9、メギドの種火
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「いいのよ、かわせないコイツがマヌケなんですから」
「お、おまえな・・・」
どこかのソファーに寝かせられていたシン・アスカは、近くから聞こえてきた血も涙も無い酷評に弱々しく文句を口にする。
額に乗せられていたひんやりとした濡れタオルをどかしながら、シンはゆっくりと目を開き周囲を見渡した。白を基調とした明るい内装の部屋に幾つも並ぶテーブルとイス。どうやら自分はレストランか喫茶店の店内に寝かされていたみたいだ。
今だに覚醒しきらないぼんやりとした頭でさらに周囲を見渡す。
ここ数日で見慣れた金色のシッポがアイスコーヒーを片手に呆れた眼差しでこちらを見ている。
一方そのとなり、栗色の髪の少女が泣きそうな表情で心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「マユ……?」
ぼんやりと、シンは今は亡き妹の名前を呼ぶ。
「あ、あの、大丈夫ですか……」
一方、見ず知らずの名前で呼ばれた少女は、困惑の表情を浮かべた。
「あー、とうとうダメになったみたいっすね。気にしないで大丈夫ですよ、こんな猥褻物」
「だれがダメになっただ、誰が猥褻物だっ!」
一方、ここ数日で遠慮もへったくれも無くなったシッポに対し、シンは獰猛な唸り声を上げる。なんというか、ここ数日ですっかりカイトの気分がわかった気がする。
「訓練も受けてないシロウトの女の子に蹴られて気を失うなんて、ダメダメ以外の何者でもないじゃないですか」
「いや、そこは断固として抗議するぞ、全世界の男性を代表して」
シンの言葉に、店のカウンターにいた髭をはやした親父や聞き耳を立てていた馴染みの客が事情を察して無言で頷く。もっとも、シンたちの位置からは見えないので関係ない話なのだが。
「ご、ごめんなさい・・・」
一方少女はシンの剣幕に益々萎縮する。
年の頃は12~3だろうか、栗色の髪の可愛らしい少女だった。もっとも、髪の色こそ同じだが、青い瞳の色や肌の色、かすかに残ったそばかすなどそれほどマユとは似ていなかった。
それでも妹と間違えてしまったのは何故だろう、シンはぼんやりとする頭を振り払いながら少女に微笑みながら逆に謝罪の言葉を口にする。
「あ、いや。君が謝る事じゃないよ」
「そうですよ、この猥褻物が・・・」
「お前は喋るな」
「なんですってぇ!」
金色のシッポと赤い瞳がガルルルと睨み合う。
ここ数日で遠慮がなくなったのはシンも同じだった。
どうにも、このシッポはシンにつっかって来るのだ。おかげでここ数日はカイトが暇そうに見えるぐらいだ。
もっとも、そのいがみ合っていながらどこかコミカルな様子に、萎縮していた少女も微笑む。
「仲が良いんですね、お二人とも」
「どこがっ!!」
「どこがですかっ!」
少女の言葉に二人の反論がちょうど重なり、二人は再び睨み合う。
その様子に、少女も流石に声を上げて笑った。
「ご、ごめんなさい、でも・・・」
思わずその様子に呆然としたシンであったが、その様子がさらにツボに入ったのか少女はますます面白そうに笑う。
「生来のコメディアンっすから、シンは」
「まてっ、お前にだけは言われたくないぞ! 会って早々コントを披露したのはどこのどいつだ」
「どっかの似合わないスーツを着て伊達男を気取っているカイトじゃないんですか?」
そう言うと、シッポはヤレヤレと肩を竦める。その仕草は、あきらかにコメディのそれだ。
どうやらシンはともかくシッポは責任を感じているらしい少女の緊張をほぐす為に、わざと憎まれ口を叩いて漫才じみたやり取りをやっていたらしい。
その様子にシンもからかわれていたと悟り、憮然とする。
憮然ついでに、シッポの飲みかけのアイスコーヒーを奪って飲んでやった。
「あー、私のアイスコーヒー! どろぼー!」
「アイスコーヒーくらいでけちけちするなよ」
「あー、そう言うんですね。おじさーん、だったらアイスコーヒーもう一杯、シンのおごりで!」
「何言っているんだよ、お前は!」
「アイスコーヒーぐらいでけちけちしちゃダメなんでしょう!」
「ちがうっ。ほかの客に迷惑だろう、騒ぐなっ!」
どっちも騒がしいだけである。
その様子に少女だけでなく、店の主人や常連の客も身体を折って笑い始めた。
「笑う事無いじゃないか」
思わずむくれるシンに、少女は涙を軽くぬぐう。
「ごめんなさい、でも本当にごめんなさい」
最初のごめんなさいは、笑った事に対してだろう。
一方二度目のごめんなさいは、あの蹴りの事だ。
「いや、大丈夫だから気にしないでくれ。平気だったんだからさ」
そんな少女に、シンは気を使い微笑んでみせる。
一方、尻尾はあくまでも軽い調子だった。
「そーそー、こんななよっちいけど鍛えてるから。象に踏まれても壊れないッスよ、シンは」
店の主人が持ってきたアイスコーヒーを受け取りながら、シッポがペチペチとシンをひっぱたく。
「いや、あそこだけは鍛えてもどうにもならないんだが・・・、というか、俺はどこかの筆箱か!?」
もっとも人類に属する生物の約半数がかかえる弱点だ。格闘技の中には防ぎ方や耐え方が伝えられているし、軍事訓練をうけているシンはもちろんその手段を知っていた。
とはいえ、街中での不意打ちには対応できなかったが。
「いや、まったくだ。娘がとんだ失礼をしたみたいで」
「ぱ、パパ!」
不意に、アイスコーヒーを持ってきた店の主人が声をかける。
少女の父親は、すまないとばかりに頭を下げる。
もっとも、そんな事をされて困ったのはシンだ。不注意だったのは何より自分だ。
「あ、いや。俺の不注意だっただけです」
「いやいや、転びそうになったところを支えてもらった恩人に蹴りを入れるとは……、同じ男として申し訳ない」
「いや、まぁ・・・」
問題は、乙女に対して微妙な場所を掴んでしまったことなのだが。
「気にしなくていいですよ。今時の女の子だったらアレぐらい出来ないと」
「そうそう、コレよりもっと悪いやつらだっているんですから」
冗談めかしてシッポは言うが、これは事実であった。
たまたま悪意の無いシンであったから良かったが、あのまま暗がりに引きずり込まれておぞましい犯罪の犠牲者となっていた・・・と言う可能性だってあったのだ。
特に昨今は治安が極めて悪い、少女の対応が間違っていたわけではない。
「しかし、本当にいいのかい?」
「気にしなくて構いませんよ。十分休ませてもらいましたし」
「いや、そうではなくて・・・デート中に恥をかかせてしまって」
「へ?」
その言葉に、シンは思わず呆然とした表情をする。
目だけで横を見ると、シッポも同じ様に呆然とした表情をして、こちらを見ていた。
二人の視線が絡み合う。まったく色っぽさが無かったが。
二人の意識が重なり合う。なんというか、ピーマンを見た子供の視線のようだった。
そして……。
「コイツと俺はそんな関係じゃないっ!」
「違うっす。こんなラッキースケベとくっつけないで欲しいです!」
二人の口から同時に否定の言葉が飛び出した。
「はぁ、疲れた・・・」
「なに、年よりじみた事を言っているんですか」
結局、シンとシッポがレストランから出たのは1時間後であった。
昼も終わり、常連客も帰ったタイミングでシンたちも席を外したのだ。もっとも、その1時間の間シンはからかわれっぱなしだったが。
「でも、意外だったですね」
「何が?」
疲れた様子で買いだしの荷物を持つシンに、シッポは先ほどまでのイジワルな笑顔ではなく自然な微笑を向けていた。
その様子に、シンはちょっとドキリとしながらたずね返す。
「ザフトの元トップエース、もっと怖い人かと思っていましたよ」
「なんだよ、それは。そんな怖い人につっかかってたのかよ、お前は」
シンはその言葉に苦笑いを浮かべる。
元軍人ということで怖いと思われても仕方ないが、そんな相手に平然と憎まれ口を叩いていたのかと半ば感心し、半ば呆れた。
「違いますよ。あの子に優しかったじゃないですか」
からかわれて、途中から道化みたいに扱われてもシンは本当の意味で怒らなかった。
あの女の子に気を使っていた。
「ちょっぴり、怒り出すかなーなんて思ってたんですけど。私が過去に会ったザフトの軍人って、プライドばっかりが妙に高い人ばっかりだったから」
「なんだよ、そりゃ」
もっとも、無理もないのかもしれない。
たしかに、高慢な者も多かったとシン自身も思う。プラントでコーディネイトされた自分はナチュラルよりも優れた存在だ、そんな信仰にも似た空気がプラントには確かに充満していた。
もっとも、地球で育ったシンはブラックジョークに付き合う程度はできても、その実ナチュラルとコーディネーターをそこまで明確に差別は出来なかった。
力ない、戦争に巻き込まれる人にコーディネーターもナチュラルも無かったから。そう、コーディネーターでも戦争に巻き込まれれば力なく死ぬのは変わらない。両親や、妹……マユのように……。
「普通だろう、子供に優しくするなんてさ」
もっとも、それは口にするべき思いではないだろう。
だから、シンは何でも無いとばかりに、一般的なことだとばかりに苦笑をした。
この瞬間までは、“まだ”平和であった。
「やっぱりかわっていますよ、シンは」
「そうか? 自分では普通と思うけど」
少女の言葉にシンは首をかしげる。自分の言動は普通だ、子供を守るのは大人の役目だろう。
力ない人を、理不尽な暴力に飲まれる人を助けたいと思うのはかつての自分の願いだ。
その願いは叶える事が出来なかった。でも、だからと言って自分が理不尽な暴力になってどうするというのだ。
「俺はあたり前の事をしただけだぜ」
シンはそう言うと微笑もうとして・・・表情が強張る。
歴史にIFは無い。
使い古された、陳腐な言葉だ。
だが、そう思ってしまうのは人の性であろう。
その瞬間、それは起こった。
天空から、太いビームの束が地上に向かって降りそそぐ。
それに対して、シン・アスカのとれた行動はそれほど多くは無かった。その身を傍らにいた金髪の少女の盾とすることだけだ。
抱きしめるように、少女を庇う。
本当にそれだけであった。
背後にある、小さなレストランを庇う手段はをシンは持ち合わせていなかった。
小さなレストランに突き刺さる閃光。
巻き起こる爆発。
大小の破片がシンの身体にぶつかる。
だが、その肉体の痛みよりも、今のシンアスカを形付けたあの出来事とかさなる現実に、シンの心が、魂がひび割れる。
「ああ・・・、あああああああ・・・・・あああああああああああああああああああっ!!!!」
振り向いた先に見えるのは、真っ赤に燃える小さなレストラン。
しゃれたオレンジ色の屋根は無残にも吹き飛び、よく磨かれた窓ガラスは木っ端微塵に砕け散っていた。
明るい店内は灼熱の地獄に包まれ、よく手入れされたイスやテーブルは残骸となってあたり一面に飛び散っていた。
そして、シンはもっとも見たくないもの・・・・いや、物となってしまったモノを目にする。
さっきまで、明るく笑っていた。
さっきまで、ちょっぴり怖がっていた。
さっきまで、別れを惜しんでいた。
さっきまで・・・さっきまで・・・。
「あああああ・・・、ああああああああああ・・・・・あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
空では数機のMSが地上の悲劇など気にする様子も無くドッグファイトを繰り広げていた。
赤い騎士が、たった一機で数機の羽根を持つ戦士たちを切り刻んでいる。
シンは獣のように叫ぶ。
悲痛な叫びをもらす。
コレではあの日と同じゃないか。
マユを失ったあの人、何の力も無かったあの日の自分と同じじゃないかっ!!
何のために力を手に入れたんだっ!!!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
シンの心が砕け散る。
倦怠と諦めに包まれた、その心が粉微塵と砕け散る。
もし、ニュートロンジャマーの通信妨害が無ければ。
速やかに避難勧告がなされ、もしかすると助かっていたかもしれない。
もし、戦後処理がもう少しだけ上手くいっていれば。
兵器流出が最低限に抑えられていれば、主要大都市附近での偶発的戦闘など起こらなかっただろう。
もし、歌姫の騎士団が無ければ。
もし、大西洋連邦に派遣されたのが彼でなければ。
もし、自分が手に入れていた力を手放していなければ。
もし……、自分があの時負けなければっ!!
「あんたらは・・・、あんたはまた戦争がしたいのかっ!! アスラン・ザラぁぁぁぁぁぁぁ!!」
シンの叫びが、ナニカを取り戻したシン・アスカの叫びが木霊した。