SEED DESTINY × ΖGUNDAM ~コズミック・イラの三人~ ◆1do3.D6Y/Bsc氏_第15話

Last-modified: 2013-10-30 (水) 02:54:13

 ミネルバに帰還したシャアは、重苦しい空気を感じていた。
 「あの……」
 セイバーを降りるとルナマリアが駆け寄ってきて、遠慮気味に声を掛けてきた。
 シャアは、ゆっくりと首を横に振った。
 「ハイネは、もう戻ってこない」
 言うと、「やっぱり、そうなんですか……」とルナマリアは肩を落とした。
 シャアは、先にモビルスーツデッキに戻っていたインパルスの方を見やった。インパル
スからはシンが降りていたが、友人のメカニック以外は気を使ってか、誰も近づこうとし
ない。
 そのシャアの目線に気付いて、ルナマリアもシンの方を見やった。シンは視線を下に
落とし、ヴィーノやヨウランの慰めにも答えずに覚束ない足取りで歩いていた。
 「シンは疲れている」
 ふと話しかけられて、ルナマリアはシャアの顔を見上げた。
 「君も、力になってやってくれ」
 シャアは目でルナマリアを促していた。ルナマリアは、「はい……」と小さく頷くと、躊躇
いながらもシンの所へと歩み寄っていった。
 シャアはその背中を見送りつつサングラスを掛け、一つため息をついた。
 「クワトロさん」
 立て続けに声を掛けられる。レイだ。
 「少し、よろしいですか? フリーダムのことで相談があるのですが」
 レイは真っ直ぐにシャアを見据えていた。悲嘆に暮れるミネルバにあって、レイの眼差
しだけは既に前を見ていた。
 「……分かった。着替えたら行くよ」
 シャアはそう応じて、モビルスーツデッキを後にした。
 
 
 スティングはカミーユを観察していた。
 アウルはまだ気付いていないだろう。感受性の高いステラは気付いているかもしれな
い。――カミーユは、記憶を取り戻したのではないだろうか。
 接している態度はそれまでと変わらないように映る。しかし、それは見せ掛けで、以前
と比べて安定したというか、言葉では表現できないような違和感を覚えた。何とはなしに、
雰囲気が変わったような気がしたのだ。
 我ながら情けない推論だとスティングは自嘲した。しかし、カミーユの不安定な言動が
鳴りを潜めたのは確かで、それが意味するのはやはり、記憶の回復ではないだろうかと
思った。
 恐れているのは、カミーユが何かを仕出かした場合である。例え記憶が戻ったのだとし
ても、今まで通りでいてくれるのなら良し。逆に、逆上して報復しようとするのなら、その
時は始末しなくてはならなくなる。それはスティングの本意ではない。ステラは勿論、アウ
ルとて表面上はカミーユを嫌って見せてはいるものの、内心では仲間意識を持っている
はずである。できれば、このまま何事もなく平穏無事に済んで欲しい――それが、偽らざ
るスティングの本音だった。
 スティングはタイミングを見計らい、カミーユと接触した。思い切って真相を問い質そうと
思ったのだ。カミーユは至って普通のナチュラルである。特殊な訓練を受けたエクステン
デッドであるスティングならば、何かあっても徒手空拳でどうとでもできる。
 カミーユは最初、神妙なスティングの態度を怪訝そうに見ていた。しかし、スティングが
躊躇い、言いよどんでいる間に何かを察したのか、不思議なことを言い出した。
 「分かってる」
 以前からカミーユは不思議と勘が良く、時々、心を見透かすかのような不思議な目をす
ることが間々あった。ステラは、そんなカミーユのミステリアスな部分に強く興味を抱き、
アウルもそのことには何とはなしに気付いていた。今、更にその色が濃くなったように感じ
られる。
 スティングはぶしつけに訊ねた。
 「お前は誰だ? 俺の知ってるカミーユか、それとも、知らねえ誰かか」
 「……どう、言えばいいんだろうな」
 カミーユは少し言いにくそうに答えた。
 「色々、思い出したんだ。僕はこの世界の人間じゃないし、だから、Ζもみんなのモビル
スーツとは違う。でも、みんなと一緒に戦ってきた記憶はある」
 スティングは話を聞きながら、当初のことを思い出していた。
 カミーユが“ゆりかご”による記憶操作を受ける前に、一通りの尋問は行われていた。そ
んな中、調査が進んでいく内にΖガンダムの驚異的な技術が判明し、一時は衝撃と興奮
に包まれた。しかし、Ζガンダムに使われている核融合炉を制御する技術の解析が困難
で、その複製がほぼ不可能であることが判明すると、次第に興味が失われ、持て余すよ
うになった。
 そして浮上したのが、Ζガンダムとカミーユの処遇の問題だった。得体の知れないカミ
ーユを、上層部は危険と判断するかもしれない。何と言っても、ファントムペインはロゴス
の直属である。カミーユが怨敵であるコーディネイターと同等と見なされれば、どんな下
命があるか分かったものではなかった。
 そこでネオは隙を見てカミーユの記憶を改竄し、早々と自軍の戦力に組み込み、上層
部が判断を下す前にカミーユの安全性を証明しようと手を打った。
 その後は改竄されたカミーユの記憶に合わせてスティングたちが振る舞い、今まで何と
かやってきた。だが、そんな付け焼刃の関係が、いつまでも続くわけがなかった。所詮、
始まりはネオの苦し紛れの温情でしかなかったのだから。
 ネオはお人好しな男であるとスティングは思う。いくら記憶を改竄しても、得体の知れな
いカミーユを自軍に組み込むなど、いつ爆発するかもしれない爆弾を抱え込むようなもの
だ。上層部に処理を任せていたら、カミーユが何をされていたか分からないにしてもである。
 しかし、人間とは分からないものだった。最初は面倒でしかなかったカミーユの存在が、
共に戦いを潜り抜ける中で、いつしか仲間と呼べる存在になっていった。
 これも、カミーユが持つ不思議な雰囲気の影響だろうか――
 (作為的な意図を感じるぜ……ネオ辺りのな……)
 スティングは目の前のカミーユに意識を戻した。
 「お前はベルリンから撤退する俺たちについて来た。じゃあ、これからも俺たちと一緒に
戦っていくのか?」
 「それは……」
 カミーユは言いよどんだ。少しでも翻意を示せば、すぐさま取り押さえなければならない。
 (大人しく従っとけ! そうすりゃ、お前は今まで通り俺たちとやっていけんだ……)
 高まる緊張。その緊張が伝わってしまったのか、カミーユは少し強張りながらも、しか
し、尚も強い意志を秘めた眼差しを変えなかった。
 「大佐次第だ。これから会ってくる」
 カミーユは背を向け、歩き出した。スティングは、その後姿に強い決意が秘められてい
るように見えた。
 「カミーユ!」
 咄嗟に声を掛けたスティングに応じて、カミーユは足を止めた。
 「俺たちは、お前のことを仲間だと思ってるぜ。アウルもあんなだけどよ、内心ではそう
思ってるはずだ。お前がいないと、ステラも寂しがるしな。ネオもそんなに悪い奴じゃねえ
し、いい結果が出ることを期待してるぜ」
 カミーユは顔を振り向けて、「ありがとう」と言ってまた歩き出した。
 スティングはそれを見送ると、「歯が浮くぜ」と自分で言ったことに照れた。
 
 対決の時。カミーユが考える選択肢は、二つあった。一つは、このままファントムペイ
ンの一員としてやっていくこと。そして、もう一つはミネルバのシャアと合流するという道
であるが――
 全てはネオ・ロアノークという人間次第であった。カミーユは、勝手に記憶を操作された
ことに対して、少なからずの憤りを覚えていた。そうするのがベストだったとしても、やは
りカミーユは許せないのである。奪われた記憶をだしに利用され続けた少女を知ってい
るだけに。
 「大佐!」
 強い調子でカミーユは入室した。だが、その時ネオは何かの文書に読み耽っていて、カ
ミーユが入ってきても軽く手を上げて応じるだけだった。早々に読み終わりはしたのだが、
どうにもお座成りにされている気がして、カミーユとしてはあまり気分がよろしくなかった。
 「丁度いいところに来てくれたな」
 ネオはカミーユを見やると、僥倖とばかりに微笑んだ。カミーユはそれが鼻について、
「文句を言いに来るのを分かってて、ですか?」と詰るように聞いた。
 「何言ってんだ、お前? いいから、ちょっとこっち来い」
 ネオは、まだカミーユが記憶を取り戻したことに気付いていないらしい。それは無理か
らぬことなのだが、軽い態度のネオがどうにも鼻持ちならなかった。
 しかし、今ここで逆らっても取り押さえられるだけ。問い質してネオの真意を聞くまでの
辛抱だと割り切って、カミーユは大人しくネオの手招きに従った。
 ネオはその間に手元のコンソールパネルを弄って、ドアにロックを掛けた。
 (まさか、僕がやって来た理由に気付いて……?)
 カミーユは一寸、後方の出入り口を確認した。電動ドアだ。電気が通っている間は、ちょ
っとやそっとの人間の力では開かない。
 密室という空間が、否が応にも緊張感を高めた。自然と顔が強張った。
 しかしネオは、とぼけているのか、そんなカミーユの緊張した面持ちを怪訝そうに見なが
らも、徐に切り出した。
 「ベルリンではご苦労だったな。ところで、一つ頼みごとがあってな……これがちょっと
大きな声では言えないことなんだが――」
 「そ、そんなことより大佐!」
 カミーユは覚悟を決め、ネオの言葉を遮って思い切って声を荒げた。
 「な、何だよいきなり?」
 ネオは急なことに戸惑っていた。カミーユは機先を制するように、勢い込んで続けた。
 「大佐は、最初から僕を利用するつもりだったんですか!」
 「はあ?」
 「どういうつもりで僕の記憶に勝手してくれたのか、聞いてんです!」
 カミーユがデスクを力いっぱいに叩くと、書類の山が崩れて散乱した。
 それでネオは納得がいったのか、「ああ、なるほど」と気楽な感嘆を漏らしたが、すぐに
事の重大さに気付いたようで、途端に顔が引き攣った。
 「……あれ? お前、もしかして記憶が戻っちゃったりなんかしちゃったりしてる?」
 「戻りましたよ。戻ったから、こうして聞きに来たんじゃないですか!」
 「ちょ、ちょっと待て!」
 カミーユが拳を振り上げると、ネオは慌てて制止した。
 「悪かったとは思ってる。けど、ああでもしなきゃ、お前は何されてたか分かんなかった
んだぞ」
 「だからって、薬で眠らせている隙に記憶を弄る人がありますか!」
 「戻ったんだからいいじゃねえか」
 「そういう問題じゃないでしょ!」
 怒りの矛を収めようとしないカミーユに、ネオは愛想笑いを浮かべてお茶を濁すしかな
い。これは相当怒っているようだぞ、とネオは内心でどう切り抜けようかと考えを巡らせて
いた。
 ……結局、思いつかなかった。こうなったら力技である。ネオは姿勢を正し、威厳たっぷ
りに咳払いをした。
 「とにかくだ。無事、お前の記憶も戻ったわけだし、ここは一つ記念に私の頼みを」
 「何が記念ですか! 白々しい!」
 カミーユも馬鹿ではない。流石にごり押しは無理があったか、とネオは顔を顰める。
 しかし、だからと言って、言い含められるような言葉を持ち合わせているわけでもない。
かくなる上は、もう開き直るしか手は無いと観念した。
 「じゃあ、お前はどうしたいんだ?」
 だが、その開き直りが効を奏した。ネオが聞くと、カミーユは突然、言いよどんでしまっ
たのである。
 ネオはそれを見て、すぐに閃いた。
 カミーユは迷っている。ネオに文句を言いたい気持ちはあっても、本気でファントムペ
インを抜けたいと思っているわけではないのだ。
 (いや、違うな。この様子は、ステラたちに思い入れが出来てしまったと見える。なら…
…)
 そうと分かれば、正に僥倖。主導権はネオのものだった。
 ネオは、リラックスした様子で椅子の背もたれに身体を預けた。カミーユの腹が読めた
上での余裕である。
 その余裕が癇に障ったのか、カミーユは苦虫を噛み潰したような顔をして暫し沈黙した。
そして、悔しそうにしながらも、先ほどよりも控えめのトーンで徐に話し始めた。
 「……大佐の出方次第では、ミネルバに行ってクワトロ大尉と合流します」
 「俺が簡単に行かせると思うか?」
 「そりゃあ――」
 「それに、あんなことがあって、今さらミネルバがお前を受け入れると思うか? お前は、
奴らの面子を潰したんだぜ?」
 確かにネオの言うとおりだった。あの交渉の場で、一方的にステラを奪還するという暴
挙に及んだ。シャアはカミーユを信頼して交渉を持ちかけたはずである。それを、記憶が
戻りかけていながら、見事に裏切って見せた。そんな自分が今さら、完全に記憶が戻っ
たからといって都合よく受け入れられるとは思わなかった。
 カミーユの惑いは、ネオの思う壺であった。その純粋さは羨望に値する美点だとは思っ
たが、ネオはあえてそこにつけ込んだ。
 「お前が俺に対して疑いを持つ気持ちは分かる。勝手に記憶を書き換えられたんだ。俺
を信用できないのも、無理からぬ話だ」
 「当たり前です」
 きっぱりと言い切るカミーユに、「そりゃあ困ったな」とネオは肩を竦めた。
 「上司を信頼できない部下がいるようでは、部隊の士気に関わる。本来なら営倉にでも
ぶち込むところなんだが、しかし、俺にも落ち度があることは確かだ。――さてどうしたも
んかそうだじゃあこうしよう」
 わざとらしいネオの言い回しに、カミーユは戸惑いと苛立ちを募らせた。こっちは至って
真面目なのに、ネオの言い回しがからかっているように聞こえた。
 しかし、次に飛び出してきた言葉には、心底から驚かされた。
 「いっそのこと、オーブにでも亡命してみるかい?」
 「……はあ?」
 ネオが何を言っているのか、分からなかった。ネオは、果たして何を考えているのだろ
うか。仮面で隠された表情からは、今一つ、読み取れない。
 ネオはカミーユの反応を内心でほくそ笑みつつ、言葉を繋げた。
 「今しがた、解読が終わった。――お前とスティング、それにアウルとステラの四名を亡
命者として受け入れてもらえるようにな」
 ネオは先ほどまで読み耽っていたコピー用紙をひらひらと見せながら言った。カミーユ
はその用紙を受け取って、ざっとその内容を流し読みした。そこには、確かにネオの語っ
た内容のことが記されていて、文章の最後にはユウナ・ロマ・セイランの名前も記されて
いた。
 「これって……!」
 「現在のオーブは元首が空位の状態で、実権は宰相のウナト・エマ・セイランが握って
いる。その息子のユウナ・ロマに、約束を取り付けた。坊ちゃん気質の策略家だが、オー
ブの利益になることに関しては素直な人物だ。その点では信用していいだろう。奴さん、
最新式の核融合炉を搭載したモビルスーツを手土産に持たせるって言ったら、二つ返事
でOKしてくれたよ。ちょろいもんだぜ。どうせ複製なんかできっこねえのによ」
 得意気に語るが、饒舌なネオがカミーユはまだ胡散臭く感じていた。勝手に他人の記
憶を弄るような人物が、このようなことを考え付くはずが無いと勘繰っていた。
 「何故、そんなことを?」
 しかし、当然の疑問をぶつけた途端、ネオは急に神妙な面持ちになって、深いため息を
ついた。それまでの軽い調子から一転、酷く疲れたような、老成したため息だった。
 「今回の作戦で嫌になった――って言うのかな」
 そう切り出したネオの声色は、疲れ切っていた。
 「軍人としちゃ、失格だろうがな。だが、フリーダムの予想外の行動が無ければ、俺は危
うくステラやお前たちを見殺しにするところだった」
 後退命令が出されたのは、カミーユたちがまだ前線でデストロイを守っている最中のこ
とだった。ネオはベルリンの攻略が困難になったと見ると、参謀の意見を聞き入れ、全軍
の撤退を止む無く指示した。それは、カミーユたちが前線で取り残されていると知った上
での判断だった。
 ネオは、内心ではカミーユたちの全滅を覚悟していた。その上で、どのようにケジメを付
けて償うべきかも考えていた。だから、全員が戻った時には心底から安堵したし、同時に
現状に対しての限界も感じていた。
 そんな時、ふと頼ったのがユウナだった。ユウナは如何わしい人物ではあるが、少なく
とも道義心は持ち合わせていた。ネオはそこに縋り、Ζガンダムの核融合炉をだしに、亡
命者受け入れの確約を取り付けた。
 「ジブリールは、お前たちのことを兵器の一パーツ程度にしか考えていない。このまま
では、今度はスティングやアウルまでも同じような目に遭わされる。俺は、それが我慢な
らないんだ」
 カミーユはつらつらと語るネオの話を聞いていて、何故こんな人がファントムペインの
指揮官なんかをやっているのだろうかと、単純に疑問に思った。
 「だったら、そんな人が何で自分も逃げようと考えないんです?」
 ネオが本気で現状に嫌気が差したなら、自らも脱走しようと考えるはずだと思った。そ
れが道理だと思ったのだ。
 「それは違うぜ、カミーユ」
 しかし、ネオの考える道理は違った。
 「お前たちのケツを持つのが俺の役目だ。俺まで脱走しちまったら、俺以外の誰かが責
任を負わなきゃならなくなる。そりゃあ、筋違いってもんだろ」
 そう言って、ネオは小さく苦笑いをした。
 カミーユに、もうネオに対する不信感は無かった。これ以上の追及をする必要も無い。
記憶を改竄されたことも許そうと思った。ネオは信頼できる――そう思えるようになったの
である。
 「大佐の考えは、間違いじゃないと思います」
 カミーユが何気なく言うと、「小僧が生意気な口を利くんじゃないよ!」とネオに小突か
れた。
 「はい!」
 カミーユは素直に返事をした。
 
 
 フリーダムの整備に一区切り付け、キラはダイニングで遅めの夕食を取っていた。
 空腹を感じないのは、インパルスのパイロットに言われたことが気になっているからだ
ろうか。キラは軽めの食事にとキツネうどんを選んだのだが、それでも箸が進まなかった。
 「どうした。進んでないじゃないか」
 そう言いながら不意に隣に腰掛けてきたのは、カガリだった。
 「お前はちゃんと食べないと駄目なんだからな。パイロットは身体が資本なんだから」
 カガリは言いながら、丼を片手に海鮮丼を豪快にかき込んでいた。
 「私なんか、パイロットでもないのに二杯目だぞ。ブリッジの仕事をするだけでも結構
大変なんだから、お前はもっとしっかり食べなきゃ駄目だ」
 「それはそうだけど……食べ過ぎじゃない? 太るよ、カガリ?」
 指摘した途端、カガリは丼を置き、その手でキラの頬を抓ってきた。
 「い、いひゃいよ、カガリ!」
 「うら若き淑女に向かって何てことを言うんだ! このっ、弟の癖に、弟の癖に!」
 「淑女はこんな乱暴はしないし、丼を二杯も平らげたりはしないよ! それに、カガリが
姉だって決まったわけでもないじゃない!」
 カガリはキラの頬を千切るように放すと、箸を向けてきた。
 「とにかく食え。ベルリンの戦いが終わってから休む暇も無かったんだから、食える時
にしっかり食っとかなきゃ」
 「そうなんだけどね……」
 キラは痛みの残る右の頬を擦りながら、歯切れの悪い返事をした。
 実際、何かに勤しんでいた方が、身体はきつかったが、考え事をしなくて済む分、気は
楽だった。
 (彼は、二年前にオーブにいたって言ってた……)
 キラは、ふとカガリを窺った。カガリは何事も無かったかのように丼飯をかき込んでいる。
そのおいしそうに食べている姿に触発されたのか、急に空腹感が襲ってきた。
 キラは箸を持ち、丸呑みをするようにうどんを啜って、一気に汁まで飲み干した。ずしっ
とした重みが、胃を圧迫するように感じた。そして、景気をつけるように立て続けに水も飲
み干して、改めてカガリに向き直った。
 「カガリ、ちょっと聞いてもいいかな?」
 「何だ?」
 流石に二杯目はきつかったのか、カガリは三分の二ほど食べたところで箸を休めてい
た。味に飽きたのかもしれないな、とキラは思った。
 「二年前に連合がオーブに侵攻した時に、焼け出された難民がプラントに流れたことは
聞いたけど……」
 キラがその話を始めると、カガリの表情もそれに合わせるように神妙になった。
 「その中に、ザフトに入隊したって人はいるの?」
 そう訊ねると、カガリは徐に箸を丼の上に置いた。
 「シン・アスカと話したのか……」
 「シン・アスカ……それがインパルスの……」
 カガリは小さくため息をついた。
 「アイツは、理不尽に突きつけられた家族の死という現実に対して、今も苦しみ続けて
いる。それは、私やお父様のせいなのかもしれない」
 「カガリ……」
 「私は、どこか慢心していたのかもな。お父様の決断は正しい。話せば、きっと分かっ
てくれる……でも、そんなのは私の勝手な希望で、期待しちゃいけないことだったんだ。
私は、もっとアイツと正面から向き合わなきゃいけない。本当のオーブの元首として。…
…最近、強くそう思うんだ」
 カガリは言葉を切ると、コップの水を飲み干した。少し強めに置かれたコップが、タンッ
と乾いた音を響かせた。カガリの眼差しは真っ直ぐで、とても澄んでいた。キラは、そうい
うカガリはほっぺにお弁当を付けていても美しいものなのだと感じた。
 「彼は……シンは――」
 キラはカガリから目を転じ、壁掛け時計に目をやった。針は未来へと時を刻み続けてい
る。それを反対に回せたなら、とキラは思う。
 「家族が死んだ時、僕がその上で戦っていたらしいんだ」
 「キラ……けど、それは――」
 カガリは咄嗟に咎めかけて、眉を顰めた。キラはカガリが言いたいことを察して、「分か
ってる」と頷いた。
 「彼からその話を聞かされた時、二年前に僕が戦ったのは何のためだったんだろうって
思ったんだ。でも、人ってどんなに頑張ったって、結局は自分のできる範囲のことしかで
きないから。時間は元には戻せないし、人を生き返らせるなんてこともできない。それが
できるのは、神様だけだと思う。だから、僕は一人の人間として、今やらなくちゃいけない
ことを精一杯にやっていくよ。その中で、彼に報いる方法を探していくしかない……って、
カガリを見てたら思ったんだ」
 キラはそう言って、照れ臭そうに笑った。
 「キラ……」
 カガリは優しげにキラを呼ぶと、その肩に左腕を回した。突然のことにドキッとさせられ
て、キラは少しだけ身を強張らせた。
 「頑張れ。応援してる」
 キラはハッとなって、カガリを見た。
 「どんな時でも、私はお前の味方だ」
 少し顔を俯けていて、前髪が目元に掛かっていた。その下に隠れている金色の瞳は、そ
の同じ黄金色の髪に透けてキラを見つめていた。金色だからといって、眩いわけではない。
しかし、目を細めたくなるほどに綺麗だった。
 「私たちは、血の繋がった唯一の姉弟なんだから……」
 「カガリ……」
 カガリの言葉と声は、親愛に溢れていた。キラは、その優しさに温もりを感じた。キラも、
同じようにカガリの肩に右腕を回して、二人で肩を組んだ。
 「……カガリもね」
 カガリは、本当に姉なのかもしれないな、とキラは思った。
 
 
 手早く着替えを済ませて、シャアはシンとレイのシェアルームに向かった。呼び鈴を鳴
らしてドアを開くと、「お待ちしてました」とレイが出迎えた。部屋の中はレイが一人だけで、
シンはまだ戻っていないようであった。
 「こちらにお願いします」
 そう促されて、シャアはコンピューターデスクへと足を運んだ。レイが椅子に腰掛けて、
慣れた手つきでキーボードを叩き、データを呼び出した。シャアがそれを後ろから覗き込
む。
 「これは、これまでのフリーダムの戦闘データを纏めたものです」
 そう言ってシャアに提示した画面には、ダーダネルス海峡での戦いから今日のベルリン
での戦闘までのフリーダムのデータや録画が事細かに表示されていた。
 「仕事が早いな。それに、よくできてるじゃないか」
 「ありがとうございます」
 賛辞を送るシャアにも、レイはそれほど気が無いような返事をする。ただ見せびらかした
いわけではないらしい。
 「俺は、クレタの時に少しだけフリーダムと接触しました。結果は惨敗だったのですが―
―」
 レイは話しながらキーボードを叩き、次々とフリーダムのデータをシャアに示していった。
 「奴の狙いには、一定の法則があるのです」
 「腕や脚、頭など、致命傷にならない部位だけを狙うと言うのだろう?」
 すかさずシャアが答えると、「その通りです」とレイは頷いた。
 「フリーダムは基本的に、パイロットを直接殺すような戦法は取りません。モビルスーツ
から戦闘能力だけを奪うのです」
 レイはモビルスーツのグラフィックモデルを呼び出して、各部位にこれまでフリーダムが
狙った箇所の割合を表示させた。直接武器を持つことが多い右腕部にやや偏りが見られ
るものの、その他の部位に関しては概ね均等に割合が分配されている。
 「この部分の1,1%というのは例外ですが――」
 レイは胴体部の数字を指し示して、前置くように言葉を挟んだ。それがハイネの受けた
分だということは、言うまでも無かった。
 「俺は、ここに打倒フリーダムの突破口があると考えます」
 レイはそう言うと、回転椅子を回してシャアに向き直った。
 見上げる視線には、鋭さがある。それが、単にハイネの弔いのためだけではないと思え
たのは、果たして考え過ぎだろうかとシャアは思った。レイは、シンとは違う次元でフリー
ダムに執着しているように感じられた。
 「フリーダムは、正式にプラントの敵と認定されたのだったな?」
 シャアは、含みのあるような言い方でレイの様子を窺った。しかし、レイは水を向けられ
ても表面上に反応を見せるようなことはしなかった。
 「……で、その突破口とやらは?」
 シャアが改めて聞くと、「ある程度の見当はついていますが……」と言いつつも、その詳
細をすぐには語らなかった。
 「その前に、このデータを見たクワトロさんの見解をお伺いしたいのです」
 「私に?」
 シャアが聞き返すと、「そうです」とレイは言って、再び画面に向かった。
 「あなたは赤服と同じ待遇を受けていて、立場上は俺たちと同等ですが、経験では遥か
に上です。それに、戦術眼もしっかりしていらっしゃる。そのあなたの見解を聞いて、俺の
考えの正否を確かめたいのです」
 「なるほど……」
 同等の立場であるレイの意見を先に聞けば、まだ多少の遠慮があるシャアは忌憚の無
い意見を言わないとレイは思っているのである。そして、それは正解であり、打倒フリーダ
ムの決意がなまじのものではないことを表していた。
 (やはり、レイはフリーダムに強い執着がある……)
 シャアはそう推測しながらも、背筋を伸ばして顎に手を添え、考えを巡らせた。
 レイが、その様子をジッと見守る。少しして、シャアは顎から手を放し、「インパルスだな」
と言った。
 「やはり……」
 レイはそう呟いて、画面に目を戻した。その反応を見て、レイも同じことを考えていたの
だな、とシャアもパソコンの画面に目をやった。
 「フリーダムがこの戦法で来るのなら、チェストとレッグのパーツを分離、合体できるイン
パルスの強みを最大限に発揮できる」
 「はい。シンは、今やフリーダムと肩を並べるほどの力を身に付けつつあります。しかし、
依然として機体性能差はあり、そうなるとミネルバの同時運用を考えなければなりません」
 「アークエンジェルは私が抑えるよ」
 シャアは、レイの懸念を先取りするように言った。レイは、そのシャアの自信過剰とも取
れるような言葉に頼もしさを感じていた。
 (ギルと同じ声なだけある。だが……)
 そう思っていながらも、レイはデュランダルとシャアの区別はついていた。
 (この人には、どこか怖いと感じさせられるものがある……)
 それが二人の決定的な違いであり、レイの実感であった。
 レイはもう一度シャアを見上げて、「問題は、パイロットであるシンのケアが次の作戦ま
でに間に合うかどうかです」と告げた。
 「シンは、メンタルに実力が左右される傾向があります」
 シャアは口を真一文字に結んでパソコンの画面に見入っていた。目元を隠すサングラ
スに画面の光が反射して、まるでサイボーグのような印象を受ける表情をしていた。
 (シンのことには興味が無いのか……?)
 そう頭の中で腹を立てていると、シャアは徐にレイを見やって、柔らかく微笑んだ。その
微笑が作り物のように見えて、レイは余計にデュランダルとの乖離を感じた。
 「シンに関しては、ルナマリアがどうにかしてくれるのを期待したいな」
 「ルナ……ですか?」
 思いがけない発言に、レイは思わず問い返していた。
 「ベッドの上と同じだよ。女の愛撫で、男は奮い立つものさ」
 シャアは同意を求めるように言ったが、レイは「はあ……」と生返事をするのが関の山だ
った。
 (見た目の割りに、品の無いことを言う……)
 レイは内心で毒づきながら、「シンとルナは、そういう関係なのですか?」と聞いた。する
と、シャアは笑って「だから、これからそうなるのを期待するのさ」と放言した。
 (全く……)
 レイは、何とはなしにうんざりした気分になって、そそくさとパソコンの画面を閉じた。
 「ありがとうございます。とりあえず、この作戦を煮詰めてシンに提案しようと思います」
 レイは、意識的に無機質なトーンでシャアに言った。だが、シャアは「うん。後は訓練次
第だと思うが――」と、辟易としているレイの気分にもまるで無頓着であるようだった。
 (俺が普段から抑揚の無い話し方をしているせいなのか……?)
 レイは、シャアが鋭いのか鈍いのか、分からなくなった。
 
 その後、レイはフリーダム攻略のための作戦をまとめ、それをシンに伝えるためにミネ
ルバ内を探しに回った。シンを見つけたのは展望デッキで、そこにはルナマリアも一緒だ
った。
 シンとルナマリアは並び立って鉄柵に寄り掛かっていた。入り口からその様子を窺って
いたレイは、その二人の雰囲気に、何とはなしに近寄りがたい空気を感じて、その場は声
を掛けずに立ち去った。
 (クワトロ・バジーナの無責任な期待が現実になろうとしている……?)
 男女間の機微が分からないのは、レイがまだ青いからさ――意表を突かれている自身
の胸の内を知られたら、きっとデュランダルからそんなことを言われるのだろうな、とレイ
は思った。
 レイはシンが一人でいるタイミングを見計らい、フリーダム攻略のプランを提示した。シ
ンはその作戦に強い関心を示し、早速特訓を開始することになった。
 
 ハイネの死から、まだ間もない。シンは、それを忘れるかのように一心不乱にシミュレー
ター訓練に打ち込んだ。それはハイネの弔いを終え、ジブラルタル基地に帰還してからも、
寝る間も惜しんで続けられた。
 
 そして、世界情勢が大きな変革を迎えたのは、その頃だった。
 
 デュランダルが地球圏全域に向けて繰り広げた大演説は、過日のモスクワから端を発
した東ヨーロッパにおける一連の戦闘を糾弾する内容だった。デュランダルの演説に乗せ
て使用される映像には主に戦闘記録が用いられ、街を破壊するデストロイの姿や街を占
拠する連合軍の様子が、恣意的に編集されて流されていた。
 ミネルバでもその演説の模様は放映され、ラウンジは大画面の前に詰め掛けたクルー
でごった返していた。
 「我々はこの残虐な行為に対し、敢然と立ち向かったのであります!」
 デュランダルは声高らかにそう謳い、聴衆に向けて強く訴えかけていた。
 だが、その映像には一つ、違和感がある。シャアはそのことに気付いて、デュランダル
の腹の黒さを推した。
 「変ねえ? フリーダムとかアークエンジェルが一度も映らないわ」
 近くで視聴していたルナマリアが、首を傾げて訝っていた。その隣で一緒に視聴してい
たメイリンも、姉よりも先に気付いていたらしく「そうよね、変よね」と同調していた。
 「おかしくないですか?」
 ルナマリアはシャアに振り返り、同意を求めてきた。
 「良くも悪くもあんなに目立っていたフリーダムが、全然映らないなんて」
 メイリンも釣られるようにして振り返り、シャアの答えに注目していた。
 シャアは一旦、画面からホーク姉妹へと目を転じた。そして、「フリーダムがベルリンで
何をしたかが問題だな」と切り出した。
 「それって、アレを倒した手柄をザフトが独り占めするのと同時に、その後にフリーダム
から受けた失態を隠蔽しようとしてるってことですか?」
 ルナマリアは流石に声を潜めて言った。シャアは頷き、「そういうことだ」と答えた。
 「余計なものは映さない。プロパガンダというものは、そういうものさ」
 「……そういうものなんでしょうか」
 シャアの解説に、メイリンは上手く納得がいっていない様子だった。ハマーンを知ってい
るシャアにしてみれば、そのメイリンの潔癖さは妙に幼く感じられた。
 「――それは違いますよ」
 その時、不意に背後から声が掛かって、シャアは咄嗟に振り返っていた。そこにはシン
が立っていて、その傍らにはレイの姿もあった。訓練に没頭していたからだろう。二人は
遅れてラウンジにやって来たようだった。
 二人とも、碌に休息もとらずに訓練に明け暮れているらしく、目の周りに隈が出来て黒
ずんでいた。シャワーもあまり浴びていないのだろう。髪は油でギトギトになり、ボサボサ
にとっ散らかっていて、一寸、ツンと鼻を突くような異臭がした。
 デュランダルの演説は、間断なく続けられている。
 「彼らは、同胞であるナチュラルに対しても、プラントに少しでも好意的な態度を見せれ
ば、躊躇い無くその手に掛け、見せしめにする!」
 弁を振るうほどに熱を帯びていく力強さには、自然と聴衆を惹き付ける力がある。その
力強さに気を引かれ、シャアは一旦、大画面へと目を戻した。
 自分と同じ声をした男が、全世界に向けて堂々と強弁を振るう。それは、シャアにとって
些かの気恥ずかしさを感じさせるものだった。ふと、演説をするデュランダルと自分を重
ねてしまった時、道化の自分が思い浮かんだ。それは、悩ましい想像だった。
 シャアはその悩ましさから逃れるように、再びシンに目を向けた。シンはくたくたの様子
でデュランダルの演説を聞いていたが、シャアの視線に気付くと、途端にキッとした力強
い眼差しを向けてきた。
 疲れ切っていても、紅い瞳にはギラついた貪欲な輝きがある。その貪欲さが、シンをボ
ロボロになるまで追い込んでいるのだろうな、とシャアは思った。
 「――何が、違うのかな?」
 演説が続く中、シャアは、ふと思い出したように問い掛けた。その声に気付いて、ルナマ
リア、メイリン、レイも次いでシンに目を向けた。
 「フリーダムは俺が倒すからです」
 シンはシャアをジッと見据えたまま、そう答えた。
 「これから消える存在を、わざわざ映す必要なんか無いでしょ」
 「アンタ、それ本気で言ってんの?」
 シンの強気な発言に、ルナマリアが思わず口を挟んだ。しかし、シンは相手にしない。
 「レイが考えてくれた作戦プランなら、必ずフリーダムを倒せる……俺は、そう確信して
ます」
 シンはそう言い切ったが、「けど……」と言葉を継いだ。
 「俺一人だけじゃ勝てない。アンタの助けも必要になる。だから……」
 シンの眼差しの鋭さは変わらない。しかし、その言葉から、シャアはシンが少し変わっ
たような印象を受けた。フリーダムへの拘り方が変わった――そんな感じがした。
 シャアは、ふとシンに訊ねた。
 「シン、一つ聞きたい。君は、何のためにフリーダムを倒そうとしている?」
 「俺がザフトだからです」
 シンは即答した。
 「フリーダムは、正式に敵になったんです。なら、それを倒すのが俺の使命です」
 シンの答えに、淀みは無かった。
 その時だった。演説を続けていたデュランダルが、更に一段階トーンを上げた。
 「――故に、彼らロゴスこそが戦争を煽り、長期化させている病理なのです!」
 同時に画面が切り替わり、ロゴスのメンバーの顔写真の一覧とプロフィール、それに所
在地の情報などが表示された。
 「彼らは戦争を利用し、暴利をむさぼって私腹を肥やすことしか頭に無い! それも経
済活動の一側面でしょうが、しかし、彼らは異常なのです! 金儲けのためなら、人が何
人死のうが構わないと思っている! その最たる例が、先日のモスクワ、ワルシャワ、ベ
ルリンなのです! そして、彼らが存在する限り、戦争は影で彼らの都合のいいように操
られ、永遠に繰り返されていくのです! つまり、彼らを打倒しない限り、我々に真の平和
が訪れることは永久に無いのです!」
 デュランダルは大袈裟に身振り手振りを交えて謳った。
 「私は、平和を志す者として、ナチュラルとコーディネイターの垣根を越え、地球の方々
に共闘を申し入れたい! 平和を希求する気持ちは、本来、人類全てが共有する不変の
価値であり、私はそれを信じております! 世界が正常であるために、不自然に争いを助
長する存在を許しておいてはならない! ですから――……!」
 デュランダルの演説は続いていたが、シャアはシンへと目を戻した。レイ、ルナマリア、
メイリンはまだ画面に見入っていたが、シンはシャアに気付いて目を合わせてきた。
 「作戦通りにやれば、フリーダムには勝てます。でも、俺にはまだそれをやれるだけの
実力が伴ってない」
 シンはそう言うと、やおら頭を下げてきた。
 「アナタを見込んで、お願いします。俺の訓練に付き合ってください」
 突然のことに、シャアは少なからず驚かされていた。こんな殊勝な態度を取る少年が、
本当にあの癇の強いシン・アスカなのかと。
 「アンタなら、俺に足りないものが何なのか、分かるはずだ」
 「実は最近、煮詰まっていたんです」
 レイが付け加えるように言う。
 「そこで、経験が豊富で実力も確かなクワトロさんにアドバイザーをお願いしようと」
 「そうなのか」
 シャアはシンの肩を叩いて、頭を上げさせた。
 シンは顔を上げると、尚もシャアに期待の眼差しを向けた。寝不足と疲労で酷い顔をし
ているが、目にだけは力が宿っていた。その瞳がいやに純粋で、シンは本来、心根の素
直な少年だったのだろうなと想像させられた。
 「……分かった」
 シャアはそう答えて、微笑を浮かべた。
 「どこまで力になれるか分からんが、少しでも君の役に立てるなら、協力することにや
ぶさかではない」
 「じゃあ――」
 しかし、了承を得られて気が逸るシンを、「その前に」と言ってシャアは制した。
 「君はまず、休息を取る必要がある。体調を整えるのも、パイロットの重要な仕事だ。い
ざという時に戦えないのでは、話にならないのだからな」
 「でも――!」
 「休息を取らないと言うのなら、協力することはできんぞ?」
 シャアが勧告するとシンは反発しかけたが、口には出さずにそのまま言葉を飲み込ん
だ。
 素直な部分と癇の強い部分がせめぎ合っているのだろう。そんな暇は無い、と言いたげ
だったが、不満は態度に出すだけで、それ以上は控えていた。それは、大人の妥協と子
供の我侭が同居する、思春期の葛藤と似たような印象を受けた。
 (少年なのだな……)
 シャアはそう頭で呟いて、何を当たり前のことを考えているのだと思った。戦争の中の
兵士という姿がシンの実像を歪めて、見る者に錯覚を起こさせている。シャアは、一人前
の兵士として扱うのが前提ではあるが、シンの本質はまだ十六才の少年なのだというこ
とを忘れないで置こうと思った。
 「それに、根を詰め過ぎても、いい訓練は出来ない」
 シャアはそう付け足して、口をへの字に曲げるシンを宥めた。
 「騙されたと思って、年配の言うことを聞いてみるのも悪くないだろう」
 「はい、騙されます」
 それは、せめてもの抵抗だったのだろう。シンはゴネても無駄だと悟ったようで、そう言
い捨てて大人しく引き下がった。
 「あまり無理をさせないようにな」
 引き上げるシンに追随しようとするレイを咄嗟に呼び止めて、シャアはそう言い聞かせ
た。レイは黙って頷き、シンの後を追った。
 「全く、無理ばっかするんだから。加減ってものを知らないのよ、アイツ。バカなのよね」
 ルナマリアはシンがラウンジを出て行ったのを確認してから、愚痴っぽく言った。そうい
う風に毒を吐きながらも、何だかんだで心配になって、後でシンの所へ行くのだろうなと
シャアは思った。
 デュランダルの演説は、いつしか終わっていた。大画面はチャンネルが切り替わってい
て、各メディアがこぞって特別編成枠を設け、今しがたのデュランダルの演説に関する特
集を組んでいた。シャアはそれを横目で見やって、これから世界は変わっていくのだろう
と予感した。
 
 シャアの予感どおり、その後、世界の世論は大まかに二分された。すなわち、デュラン
ダルの意志に賛同した反ロゴス派と、ロゴスを支持するロゴス派の二つである。後者は大
西洋連邦が主体で、戦力もその強大な国力で相当数を備えていたが、勢力的には圧倒
的に前者の反ロゴス派が上回っていた。
 そして、やがて地球圏各地で反ロゴスを掲げた暴動が起こり始めた。国の方針でロゴス
のメンバーを逮捕する措置をとる一方で、暴徒と化した民衆がロゴスのメンバーの屋敷に
詰めかけ、惨殺する事態にまで発展する騒ぎも起こった。
 同時にロゴス関連企業株が連日のストップ安で大暴落を起こし、その影響は曖昧な噂
でロゴスと関連付けられた銘柄にも及んだ。世界の平均株価はものの数日で大幅に下が
り、危機感を煽られた投資家たちは資産の引き上げのために投機的な売りを仕掛け、平
均株価の下落に更に拍車を掛けた。当然、為替相場にもその影響は及んだ。主にロゴス
関連企業を多数抱えている国は、平均株価の下落に伴って通貨が次々と売られ、暴落。
一方、健全と目され、安全資産とされる通貨には買いが殺到し、瞬く間に暴騰して市場は
混乱した。
 これらを受けてロゴス派は、世界恐慌を引き起こした責任は全てデュランダルにあると
して激しく非難する内容の声明を発表し、事態の沈静化に腐心した。しかし、革命という
アルコールに酔った民衆の耳には届かず、その時代の大きな潮流は最早、止められな
い領域にまで達していた。地球圏は、混迷を極めつつあった。
 デュランダルは、この混迷を変革のための痛みであると捉えていた。後世の歴史家か
らは、結果論的に今のこの状況を揶揄されたり批判されたりするだろうが、それは甘んじ
て受ける覚悟だった。暴君と誹られようが愚者と罵られようが、とにかく誰かが時代を動
かすきっかけを作らなくてはならなかった。デュランダルの、命を賭した大勝負だった。
 
 反ロゴスの大きなうねりは、パンデミックするように世界全体に拡がっていく。そんな中、
密かに一つの作戦が実行されようとしていた。エンジェルダウン――ザフトによるアーク
エンジェル討伐ミッションであった。