『え~、こちら1049号。周辺宙域に異常なし。周辺宙域に異常なし。――定時連絡は以上』
『了解。異常が発生した場合すぐに報告せよ。――通信終わり』
宇宙空間を、MS用の輸送機が航行していた。
機体後部には大きなコンテナを搭載している。
その機体の先端、ぶ厚い偏光ガラスの窓を通して操縦者らしき人の姿が二人ほど見えた。
備え付けられた粗末な通信機を口元からはなし、男はつぶやく。
「――ふぅ。あ~あ、定時連絡って面倒だよな~、飽きちまったよ。――『お坊ちゃん』はどうしてる?」
「ああ。『コアスプレンダーⅢ』をいじっていたが、ついさっき仮眠取るとかで個室のカギを閉めやがった。
結構なことだ」
操縦桿を握り、計器に目を配らせながらもう一人の男が答える。
「ふ~ん。そうかい」
特に感想も抱くことなく、二人は再び閉口した。
――沈黙が機内を支配した。
厚いキャノピーの向こうでは真空の世界が広がっており、
視界の隅にある計器による妙に耳障りな電子音と、ダクトから発せられる乾いた空調の音が、二人の孤独感を湧き立たせる。
その場の空気に耐えきれず、同乗者が口を開いた。
「なぁ……紅い悪魔って知ってるか?」
「はぁ? 紅い悪魔……なんだそりゃ?」
「これは……コロニーの警備をやってるヤツに聞いた話なんだけどよ――」
計器に目を配りながら操縦者は頷き、続きを促す。
「全身真っ赤っかの装甲で覆われた悪魔のような翼を持った所属不明の悪魔みたいな格好のMSが、
ここ数日、各宙域で目撃されているらしい」
「んだよ。お前が話す噂ってさぁ……いつも気味が悪いな――って何だあれ?」
「それでそいつは――あぁ?」
二人は会話を中断し、ナビゲーターが指差したキャノピーの向こうに視線を向ける。
右舷前方、遥かかなたで爆発らしき閃光が幾重にも重なっていた。
その間を縫うように二つの人影が飛び回る様子が映し出される。
「お、おい。まさかあれって――」
同乗者が口を開いたその瞬間。
対峙していた影の片方、『血のような紅い色』で『悪魔のような翼』を持ったMSがこちらに肉薄してくるではないか。
――『血のような紅い色』で『悪魔のような翼』?
先ほど同乗者が言っていた『紅い悪魔』の容姿に一致するのを脳内で理解し――
「「で、出たァァァァァァァァァァァァ!!!!」」
狭い輸送機内に、二人分の絶叫がこだました。
ガンダムSEED DESTENIY AFTER
~ライオン少女は星を目指す~
第二話 『紅い悪魔と呼ばれた者』
限りなく広がる漆黒の宇宙に、何か光るものがきらりと太陽光を反射した。
宇宙空間を舞うように飛翔するそれは、二枚の翼を広げた人型の大きな機体――モビルスーツだろう。
膝や肩の青いラインを除き、全身がまるで血の色で染められたかのように赤く、それは宇宙空間ではあまりにも目立っていた。
全体としてはスレンダーだが、肘から手首――下腕部を覆っている装甲が極端にぶ厚く、指先は猛禽類のように尖っている。
その顔面は、V字アンテナの下、人間でいう左目に当たる部分のみ燃えるように赤い光を放っており、
右目の部分はまるで涙を流しているかのように亀裂が走っていた。
それを見た時、人々は思うだろう……『悪魔』と。
『悪魔』――いや『悪魔と見まごう姿のMS』は、それほどまでに邪悪で獰猛な気配を漂わせている機体だった。
『――来たか』
ふいに悪魔のようなMSは飛翔をやめ、近くの巡洋艦くらいの大きさの小惑星の一つに降り立った。
広げていた翼を折りたたみ、機体を振り返えらせると、数点の光が後ろから追ってきているのが見える。
小さな突起が付いた肩を上げ、赤い隻眼が瞬きをするように数度点滅した。それは獲物を確認する、獣の目だ。
『行くぞ。アブソリュート』
狭いコックピット内に反響した声は、ひどく淡々とした口調だった。
――数分後、その場にはMS数機分のデブリが宇宙に新しく撒かれた。
そのほとんどがまるで殴打されたかのように粉砕されており、原形をとどめていない
散らばったデブリの中で、アブソリュートは立っていた。
『まだだ……まだ全然調子が戻って――』
その時――。
アブソリュートの背後、一見何もない空間から一筋の閃光が吐き出された。
命がけの戦いを終えたその時こそ、誰もが気を緩ませる最大の瞬間である。
これはどんな達人であろうと例外はない。
普通ならそのままビームの直撃を受け、その真紅の機体は致命的な損傷をこうむる……はずだった。
だがアブソリュートはくるりと機体を反転させ、まるでそこから攻撃が来るのがわかっているかのように、
放たれたビームを手甲のビームシールドで受け止めた。
光が拡散し、ガンダムタイプと呼ばれるタイプの頭部が漆黒の中に浮き上がる。
『……いるのはわかっている。アシャ、出て来い』
数秒の間を置き、
『お見事です。最強兵士――いえ、シン・アスカ』
そういってベールを脱ぐように現われたのは、青を基調に塗り分けられたMSだった。
その全身は重厚で無骨な装甲で覆われており、たくましい手足、背中など各所からは長大なビーム砲の砲身がせり出している。
まるで、蒼い重戦車が人型になったかのような出で立ちだ。
目の前のモニターの向こうには、ヘルメットのバイザー越しに線の細い感じのする若者の姿が見えた。
『さきほどの攻撃は完璧な不意打ちでした。どうして避けれたのですか?』
『何もない空間から装甲越しに不自然な殺気を感じてな。何か来るのはわかりきっていた』
『それはそれは……素晴らしい。最強兵士の名は伊達ではないですね』
パチパチと無線の向こうで賞賛の意味合いがあろう、小さな拍手の音が聞こえた。
拍手をやめ、アシャはアブソリュートに向き直る。
何の用だ、とシンは口を開きかけたが――やめた。
『我々の元に戻ることはありませんか? シン。
せめて奪ったアブソリュートだけでも返還してもらえれば、命だけは取らないでおきますが』
獣をなだめる様に、やさしい声がした。
『断る。もう俺はお前たちの駒になる気はない。
それに、この機体はもともと俺のだ。奪ったんじゃない、取り返したんだ』
アブソリュート――正式名称『アブソリュート・デスティニー』の隻眼のカメラアイが強く灯った
『駒――ですって? もう少しで〈アムシャスプンタ〉の一員を目指せるような男が何を……。
それにディオキアで行った騎士団との戦いの後、あなたを死の淵から蘇らせたのは他でもない我々です。
恩を仇で返すつもりですか? 』
その一言にふと、シンは思いをはせた。
――あの時、ディオキアで確かに俺は死んだ。
そして体中がバラバラになった俺を『ヤツら』は洗脳を加えたうえで蘇らせて、手駒にした。
それからやってきたことは何だ?
無害なコロニーを襲い、地球の都市を蹂躙し、そして……
『俺が洗脳を受け入れたのは、一度は対立したお前たちのやることが力ない人々を救うと
心のどこかで信じていたからだ。 でも実際は違った。
自分に従わないもの、不利益なものをこの世から消滅させるなんて……神にでもなったつもりか』
アシャはその問いを待っていたかのように、大きく声を張り上げた。
『その通りです! 我々こそが、この腐りきった世界を支配する神なのです!
そしてあなたと僕もその一員!
素晴らしいじゃないか!? 最高じゃないか!? あぁぁ……』
蒼いMSは、まるで悦に浸るように肩を落とし巨大な指先をからませている。
その奇怪な姿は、神経を直にに機体にフィードバックするこの機体特有のシステムによる副産物であろう。
だが、恍惚の声を遮ってシンは力強く断言した。
『――アシャ。俺は人間だ。……神様なんてものに興味はない』
『……人間……? 人間ですって? ハハハッ!
単機で基地一つを消滅させられる戦闘力を持つあなたが『人間』ですって?
笑わせないでください。それにあなたの体ももう――』
『俺は人間だ。自分の娘の命すら守れない、ちっぽけな……人間だ!
たとえこの体がバラバラになっても、俺は貴様ら『クリエイター』を破壊すると決めた!』
その声は、深い後悔の色を含んでいた。
アブソリュートはたくましい腕を頭上まで振りかぶると、
復讐という感情に身を焦がし、怒りにまかせて拳を足場となっている小惑星に叩きつけた。
並の戦艦よりもはるかに大きい小惑星に大規模な振動と、とてつもなく大きなハンマーで叩いたようなヒビが走る。
まるで、交渉が決裂したことを表しているかのように。
『……わかりました』
アシャはふぅ、と嘆息した。
『どうやって洗脳を解いたかは知りませんが、あなたはどうしても神に逆らうというのですね?
そうですか。理解しました。承知しました。なら――』
アシャはレバーを倒し、蒼い機体を地面に這いつくばるように伏せさせ――
『死ね、神に逆らう裏切り者ぉぉぉぉ!!』
蒼い機体の砲身がすべてアブソリュートに向けられ、宇宙に閃光が走った。
迫りくる閃光の中で、赤い機体が跳躍したのはほぼ同時だった。
――小惑星帯において、戦闘が勃発した。
その光の嵐が吹き荒れるたび、一つ、また一つと岩塊が消え去っていく。
『どうしたんだよ? その程度なのか!?
お前は『クリエイター』の中でも最強なんだろ? 無敵なんだろ? 誰よりも強大なんだろぉぉぉ!?』
「ぐぅぅっ!!」
シンは機体を流線型を描きながら反転させた。
頭部のすぐ横をかすめた敵の灼熱の閃光が、その射線上のデブリを灼く。
シンは、初めて対峙する『アシャ』の戦闘力に苦戦していた。
機体を奪取する際、手持ち武器を取り逃したせいで内臓武器しか使用できないせいもあったが、
正確無比なアシャの操縦と、搭乗者と同じペットネームの高火力拠点制圧用MS『アシャ』の火力には
蘇生ともいえる大手術の際に肉体的な改造を施されたシンの動体視力を持ってしても、舌を巻く代物だった。
なにしろ新造戦艦の装甲を数秒で蒸発させてしまう威力のビームの驟雨が、絶えず襲いかかってくるのだ。
そう思考してる間に脇をかすめたビームが、新たにデブリをまた一つ融解させる。
『ホラホラホラァ!! 貴様のせいで……〈アムシャスプンタ〉の一員である私が、
いつも二番目の実力だと陰で叩かれた! 貴様のせいで! 貴様のせいでなぁぁぁぁぁぁ!』
――ひとつ、仕掛けるか。
人が変わったかのような形相で喚き散らすアシャの猛攻をいなしながら、シンは頭の中で一つ戦術を編み出した。
培われた戦士としての経験が、彼をつき動かす。
シンが手元のトリガー状のボタンを押すと、脇の下にのぞかせる様に構えたアブソリュートの掌から、太い光条が放たれた。
『!!』
だが、不意打ちだったそれはアシャの機体頭部アンテナの端を焦がした程度で、直撃とはほど遠いものであった。
『ハハハッ! やっぱりセンサーが曇ってるんじゃないか? やはり最強はこのわたs――』
その不快な声が、いきなり凍りついた。
アシャの機体めがけて、数多のデブリが背後からぶつかってきたからだ。
先ほどのシンの一撃はアシャを狙ったものではなく、その背後にあったデブリの塊を崩すために発射したものである。
ややあってにわかに切迫した声。
『チィッ!小賢しい真似を……!!』
宇宙を漂う鉄塊の嵐をやり過ごし、アシャが向き直る。
だがその視界から、アブソリュートの姿は消えうせていた。
『いない!? どこだ? どこにいる!』
辺りを見回しても、どこにもいない。
全身の毛穴から冷や汗が吹き出す。
「――お前の負けだ」
ハッ、とアシャは息をのんだ。
通信がした方向に頭部を向けると、モニターに映ったのは迫りくる30mはあろう巨大な岩塊――
アブソリュートが、他のMSとは一線を画する出力を誇るその体躯で『投げつけた』小惑星の破片だった。
『バ、バカなァァ! そんなことが――』
通信はそこで途切れた。
「殺せ……」
アシャは、自機のコクピットの中で吐血するように声を絞り出した。
コーディネーター特有の、その端正な顔は、屈辱の色を滲ませている。
自機はすでに片腕を失い、小惑星の上にアブソリュートがのしかかるような形で組み伏せられている。
『いや……俺は人の命を救うためにこの道を選んだ。ここでお前を殺せばその意味がなくなる』
「命を救う? ……ふざけた奴だ」
『よく言われる』
――コイツ……!!
「……無駄だ。どうせ組織には戻れない。貴様を屠らねば結局私が――」
そのとき、アシャは視界の隅に『ある物』を捉えた。
――輸送機だ。哨戒機も出していない。
それをまじまじとモニター越しに目視し確認した時、屈辱に歪んでいた表情が一転、
にぃぃ、と凄惨な笑みを浮かべた。
口元は大きく弧を描き、鋭い犬歯がその間から覗かせている。
アシャはかぼそい声で、言った。
「シン・アスカ。貴様は命を救うと言ったな?」
そういうや否や、アシャは自機の残った砲門すべてをあさっての方向に向ける。
――救えるものなら救ってみろ!!
『? お前何を――!! まさか……やめろ!!』
射線を追いアシャの意図に気付いたシンは、アブソリュートを飛翔させる。
その数コンマ遅れて、アシャは輸送機に向け全砲門から死の閃光を吐き出した。
――時間軸は冒頭に戻る――
『『で、出たァァァァァァァァァァァァ!!!!』』
通信機の向こうから、すさまじい音量の二人分の絶叫が聞こえた。
おそらく高速で接近している輸送機のパイロットだろう。
「すまない……っ!!」
シンはそう謝ると、輸送機の先端から下に回りこみその底部を『突き飛ばした』。
そのMSと対比させると、まるで巨岩のような大きさの機体は少ししか動じなかったが、
射線を外すには十分だった。
先ほどまで輸送機があった場所に太いビームが数条、走って行く。
輸送機が無事に全速力でその場から離脱するのを確認してシンは安堵の意味合いを持つため息をついた。
「よかった……間に合っ――」
その時、すさまじい衝撃が狭いコクピットを揺さぶった。
コックピットにある精密機器からは火花が散り、瞬く間に沈黙していく。
モニターの隅では『右腕部破損』の文字が点滅している。
アシャに狙い撃ちされたのだと、気づくのには遅すぎた。
『愚かだ……やはり、お前は最高の愚か者だ!! シン・アスカ! ハハハハハッ!!』
視界の隅、小惑星の上で勝ち誇っているアシャの高笑いが、やけに耳に障った。
――爆発。
片腕を失い、制御が困難になったアブソリュートは最後の力を振り絞った。
光の翼をはためかせ、その場にあった廃棄コロニーに堕ちて行く。
空洞上の建造物の、下へ……下へ……。
「ステラ……」
シンの意識も、深い闇へ堕ちて行った。
下へ……下へ……
――輸送機の中では操縦者二名が茫然自失していた。
『操縦席! 今の振動は!?』
若い戸惑いの声が、二人を現実に連れ戻す。
「ザラ坊ちゃん……悪魔ですよ。我々は悪魔を見たんです……」
『悪魔……? なんだそれは?』
「信じられない……MSが輸送機を持ちあげるなんて……」
操縦者はそんなことをつぶやき続け、『坊ちゃん』に怪訝な目で見られていた。
先ほどのすさまじい振動の余韻はまだ体に残っていた。そのせいだろう、体の震えが止まらない。
二人は、中世の吟遊詩人が歌う幻想の世界へと引きずり込まれたかのような気分ですらあったという。
【もうすぐ、ヘリオポリス2に到着します。これより着艦シーケンスに――】
妙にかん高い電子音が、目的地への到着を告げていた。