ビアンSEED 第六十三話 『種達の未来』
母なる星“地球”。どこまでも広がる青い海と留まる事を知らぬ白雲に彩られた美しい星を慈母のように抱く宇宙は『黒』に満たされている。
宇宙のほとんどは『闇』の世界だ。ならば闇夜を煌かせる星の明かりも月の輝きも太陽の光も、全ては闇の深さと暗さ、そして人の夢も希望も何もかもを飲み込んでしまう果ての無さを際立たせる為にあるのだろう。
その暗黒よりなお暗く黒い球がその寿命を終えた時、残っているモノはなにも無かった。無かったのだ。残骸は無い。人間の握り拳ほどの装甲の破片も無い。砕け散った岩塊さえも無い。
『砲身強制冷却。BHエンジン出力安定。システムオールグリーン』
“破壊”にあらず“消滅”を生み出した長大な砲身から、気化した冷却材を噴き出すBHキャノンの接続を解除し、青き凶鳥は双眸に冷たい光を宿していた。
DCが作り出した超技術の集大成の一つであるブラックホールを動力源とするパーソナル・トルーパー、の模造品であるモビルスーツ“ヒュッケバイン”。
後に全てを消滅させる最強の兵装から、“バニシング・モビルスーツ”と敵勢力の兵士たちに。尋常ならざる死を与える凶鳥として恐怖を抱かれる機体である。
本来搭乗予定の無かったヒュッケバインのコックピットの中で、純金の輝きと絹の細やかさを持った髪に、大粒の赤い瞳を持った少女が補助AIの音声を無感動な表情で聞いていた。
どこか妖精めいた浮世離れした雰囲気だが、それはむしろ精神的な幼さ故の無垢さによるものだろう。DC最精鋭にして最強の特殊任務部隊クライ・ウルブズ所属のステラ・ルーシェである。
宝石の様な輝きを秘めた瞳の端に、モニターに表示される機体ステータスを映しながら、ベルゼボに迫る衛星ミサイルのほとんどが撃墜されている事と、タマハガネの無事を確認する。
BHエンジンによって核融合ジェネレーターすら歯牙にもかけぬ絶大な出力を誇るヒュッケバインのエネルギーでさえ大量に消費するBHキャノンは、一度での戦闘で補給なしの場合精々三発がいい所だったが、その威力はつい先ほど証明されたばかりだ。
直撃すればアガメムノン級戦闘空母、いやアークエンジェル級やスペースノア級も轟沈せしめるであろう、破壊の力、あるいは“消滅力”とでも呼ぶべき威力を惜しげもなく披露したBHキャノン。
実戦での使用は初めてであったが、出来すぎと言いたくなるほど完璧に起動したのは僥倖に違いない。
ステラはベルゼボ近辺の敵機が撤退してゆくのを見届け、BHキャノンを腰後部にマウントし、右腰アーマーのオクスタンライフルを握らせる。先程のヒュッケバインが起こしたあまりに飛び抜けた現象に、連合の部隊は動きを鈍らせていた。
直接目にしたが故に、MSや既存の兵器と比べてあまりに理解し難い現象に襲われるのも止むからぬ事であろう。
オーブ本島で発揮されたヴァルシオンの重力兵器からも、DCの保有する技術が既存の世界のソレとは異なる方向で発達していたのはこの世界にとって周知の事実であるが、極小規模のブラックホールを人工的に発生させるほどの技術を持つとまで予測し得た者がいたかどうか。
破壊にあらぬ消滅。存在の痕跡さえ残せぬその現象を前に、人はより根源的な恐怖を駆り立てられていた。ナチュラルもコーディネイターも関係ない。それは命を持つ者なら等しく抱く恐怖なのだから。
ベルゼボより離れた宙域で連合とクルーゼの率いたザフトの部隊と熾烈な戦闘を繰り広げていたアークエンジェルの環境は、彼方に見えた信じがたい事態に静謐に襲われていた。
周囲のザフト・連合の部隊も、BHキャノンのみが理由ではないが、それをきっかけに部隊を引き上げ始めている。
「なん、なの。あれは」
「おそらく、局地的な重力異常。……ブラックホールと思われます、が……」
「あり得ない。連合もザフトも直接的な重力制御の技術はまだ未開拓の分野なのよ!? いくらDCが超技術を保有しているからって! ローエングリンどころじゃないわ。アレは……核以上の脅威よ」
アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスは元が技術士官であるだけに、ヒュッケバインの異常性を一際強く理解し、恐怖を露わにしていた。ほんの数瞬前に、重力兵器と言うカテゴリーが人類の兵器史に加えられる瞬間を目撃してしまったのだ。
数十キロメートルにわたるデブリ帯を跡形もなく薙ぎ払ったスレードゲルミルの“星薙ぎの太刀”もまた、これまでの常識を打ち破る途方も無い攻撃であったが、現実にする為に必要とされる極めて高度な技術という点では、あのBHキャノンも引けを取らない。
ラクスがDCを最大の脅威として警戒する気持ちが、この時マリューには心から理解できた。
DC……オーブを母体として鬨の声を挙げた軍事結社。だが、彼らはあれほどの超技術を一体どこから手に入れたのか。
カガリや合流した旧オーブの軍人や技術陣に聞いても、ヴァルシオンをはじめ、テスラ・ドライブやTC-OS、核融合ジェネレーターは、すべてビアン・ゾルダーク発案のものだという。
ある日、サハク家のお抱え技術者としてモルゲンレーテに姿を見せた男の経歴は、その全てがサハク家による偽りのもの。だが、それが分かっても、偽りに隠された本当の経歴は誰にも解き明かせなった。
当たり前だ。このC.E.世界においてビアン・ゾルダークが生まれ育った記録など元からないのだから。
故に、マリューやラクス達だけでなく連合の上層部やプラントの評議員達でさえ、ビアン・ゾルダークについて知っている事は少ない。
無視できない巨大な武力を持ち、確たる信念の元で軍を率いて世界に覇を唱えた危険人物であると言う事だ。
そしてそのビアン・ゾルダークが例え希代の天才とは言え、たった一人の人間がこれほどの革新的な技術を生み出せるものだろうか? 世界中から選りすぐった頭脳達が長い時をかけてようやく形になるようなものばかり。
これらの技術と知識と、いったいどこから現れたのか。マリューは改めてDCの脅威を噛み締めながら、モニターの向こうのヒュッケバインを睨んだ。
撃ち抜いたシュリュズベリィの艦橋が爆発の中に消えるのを見届け、エルザムとライはヒュッケバインの雄姿を見つめていた。外見はガンダムタイプに極めて酷似しているが、用いられている技術は明らかにこの世界のものではない。
「兄さん、あの機体は」
「EOTの中に重力制御に関するものがあり、それを利用した新型PTの噂は耳にしていたが、あの機体……。よもやビアン博士が完成させたものか」
「アーチボルドが言っていたが、父さんがDCに与していると言うのは……」
ライとエルザムの父、現DC宇宙軍総司令マイヤーの事だ。これもややこしいが、今DCに参加しているマイヤーは、このライとエルザムの実父ではなく、別世界のライとエルザムの父に当たる。
自分達同様、死んだあとにこの世界に来たであろう父の行方が掴めずにいたライとエルザムには、それを確かめるすべはない。
「それを確かめる術はない……今はな。周囲の連合を撃退するぞ、ライディース」
「了解。しかし、本当に良かったのか? ラクス・クラインに手を貸すような真似をしたと分ればザラ議長が何を言うか……」
「議長はそこまで視野を狭めてはいないさ。シーゲル元議長をオブザーバーにおいているのも、穏健派への牽制もあるが、まだ有益な人材とそうでない者を区別する判断は出来ている証拠だ」
「では、ラクス・クラインがザフトにとって利のある人間だ、と?」
「少なくとも、彼女がクライン派のもっとも過激な者達を連れだした事で、ザフト内の不調和音をある程度是正出来た。残るクライン派もシーゲル元議長の声明もあり成りを潜めている。
潜在的なシンパはまだ多いだろうが、ラクス・クラインがプラント本国への直接的な行動を控えている内はまだ抑えが効く。それにザラ議長もクライン派を左遷して人材を無為に腐らせぬだけの分別は残している。それと、ザフトに、ではなくプラントに、だ」
「ザラ議長の事も見切った上での彼女の行動か」
ライがある程度納得した様子を見せたのは、ザフトの情報部を介して兵器開発局にフリーダムとジャスティスや、各種MSのデータが定期的に届けられているのを知っていたからだ。
ラクスに強奪されたフリーダム一号機にアスランがそのまま略奪したジャスティス一号機の戦闘データを筆頭に、ゲシュペンスト・タイプSやラピエサージュ、スレードゲルミルの解析データは、それの送り主の素性を語っている。
最高レベルのパイロット達が、あらゆる局面で一対多の戦いを行ったその生きたデータは、地球に対し五〇〇対一という人口比故に、戦場で常に一対多を強いられるザフトにとっては黄金に勝る価値があった。
ラクス一党の各地での地球連合との戦闘で得られた詳細な実戦データと、プラズマ・リアクター、テスラ・ドライブ、ズフィルードクリスタル、機能停止したマシンセルなどの超技術は、既にプラントの集中にあった。
「ウィクトリアと共に後方の連合の艦隊を叩く。この場は彼女らに任せても問題はあるまい」
「分かったよ。……兄さん、アーチボルドはあれで死んだのだろうか?」
「少なくとも生命反応は無い。だが、分からん、確かに艦は沈めたが奴が死ぬ様を直接目にしたわけではないからな。ひょっとするとまだ生きているかも知れんが、その時は今度こそ私達の手で討つ」
「ああ。奴はエルピスの人々と、そしておれ達自身の仇なんだ」
そう答えるライを振り返り、エルザムのジャスティス・トロンベのメインカメラに映ったエターナルを見つめた。
今はプラントとそこに住む妻カトライアの為にザフトに身を置く以上――
「ラクス・クライン。貴女がプラントに害なす存在と分かった時には、我がトロンベが引導を渡そう。そうならぬ事を祈るがな」
別れの言葉の代わりにそれだけ呟き、エルザムはノバラノソノ艦隊の後方で、連合軍と砲火を交えるウィクトリアへと機体を向けた。
漆黒の正義と自由が光の尾を引いて盲目の偉大なる魔術師の名を持った艦の成れの果てから離れてから、数分後。虚空を漂う残骸の只中で、確かに生命の息吹を挙げるものがあった。
離れて行くジャスティス・トロンベとフリーダムの姿を確認し、残骸に紛れた脱出ポッドの中で、アーチボルドは唸るように笑い声を零していた。
「ふっふふふ、さてさてこちらの世界での楽しみも確認できましたし、クルーゼからの依頼はこれで良いでしょう。次は連合ですか。ライディースくん、エルザムくん、そしてラクス・クライン。貴方達は皆私の手で引導を渡して差し上げますよ」
そう呟いてから、浮かべていた冷たい爬虫類じみた笑みを取り払い、瞼を閉じた。ポッドには一週間分の酸素と食料を積んであるが、連合の回収要員が来るまでは出来るだけ温存しなければならない。
その為に、アーチボルドは静かに呼吸を整え始めた。いずれあの兄弟達の命を摘み取るその時を待つ為に。
ガンバレルと周囲の連合軍の機体が張った弾幕に阻まれ、追撃を諦めたWRXチームは全機損害軽微、このまま戦闘を継続しても問題のない状態にあった。
ヴィレッタの乗るR-SWORDパワードを中心に、ルナマリア、シホ、レイ、イザークが機体を集めて、周囲の敵機の反応を確かめる。
「どうやら、連合は引くみたいですね。最初に姿を見せた艦隊の一部はまだ残っていますけど」
R-GUNパワードの中でDFCスーツに青い果実のような肢体を包んだシホが、いつもと変わらぬ落ち着き払った声で告げた。シホたちからの位置だと、ベルゼボの至近距離 で発生したブラックホールは、ちょうどベルゼボに隠れて確認できない。
シホ同様に敵性反応がないことを確認したヴィレッタが撤退を発言した。
「そのようね。追撃の必要はないわ。友軍と合流してベルゼボに戻りましょう」
「了解です。それにしてもあの連合のガンバレルダガーのトリオ、すごく強かったわね。機体の性能なら私たちの方がずっと上なのに。レイもそう思うでしょう?」
「そうだな。ルナマリアの言う通りだ。連合にあれほどのパイロット達がいたとは、な。あちらのWRXチーム以外にもまだまだ侮れない敵が多いということだ」
「そうよねえ。そもそも地球連合の方がずっと人数多いわけだし。ナチュラルの天才ってやつも元の人口が人口だからたっくさんいてもおかしくないのよね」
このC.E.宇宙には数えるほどしか存在していないニュータイプ二名とその近縁種の一人をまとめて相手にしたとは知らぬルナマリアは、これから先グレースやアーウィン、モーガンクラスの敵がわんさかと出てくるのでは、
という不吉な予想に、整った美貌を険しいものにしていた。
一方で、浮かべる表情そのものはいつもの作り物めいたレイが、ルナマリアにフォローを入れた。なかなか珍しいと見えて、無表情の仮面の下に仲間を思う思いやりを持つレイは、よく仲裁役やフォローに回ることが多い。
「そうなるな。だが、それを覆すためのおれたちとWRXだ。そうでしょう? 隊長」
「ええ。プラントの総力を結集して開発したWRXは、『単機』で戦局を覆す戦略級の兵器。レイの言うとおりよ。それを託されているという事の意味を、貴方達には忘れないでいて欲しいわね」
模範的なレイの言葉に、ヴィレッタはかすか微笑を浮かべていた。氷でできた女神像が、不意に春風のぬくもりを帯びたような、やさしい微笑みであった。
惜しむらくはそれを目撃する者がいなかったことだろう。浮かべるヴィレッタ自身も、自分の唇の動きに気付いているとは思えない。
そのヴィレッタ本人は、WRXの原型であるSRXが、対怪獣用の一撃必殺兵器であったと知ったらレイ達はどう思うかしら? と割と別の事を考えていた。
仲間達の言葉を、これまで沈黙と共に聞いていたイザークが、不意にメインモニターに捉えたとあるMSの姿に息を呑んだ。
抑えの利かぬ激烈な感情を宿す瞳に映っていたのは、ザフトの自由と正義を体現し、プラント市民の生命と未来を守り勝ち取るために造られた筈の『フリーダム』と『ジャスティス』。
そしてイザークは知っていた。正義を名に持つ紅のMSを受領し、そのまま持ち去ってしまった反逆者の名が、イザークが心の奥底で認め、必ず越えると誓っていたライバルと同じであると。
「アスラン……!!」
R-1というプラントの運命を大きく握る機体を任され、また多くの戦場を体験した事により、自分の立場というものを強く意識するようになり、これまでの癇癪性を抑えていたイザークの理性がこのときばかりは一気に沸騰した。
貴様は、なぜ、ソレに乗って、ここにいる!?
脳裏を占めた言葉を認識するよりも早く、イザークはR-1をジャスティスめがけて加速させていた。
ベルゼボの司令室から無視するよう命令されていたラクス一党の象徴の一つである、禁忌の核動力機めがけて突然動いたイザークに、ルナマリアとシホの戸惑いに満ちた声が掛けられた。
「イザーク副隊長、駄目ですよ! こっちからアレに攻撃するなって命令が!?」
「止まってください!」
「うるさい! あいつが、アスランがいるんだぞ! 機体から引きずり出してどういうつもりでザフトを、プラントを裏切ったか力づくでも聞きだしてやる!」
すっかり荒々しい気性の地を曝け出し、イザークはR-1の両手に超規格外の巨大自動拳銃ライトヘッドとレフトヘッドを握らせ、MSが携行するシールドさえ一撃で破壊する猛弾の照準をジャスティスに向けていた。
一方でジャスティスの中のアスランも、自機めがけて猛烈な勢いで迫るR-1も気付いていた。ただしそのパイロットが誰か、までは知らない。
知っているのはメンデルでの戦闘の折に垣間見た極めて高い戦闘能力と、R-1という機体名称だ。
二つの銃口がジャスティスを捉えられた、とアスランが認識した瞬間には、掲げたアンチビームシールドを中心に無数の巨弾が機体を揺らしていた。
通常の重機関銃やMS用に開発された実体弾系の武装とは比較にならぬ威力に、あろうことかジャスティスの機体が一挙に後方へと押し込まれているのだ。
「アスラン!」
「くっ、大丈夫だ」
掲げた左手のシールドを支点にするように機体を半回転させ、アスランはモニターに捉えたR-1へとルプスビームライフルの銃口を向ける。丸いがらんどうの筒から放たれる光の矢が、ひとつ、ふたつと虚空を射抜く。
あくまで虚空の闇を射抜いたのだ。背に負った超重量の装備を感じさせぬ軽やかなR-1の動きに、アスランの中で警戒の度合いが高まる。
ジャスティスの本領が発揮できる近接戦闘へ持ち込もうと、フットペダルを踏み込む瞬間に、R-1が右肩に鋼鉄の棺桶が。
縦に割れた棺桶の中からMSの腕が丸々収まりそうな巨大な砲身が現れた。内蔵した巨大ロケットランチャーの一撃“Death Bllow”だ。
ジャスティスの防御を司るPS装甲ならばその直撃にも耐えられる、とアスランの理性は語ったが、億を超える虚空の破壊神達との戦いを知る魂は叫んだ。
ヨケロ、カワセ、アレニアタルナ!
「っ!」
ジャスティスの傍らを過ぎ去ったランチャーの弾頭が、後方にあったローラシア級の残骸に直撃し、七〇メートルはあった朽ち果てた船体を猛烈な爆発の中に飲み込んで見せた。
「なんて無茶苦茶な威力だ。誘爆を恐れていないのか!?」
そういう間もR-1の両手に握られた地獄の番犬の左右の頭からは、絹糸のように降り注ぐ雨に似た弾丸が無数に放たれていた。もとより巨大な銃身ではあるが、どう考えても許容量を超えた装弾数だ。
乱れ散る黄金の空薬莢の只中で、すでに五十に届こうかというマズルフラッシュと虚空の闇を震わせる銃声が続く。アスランもその銃撃の嵐の中に僅かな間隙を見出し――その隙を見出すこと自体が神業のように為し難い程の銃撃だ――こちらは光の矢で反撃する。
ジャスティスから放たれたビームは、無数の銃弾と衝突していくつかを融解させるも止む事の無い鋼の魔弾の中に飲み込まれR-1に届くことはなかった。
何より、まるでこちらの軌道を読み切っているかのようにジャスティスの向う先に、魔犬の牙が群がってくる。
友の苦戦にキラもフリーダムで割って入ろうとするが、こちらは残るWRXチームのメンバーが抑えにかかり、四方八方か降り注ぐ攻撃を捌くので精一杯だった。
「動き自体は相変わらずだな! アスラン!」
「イザーク、イザークなのか!?」
「そうだ。このおれ、イザーク・ジュールだ!」
銃撃を止め、銃口をジャスティスに向けたままのR-1の通信に、アスランは小さくない驚きの声を上げた。
暗黒に染まる宇宙に散らばる空薬莢が、R-1を夜の真っただ中に降る黄金の雨の中に佇んでいるかのような錯覚を覚えさせる。
「貴様あ、よくもぬけぬけとその機体に乗っておれたちの前に顔を出せたな!」
「イザーク……」
「なぜ裏切った、アスラン! お前ほどの男がジャスティスを奪い、ラクス・クラインに加担しザフトに、プラントに弓を引く!」
ジャスティスの通信を聞いたキラが、フリーダムを動かす動作はそのままにアスランに聞いた。
「アスラン、知っている人なの?」
「ああ。デュエルのパイロットだ。おれの、戦友だな」
「デュエルの」
キラの脳裏に思い描かれたのは、第八艦隊が壊滅した低軌道会戦の折りの事。降下するヘリオポリスの避難民が乗ったシャトルを守り切れず、デュエルに撃墜されそうになった時の絶望、後悔、恐怖。
シャトルこそ、当時はアンノウンだったユーリアのガーリオン・カスタムの介入で助けられたが、その後幾度となくアークエンジェルを追い、苦境に立たせてきたザフトの敵。アラスカではフリーダムと共に乱入し、機体を損傷させて撤退を促した相手。
そのデュエルのパイロットが、今、アスランとこうして敵対している。かつての自分とアスランのように。
「アスラン……」
「大丈夫だ。もう同じことは繰り返さないさ。はやく、ラクスやマリューさんの所に行ってくれ」
「でも」
「いや、イザークならおれと同じことを考えているさ」
一人アスランを残すことを危惧するキラに諭すように告げるアスランの目の前で、イザークに頼まれたか命じられたのか、他のWRXの機体が踵を返して母艦ドルギランへと戻り始めていた。
少なくとも、デュエルのパイロットとアスランは、かつての自分たちよりは互いを敵と見ていないのだとキラは感じ、フリーダムを動かした。
「アスラン、僕たちみたいなことには」
「ああ。……しないさ。おれもイザークもきっと追い求めるものは同じだからな」
キラやヴィレッタらWRXチームが去り、アスランとイザークだけ残った。砕かんばかりに歯を噛みしめているイザークに向かい、アスランは訥々と語り始める。優柔不断で流されやすいが、誠実で生真面目なこの少年らしい声音だった。
「聞いてくれイザーク。おれは、ただ軍の命令に従って引き金を引く事が本当に正しい事だとは思えなくなった。命じられるままに引き金を引き、殺して殺されてを繰り返して、それで本当に平和になるのか!?」
「それでも軍人か、アスラン。見ろ! そうは言っても地球連合は容赦なくおれたちコーディネイターの敵となってこうして迫ってくる。撃たねば守れぬなら、撃つ事に躊躇いなどあるものか!」
「だが、それでは互いが互いを憎しみ合い続けるままだ。それでは、いつまた同じ過ちが繰り返されるか」
「では、貴様が今している事は、立っている場所は過ちではないと、誰が証明する? 誰が証明できる!? 誰かに『お前は正しい』と言ってもらえなければ戦えんのか、貴様」
「それは……」
「後の歴史が、などと知ったような口を利くなよ、アスラン! おれが聞きたいのは今のお前の言葉だ。誰かに言われたから、誰かに導かれたから、そんなモノはいらん。アスラン・ザラ、お前の本当の本音で言え!」
「おれは、今でもプラント人々を守りたいという気持ちは変わらない。ただ、だからといって地球の人々を撃つ事が正しいとは言わない。イザーク、一体どれだけのプランの人々が本当に地球のナチュラルの人達の事を知っている?
前線で戦っているおれ達でさえ本当にナチュラルの事を知っているのか、と言われれば答えはノーだ。おれ達はよく知りもしない相手とそう命じられたからと、そう教えられたからと諾々と戦うだけの存在か?」
「お前に一部の理があることは認めてやらんでもない。だがな、軍の命令に不審を覚えたからと言ってジャスティスを、ニュートロンジャマーを搭載した機体を強奪して良い事にはなるまい。
ザフトの敵ではない。連合の味方でもないというのなら、貴様らは誰の敵で誰の味方だ?誰の敵でもないということは誰の味方でもないということだ。そしてお前達は放置するには過ぎた力を持ちすぎている。貴様らは行動に一貫性が無さ過ぎるぞ!」
「おれ達は、ただ今みたいナチュラルだからと、コーディネイターだからと争い合う世界を止めたいだけだ」
「ならばその為の方法は! 手段は!? どのように行動し、どうすれば、いつ、お前たちの求める世界が来るか、貴様ちゃんと考えて行動しているのか!」
「それは……」
本来の歴史同様、アスランには答える術がない。キラには一緒に探そうとは言われたが、彼らは結局二年後の運命の戦いにおいてさえ答えを見出すことはできずにいた。結局は言葉よりも武力による解決方法しか選べぬ愚かさは、アスラン達も変わらない。
「この戦争に勝ってプラントの独立を手に入れる。かつての理事国の膝下にあったプラントが、正当な権限を得る為の戦いだ。
そしてプラント市民の自由と平和を勝ち取る為の戦い。それがザフトの大義だ。ではお前達はどうなんだ? 貴様とてプラントの同胞を討つつもりなどあるまい」
この世界のラクス・クラインの場合、主眼に置いているのはプラントがこの戦争に勝つ事だ。加えて長期的な観点から、ナチュラルとコーディネイターの融和も願っている事を加味して、どちらか一方の大量虐殺を伴う勝利の妨害もある。
すでにクライン派のザフト兵からヤキン・ドゥーエ付近にて建造されているザフトの切り札の存在を知り、連合軍が再び手にした核の脅威が現実となった以上、両者が地球とプラントを撃たない様に立ち回る事が目下の方針となる。
プラントが手にした力は容易く地球を焼き払い、また地球連合の核兵器はユニウスセブンの悲劇を体験したプラントからすれば、強烈なトラウマとなる脅威だ。その事実がたやすく両社の心を憤りと恐怖と絶望、なにより憎悪に染める。
そうなれば、これから更に数十年、数百年単位で、これまで人類の歴史に存在したあらゆる差別の歴史を超える悲劇の幕が上がるだろう。
ラクスはすでに上がりつつあるその幕をこれ以上晒さぬように動いている。ラクスの思惑としてはあくまでプラントの側に立った遊撃戦力、というのがノバラノソノの面々の立ち位置だ。
すでに答えを出しているラクスに対し、まだ答えを探していると思い込んでいるキラやアスランには、イザークの確たる言葉に答えるモノがなかった。
向けられた銃口の先で、アスランは長い事沈黙していた。イザークは、それでも辛抱強く待った。目標にさえしていたこの男が、道は違えてもふさわしい言葉を吐く時を。
そして――
ヒュッケバインによる衛星ミサイルの直撃の阻止の他、それ以外のミサイルもDCやザフトの部隊、突如現れたラクスの部隊に迎撃された事に、ジーベルはヒュプノシスの艦長席から立ち上がり、血走った瞳でモニターを睨んでいた。
MS部隊も既に三分の一以下にまで数を減らし、増援として姿を見せた各艦隊も各個の判断で離脱し始めている。
「……ちょう、艦長!!」
「っ、なんだ!!」
癇癪をぶちまけるかの様なジーベルの怒声を受けたオペレーターであったが、彼はそれどころではないとばかりに怒鳴り返した。
「敵機接近、ワラキア、オクタヴィアヌス、ガリアダーク沈みます!」
「くそ、ありったけのMS隊を出せ! 全ての部隊を呼び戻して返り討ちにしろ!!」
「ゴーレム1、ルーク2反応ロスト! MS部隊突破されました!! MS間に合いません」
「なんだとお!?」
ジーベルに恐怖と絶望と屈辱がブレンドされた叫びを挙げさせたのは、レオナのガームリオン・カスタム・ラーを先頭に、損傷したままで戦闘を続行しているクライ・ウルブズの面々だ。
クライ・ウルブズを城壁を崩す破城鎚の代わりにして、ザフトのジンHM2型とゲイツが、それぞれ二機ずつ同伴し前方で弾幕を張る連合の部隊に踊り込んで行く。
各機の構えたライフルのビームや銃弾が飛び交い、たちまち両者の間に光の雨が行き交う世界が生まれた。
片方の足を失い姿勢制御に難が出ているものの、無事なフルドドのパーツとの組み合わせでスラスターやバーニアの位置を工夫しで性能の低下を抑えたラーが、
ストライクダガー三機の集中砲火を何度も旋回しながら回避し、すれ違いざまにBモードのオクスタンライフルを撃ち込んで火の玉に変える。
その爆炎を裂いてジャンのヒュッケバインMk-ⅡとアルベロのFAガームリオン・カスタムがドレイク級駆逐艦とネルソン級戦艦に取りついて、至近距離からありったけの弾丸を撃ち込んで船体に大穴を開けて見せる。
それに勢いづいたザフトの部隊も、残る連合艦隊の猛火の雨を避けながら一射二射とライフルを撃ち返しながら少しずつ連合の部隊を削っていた。
「ええい、馬鹿な、このおれの策がこんな力づくしか知らぬような連中に破られると言うのか!?」
その力づくしか知らないような相手に使う策が、物量に頼るのに毛が生えた程度なのだから仕方がない、とは気付いていない。
「大型熱源感知! 北天より急速接近!!」
「対空砲火用意、イーゲルシュテルン照準合わせ!! 対空雷幕弾を」
哀れなジーベルに迫るのはMSの四、五倍はあろうかと言う白い鋼の幻獣『ヴァイクル』であった。機体中央部から艦船でも一撃で沈みかねない高出力のオプティカルキャノンを乱射しながら、その周囲には無数の白い十字の下僕を連れている。
乱雑と見えてその実正確無比な狙いのオプティカルキャノンは、進行方向上に存在するMAや艦船をデブリごと貫き、無数の十字群『カナフ・スレイブ』は三百六十度、三次元のあらゆる方向から光刃の嵐となってヴァイクルに迫る全てを切り裂いていた。
既に戦闘が始まって長時間が経過しつつも、無数の遠隔操作兵器を変わらぬ集中力を維持するテンザンである。無数の爆発を景気づけとばかりに、がはは、と笑いながらテンザンは正面に捉えたヒュプノシスに向かって機体を加速させる。
「ひゃっはははは! これでミッションクリアってかあ!? 落すぜえ!!」
周囲のドレイク級がヴァイクルと迫りくるクライ・ウルブズ、ザフトのMS部隊によって轟沈される中、ジーベルは目をあらん限り見開き、己の命を摘み取る無慈悲な死神の姿を映した。
「お、おのれえええ!? このおれが、こんな所で死ぬなど、馬鹿な事があって……たまるかああぁぁああ!?」
ヴァイクルの胸部に宿った苛烈な光の奔流が、無慈悲にジーベルのいる艦橋を直撃した。死の瞬間に苦痛を感じる事も無かったのは、せめてもの救いであったろうか。
やがて艦橋のみならず船体を貫いたオプティカルキャノンンによって、船体各所から爆炎を噴き上げて、ヒュプノシスは轟沈した。
彼方で爆発する連合の艦隊の姿を捉え、同時に芽生えた超感覚によって撤退を始める連合諸兵の思惟を感じ取り、クルーゼはここまでかと淡い笑みの下で判断を下した。
ビアンは一命を取り留め、DCとラクス・クライン一党をひとまとめに――ベルゼボのザフトも含め――壊滅させる試みは失敗に終わったわけだ。
まあいい。ビアン・ゾルダークの戦線離脱と、ムウの新たな力を確かめられたのだから全く収穫が無かったわけではない。
プロヴィデンスとドラグーンストライク。同じドラグーン搭載機と言う極めてまれな激突の明暗を分けたのは、両者の実力でも、芽生えた超感覚の覚醒具合でもなく、純粋に搭乗機の性能差によるものだった。
まだ余裕の笑みさえ湛えるクルーゼに対し、機体こそ無傷だが、ムウは荒い息を付いていた。
未だ試験段階だったドラグーンを元とするストライクに対し、こちらも急造という批判は免れぬものの、それなりにテストを繰り返した上で完成と相成ったプロヴィデンスのドラグーンとでは、搭乗者に掛ける負担や火力、精密な動作、反応速度などに差があった。
加えて核動力機とバッテリー機との地力の差もある。ラピエサージュやゲシュペンストから得られたデータを反映しているとはいえ、ストライクとプロヴィデンスとの間にある性能の差は深く広い。
「腕を上げたな、ムウ。だがまだだ。私の憎悪を止めるには、私の欲望を阻むには、私の怒りを鎮めるにはまだ足りない! ムウ、愚かなもう一人の私の息子よ! この歪んだ父の残した忌まわしき産物である私を、ラウ・ル・クルーゼを止められるかな!」
「止めて見せるさ! おれを誰だと思ってやがる!」
「『私』の子供さ! そうだろう!?」
「く、まだそんなことを言うのか、お前は!」
ストライクのビームライフルとプロヴィデンスのユーディキウムビームライフルの銃口が、互いの機体のコックピットを正確に狙いつけた。互いの思考を感じ取り殺気を読み取り、そして命の鼓動を聞く。
血のみを分けた偽りの兄弟、虚偽の親子は、これが自分達の絆なのだと告げる様に、お互いの命を奪いに掛かった。く、と互いの人差し指がトリガーに掛かる。MS、パイロット双方の指が。
死の神の握る鎌がどちらかの魂を刈り取るその刹那の瞬間、けたたましい警告音がプロヴィデンスのコックピットの中に木霊し、ラウはそれを聞いた聴覚よりも稲妻のように背筋に走った第六感に頼った。
引き金を引く一瞬を、機体を後退させる動作に振り分けた。装甲を焼く音さえ聞こえるような至近距離を、二条のプラズマの槍が穿っていた。
数分の一秒前までプロヴィデンスがいた空間を穿ったプラズマの源を辿り、モニターの片隅に映し出された二機のMSを認めて、クルーゼの笑みがムウと対峙した時とはまた別の狂気に彩られた。
「来たか、忌まわしきメンデルの兄弟」
「ムウさん!」
アスランと別れ、先にエターナルへと戻ろうとしていたキラだ。純粋なC.E.世界の人型機動兵器としては、現在最強の一角を担うフリーダムを愛機とする運命の少年が、ムウの窮地を救った。
クルーゼはムウとの戦闘で相応の消耗を強いられていたが、それも新たに姿を見せた因縁の怨敵の姿に高揚した精神が、束の間忘れさせてくれた。
機体の円盤のようなバックパックと、腰アーマーに接続されていたドラグーンの子機を射出し、フリーダムに差し向けた。
キラは、ムウのドラグーンストライカーとの模擬戦で体験した、このドラグーンシステムの脅威を思い出し、即座に機体を散開させる。
「これは、ドレッドノートの後継機!? フリーダムとジャスティス以外の核動力機か!」
常に動きまわり、わずかでも機体の動きを緩めれば即座にドラグーンが構成する光の檻に捕まり、無数の光の糸がフリーダムの全身に繰り糸の如く繋がれ、その鋼の四肢を引き千切るだろう。
キラは、時にアンチビームシールドや、ビームサーベルでドラグーンのビームを防ぎ、切り払い、回避し続ける。風に誘われた一片の花びらのように軽やかな動きは一種の舞のようでもあった。
だが実際には、その動きを止める事は餓えた狼の群れの中に放り出されるのに等しい、死の約束がなされている。
誤解されがちだが、PS装甲は一応通常の装甲よりもビームに対する耐性が備わっている。それに加えて、ドラグーンは個々の威力は小さく、数をもって敵機を破壊する兵器だ。
それゆえに、砲撃の大多数の回避を可能とするパイロットの技量とMSの性能が噛み合ったキラは、被弾するにしても一発当たるかどうか、というのが希に起きる程度であった。
かつてメンデルで相対した時に見たのとは格段の動きの違いに、さしものクルーゼも目を見張る。
今のキラ・ヤマトには、はるか異世界で共に終焉の銀河を戦い抜いた新たな因果律の番人から与えられた、闘いの記憶がある。
本人達が自覚することなくその魂に息吹く闘いの記録は、本来の歴史に於けるこの時点での彼らの実力をはるかに凌駕し、ニュータイプへの覚醒の階段を昇るクルーゼの想像を超える猛者へと変えていた。
「これだけのドラグーンの一斉砲火を、ほとんど被弾せずに済ますだと!?」
「気をつけろ、キラ! そいつに乗っているのはクルーゼだ!」
「!? ……ラウ・ル・クルーゼ」
クルーゼの注意がキラに向いた隙を狙い、ドラグーンを展開してプロヴィデンスに撃ちかけながらのムウだ。
疲労によって集中力を欠いたドラグーンはプロヴィデンスを捉える事はできなかったが、三対一の状況に、クルーゼも表には出さぬ内心で焦りを募らせた。だが、積もる焦りを超えてクルーゼは笑う。
「さすがスーパーコーディネイターといった所かな、キラ・ヤマトくん!!」
「貴方はっ」
「男子三日あわざれば刮目して見よというが、それ以上じゃないかね?」
「こんな時にまで貴方は! そこまでぼくが憎いんですか!? 自分の軍が攻撃を受けているんですよ? そちらを助けようとさえ思わないんですか!」
「はっ! 言った筈だよ。私はムウの父親のクローンだと。私がナチュラルであることさえ見抜けず、怪しむ事もしない無能共だ。同胞意識など元より持ち合わせてはいない。思い通りに、いやそれ以上に動いてくれる駒ではあるがね」
「人を、なんだと思っているんだ!」
「君が、ソレを言うのかっ!!」
フリーダムを囲んだ三基のドラグーンの砲撃をひらりと機体を捻って交わし、宇宙の闇に溶け込んでいるドラグーンの子機をほぼ同時にフリーダムのライフルが撃ち落とす。
それぞれが高速で動き回るドラグーンをこうも容易く撃ち落とすキラの技量は、確かにクルーゼの言葉通りメンデルの時とは比べ物にならない。
クルーゼがムウとの戦いで消耗している事を差し引いても、瞠目に値する技だ。
「貴方はここで止める」
「止まるものか。せっかくここまでお膳立てしたのだ。この戦争の終幕、人類の終焉を見るまで、私は止められない! 君に止められるのかね!?」
「止めてみせる。貴方の狂気も、こんな戦いも必ず!」
「無駄だよ。たとえこの戦争を止める事ができたとて、人類は戦いから離れる事叶わぬ! なによりも人類の歴史そのものが証明しているだろう!
他者と己を比べ、己こそがより優れた存在でありたいと、願うが故に他者を完全に受け入れることなどできはしない! 理解することもない! これからも人類は永遠に戦い続ける。それが人間だ。だからこそのこの世界!」
「それでも人間は何とかここまでやってきたんだ。ぼくは貴方ほど人間を見損なってなんかない」
「君も私と同じものを見れば同じように思うさ! 人の欲望、願い、好奇心、向上心。人間の文明を押し上げてきたその原動力がいかにおぞましく醜いものかとな。
君とて謂われなき恐怖を、暴力を、憎悪を向けられた事が無いなどと言えはしまい。その綺麗ごとしか吐けぬ口でもなあ!!」
ずぶり、とクルーゼの言葉がキラの心に突き刺さった。ヘリオポリスの崩壊から、これまで言われてきた言葉が蘇る。そうだ。この人の言う通りだ。誰もぼくの気持なんか知らないで、できるから、君しかいないから、そういって戦いに駆り立てる。
誰も殺したくなんかいないのに。誰も撃ちたくなんかないのに。
怯んだ隙を見せたフリーダムの右腕をドラグーンが撃ち抜き、姿勢を崩したフリーダムにユーディキウムビームライフルの一撃が直撃して右股関節をカバーする装甲が吹き飛んだ。
「さようならだ。キラ・ヤマト」
姿勢制御を失うフリーダムを、いくつものドラグーンが取り囲み、獲物を追い詰めた猟犬と猟師の囲いが整った。わずかな失望を感じている事に、クルーゼは驚いた。ムウだけでなく、この少年に討たれる事を願っていたのか、自分は?
「それでも……」
光の速さで告死の矢が放たれるよりも速く、フリーダムはクルーゼの目の前で機体を持ち直し、青い翼から白い光を爆発させてプロヴィデンス目がけて機体を加速させた。
「守りたい世界があるんだ! 世界は、時々だけど美しいから、それでぼくには十分すぎる!」
サイやミリアリア、トール達と交わした何気ない言葉、再会した時のフレイの涙交じりの笑顔、アスランと相撃ち傷ついたキラが聞いていたラクスの歌、守ろうとしたあのエルという少女のあどけない笑顔と折鶴。
確かに世界は醜く歪んでいるのかもしれない。いずれ、キラもまたその醜さに足を絡めとられ、憎悪の声に押し潰され、恐怖を根源にした差別の視線に切り刻まれるだろう。
それでも、まだ、まだキラは戦えた。世界の未来がより良いものであると信じて戦うことが。
ユーディキウムビームライフルと残るドラグーンを集中させての砲火を、すべて交わし、フリーダムは抜き放ったビームサーベルを振り被っていた。
「クルーゼーーー!!」
「おのれぇっ!!」
振り被られた刃が過ぎ去った時、そこに残っていたのは斬り落とされたプロヴィデンスの左腕だ。間一髪回避運動が間に合ったクルーゼは、連れてきた部隊の消耗と撤退を始めたラクス一党と連合艦隊の動きを見て、潮時を感じた。
すでにムウのストライクが、フリーダムとプロヴィデンスの間に割り込んでいる。
「残念だが、決着はまた今度だ。だが、連合がボアズに攻め込むのもそう遠い未来ではない。私たちの因縁が終わるのもようやくだ。それでまでは無事でいてくれたまえ。ムウ、キラくん」
クルーゼの挑発交じりの声に答える事はせず、ムウはプロヴィデンスの機影が見えなくなってから背後のフリーダムの中のキラを気遣った。
「無事か。キラ」
「ムウさん。はい、大丈夫です。フリーダムもなんとか」
「そうか。ストライクは結構やばいな。にしてもよく言い返したじゃないか。あいつの名前を叫ぶ所なんて良い意味でお前らしくなかった位だ」
キラは答えず、弱々しく笑っただけだった。
旗艦ヒュプノシスの轟沈に伴い、一斉に撤退を始める連合の部隊の様子に、衛星ミサイルを斬りまくっていたシンは安堵の息を吐いた。
機体と獲物のサイズを考慮し、衛星ミサイルのロケット部分や敵機の迎撃に専念していたゼオルートのM1カスタムがグルンガスト飛鳥の横に並んだ。見れば四肢の関節のあちらこちらから煙と紫電が迸り、機体の限界が近い事を伝えている。
これではもはや修理するよりも新しいM1を用意してゼオルート用に調整する方が早いだろう。
シンは飛鳥に両手で握らせていた獅子王斬艦刀の展開を解いてシシオウブレードに戻した。ゼオルートと肩を並べ、向かい合う雄々しき巨人を見た。
右肩に担ぐ様にして青き斬艦刀を構えた天下無双の武を誇るスレードゲルミルは、その中の搭乗者の気迫を体現した様な機体だ。人の顔を模した頭部は、時にウォーダンからの通信ではなくスレードゲルミルが喋っているような錯覚をシンに何度か与えている。
鞘に納められた刃を思わせる声が聞こえた。ウォーダンだ。
「どうやら愚策は尽き、連合の部隊も退くようだな」
「……」
「シン・アスカ。このたびの戦い、またいずれという形でよいか?」
「……ああ。あのまま戦っていたら負けたのはおれさ。文句を言う資格はない。それに、無様な所も見せちまったから」
「ふっ。お前くらいの年でアレほど怒り狂う何かがあると言うのも決して悪い事ではないのだろうがな。だが、あのような狂態でおれの前に現れれば、次こそは屍をさらす事になるという事を決して忘れるな」
「言われなくても、分かっている。だから、今度こそ最初っから本当のおれと飛鳥であんたと闘う」
「そうなればよいがな」
「おれが信じられないってのかよ?」
「そうではない。ラクスとDC、果たして次に見えた時互いを敵とみなすか否か、と言っているのだ。この場での戦いも、正直に言っておれとおまえが戦わねばならぬ理由が、あったか?」
「う。で、でもあんたらはザフトから新型機を強奪して国家反逆罪で指名手配されているんだろう? だったらザフトと同盟組んでいるおれ達DCにとってあんたらは味方じゃないだろ」
「確かにな。お前の言う通りだが……。ふ、いやあまりおれらしくもない、無用な問答であったな。シン・アスカ、ゼオルート=ザン=ゼノサキス、願わくば五体無事な再会を。そして叶うならば、戦場ではないどこかで剣を交える機会に恵まれる事を祈る」
「ああ。あんたとはきちんと決着をつけたい」
「そうですね、戦争が終わって骨休みした後でなら私も喜んで一手ご教授に預かりたく思います」
死線を越えて刃を交わし合った強者だけが共有する共感か、ウォーダンの言葉に、シンとゼオルートは快く答えた。その口元には確かな微笑が一つずつ浮かんでいた。
斬艦刀を元の肩アーマーの飾りに戻し、左肩にはめ込んだスレードゲルミルが踵を返して飛鳥とM1カスタムに背を向けた。無論、その背を追うものも、斬りつける不埒者も居はしない。
決着こそ付かなかったが、この瞬間彼らは全力で戦った強敵であり、同時に再会を誓った戦友であった。
そうしてスレードゲルミルを見送って数分後、そろそろタマハガネに戻ろうとシンに声をかけたゼオルートはいよいよ危ない音を立て始めた愛機に気付き、珍しく慌てた様子を見せた。
「おっと、これはいけませんよ。再会を誓ったばかりだと言うのにこんな所で死んでしまっては申し訳がありませんからね。シン、早く艦に戻りましょう」
「はい。……あれ?」
シンはふと感じた違和感に声を挙げてヘルメットの中を漂う赤い雫を見つめた。一つ二つ三つ、いくつも浮かび上がり無重力によってぶよぶよと表面を波打たせる球体が浮かび上がってくるではないか。
戦闘中にGの過負荷などによって嘔吐した時の為にあるヘルメットの吸引器のスイッチを入れようとして、シンは赤く染まる視界に気付いた。
「え? え? ええ?」
思わず操縦桿を離した手も、パイロットスーツの中で生ぬるい感触に包まれている。いや、手だけではない。癖の強い黒髪にも赤い雫が絡みつき、手に留まらず爪先から太もも、脇腹や背中、胸、首とありとあらゆる肉体の箇所が不快な感触に包まれている。
絡みつくような生ぬるい霧に包まれ、不快さを駆り立てる愛撫を受けているかの様。
その現実を否定するようにヘルメットの吸引器のスイッチを押すが、それでもバイザーの内側を濡らす赤は絶える事を知らない。
つっと、両耳からも新たに赤い筋が流れてインナーとシンの肌を赤く塗らす。それだけではない。ぬるりとした感触は顔にも及び、額やこめかみに結露した赤い血の玉が無数に浮かび続けて吸引機に吸い込まれていた。
眼球から焼けた鉄の杭を差し込まれたように脳が沸騰したように痛い。生きたまま体の内側から焼かれる苦痛が、シンの全細胞を襲っていた。
シンは知らなかった。暴走したカルケリア・パルス・ティルゲムと憎悪に駆り立てられたシンの思念が、シンの肉体的限界をはるかに超えた力を引き出していた事を。いまだ遠く及ばぬはずの剣士達と互角に戦えた対価を、今死神が取り立てに来ていることを。
体の中で何度も血管が千切れる音が続く。溢れ出た血潮が細胞を熱く赤く塗らす。これまで過度の荷重に耐えていた骨格が軋む音を立てている。
肌から血の玉が生じ、鼻からも耳からも口からも血の筋が零れだす。熱く熱せられたそれらは、シンの命の熱を連れて外の世界に飛び出し、シンの体を徐々に冷たくしていった。
「あっ……あぐ!? がはぁ、はあ……げほ、ぐほぇ」
剥き出しにされた神経一本一本を丁寧に炙られる苦痛に引っ切り無しに襲われる中、シンは自分の視界が赤く染まったのが、流れ込んだ血潮と破れた眼球の毛細血管の所為だと気付くよりも早く、喉の奥から込み上げてくる熱を意識した。
上りくるものをこらえようと意識したのと同時に、喉の奥から込み上げてきたものを盛大にシンはぶちまけた。吸引機が吸い込み切れず、バイザーの中を赤く濡らしてゆく自分の吐血を見つめながら、シンは抗えぬほどの重さで落ちてくる瞼を開こうと足掻いた。
応答の無いシンを心配したゼオルートの呼ぶ声が、ひどく遠いものに聞こえた。シンはその声に縋るようにして意識を保とうとしていた。このまま瞼を閉じてしまったら、もう二度と目覚める事のない闇の中に落ちてしまうと理解していたからだ。
そしてすぐに、闇がシンをあらゆる苦痛から隔離してくれた。
機体が限界を迎えたゼオルートが、抱えたグルンガスト飛鳥をなんとかタマハガネに着艦させ、事前に要請していた救護班達と共に飛鳥のコックピットを外部操作で開く。
ゼオルート達より一足早く艦に戻っていたステラやスティング達も慌ただしい様子に気づいてシンに何かあったのかと遠巻きに見ていた。
やがてコクピットの中の惨状に顔を顰めた救護兵たちがコクピットから引きずり出したシンの姿を見て、ステラの目が大きく見開かれた。傍らのスティングやアウルも同じであった。
両腕を抱えられたシンの顔が見えない。バイザーがすべて内側からこぼたれたシン自身の血潮で染まっていたのだ。
ヘルメットが外され、途端に血の玉がいくつも浮かび上がる。頬も額も鼻も唇も耳も髪も何もかも赤く染まったシンが、二度と開かぬように瞼を閉じていた。
その姿を認め、ステラはたちまち涙を瞳に浮かべて叫んだ。ビアンだけでなく、シンまでもが――それはステラの精神の許容をはるかに超えた恐怖と同じだった。
「いやああああああ!!!???」