RePlus_閑話休題一点七五幕_前座

Last-modified: 2011-08-02 (火) 18:07:39

 きーんーこーんーかーこーんと実に古き良き時代、昭和の臭いを漂わせるメロディが流れる
中、殆どの生徒が学生寮え帰り支度をする最中でも、ご丁寧に懺悔室と書かれた一室でしかめ
っ面した担任でもあるシスターから、ヴィヴィオは、一枚の書類を突っ返されていた。

「ヴィヴィオさん、これはなんでしょうか」
「進路指導調査書ですが、シスターマリア」
「それは分かっています。私が申し上げているのは内容です」

 普段のツンケンした態度は也を潜め、深窓の令嬢を彷彿させる笑みを浮かべたヴィヴィオは
、あくまで穏やかな態度を崩す事なく、シスターから書類を受け取った。
 進路調査表には、第一希望から第三希望まで丁寧な丸文字で、漫画家、イラストレーター、
アニメーターと羅列されている。
 実にアバウトすぎる内容だったが、希望進路なのだから別に何を書こうと問題無い。
 だが、職業を書くならばせめて就職希望と書くのが常道のような気もする。
 しかし、シスターは、しかめっ面を崩さぬまま、コツコツと机を指で鳴らし、ヴィヴィオの
出方を伺っている。

「ヴィヴィオさん、貴女はご自分がどのような存在か分かっておいでですか?」
「また、それですか?私は私です。緋色の直系でもなけれ聖王に写し身でもありません、シス
ター」

 ヴィヴィオが通う全寮制の学園は、聖王教会が経営するミッション系スクールだ。
 在籍する生徒、職員は程度の差あれ、皆、聖王教会の信徒で、中にはシスターマリアのよう
な生まれた頃から聖王教会の教えにどっぷり浸かり、敬虔を通り越し、トンファー片手にワレ
聖王ノ尖兵ナリと時折危ない発言をする教師も居るが、ヴィヴィオはそれなりに巧くやってい
た。
 聖王教会と管理局は昔から散々取り正されてきた禁忌中の禁忌だ。
 そんな大騒ぎの中に自分から手を突き入れる馬鹿はいないし、ヴィヴィオも手を突っ込む愚
考はおかさない。
 私は私なので、そちらで適当にやってくれがヴィヴィオのスタンスなのだが、どうにも教会
側はヴィヴィオに含む所があるらしく、入学する条件として、敬虔の皮を被った武装信徒をヴ
ィヴィオの担任にする辺り抜け目がない。
 家を飛び出す為とは、少々迂闊な手段に出た過去の自分に往復ビンタで修正してやりたい気
分にかられる。
 
「違います。それも聖王教会にとって大事な要素ですが、この間の全国共通模試の件です」
「あぁ…そっちですか」

 また聖王はなんたるかと骨の髄まで染みこませるお説教が始まるのかと、内心冷や冷やして
いただけ、本題が教義よりも進路指導や模試の結果の方であるほうが、ヴィヴィオにとって余
程都合が良い。

「そっちじゃありません。数多ある統一模試の中でも最難関のTGBで全科目トップでぶっち
ぎり一位に加えて三冠連覇ですよ、ぶっちぎりの三連覇。貴女女は聖王の顕現でありながら、
我が校始まっての天才でもあるのです。ヴィヴィオさんが本気になれば第三ミットヂルダ大学
も狙えますし、学識留学、その他諸々で引く手数多のはずです…だと言うのに、貴女ときたら
、毎晩毎晩漫画と挿絵の付いた小説ばかり読んで。あまつさえ将来は漫画になりたいなど!学
園のOGとしても信徒としても情けなすぎて泣けて来ます!それが将来聖王教会を背負って立
つ御身のなさる事ですか!」

「なさることです」と言ってしまえれば楽なのだろうが、迂闊に本音をバラすと、ヴィヴィオ
に待っているのはシスターマリアの延々と続く説教タイムである。
 ハンカチを噛みしめ、涙を流しながら天にシャウトするシスターは、正直に言えばお近づき
になりたくない類の人種だったが、彼女がヴィヴィオの将来を心配してくれているのは誰の目
にも明らかだった。
 勝手に将来を決められるのも、自分の夢を蔑ろにされるのも腹が立ったが、善意から進言を
ばっさりと切り捨てられるほどヴィヴィオは情に薄い人間ではない。
 むしろ、生徒に親身になって接するシスターをヴィヴィオは好いているのだ。
 聖王教会関係を除けばだが。

「聞いていますかヴィヴィオさん」
「聞いてますわシスターマリア…」

普段ならば絶対に使わないであろう清楚な言葉使いを極力、慎重かつ大胆に口にしてみる。
 紳士織女のご息女が通う、由緒正しく敬虔な信徒が集まり、歴史ある霊験新たかな学園に
語尾はお嬢様言葉にならない輩はいない。
 近隣の住人達からも、学園に通う生徒は、皆、甘いクッキーと香りが良い紅茶、午後の読書
会と乗馬が趣味の超絶おぜう様が通っていると心底信じている。
 当然、今時にそんな馬鹿正直にお嬢様を演じる学生はいない。
 だが、それなりに上流階級に人々が集まるのだ。

 ヴィヴィオのように口より手が出るタイプの人間は殆どいないし、世間一般と比べても、彼
女達は非常にお上品な性質なのだ。そんな中で自ら望んだとい得、まさに猫を被るのも一苦労
と言う始末だった。

「本当に聞いていますのヴィヴィオさん!」
(あー…どうしてこうなったんだろう)

 夕日に向ってシャウトし続けるシスターマリアに、ヴィヴィオは、どう返答すれば良いのか
困り果て、結局は机の下で携帯を弄くり、ルームメイトに助けを求めるのであった。

「全く腹立つわねぇシスターマリアめ」

 半田コテを湿ったスポンジに付けると、ジュっと音を立てコテ先の半田が落ちる。
 眼鏡サイズまでダウンサイジングされた光学顕微鏡を通して見る景色が奇怪だ。
 倍率数千倍まで拡大された基板の表面は滑らかな光沢を放ち、シルク印刷された"R"の文字
が瞳に飛び込み、パターンの汚れも手に取るように分かる。
 魔力で視力を強化すれば、顕微鏡を用いなくとも作業出来るのだが、そんな事に一々魔法を
使うのは吝かではないし、専用の道具があるのなら、専用の道具で済ませる方が簡単なのだ。

「出ー来た」

 作業眼鏡を外し半田コテをコテ台に戻すとヴィヴィオは出来上がったばかりの通信基板をイ
ンターフェースに組み込み、アプリケーションを立ち上げ通信テストを開始する。

「あれ、動かない…なんでよ」

 だが、端末に繋いだヴィヴィオお手製の魔力探知機のインターフェイスは「うん」とも「す
ん」ともいわず沈黙を守っている。
 LEDが点灯しているから電気は流れているが、動かないのは何故だろうか。
 机の引き出しから、図面を取り出し検図するが図面上はなんの問題は無い。
 ハード的に問題が無ければソフト的な問題だと辺りをつけるが、どうにも釈然としない。
 実際は作ってみなければ分からない事の方が多いのだが、デバックと妥当性確認などの根気
が必要な作業はヴィヴィオが一番嫌いだった。

「ここに来てソフトのバグ?嘘、もーうやだ、やる気なくなった」

 諦めの言葉を口にし、半田コテの電源を落すと、ヴィヴィオは、眼鏡を放り投げ、ベットの
後ろに身を投げ出した。
 衝撃でリモコンが付き、テレビからはヴィヴィオの好きなアイドルグループの映像が流れる
が、センサーの設計を失敗したのと夕方の進路指導が気になって、どうにもモヤモヤとし気分
が晴れない。
 ふと、視線を逸らせば、春先から飼いはじめた黒猫のスカリエッティが、いつのも事かとば
かり退屈そうに伸びを始めている。
 ヴィヴィオは、一瞬スカの尻尾を引っ張ってやりたい衝動に駆られたが、意外にM体質な彼
にそんな事をすれば悦ぶだけだと、溜息混じりに枕元の携帯を手に取った。
 着信履歴は無し。
 友達から週末の予定でメールが何通か来ているが、今は返信する気にはならない。
 
「なんか、だるーい」 

 ヴィヴィオが親元を離れて随分と経つ。
 全寮制の学園が相部屋が基本だが、流石聖王教会が出資しているだけあって、室内のプライ
ベートスペースも確保され、お風呂は勿論、システムキッチンも付いている豪華仕様だ。
 年頃の女の子が生活しているだけあって、室内は適度に整理され、適度に散らかっている。
 ベットの下にはファッション雑誌と月間トランジスタが放置され、共用のリビングには取り
込んだばかりの下着がルームメイトの物と混ざりこみ、どちらがどちらか分からない有様だ。
 最もブラだけはルームメイトとはカップが違う為に丸分かりなのだが、悔しいからわざとル
ームメイトに仕分けさせる事にしていた。
 ヴィヴィオのプライベートスペースは、ベットの他に六段式の本棚が三つ有り、中には漫画
と小説がギッチリと押し込まれている。
 机の上には、PCやデジボル、六角レンチやドライバー、無数の電子機器が乱雑に置かれ、
普通年頃と言えば女の子が生活していれば、衣装だなの一つや二つあるのが当然だが、ヴィヴ
ィオの場合、備え付けの小さなクローゼット一つで事足りてしまう。
洋服に微塵も興味を示さない様は、年頃の女の子としては些か問題があるかも知れないが、
だが、クローゼットを開けば、黒、黒、黒一色でコーディネートされた私服の数々はある意味
絶景であり、初めて見た人間はドン引きするのは間違いなかった。
 
「おかえ~り~ヴィヴィオちゃん。帰ってたんだ」
「元から居たわよ。サキのお風呂が長いんでしょ」
「そっかぁ、ごめんねぇ。でもおふろは気持ちよくてぇ」

 間延びした口調でヴィヴィオのルームメイトであるサキが、ボタボタと雫を垂らしながらリ
ビングに入ってくる。
 下着一つ身に着けず、バスタオル一枚だけ羽織り、生まれたままの姿のサキは、本当に同じ
年齢かと思うほど凹凸がはっきりとし目に見えて"発達"している。
 ヴィヴィオのもう一人の母である、フェイトとカップは同じくらいではないだろうか。
 あの年齢で究極のホルスタイン体型と呼ばれたフェイト・T・ハラオウンと同格とは、将来
末恐ろしい逸材だ。
 ヴィヴィオは、まさに人間は生まれながらに不平等である事実を深く噛み締め、その際に自
分の胸を見下ろし、平均、平均サイズと自己暗示をかけるのを忘れなかった。
 
「あんた、何て格好してるのよ、ちゃんと拭いてから出てきなさいよね」
「え~え、だってえ~」

 サキの間延びした声がヴィヴィオの耳に届き、異常に甘く聞こえる声色は思わず眠気を誘う。
 不眠症に悩む患者に彼女の声を録音した何かを売り込めが一財産築ける気がした。
 最も永遠に起きれなくなる可能性の方が大きいだろうが。

「馬鹿な事言ってないでさっさと下着でも付けないさいよ。目に毒でしょ」
「ええ~おなじ、おんなのこどうしなのに~い」

 無理矢理下着を着せようとしたヴィヴィオにサキが精一杯の抗議の声をあげる。
 間延びを通り越し、時間すら引き延ばしたような声に、ヴィヴィオは調子を狂わせ、ソファ
につんのめった。
 きっと、彼女の中では時間の流れが常人と違うのだろう。
 安眠装置よりもサキの体感時間を解明すれば、局所的な時間移動装置も想像可能ではなかろ
うか。
 しかし、だからと言って、怪獣おっとり娘に室内をビシャビシャにされたのでは、たまった
ものではない。
 たたでさえ、電子機器や紙製品の多い室内では湿気は大敵なのだ。
 是が非でもさっさと体を拭いても貰わねば困ってしまう。

「あれ~がじぇちゃんは?」
「ガジェ夫?知らないわ、また学園の回線盗んでエロ画像でも漁ってるんじゃないの?」
「だ~め~だよヴィヴィオちゃん。ペットのおいたは~かいぬしは~がせきにんとらないと~」
「サキ…お願いだから、漢字を使って喋って…脳が割れるわ、別の意味で」
「ええ~ひつれいだよ~ヴぃヴぃおちゃ~ん」
「私の名前を平仮名で喋るなああああ!」
「いたい!いた~い!

 ガジェ夫とは、オリジナルスカリエッティの人格データをコピーしたガジェットにヴィヴィ
オがつけた仇名である。 
 七つに別れたスカリエッティの感情を宿す使い魔である猫のスカリエッティとは、また一線
を画する存在であり、ヴィヴィオが頼りにしている使い魔の一機だ。
 夜な夜な学園の回線を盗んでエロ画像を漁るのをやめなければだが。
 夏の終わりに起こった事件でフェイトに一発くれられてから回路が変な具合にバーストして
いるようだった。
 都内のホテルが突如ロボット化し、大停電に見舞われたクラナガンを無数のガジェットと一
緒に練り歩いた真夏の怪談は、後数年はクラナガンで夏の珍事として語り継がれるだろうが、
それはまた別の話である

「細かいことはいいのだよ、ヴィヴィオ君」とガジェ夫の声が聞こえた気がしたが無視した。
 ペットは躾が肝心だが、あれは躾ようとすると逆切れする為、気の休まる暇が無い。
 ヴィヴィオは、バスタオルでサキの頭を強引にふき取り、ドライヤーで丁寧に乾かしていく。
 髪を梳く姿は、仲の良い姉妹に見えるが、どちらが姉かと問われれば返答に困る凸凹コンビ
だった。 

「ねぇねぇヴィヴィオちゃんは~進路指導なんて書いた~」
「別にいつも通り漫画家とイラストレーターよ。サキは?」
「えっとね…お嫁さん?」
「なんで疑問系なのよ、疑問系」
 
 答えるなら答えるならで、疑問系は止めて欲しかったが、のんびり屋の彼女にそれ以上を求
めるのは酷と言う物だ。
 それに加えてサキは地元に生まれ時から決まっている許婚がいるそうだ。
 彼女は、学園を卒業し国へ帰れば、可愛いお嫁さんになる花嫁修業が待っている。
 蝶よ華よと育てられたサキが学園に居るのは、彼女曰く、見聞を広める為と沢山の人達に囲
まれ生活する術を学び一般常識を蓄える、言わば花嫁修業の準備期間なのだそうだ。

 決まりきったレールの上を走る人生など、ヴィヴィオは真っ平ごめんだったが、決められた
運命を享受し、黙々と自分を磨き続けるのも、また強さであるとヴィヴィオは知っている。
 諦念や絶望では無く、希望を持って決められた運命に向って歩ける人間はそう多くない。
 サキは運命に抗う力は無いが享受し全うする強さを持ち、ヴィヴィオは運命に抗い、母親譲
りの希望に邁進する強さを持っている。
 互いに足りない物を補い合うように、ヴィヴィオとサキは出合った瞬間、気が付いたら親友
だった。

「でもいいなぁ、ヴィヴィオちゃんは、なんでも出来て。なんでもできたら、進路は選び放題
じゃない?」
「失礼な事言わないでよ。私、正義超人じゃないんだから、出来る事しか出来ないわよ」
「嘘だぁ。テストが近いのに、おべんきょうしてないのヴィヴィオちゃんだけだよ」
「毎日予習復習してるから、改めて勉強する必要がないだけよ。ほら、終わり。さっさと服着
なさいよ。風邪ひくわよ。またひいたらもう看病してあげないからね」
「ヴィヴィオちゃんのいけず」

 のそりのそりと牛歩のような間隔でシャツを着る度に、巨大な乳房がぶるんと揺れる。
 ガジェ夫曰く、彼女のピンナップ写真は、近隣の男子学生に一枚数十ミッドチルダドルの高
値取引で取引されている。
 着替え中の写真など、末端価格で幾らするだろうか。
 仕送り前の逼迫した財政事情と欲しい画材を天秤にかけて、携帯のカメラを起動しかけたの
は許して欲しい心境だった。

「ん?なにこれ?」
「なにって管理局の広報誌だよ」

 サキに言われずとも、ヴィヴィオも机の上に置かれた雑誌が、管理局の広報誌であることは
分かっている。
 見得も面白みも微塵も存在しない小豆色の管理局の広報誌が、問題はそんな物が何故サキの
部屋にあるのかと言う事だ。
 ヴィヴィオの母が、管理局のエースオブエース、高町なのはである事は学園中の周知の事実
だが、聞かれでもしない限り、ヴィヴィオ個人が率先して口に出した事は無かったし、平和な
学生生活に騒動の種を持ち込むのはヴィヴィオからしても有り得ないと言えた。

「ガジェちゃんが持って来てたよ。三人娘の一人がインタビューを受けてるって」
「ふ~ん」
「うわぁ無関心の極みだぁ」
「だって、昔から知ってるもの。今更外面見ても面白くないもの」

 高町なのは。
 フェイト・T・ハラオウン。
 八神はやて。
 俗に言う管理局の三人娘の世間一般の知名度は、にわかアイドルよりも浸透している。
 確かに三人とも容姿端麗、才色兼備を備えてエリートだが、言ってしまえば、管理局内でメ
ディアに一番露出しているだけの事だ。
 インタビューやグラビア写真などしょっちゅう受けているし、幼少から知りすぎる程知りす
ぎる旧知の間柄で、今更と言う言葉が、今更過ぎるほど虚しく聞こえ、広報誌をジト目で見つ
めてしまう始末だった。
「だって、ティアナさんも出てるよ」
「サキ、それを早くいいなさい。ナイスよガジェ夫!後でバッテリーあげるわ」

 ティアナと言う言葉にヴィヴィオの目に光が戻り、喜々として広報誌を取り上げた。
 ティアナ・ランスター二等執務官。
 冷静沈着、頭脳明晰、現場に出る機会こそ減ってしまったが、膨大なデータに裏打ちされた
操作手順と神がかり的な勘を備え、幾多の難事件を解決に導いた敏腕魔道師。
 漫画や小説の中から飛び出して来たような、出来る女っぷりは、男関係を除きヴィヴィオの
目標とも言える女性だ。
 因みになのはも、ティアナ以上の功績を残しているのだが、人の夢と書いて"儚"いと読む。
 室内を下着姿でうろつくなど、非常にだらしないと言えない所業を幼少から見せられて育て
ば、憧れを抱けと言うのが無理だった。

「お姉様、お姉様っと」

 つい先週も食事を奢ってもらったばかりだが、ヴィヴィオは浮かれる気分を抑えきれず、広
報誌のページをパラリと捲る。
 いの一番に目に飛び込んで来たのは、六課の制服に身を包み、余所行きの表情を浮かべたは
やてのグラビア写真だった。

――まず最初に、好みの男性のタイプから教えて下さいますか?

「タイプですか?そうやなあ。"シン"が通った優しい人が好きかな」

――"芯"ですか。男らしい男性と言う意味ですね?

「はい、そうですね(笑)」

――なんで笑うんですか(笑)

「こっちの話しです。でも、芯が通った男らしい人が好みなのは、本当ですよ。それに優しい
がつけば尚良し、真面目が付けば倍率ドンです!」

――条件としたら、真面目は最後なんですね。

「やっぱり男の人は、少し位捻くれてるのも可愛げがあるかなぁって」

――母性を刺激されるんですね。

「まぁそんな感じです(笑)」

――ランスター執務官は執務官になって七年との事ですか

「最初は苦労しました。執務官試験に一度で合格出来たのは、先輩のご尽力のお陰だと思って
ます」

――またまたご謙遜を。ランスター執務官のお噂は兼々聞き及んでいます。仕事も出来て誰に
でも平等だって、局内でも人気高いですよ。

「そんな私なんて」

――浮いた話題の一つでもって、これは禁句でしたか。

「知って人は知ってるので、その、禁句と言うわけでは、ただ、そのねぇ、相手が煮え切らな
いと言うか、遠慮し過ぎと言いますか。その…参考までに聞きたいんですけど、貴女はどう思
います。あいつの事」

――一人に絞れない男は私はパスです(笑)

「ですよねぇ…」

――失礼、しかし、お二方の環境は特殊とは言え、やはり、結婚は女の夢。お二人も式は挙げ
たいですよね

「「はい、当然!」」
「うわぁ…い」

 「当然です」とインタビューは締めくくられ、二人のあまりにあからさまな態度に、シンは
雑誌をそっと閉じ、腹の底から響く心底情けないうめき声を上げた。

魔法少女リリカルなのは
閑話休題一点七五幕"ヴァーティカルエアレイド-Magical Vivio 13 years old Ⅱ"前座

「どうした、アスカ?」

 机に突っ伏し項垂れる様子が何でもないわけがない。
 シンの態度を不信に思ったシグナムだが、ここは武装隊の食堂のど真ん中。
 いつのも調子で話しかける迂闊な態度に出るわけにもいかず、シグナムはラーメン定食片手
に素知らぬ顔でシンの隣に腰を下ろした
 と言っても、武装隊勤務の連中が、昼の短い休憩時間に他人に構っている暇は無く、彼らの
頭の中にはあるのは、いかに効率良く迅速にカロリーを摂取し、午後の訓練に備え時間を有効
活用する事だけである。
 それが証拠にワイワイガヤガヤと喧々囂々と騒音がやかましいが、その殆どが箸が食器を鳴
らす音やギタギタのラード塗れのラーメンを胃に無理矢理かき込み音だったりと、生活騒音だ
だ漏れである。

「なんでも…ありません…」

 シンは、ゴキジェットを食らったこっくろーち博士のように、重圧による自重でペチャンコ
になり、ボソボソと声にならない呻き声を漏らし、活動限界を向えようとしている。
 何かと女性関係の噂が渦巻く地雷原の中心に居るシンは、話題に飢えた武装隊の面々に玩具
にされやすい。
 年齢も二十代半ばに差し掛かり、心身共に成熟したとは言え、まだ子供っぽい一面が残る未
熟者。
 時折年下に冷やかされ、顔を真っ赤にして言い返している場面に出くわしては、シグナムは
小言を進言するのだが、当の本人は顔を赤らめそっぽを向いてしまうのだ。
 真剣に怒っているはずがなのだが、その中に自分も加わっているともなれば、迂闊な態度に
出るわけも行かない。
 周囲は薄々感づいているとは言え公私を別けるシグナムが、同僚から公私混同を注意されれ
ば屈辱の極み、まず間違いなくショックで三日は食欲が落ちるだろう。
 何分やんごとなき事情でカロリーを人並み以上摂取しなければならないシグナムに、不可抗
力とは言え、食事量を減らす事はある意味死刑宣告に等しく、何とも肩身の狭い思いをしなが
ら日々の業務をこなしていた。

「本当になんでも無いのか?」
「その…本当に面目ありません」

 腰を低くして謝るシンに、シグナムは何故謝らなければならないのかと怪訝に思うが、机の
上に広げられた広報誌に手を伸ばすと合点がいったとばかりに苦笑いを漏らした。

「なるほど、あの二人からプレッシャーをかけられたか」
「胃が痛いです」

 面と向って言われないほどプレッシャーに感じる事は無い。
 管理局の広報誌と女性誌と言うのがまた小技が効いて憎らしい。

「しかし、結婚か、」

 既にシン達三人は籍こそ入れて居ないが同棲している身分だ。
 世間体の面から見れば、籍も入れて居ない男女が何年も一緒に暮らしている時点であまり宜
しくないが、それは当人同士の問題だ。
 幸か不幸かシン達には親が居ない。
 八神はやてには後見人が居るが、疎遠になった久しく、両親へのご挨拶も映像電話一本で済
んでしまう実にあっけない物だった。
 一番に苦言を漏らす人物が居ないとなれば、後は三人同士の問題であり、誰かがケチを付け
る事でも無かった。
 挙句につい先月から、その輪に自分自身も飛び込んだとなれば、シグナムも文句を付ける事
も出来ず、咳払い一つで甘い妄想を掻き消した。

「副隊長もやっぱり結婚とかしてみたいんですか?」
「お前は…それを私の前で平然と言うのか」
「それは…その…すいません」

 シンの底なしのデリカシーの無さは健在で、シグナムはシンのあまりのいい様にゲンナリと
したが、何故ゲンナリとしたかを考えれば思い当たるのは一つだけ。
 理由を考えれば、どうにも歯止めが利かず、シグナムは、背中から這い上がってくるむず痒
い想いに四苦八苦しながらパチリと割り箸を割った。

「まぁ今更だ。私達ヴォルケンリッターにも一応戸籍と言う物はあるが、主はやての厚意で用
意して貰ったものだ。私自身も公共料金の支払い以外に使っていないがな」

 左手で赤い髪の毛をかき上げ、ツルツルと上品に麺をすする。
 シグナム達ヴォルケンリッターは、闇の書が生み出した守護騎士システムの一部、つまり、
魔道生命体、使い魔の部類に属する。
 戦闘能力、状況判断、自我すら持った守護騎士システムは、一介の使い魔にしては最上級に
位置し、人権も認められているが、管理局上層部の認識は、ヴォルケンリッターは八神はやて
の個人所有物との見解だ。
 物が主に反乱を企てれば処罰の対象だが、主に従っている間は大目に見ようと、実に横暴な
考えだが、それではやてに恩赦が下るならば、シグナム達に異論は無い。
 騎士の誇りが些か傷つけられた感はあったが、当の昔に済んだ過去の出来事だ、要は慣れだ
慣れ」とシグナムは管理局の態度を割り切っていた。

「ガラでも無いが…一度は試しにして見たいと思っている」

 結婚は断じて試すものではない。
 だが、人並みの幸せが結婚にあるというのなら、人では無いこの身が卑しくもそうなる事を
望んでいるのは隠し様も無い事実だ。
 結婚は普通は一回限りなのだが、シグナムを取り巻く環境はどうにも複雑だ。
 いや、複雑と言う程複雑では無いのだが、シンとって非常に都合の良いように構成された環
境と言うべきか。
 選択の時に優柔不断が炸裂し、悩みに悩みんだ挙句、タイムオーバーの末にシンの変わりに
はやて達が選択した未来に、はやての忠実な騎士であるシグナムが異論を挟む余地は無い。
 と、言うか、当事者の一員になった彼女が何を言おうと後の祭り、説得力と言う言葉は既に
意味をなさない始末だった。

「……面目ないです」

 そんな事を聞けば、当事者であるシンの申し訳無さは大地を掘り、岩盤と抉り、マントルに
ぶち当たり蒸発する他道は無い。
 灼熱の溶岩に焙られたシンは、道端で行商の叔母ちゃんが一切れ幾らで売る、煮ても焼いて
も微妙な味しかしない干物に成り果ててしまっている。
 水を足してもふやけてしまうだろう。

「いや、その、アスカ。私はそんなつもりじゃ」
「…穴があったら…入りたい」

 ぐったりと項垂れ続けるシンに、シグナムはどうして良いか分からず、右手でシンの背中を
二、三度摩るも、どうにも気恥ずかしい想いを隠す事も出来ず、人目も気になってか、慌てて
背から手を退け、照れ隠しに左手の薬指に輝く真新しい指輪を撫でる始末だった。

「ただいま。とは言っても誰もいないか」

 シグナムは、トートバックから、最近になり漸く携帯し始めた携帯を取り出し、固定電話横
のホルダーに携帯を戻す。
 シグナムの加入により、固定電話横の携帯ホルダーは三つから四つに増え、赤、橙、白、桃
とトリコロールカラーといかないのが、また、らしいと言えばらしかった。
 ふと、隣室を覗けば、いつもは鬼も裸足で逃げ出す喧騒が嘘のように静まり返り、主が居な
いベビーベットが寂しそうに佇んでいた。
 ヴィータとシャマルが気を使って子守を買って出てくれたのだから、週末はゆっくりと羽を
伸ばせそうだが、いつも煩い位の声が聞こえないと物足りなくなるのだから、人間現金な物で
ある。

「さて、始めるか」

「だが、仲間の折角の厚意を無駄にする事は出来まい」とシグナムは、四人共用の真っ赤なエ
プロンをかけ、まるで、戦場に赴くような雰囲気で台所に向った。
 共同生活の基本は徹底的な役割分担制にある。
 一人、一人が己の役割を全うする事に共同生活、家族の本質が見えてくる。
 八神家のルールは、そこまで本格的なモノでも無かったが、根が真面目なシグナムは、はや
ての冗談を間に受け、誠心誠意、魂を賭けて望むのであった。
 本日の食事当番をシグナム。
 海鳴時代の料理当番と言えば専らシャマルが選任であり、シグナムは野菜の皮むき位しかや
らせて貰えなかった。
 最初の頃は見よう見まねで挑戦していたはずが、いつの間にか野菜の皮むきすらやらせて貰
えなくなったのは、シグナムにとって甚だな遺憾だったが、どうやら、料理の腕と刃物の扱い
は必ずしも結びつかないモノらしい。
 刃物の扱いには自信があったシグナムには、シャマルの判決が少々どころか大変ショックだ
った。
 以来料理と言う物に徹頭徹尾触れて来なかったが、現状が料理の必要性を求めているのなら
ば、騎士として刃物を手に取らざると得ない。
 むしろ、最近、ほんの僅かにだが芽生えた女の誇りが「このままでは非常に駄目だ」と警鐘
を高らかに上げているのをシグナムは聞き逃す事が出来なかった。

「剣の騎士シグナム。いざ参る」

 戦意新たかに冷蔵庫を開けるシグナムの様子は、別の意味で涙無くして見れない代物だった
が、どれだけ戦意を込めようと冷蔵庫の中身が変わるわけも無い。
 時計を見れば既に七時を経過している。
 もう、三十分もしない内に、腹を空かせた家主達が続々と戻ってくるはずだ。

(待たせるわけにはいかん)

 厳しい訓練に耐え常に己を鍛え続けるシン。
 内勤業務と言えど、膨大なデータを処理し、日々捜査資料を作り上げるティアナ。
 解散し新米局員の訓練施設となり、暇を持て余す程閑古鳥が鳴いた六課の長と言えど、それ
なりに気苦労も多い、主であるはやて。
 彼らの為にシグナムが出来る事は、迅速かつ的確に"美味しい"夕食を仕上げる事だ。
 迅速と的確以上に"美味しい"を達成する事が最も難関なのだが、泣き言を言っても始まらな
い。
 シグナムの"かんぴゅーたー"が高速回転し、冷蔵庫の材料と調理可能なレシピを照会し、最
適な調理法と手段を導き出すが、料理初心者の彼女に与えられた選択肢は泣きたくなるほど少
なかった。

(焼きソバか野菜炒めか豚の生姜焼きか)

 浮かぶ品目は、手間もかからず、誰が作ってもそこそこの味になるメニューばかりだ。
 豚の生姜焼きだけがネックだが、市販のタレを使えば、まぁ食べられない事は無い。
 
「生姜焼きにするか」

 なけなしのプライドが、若干難易度の高いメニューを選択され、シグナムは急ぎ早に調理に
取り掛かかる。
 豚肉を食べやすい大きさに切り、玉葱もスライスする。生姜とニンニクを摩り下ろし、袋に
入れ、調味料と一緒に材料を入れ揉み解す。
 適当にタレが馴染んだら冷蔵に入れ暫く寝かせ、その間に付け合せのサラダを作り始める。 
 流石は剣の騎士だけあって、刃物の扱いは抜群に巧い。
 ただの包丁が伝説の名刀のように輝き、キャベツ、トマト、キュウリを次々とスライスし"続
けた"
 肉を食べれば三倍の食物繊維が必要と言われるが、冷蔵庫の野菜室の野菜全て切り刻めば、
作り過ぎなのは明白である

「また…やってしまった…」

どうにも刃物を使うを自制が効きずらい。
 うず高く積み上げられたサラダ二歩手前の野菜にシグナムは項垂れるが、時間を無駄に使う
余裕は無い。
 すぐさま残された時間を再計算し、調理の続きに取り掛かる。
 米を四合素早く洗い炊飯器の中へ投入。
 続いて沸騰させた湯に出汁と味噌を入れ、豆腐、ワカメなどもテキパキと投入。
 様子だけ見れば熟練の主婦だが、切った豆腐の形やワカメの間隔が区々など、刃物扱いに長
けていても、野菜を切るようにはいかず、随分と不器用な有様だ。
 しかし、はやて直伝の調理手順を生真面目に守る事の出来るシグナムは、素人にありがちな
オリジナル隠し味の排除と味見の重要性を十二分に承知している。
 美味しそうだと言う理由で完成した調理法に直感でアレンジを加える愚は二度と犯さない。

(流石にタバスコは不味かったか)

 当時の様子を思い起こせば、何を思って茶色の味噌スープに赤色を投入しようと思ったのか。
 我が事ながら理解に苦しむと、シグナムは炊飯器のスイッチを入れ、熱したフライパンに冷
蔵庫から取り出したタレに浸かった豚肉を投入した。
 ジュウジュウと香りの良い臭いが台所に充満すれば、まるで、臭いを察知したように、玄関
のドアが開くのが聞こえる。

「ただいま、戻りました」

 声の主はティアナだろうか。
 ブラウンのスーツに包み、片足を上げながらパンプスを脱ぐ様子は、少々淑女としての慎み
に欠けるが我が家と言う物は総じて気が抜ける物だ。
 スリッパを鳴らし、リビングのドアを潜れば、辺りには香ばしい臭いが充満している。
 
「お帰りティアナ。今日はご機嫌だな」
「久しぶりにゆっくり出来る週末ですから」

 一度大きな伸びをし、自分の携帯をホルダーに戻す。
 橙色の携帯に充電を示すランプがぼんやりと灯る。

「今日は生姜焼きですか?」
「つまみ食いは駄目だぞ」
「はやてさんとアスカじゃ無いんですから、そんな事しません」

 ティアナは忍び笑いを漏らし、シグナムに同意を求める。
 シグナムは「違いない」と肩を揺らし答え、菜箸で豚肉をひっくり返した。

「今日も一日お疲れ様だ、ティアナ。もう直ぐ夕飯の支度が出来る、早く着替えて来い」
「はい。着替えたら手伝いますから、私の分も残しておいて下さいね」
「心得た。だが、今日の台所は私の戦場だ。食器を並べるくらいに抑えて顔を立ててくれ」
「了解しました」

 シグナムの真剣な表情にティアナは、忍び笑いを漏らし、鼻歌交じりに自分の部屋へ戻って
いく。
 心強い援軍が到着した事で後顧の憂いが断たれた。
 さて、とシグナムは心の中で腕まくりフライパンを返す。
 物の五分もしない内にティアナが自室から戻り、食器棚から食器を並び始める。
 裸足にジーンズ、そして、Yシャツと部屋着にしてもラフ過ぎる格好だが、ホットパンツと
Tシャツ、エプロン姿のシグナムも人の事は言えない。
 そもそも、八神家の女性陣は、長くこの関係が続きすぎて、羞恥心が良い具合に擦り切れて
しまっているのだ。

「ただいま~っと。家長八神はやてただいま帰宅しました!」

 こんがり焼けた豚肉を各自の皿に盛り付ければ、場を見計らったように名義は別だが家長が
足取り軽やかに帰宅する。

「お帰りなさない。主やはて。今日は早かったですね」
「週末やからな。さっさ仕事片付けて、引継ぎすませて速攻で帰宅したかったんやけどね、ち
ょっと手間取ったわ」

 管理職であるはやてに残業の概念は無い。
 36協定など何処吹く風のサービス残業ぶっちぎりナンバーワンの管理局だが、仕事の忙し
さには波がある。
 その辺りは他の民間企業とは変わらず、しかし、"元"キャリア組でも、現役の管理職には違
いない。
 普段は最低でも八時を回らねば帰宅する事は無いが、週末と言う事を省いても少々お早いお
帰りだ。 

「主はやて、飲んでおられるのですか?」

 シグナムの言う通り、アルコールが入っているのか、はやての頬は僅かに赤い。
 はやては、シグナムに一杯だけ付き合ったとジャスチャーで返し苦笑いを漏らした。

「ちょっとだけな。長老達に寄り合いに顔だけ出してきたんや。華が無いとツマランと言われ
たら、女が廃るやろ」
「…長老?ああ、三課と四課の。彼らも良い年齢でしょう。週末と言えど、飲んで帰って大丈
夫なのですか?」

 ティアナが注意するのも聞かず、はやては"シン"の皿から豚肉の切れ端を摘み口に放り込む。

「うまうま。うーん、焼き加減は及第点やけど。この味は、私のやのうてティアナバージョン
のタレやな。むむ、主に逆らい流派八神に反旗を翻すとは…シグナムめ」
「無理を言わないで下さい。主はやてのレシピは私には難しいのです」
「ふふふ。不肖の弟子は、未だ八神家の真髄に到達せずか。精進が必要やで、シグナム」
「面目ありません。次回こそは」
「うむ…苦しゅうない。うん、もう一口」
「はやてさん、ドサクサ紛れに摘まないで下さい。アスカのお肉無くなっちゃいますよ」
「ダーリンの物は私の物。私の物は私の物やぁ」 

 はやては、バレたかとばかりに、怪盗のように軽やかに身を翻し、去り際に携帯をホルダー
に戻す。白色の携帯ランプが点灯し、これで残すホルダーはシンの赤色を残すだけとなった。

「もう…」

 ティアナは、いつまで経っても子供っぽいはやてに微苦笑しながら、準備の続きに戻る。
 因みにティアナバージョンとは、市販のタレに隠し味を加えたお手軽タレの事であり、零か
ら作り上げる、はやて特製のタレに比べるとどうしても差が出る代物だ。
 技量の差は愛情でカバーするのが手料理と言う物だと、ティアナは心の中で思うが、料理初
心者のシグナムは、そこまで気を配る余裕は無いのだろう。
 握りこぶしを作り「次回こそは」とリベンジに燃えるシグナムに小さな溜息を漏らしながら、
ティアナ自分の分の豚肉をシンの皿に移した。

「家に帰りたくない中年同盟やって。ほんま、困ったもんや。今頃屋台のおじさん相手に飲ん
だくれとるんちゃうか?」

 そんな困った中年に例え一杯だけでも付き合うはやても十分お人よしなのだが、それも彼女
の美点だろうか。

「おっ、今日は生姜焼きか。どらどら」
「あっ、もう、はやてさん」
「主はやて、つまみ食いはいけません。行儀の悪い」
「堪忍や堪忍二人共。でも、指は止まりません」

「ただいまぁ」

 帰宅が重なれば重なる物だ。
 はやてが自室に戻れば、本当の家主であるシンが玄関のドアを開け帰宅する。

「おかえり!マイダーリン!貴方の八神はやて、お帰りの挨拶に参上しましたあ!」
「ただいま、はやてさんって!ちょっと待ってください、無理ですって!」
「あいきゃんふらーい」

 シンの声がいつもより低いのが、ティアナは気になったが、ドアを蹴破る勢いで飛び出て、
廊下を盛大に駆け抜け、シンに向けてフライングダイブを慣行するはやてに「あぁ」と右手で
目を覆い項垂れた。
 慣れた慣れたと自分を誤魔化しても、恒例行事に出来る程、ティアナの神経は図太く出来て
居ない。
 しかし、あんな明け透けで愛情が限界を振り切った愛情表現を気の迷いか羨ましかったのか。
 ティアナも一度だけはやての真似をしてやってみた事があるが、はやてにバッチリと覗き見
られ、顔を真っ赤に染め硬直したシンを見て以来、以後ティアナは玄関先での愛情ダイブを自
粛している。

「主はやて…相変わらず…テンションが高すぎます」
「あれ…絶対に子供の教育に悪いわ」

 今はまだ、はやての余波を考える必要は無いだろうが、あの廃テンションを物心付いた子供
には一体どう映るのだろうか。
 それ以前に八神家では、あのテンションこそがはやての通常状態なのだ。
 刷り込み現象の側面も捨てきれない現状で、妙な予感だけを募らせる二人だった。

「ただいま」
「おかえり、早かったわね」
「ご苦労、アスカ」
「ただいま、ランスター。今日はエリオに送って貰えたから助かったんです副隊長。週末の首
都高は混むから、尚更助かりました」
「そう言えば、あの子すっごい高そうなの買ってたわね」

 ティアナは地下駐車場に停めてある、エリオの新車を思い出す。
 地球産の人気の車種で、最近ミッドチルダにも逆輸入車として市場にチラホラと出回り始め
ている。
 環境規定に引っかかる為に、本来のガソリン仕様ではなく、電動車だが、本来の性能を忠実
に再現している為に、お値段が張る。

「インプレッサって車種だって。俺と給料そんなに変わらないのキャロにねだられたって言っ
てたけど。それだけでポンと買える辺り、俺には真似出来ない…はやてさん、首筋はその…」

 ゴロゴロと首筋に頬ずりするはやてを頬を染めて出迎える。
 いつまで経っても反応が男子中学初々しくぎこちない仕草だが、流石は武装隊で日々揉まれ
ているだけののことはある。
 はやてが首筋に全体重をかけていると言うのに、シンはびくともしておらず、恐るべき体幹
と言えた。

「あの娘。意外に理想が高いのよねぇ」

 意外も何もキャロは無欲に見えて主義主張は激しい。
 エリオも毅然とした態度で臨めばいいものを、生来の気の弱さか惚れた弱みか、はたまた、
幼馴染の特権か、キャロには滅法弱い。

「主はやて、そろそろアスカから離れて下さいな。アスカの首がねじ曲がりますよ」
「えー、折角気持ちええのに」
「ちょっと大事な話があるので、俺からもお願いします」
「しゃあないなぁ」

 俄然納得がいっていないのか、はやては不承不承ながらシンから体を離した。

「食事しながらしますよ。折角の料理が冷める、俺、嫌ですし」
「むっ、アスカの言うとおりです。今日のは自信作ですよ、主はやて」
「分かったてシグナム」
 何かしらと思いながら、ティアナはシンの上着をハンガーにかけ、クリーニング用のクロー
ゼットに戻す。
 はやても諦めたのか、給すにお湯を注ぎ、食事の準備を手伝い始めた。

(大事な話ねぇ)

 しかし、大事な話とは、どうにも一年半前の光景が揺れ戻って来たように感じる。
 あの時もご懐妊騒動で八神家はおおいに揺れた。
 まさに、大激震のすったもんだの末での大躍進と言うか大転換期だった。
 あれから一年半。
 その間も色々激しい変化と家族の"人数"が増えた事で気苦労も増えたが幸せを感じる時間も
増えた。
 まさか、一年半前以上の大騒動もあるまいと、ティアナは、茶碗にご飯をよそい、着替えを
終えて、シンが食卓に着くと少々緊張しながら言葉を待った。

「あのさ、結婚し、」
「な…な、なんですって」
「結婚、結婚いうたか、アスカさん!」
「……な、なんと」

 シンが言い終えるまでも無く、八神家に過去類を見ない最大級の激震が走った。
 その時の八神家の喧騒をどう伝えればいいのだろうか。
 一言で言えば煩い、やかましい、少し自重しろだとか、有体に言えば、ただただやかましかっ
た。

「な、な、な、なんやの急に。なんで急に結婚なんて具体的な話に」
「ちょっと、ちょっと、ちょっとなによ、そんな大事な事生姜焼き食べながら言っていいわけ」
「いや、その、いいも何も前々から考えてたことで、じゃなくて!」
「「前々から!」」

 口調を揃え、素っ頓狂な声を張り上げるはやてとティアナの音量にシンは思わず耳を塞いだ。
 ただ一人シグナムだけが現状に付いていけないのか、味噌汁片手に香の物を掴み静止している。
 普段攻勢に出ている者は、いざ守勢に回ると脆いものだが、彼女達は、その症状がより顕著に
現れてしまう。
 はやてもティアナも、テンプレート通り、いざ、馬鹿正直に想いをぶつけられると、思考回路
が吹き飛び、自分でも何を言ってるのか分からなくなるのが玉に傷だった。

「ふ、不束者ですが末永くお願いします」

 顔を真っ赤に染め、あぅあぅと口をパクパクさせ停止するはやてとティアナを差し置いて、
シグナムがすぐさま再起動を果たしたのは度胸の差だろうか。

「って、シグナム、汚い、流石シグナム汚い」
「副隊長、あっさり抜け駆けしないで下さい」
「だ、だが、しかしだな。こういうのは勢いが大事。剣も先の先が大事でだな!時には勢いに身
を任すことも大事だと私に説いたのは、ティアナの方だろう」
「勢いに身を任せすぎです。だから、シャワー室で足腰が立てなくなるまで!」
「う、うわああああ、今それを言うのか!時効だ、あれは時効なのだティアナ」
「シグナムのアホ!時効に出来るかわけあるかいな、あれの後始末したの私らやで、シャワー室全
部とかどんだけハッスルしとっちゅう話や!」
「時効です、時効です、あれはもう時効なんのです!」

 散々弄り倒されて更に追い討ちをかけられるシグナムにわぁわぁと再起動を果たしたはやてとテ
ィアナを見つめ、せめて、「写真を撮りませんか」と最後まで言わせて欲しいと、目の前で繰り広
げられた喧々囂々の混沌に、シンは、目頭を熱くして同士であるエリオに同意を求めていた。