SRW-SEED_ビアンSEED氏_第51話

Last-modified: 2013-12-26 (木) 22:10:11

ビアンSEED 第五十一話 戦場で少年は何をか思う?

 
 

 黒く見える程に折り重なった緑の密林を、一際熱い風が吹き抜けた。
 濁った水の流れる川の水面を撫で、幾度も踏み締められて固まった大地はさらさらと土埃を巻き起こす。
 幾万、幾億もの生物の息吹を乗せた風は顔をそむけても仕方がないほどの獣の匂いを孕んでいたが、ソコに辿り着いた時には『風』以外のすべてを不純なものと見なしたのか、何もなかった。
 ただ、清らかすぎるほどに透明な風が吹き込んだだけであった。
 真白い壁が四方を覆い、開け放たれた窓から入り込む風に、レースのカーテンがふわりふわりと舞っている。
 頬を撫でた風に、病室の主は心地よさを感じたのか動かしていた手を止めて、ほんの少しだけ風のはいりこんできた窓の外の風景を眺めた。
 ベッドの傍らには色とりどりの花が活けられた花瓶と水差しが一つ。花瓶に飾られた花の瑞々しさは、この病室を訪れる者が欠かさず花を持って見舞ってきている事を証明していた。
 病室だ。誰が見てもそう判断するだろう。不自然なまでに清潔に保たれた一室は、病んだ心と傷ついた体を癒す者の為にこそある。
 ならば、その部屋の主はもはや主たる資格を失っていた。
 破壊神ヴォルクルスと一体となった魔貴族ルオゾールの傀儡と化した、闇の魔装機神イズラフェールとの戦いでプラーナを使い果たし、二日に及ぶ眠りについていた風の精霊に選ばれし操者マサキ・アンドーである。
 目を覚ました直後は言葉をかわす事さえ覚束なかったマサキだが、更に休養を取った事で完全に体調を回復させ、病室を後にする準備を進めていた。
 それまで身に付けていた入院着から、ラフなジャケットと赤いシャツ、丈夫さだけが取り柄の安いジーンズに着替えている。
 生命エネルギーの一種であるプラーナの大量消費は、マサキの貌をわずかに憔悴させていたが、それも淡い影程度に名残を留めているに過ぎない。
 以前、ヤラファス島でサイフラッシュの連発によって疲労困憊して倒れた時には、テューディの粘膜の接触によるプラーナの補給があったが、今回のマサキの昏倒の場合においてはそれがない。
 テューディ自身にはそれを行う意思があったのだが、テューディ自身が既に疲労をため込んでいた状態にあった事を看破したフェイルらによって止められていた。
 ヴィガジらに供与されたスマゥグ、プラウニー、ジャメイムの調整。加えてCE技術とラングラン技術の高レベルでの融合機であるサイバスターやデュラクシール・レイ、更に開発段階であったザムジードを一手に引き受けていたのである。
 常人なら何度となく倒れかねない過密スケジュールをこなしていたテューディの疲労はほぼ限界といってよかった。
 これにはテューディ自身にも問題があった。テューディ自身は生後間もなく亡くなった死人である。
 それでもなお、同時に生まれた妹ウェンディの意識の奥深くに宿る事で魂の死を免れた経緯がある。
 テューディという人格は妹の肉体と精神の中で生き残ったが、テューディ自身の肉体は既に二十数年前に失われている。
 つまり、テューディは自分の意思で動かせる肉体を持った経験が極めて少ない。
 一時、妹ウェンディの肉体を奪い使っていた事や、募った怨念が実体となった事もあったがそれもごく限られた時間に限っての話だ。
 加えて今このCEの世界で得たような、自分自身の肉の体ではないのだ。
 故にテューディは、自分の肉体について知らない事が多い。
 たとえば、自分の体はどれだけ速く走れるのか。どれだけ高く飛べるのか。どれだけ痛みに耐えられるのか。どれだけ疲れを溜め込めるのか。
 テューディは、自分の肉体が疲労の限界を迎えている事に気付いていなかったのだ。
 そんな状態でマサキにプラーナを補給すれば、意識を失い数日間は目を覚ます事はなかったろう。
 フェイルらが止めたのは魔装機の本格的な整備が出来る数少ない人物であるテューディがそのような事態に陥ることを危惧したのと、テューディ自身の体を慮っての事だ。
 かような事情があってプラーナの補給が行われなかった為、マサキの完全回復はたっぷり一週間の休養の後の事であった。
 一刻も早く宇宙に上がり、行方の知れぬオウカやククルの消息を掴みたいマサキにとっては一日千秋の思いで待たねばならなかったが、当の自分が倒れてしまったのだからどうしようもない。
 病室を後にする準備などと言っても、着替えや見舞いの品として渡された週刊雑誌やら、家族には見せられない十八歳未満禁止系の雑誌をこっそりとバッグに詰める位だ。 ものの十数分でそれを終えたマサキは、事前にテューディに呼び出されていた場所へと向かった。
 現在南米独立軍が拠点としている港湾基地に、サイレント・ウルブズ用に用意された格納庫へとその足は向かっていた。
 まだ十五歳の少年に過ぎないマサキが、いつ攻め込んでくるかもしれぬ連合相手に、やや気色ばった基地の中をうろついていると何人かの兵士に訝しい顔をされたが、胸に留めてある特殊任務部隊である事を示すIDカードのお陰で余計な足止めを食う事は無かった。
 ただ、問題があるとすれば、まだ基地の中を歩き回るのが初めてのマサキにはテューディに指定された格納庫の正確な位置が分からない事。
 また、生来マサキが備える圧倒的な方向音痴の素質を、テューディが忘れていたか知らなかった事だろう。
 故に、何度目になるか分からないほど格納庫への道筋を訪ねたにもかかわらず、マサキは基地の中をひたすら歩きまわっていた。
 照りつける太陽は熱く、マサキの頬に焦りと暑さによって汗を流させている。

 

「やべえ、テューディの呼び出しに遅れちまう」

 

 左手にはめた時計に目をやり、余裕を持って出た筈が、テューディと約束した時間まであとわずかであると言う事を確認し、余計にマサキは焦りを募らせる。
 微妙に、初デートに遅れそうで焦っている中学生めいている。実際マサキの年齢相応ではあるが。
 こんな事なら迎えに来てもらった方が良かったか? 心の片隅で少々情けない考えを浮かべはじめた時、神が救いの手を伸ばしてくれた。

 

「よう、迷子か?」

 

 陽気な声が、マサキの背に掛けられた。振り向けば、そこには若く見積もって二十代後半か三十代はじめ頃の男が立っていた。
 DCのではなく、南アメリカ共和国軍の軍服を着ているから連合から離反した軍人であろうと推察できる。
 先日、大地の魔装機神ザムジードの操者となったリカルド・シルベイラ中尉である。
 やや軽薄な笑みを浮かべ、こちらを振り返ったマサキに一歩二歩と歩み寄り、足を止めた。
 マサキは、これは天の助けとばかりに、リカルドに道を聞く事に――いや、恥を忍んで道案内を頼む事に決めた。
 これ以上は本当に間に合わなくなってしまう。聞かぬは一生の恥、聞くは一時の恥と、どこかの誰かも言っていたという事だし。

 

「ああ、悪いんだけど、九番格納庫の場所を教えてくれねえか?」
「いいぜ。なんなら道案内してやるよ」
「本当か? 助かった。恩に着るぜ」

 

 とリカルドの方から道案内を切りだしてくれた事に内心で安堵する。
 『向こう側』で出会った頃とそう変わりの無いマサキの姿と、迷子になって困っていたという事情に、リカルドが小さく苦笑する。

 

「こっちのマサキも方向音痴か」
「なんか言ったか?」
「いんや。おれはリカルド・シルベイラだ。お前は?」
「マサキ・アンドーだ。サイレント・ウルブズに一応所属してる」

 

 差し出されたリカルドの手を握り返しながら、マサキは自分の名前と所属を告げる。
 後半部分において言葉に翳りを帯びていたのは、やはり自分が軍属である事を認めるのに多少なりとも抵抗があったからであろう。

 

「へえ、DCのエリート部隊だろう? 若いのに大したもんだ。コーディネイターか?」
「いや、おれはナチュラルだ。ちょっと事情があってよ」
「聞かれたくない事情って奴か。まあ、そんな野暮な事はしないから気にすんな。おれみたいないい男にも秘密の一つ二つはあるからな」
「自分で良い男なんて言うか? 普通」
「普通の良い男と同じだと思うなって事さ」

 

 リカルドの軽口に呆れた声を出すマサキを尻目に、リカルドはマサキの目指す目的地への道案内をはじめ、マサキも大人しくそれに続いた。

 

「しかし、御苦労さまだな。ソロモン諸島から南アメリカ大陸まで結構な長旅だったろう?」
「別に、ただ船に乗っていただけだったからな。パトロールとシミュレーションくらいしかやる事無かったぜ」
「そうか。おれ達はずっと前線に出ずっぱりだったな。連合が宇宙に目を向けているおかげで地上にゃ大した戦力が残ってないって言っても、やっぱり正規軍てのは強いからな」
「あんたらが苦労してるってのは分かるつもりだけどな。気を悪くしたら謝るけどよ。今のタイミングで独立を目指して戦うなんて、そんなに連合の支配はひどかったのか?」

 

 リカルドをはじめ、シュミットやエドなどが元々所属していた南アメリカ共和国は、プラントとの戦争に際し、地球上国家の意思統一とパナマにあるマスドライバーの接収を目論んだ大西洋連邦によって一方的に武力制圧され、地球連合に組み込まれた経緯がある。
 連合は南米の反連合の感情を、ニュートロンジャマーを投下し地球上のライフラインを断絶して無数の犠牲者を出したプラントに向けるよう工作してはいたが、やはり自国を理不尽な暴力によって侵略されたという意識は国民に根強くある。
 一般市民にはむろん知られてはいないが、地球連合の軍人たちの間では、アラスカでの攻防戦の折りに、大西洋連邦がユーラシア連邦の友軍を捨て駒にする事でザフト軍に多大な被害を与えた事に対する不信感も根強く広がっている。
 元々非プラント理事国で、プラントの独立によって大西洋連邦やユーラシア連邦と言った大国の勢力が削られる事を歓迎していた事もあり、軍民総じて大西洋連邦への不満は戦争以前から存在していた。
 更に武力侵攻を受けた事もあって、独立への気運は十分に高まっていたと言うべきだろう。

 

「DCが地球連合に屈服しないで自国の独立を守っているってのも、ちょっとした刺激にはなっているし――クーデター政権だけどな――、いずれ自分達がユーラシア連邦の二の舞になるんじゃないか、ていう怖さもあるだろう」
「見殺しにされるか使い捨てられるって事か?」
「そういうこった。今の連合の上層部はかなりイカレてるから、普通ならあり得ねえこともあり得る。ブルコスの盟主が大出を振っているって言う話だから、末期だわな。
まあ、それになにより、『言う事を聞け、でなきゃぶっ飛ばすぞ』て脅されて、それに屈しちまったのが気に入らねえって話さ」
「なんだそりゃ。ガキのケンカじゃねえか、それじゃ」
「お互い気に入らない相手だからケンカも戦争も起きるのさ。関係の無い連中やたくさんの人が死ぬ分、戦争の方が性質が悪いけどな。
それに、守りたいモノってのが人間だれしもある。誇りや名誉だったり、歴史や未来だったりな。あるいはもっとすぐそばにいる恋人や家族、友人かもしれねえ。ひょっとしたら財産や今の自分の地位だったりな」
「あんたは、何が守りたいんだ?」
「おれか? ま、ここも一応はおれの故郷だしな。よその連中にずかずか土足で足を踏み入られるってのは気持ちの良いもんじゃねえ。
おれはベッドの中以外は優しい方じゃないんでな、おれ自身やおれの守りたいものを奪おうとする連中には容赦しねえし、するつもりもない。お前はどうだ? 
成り行きで軍人になったのかどうかは知らないが、命懸けで守りたいものくらいあるだろう? でなきゃ、戦場に立てない。人間、そこまで強く出来てはいないからな」
「命懸けで守りたいものか……」

 

 向こう側でも、似たような問答をしたなと、リカルドは回想していた。あの時は初めてマサキが人を殺してしまった時だった。
 顔面を蒼白にして呆然としているマサキに、珍しくリカルドが説教じみた事を言った時だった。
 あの時も、命懸けで守りたいものがこの世界にはないのかとマサキに問いかけ、多少なりとも向こう側のマサキが立ち直る切っ掛けにはなった筈だ。
 今、リカルドの横に並ぶCE側のマサキも、サイバスターに乗り続ける限りいずれ人を殺す時が来るだろう。
 すでに幾度かの実戦を経ているとは聞いたが、それも全てルオゾールに関係したデモンゴーレムや死霊の類のみに限られている。
 マサキはまだ、人間の起こした戦争を直接体験した事も、戦場の死臭を嗅いだ事も、人に殺意を向けられた事も、人を殺した事も無いのだ。
 今はアメノミハシラに居るシン・アスカも対面した戦争における大きな壁が、マサキの前に立ちふさがるのも時間の問題だろう。
 その時、このマサキはどのような選択をするのか、それがリカルドには気がかりだった。

 

「家族、かな。ビアンのおっさんに預けられたサイバスターも、DCも、サイレント・ウルブズも家族を守る為の手段で、要素にしかすぎねえ。おれにとっちゃ、サイバスターの操者である事やサイレント・ウルブズの隊員である事も、おれが命を張っても良い家族を守る為の手段だ」
「何の為に戦うのか、その自覚はあるんだな」
「考える時間はあったし、フェイルにも言われてたんでな」
「お前にとって守りたいものについてはおれは何も言わない。ただ、お前も誰かにとっちゃ守りたいものの一つかもしれない。命は大事にしろよ」
「戦争する連中の言う台詞かよ?」
「戦争をしているからこそ実感するのさ。命は簡単に無くなっちまう。大事だ、大切なものだと言われていても、いざなくなるとなっちゃあっという間さ。だから臆病な位がちょうどいいんだよ。っと、着いたな。真面目な話をした所為で首の辺りがむず痒いぜ」
「キャラじゃないってことか?」
「そう言う事」

 

 ちょうど、格納庫の前で自分達に気付いたテューディが視線を向ける所だった。
 リカルドにザムジードを引き渡したその日から、フェイルに命じられてたっぷりと休息を取り、肌の張りは元に戻って疲れも取れたように見える。
 あいも変わらぬスーツ姿で、ザムジードを置いてある格納庫の前でマサキの到着を待っていたようだ。
 ゆるく波打つ烈火の色を写し取った髪を左手でかき上げながら、やや険しい表情を浮かべているのは呼んでもいないリカルドがこの場にいるからだろうか。

 

「待たせたか、テューディ」
「いや、時間より五分前だからマサキが気に病む事は何もないぞ。もっとも、私が呼んだ覚えの無い人物がいるのは、理解に苦しむがな」
「そう言うなよ、テューディ。迷子になっていたマサキを親切にもここまで案内したのは他ならぬおれだぜ?」
「そうなのか? マサキ」
「ああ、ちょっと道に迷ってな」

 

 ややバツの悪いマサキの返事を聞いてから、テューディはふん、と形の良い鼻を鳴らしてリカルドを睨む。当のリカルドは肩をすくめるおどけた仕草でそれに答えた。
 どこ吹く風と言った様子でテューディの視線をまるで意に介していない。

 

「リカルドなら同席しても問題はないか。良かろう、ついてこい。サイバスターの修理が終わったから、マサキに細かい調整を手伝ってもらうだけの予定だからな。見学者の一人くらいは気にすまい」
「もう治ったのか? かなりダメージを受けたって聞いたが」
「魔装機神に使っている装甲の特性で、何もしないでも多少のダメージは自分で治ってくれる。他の機体の作業よりも優先して行った事も早く仕上がった理由だな」

 

 三人で肩を並べて格納庫へと足を進めれば、その奥にメンテナンスベッドに固定されたサイバスターの姿が見えた。
 腰に下げたディスカッターやリボルバーは壁に掛けられている。
 イズラフェールとのアカシックバスターの撃ち合いでは相応のダメージを負ったのだが、今マサキ達の目の前にある風の白騎士の姿には、一片の傷も見当たらない。
 サイバスター自身が有するズフィルードクリスタルの再生能力と、整備班達の不休の努力の賜物だろう。
 覗きこんだマサキの顔が鮮明に映るほど磨きこまれた装甲は、それ自体が鏡のようだ。
 横たわるサイバスターは、イズラフェールとの戦いで消耗した力を取り戻すべく一時の眠りについているかの様に、マサキには映った。
 まさしく自分が眠りについていたのと同じようにだ。

 

「マサキ、一度サイバスターに乗って起動させてくれ。機体は完璧に直したが、操者であるお前が搭乗した方が色々とデータがとれそうなのでな。イズラフェールとの接触でサイフィスになにがしかの不具合が起きているかもしれないし」
「ああ、ちょっと待っていてくれ」

 

 言うが早いか、サイバスターのコックピットへと向かうマサキの背を見送るテューディの顔色はあまり優れない。これは健康的な面で問題があるわけではない。
 テューディの心に新しく生まれた不安が、この美女の心に暗黒の塊を一つ産み落としている。それは、一重にサイバスターに対して抱く不安であった。
 CE世界におけるサイバスターには、多種多様なマン・マシン・インターフェイスが試験的に搭載され、精霊の意志とパイロットとの意志の融合・疎通を補助している。
 特に精神感応の特性を持つオリハルコニウムを、UC世界のνガンダムに代表されるサイコフレーム同様に埋め込んでいる点が大きい。
 当初はあくまで他世界の技術を実用する為に行ったものだったが、マサキというパイロットを得た今となっては、それが不安の種となっていた。
 人と精霊。精神、生命、存在と言う概念さえ異なる存在である両者を繋ぐ機械は、時に求められる以上の効果を発揮し、人の意志を精霊に、精霊の意志を人に伝えてしまう。
 理論上可能とされていたポゼッション(精霊憑依)をマサキが起こし得たのも、数々のインターフェイスのサポートによるものが大きいのだろう。
 だが、その結果まだ未熟なマサキのプラーナを大量に消耗し、深い眠りにつかねばならなかった。一歩間違えば命を落としていただろう。
 テューディが危惧しているのは、マサキが予想をはるかに超えてサイフィスと高い融和性を発揮している事だ。
 未成熟故にこれからの成長が期待できるマサキだが、それ以上に高位精霊であるサイフィスの、引いてはサイバスターの意志に自我を呑みこまれてしまうのではないか? 
 世界の理そのものである精霊の意志に飲み込まれぬほどに強固な自我、揺るがぬ信念、不動の精神をマサキは持ち得ていない。
 ルオゾールやイズラフェールを相手に対して激しい敵意を見せたのも、マサキ自身の意志以上にサイバスターに突き動かされた怒りではなかったか?
 マサキがサイバスターの意志を支配させ、屈服させるほどの力はまだあるまい。いや精霊を支配下における者はその時点で人の範疇を超えた存在と言えるだろう。
 サイバスターにマサキを支配する意思がなくとも、強大な力を持つ精霊の意志との交感自体が、マサキの自我を侵食する事に繋がりかねない。
 ラ・ギアス世界での魔装機神以上に持たされたサイバスターのインターフェイスが齎した負の面。
 それに対するデータの蓄積は無く、テューディに出来るのはいくつかの機能にリミッターを設ける事だけであった。
 テューディの不安が表に出たのか、隣のリカルドも顔色をシリアスなモノに変えていた。普段の陽気さはどこかに潜めている。

 

「随分不安そうにしているが、なにか問題でもあるのか?」
「お前には関係はないが……サイバスターの機能をいくつか封印した」
「何?」
「今のマサキには荷が勝ち過ぎる所が見つかったからな。マサキがお前ほど面の皮が厚ければ問題なかったかも知れんが」
「冗談、って顔じゃないな? あっちのマサキも今と同じ位の年で操者になったはずだろう? まったく同じ人物としてみるのは問題あるかもしれないが、サイバスターに選ばれた以上はある程度信用していいんじゃないのか?」
「サイバスターに選ばれたから、問題なんだがな。そこらのMS程度ならば機能を封印しても圧倒できるだけのものはある。後はあのイズラフェールやルオゾール達と出会わぬ事を祈るばかりだな」
「先行き不安な話だが、要はマサキが成長すれば問題ないんだろう? 惚れた男の事は信じてやったらどうだ。それも女の器量ってな」
「ふん。…………ちょっと待て、誰が惚れた男の事だと?」
「さてね」

 

 リカルドの発言の中に含まれていた言葉の意味に気付き、一際険しい視線をリカルドに向けた時には、すでに大地の司は視線を逸らしていた。
 対人コミュニケーションの蓄積と性格の差か、この二人の相性はあまりよろしくないようだ。
 喰ってかかろうとしたテューディを制止したのは、サイバスターに対して違和感を覚えたマサキだった。
 やはり気付いたか、と些細な違和感に過ぎない筈の変化を敏感に悟ったマサキの感性に、テューディは危ういものを覚えた。

 

「なあ、テューディ。サイバスターの調子が何か悪い感じがするんだが。なんて言えばいいのか難しいが、こう、肌の上に一枚布でも被せられたみたいって言うか。サイバスターが遠い、いやなんか反応が鈍いっていやいいのか?」

 

 実際にサイバスターを動かせば、マサキの感じている違和感はより大きなものになるだろう。
 これまでマサキの操縦と思考に、極めて敏感に反応していたサイバスターの動きを鈍く感じ、戦場に出れば違和感を覚えて動きに精彩を欠くかも知れない。
 それを何と言ってマサキを言いくるめるか、事前に考えていた言い訳を頭の中に思い浮かべながら、テューディはインカムに手を伸ばした。

 

「この間の戦闘で一部のパーツが損傷してしまって、運悪く代用の利かぬものだったから、サイバスターの反応が多少鈍くなっている。速く慣れる為にもなるべくシミュレーターで今のサイバスターの動きに慣れておいてくれ」
「そうか。ま、戦っている途中で調子悪くなるよりはマシだな」

 

 あまり深くは考えなかったのか、マサキはそれきりサイバスターに感じた違和感については言及せずに、テューディの指示に従ってサイバスターのチェックを続けた。

 

 

 ポルタ・パナマを目指す南米独立軍に対し、地球連合は南アメリカに駐留していた軍と、復興したアラスカ基地で生産したMS部隊を配備し、これの迎撃に当たっていた。
 ザフトのオペレーション・スピットブレイクによって、旧地球連合本部であったアラスカ基地は戦場となり、スピットブレイクの目標がアラスカである事を知っていた連合上層部の意志によって基地の地下に隠されていたサイクロプスの暴走により崩壊している。
 地球連合内部の抗争により、ユーラシア連邦の部隊の多くを巻き込んで崩壊したアラスカであったが、その後アズラエル財団の多大な援助もあって復興し、北米大陸における一大MS生産基地へと生まれ変わっている。
 NJCによって復興した原子発電によってエネルギー問題はおおむね解消され、再び火がともされた地上各地の施設はを待つ日夜膨大な量の物資を作り出し、地球連合の国力と軍事力を強化し続けている。
 南米独立軍にとって幸いなのは、連合上層部がその生産能力にモノを言わせた物量を宇宙に向けている事だろう。
 はるか遠方にポルタ・パナマ――暗黒の宇宙が広がる天空へと反り返るマスドライバーを望み、彼らは一時足を止めた。
 マスドライバー以外にもパナマ基地は、MSや艦艇、通常兵器などの生産施設や、それを維持する為の物資生産施設、また多量の物資が蓄えられており、生産能力が無い南米独立軍にとっては大きな意味を持つ。
 そのパナマ基地に迫るのは、鮮烈な赤に染められたガームリオン・カスタムと、ソードカラミティを先頭に頂く南米独立軍の主力部隊である。
 これまでの戦いでは数少ない友軍を、シュミットやエド、ジェーンといったエースと強力な機体の組み合わせによってカバーし、戦況を優位なモノとしてきたが、いよいよマスドライバー陥落の危機とあって連合側も本腰とまではいかないが、それなりの部隊を配備している。
 これまでは従来の装甲車や戦闘車両、ストライクダガー程度であったが、パナマ基地には宇宙に上げるはずだった部隊も展開されており、南米の戦いにおいてかつてない規模の戦闘となるのは明白であった。
 核融合炉を搭載し、破格の機体性能とパイロットの能力とあいまって突出した戦果を挙げているガームリオン・カスタムのコックピットで、ローレンス・シュミットは先程駆逐したばかりのダガーを足元に、パナマ基地を最大望遠の彼方に捉えていた。
 純金から紡いだような煌く髪を三つ編みにして垂らし、凍える程に透き通ったアイスブルーの右目には黒い眼帯が当てられている。端正と言うも愚かな美貌には、幾百年、千年の時を閲した血の歴史のみが伝えうる気品が色濃く漂っている。
 地獄の戦士の異名にはあまりに相応しくない麗貌であるが、同時に異名に相応しい戦歴を経た男は、骨の髄にまで硝煙の臭いがしみ込んでいる。同じ人種なら一目で分かる。この男は骨の髄まで兵士だと。
 それが、ローレンス・シュミットという男であった。
 MSが持つにしてもあまりに巨大な大口径ライフルは、人間言えばエレファント(象狩り)ライフルに相当するだろう。
 MSの装甲も一撃でぶち抜く大口径は、あまりの反動故に射撃の精度を著しく損なうが、それを手足のように扱う技量をシュミットは有していた。
 接近戦ならば切り裂きエドの異名を持つエドワード・ハレルソンが、南米最強だろうが射撃ならばシュミットが南米最強だ。

 

『シュミット三佐、そろそろ仕掛けるかい? こっちは補給終わったぜ』
「ああ。このまま一気に押し切らない手はないな。ハレルソン二尉」

 

 通信モニターの向こうで、額に傷のある色黒の男――エドワード・ハレルソンが戦場だと言うのに、呑気な調子でシュミットに声をかけてくる。
 根が陽気な事もあるが、胆力も大したものだ。
 今はシュミットがリーダー的な立場にあるが、そうでなかったらこの男が南米独立の象徴として立ち上がっていただろう。
 お互いリーダーをするのには向いていないと、自分を判断しているのだが。
 それはともかく、シュミットの号令下、南米独立軍はパナマ基地への進軍を再開した。地球の一大酸素生産工場であるアマゾンでは、ビームライフルの様な周囲に著しい被害を及ぼす可能性のある火器の使用は連合、ザフト間でも禁止されており、これは南米独立軍でも事情は同じだ。
 だがパナマ基地クラスの大規模基地となれば既に周囲が整備され、密林保護の為に火器の使用を禁止する必要はない。
 代わりに基地施設を保護する為に注意を払わなければならなくなるが。
 テスラ・ドライブに加えて核融合炉を搭載したソードカラミティを狩り、エドは真っ向から連合側のダガー部隊に切り込んだ。
 独立軍にも相応のダガーがあるが、一度消耗した戦力を立て直す回復力が無い事と、味方の犠牲を少しでも減らしたエドの心情が相まり、自然に切り込み隊長としての役割を担っている。
 MSに対しては有効な兵器足り得ないリニアタンクが整然と並び、一斉砲火を降らす。
 面を制する数多の火砲の中を、シュミットの神業的な援護射撃を受けながらエドや味方の部隊は切り込み、シュベルトゲベールが休むことなく振われ、戦車やダガーの胴を二つに切り裂く。
 パナマ基地側もただ手を拱いていたわけではない。宇宙に上げる為に終結されていた精鋭部隊を、消耗覚悟で展開させたのである。
 それにはデュエルやバスター、更にカラミティ、レイダー、ダガーLといった高級機も相当の数が含まれていた。
 地形の利を活かし、パナマ基地へ進軍してくる独立軍の頭を押さえるべくバスターやカラミティと言った砲戦用MS達は高所へ向かい、大火力を持って迎撃すべく移動を開始した。
 独立軍側のMSは、反旗を翻した元南アメリカ共和国の兵士達が強奪したストライクダガーと、数を優先して大量に生産された簡易仕様のリオンである。
 これにシュミットやエドと共にDCから供与されたエムリオンとバレルエムリオンが少数加わる。
 連合側の航空戦力がスカイグラスパーと少数の制式仕様レイダーであるのに対し、独立軍の航空戦力は旧式戦闘機スピアヘッドやリオンとなる。
 スピアヘッドは性能で大きく見劣りしたが、テスラ・ドライブによる高い空戦能力を持ったリオンは、TP装甲の制式仕様レイダーを相手によく戦っていた。

 

「ハレルソン、右方のデュエルを任せていいか? 左方の崖に向かってカラミティとバスターが動いている。あそこを取られると言い様に撃ち降ろされてしまう。私はあちらを抑える」
『了解。一機で大丈夫か、三佐!』
「三分で片づけるさ」

 

 高空でレイダーやスカイグラスパーを撃ち落としていたガームリオン・カスタムが、背部に増設した追加のスラスターから、テスラ・ドライブの粒子を零して一挙に加速する。
 行きがけの駄賃とばかりに、左手でビームサーベルを抜き放ち、レイダーの胴を薙ぎ、その残骸を眼下のリニアタンク部隊へと叩きつけた。
 眼下で起きた爆発を認めるよりも早く、シュミットはスロットッレバーを押し込み、バスターとカラミティの混成部隊を射程内に納める。
 シュミットの赤いガームリオン・カスタムは南米独立軍のフラグシップ的な機体として連合側にマークされている。
 そのカラーリングが特徴的な機体に気付いたバスター達は、目下の優先目標をシュミットに定め、移動の足を止めて照準をガームリオン・カスタムに向けてくる。

 

「速さは三倍、とはいかんがそうそう当たるものでもない!」

 

 カラミティ、バスター、バスターダガーといずれも高性能な機体の張り巡らす火砲を、シュミットは見事なバレルロールを五度六度と重ねて紙一重で回避して見せる。
 如何に南米最高のコーディネイターとして生み出された出自があるとはいえ、たゆまぬ鍛錬で鍛え抜かれた肉体なしには不可能な機動と言えよう。
 同時に、カラミティらの馬鹿げた火力はそれ自体がとてつもない脅威だ。当たらなければどうと言う事も無いが、濃密な火砲の集中は回避自体が難しい。
 老練のパイロットでもこの火砲の中に身を躍らせるのは自殺行為と躊躇するだろう。
 従来のCE製MSに加えて高性能のGキャンセラーが搭載されているガームリオン・カスタムは、ほとんど直角の軌道で推進方向を変え、連合部隊が火線を集中させるよりも早く高度を上げ、バスター達を見下ろす位置から右手の大口径ライフルと左手のオクスタンライフルの銃口に捉える。
 流れる視界の中に、わずかな光と自然にはありえぬ人造の機体のおぼろな輪郭のみが映る。
 シュミットの動態視力を持ってしてもその程度にしか認識できぬ高速の世界の中で、引き金に添えられたシュミットの指は正確無比に引き絞られた。
 風を撃ち貫いて奔った大口径弾はメインカメラやそれぞれの機体が手に持ち、背に負った火砲をあやまたず破壊し、灼熱の光条は一切の慈悲を捨ててコックピットやバッテリーを搭載した動力部を蒸発させる。
 ガームリオン・カスタムに群がるシュラークや350mmガンランチャー、プラズマサボットバズーカの砲弾を、蛇行する蛇の様な軌道でかわし続け陸戦機に対する空戦機のアドバンテージを最大限に生かし、エドに告げた通りに三分以内で高所に陣取ろうとしていた合計六機のMSを撃破してのけた。
 友軍のストライクダガー一個小隊とランドグリーズに指示を出し、シュミットは基地司令部を制圧すべく、数機のリオンに同行するよう告げて愛機に加速を命じた。
 シュミットが言葉通りに敵機を撃墜したのを確認し、エドのソードカラミティも立ちはだかるソードストライカー装備のダガーL二機を、両手に握ったシュベルトゲベールで鮮やかなまでの太刀筋で胴体を腰の部分から上下に両断していた。
 ソードカラミティと同じ対艦レーザー刀シュベルトゲベールを振りあげるダガーLの、袈裟がけの一刀を懐に飛び込んでかわし、シュベルトゲベールの根元を胴に当て、機体のスラスターを吹かして一挙に切り裂く。
 ダガーLは、105ダガーに匹敵する性能とストライクダガーの生産生を両立した優れた量産型MSである。
 ストライク同様にストライカーシステムを装備し、エール、ソード、ランチャーの各ストライカーに対応している。
 プラント制圧用に温存されていたダガーLであったが、アズラエルのごり押しによって現戦線への投入が決定され、パナマ基地に展開している機体は宇宙に送られる筈だった機体である。

 

「せっかくの機体だが、パイロットがこれじゃな」

 

 自分自身の圧倒的な接近戦闘能力と機体性能の優位性を理解しつつも、エドは折角のダガーLを活かしきれていない連合の兵に同情と呆れがないまぜになった溜息を零した。とはいえ、基地から出撃している連合側の機体はまだまだいる。

 

「あんたらに恨みはないが、こっちも英雄って役目を背負ったからには責任てものがあるんでな。手加減はしないぜ!」

 

 エドは額の傷が与える印象と『切り裂きエド』という異名から、エド自身を知らぬ者には畏怖めいたものを抱かれているが、実際には親しみやすく、気さくで陽気な兄貴分的な人物でもある。
 同時にそれなりの聡明さと責任感を併せ持っている。シュミットと自分自身が南米独立を願う人々にとっては、大きな希望である事。
 勇気を与え奮い立たせる存在となっている事を自覚している。
 その自分達が倒れれば、友軍や独立を願っている人々に与える影響は計り知れない。かといって自分達が前線から身を引くわけにもいかない。
 前線で戦っている兵士達と同じ様に身を危険にさらしているからこそ、彼らはここまで高い士気を維持し奮戦しているのだ。
 願わくば自分達が倒れても、人々の心全てに南米の独立を勝ち取る為の勇気が宿っている事を信じ、エドはマスドライバーを目指しソードカラミティで道を斬り開き続ける。
 エドとシュミットが穿った連合の戦線の穴から独立軍の部隊も次々と、進軍し、連合側の防衛線をじりじりと押しこんでいた。
 友軍のストライクダガーを撃破しているデュエルと、デュエルダガー一個小隊を一挙に引き受けていた。流石にガンダムタイプとエース用の機体に乗っているだけあってパイロットの腕も悪くない。
 DCの技術と動力源の変更で一挙に戦闘能力を挙げたソードカラミティでなかったら、如何に切り裂きエドといえども勝機の薄い相手だ。

 

「さ~て、そろそろジェーンがうまくやってくれる頃だよ、な!」

 

 わずかな時間差を置いて斬りかかってきたデュエルダガー二機をバックステップでかわし、その隙を着いて115mmレールガン“シヴァ”で狙い撃とうとしていたデュエルを、胸部のスキュラで吹き飛ばす。
 上半身を失ったデュエルが隊長機であったらしく、わずかにデュエルダガー三機の動きが鈍る。無論その隙を見逃すようであるのなら、エドはとっくに戦場で骸を晒していただろう。 
 旋風の激しさを伴い風車の如く回転したシュベルトゲベールの刃が通り過ぎた時、そこには胸部を切り裂かれたデュエルダガーが、溢れ出る血潮の代わりに黒いオイルと紫電を撒き散らしながら骸となって立ち尽くしていた。

 

「つ、流石に間接に負担をかけ過ぎたか。早く投降してくれないかね?」

 

 それは紛れもなくエドの本音であった。敵も味方も犠牲は少ない方がいいに決まっている。
 ましてや、今エドが敵にしているのは、ほんの数か月前までは共に肩を並べて闘っていた仲間達なのだから。

 

 

 シュミットのガームリオン・カスタムとエドのソードカラミティの中心にした独立軍の部隊に対して多少の被害こそ与えているが、それ以上に敗北の報告が重なり続けパナマ基地の司令部には重苦しい空気が漂い始めていた。
 それに輪を掛けて彼らに敗北を明確に意識させたのは、海岸線から侵攻してきた『白鯨』ジェーン・ヒューストンの乗るフォビドゥンブルーを始めとしたシーエムリオンであった。
 連合の水中用MSディープフォビドゥンが主力として生産されている。
 TP装甲を採用し、少数でザフト製の水中用MSを撃破した実績を持つ高性能機であったが、いかんせん主戦場が宇宙に移り、水中用MSの必要性が薄かった為配備された数は多くはない。
 シーエムリオンを性能で上回るディープフォビドゥン相手に、水中からの奇襲部隊は苦戦を強いられたが、ジェーンの駆るフォビドゥンブルーの鬼神の如き戦闘能力がそれをカバーするように奮戦している。
 エドのソードカラミティ同様に核融合炉を搭載し、DCの技術でフラッシュアップされたフォビドゥンブルーは同機の性能を大きく上回る。
 連合でも屈指の水中戦のエキスパートであるジェーンの組み合わせは、連合の部隊にとっては不幸であった。
 加えて言うなら、今日のパナマ基地は特大の不幸に見舞われていた。
 その特大の不幸を、モニターの片隅に認め、ジェーンはアレが味方である事の幸福と頼もしさを噛み締めていた。
 自らも開発・試験に関わっていたディープフォビドゥンの頭部を突き刺していたトライデントを抜き、ジェーンは次の敵機をモニターの中に捉える。

 

「さあて、白鯨はここだよ! 連合の裏切り者の首が欲しければかかってきな!」

 

 ジェーンのフォビドゥンブルーが猛威をふるう水中から、パナマ基地最大の不幸がついに姿を見せた。
 DCから派遣されたたった一隻の援軍。スペースノア級万能戦闘母艦二番艦アカハガネである。
 船体から滴った幾万、幾億粒もの水滴が陽光の中で宝石の雨の用に煌き、テスラ・ドライブと八基のロケットエンジンが唸りを上げて一挙に基地の内部へと突き進む。
 シーエムリオン部隊がある程度潰しておいた対空砲火を、重厚な船体の装甲でものともせず、逆にレーザー機銃や連装衝撃砲で吹き飛ばすほどだ。
 アカハガネの姿を認めた連合側は軽い恐慌に陥りかけた。
 何しろ連合のオーブ解放作戦、続くDC制圧戦、マドラスでの戦闘でもたった一隻で死神の如き猛威を振るった戦艦として知れ渡っている。
 連合側の最強の戦艦であるアークエンジェル級を上回ると太鼓判を押されている戦艦は、それ自体が移動要塞と呼んでも差し支えの無い砲戦能力と防御能力を誇る。
 そしてなによりも恐ろしいのは、搭載された機動兵器が、搭乗するパイロットの技量とあいまって常軌を逸した戦闘能力を発揮する事だ。
 これまでに確認されたスペースノア級はタマハガネ一隻であったから、そのタマハガネか同級である以上は同等の戦力が搭載されている可能性は少なくない。
 そしてアカハガネを駆るサイレント・ウルブズは、基地司令部の期待に最悪の形で答える部隊であった。
 いくつかある発進用カタパルトで展開し、発進シークエンスに入った機体が次々と出撃する。
 サイレント・ウルブズのみに配備された異世界の技術を導入した機動兵器『魔装機』達。
 アギーハのジャメイム、シカログのプラウニー、ヴィガジのスマゥグ。さらにテューディのイスマイルとマサキのサイバスター、フェイルのデュラクシール・レイ、オールトのブローウェルカスタムが続き、最後にリカルドのザムジードが姿を見せる。
 リカルドはザムジードの受領と同時にサイレント・ウルブズへと配属されていた。それまでリオン乗りとして付き合っていた仲間達には、一杯奢る羽目にはなったが。
 アカハガネの指揮を副長に任せたフェイルが、デュラクシール・レイのコックピットの中、リカルドのザムジードに通信を繋げた。

 

「リカルド、ザムジードの調子はどうだ?」
「問題はないですよ。思う存分暴れられます」
「それは頼もしいな。所で、マサキの事だが」
「初めての対人戦って事に、今更気付いた感じですね。委縮してやがる」
「無理も無いか。仕方ない、そうそうサイバスターが撃墜されるような事はないだろうが私達でできる限りのサポートをするぞ」
「それは構わないですが、マサキが戦闘中に呆けて背中を任せられないようなら、すぐに艦に戻すべきです。戦えない奴を戦場に置いておいても邪魔になるだけだ」
「……そうだな。人相手の初陣では酷かも知れんが」
「むしろ幸運でしょう。搭乗する機体は敵よりも圧倒的に性能で上回っている上に、おれ達の機体も敵機よりもずっと強力だ。数で劣っている以外はほとんどの面でこちら側が上回ってんです。数も質も何もかも劣る状況の初陣なんかざらなんだ。それに比べればマサキははるかに恵まれている」

 

 厳しいようだが、リカルドの言う通りマサキは初陣と考えればかなり恵まれた状況だと言えるだろう。
 シンとてサイバスターに比べればはるかに性能で劣るエムリオンで、連合の大部隊を相手に初陣を飾っているのだ。
 それに比べれば、マサキは確かにマシな初陣だろう。
 リカルドとフェイルの話題の的になっているとは知らず、サイバスターのコックピットの中で、マサキは今更ながらにこれが初めての有人戦闘であると脳裏で何度も呟いていた。ヤラファス島やイズラフェールとの戦いは全てルオゾール配下の死霊や怪物であった。
 まっとうな人間同士の戦争は、今日の戦いが初めてなのである。そしてそれは、マサキが自らの意思で人を殺すかもしれない。
 いや、サイバスターで出撃し闘う限り確実に人を殺すだろう。
 CE世界のMSの脱出装置はあまり性能が良いとは言えない。
 動力源がバッテリーである以上機体が爆発する事は滅多にないが、コックピットの中で蒸し焼きになるなどして死亡するケースも多い。
 直撃させればまず間違いなく死亡するだろう。セーフティーシャッターという代物もある事はあるが、それがどれほど役に立つか。
 コントロールスフィアに添えた指が震えている事に気付き、マサキは舌打ちを打った。
 覚悟は決めたつもりだったが、ルオゾール達との戦いで戦争に身を投じたと言う認識が希薄になっていたのだろう。
 それも無理はない。何しろこれまで経験したたった二回の戦闘が、どちらも常軌を逸した非現実的な魔戦だったのである。
 これまでテレビの向こうの出来事だったナチュラルとコーディネイターの戦争の方がよほど身近に感じられるほど、マサキの感覚はずれていた。
 だが、その魔戦の方がはるかに気は楽な点はあった。
 目の前にする異形があまりに人間離れていて、事実人間ではない為に同じ人間を敵にする恐怖や罪悪感を感じる事が無かったからである。

 

『マサキ、大丈夫か?』
「ああ、大丈夫だ。大丈夫じゃなきゃいけないんだろ?」
『……あまり無理はするな。私やリカルド達に任せてアカハガネの直衛についていても構わんのだぞ』
「そうはいかねえ。ここまで来て逃げ出すような真似なんかできるもんか。それに、おれがサイバスターに乗る限りは避けられないんだって事くらいは分かる。おれが命を懸けてでも守らなきゃいけねえ者の為に、今のおれは戦う事を避けられないんだ」
『拳を震わせていては、説得力がないぞ。マサキ、何もお前の事を気遣っているから言っているのではない。戦場で戦えぬ味方はある意味敵よりも厄介だ。背中を任せられない奴は後ろに下がっていろ』

 

 敢えてテューディは冷たい声音で突き放すようにマサキに告げた。マサキはそれに答える言葉を告げる事はできず、口籠ってしまった。
 ただ瞳だけはテューディの言葉を真正面から受け止めている事だけは確かだった。
 この戦いでマサキが一皮向けるか、それとも潰れて使い物にならなくなるかがはっきりするだろう。
 貴重な魔装機神のパイロットをあたら失うような真似は、錬金術師としても、また一人の女としても避けたかったが、甘やかし傷つかない様に保護するだけではマサキを腐らせるだけだ。
 その程度の事は男女の機微に疎いテューディにも理解できる。本能的にテューディの中の雌が、それを教えているのだろう。そしてマサキを信じてもいた。
 自分が恋し愛した少年は、より大きく成長するに違いない事を。
 試練に膝を屈し立ち止まる事もあるだろう。だがそこから這い上がり立ち直る事の出来る強さと弱さを持っているのだと、信じている。信じたいのだ。
 それきり押し黙るマサキにこれ以上声をかける事はせず、テューディはイスマイルを出撃させた。

 

(マサキ、私に信じさせてくれ。お前の事を!)

 

 テューディがそのたわわな胸の奥で、切ない祈りを捧げていた事をマサキが知る術はなかった。
 他方で、他の機体が全て出撃しアカハガネに残されたサイバスターのコックピットの中、マサキはしばし口を閉ざし目を瞑っていた。
 これから自分が飛び込む戦場で何をするのか、何をされるのか、そして失い手に入れるものは何か。
 思考は論理的に働こうとせずに悲鳴を上げる感情とこれまでの人生で培われた論理観や道徳心、義務感が互いに主張し合いせめぎ合ってマサキに苦渋の汗を浮かばせている。
 マサキの苦悩にサイバスターは答えない。答えを求めてもそれに対してサイバスターはただ沈黙を守っていた。港湾基地でリカルドと交わした言葉が、脳裏によぎった。

 

『命懸けで守りたいものくらいあるだろう? でなきゃ、戦場に立てない。人間、そこまで強く出来てはいないからな』

 

 守りたいものはあるさ。親父やお袋に死なれて一人っきりになっちまったおれを暖かく迎えてくれた孤児院の皆だ。
 そこからいなくなっちまったククルやオウカを見つけ出し、今も泣いているに違いないチビ達の所に連れ帰る。
 それが、おれがサイバスターに乗る理由だ。戦場に身を投じたと言うオウカやククルを連れ戻す為には戦う為の力は必要になる事は想像できた。
 サイバスターの力は絶大だ。この力なら戦いに巻き込まれてもそうそう敗北を喫するような事はないだろう。
 家族の為に戦う事は覚悟していた筈だ。その為に自分の手を血で汚さざるを得ない事容易に想像できた。
 そうしなくても済む道もあったが、自分が選んだのは戦いを伴う道だ。自分で選んだはずでは無かったか。
 だが、それは、戦争というものを実感できていなかったマサキの甘い覚悟に過ぎなかったのだろう。実際の戦場を前にして、今、自分は恐怖に震えているではないか。

 

「……おれは、おれは!!」

 

 マサキは絶叫と共にサイバスターを羽ばたかせた。風の白騎士は、主の迷いと恐怖を抱えたまま南米の戦場へ疾風となって吹き抜けた。