GF天のコックピット直突きによって気を失ったシンは、生きている事を巧妙に偽装し、ロンド・ミナ・サハクの居城、アメノミハシラへと運び込まれた。
その後の検査で、全身骨折、打撲、切り傷、打ち身、捻挫etc(大半の怪我がGF天のコックピット直突きによるもの)していたことが判明し、身動きも取れないので大人しく治療を受け、既にニ週間が経っていた。
「シン・アスカ様、ロンド・ミナ・サハク様がお呼びです」
連合の青い軍服を着た、人形の様な表情の男、ソキウスは、シンへと貸し出された客室のドアを開くと、感情の感じられない声で告げた。
「……分かりました、今行きます」
ベッドに座っていたシンは、オーブ軍の軍服をベースに、黒を基調とした色に変えられたアメノミハシラの制服を着ていた。
二週間が経ち、未だに包帯で吊られた左腕を残し、回復したシンは、左腕を庇うようにゆっくりと立ち上がり、ソキウス、正確にはサーティーン・ソキウスの後を付いていった。
長い、西洋の屋敷を思わせる装飾の廊下を暫く歩くと、木製の大きな扉が見えた。
「こちらです。 ミナ様、シン・アスカ様をお連れしました」
扉の傍らに付けられたインターフォンにシンを連れてきた事を報告するソキウス。
「……ようやくか」
唾を飲み込み、喉を潤わせる。
シンはロンド・ミナ・サハクという人間に興味があった。
かつて憎しみを抱いていたアスハと違う、オーブの五大氏族。
似た生まれながら、アスハと違う道を行く人。
一度会って話してみたかったのだ。
シンからは聞き取れなかったが、多少の会話の後、ソキウスは扉を開く。
「中へどうぞ」
案内された先は、執務室のような空間。
「失礼します」
制服の襟を正し、服装を整えると些か緊張した面持ちで部屋の中へと入る。
部屋の中にシンが入ったのを確認すると、ソキウスは扉をゆっくりと閉めた。
部屋の中、その正面には、執務用の机であろう大きな机と、来客用であろう高そうな椅子が鎮座していた。
机に向こうに居るのは長い黒髪を持った美女。
カリスマ性とでも言うのだろうか、かつて議長やラクス・クラインと会った時のような感覚をシンは感じていた。
「緊張するな、とりあえず座るがいい」
ミナはシンの緊張を見て、僅かな笑みを浮かべると正面の椅子を指し示す。
「それでは」
聞きたい事は多かったが、言われるががまま、椅子に座った。
念の為いつでも飛び出せる様に、深く腰掛けず浅く座る。
「先ずは、はじめましてだな、シン・アスカ。 私の名はロンド・ミナ・サハク、アメノミハシラの主だ」
シンが座ったことを確認すると、ミナはゆっくりと口を開く。
「知ってるんなら、俺、いや自分が名乗ることはないですね」
シンは自分の名が知られている事に、僅かな驚きを覚えるができるだけ顔には出さないようにしていた。
ところでシン・アスカは敬語が使えないと思われているが、そんな事は無く、一応使える。
余り得意でないだけだ。 ……ザフトは民兵組織とは言え、一応赤服は(軍隊で言う)士官クラスなので、敬語位使えないとお話にならない。
「そう硬くなるな、名前を知っているのは、まぁ有名人だからな、こちら側、軍事関係者で知らないのはモグリだ」
「キラ・ヤマトを撃墜した、唯一のパイロットよ」
ミナは値踏みするように、そっと、シンの足下から顔へと視線を動かす。
「あれは、AAを守る為に……」
ミナの視線には気付かずに、シンはキラの弁明を始める。
「知っているか? キラ・ヤマトは初めてMSに乗った時、素人で、ほぼ近い性能5機のGの内4機が奪取され、実質1対4だったことを」
シンの言葉を遮るように、ミナは声を張り上げる。
「しかも相手はクルーゼ隊。 ザフトのエリート部隊だ。 その他の戦力を含めれば、戦力比はもっと上がる。なのにクルーゼ隊は撃墜はおろか、中破にすら追い込めなかったのだ」
「唯一行動不能なほどのダメージを与えられたのは、オーブでのイージスの自爆によってのみだ、そんなキラ・ヤマトを単機、しかも性能差のある機体で撃破して見せた君は評価されて当然なのだ」
話し終えたミナは不敵な笑みを浮かべ、シンを見つめる。
「でも俺は……」
シンはミナの視線から逃れるように視線を逸らし、俯く。
「話が逸れたな、今日はそんな話をするために呼んだのではない」
何か言おうとしたシンを遮り、ミナは再び声を上げた
「一先ず、体の調子は良さそうだな」
「……ええ、お陰様で」
顔を上げたシンは苦笑いを浮かべる。
助けられたとは言え、ミナのせいで大怪我したのは変わりなく、言葉に若干の嫌味を込めた。
「それより、聞きたい事があります」
苦笑いから表情を一転させると、真剣な目つきでミナの顔を直視し、シンは言う。
「何だ?」
ミナもシンの表情に、不敵な笑みを崩し、真剣な眼差しで答える。
「俺は今どうなっているんですか?」
「地上の施設では治療に不都合があったのでな、アメノミハシラに運び込んだ」
両手を机の上で組みなおし、ミナは答える。
「それは分かっています、聞きたいのは……」
若干言いづらそうに言葉尻を濁すシン。
「ザフトでのお前の現状か?」
僅かに目を細めミナは問いかけた。
「ええ」
静かに頷くシン。
その目にはどこか期待の様な色が混じっていた。
「私の部下の情報では、演習予定地に向かう途中に機体不備を起こしMIA、近々事故死となる予定、だそうだ」
シンの様子を伺うように、ゆっくりとミナは言う。
「そうですか」
只一言、その言葉にミナはソキウスたちと同じように感じた。
「驚かないのだな」
ほう、と僅かに感心したような素振りを見せる。
「オーブと歌姫の騎士団に追われた時に戻れないとは分かってましたから……もう一ついいですか」
先程と変わらず感情を感じられない抑揚の無い声。 最後の質問を除いては。
ミナは頷き、肯定の意を示し、先を促す。
「ラクスさんやキラさん、カガリとアスランは知っていて命令を出したんでしょうか?」
シンの顔に、僅かな影が落ちる。
この場に旧ミネルバ隊のクルーがいれば言っただろう、「ベルリンの時と同じ表情だ」と。
「詳しくは分からないが、恐らくは知らされていないだろうな、ザフトのカーペンタリアも今も捜索に当たっているらしい」
シンの影、憎悪を見抜いたのか、ミナは力強く否定する。
「そうですか、そういえば何故俺を助けたんです?」
影、恐らくは憎しみが表情から消え、僅かに首を傾げる。
「……一つは貴様が、オーブの民だからだ」
恐らく聞かれるのが分かっていたのか、用意していた答えを原稿を読むように告げた。
「俺はオーブを捨てました、それに元々移民です」
オーブという単語に、体が反応し、左手を握り締め、顔に力が篭る、それは先程とは違い、憎しみというよりも怒りだろう。
「いた事に変わりは無いだろう? オーブの民を守る。 それこそが私の役目だ」
そんなシンを諭すように、真っ直ぐに静かな口調でミナは言った。
(じゃあ、何で俺の家族を!)
激昂がシンを支配する。 顔に出たのかミナが眉を僅かに動かす。
(……違う、穿き違えるな。 怒るべきはアスハだ。 この人、サハクは)
「すまない、お前の家族がオノロゴで亡くなられたのは知っている、……あそこは我が管轄だった場所だ」
シンの表情に、ミナは立ち上がり、頭を下げた。
そんなミナの態度にシンは動揺する。
自分の非を認め、素直に頭を下げたのだ、政治家としては問題かもしれない。
だがシンは非を認めないアスハよりもずっと好感が持てた。
「当時その場に居なかったでは言い訳にもならない。 シン・アスカ、私から一つ聞きたい事がある、お前は私を憎んではいないか?」
「何で、ですか?」
突然の質問にシンは困惑の声を上げる。
あの戦争は、家族の死は、アスハが原因の大半だ。その場にいなかったのなら恨みようが無い筈なのだ。
「お前が家族を失ったあの戦いは……アスハだけでなく、我等にも責任がある。 ……私は、私達はオーブを見捨てたのだ」
机から離れ、シンへと近づくと苦虫を噛み潰したように苦悶の表情をミナは見せた。
「じゃあ何でオーブの民を守るのが役目だと?」
ミナの言葉を聞いても意外にシンは冷静だった。
彼女は黙っていれば分からないのに自分が悪いと俺に謝った。 この人がここまでの顔を見せる理由が聞きたかった。
「私には、ギナと言う双子の弟がいた……当時私とギナは連合のオーブ侵攻を防ぐ為、ビクトリアのマスドライバー制圧を手伝っていた」
ゆっくりと過去を振りける様にミナは口を開く。
「……裏取引という奴だ。 だがその直後連合はオーブへと侵攻した。 ……当時は邪魔な老人達が居なくなって丁度良かった程度にしか思っていなかった私達は、このアメノミハシラで再起の機会を伺った」
「その当時、私は国とは支配者の物だと思っていた、国の行く末は支配者が決めるものだと考えていた」
「軽蔑してくれていい、私はアスハと変わらなかったのだ」
皮肉気に自嘲するミナにシンは首を振る。
「そして私達は残された五大氏族の片割れ、宿敵アスハの遺児カガリを殺そうとしたのだ」
「その時、ギナが殺された、相手は傭兵部隊サーペントテール、聞いた事位はあるだろう?」
シンは頷く。
シンも聞いただけだが、何でも最強のコーディネーターとも噂される傭兵を擁する超一流の傭兵部隊だそうだ。
「ギナが死に、私は国とは何かを悩み始めていた」
ミナは目を閉じる。
「ウズミは弱いから死んだ、だがギナは弱くは無かった。 ならば二人は間違っていたから死んだのではないかと思い始めていた」
「そんな中、ここの職員達は私を見捨てず、ここに残ってくれた。 私は彼らの忠義に報いるため、彼らを守ろうと誓った」
目を開けると嬉しそうに、どこか自慢げにミナは言った。
「そしてある男に教えられた。 国とは民だと。 たとえ国が滅びようとも、人の心の中の国までも奪えはしない」
「支配者が国を作るのではなく、人が、民が国を作るのだと、そう、私は思った。 だから私は決めたのだ、私の国、オーブの民を、国を守ろうと」
「だから恨むのならばオーブでなく、私を恨め、あの時、何もできなかった私を。 民を守る事等、考えもしなかった私を」
それは本当に嘘のない、正直なロンド・ミナ・サハクの魂の慟哭だった。
シンは沈黙を保つ。
シンにはミナを恨むことは、怒ることはできなかった。
どこかで気付いていた。 本当に怒るべきは国、オーブや人、アスハではなく無力な人々を巻き込む戦争とそこにある悪意だと言う事は。
(この人は自分の信念を貫いている、恨みも、憎しみも背負う覚悟が出来ている。 ……じゃあ俺はどうなんだ?)
シンの中の蟠りが消えつつあった。 そして新たな疑問が湧き上がった。
「お前を助けた理由はまだある。 お前があの状況で諦めなかったからだ」
シンの沈黙を、取り敢えずの納得と受け取ったのか、ミナは言葉を続ける。
「……? 意味がわからないんですが」
湧き上がった疑問を片隅に置き、シンはミナの言葉に今日何度目かの首を傾げた。
「私は他人に生き方を強いる人間は好かぬ。 だが、自分の生きる道を切り開く為、己から行動する者は好きだ。 だから助けた」
自信に満ち溢れた微笑をミナは見せた。
(自分の生きる道か。 俺はあの戦い以来、道を探すのをやめてしまった。もう一度探せるだろうか? 自分の生きる道を)
「貴方は、凄いですね。 ちゃんと自分の道が見えて、自分の信念を貫いている……俺は」
顔を伏せ、言葉を噤むシン。
常に迷い続けたシンに、道の見えているミナは眩しく思えた。
「俯くな、前を向け」
顔を伏せ、目を合わせ様としないシンの顔に、右手でそっと触れると、ミナは力づくでシンの顔を正面へと戻す。
「シン・アスカ、お前は何のために戦っている? 何故剣を手にした、何故戦いを、修羅の道を望んだ?」
ミナは逃げられぬように右手の力は抜かず、問い掛けながら、紅色をしたシンの目を覗き込んだ。
シンの目にミナの吸い込まれそうな黒い瞳が映る。
綺麗だ。 と的外れな感想を胸に抱き、シンは本心を語り始める。
「俺は、力が無いのが、悔しかった。 誰かを守りたかった」
心の奥底に隠された本心を、シンは一つ一つ言葉を選びながら、搾り出すように言った。
「ならば、守ればいい」
変わらぬ体勢、声色のままミナは言う。
「でもザフトに入って、手に入れたと思った力は否定された。 俺の生き方はいつも誰かに否定される」
「誰に迷惑をかけていない筈なのに……俺は守りたいだけなのに」
俺の存在が平和を乱すと
俺に守るなと
俺に消えろと
シンの目に涙が浮かぶ。
ミナは触れた時と同じく、ゆっくりと右手を放すと、その手でシンの頭をニ、三度撫でた。
「私は他人の生き方を否定しない」
右手を戻すと、シンを見つめ、力強く告げる。
「それが誰であろうとも、何処にいようとも、何時であろうと、どのような考えでも、それが天空の宣言だ」
「シン・アスカ。 守りたければ、守れば良い。 救いたければ、救えば良い」
「例え、世界中が、他の誰が、お前を否定しようとも、私がお前を認めよう、ロンド・ミナ・サハクの名において」
ミナはこの場で初めて見せる優しげな笑みをシンへと向けた。
「……あ、何で涙が? 変だな、悲しくないのに……そうか、俺は守っていいのか」
シンの膝が折れ、地面へと座り込む、それと同時に両の眼から涙が溢れ出る。
それは自分の想いに初めての理解者を得たことに対する喜びの為か、今まで胸に閉まっていた悲しみの為か、それとも別の感情なのか、シン自身にも分からなかった。
「すまない、所用があるので失礼する」
シンを気遣ってか、顔を見ないよう、脇を通り過ぎると、木製の扉を開き、そして静かに閉じた。
「……ミナ様、彼は?」
扉の横で待機していたシックス・ソキウスは質問ではなく、事実の確認をする。
「暫く放って……いや、涙枯れるまで泣かせてやれ。 これより先、尽きる事の無い修羅の道を行く男の涙だ」
扉を、その先で泣き崩れているであろうシンの姿を思い起こし、言い直すと、ミナは外套を翻し、立ち去って行った
「……やはり、あの男は面白い」
廊下を歩き、一人呟きながらミナは思う。
今までのシンは常に何かに縛られていた。
それは人であり、復讐であり、組織であり、立場であり、自身にでもある。
そしてシンは今、皮肉にも、再び全てを失った事により、その縛っていた物から抜け出そうとしている。
ここに連れて来た当初は、今後の事を考え、部下にしようと思っていた。 腕利きは何人居ても困る事は無い。
だが、シンと直接話した事により、ミナの心境に変化が起こっていた。
もし、アメノミハシラに居れば、再びシンは縛られる。 心のどこかに迷いを秘めながら。
だがもし、シンが自由に、縛られずに戦えるならば、……キラ・ヤマトとアスラン・ザラをも上回るのではないか?
全ての拘束が解け、只、己の信じる物の為、純粋に守る為に力を振るうシンの姿を見てみたいと、ミナは思ってしまっていた。