RePlus_第四幕_後編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 12:18:01

「はあああ!」
「ツアア!」
 中庭からシンとエリオの声が響いてくる。互いに徒手空拳による組み手の真っ最中で
随分と白熱しているようだった。シンとエリオでは、リーチの差からエリオが不利に思
えるが、エリオはその小さな体を利用し、シンの死角から死角へと器用に立ち回る。
『ごめんなぁシグナム』
「いえ、仕事ならば仕方ありません。特にアスカのZGMFに関する事ならば尚更です
。シャマルとヴィータは、存分に使って頂いてかまいませんので」
 まだ、午前九時前だと言うのに、外は既に灼熱の大気が漂っていた。窓の外、目も眩
むような日差しの中で、シンとエリオが汗みどろになりながら訓練に励んでいる。
(…非番なのに良くやる)
 隣の木陰では、ティアナとスバルが腰を下ろし、アイスクリームを食べていた。キャ
ロは、二人の組み手を心配そうに見つめ、その横でザフィーラが大きな生欠伸を繰り返
している。
『ほな、頼むなシグナム』
「承知しました、主はやて」
 シグナムは電話を置き中庭に向き直る。
「さて、暇になってしまったな」
 一言呟いたシグナムだった。 
 
「八神二等陸佐準備整いました」
「はい、ご苦労さん…ほな始めよか」
 本局地下格納庫。厳重に封印処理を施されたデスティニーの周りを、無数の観察用サ
ーチャーが浮遊している。コクピットに当たる部分に、デバイスと思しき巨大な剣が突
き刺さり、剣の柄から無数の赤い布がデスティニーへと伸びていた。赤い布は、装甲が
溶け炭化したデスティニーの剥き出しのフレームを包帯のように包み込んでいる。頭部
を破損し、全身黒ずんだデスティニーは、巨大な焼死体のような、グロテスクな異様さ
を秘めていた。
 シャマルとヴィータが、騎士甲冑を纏い油断無い視線でデスティニーを見つめている。
「第三次接触開始します」
 研究員がコンソールを操作すると、デスティニー直上に巨大な魔方陣が展開され、デ
スティニー本体が紫色に輝き始める。
「空間認識波動確認。魔力増大…事象の巻き戻りを確認しました。」
 剣が金色に輝き、赤い布が熱を帯び始める。デスティニーの装甲が、ボコボコと泡立
ち、格納庫内に感じた事の無い魔力が充満する。 
「それでは、デスティニーのサルベージ作業を始めます」
 はやては、眉を顰めながら厳かに告げた。

魔法少女リリカルなのはStrikerS Replus
第四幕"夏来たりて-Summer Day,Summer Night-"

「ふぅ」
シンは、 シャワーから勢い良く出た冷水を全身で浴びる。訓練で火照った体を冷やす
には水風呂が一番だった。
「気持ち良いですね、シンさん」
エリオもシンを真似て全身に冷水を浴びている。本来訓練の後は、適切なクールダウ
ンが控えているのだが、面倒臭がりのシンは、自主訓練に限り水で体を強制冷却する事
にしていた。
全身隈なく毛穴の奥まで洗い流される感じがシンは好きで、余程の事が無い限り夏は
、水風呂である。
 シン達フォワード達は、本日完全休養の非番である。だと言うのにシンは、エリオを
誘い自主訓練に励んでいた。早朝五時に起きて、ザフィーラの散歩を兼ねたランニング
に始まり、トレーニング室での筋力トレーニング。仕上げとばかりに、エリオを交えた
制圧用対人訓練である。
まだ午前中とは言え、外の気温は既に二十八度を回っている。南から北上して来た極
上の高気圧が、ミッドチルダに張り巡らされ、ミットチルダ全域は一足早い真夏日の模
様を見せていた。
お天気キャスターが、ハンカチで汗を拭いながら、クラナガンの市民会館前から予報
を告げている。
『何と本日の最高気温は三十四度にまで…』
南国の生まれであるシンは、暑さには強い方だったが流石にこの暑さは堪えた。
半袖のシャツと膝まで折り曲げたジーンズ姿で、ロビーのソファーで雑誌を眺めてい
る。エリオはキャロを約束があると言い出掛けて行ってしまった。ティアナとスバルは
、まだシャワー室から出て来ない。
「本当…女の風呂って長いよな」
風呂など体と頭を洗うだけなのに、何故そんなにも時間をかける事が出来るのか。
ルナマリアにしても、ティアナ達にしても、どうして女と言う生き物はやたらと風呂
が長いのか、シンは昔からの疑問だった。
 ある種の才能と思うしか無いのだろうか。だが、この暑さならば無理も無いと思い直
す。隊舎内は空調が行き届いているとは言え、外の熱気にやられてか効きがイマイチ悪
かった。
 これなら、水を浴び続けている方が涼しいのにも頷ける。
 シンは、自販機でミネラルウォーターを買い喉に一気に流しこむ。
「エリオにアイスクリーム半分貰えば良かったな」
 キャロが持ってきたアイスクリームは、いつの間にかスバルが二本食べてしまい、男
の勝負の決定版ジャンケン三本勝負で敗れたシンは涙ながらに諦めた。
「何だ…随分だらけているな、アスカ」
「ん!?」
シンは声の方へ首だけを向ける。そこには、六課制服に身を包んだシグナムが、胡乱
な視線でシンを見つめていた。いつものカーキ色の六課制服では無く、白いブラウスと
紺のネクタイだけの夏仕様だ。

「シグナム副隊長」
「敬礼はかまわんぞ。席は空いているか?」
「どうぞ」
 シグナムは、慌てて立ち上がろうとしたシンを手で制し、シンの正面へと座る。互い
に口数はそう多い方では無い。当然の事ながら世間話のネタなどすぐに無くなり、二人
の間には沈黙が舞い降りる結果となる。
(…気まずい)
 人の気持ちの機微に疎いシンでも、この状況は不味い事は理解出来た。何か喋った方
が良いとは思うのだが、残念な事に話題が見つからない。元々シグナムとは、仕事以外
のプライベートでは、二言三言なり挨拶を交わす程度の関係だ。その点で言えば、はや
てやティアナ達の方が、シンとって付き合いが長い。ティアナ達とは訓練で、はやてと
は週一回の検査で必ず顔を合わせている。
 昔に比べて角が取れて丸くなったと噂のシグナムだが、シンにとっては、未だにちょ
っと近づき難い上司の一人だった。
「そう言えばアスカ…今日、お前は非番だったな」
「そ、そうですけど、何か?」
「何か予定はあるのか?」
「いえ、特には。午後からは魔法の自主訓練に当てようかと」
「この暑いのご苦労な事だ」
「いえ…俺は、まだ魔法を使い始めて日が浅いですから当然の事です。フォワードの中
じゃ俺が一番足を引っ張ってますし、今の俺じゃいつか必ず八神部隊長やランスター達
に迷惑を掛けてしまう日が来ます。それだけは…俺は絶対嫌です」
「謙虚だな、お前は」
 真剣な顔をして話すシンを見て、シグナムは思わず苦笑する。六課内で一番職務に忠
実なのは、実はシンでは無いだろうかと思ったからだ。シンの人柄を見ると、ティアナ
がシンの事を実直と評したもの頷けた。
「事実ですから」
「ふむ…まぁ考えた方は人それぞれだがな…しかしな、アスカ。無理な訓練は己を潰す
事に繋がる。お前が仲間の事を思うなら休息もキチンと取れよ」
「了解しました」
(言っても聞く奴では無いか)
「ふむ・・・なぁアスカ」
「なんでしょうか」
「お前、訓練しかやる事が無いのなら、少し顔を貸してくれるか」
「えっ…」
 シンの顔が引き攣ったのをシグナムは見逃さなかった。

「買い物ですか」
「お前は一体何を想像したんだ」
「…い、いえ別に」
 校舎裏とかトイレの隅等を考えたつもりは決して無かった。シグナムの運転するジー
プは、国道を北上し六課隊舎に一番近い街へと向かう。シグナムは、クラッチを小気味
良く切り替えながらジープを運転する。その姿は、まるで映画の一場面を切り抜いたよ
うな絵になっていた。
「本当なら主はやて達と行くつもりだったんだがな、急な仕事で流れてしまった」
「それで…俺ですか」
「ああ。いつもは、主はやてかシャマルに服を選んで貰うんだが、たまには男性の目で
服を選ぶのも面白いと思ってな」
「はぁ。でも、俺…服の趣味とか良く分かりませんよ」
「気にする事は無い。アスカは選ぶだけだ。買うかどうかは私が決めるから心配するな
。気楽に行けばいい」
「気楽にって…言われても…」
「困るか?」
「そう言うつもりは…」
 見知った女性とは言え、シグナムは仕事上の上司なのだ。そんな女性に「お前の趣味
で服を選べ」と言われてもシンには困惑する事しか出来ない。
「私ばかり要求するのも不公平だからな。付き合ってくれれば昼飯も奢ろう」
「本当ですか!」
 飯と奢りと言う言葉に若干弱いシンだった。

(あぁ~暇ねぇ)
 アサミ・サニー・サイドアップ御歳二十八歳は、輝く笑顔を客に向けると同時に心の
中で嘆いていた。この糞暑い陽射しの中、アサミが愛し生涯を捧げると誓った、ブティ
ックに足を運んでくださるお客様には頭が下がる思いだ。
(だから、暇なのよねぇ)
 恰幅の良い非常に御歳を召したご婦人に、営業用スマイルを振りまきながらアサミは
自問する。店内には並ぶ衣服は、アサミが吟味に吟味を重ねた厳選品だ。どんな冴えな
い器量の持ち主でも、アサミの腕にかかれば、目も覚めるような美人さんにする事だっ
て可能である。だが、残念な事に、アサミが腕を奮いたいと思う客が居ないのだ。
 どれだけ羽振りの良い客だろうと、どれだけ美人の客だろうと、それだけでは、アサ
ミの職業魂には火は付かない。逆に言えば、どれだけ冴えない客だろうとも、ある一つ
の事柄さえあれば、アサミの職業魂は一瞬で点火するのだ。
 自慢では無いが、アサミの職場は、他の格式高い超有名店に比べると序列こそ落ちる
が、その辺の主婦が気軽に入れるものでは無い。
 当然商品も値が張った。
 それがいけない。アサミにとって最も燃えるはずの展開が、ここでは巡りあう事が難
しいのだ。
 酷い矛盾である。
「ここだ…アスカ」
「了解です」
 来客を告げるベルが鳴り、一組の男女が店内に入店して来る。燃えるような赤い髪を
した長身の美人と、整った顔立ちをしているが、何処か幼さを残したやんちゃな印象を
持った少年。アンバランスな二人が入店した瞬間、アサミは、己の魂がメラメラと燃え
上がるのを自覚した。
(あっ…やばい、これキタわ)
 少年は、美女の後の付きながら店内を忙しなく見回している。恐らくこう言った店に
入った事があまり無いのだろう。少年からは、苦手や困惑と言った空気が明らかに見て
取れる。
「あかんわ…あかんわこれ…大好物やわ」
 口から漏れる涎を拭くこともせず、嬉々としてアサミは二人に近づいて行った。

「さて、どれだ」
「どれだって言われても」
 シンは、夏物を見ながらほとほと困り果てていた。ルナマリアと一緒に何度かこんな
場所に来た事はあったが、当時のシンにはそれが苦痛でしか無く、小難しい顔でルナマ
リアを選ぶ服に曖昧に返事を返していただけだ。
 ルナマリアもそんなシンの気持ちを知っているのか、シンには服の良し悪しは聞かず
、似合って"いる"か"いない"の二択しか聞いて来なかった。つまり、シンにとって、純
粋な意味で服の趣味を聞かれたのは、これが初めてだった。
(ルナどうしてるかな)
 シンの脳裏に苦い記憶が蘇る。
 ミッドチルダに来て以来、久しく思い出す事が無かった恋人の事を思い出す。互いの
傷を慰めあうように始まった関係は、終わる時も唐突だった。予期していたわけでは無
いが、別離に納得出来なかったわけでは無い。始まるべくして始まった恋は、終わるべ
き時に終わった。ただそれだけの事だった。
 だが、互いの関係が終わった後も、シンにとってルナマリアが大事な人である事には
変わりはない。シンは瞑目し、苦い記憶を静かに記憶の隅に押し遣った。
「そ、そうですね」
 シンは、ちらりと横目でシグナムを盗み見る。モデル顔負けのグラマナスな体形。歳
は知らないが、恐らく二十代前半なのだろう。燃えるような赤い髪に切れ長の瞳。凛々
しいと言った言葉がぴったり当てはまるクールビューティー。はやてやティアナ達とは
違った形の美人である。
(いや、クールビューティは何か違う気がする)
 とにかく、悩みながらシンは困っていた。

 シグナムの性格から言ってカジュアルよりシックなデザイン。赤や青の派手な色では
無く、ベージュと言った地味な色が似合いそうな気がする。だが、問題はシグナムの髪
の色だ。炎を彷彿させる真紅の髪色は、太陽に透けると柔らかい桃色にも見える。そん
な派手な髪色をしていては、初心者であるシンでは、シグナムに合う服を探すのが難し
いと思えてきた。
 シンは、髪色だけ近い人間はルナマリアだが、彼女の服装のセンスはある意味キバツ
過ぎて、ついていけない部分があった為全く参考にならない。
「…アスカ、そこまで真剣に悩む事は無いぞ…直感でいいんだが」
 眉間に皺を寄せながら、真剣な目つきで服を凝視するシン。シグナムは直感で良いと
言うが、シンの場合は、その直感が錆付いてしまい、使いものになら無いのが大問題だ
った。
(戦ってばっかりいたからなぁ)
 本来ならば身についているはずの常識と一般的な感性が、シンには悲しいほどに退化
してしまっている。自分の選択でお金を使わせる事になるかもしれないのだ。流石に適
当な事は言えなかった。これが、勝手知ったるルナマリアならば、やりようはあったの
だろうが。シンは、腕を組みながら、あぁで無い、こうで無いとひたすら悩み続ける。
「お客様、何かお困りですか?」
「え?」
 シンが顔上げると、そこには、営業用スマイルを全開にしたアサミが立っていた。
「あ…いや、別に」
 シンは、自分が女物の服を凝視している姿を想像し、気恥ずかしくなり頬を赤く染め
る。
「プレゼントですか?」
「プレゼントってわけじゃ無い…んですが」
 シンは視線をあらぬ方向に向けモゴモゴと口ごもる
(そうよ…そうなのよ…この反応よ。私が求めていたのはこの子のような反応なの…あ
かん…最高)
 シンの子犬のような新鮮な反応に、アサミの瞳が雄を捕食する寸前の蟷螂のように輝
く。
「どうした、アスカ」
 他の服を見ていたシグナムが、怪訝に思いシンの元へとやって来る。
(アスカとな。睨んだ通りかもよアサミ。これビンゴ!)
 アサミの心に闘志が宿り、瞳を爛々と輝かせる。アサミの職業魂が最も燃え盛る要因
。それは、恋人同士が連れ添って店を訪れる事。それも互いを憎からず思っている、微
妙な時期の二人が大好物なのである。
 友達以上恋人未満。
 例え当人同士がそのような関係であろうとなかろうとなかろうと、アサミには関係無
い。自分の仕入れた服で、彼女が着飾り彼氏が見惚れる。それさえあればアサミは、後
二十年はこの仕事をやって行けると自負している。
 案外性質が悪い店員だった。
「可愛い彼氏さんですね」
 アサミは、足音を立てず忍者のようにシグナムに擦り寄り、シンに聞こえないように
耳元で囁く。
「は?いや、アスカ…彼は私の部下で」

 シグナムはきょとんしながら、アサミの方を見つめている。シグナムの表情、正確に
言えば呆けた顔なのだが、アサミには何故か図星を言い当てられた"恋する乙女"に見え
ていた。
(部下ですか…歳の差を気にしてたりしますね、お姉さん)
 瞳を爛々と輝かせ鼻息を荒くする。もう何を言っても無駄臭かった。因みにこの店が
若い人間にいまいち評判が悪いのは、アサミの責任だったりする。

「しかし、このスカートは短すぎでは無いでしょうか。それに私が着るには…若すぎる
ような」
「何を言ってるんですお客様。せっかく可愛い彼氏さんが選んでくれたのに」
「いや…だからアスカは、私の恋人では無く、ただの部下だと何度言えば」
「いいんですお客様。お客様が言わなくても、私には全部分かってるんです。ですから
、ここはお任せ下さい。って言いますか、お客様が若くないって言ったら、私を含めた
世の中の女性の半分を敵に回しますよ。つーかぶっ飛ばします」
「は…はい」
 アサミの異様な迫力に負けてシグナムは口篭る。
(全く厄介な店員に捕まってしまった)
はやて達と買い物に来る時は、はやてとシャマルが、やいのやいの言いながらシグナ
ムとヴィータを着せ替え人形にして遊んでいるのだが、まさか、それに近い事をシンに
見られる事になるとは。シグナムは、シンの口をきっちり封じておかなければと心に決
めた。
 網目のロングブーツ、白いノースリーブに黒いミニスカート姿のシグナムが試着室か
ら顔を見せる。
 一番大人しいの服を選んでみたシンだったが、これが想像の斜め上を行く爆弾だった
。着替え終わったシグナムの姿にシンの思考が完全に停止する。シグナムの制服姿しか
見た事の無いシンにとって、今のシグナムの格好は刺激的過ぎるのだ。
 黒いミニスカートは、随分と丈が短くシグナムの膝上何センチなんだと言いたくなる
し、サイズにしてもやたらとタイトでシグナムのお尻に測量器機で測ったかのようにピ
ッタリ合っている。
 必要以上に"胸"の部分を強調された、白いノースリープも、シグナムのふくよかな胸
の谷間は、服の上からでもはっきりと見て取れる。
「お客様…可愛いお姉さんは苦手でしたか」
「あ、いや、えあ」
 壊れたロボットのように同じ単語を繰り返すシン。普通なら絶対に見る事の出来ない
シグナムの"艶姿"は、シンの限界に迫る勢いだ。アサミの助言を頼りに、シンの趣味で
選んで見たが、これは絶対に罠だと確信した。さも、シン自身が選んでいるように見え
て、その実アサミの選んだ服にあの手この手で誘導されてしまった感が否めない。
(俺って奴は…)
 綺麗では無く、可愛いお姉さんと言われた瞬間、自分の趣味を暴かれたような気がし
て、どうにも居た堪れないシンだった。

 アサミはシンの反応にこれ以上無い程の快感を覚える。シグナムのような理知的に
分類される美人は、自分の方向性を悪い意味で固めてしまう人が多い。極論であるが
、美人は何を着ても似合うのだ。何を着ても似合うのであれば、何を着たって問題無
いの。ならば、これが私に似合わない、これは私に似合うなど考えるだけ無駄な事だ
。割り切って色んな服を着た方が互いに楽しめると言う物である。
「ほらほら、彼氏さんにも好感触ですよ」
「は、はぁ」
 機能停止したシンを尻目に、アサミはシグナムの耳元で囁き続ける。
「いや、だから、アスカは恋人では無く、部下だと何度言ったら」
「まぁまぁ、でも、彼の反応結構良いと思いませんか?」
「反応…ですか」
 シグナムはシンの方をチラリと覗き見る。直立不動で停止したままのシンは、シグ
ナムから視線を外す事が出来ず、シグナムの豊満なある一部分を凝視している。普段
ならば、不埒な輩だと斬って捨てるシグナムだが、シン年頃の男性だ。本人が否定し
ようが、そう言う事に興味があるのは自然な事なのだ。長い時間を生きて来たシグナ
ムも、それ位の感情の機微は読み取れる。
(なるほど…これは、確かに面白いかも知れないな)
 シグナムは、真面目や実直を通り越し、真剣に"生き過ぎている"シンの歳相応の姿
を垣間見た気がした。
 シグナムは口元を僅かに緩める。この身は八神はやてに捧げた剣である。男だ女だ
と言った感情は、とうの昔に置き捨てたつもりだったが、シンの態度を見ていると、
鼠を前にした猫のような、妙な感情が沸き上がって来るのも事実だった。
「確かに面白いかもしれませんね…他にはありませんか?」
「お客様…話が分かりますね!」
 ニコリと微笑み合う二人。
 そこからがシンに取っては天国か地獄か。とにかく、神経を磨り減らした事は間違
いなかった。妙な店員に唆されたシグナムが、ありとあらゆる服装に手を出し始めた
のだ。その様子は、さながら小さなファッションショーのようで、古今東西和洋折衷
と節操が全く無かった。真面目で理知的な美人が、普段絶対に着る事の無い服を着て
、見せる事の無い表情を見せている。実際、それだけの事なのだが、シンの頭の螺子
は確実にダース単位で抜け落ちていく。シグナムが、服を着替えて試着室のドアを開
ける度に、シンの心臓は高鳴り、その様子を見たシグナムが忍び笑いを漏らす。シン
は自分がツクヅク玩具にされていると実感した。

「あぁ~疲れた」
 夕焼けを背中にはやては、愛車のジープを隊舎へ向けて走らせていた。もう午後七
時だと言うのに外はまだ明るい。はやては、エアコンを止め窓を全開にする。昼間の
茹るような暑さは也を潜め、海の方から流れて来る風が気持ちよかった
 信号で停止し車内で足を伸ばす。伸びをしながら、ここ数日間の激務を思い返して
いた。六課始動から、はやての仕事量は鰻登りに増え続け、早くも処理限界を超えよ
うとしていた。リインフォースⅡも手伝ってくれるが、課長印が必要な書類や士官以
外が扱い不可の書類もある為、はやての負担は加速度的に増加している。なのはやフ
ェイトに手伝って貰えれば問題無いのだが、二人共後進の指導や今抱えている案件の
捜査で忙しい。そういうわけで、はやての連続勤務は十日目に突入していた。
 本当は今日も本部技術部に泊り込みの予定だったが、デスティニーの起動実験が巧
くいかず、現場技術者に後を任せて早めに切り上げて来たのである。

 信号が赤から青に変わり、はやてはゆっくりと車を発進させる。考えなければ行け
ない事は山ほどあった。予言、謎の不特定生物群、レリック、そして、シン・アスカ
の事。はやては、シンに対する個人的な興味から、シンの身辺調査を独自に行ってい
た。はやての住む地球とシンの住む地球は、同一の物では無いと言うのが、六課と本
局の共通認識だが、はやての直感が何かを告げていた。次元世界の中で、第九十七管
理外世界"地球"に極めて酷似した世界が、シンの住む地球である。現段階の仮説では
あるのだが、安易であるが故に納得出来ない事は無かった。
 シンが転移して来る時に、はやてが見た白昼夢。そして、時を同じくして現れた不
特定生物達。
「結局何も分からんなあ…」
 溜息を付きながら結局今自分に出来る事はレリックの捜索であると、はやては結論
付け頭を切り替えた。

「ただいま~」
 はやては、疲れた顔をしながら隊舎の門をくぐる。帰って来た瞬間、疲労が鉛のよ
うに体中に広がって来た。こんな時は、さっさと食事を取って私室で休みたい気分だ
った。
「あっ、部隊長お帰りなさい」
 ロビーで問題集を広げ、参考書片手に四苦八苦していたスバルが顔上げる。
「どこ行くの、スバル」
「いや、その、部隊長にお帰りの挨拶を」
「駄~目。この問題解けるまで、ご飯抜きって言ってるでしょ」
「え~ぇ」
 二人とも暑いのか、Tシャツとジャージ姿だ。逃げ出そうとしたところをティアナ
に首筋を捕まれ、子供のように不満声を上げるスバル。その様子を見たはやては思わ
ず忍び笑い漏らした。はやては、ふと机の上に投げ出された問題集に目を向ける。
「ふぅ~ん。昇進試験の問題集かぁ。懐かしいなぁ」
 パラパラと問題集を捲る。キャリア組のはやてだが、昇進試験には随分苦労した記
憶がある。士官、佐官と階級が上がる度に、試験の難易度は跳ね上がり、はやての勉
強時間も加速度的に増加した。
 通常業務と試験勉強の両立は、現役隊員達には至難の技であり、こうした空き時間
に勉強する事も珍しくなかった。
「でも、早いなあ。この間B級合格したばっかりやろ。もうちょいゆっくりしても」
「それは出来ない相談です部隊長。私には私の目標がありますから。その夢の為なら
やれる事は全部やっときたいんです」
「…そうか。まぁ頑張りや。私らが協力出来る事があれば、何でもするからな。今日
はフェイトちゃん遅番やから、あかんけど、消灯時間までやったら付き合うで」
「ありがとうございます」
 ティアナは、口にこそ出さないが、果ての無いライバル心を隠す事も無くはやてに
挑戦的な視線を送る。
 執務官が夢と言うティアナだが、心境の変化でもあったのだろうか。はやてもティ
アナの視線を涼しげな態度を崩す事も無く、難なく受け流す。この辺りが歳と経験の
差である。伏魔殿と称される管理局の深部で、鍛えられたはやての胆力は伊達では無
い。

「しかしなぁ、ティアナ。そこでお腹すかせて、子犬みたいに鳴いとるスバルは何とか
出来へんのかな。ちょっと可哀想やで」
「うっ」
 ソファーに寝転び、腹の音を盛大に鳴らしながら、抗議の視線を送ってくるスバル。
「そうだよティア。幾らシン君居なくて淋しいからって、私にあたる事ないじゃ無い」
「あ、あんたぶっ飛ばすわよ!何でアスカが関係あるのよ」
 ティアナの白い頬が一瞬で朱に染まる。
「だって、今日は暑いから訓練止めて勉強しよって言ったのティアじゃん。いつの間に
かシン君居なくなってて、それから何か機嫌悪いし。今だってロビーで勉強してるの、
シン君待ってるんじゃ…」
「スバル…その口中にクロスミラージュねじ込まれたく無かったら…今すぐ黙りなさい」
「ティア…怖い」
 背後に大虎を浮かべ、鬼の形相を浮かべるティアナ。ティアナの絶対零度の視線を受
け涙目になるスバル。スバルは、犬のように耳と"尻尾"を下げてしまい拗ねてしまう。
「…分かったわよ。アンタ、一応女の子でしょ。もうちょっと食い意地抑えなさいよ」
「食べてから抑えるね」
「アンタって奴は!」
 がああと吼えまくるティアナにスバルも仕返しとばかりにくつくつと笑う。
「ふふふ。ほんま二人は仲がいいなぁ」
「はい!」
「腐れ縁なだけです」
 正反対な反応をする二人に、はやては声を上げて笑ったのだった。

 結局物は次いでと言う事で、三人一緒に晩御飯を食べる事なった。生活時間がずれて
いる三人は、任務以外で滅多に顔を会わせる事は無い。これも上司と部下の貴重な触れ
合いだと、はやては若干緊張しながら食堂へと向かった。いつもは人山で溢れかえって
いる食堂だが、夕食時を外れた現在は人は疎らで閑散としている。
「何食べようか?」
「スバル、今日の日替わり定食なに?」
「え~と。焼き魚か豚の生姜焼き。後は和風御前」
「なら、私和風御前にしようかな」
「なら、私もそうします。スバル、アンタも和風御前で良い?」
「いいよぉ。ついでにアイスつけてね」
「舌…馬鹿になるわよ。まぁいいわ、注文して来るから、お茶用意しといて」
「はぁい」
 六課の食堂は日替わり定食に限り無料となっている。調理師達が日々必要なカロリー
数を計算し、食べる続けるだけで、健康を維持出来ると言われる六課の名物メニューで
ある。当然食べ続けると飽きる為、他のメニューも用意はしてある。ティアナはスバル
の分と持ち、はやてと隣合わせて席に付いた。
「いただきます」
「「いただきます」」
 三人は手を合わせ静かに食べ始める。遥か昔、地球からミッドチルダに流れて来た住
民は多い。そんな彼等が持ち込んだ文化には、箸や和食のテーブルマナーと言った物も
含まれていた。
「うん、美味しい」
「そうやね。このきんぴらなんか牛蒡絶品や」
「ティア、これと塩鯖と卵焼き交換とか有りかな」
「駄目に決まってんでしょ」
 女三人寄れば姦しい。騒々しく騒ぐ三人は、テーブルマナーとは無縁だ。年配の人間
が見れば眉を潜めそうな光景だったが、実に楽しそうに食べる三人だった。

 それぞれ夕食を食べ終わり、食後の話題の中で昇進試験が議題に上がる。そうなると
先刻の事も重なり、食堂でなし崩し的に勉強会が始まる。ティアナの質問にはやてが、
答えるだけの質疑応答形式の討論だったが、流石現役の高級士官である。超難関であ
るキャリア試験を合格しているだけあって、冗長になりがちな論述問題を分かり易く
丁寧に答えてくれる。
 机に齧りついているだけでは、決して得る事の出来ない生の意見は実に参考になっ
た。勉強会は、時間を気にする事無く続き、ティアナの問いに意気揚々と答えるはや
て。はやての答えに好奇心に瞳に輝かせるティアナ。そして、ぐったりとして死屍累
々と言った風のスバルが続く。
 頭は悪く無いのだが、一箇所にじっと座ったままで居る事が苦手なのだ。その辺り
はシンと似ている処がある。
「あっ、シン君帰ってきた」
 白熱する論議を他所にスバルが能天気な声を出した。
「「なああ!!」」
 和やかに談笑しながら、隊舎正面玄関から入って来た二人を見た、ティアナとはや
てが同時に声を張り上げる。白のノースリープと黒のミニスカートに身を包んだシグ
ナムが、これまた鬼のような荷物を抱えたシンを連れて帰って来たのだ。
「今日はすまなかったな、色々付き合わせて」
「いえ、飯ご馳走様でした」
「あれくらいかまわんさ。しかし、アスカ。お前は顔に似合わず随分と食べるんだな」
「昔は適量だったんですけどね。こっちに飛ばされてからどうにも腹が減って」
「お前に生まれたリンカーコアの影響か、別の要因かあるのか。それとも、単に訓練
が厳しくて腹が減るのか」
「多分後者じゃ無いですか。皆厳しいですから、体力使いますし」
「そうか…なら次の個人訓練は、メニューを倍に増やすか?」
「うえ」
 顔を引き攣らせるシンを見て、シグナムが微苦笑を浮かべる。まるで、出来の悪い
弟を嗜めるような視線だった。
「ああ、主はやて、お戻りでしたか」
 ティアナ達に気が付いたシグナムが、早足ではやての傍に駆け寄ってくる。
「し、シグナム?」
「はい、そうですが…何故疑問系なのです?」
「いや…だって…なぁ」
 はやての疑問も最もだった。普段落ち着いた衣服しか着ないと思っていたシグナム
が、十代が好んで着るような衣服に身を包んでいる。いつもの恰好とは百八十度違う
恰好をしているのだ。はやては、鳩が豆鉄砲を食らったように目を白黒させながら唖
然としている。
 はやては、細かく砕け散った理性の破片を必死で掻き集め、八神はやての人格を何
とか再構成する。
「ど、どないしたんや、それ」
「ああ、これですか。いつも主はやてに選んで貰ってますから、たまには別の人に選
んで貰おうと思いまして」
 随分機嫌がいいのか、スカートの裾を摘み嬉しそうに語るシグナム。
 普段お堅い人物の明け透けな笑顔と言うのは、どうしてこう可愛く見えるだろうか
。シグナムがそう言うのであれば、その言葉に含みや他意は無く、純粋に別の人に選
んで貰おうと思っただけだ。嬉しそうなのも着ている服が気に入っただけに過ぎない
、はずだ。
 だが、はやての心中は穏やかでは無かった。自分の家族も同然な守護騎士達は、贔
屓目に見ても美人揃いだ。皆、器量も良く何処に出しても恥ずかしくは無い存在だ。

 それ故にはやての心は波立ち狼狽する。
 八神やはては、シン・アスカの事を好いている。その思いはまだ幼く拙いものだが、
恋愛感情と言っても過言では無い。本人達は未だ無自覚であるが、はやてのシンに対
する態度は、第三者から見れば実に分かり易いものだった。
「むむ」
 ティアナの小さな額に青筋が浮かび、眉間には日本海溝も驚愕の深い皺が刻まれる
。平然としているつもりでも、内心穏やかでは無いのは明白だった。
 ティアナ・ランスターは、シン・アスカに惚れているわけでは無い、はず。それは
断固として断言出来る。ただ、非常に気になる男性の一人と言うだけだ。ティアナの
性格を考慮すると、それは天地がひっくり返る程の新事実なのだが、ティアナ本人は
気づいていなかった。
「ちょっとアスカ、あんた何処行ってたのよ」
「何処って…買い物」
「見たら分かるわよ」
「ランスター?なんでそんなに怒ってるんだ」
「そ、それは」
 確かにそうだ。つい頭がカッとなって、シンに詰め寄ってみたものの、何故自分が
そんな事をしたのか上手く噛み砕いて説明出来ない。大人びたように見えても、まだ
十六歳の女の子。今まで男女交際の経験など皆無のティアナにとって、色恋沙汰は漫
画の中だけの世界だった。それ故にティアナの自身が、シン・アスカに抱いた気持ち
の意味が理解出来ない。フィクションでは無い、生の感情をティアナ・ランスターは
大いに持て余していたのだった。
「…私…着替えてくる」
 ゆらりと蠢く暗い影が、はやての後ろに揺らめいた。そして、そのまま踵を返し一
目散に自分の部屋へと走り出す。それを見てティアナも天性の洞察力を発揮し、はや
ての行動に続いた。
 何故だか分からないが、これ以上はやてに水をあけられる事態は、避けねばならな
いと思ったからだ。
「何だ…あれ。ナカジマ、なにかあったのか?」
「私も分かんない。副隊長は分かりますか?」
「いや、私にも…良く分からん」
 女子寮奥に消えて行く二人を見ながら、それぞれ口を濁す三人。
 実にぼんくらっぽかった。

「ねぇ…ティア。何でスカートに穿き替え…」
「うっさい、スバル。黙ってなさい」
「主はやて、何故私服に着替えて…」
「黙っとき…シグナム」
 二人とも一言も喋らず黙々と食事を"再び"とり始める。どうにも機嫌が悪い二人に
挟まれたシンが、顔を引き攣らせながらうず高く盛られた夕食の数々を凝視していた。
「いや、八神隊長、ランスター、俺もう夕食は済ませて…」
「「食べなさい!」」
「は、はい」
 俺は一体何をしたのだろうか。
 シンは自問しながら、目の前の大量の夕食にどう対処すべきか思案し始めた。

 第四幕"夏来たりて-Summer Day,Summer Night-"
 了