SRW-SEED_660氏_シン×セツコSS_01

Last-modified: 2014-01-03 (金) 00:15:02
 

 締め切ったカーテン越しに聞こえるしのつく雨の音で目が覚めた。壁に掛けてある飾り気のない壁時計に目をやり、時刻がまだ午前五時である事を確認した。
 昨夜の情事を終えて眠りについてから、ほんの三時間ほどしか経っていなかった。血流に乗って鉛のように全身に行き渡った、快楽の後に待つ怠惰が思考を鈍らせている。
 裸体にシーツ一枚でベッドに横になっていたのは、まだ若い、十代後半か多く見積もっても二十歳に届かぬ少年だった。
 日に焼ける事を知らぬと見える白い肌には、若者にありがちな不摂生を理由とする肌荒れは無縁のようだ。
 今は半眼に開かれた眠気を帯びた瞳は、常は鋭く眦を釣り上げた我の強さが滲む赤色だ。ルビーのような、と華麗に飾るよりは血の気が多すぎて瞳まで血の色をしているのだと、有り余る元気さを表現したくなる。
 薄暗がりに移る裸体は、男としてはやや白すぎる肌に覆われた、線が細く映る体つきだったが、骨格に無駄のない、戦うための筋肉を張り付けた戦士の肉体であると、軍や格闘技を身に付けた者には一目でわかる。
 寝癖が盛大に存在をアピールしている黒髪を手で軽く掻いて、もうひと眠りするか数瞬思案していた。
 ぐるりと部屋の中を見回す。今日は仕事が入っていないオフの日だから、久しぶりに部屋の片づけでもしようか、と頭の片隅で主張する自分の声を聞いたからだ。
 それから、その主張が極めて意味の無いものだと認識する。あまりにも部屋の中が殺風景過ぎるのだ。
 白色の壁紙に覆われた八畳の部屋には、今腰かけているベッドの他に、部屋の中央に小さなテーブル一脚、小さめの本棚が一つ、それに最低限の化粧品を置いただけの化粧台位しかない。
 衣服の類はすべてクローゼットの中だし、壁に掛けてあるハンガーには仕事着しか吊るしていない。一人暮らしを余儀なくされた経験から、普段から小まめに片付ける癖と、整理整頓が習慣化しているからだろう。
 置いてあるテレビもどことなく申し訳なさそうな雰囲気がくらい古い、中古の品だった。部屋の主が揃ってメディアに対して無関心だったというのもある。
 『揃って』? 部屋の主は少年一人だけではなかった。んん、とくぐもった声が少年の隣で零れ落ちた。
 少年に顔を向けてまだ眠りの世界にいるのは、この部屋のもう一人の主である女性だった。少年よりは年上と見えるが、こちらもまだ若く瞼を閉じた顔立ちは、人目につく派手さはないが、美女と評するに何の抵抗も感じさせぬものだった。
 華々しく人を飾る大輪の薔薇よりも、ひっそりと満月の輝く雲ひとつない静夜に花開く月下美人の様な美貌だ。そこに、薄く刷いたような翳がさしていれば、より一層儚さが親しい隣人の様に、美貌を際立たせる。
 こちらの女性もまた裸体のままシーツに包まり、眠りについていたようだ。女の左手が、幼子がはぐれぬようにと、親の手を握る様に、自分の左手に控えめに指を絡ませている事に少年が漸く気付いた。
 少しだけ、少年の口の端が動いた。微笑したのだ。
 女性の顔にかかっていた、栗色をわずかに混ぜて溶かしたような黒髪をそっと残る右腕で払う。胸元に届く程度まで延ばされた髪は、持ち主がそう気に掛けずとも絹糸のような手触りと、色艶を失わずにいる。
 自分の右手の中の髪を弄びながら、少年は女性の寝顔を見つめていた。
 ぱらぱらと途絶えぬ雨の音が、少年に過去を回想させた。この女性と出会ったのもまた、今日の様な暗い雨の日だった。
 少年の名前はシン・アスカ。女性はセツコ・オハラといった。

 
 

 コズミック・イラと呼ばれる時代に起きた二度に及ぶ、プラント・地球間の戦争は、ラクス・クラインと呼ばれるコーディネイターの少女が、プラント最高評議会議長に就任した事で一応の決着を迎える事となった。
 シンは二度目の大戦においてラクス・クラインに討たれたギルバート・デュランダル前プラント最高評議会議長の傘下で、フラグシップ的な扱いを受けたエースであった。
 当時のプラントの技術力を結集して開発されたMSデスティニーを受領し、ザフトと交戦状態にあったロゴスを相手に戦果を上げ、数々の勲章を受け、そして最後にはラクス・クラインと彼女に賛同する者達の前に敗れた。
 デュランダル派のエースであったシンは、元上官だった男やラクス・クラインと懇意の関係にあった故国の国家元首らの働きかけもあり、諸々の権限を剥奪される程度の刑罰と引き換えに軍籍を残される事となった。
 元デュランダル派のエースとして広く知られたシンの顔と軍功を快く思わぬ者や、陰口を絶やさぬ者達もいたが、シン自身どこかに疲れを感じていたのかもしれない。
 軍に短い期間とはいえ在籍していたのは、せめて世界が平穏を手に入れるのを見届けるまでは、戦争とはいえ多くの人々を手にかけた自分が、そう簡単に安らぎを得てはいけないと自己を責めていたからかもしれない。
 シンが除隊する事を知った、かつて同じ船で過ごした仲間達は、あるものはこれまでのシンの戦いを労い、またある者は軍を去る事を惜しみ、ある者はこれからどうするのかとシンの身を案じてくれた。
 自分のことを心配してくれる人たちがこれほどいた事に望外の喜びを覚えるシンの胸は、その人たちの中に、能面のようにいつも無表情でクールだった親友の姿が無い事に、ひどく傷んだ。
 軍を去る時に渡された金には多少の色が付いていて、それなりの額だったが手をつける気にはならず、戦災にあった人々への援助に全額寄付した。
 それから日銭を稼ぐ仕事をしながら過ごす日々が続いたが、何の事はない、シンは自分が本当に戦う事しか能の無い人間なのだと思い知らされただけだった。
 どうあがいても戦う事――兵士としてしか生きられないこれまでの自分と、これからの自分の人生に、自嘲と絶望を覚え、荒んだ生活に足を半分突っ込んでいた頃にであったのがセツコだった。
 MSを扱えるという事でコロニーの周辺のスペースデブリを掃除する職を得て、その仕事の帰りに、運悪く雨に振られた日だった。安さだけが取り柄のアパートに帰るその帰路で、シンは傘も差さずに雨の中で佇むセツコを見つけたのだ。
 無気力さに精神をじくじくと侵されかけていたシンは、普段だったならそのまま通り過ぎていたであろうか、たまたま交わした視線の先にある女の瞳が、それをさせなかった。
 緑色の瞳は心にぽっかりと穴のあいたものにしかあり得ない虚しさが、盛大に手を広げていた。毎朝鏡を見るたびに否応なく見る事になる自分の赤い瞳の中にあるのと同じモノを、シンはセツコの瞳に見つけてしまった。
 あとはどこにでもあるお決まりの話だ。
 傷ついた男と傷ついた女。
 降りしきる雨、そっと女の上に差し出される傘と言葉。

 

――行くとこ、ないんだろ?

 

 掛けられた声の方を向く事無くかすかに縦に動かされる細い首。降りしきる雨に濡れ、冷え切った肌はただでさえ白い素肌を氷の海の底で泳ぐ人魚の様に、青ざめていた。

 

――だったら、家へ来いよ?
――…………
――えっと、熱いシャワーと着替えとタオルと、砂糖たっぷりのホットミルク位ならあるからさ。
――変わった人ね。
――お互い様だよ。それに、家に帰っても誰も待っている人がいないんだ。
――そう。……私もよ。似た者同士、なのかしら?

 

 シンは答えなかった。セツコが答えを求めていないのが分かっていたからだ。
 自分がどうなろうと構わないという、自分自身さえ含んだ無関心に至るまで、どんな悲しみや苦しみを経験してきたか、今のシンには、我が事の様に理解できた。
 結局、セツコは腕を取ったシンにされるがままに彼のアパートへと連れ込まれた。後は言わずとも分かる展開になる、のだが、この二人の場合いわゆる男と女の関係になるのにはずいぶん時間がかかった。
 たいていはその日その夜の内に傷を舐め合うようにして体を重ねるものだが、この二人の場合、ホントにシャワーを浴びてホットミルクを飲んで、少し身の上話をして寝たのである。もちろんセツコはベッドで、シンは床で。
 セツコはテロで両親を失い、適性があるからとただそれだけで軍に入隊した女だった。
 生い立ちは不幸と言えるセツコだったが、幸い軍では上司と同僚には恵まれ、心許せる戦友達を得たのだが、チームが自分を残して全滅し、携わっていた新型MSに関するプロジェクトからも外された。
 それから先も派遣された最前線で手酷い裏切りや碌な目に合わず、ロゴスの壊滅やロード・ジブリールの死去などでごった返す連合軍内で居場所のなかったセツコは、追われる様にして除隊したという。
 それから中てもなくただ生きるだけの、死んだのと同様の日々が続き、シンと出会うに至った。
 似たような境遇の二人が、互いに親近感を覚えるのは瞬く間も必要なかった。シン同様にMSやMAの扱いに関しては丁寧な操縦技術を持つセツコは、実にシンの隣のグループでデブリスイーパーとして働いていた。
 その小さな偶然にようやくセツコとシンは他意の無い笑みを漏らし、仕事帰りや昼食を共にするようになった。そんな二人が、一緒に暮らし始めたのは知りあって一月目の事だった。
 こういう事は男の方からと、変に古風な考え方をするシンが切り出した話題に、セツコはきょとんと瞳を開いて瞼をぱちぱちさせた。あまりも幼い仕草は、意外にセツコに似合い、シンに心中で可愛いな、と思わせた。
 セツコから頬を赤らめながらの了承の返事を得た翌日、二人であまりにも少なすぎるセツコとシンの荷物をこの部屋に運び、二人は一緒に暮らし始めた。
 事に及んだのは一緒に暮らし始めたその日の晩である。たがいに恋愛経験値皆無に等しい二人であったが、流石にこれまで過ごしてきた時間が、男女が同じ屋根の下同じ部屋で同衾する以上、何を期待させるか、また期待するのか理解させていた。
 これにはデブリスイーパー仲間達の涙ぐましい努力もあった。ようするにさっさとくっつけや、と思われていたのである。
 部屋の照明を落とし、カーテンを閉め切った暗い部屋のベッドの上で念入りに、それこそ隅々まで洗いつくしたお互いの体を晒し合った。
 そこまで来た二人の口から同時にまだ“そういった事”の経験がないという、今さらな告白をしあってから一時間後、悪戦苦闘の果てにようやく二人は結ばれた。
 幸い、セツコは感度がかなり良いようだった。思いつく限りの事をセツコの肢体にし尽したシンの下や上で、セツコはよく鳴いた。
 シン自身、自分が上手いとは思ってはいない。夜毎の艶姿は、やはりセツコ自身の体が快楽を受け入れやすくできているからだと思っている。でなければ初めてそういう事をした自分の指や舌で、ああも体を桜色に染め上げはしなかっただろう。
 掌から零れる大きさの白い乳房や、簡単に抱え込めてしまう思い切りよくくびれた腰、肌触りのよさと押し込む指を押し返す弾力が瑞々しい尻。
 それらを飽く事無く撫で、甘く噛み、何度も何度も丹念に舐め、時に抓り、執拗に揉み、跡が残るほど強く吸い、貫き、シンは初めて味わう女に溺れた。
 セツコもまた、いつまでも自分の体を弄ぶように愛撫するシンの腕の中で未知の痛みとその後に来た快楽の渦の中で、全ての悲しみや苦しみを忘れてシンの体を強く抱きしめた。

 

――あれから、なんどセツコの体を抱いたのだろう?

 

 ふと、回想から戻ってきたシンはそんな疑問に捕らわれた。少なくとも両手足の指の数では足りまい。
 無意識に右手の中で弄んでいたセツコの髪に気づき、シンは甘く香る髪に口づけた。
 まだ眠りの世界にいるセツコの寝顔が、かすかに微笑んでいる事にシンは気がついた。いつもは、過去の悪夢にうなされて苦しそうな顔をしている事が多い。セツコによれば自分もそうであるらしいが。
 セツコにも笑みを誘うような楽しい思い出があるのか、そう思うとシンは喜びが胸に湧くのを感じた。その夢の中に、自分がいるといいのに。
 そう考える自分に、シンはひどく驚いた。自分がセツコと夢の中でも一緒に在りたいと願っている事が、信じられなかったからだ。ただ傷を舐め合う筈だけだった関係が、いつの間に変わっている事に、ようやくシンは気付いた。
 自分を見つめるシンの視線を感じたのか、セツコがうっすらと瞼を開け、おとぎの国の眠り姫というにはいささか翳を帯びた瞳で、シンの顔を真正面から見つめた。
 寝起きですこしぼんやりとしているのか、右手でシーツを手繰り寄せてから体を起こしたが、昨夜シンが思う存分味わい尽くした右の白い乳房の先にある、小さく存在を主張している桜色の肉粒が、白いシーツの領域からわずかにこぼれていた。
 シーツ越しにうっすらと浮かび上がるセツコの肢体は、すでに半分ほどシンの舌と指に触れられていた。セツコの体でシンの指と舌が触れていない場所がなくなるまで、あとほんの数日で事足りるだろう。
 セツコの左手の指は今もシンの指に絡まったままだった。その指に自分の指を強く絡ませて握り、シンはまっすぐにセツコを見つめ返した。

 

「シン君?」

 

 こんな関係になってもまだ“君”付けをやめないセツコが、ほんの少し首を傾げる。さらさらと毀れた黒髪が、シーツの上でさあっと広がった。
 この人の近くにいたい。この女性の傍にいたい。セツコの隣にいたい。ずっと、隣に居て欲しい。そう強く願う自分の声を聞いて、シンはようやく、セツコを愛している事に気がついた。
ただその事実を静かに受け止めた。後になって自分でも驚くほど冷静だった。本当はとっくに気が付いていて、それを認める事が怖かったのだろうか。自分が大切に思う人たちを、自分の無力さで失ってきたために。
また自分に、大切な誰かができる事を恐れて。その人を失う痛みに、恐怖に、苦しみに目を背けて。
 けれど、もう気付いてしまった。知ってしまったのだ。自分が傍らの女性に抱くどうしようもないほど強い思いを。だから、それを口にする事に躊躇いはなかった。

 

「愛してる」

 

 何の脈絡も言葉も無い突然の言葉に、セツコは体を強張らせた。シンは答えを求めはしなかった。伝えたかった。言葉にしてセツコに伝えたかっただけ。
 だからセツコがそれに応えてくれなくても構わなかった。シンは、十分に満足していた。誰かをまだ愛せる自分。どこまでも愛しい人と巡り合えた“運命”に。
 セツコは瞳を閉じていた細く長い睫毛が物悲しげに揺れていた。数時間にも、永遠にも感じられる数秒が経ち、セツコの瞳から清らかな涙の滴が零れ落ちた。
 白皙の肌に輝く軌跡を残した涙は、やがて滴り落ちてシーツにいくつかの小さな染みとなって消えた。
 悲しみを題材にした詩を口ずさむのが最も似合うと見える、風に舞い散った花びらのようなセツコの唇は、二回だけ言葉を紡いだ。
 たった二回。けれど、千の語句や万の詩よりもはるかに雄弁に、セツコの心を語る言葉を。
 一回目、閉じていた瞼を開き、涙に濡れる瞳でシンを見つめながら。

 

「ずるい」

 

 シンの赤い瞳の中にセツコがいた。セツコの緑の瞳の中にセツコの言葉を黙って聞くシンがいた。

 

 二回目、肩を震わせながら、新たな涙をいくつも零しながら、精一杯の笑顔を浮かべて

 

「私も愛してる」

 

 セツコは、ようやく目の前の少年を心から愛している自分に気がついた。

 
 

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