SCA-Seed_平和の歌◆217 氏_第05話

Last-modified: 2008-12-07 (日) 19:05:35

 プラントが何の略か知っているかい?Peoples Liberation Acting Nation of Technology。長っ
たらしいけど、要は「テクノロジーに立脚した民族解放国家」くらいの意味合いだ。人類
を超えた新人類、優秀なるコーディネーターは民族文化なんて過去の遺物を問題ともしな
い、素晴らしいテクノロジーと、全く新しい文明を手にしている。
 なら、今、目の前にあるのは何だ?このバターが多過ぎるギトギトのパンと、泥みたい
なコーヒーは一体なんなんだ?
 俺は朝からまともな物を食べてない。だから、まともな物が食べたかった。出て来たの
は病院食だ。俺の言ってる意味が分からない奴は、一度プラントに来て見ればいい。そこ
が、でっかい病院だって気付くだろう。

 

「シンさん、機嫌悪い?」
「気にしないで。いつもの事なの」

 

 アビーが言った。

 

「植物油じゃない、本物のバターを使ったクロワッサンと、水で薄めていないコーヒーに
腹を立てているのよ」

 

 憶えたてのフランス語を使い、パリのカフェでカフェオレを注文するみたいな口調だっ
た。
 プラント市民は揃って病気だ。タチの悪い、心の病だ。病院の廊下みたいな街のあちこ
ちに慎ましく佇むカフェを、バーを、レストランを覗いてみるといい。民族解放国家の中
で、そこだけにパリが在る。人類を超えた新人類は地球の文化に驚くほどのコンプレック
スを抱いていて、しかも連中にとっての文化はヨーロッパにしか存在しない。
 何故か、故郷の島を思い出した。島の人々は大抵、大西洋連邦に好意的で、一種の憧憬
を抱いていた。例外は代表首長父娘だ。極東の島国が大陸側についたせいで、アジア中を
舞台に共産勢力との代理戦争を繰り広げざる得なかった覇権国家を、平和の島の酋長は穴
の空いた椰子みたいに嫌っていた。
 後で知った話だ。娘の方は、中東のアラブゲリラと連みながら、ハンバーガーを片手に
コカコーラをがぶ飲みし、親父の方は「世界のあちこちで勝手に戦争を起こして人を殺す
大西洋連邦とは何なのか、問うてみたい」なんて嘯きながら、ワイルドターキーの限定
15年物や、マッカランのファインオーク30年物を舐めていた。

 

「所で、今後についてだが……」
「社長。後にして下さいっ」

 

 思わず、怒鳴り声が出た。別に、食卓で仕事の話をしたくなかった訳じゃない。

 

「オタールのVOを勿体つけてブランデーグラスで揺らしている様な人とは、今日の天気
についてだって話したくない」

 

 本気で嫌になった。無重力下でも使えるブランデーグラス。プラントのコーディネータ
ーと言う奴は、そんな物までこさえてしまう人種なんだ。
 幸い、フランスのそれと寸分違わないパンとコーヒーを口にしながら、窒息死する羽目
には陥らずに済んだ。レーションのチキンヌードルとサンドウィッチに冷たい紅茶は、ヒ
マラヤの天辺で与えられた酸素ボンベだ。自分は出撃が無いからって、これ見よがしにビ
ールを飲んだ事を除いて、俺はアレックスに感謝した。

 

「俺も、ギルのあのセンスには着いていけん」

 

 意外な一言だった。
 ゲイと言う奴は、どこか壊れている。恋人が叩かれたと言うだけで、光り物を抜く。社
長の悪趣味を扱き下ろした後、金髪頭と目が合った時には、後悔と警戒が束になって下腹
を蹴りつけていたから、正直に拍子抜けだ。
 ああ、いきなりで驚いたかも知れない。アレックスはゲイだ。

 

「ギル!」

 

 再会一番、相手の名を呼びながら、男に駆け寄り、抱きつく奴が、ゲイでなくてなんだ
ろう。
 胡瓜とチーズのサンドイッチをビールで流し込むと、アレックスは艦橋に戻って行った。
何か問題が起きた時の為、誰かが計器と睨めっこをしている必要が有る。俺は出撃が有る
から免除。ルナは怪我をしている。依頼人――――あのポテト頭を艦橋に入れるくらいな
ら、無人の方がマシだろう。
 集会室の照明は、いやに明るかった。パックをダストシュートに放り込んだ時、ルナを
思い出した。あいつが食べ物の匂いに釣られて出て来なかったんだ。相当辛いのは間違い
ない。
 何か持って行ってやろうか。アレックスに教えて貰った収納に足を向けて、考えを変え
た。ルナはプラント人だ。イーストでボール紙みたいになったパンのサンドイッチや、チ
キンパウダーを練り込んだヌードルより、バターをしたこまぶち込んだクロワッサンの方
が好みに決まっている。
 インターホンで呼びかけると、唸り声が返事をした。
 個室は狭かった。力の無い沈黙が、ハンモック型の無重力ベッドを乾涸らびた芋虫に変
えていた。

 

「大丈夫か?」

 

 夜食の入ったケースを、テーブルに固定してやる。

 

「夜食。持って来たぞ」

 

 返事が無い。ひょっとして、誰も居ないんじゃないだろうか。一瞬、そう錯覚した程、
ベッドの詰め物は無反応だった。心配になって覗き込んだ時、目が合った。
 目は口ほどに物を言う。俺達が無言で会話を交わす様になってから、もうどれくらいだ
ろう。こいつの目は、たまに英語とフランス語とドイツ語をチャンポンにした様な、訳の
分からない事を言うけど、今日は違った。いつものアプリリウス訛りだ。
 目線は磁石の両極みたいに離れなかった。体を傷めて寝込んでいる内に、らしくもない
弱気の虫が首を擡げたのだろう。俺はルナの言う通りにした。良く翻訳を間違えて喧嘩に
なるけれど、今回は引っぱたかれなかったし、多分、合っていたと思う。

 

 15分ほどして、部屋を後にした。ここは無重力で、ベッドなんて寝袋と変わらない。
 俺達は時折、互いの関係を思い出す。一緒にたまの酒を飲んだ時、その日の食料がとう
とう手に入らなかった時、今のプラントにならどこにでも転がっている、ありふれた理由
でどちらかが酷く落ち込んだ時。あの事があってから、ずっとそうだ。
 あの一件で、俺達はそれまでの関係を続ける事が難しくなった。だからと言って、互い
に顔を見合わせもせず生きていける立場にもなかった。俺達には新しい関係が必要だった。
 偶に考える。それをまだ、続ける理由は有るのか。だけど、止めなければならない理由
も見つからなかった。
 無重力の中、方向を見失った溜息が、目の前で渦を巻いた。
 背中で部屋の扉を蹴る。
 ベルクロを踏みしめ、一歩。二歩目を出す前に、右脚が凍った。
 慣性のまま流れる上体と首を、廊下の先に立ち竦む人影が繋ぎ止めた。
 真っ白なベルクロの上で、英文科の学生が呼吸を忘れている。一体、何の真似だろう。
小さな両手で口元を押さえている。奥方の不逞を目の当たりにした家政婦なんて人物は、
シェークスピアのどんな戯曲にだって居たとは思えない。

 

「あ、あ、あの……っ」

 

 錆の浮いたブリキの人形が、異音を上げながら回れ右した。まん丸の目を逸らし、細い
肩をぎこち無く回し、右手と右脚を一緒に出して立ち去るその姿は、ミリアリア・ハウの
署名記事と同じくらい分かり易く、その心中を教えてくれた。

 

「な、何も見てませんっ!何も見てませんからっ!お気になさらずにっ!」

 

 一つの事実も含まないと言う点で、両者は見事な一致を見た。
 こんな時、誤解され易い軍人崩れの失業者は、どうするべきなのだろう。決まっている。
冷笑の一つも漏らして無視すれば良い。そうするべきだ。

 

「ちょっと待て!おい!」

 

 気付いた時、俺の両脚は慌てて小さな背中を追い掛けていた。何に慌てているのか分か
らない。罪悪感にも似た得体の知れない感覚がペンチに化けて、心臓と簡単な答えとを、
一纏めに捻り潰してしていた。

 

「何を想像してるか分かんないけどなっ。誤解だっ」
「分かんないのに誤解、て変ですよお。大丈夫ですっ。見てませんっ」
「だあからっ!」
「見てませんっ。夜中に女性の部屋から出て来る所なんて見てませんからっ」

 

 案の定だ。
 ベルクロの上は嫌に歩き難い。歩幅を稼ごうと足下に目を落とした時、舌打ちが漏れた。
自分が片側の手足を一度に出している事に気付けば、誰だって嫌になる。

 

「ええいっ」

 

 思い切り踏み切る。両脚のベルクロが剥がれた。兎に角、捕まえよう。捕まえて、その
場で話そう。そう思った。

 

「えっ?」

 

 両肩を捕まえた途端、相手の足も床から離れた。突き当たりの壁に転落するまで、数秒
で足りた。俺は慌てて手を離した。この孤独なカラオケ名人を壁に叩き付けてやりたい理
由は無かったし、着地の手段も必要だった。
 腕の中で悲鳴が潰れた。両足をベルクロに押しつけた時、狭い背中が胸に当たった。小
さな体が小さく縮まり、涙混じりに鼻を押さえていた。

 

「っー!……酷いですよおっ」
「あんたがおかしな勘違いをした挙げ句、人の話を聞きゃしないもんだから」
「勘違い、て?」
「ルナの奴、寝込んじまって、夜食の時も出て来なかったろ。朝から何も食べてない筈だ
から、持って行ってやったんだ。それだけだ。あんたが想像している様な事は、一つだっ
て起きちゃいない」
「べ、別に何も想像してませんっ」
「いいか。ここは無重力で、ベッドなんて寝袋みたいな物なんだ。そうじゃなくたって、
あいつは鞭打ちなんだから、そんな事、やりようが無いだろ」
「だから、そんな事、想像してませんっ!」

 

 焼き立てのメレンゲみたいな顔に、苺の赤が浮いた。正直、驚いた。大昔の映画に出て
来る、レター・カーディガンを着たプラチナブロンドのスクール・ボーイだって、にやつ
きこそすれ、血相を変える様な話題じゃない。こんな奴は、精々、ルナやアビーの妄想の
中にしか存在しない筈ではないか。

 

「とにかく、シンさんが言う様な事は想像してませんからっ。当然、誤解もしてませんっ」
「とてもそうは見えないっ」
「別にいいでしょう。心配することなんて、何も無いじゃないですか」

 

 その一言に、単純な事実を思い出した。この程度の話に、顔色を変える小僧は居ない。
当然だ。なら、こんな場面で同性の誤解を解こうとする男だって居る訳が無かった。

 

「何、やってんだ。一体?」

 

 俺そっくりの声が、有り得ない事をしている男に問いかけた。
 耳の中で、ベルクロが剥がれた。反対の耳では、心臓が鳴った。掌が汗で滑るのと同時
に、目線が滑った。
 アビーだ。俺が他人の五割増しは幸せだと主張する金髪の女は、口元だけを使って器用
な笑みを浮かべていた。

 

「……っ――――」

 

 喉から転がり出そうとした声は、舌の上で凍り付いた。正直に認めよう。俺は狼狽えて
いた。理由は1ダースばかり有る気もしたし、一つだって無い気もした。

 

「お幸せに」

 

 心の籠もった一言を残して、アビーは自室に消えた。俺は両腕を壁についていて、その
間には、焼き菓子みたいに火照った18歳が居た。

 

「……誤解、解かなくていいんですか?」

 

 答える代わりに、溜息をついた。俺はまだ、人生に疲れを覚える年じゃない筈だった。

 

「……忘れてくれ」

 

 なんでそんな事をしたのかは分からない。俺は二歳年上の少年の肩に手を伸ばした。そ
の手が空を切った時には、何故か情けなくなった。母親には比較的言い辛い理由で汚して
しまった下着を、自分で洗っている時に感じた物と、よく似た惨めさだった。
 神経質なサイレンが船中に飽和した。エマージェンシー・コール。俺は生まれて初めて
テロリスト――――いや、今は正規軍か――――に感謝した。
 脚がトゥールネドの値札を目にした主婦の勢いで振り向いたのは、アレックスの声が敵
戦力を並べて見せた時だ。

 

「あんた、何者だ?」

 

 この質問は一体、何度目だろう。
 敵編隊長機は、インフィニット・ジャスティス・ガンダムとか言う、長ったらしい名前
だった。
 あの巫山戯た名前のMSが、ターミナルに開発データを消去されもせず、開発陣が拉致、
ないし抹殺されもせず、当初の計画通り量産に漕ぎ着けたと言うのでも無い限り、パイロ
ットは決まっていた。プラントとオーブ連合首長国は、重国籍を認める数少ない国家だ。
両国の現状を考える時、オーブの士官が相変わらずプラントの最新鋭機に乗っていたから
と言って、不思議な事は一つも無かった。

 

「とにかく、時間を稼いでくれ」

 

 通信機の向こうで、どこかで聞いた様な声のアレックスが言った。

 

「ギルに策が有る。目的地に辿り着けば何とかなる」
「本当かよ」
「どう言う意味だ?」
「ブランデーなんか飲んでたんだぜ。それも醸造元じゃなくて、パリから運んで来たのを
自慢にしてる様な奴をさ」
「しつこいな。心配するな。計画を立てた時には、ビールしか飲んじゃいなかった」

 

 苦笑の声が、不意に鉛の固さを帯びた。

 

「シン。あちらが何を言い出そうが、言わせておけばいい。絶対、相手にするな」
「分かってる」

 何故だろう。俺はレシーバーを切りたくなった。こんな事が、昔無かっただろうか。も
う、ずっと昔だ。シン、鍵は持った?お財布は持った?ハンカチは持った?何か忘れ物は
無い?あっちに着いたら、ちゃんとご挨拶するのよ。ああ、本当に心配だわ。分かった?
本当に分かった?――――全く、そんなのは分かり切っている事じゃないか。
 コアスプレンダーは相変わらず風邪気味だった。とは言え、今回はすぐに合体だ。シル
エットは例によってデイリ・シルエット。スロットルを開いた瞬間、バーナー炎の爆発が、
宇宙と俺の下っ腹とを一度に蹴り付けた。
 相手は五機。1―1―3の変則的な編成は、人数が一人多い事に気付かないままグラウ
ンドに入ってしまった、サッカーチームみたいだった。

 

「ラクス様の為に!」

 

 オープン回線の向こうで、聞いた事の無い叫び声が三つ、束になった。

 

「ガイアが俺にもっと輝けと囁いている」

 

 意味不明の呟きは、コーヒーの香りがした。敵編隊にガイア・ガンダムが紛れていた。
それにしても、歌姫の騎士団と言う連中は、どうして誰も彼もがオープン・チャンネルで
独り言を呟くのだろう。

 

「シン!投降するんだ!まだ間に合う!」

 

 最後の一つ。不潔さを帯びた冷感が、粘つく感触を残して首筋を撫でた。モニターの中
央に赤いMS。

 

「こんなやり方じゃ、何も解決する訳がないだろう!」
「問答無用で発砲してくる奴らに、どんなやり方が選べるって言うんだ?」

 

 思わず、怒鳴り返していた。誰にだって、我慢出来ない事の一つや二つや三つや四つは
有る。まして、友人とは絶対繋がらない電話のベルが人間の言葉を喋った時、どこの誰が
電話を叩き切らずにいられるだろう。

 

「問題の有る兵士も居たかも知れない!だけど、今は違うっ!」
「なにがっ」
「俺が公正な捜査と、公正な裁判を約束するっ!」
「出来もしない事をっ!」

 

 冗談じゃなかった。いつから、外国の軍人が捜査権と裁判権を手に入れたんだ。その時
点で、公正なんて物が期待出来る訳が無い。

 

「シン、聞け!思う通りにならないからって、討って、討たれて、それじゃあ、お前はた
だのテロリストだぞ!」
「自己紹介はいいっ!あんたの事ならよく知ってるっ!」
「シンっ!お前らしくもないっ!」

 

 頭の中で、何かが煮え立った。0気圧下における水の沸点は体温を下回るが、俺は宇宙
服を着ていて、コックピットは与圧されている筈だった。
 ハラキリダイナミックの刀身に光が浮いた。トリガーより半瞬早く、四つの光が左右に
割れた。唯一機、対ビームコーティングのシールドを構えた赤い機体が、真っ直ぐに突っ
込んで来る。

 

「なぜ、最初から平和に背を向けるっ!俺の知っているお前は、そうじゃなかったぞ!シ
ンっ!」

 

 奥歯が鳴った。洗い立ての真っ白なシャツに、汚泥を投げ付けられた気分だった。掌中
のレバーに、対艦復列ビーム砲刀の重みがかかる。
 一瞬ですれ違った。
 ハラキリダイナミックが空を切る。17.5㎜弾の感触だけが、PS装甲に弾けた。

 

「シン!言葉が判らないのか!」

 

 アスランは相変わらずだった。ライフルなら、シルエットを丸ごとやられたかも知れな
い。相変わらずの平和主義だ。だが、その平和とやらも、拳を握る男に殴り返さず、唾を
吐きかける類の平和でしか無かった。

 

「これ以上、馬鹿な真似はやめるんだ!」
「このっ!」

 

 操縦桿を倒すと、星の重さが首を捻った。声が潰れたのは、そのせいじゃなかった。こ
いつはいつだってそうだ。一人だけ何でも判っている様な顔をして、一人だけ何も判っち
ゃいない。その為に、何人が死んだ?その全員がプラントのコーディネーターだ。奴を仲
間と信じていた人間だ。
 モニターの片隅を、オーロラが覆った。

 

「ジェットストリームアタッークっ!」

 

 二つの声が叫んだ。一人だけ、トリプラーと言っている奴が居た。反射的にトリガーを
押す。ビームの束は、半ばが攻性ビームシールドに霞み、ドムのぶ厚い装甲にひっかき傷
を残す。
 ロックアラートが疳の虫を起こした。右シールドで重たい何かが破裂し、胃袋を立て続
けに蹴り付けた。

 

「邪魔なんだよっ!」

 

 スロットルを目一杯開いて、機首を左に捻る。ブレークする時は、相手側に旋回するの
がセオリーだが、そちらにジャスティスは居やしない。
 ジャミングポッドを纏めて射出。ロックアラートは相変わらず泣きやまなかった。耳に
突き刺さる音だ。ヘルメットを脱ぎ、耳のレシーバーを引っこ抜く。仮に、この小さなイ
ヤフォンが鼓膜と繋がっていた所で構いやしない。耳障りだ。耳障りだ。

 

「何をしているんだ!シン!落ち着け!」

 

 アレックスだか誰だかの声が、コックピットの隅に飛んで行った。

 

「俺は落ち着いているっ!」

 

 機体が大きな弧を描いて滑った。12基のロケットが唸り、八人の俺が俺を押し潰そう
と前からのしかかった。着弾の衝撃が冷却ガスの向こうに消えようとした時、右に黄色い
機体が見えた。

 

「しつこいっ!」
「待ってくれっ!俺が説得するっ!」

 

 声は同時だった。何かが、俺と後方に消えたドムの間に割り入った。それは、アスラン
の比較的穏やかな説得の手段だった。ファトゥム―01。リフターだ。戦闘力を失ったミ
ネルバを沈めた武器だ。

 

「あんたって人はっっっっ!」

 

 ジャスティスに追いつくには速力が足りなかった。リフターを振り切るには、速力が足
りなかった。リフターがみるみる迫って来る。ミネルバを沈めた武器だ。あいつの部下だ
った、仲間だった搭乗員を殺した武器だ。

 

「シン!自分が何をしているのか、判らないのか!」
「うるさいっ!」

 

 黙れ――――そう叫ぼうと思った。いや、違う。考えるより早く飛び出そうとした罵声
は、寸でで喉に戻り、胃に落ちた。
 スプレンダーのコックピットは狭い。片隅で、レシーバーが鳴いている。耳に戻した時
には、何故、そんな事をしたのかを、すっかりと忘れていた。
 歌が聞こえた。
 シルエットを排除。増設ブースターの恩恵とはこれでおさらばだが、その加速はまだ残
っていて、機体は一気に軽くなった。背後でシルエットが爆ぜるまで一瞬。爆発に弾かれ、
ザク・インパルスは一足飛びに駆ける。正面にジャスティス。
 バッテリー残量を確認。よし。本体のバッテリーだけでも、この化け物刀をもう一、二
振りは出来る。

 

「シン!もうよせ!そんな物が、お前の行きたい未来なのか!お前の欲しかった未来なの
かっ!」
「何が言いたい?」

 

 ハラキリダイナミックを腰溜めに構える。

 

「あのスイーツポテト頭が、未来を焼くだの、全てを滅ぼすとでも言うつもりか?」

 

 この男は、ラクス・クラインからどこまで教えて貰っているのだろう。ふ、と気になっ
た。一呼吸の内に、無意味な問いだと気付いた。
 三度に渡って軍服を着替えた経緯からも分かる。アスランは信念の人だ。決して事実に
惑わされない。全人類の平和と自由を望む歌姫様だって、そんな男に何かを伝えるほど親
切にはなれないだろう。

 

「シン!」

 

 俺は全推力を籠めた対艦刀で、答えの代わりにした。
 眼前で、赤い風が旋を巻いた。螺旋を描かず、その場で回った。対艦刀をかわすには充
分な動きだ。けど、こいつは社長が用意したお洒落なハラキリダイナミックで、アロンダ
イトじゃない。トリガー。
 腕が落ちた。脳裏を、予備のチェストパーツが過ぎった。脚が落ちた。脚なんて飾りだ。
俺は大して偉くない。背後で火花が散った。赤い装甲に大きな穴が空き、片腕はもげかけ
ていた。馬鹿みたいな防御力だ。九本のビームが纏めて直撃したら、デスティニーだって
粉々だろう。

 

「シン!」

 

 俺はその声を無視した。無視出来た。レシーバーから流れ込む歌声が、耳元に這う感触
を洗い流した。
 ヘルメットをひっつかむ。

 

「パーツを頼む!纏めてだ!」

 

 背後に赤い機体が迫った。片腕くらい動かなくたって、ジャスティスはビームサーベル
の塊だ。脚のサーベルが竜巻と化して襲い来る。
 腰が斬られた。頭が斬られた。どのみち、切り離した瞬間だった。この質量と加速の遷
移に、そうそう図体のデカいMSが着いて来られる訳が無い。
 目くらましに置いて来たグレネード。爆発が喘息持ちの背中を叩く。
 チェストとレッグを拾う。シルエットを装着。そして、格好良いポーズっ!――――は
無かった。別に俺はシステムを書き換えちゃいない。ポーズを取れる様なシルエットじゃ
ない。それだけだ。サブディスプレイに諸元。
 外観は一言で言うなら、グーンに似ていた。

 

「これは?」
「アダムスキー・シルエットだ」
「それも、社長の命名?」
「ああ。よく分かったな」

 

 なるほど、らしい命名だ。しかし、何故、アダムスキー?
 スロットルを開こうとした時、諸元の一部が目に止まった。レバーを戻そうとした時は、
もう遅かった。俺は名前の由来を、体で理解した。
 星空が歪んだ。自分の居場所を見失うには、一瞬で足りた。方向や姿勢が判らなくなる
まで一秒かからなかった。計器を見ようとしても無駄だった。歪んだのは星空じゃない。
俺の目だ。

 

 地中型グーンと言う機体が在る。鱗状の外殻を高速震動させて地中を掘り進む。こいつ
はヴォワチュール・リュミエールを鱗の隙間にびっしり詰め込んでいる。そんな物がどこ
に飛んで行くかを、誰が保証出来るだろう。
 顔が潰れた。内臓が捩れた。星の束がペンキとなって、視界を縦に切り裂いた。横に寸
断した。蜘蛛の巣の様に割り、十字に引きちぎり、螺旋に穿ち、雷様に断つ。硬い頭蓋が
振り回され、中で柔らかい脳みそがブレイクダンスを踊る。
 耐Gスーツが脚を締め付ける感触は無かった。普通なら、ブラックアウトを引き起こし
ている所だが、こいつの飛行軌道は普通じゃなかった。急旋回で血が脚に落ちるのと同じ
勢いで、逆ループが頭に血を送り込む。グレーアウトとレッドアウトが交互にやって来る。
 体の感覚がばらばらになった。手がどこにあるのか判らなかった。脚がどこにあるのか
判らなかった。腹があらぬ方向に滑り、こみ上げる胃液を頭の上で飲み込んだ。
 点いたり消えたりする宇宙に、必死で目を凝らした。どこを飛んでいるかも、どこに向
かっているかも判らないにしても、行ってはいけない所にだけは気を付けなければならな
かった。ヴォワチュール・リュミエールの光波リングを前に、中古の輸送船なんて、一ヶ
月前に金との兌換停止を宣言した、プラントの通貨みたいな物だ。

 

 操縦桿にしがみ付いていると、灰色だったり、赤だったりする視野に、別の色が飛び込
んだ。母艦じゃ無い事を祈ったが、俺に出来る事はあまりなかった。
 はっきりと一つの方向を目指したのは、ただ一回。目の前の赤が、血の色とはっきり違
う事に気付いた時だ。

 

「分解されちまえっ!」

 

 頭のどこかで、誰かが叫んだ。

 

                                       続