」
「お二人とも本局への顔出しだそうです。なのはさんは、トールハンマー使用の審
議委員会での弁明討論。フェイトさんも、証言人として付き添っているそうです」
「審議委員会?現場判断。報告書提出で不問になったわけでは無かったのか?」
「あの、他の部署がちょっかい出して来たみたいで…八神部隊長は査問でないだけ
マシだって」
 眉を潜めるシグナムにシャリオは、苦笑いを通り越し、引き攣った笑みを浮かべ
た。
「全く…上はいつも現場の足を引っ張るな」
「上も本気で査問する気はないんじゃないですか?やるなら、作戦参加者全員が呼
ばれるはずですし。
「分かっている。大方"私達"は注意した調査もした。だから責任取るならそっちの
方だと言いたいのだろう。毎度毎度だからな。眉を潜めるのももう慣れた」
 管理局の内部構成は複雑だ。
 根っこは同じ物であるのに関わらず、陸と海との部隊間の間でさえ埋める事の出
来ぬ軋轢があるのだ。
 責任者同士で融通が利きそうな現場レベルでさえそうなのだから権謀術数が渦巻
く政治の世界では、それに輪をかけて面倒臭さが増える。 倍加ではなく、二乗倍
と言って過言では無い。
 管理局は、地球で言う国連のような組織なのだが、その実態は正体不明の怪物の
ようなものだ。
 全体の規模が大き過ぎる上に、毎年事に新しい部署が消えては生まれ、中で働い
ている人間ですら全容が掴めないのだ。
 仕官は愚か佐官級の地位ですら、全体の一割も把握出来ないのが実情だった。
 例えるなら、管理局は無数の頭を持つ多頭獣<ヒュドラ>だ。
 それぞれの頭部がそれぞれの意思を持ち、自分以外の頭を食い殺そうとする怪物。
 その全てが管理局と言う組織だった。
「公の場に出ると時間がどうしても無駄になる事が多いからな。余計な茶々を入れ
たいだけなら黙っていて欲しいと思うのが現場人間の考えだが、面倒な物だな」
「す、すいません。生言いました」
 シグナムの剣幕にシャリオは、自分が原因でも無いのに息を潜め申し訳無さそう
に顔を伏せてしまう。
 しょ気た様子を見せるシャリオに、シグナムは思わず苦笑し、シャリオの頭に手
を置き、柔らかい栗色の髪を少々乱暴に撫でた。
「曹長のせいでは無い。少し頭に血が昇った、悪かったな」
「え…あ、はい」
 正直に言えば、シャリオはシグナムの笑顔に見とれていた。母親を彷彿させる柔
らかい感覚。
 不器用であるが、母性すら感じる微笑みを浮かべるシグナムを前に、シャリオは
、「こんな表情も出来たのだな」と今更ながら感心する。
 正直言えばシャリオは、六課成立以来から現在までシグナムとあまり話した事は
無い。
 根っからが理系、技術畑の出身のシャリオは、シグナムのような旧泰然とした体
育会系が苦手であり、話せばそれなり会話は進むが、自ら望んで会話しようとは思
わなかった。
(案外普通の人なのかも知れない)
 自分から壁を作っていたのかもしれないと、シャリオは、微苦笑を漏らし広げた
ままラップトップPCをいそいそと畳み、シグナムの"隣"に腰を下ろした。 
スタッフから借りた安物のパイプ椅子が音を立てて軋むが、野外ステージから聞け
てくる熱狂にすぐさまかき消された。

「それで、今度のファンクラブ限定ライブ何だけど、アスカちゃん達も歌ったりす
るの?」
「まだ新米ですから、私の後ろで踊って貰うのが関の山ですわね」
 大きなサングラスが、特徴的な五十代半ばの司会者が、無遠慮と好奇は半々に交
じった視線をシン達に送ってくる。
 司会者は国民的なお昼のバラエティ番組の名司会らしいが、魔道師は、平日の真
昼間からテレビを見て過ごせるほど優雅な身分ではない。
 シンは、アズサから、イベント前に「失礼のないように」や散々注意されていた
が、昔ならいざ知らず、初対面の人間にいきなりタメ口を働く程常識知らずでも無
かった。
「なんか、表情硬いけど緊張してる?」
「す、少しだけ」
 ザフト時代何度か広報からインタビューを受けた事のあるシンだが、大観衆の前
でマイクを向けられた経験は記憶に無い。
 失礼と働こうにも、観客の好奇の視線と感性。そして、ステージを支配する独特
の高揚感に、シンは、顔を引き攣らせないよう愛想笑いを浮かべるので精一杯だっ
た。
 今日のイベントは、一応ファンクラブ会員優先の復活報告会と公開録音と銘打っ
てこそいるが、話題作りと実利を兼ねた要は先日のライブの穴埋め行事にしか過ぎ
ない。
 それが証拠にイベント参加の優先権の多くは先日のライブ参加者に配られている。
 密室空間での爆発騒ぎと言うスキャンダラスな事件に遭遇し、未だ犯人が捕まっ
ていないと言うのに、舌の音も乾かぬ内にすぐさまイベントに参加するファンの胆
力は目を見張るものが、にわかでは無く、本物のファンとはそういうモノであるの
かも知れない。
 それだけ熱心のファンが集まると言う事は、総じてイベントが盛り上る事に繋が
りる。
 アズサ個人の思惑を抜けば、会社側、ファン側ともに好都合だ結果だ。
「あはは」
「なんで私達がこんな目に」
 シンに続いて、ティアナとスバルが観客に紹介される。ティアナ達が紹介される
度に観客から得体の知れぬ気が放出され、割れんばかりの津波のような大歓声が鳴
り響く。
「ほら、三人とも。笑顔で手でも振るのがマナーですわよ」
 アズサに促され、シン達は、観衆に曖昧な笑顔で手を振りながらも内心溜息を付
く。
 見知らぬ何処かの誰かさんに愛想笑いを浮かべ、手を振る行為は予想以上に疲れ
が溜まる。
 テレビの外から眺めているだけでは、決して分からない一種独特な気疲れがそこ
にあった。
 言葉に出せば簡単だが、数千人の視線を受け止める行為は、シンの神経をすり減
らし、愛想笑いを浮かべる頬の筋肉が時間と共に引き攣りを激しくしていく。
「残念。三人ともこれだけ可愛いのに。踊ってるだけじゃ勿体無い」
「なら、楽器でも弾いて貰いましょうか?」
「ああ。それいいんじゃない」
「ちょっと待って下さい」
「聞いて無いよアズサちゃん」
「今考えましたもの」
「あ、貴女ねぇ」
「こういうのはノリでいいんですわよ。そっちの方が面白いでしょう」
(そんな無茶な)
 踊るのだけで精一杯な上にその上楽器を弾けと言われても、シンのリソースは踊
りだけで振り切っているのだ。
 これ以上の詰め込み教育は勘弁願いたいのが本音だ。
 そもそも楽器を演奏するなど台本に一文字たりとも書いていない。司会進行役も
そんな事は百も承知のはずだが、眉毛一つ動かさず進行し続けるのは他人事だと思
っている証拠なのだろうか。
(ランスター、どうする)
 飽く迄表情は軽やかに、しかし、内心は切羽詰った大慌ての様相で、シンはティ
アナは助けを求めた。ティアナならば、アズサの無茶も機転を利かせ避けてくれる
と思ったのだ。
(駄目だ。目が死んでる)
 死んだ魚の目とはこういうのを言うのだろう。表面こそ穏やかだが精神の抜け切
った瞳は、何処を見つめているのか。
 大観衆の前に晒された重圧と突然言い渡されたバックバンド宣言に合い間って、
ティアナ・ランスターの精神は遠いお空に出掛けて未だ帰ってこない。

 都合五千人強の観衆の前で言質を取られたのだ。
 引くに"弾け"無くなったのは目に見えている。あの、スバルが僅かに顔を引き攣
らせているのだ。
 他人毎として見るならば、事態は中々面白い方向に転がっているのは間違い無か
った。
 しかし、ズブの素人に踊りと音楽を叩き込まなければならなくなったのだ。
 司会者と観客に笑顔を振りまく様子から、アズサの心中を察する事は出来ないが
、この余裕ぶりは一体なんなのだろう。
 シンは、何か秘策があるのかと考えるが、僅かに引き攣った頬を見て暗澹たる思
いに駆られる。
 これからの事を考えれば頭痛の一つでも覚えようも物だが、平然とイベントをこ
なし続ける胆力には本当に恐れ入った。
 しかし、アズサは、これ程大観衆に囲まれても、臆する事無く話す事が出来るの
は才能よりも努力による所が大きいのだろう。
 事前に台本を渡されてこそいるが、ティアナ達はアズサの司会に引っ張られ、壇
上では只頷いているだけに等しい。アズサは流石アイドルだけあって、MCも巧く
舞台慣れしているのか、観客席から飛び込んで来る好奇の視線を意に返す事無く、
自分の役目を淡々と演じていた。
 シンは、観客席から伸びてくる無遠慮な視線に四苦八苦しながらも、自分を保と
うと必死だった。自分よりも年下の女の子が、臆す事無く喋る様子を見て、負けて
られないとズレた闘志を燃やすも、ティアナとスバルは、シンのように簡単には行
かなかった。
 観客の視線に困惑しているのはシンと同じだが、ティアナとスバルにはもっと深
刻な問題が発生していた。
『ねぇティア』
『何よ…』
『見られてるよね』
『し…仕方無いでしょうこんな格好なんだから』
 ティアナとスバルの格好は、キャンペーンガールと言っても可笑しくない服装で、
アイドルの前にグラビアと言う言葉がついても不思議では無い物だ。
 膝上十五センチの大きなスリットが入ったミニスカートに、上着など胸元が大き
く開きへそが丸出しなのだ。今が夏で心底良かったと思える。
『これ、水着なんじゃ』
『駄目よスバル。足動かすと見えちゃうでしょ』
『うそ、やだ』
 両隣から聞こえてくる何とも艶やかな小声に、シンはどう反応して良いのか分か
らず、頬を赤く染め視線を伏せた。
 だが、人間必死な方が時間と言うモノは早く流れる。気が付けばトークも終盤に
差し掛かり、後はサイン会と握手会を済ませればひとまず今日の予定は終わりだっ
た。
 サイン会には、シン達も出席する予定な為に今しばらく気が抜けないが時間が続
くが、舞台の上に立ち、動物園の動物のようにジロジロ見られるよりも、個人個人
の付き合いの方が余程楽に思える。
 見ず知らずの人間にサインや握手をする事に抵抗はないが、訪れたファンは実績
も何も無いメンバーのサインなど貰って嬉しいのだろうか。
「そういう物ですわよ」
 耳打ちされたアズサの言葉に「見透かされているな」とシンは、気恥ずかしくな
り、もう一度舞台から観客達を見回した。
 人間の縁はどこでどう繋がっているのか分からない不可思議な代物だが、不特定
多数の人間から一方的に繋げられる縁も世の中にはあると言う事か。
 切っても切れない縁もあれば、繋がっているのかいないのか説明出来ない縁も世
間には溢れている。
 腑に落ちない点も多々あるが"鉄"と"血"が蔓延する世界から"魔"と"知"が幅を利
かせる世界へと迷い込んだ、いや、未だに戦争と言う一方向からでしか世の中を語
れない自分自身もまた浅慮と言う物か。
 シンは、微苦笑を漏らしながら慣れない仕草で手を振り返す。色々と余計な手間
を余計に背負い込んだ気がしたが、イベントは何事も無く無事に終わりそうだった。
(いや、何事もあったよな)
 何しろ歌って踊るだけでも一苦労なのに、この上楽器を演奏する約束まで取り付
けられてしまった。

(楽器か)
 シンも楽器の演奏経験がないわけでは無かったが、お金を取って人様に聞かせる
演奏かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。
 正式な講師に師事したわけで無く、戦後暫く従事した治安維持部隊の上司から精
神安定プログラムの余興でベースを習っただけだ。
 素人に毛の生えた程度の実力で歌と踊りの完成度に人一倍の拘りを持つアズサの
お眼鏡に果たして適うだろうか。シンの心配の種は当分尽きそうも無かった。
「「「アスカちゃああん!」」」
 舞台袖に帰ろうと踵を返す最中、シンの名を呼ぶ一際大きな声が耳朶を打つ。
「うわっ…凄っ」
「あら、もうファンがついたの?今日の一番人気はアスカさんかしらね」
「いいのか、ランスター」
「なんで、私に聞くのよア・ス・カ・姉さん」
 いつぞやのホテル・アグスタでの三姉妹設定に、シンの顔のデッサンはおおいに崩
れるが、シンを呼ぶ歓声は未だ鳴り止まず、困惑から思わずティアナに助けを求めて
みるも、菩薩のような笑顔とは裏腹に仁王像のような重圧を放つティアナに肝を冷や
しながらも、シンは引き攣った笑顔を付いたばかりのファンに返した。
「さて、ちょっと休憩ですわ」
 シン達の受けは上々だ。
 アズサは、本人達の前では決して口に出さないが、彼女達"三"人の器量は以上だ。
管理局の魔道師でなければ、スカウトして一緒に活動したい位だ。
 美人だが何処か世間ズレした長女。
 姉妹を纏めるツンデレ次女。
 溢れる活気を振りまく元気な三女。
 ティアナの姉さん発言を何気なしに見逃したアズサだが、中々に的を得た発言にア
ズサは素直に賞賛を送った。
 
 自然体のままで素直に行動する三人には好感が持てるし、何より自然体な素直さが
良い。
 人の前で何かを演じる快感を一度覚えてしまえば、人は少なからず変わる。
 向上心と野心を穿き違え、演じたい何かでは無く、自身が望むどす黒い何か取り込
まれた同業者をアズサは何人も見てきた。
 アズサは、三人が自分よりも年上だったとはたと思い出すが、シンとティアナのや
り取り、そして、シンの人気に何故か胸を張るスバルを見つめると、微笑ましい物を
見たような気さえなるから不思議だ。
 突然鳴り響いた爆発と閃光が無ければの話だったが。

「何とか無事に終ったか」とシグナムが安堵した瞬間、一陣の熱い風がシグナムの赤
い髪を揺らし、次いで目を覆う程の閃光と耳を劈く爆音が鳴り響いたのは同時だった。
「爆発だと!」
 口調が自然と固くなり、我知らずの内に緊張で肩に力が入った。
 爆発と言っても、舞台の直上で小さな花火がぱっと咲いた程度の事だ。
 規模そのものは大きくない。
 しかし、プログラムも佳境とは言え、以前熱狂の坩堝と化していた会場で、殆どの
人間が一体全体何が起こったのか理解出来なかったようだ。
 小さな花火と表現しても、爆発の光量は至近距離で受ければ目を焼きかねない程だ。
 それを同時に全身、しいては鼓膜を揺さぶる轟音が観客の中を駆け抜け、会場最前
列では一瞬の静寂すら生んだ。
「そんな、爆発物何て何処にも」
「魔力反応はどうだ?」
「魔力素、密度質量共に無し。センサーに全く反応してません」
「解せん!曹長はバックヤードに通信、地元警察を動かせ。」
「はい、でもこの人ごみじゃ」
 今でこそ、会場は嘘のように静まり返っているが嵐の前の静けさにしか過ぎない。
 何かほんの少し、ほんの少しの切欠さえあれば、観客の恐怖は伝播し、山頂から流
れ落ちる雪崩のように加速度的に拡散していくだろう。
 そうなれば現場に待機しているシグナム達では対処出来ないのは明白だ。
 溢れんばかりの人山を御す術などシグナムは知らない。
 しかし、事態とは悪い方へ転がるのが時節と言う物。
 シグナムの鷹の目のように鋭い視力が、観客を押しのけ壇上に上がろうとする男を
捉えていた。
「不味い!」
 壇上に向う影に尋常ならざる重圧を感じ額から汗が噴出した。
 男は文字通り鬼気迫る表情でアズサ達を見つめ、左手に持ったナイフが、陽光に照
らされ鈍い光を放っていた。
 シグナムが苦悶の声を上げるが、爆発の衝撃から正気に戻り始めた人々が、男の存
在に気が付き、困惑と恐怖の声を上げ始める。
 観客が即座にパニックを起こさなかっただけ行幸だが、張り裂けんばかりに膨張し
た風船のように緊張しきった観客達はいつ盛大に弾けても可笑しくない。
 突然の爆発と刃物を持った乱入者に会場は混乱の極みを向えつつある。
 周囲に警官隊を配備しているとは言え物には限度がある。大混乱に陥った人混みの
中、被害をどの程度まで抑えられるか。
 五千人が一斉に将棋倒しになれば、死人が出る事になりかねず、また平和な行事を
突然襲う"かも"知れない凶行備えていた事とは言え、捕らぬ狸の皮算用では済まない
胸が冷え切る事態に、シグナムの頬を冷たい汗が流れた。
「くそ、間に合え」
 今すべき事は、観客がパニックを起こしきる前に一刻も早く犯人を取り押さえる事
だ。

 慣れぬ任務で精神的に疲弊し切ったシン達に、機転を利かせろと言っても些か無理
があるだろう。
 それが証拠に、先刻の爆発で惚けてしまい目を白黒させている。
 会場に控えている魔道師はシグナム一人。
 フェイト・T・ハラオウン程の戦闘速度は期待出来ないが、強襲ユニットに分類さ
れる彼女にとって一撃離脱は十八番と言えた。
『まだ駄目よ。"これから”面白くなるんだから』
 足に魔力を集中し、人ごみを縫い、中空を跳躍し、直接ステージに駆けつけようと
したシグナムの体から不意に力が抜ける。
「これは…まさかAMFか」
『それは内緒ね。心配しなくていいわよ。出力は絞ってるから、死にやしないわ』
 足元に集積した魔力が大気に拡散し、舞台女優のような艶っぽい声がシグナムの耳
に届くが、やがてその声も蝋のように溶け霧散する。
 脳裏に響く声は消えても、AMFの効果は持続していくのか、シグナムは体から魔
力が徐々に抜け落ちていくのを感じる。
 プログラム体であるシグナムにおいて、魔力とは体を構成維持する為のガソリンの
ような物だ。
 魔力を根こそぎ奪い消失させる、新型AMFの存在はシグナム達守護騎士にとって
まさに鬼門と呼べる代物だ。
 まだ、体を維持出来ぬ程ではないが、蛭が血を吸うように、徐々に魔力を奪われる
不快感は筆舌に表し難い。シグナムは、即座に後続部隊念話による交信を試しみるが
帰ってくるのは御決まりの甲高いノイズばかりだ。
「己!」
 叱咤し体を奮い立たせようとするが指先にすら力が入らない。
 地面に膝を付き、シャリオに支えられシグナムは青白い表情のまま荒い息を付いた。
 しかし、未だ戦意は失われていないのか、
 脳裏に響いた声を威嚇し、数百年の歴史を持つ守護騎士プログラムが、一科学者が
作った技術に屈した現実に否応も無く煩悶した。
 シグナムとシン達が居る場所は、直線距離にして百メートルと少々、ほんの僅かな
距離でしかない。
 魔法が使えれば一瞬で救援に迎えると憤るシグナムだが、そんな僅かな距離も五千
人近い群集の壁と場に満ちるAMFによって、深海の大海溝よりも深い決定的な溝と
なって立ち塞がっていた。

「ア、 アズ…サ…?」
 抑揚が全く無い声。しかし、奇妙に良く通る声がアズサの名と共に舞台上に響いた。
 爆発の余波も覚めやらぬ中、揺さぶられた三半規管とキンと痺れる眼球を押さえ、
シンは正体不明の男に油断無い視線を送った。
「なんだ、こいつ」
 外は茹だるような猛暑だと言うのに、真冬のようにコートを着込み。全身黒尽くめ
の煤けた格好に酷い違和感を感じる。
 のっぺりとした表情からは喜怒哀楽を見つける事は出来ず、表情だけ抜き取れば、
まるで、感情が抜け切った幽鬼のようだが、瞳だけは爛々と輝かせ半開きの口から漏
れる空気が男の不気味さを冗長させた。
「アズサさん…一応聞きますけど、お知り合いですか?」
「やっぱり熱狂的なファン。とかじゃないですよね」
 男から生理的な嫌悪感、危機感を感じるのか、ティアナとスバルは、反射的に一歩
後ろに下がり、喉を鳴らし即座に警戒態勢を強いた。
 シンは、男を戦争の心的ストレスやMS戦闘の結果宇宙を漂流し酸素欠乏症で痛ん
でしまった人間に似ているなと漠然と思ったが、それだけでは説明出来ない鬼気を男
から感じ取った。
「勿論知りませんわ。後、あまり笑える冗談じゃありませんわね。…でも、あまり程
度の良いファンの方じゃないのは確かですわ」
 シン達の疑問に律儀に答えるアズサだが唇が僅かに震えている。
 隣に居たシンは、反射的に爆発からアズサを庇い事なきを得たが、あれが手榴弾、
もっと爆風の量や殺傷能力が高い物ならば、シン諸共アズサの命は絶たれていたはず
だ。
 いや、むしろあんな至近距離で爆弾を爆発させれば、観客は愚か近くに居た男も無
事では済まない。
 死ならば諸共、目的と手段は入れ替わった挙句、盲目的に事を成し遂げようとする
男の冷酷さにも呆れたが、シンが男に並々なら畏怖を覚えたのは、男の性格では無く、
攻撃方法が皆目見当が付かなかったからだ。
 シン我、舞台袖に引き返そうとした矢先、視界の隅に何かが映った。
 映り何かが爆発したまでは理解出来たが、それが何でどうやって爆発したのか理解
出来ない。
 本格的な爆発物で無い事は、シンの命が身を持って証明している。かと言って花火
のような代物でも無く、直感に過ぎないが何も無い空間が突然爆発した風にさえ思え
た。
 爆発の混乱を利用し男は、舞台に駆け上がるや否や、静止する警備員を一撃で気絶
させ、困惑するシン達の前に立ちふさがった。
「…普通じゃないか」
 攻撃方法も何十人の警備員を一瞬で制圧した運動神経もさることながら、なにより
最も男が異常だと言える点は、全身汲まなく巻きつけた手榴弾の存在だった。
 手榴弾、通称パイナップル。
 当然酢豚に入れるべきものでもない。
 炸薬火薬による爆風と破片による裂傷で、"容易く"人の命を奪う事の列記とした兵
器だ。
 手榴弾のピンは、紐で一つに纏められ、男が戯れに力を込めれば一斉に起爆する仕
組みだろう。 
 目視出来ただけで、二ダースもの手榴弾が男の体に巻きついている。
 質量兵器が禁止されたミッドチルダでこれだけの量の手榴弾を一体どうやって入手
したのか。
 入手密売経路が気になる所だが、それよりも今はこの場をどう切り抜けるべきか、
シンの思考は回転し始めた。
(口頭詠唱で一気に攻めるか)
 先手必勝あるのみと、シンが身を屈めた時、男の両頬が吊り上がり乾いた笑みを浮
かべた。
「う…う、動くな…よ。一歩でも動いたら…どかん…だからな。お、お前達三人が魔
道師なのは…と、とっくに、お、お見通しなんだからな…わ、分かってるんだぞ。少
しでも妙な真似すれば…本当にドカンだからな」
 男は、右胸から手榴弾を一つ掴み、極々自然な動作で安全ピンを抜き放った。
「やめろよアンタ!」
「へへ、びびるなよ」
 男の蛮行にシンは叫び毒づくが、シンの冷えた視線も屈辱の結果と映るのか意に返
した様子は無かった。
 ピンを抜いただけでは爆発しないとは言え、武器を玩具感覚で使う男の気が知れな
い。
 ましてや、全身に手榴弾を巻きつけ、女の子を恫喝するなど、気が触れてしまった
としか思えなかった。
(こいつ…正気なんだ。真剣に正気なんだ)
 しかし、男の狂気の宿った瞳の奥には、溶解した鉄のような煮えたぎる理性が見え
隠れし、シンは男から感じる明確な悪意に薄ら寒い物を覚えた。
「ランスター、ナカジマ、アズサさんを下げてくれ。いざって時は」
 まともな神経で相手をする類の人間ではない。シンは、益々男に対して警戒感を強
め、せめて、三人は逃がそうと前に出ようとするが、両肩を意外に強い力で押さえ込
まれてしまった。

「「絶対駄目」」
「な、なんで声を揃えるんだよ」
「シン君、一人で突っ込む気満々でしょ。そんなの絶対駄目だからね」
「スバルに同意よ。今の私達じゃあれだけの量の手榴弾の攻撃から身を守る術は無い
わ。アスカがあいつを倒せても手榴弾を無効化出来ないと同じことよ。爆発したらそ
の時点で皆一緒に天国行きなんだから、無茶も自重しないと真剣に怒るわよ…後続部
隊も居るんだから、なんとかして時間を稼がないとね」
 デバイスの待機形態は衣装に合わないから遠慮願いたい。
 幾ら上司の上司、そのまた上司の娘が在籍する会社の意向と言えど、譲って良い線
では無かったと、ティアナは今更ながら自身の判断を悔いた。
「時間を稼ぐって。話を聞く相手に見えるか?」
「見えないわね…でも、やらないと絶対絶命の大ピンチは変わらないわよ」
「そうだけど」
 男の瞳は、明らかに正常な判断力を失っているように見える。そう判断せざる得ない
程に男の瞳は、凶悪に歪み、血走り、毛細血管が破裂したように重度の炎症を起こして
いる。
 半開きの口からは、唾液が垂れ流され、たどたどしい口調と覚束無い足取りは、重度
の麻薬中毒者を彷彿させた。
 しかし、狂気と言う熱に犯されながらも、男の心底に存在するのは、賢者のように整
った理路正論をした理性の光だ。
 真剣に正気でない、相手にどう立ち回ればいいのか。
 これならばいっそ狂った人間を相手にしている方が幾分もマシと言えた。
「君のお母さんは泣いているぞじゃ駄目だよね」
「それで聞くなら、口よりも手を出したい気分だけどな」
「同感ですわ…」
 手を出すのと犯人が手榴弾を爆発させるのとどちらが早いか。考えるまでも無く、後
者の方が圧倒的に早い。
 フェイトのように高速移動魔法(ソニックムーブ)を習得していれば、対処方法も違
ったかも知れないが、無い物を強請っても詮無き事だ。
「でも、ある意味好都合よ、二人共」
 結果論だが、最初の爆発で勝敗は既に決している。一回目の爆発で犯人が手榴弾を使
っていたならば、壇上で惚けていたティアナ達は重症を負い、アズサの身がどうなって
いたか分からない。
 しかし、男は千載一遇のチャンスを逃がした。
 これはティアナ達にとって大きなアドバンテージだった。
 鴨葱では無く、犯人が手榴弾を持って現れた現状は未だ油断出来ないが、悲壮感を漂
わせ諦めに浸るのはまだ早い。
 本来ティアナ達は任務を失敗しているのだ身の上だ。一回目の爆発で奇跡は使い切っ
ているのは互いに同じ。条件が同じなら二度と無様は晒すまいと頬を張りティアナは気
合を入れ直した。
(二人共聞いてる?)
(うん)
(ああ。問題無い)
 ティアナは犯人を油断無い視線で見定めながら、シン達に念話を飛ばした。
 天秤の皿は未だ男の方へ傾いていると錯覚させねばならない。
 強張った表情で一つ装っていれば、念話での会話が露見する事は無いが、悪戯に時間
を浪費しても、男がいつもう一度凶行に走り出すか予測も付かず、援軍を待たず、至急
男を取り押さえる必要があった。
(私がバインドで被疑者を拘束するから。その隙に犯人取り押さえて)
(魔法を使うのか?)
(あれが十中八九犯人でしょ。なら、あれを捕まえたら私達もお役御免。出し惜しみす
る必要ないわよ。アズサさんには悪いけど、人命救助最優先で行くわよ)
(了解)
(うん)
 最近は管理局の魔道師として、あまりに懸離れた生活を送っていたが、ティアナ達三
人は市民を犯罪者から守る魔道師だ。
 アズサの隣に居るのもアイドルとしてデビューする為では無く、アズサを守る為に存
在している。
 一連の事件の犯人が目の前に居るのならば、手加減する必要は無く、ティアナ達は漸
く本来の姿に立ち戻れたと言えた。
(アスカが前衛。後衛は私。スバルは遊撃。詠唱開始と同時にアスカは突撃、スバルは
アズサさんを連れて退避。余裕があれば、アスカか私のバックアップ。判断は任せるわ」
(うん、分かった)
(了解)

 明確なプランを提示せずとも、こちらの意図を察して的確に動いてくれようとしてい
る。やはり、二人とは勘が合うと、ティアナは頬を緩ませるが、瞬き一つした次の瞬間
には指揮官の顔を取り戻していた。
 ティアナの念にシンも気合を入れ直したのか、スバルと共にアズサの前に半歩躍り出
る。誰に指図される事も無く、作戦に的確な位置取りを素知らぬ顔で行う辺り、二人も
場慣れし始めている。
(二人とも、こんな馬鹿騒ぎさっさと終わらせて六課に戻るわよ。作戦開始!)
 脳裏にティアナの声が響くと同時にティアナの指が煌き橙色の魔力光が輝いた。
 足元に展開された魔法陣が明滅し、魔力素を取り込んだリンカーコアが拘束魔法(バ
インド)の術式を構築する。
「拘束展開」
 口頭詠唱によって紡がれた魔力が形を為し、男に向けたティアナの右腕から橙色の縛
鎖が伸び、物理的な圧力となり男の両腕を瞬く間に拘束した。
 間近で魔法を見たのは初めてなのか、男の目が呆気に取られ驚愕に見開くと同時にシ
ンが前傾姿勢のまま、地を這うように男に向けて疾駆する。
 己の不利と計画の失敗を悟り、男は僅かな逡巡の後、全てを道連れにしようと手榴弾
のピンを抜こうと躍起になるが、縛鎖によって拘束された両腕は万力に締め付けられた
ようにピクリとも動かない。
 男が焦れば焦る程両腕は動かず、視界にはシンが大写しになり迫ってくる。男は自分
勝手な欲望を胸にアズサを見つめるが、アズサはスバルによって安全圏に退避させられ
ようとしている。
(そんな…)
 彼に油断は無かったが、勝敗は一瞬の内に決したていた。警備員を装い協力者の手引
きで会場に忍び込み、質量兵器まで持ち出して結果はこの様だ。
 あと少し、あとほんの少しでアズサを永遠に自分の物に出来たと言うのに、ほんの一
呼吸の差で水泡に帰してしまった。
 男の忸怩たる思いは深い悲しみに代替わり、アズサに対する身勝手過ぎる想いが憎悪
に変わるのにさして時間は必要では無かった。
『駄目ねぇ貴方』
(あんたか)
 男の脳裏に協力者を名乗った女の声が流れてくる。男はこれが念話であると知らなか
ったが、ある日突然聞こえ来た声、しかも、男の欲望を幇助しようとする声に男は神の
啓示を聞いた気分だった。
『折角手引きしてあげたのに、これじゃ台無しでしょ』
 尚も流れ続ける声は、男を嘲笑い見下すように聞こえる。
 腹が立つ。
 きっと、協力者もこの結末を知っていたに違いない。
 知っていて利用した、されたのかと考えると、男の中で言い知れない不快感が広がり
、腐ったヘドロのような膿が心を犯していく。
『もう一回助けてあげるから、もう少し頑張りなさいよ』
 協力者の溜息交じりの声を聞いた瞬間、男の中で何かが弾けた。
 互いに見下し、見下され、尻馬に乗ったのは男も同じ、所詮同じ穴の狢と割り切るの
が理性と言う物だが、今の彼に理屈は通用しなかった。
 男の慟哭に呼応するように、男の心臓部から赤い粒子が出現し刹那の後に弾け飛んだ。
「なにこれ」
 赤い粒子は、ティアナの橙色の魔力光を目指し、猛烈な速度で飛翔する。
 赤い粒子に体が触れると、ティアナの力が抜け落ち、体内を駆け巡る魔力が急速に失
われていくの感じた。
「この感じAMFか!?」
「嘘!なんでこんなところで」
 ガジェットが使うAMFでは無く、スカリエッティ一味が使った新型AMF。
 赤い瞳の奥に深い憎悪を携えた男がシンの脳裏を過ぎり、言い知れぬ不安が胸をかき
乱した。
 シンとスバルの困惑する声がティアナの耳に届くが、AMFによって齎された急速な
魔力の低下に抗えず、ティアナは、虚脱感と共に酷い眩暈覚えその場で膝を屈してしま
う。
「スバル!」
「ごめん、ティア。ちょっと不味いかも」
 アズサを連れて逃げろと慌ててスバルに指示を出すも、スバルもAMFの赤い粒子に
犯されたのか、顔を青くし荒い息を付き、立っているだけで精一杯な様子だ。
「ちょっと、お"二人"共どうしたんですの!」
 アズサは、突然倒れこんだティアナ達に困惑の声を挙げる。
 魔力の素養を一切持たないアズサにとって、AMFはただ不気味な赤い光に過ぎない
が、日常から魔力の使用に慣れ親しみ、有事の際、無意識化で魔法行使を行うように訓
練された管理局魔道師にとって、AMFは、まさに死神の鎌に等しい兵器だ。
 魔法で戦う事を"義務"付けられた、むしろ、それ以外で主だった戦闘方法を持たぬ魔
道師には魔力封殺ほど効果的な戦略は存在しない。

(いけない)
 改良が加えられているのか、先月の折に触れた時よりも魔力の消耗が遥かに激しい。
 口頭詠唱で蓄えた魔力が、AMFの効力で一瞬で奪い取られ、魔力が消滅した反動で
体力もごっそりと削り取られた。
 失った体力と魔力を穴埋する為か、体が過度の眠りを要求し睡魔で目を開けるのも困
難だった。
 ティアナの薄らと開かれた瞳に、形勢逆転とばかり、ナイフ片手にアズサ目掛けて疾
駆する犯人が映りこみ、血管がきゅっと縮こまり心臓の動悸が激しくなる。
(止められない)
 体は動く事もままならず、動けと念じるも指先一つ動かない。
 ティアナは、言う事を聞かぬ体に苛立ちを覚え、頭が灼熱するが、陽光に煌く白刃が
ティアナに冷えた感情を取り戻させた。
 藁にも縋る思いで、アズサに「逃げて」と伝えるも、声は喉を震わせるだけに止まり
、口腔から出る事は適わなかった。
 ズブの素人に遅れと取る不甲斐なさもさる事ながら、ティアナは、守るべき市民の命
が消え去ろうとする瞬間、座して裁きを待つ罪人のように達観した精神を持てる程成熟
はしてはいなかった。
 ティアナの本能が数秒先に訪れるであろう悲劇を拒絶し、本人が預かり知らぬ内に瞳
を背けた。
 ずぶと肉と押し潰し、切り裂く重苦しい音がティアナの耳朶を打ち、市民が刃物で刺
された生の恐怖に喉元を締め付けられ、守れなかった自責の念がティアナを打ちのめし
た。
(守れなかった)
 ティアナは、災害救助、六課での任務と少なく無い任務に従事した経験も一般人が指
された後ろぐらい現実感には勝てず、犯人を目の前にして立ち向かう精神力すら削りと
ってしまう。
 犯人の顔を心に刻みつけるつもりで、瞳を開けたティアナの目には映った者は、犯人
の蛮行を左"腕"で受け止めたシンの姿だった。
「アスカ!」
「シン君!」
 同じ魔道師であるシンが、AMF領域化で自由動ける事に疑問を覚えたが、今はアズ
サを文字通り身を挺して守ったシンにティアナとスバルは、我知らずの内に声を挙げて
いた。

「間に合った」
 左腕に走った鈍い衝撃を無視し、男の草臥れた瞳に映った自身の姿に苦笑し、日々命
の危機を孕んだ"あいどる"と言う職種に今更ながら感嘆の声を漏らした。
 命を犠牲にしてまで伝えたい、表現したい事があるが故に危険を承知で表舞台に立つ。
 その為ならば命は惜しく無い。
 ザフトの広告塔だったミーア・キャンベルも同じ気持ちだったのだろうか。
 故人となったミーアに真意を問質す事はもう出来ず、二、三度の面識しか無いシンに
ミーアの全てを理解出来たとも思えない。
 しかし、少なくともミーアが伝えたかった"何か"は感じ取れたかも知れない。
 シンの認識のズレには些か敷居の高さを感じるが、信念に準じようとするアズサと戦
場の歌姫の気概はシンに深い衝撃を与えていた。 
 ―――生きる事は戦いだ
 戦後上司であるアスランザラに慰霊碑の前で告げられた言葉が、言葉以上の重みとな
ってシンに伸しかかって来る。
 彼の言葉が全て正しいとは限らない。
 しかし、シン自身戦争体験者と言う色眼鏡を外して世間を見つめれば何のことは無い、
日々を生きる行為こそが戦いであると実感し、そして、その生活を守るのも管理局魔道
師の任務だと思えば、多少の認識のズレも許容範囲なのだろうか。
 男にどんな事情があるか伺い知る事は出来ないが、悪戯に命を奪う行為を魔道師とし
てもシン・アスカ一個人としても見逃す事は出来なかった。
 それが男の身勝手な欲望が発端だとすれば尚の事だ。
「守るさ」
 怒りでも憎悪でも無い"前向き"な気持ちがシンの闘志を燃え上がらせ、失った魔力と
違う力が心底からわき上がって来る。
 裏を返せば、魔力制御が致命的に下手なシンだからこそ、AMF効果範囲の中で元気
に動き回れていた。
 何しろ、デバイス無しでは、まともに魔法と使う事もままならない半人前以下な魔道
師だ。
 勝ち場の馬鹿力は目を見張る物がるが、そんな便利な力を自由に出し入れ出来る程シ
ンは器用ではない。
 シン・アスカは魔力増幅器であるデバイスが無ければ、一般人と何ら変わらず、何と
も中途半端な存在だからこそ、AMFを苦にしなかった。 まさに皮肉としか言い表す
事が出来出来ない。
「こ、こいつ、正気か」
「失礼だな。正気に決まってるだろ」
 全身爆弾塗れの人間に言われるのは心外なのだろう。不機嫌そうに眉を潜め、正気だ
と迷う事無く答えたシンに男は怖気を覚えた。
 左腕一本を犠牲にアズサを守る。
 自己犠牲や陶酔から来る突発的な行動では無く、極めて理性的で合理性に基づいた行
為である事を男は、シンの瞳から感じ取り、ナイフをシンの腕に残したまま力なく後ず
さった。
 例えそれが納得済みの行動であろうとも、平然と左腕を捨てる行為に何の奇異も覚え
ない。ある意味人としての感情が欠落しているとしか思えないシンの行動に男は星の巡
り合わせの悪さを呪わずにいられなかった。
「無事ですか」
「だ、大丈夫です…」
 口調こそ強いが、アズサの声は振るえ、シンの左腕に突き刺さったままのナイフを虚ろ
な瞳で見つめている。
 映画やプロモーションビデオの演出で人が傷つくシーンは見慣れているつもりだったが、
やはり、それは作り物、フィクションの中の出来事でしか無く、刺すと言った単純な行為
が容易に人の命を奪う危険性にアズサは唇を青くさせ身から溢れる恐怖に必死に耐え忍ん
でいた。
「う、腕…腕が」
 シンは、アズサのリアクションに僅かな既視感を覚え、微苦笑を漏らすと一時アズサか
ら犯人に視線を移した。
 何処で習ったのか知らないが、犯人はナイフを傷口に突き立てるさい、傷口を抉り、広
げる術を身につけている。
 映像や書籍で軍術知識は手軽に得る事は出来るが、即座に実戦出来るかと問われれば、
やはり疑問符が残る。
 真に勝手な私見でしかないが、一応元プロであるシンから男を見ても何処かで訓練を受
けたとは考え辛い。

 体格や性格に運動能力は関係無いが、立ち振る舞いや攻撃の初動作、どれ一つとっても
ギコチナサや野暮ったさが残り、有体に言ってしまえば素人臭い。
 先刻もそうだ。
 不意打ちの手榴弾もAMFと連携した鮮やかな先制攻撃も、見事なまでに後が続かない。
 男の一連の行動は、男の意思で動いてるのでは無く、第三者の介入によってなされてい
ると勘潜りたくもなる話だ。
(やっぱり裏であいつが居るのか。でも、何でアズサさんが)
 でも、何故と脳裏に疑問符を浮かべるが、AMFを使った事からも、男がスカリエッテ
ィ一味と関係しているのま間違い無い。
 詳しい事は捕らえてからと単純に割り切ったシンの耳に届いたのは狼狽し切ったアズサ
の声だった。
「け、怪我は!?」
「アズサさんはどうです?あの赤い光、AMFって言うんですけど、一般人相手にどんな
害があるのか、良く分かって無くて。気分とか悪くないですか」
「わ、私は、大丈夫です!でも、アスカさんの腕!」
 シンの言葉を大声で塞き止め、顔を赤くし目尻に薄らと涙を浮かべてさえいる。
「問題無いです。掠り傷です」
「そ、そんな問題じゃ」
 シンの腕には、犯人のナイフが深く突き刺さり、抉れた傷からは黒い血が滴り落ち、傷
口から銀色の骨がアズサの網膜を貫いた。
 傷は決して浅くなく、重症と呼べる域に達している。
 依然勢い良く吹き出る液体の量は、下手をすれば静脈を傷つけている恐れさえある。
 血液の何割を失えば死に至るのか。うろ覚えな知識を総動員するも、パニックに陥った
頭が導き出した答えは「死んじゃう」と実に明瞭簡潔な答えだった。
 アズサの焦りとは別に、尚も平然と立ち尽くすシンに苛立ちさえ覚えるが、はたと妙な
事に気が付いた。
「ん?黒い血と銀色の骨?」
 普通血と言えば赤色では無いだろうか。広大な次元世界の中には、緑や青と言った血の
持ち主がいらっしゃるだろうが、それは耳が尖っていたり、顔がそのまんま動物の物だっ
たりと、"人"類と言うには少々御幣がある種族にばかりだ。
 少なくとも人類の骨は機械のピストン運動のように骨は上下しないし、血もオイルのよ
うに黒く無い。
「ああ、これ義手なんです」
 シンは、アズサにさらりと告げ、力任せに人工皮膚を引き千切ると、中からニビ色に輝
く無骨な装甲が姿を現した。
「あ、アスカさん…」
「やっぱりダンス用に軽量化すると強度に問題あるか。耐水性もあって風呂も大丈夫だな
んだけど…やっぱり強度が」
 陽光に反射し存在をアピールする義手にアズサは顔を引き攣らせ、皮膚を引き千切るシ
ョッキングな映像も、今のアズサには対した衝撃を与える事は無く、場を和ます為か、そ
れとも素で空気が読めないのか、義手の講釈を続けるシンだが、唖然するアズサにバツの
悪さを覚え、頬を手でかき誤魔化した。
 義手と言う有り触れた医療機器もクローニング技術が発展したミッドチルダでは、あま
り見かける事は無く、肩口か伸びた精巧な機械の腕に、アズサは感慨さえ覚えた。
 しかし、悪い言い方すれば、シンに担がれたと感が強く、アズサは「最初から言っとけ
と」シンに非難の視線を送るが、シンの困り顔を見てしまっては強く押す事も出来ない。
 ティアナとスバルも「あれ、いつ見ても心臓に悪いのよねぇ」と暢気に首肯し、シンは
、別方向からも飛んで来た非難成分が大目の視線から逃げるようにアズサに「直ぐに終わ
らせます」と急ぎ早に告げ壇上を勢い良く蹴った。
「えっ」
 言うや否やシンの反応は早かった。
 ナイフが突き刺さった"まま"の義手を、邪魔だと言わんばかりに"強制脱着(パージ)"
させる。着脱用の圧縮空気が炸裂し、死荷重を貸した義手が肩口から弾け飛び、カランと
妙に甲高い音を立て壇上に落下する。
 義手の落下音を合図にシンは、更に速度を加速させ、そのまま一足飛びで犯人の懐まで
潜り込むと、全身のバネを総動員し、跳ね上がるように男の顎目掛け右手を払った。
 空気が裂ける音が響き、小気味良い音を立てて男の顎骨が軋む。
 人体急所の一つである顎を的確に打ち抜かれ、男の脳が激しく蠕動運動を繰り返し、脳
が揺さぶられ、意識障害を起こしたように、意識が急激に遠ざかっていった。
「終わりだ!」

 シンの裂帛の気合も男の耳に届くことは終ぞ無く、仰け反った男の即頭部目掛け、シン
は渾身の回し蹴りをお見舞いする。
 男の肺が圧迫され、喉を伝い「うげ」と間の抜けた声が男の口から漏れだし、そのまま
舞台の奥まで綺麗な放物線を描き吹き飛ばされた。。
 少々忘れそうになるが、シンは、CE世界でザフトのトップガンの一人として慣らした
兵士だ。MSの操縦技能ばかりにクローズアップされがちだが、シンはザフトで赤を着る
事を許された数少ない人間の一人だ。
 座学はムラが有り、今一つぱっとしなかったが、軍隊格闘技(マーシャルアーツ)、対
人戦闘の成績もトップクラスに分類される。
 生身でもそれ相応の戦闘力を秘めた心技体に精通した人間だけが赤を着る事を許され、
MSの操縦技能"だけ"では赤服を着る事は決して許されない。
 余り知られていない事実だが、ナイフ術で教官一人を伸して同期の話題を浚った人間で
もある。
「ふぅ…」
 渾身の回し蹴りが余程気持ちよかったのだろうか。シンは、まるで、舞うように空中で
一回転し、アズサの前に華麗に着地する。
 シンの愛機であるインパルスにしろ、デスティニーにしろ、高速機動を謳い文句にした
速度重視の機体だ。
 インパルスで追いつけない、シンの無茶な機動を体現する為に製造調整されてデスティ
ニーを更に無茶な機動戦闘で振り回し続けた前科を持ち、コーディネータでも根を上げる
高速機動に耐え切る素質。空間認識能力や適応能力だけでは表現できない、規格外の肉体
的精神的な頑強さを持つ。
 AMFで少なからず魔力を失ったはずだが、それを補い余る程、言い換えてしまえば、
シンは"超"が付く体力馬鹿だった。
(や、やりすぎたか)
 白めを剥き完全に伸びてしまった男を見て、シンは思わず顔を引き攣らせた。
 殺してはいないが、これでは男の意識が回復するまで事情聴取も行う事が出来ない。
 素人相手にやり過ぎたかと思うが、武器を持った相手に手加減し、負傷者を出しては
本末転倒だ。
 魔道師の格闘訓練は、魔力で身体を強化してから行う事が大前提で、純粋な格闘戦はト
ンとご無沙汰だった為に完全に手加減し損ねてしまった。
何のことは無い。
 口よりも先に手が出るタイプと本人が名言している通り、シン・アスカは、魔法よりも
拳骨の方が大得意な人間なのだ。
 シンが犯人を蹴り飛ばすしたのを契機に観客の理性が戻り始める。
 見た目麗しい少女が大の男を臆す事無く蹴り飛ばしたのも驚愕ならば、アイドルが義手
だったのもまた驚愕に値するのだろう。
 命を救われた直接的な事実より、驚きと好奇心が観客を刺激し、歓声が物理的な圧力と
なってシンの元へ雪崩れ込んでいった。
「は…はは」
 万感の拍手と周囲を埋め尽くす轟音に、シンは大量の冷や汗を流しながら、心底困り果
てた様子で恐る恐る笑顔を振りまいた。

「派手…」
「あの…馬鹿者め」
 観衆が興奮の大歓声を上げる中、シグナムは天を仰ぎ、シャリオは唖然としてシン達を
見つめていた。