SRW-SEED_660氏_ディバインSEED DESTINY_第23話

Last-modified: 2009-12-21 (月) 20:01:48
 

ディバインSEED DESTINY
第二十三話 ワイズ・ドール

 
 

 冷たさばかりが感じられる扉を前に、少年は足を止めた。備え付けのインターフォンのスイッチに伸びた指も、同じようにして空中に固定されている。
 扉に感じた印象は、材質の持つ雰囲気というよりはそれを前にした少年の心境の所為であろう。扉を前に珍しく弱気な表情を浮かべて、訪れる事に躊躇しているのはシン・アスカであった。
 大西洋連邦のコープランド大統領の声明を耳にし、その場から逃げだす様にして飛び出たその後の事である。シンの足は一路ある場所へと向かい、そこにいるであろう人と話がしたいと痛切に願っていた。
 けれど、実際にそれが出来る直前まで来てしまうと、急に心の中に不安が湧き出して、何かに追い立てられるようにして動かしていた足は、その場に縫いつけられたように止まり、伸ばした指は見えない糸に絡み取られてしまった。
 どうして、後一歩踏み出す事が出来ないのか、訪問を告げる鐘の音を鳴らせないのか。
 答えは分かっている。そんな事はあり得ないと分かってはいても、責められる事が怖いのだ。
 全幅の信頼を寄せる人から、お前のせいだと、責任はお前にあるのだと告げられてしまうかもしれないという可能性が、シンの心に水が沁み入る様にして入り込み、水嵩を増している。
 コープランドの言葉に瞬時に沸騰した怒りが、指先にまで行き渡り、開いた毛孔から炎となって噴き出しそうな心理状態に突き動かされ、ここ――ビアンの執務室に足を向けたのは、言い訳をする為だったかもしれない。
 自分の所為じゃない、たしかにユニウスセブンを砕きはしたけれど、だからといってあんな地球と宇宙が隔離されるようなことの原因になる筈はない、そう弁明して開戦の理由の一つにされてしまった事を許されたいのだ。
 いざ執務室の前まで来ると、ようやく自分を突き動かしたのがそのような惰弱な感情である事に気づき、シンは猛烈な羞恥と自己嫌悪を覚えて足と指を止めたのだ。
 その二つの感情によって頭に上っていた血と熱が抜けて、頭が冷えるや否や今度は自分の責任が追及されるかもしれないと言う事に思い当たり、止まった足は前に進む事を拒絶している。
 なんと情けない事だろう。自分が思う以上に弱く脆い自分の心の有り様と考えに、シンが顔を俯かせた時、扉が向こう側から開いた。下を向いた顔を反射的に上げて、シンは扉の向こうに立っているビアンの顔を見上げた。
 天に角突く山脈を前にしている様な迫力はいつもと変わらぬが、シンの姿を写す瞳は親しい者の前にだけ見せる柔らかな光を湛えている。
 訪問者を映すカメラの映像から、シンが扉を前にして躊躇している姿に気づき、訝しみつつこちらから扉を開いて迎えたのである。

 

「あ、えっと、その」

 

 何を言えばいいのか、とっさに思いつかなかったシンが、目線を逸らして決まり悪く俯き、なにやら暗い沼地に沈んでいる様な雰囲気を纏っている事に気づいて、ビアンは声音を柔らかなモノにした。
 戦場に立てば一騎当千と称賛するに値する働きを見せるこの少年が、それ以外の場面では年相応であることを思いだしたからだ。
 そうでなくとも、シンを戦争に巻き込んだという負い目が常にビアンの心にあるから家族の事や友人達の事など、出来得る限りのケアには気を遣っている。

 

「こんな所で立ち話も何だ。中に入りなさい」
「……はい」

 

 二人の姿は一軍の長と末端の兵士ではなく、傷つく事に怯えている少年とその少年を導こうとする壮年の教師か、父親の様であった。執務室の中にはビアン以外には姿が無く、中に招かれたシンと二人きりになる。

 

「なにか飲むかな?」
「いえ、気を遣わないでください」

 

 ソファと飲み物を勧めるビアンに丁重に断りをいれ、シンは腰かけるに留めた。ビアンは沈鬱の海の底に沈んでいるシンの声に、ふむとひとつ頷いたきりで自分のコーヒーを淹れてから、シンの対面に座る。
 最高級品の本革張りのソファは、腰かけるもの体重・姿勢に合わせて最も快適で負担のかからない角度に調節される。
 MSのコックピットシートのみならず、長時間使用される兵器のシートでも使われている素材だ。これのお陰で丸数日腰かけ続けなければならないような戦闘でも、腰痛に苦しむ事は無い。
 ビアンがコーヒーを淹れて腰かけるまでの間、シンは落ち着きがなくそわそわとした調子でいた。それも、目の前にビアンが深く腰を下ろした事でぴたりと収まる。
 その代りいよいよ体は緊張をましてじわじわと、軍服の下のインナーが石にでも変わっているかのようだ。
 どこをどのように見ても緊張に凝り固まっているシンの様子に、コーヒーカップに口を着けながら、ビアンはどうしたのかと、心の内で疑問符を浮かべていた。
 悩んでいるばかりでなく、何かを恐れているようでもあるし、さらにはビアンに対して遠慮している、いや、負い目を感じているような素振りもかいま見える。
 複数の感情がタペストリーの様に織り重ねられたようにして、シンの心に重圧となってのしかかっているようだ。
 三年近い付き合いの中で、単純明快なシンの性根を察していたビアンはその理由がなんであるかと、推察しようとしたが、てっとり早く直に聞く事にする。
 シンはお世辞にも口の達者な少年ではないし、気まずくはあろうが、単刀直入な物言いの方がシンも話を切り出しやすいだろうという配慮の上だ。

 

「何かあったと顔に書いてあるが、どうかしたか? 私に気を遣う様な事でもしたのかね?」
「っ、それは」

 

 肘の上に置いていた自分の手の甲をじっと見つめていたシンの視線が、ぱっと上げられたかと思うと、また左右に泳ぎ出す。ビアンは何も言わずシンの方から話の糸口を紡ぎ出すのをしばらく待った。
 シン自身、自分が隠し事の出来る性格でない事は知悉しているし、沈黙の重さと気まずさ、それに早く心中を吐露して楽になりたいと言う欲求の後押しが、すぐに錆ついた鉄の扉の様に閉じた唇を開かせるだろう。
 コーヒーカップの中の黒い水面の水位が、半分ほどになった頃、シンがようやく決意してビアンの顔を赤い瞳に映しながら口を開き、ぽつりぽつりと語り始める。
 見る者によってはルビーのような、とも血を琥珀のように固めたような、あるいは薔薇の赤を映した様だとも評されるシンの瞳は、厳格な父親の一括を恐れて縮こまる幼子の様に揺れている。
 誰かがいまのシンの様子を見たなら、猛獣を前に怯える子兎などの小動物を想起したかもしれない。すくなくともビアンはそう連想した。
 聞かん気の強い生意気盛りの少年といった風貌のシンであるが、心の扉を開いた相手に対しては、こちらの方が危うく思うほど無防備で信頼しきる傾向にある。
 実の父に対するのと等しくビアンを信頼し尊敬しているからか、負い目を感じている今のシンは、砂の城の様に脆く見える。
 シンの声は小さく、見た目の雰囲気そのままに重々しい。

 

「……大西洋連邦の大統領の声明で、おれがユニウスセブンを壊したから地球があんな風になって、その事が開戦の理由にされたのを聞いたら、頭の中が真っ白になってわけわかんなくなって、気づいたら、ここに足を運んでいて」
「その事か。私もコープランドの言葉は聞いたが、そこまでお前が悩む事はないだろうに」
「だって、おれが、おれのした事をあんな風に利用されるなんて、ぜんぜん考えてなかったから!」

 

 必死に言い募り腰を浮かしかけたシンを、ビアンが突き出した右手で制した。カタリと小さな硬質の音を立てて、コーヒーカップをソーサーの上に戻し、ビアンはふむ、と一つ息を吐く。
 手で制されて勢いと熱した感情を冷まされたシンは、腕を組んで髭を弄る――考え事をする時の癖の一つだ――ビアンが、次に何を言うのか針の筵の上に座らされている気分でじっと待つ。
 ビアンは細い針金よろしくじょりじょりといった感触のする自分の顎髭を撫でつつ、意外なシンの反応に考え込んでいた。
シンが怒りで頭の中が一杯になったというところまでは、この少年を知る者なら誰でも想像がつくだろう。
 けれどさらに怒りの感情の先に、戦争の理由にされた事への申し訳なさに鬱屈の底なし沼に沈み、こうして打ちひしがれた姿を晒すのは予想にしなかったものではあった。
 コープランド大統領の声明を聞き、その中でシンが行ったユニウスセブン破砕を言及されていたのを知りながらそこまで考えが及ばなかった事を、ビアンは恥じた。
 DC領海に迫りつつある地球連合艦隊の報告を受けて、思考が別の事に割り振られていたと言う事もあるが、前大戦の激戦を生き抜き、成長したシンがかような反応を示したのは意外であった。
 戦士としての技量は稀有なまでの完成度を誇り、また更なる成長の予感を感じさせ、その精神も武道家として理想的な高潔さを身につけつつある。
 それでも、変わらずシンの本質は善良で、正義感の強い多感な少年だ。
 繊細な感性を持った少年が、故郷を焦土にされるかもしれぬ引き金にされた事に傷つかない筈が無かったのだ。激しい怒りを感じているのも確かだろうが、ビアンの前ではそれ以上に苦悩の様子を色濃く見せている。
 自分の弱い所を見せる事が出来る相手がいると言う事は、人生において幸せなことではある。ましてやシンの心情に理解をよく示してくれる人であればなおさらのことであるだろう。

 

「月並みな事しか言えんが、戦端が開かれたのはお前のせいではない。あの時お前がユニウスを破砕しなければ、億単位の被災者が出て地球に住む人々は今よりもはるかに大きな災害に襲われていた。
 むろんこのヤラファスもオノゴロもだ。お前がしたことはお前の家族を守り、国を守り、この星に生きる人々を守ったのだ。それを小賢しくも戦争の引き金を引く理由に利用した者達を蔑みこそすれ、お前を責める様な事はせん」
「…………」

 

 シンはきつく拳を握りしめ、顔を俯かせたままだ。よほど力を込めているのだろう。シンの拳の指の付け根は白く盛り上がり、今にも爪が皮膚を破って血が滴り出してしまいそうだ。
 ビアンはシンが体の内側から引き裂かれるような痛みを堪えている事に気づいてはいたが、変わらず言葉を続ける。シンに語った言葉に偽りはない。月並みな言葉は、真実であるからこそ長く時を越えて使われるのだから。

 

「それに、先日オーストラリア大陸にあったルイーナの基地の第二次調査報告を受けて、興味深い事が分かった。あの施設は、どこかへエネルギーを供給する為のものであったらしい」
「それが、いったい?」
「分からんか? お前達があの基地を攻略して機能を停止させてから空は青と太陽を取り戻した。ということは……?」

 

 ビアンの言わんとしている事はシンプルだ。シンも頭の中でビアンの言った事柄の点と点を結び合わせて、ひとつの考えに行きつく。

 

「あのルイーナって連中が、地球を封鎖したって事ですか!?」
「その可能性はある。惑星をまるまる一つ覆い尽くす次元断層を発生させるエネルギー源が一体何なのか、そのエネルギーをどのように確保し、供給していたのか、その方法までは分からぬがな」
「総帥、おれは」
「お前がした事は誇るべき事でこそあれ、そのように自責の念に駆られる様な事では決してない。都合良く利用しなどという者達の言葉など気に病むな。お前が間違っていない事は私が保証する。
 私以外のお前をよく知る者達もみな、お前の味方をするに決まっている。お前を言葉の剣で傷つける者達からは、私達が盾となって守ってやるとも。だから気に病むな。何度も言うぞ、お前に責任はない」

 

 ビアンは力強く断言してシンの肩を叩き、揺さぶる。ビアンの顔には笑みが浮かんでいた。巌のように固く厳しい威圧的なビアンが、柔らかく笑むと不思議と険しさが取れて誰でも笑い返したくなる暖かなものに変わる。
 普段の表情だったら、泣いている子供がさらに泣き出しそうな風貌なのだが、シンに向けているのと同じ笑みであったなら、はぐれて迷子の子供も安心して涙を引っ込めて、小さな手を預ける事だろう。
 そんな暖かな笑みが向けられて、シンは弱々しく笑み返す。傷ついた心が辛苦の感情の海から、固く大きく暖かな手に引き上げられるのを、強く感じていた。
 シンは、それから席を立って何度も頭を下げて執務室を後にした。ビアンはやれやれと、苦笑まじりの溜息を吐く。
 こうも自分がシンやステラ達に心を砕くのは、実の娘であるリューネに対して満足に親らしい事もしてやれぬまま死別した反動であろうか。ふと、そんな事が頭に思い浮かんだ。
 実の子供の代わりとしてあの子らに対して優しく接しているのなら、それは不実な事だろう。本心からではなく代替としてシンや、ステラ、スティング、アウルらに親めいた親愛の情を押し付けていると言うのならば。
 リューネに対しては、確かにDCの後始末や来る異星人との戦いを任せてしまった事や、小さな頃から機動兵器のパイロットとなるよう教育を施すなど、自分は良い父親とは到底言えなかっただろう。
 それでも自分なりにリューネの事を愛していたと、いまも愛していると断言できる。だからこそ父親らしい事をしてやれなかった負い目から、シン達に対する行動で目を背けているのだろうか?
 機動兵器の開発や設計に関してはシュウ・シラカワと並び、世界で五指に入る明晰な頭脳の持ち主ではあったが、父親としてみればビアンもまた平凡に悩む人であった。
 父親として取る行動が、機動兵器パイロット用の教育を施し、専用のロボットを製作するなどと非常識ではあるが。
 自分の態度がシンやステラ達に対して不誠実なものはないのか? その悩みはもう何年も心の内に抱えていたものだった。
 執務用のデスクの椅子に戻ったビアンは、シンが晴れやかな顔で退出したのとは逆に、深い皺を眉間に刻んだ表情であったが、扉の外を映し出すインターフォンのカメラが写した映像に、小さく笑顔を浮かべ直す。
 シンが一人ではない事を示す映像が、そこには映し出されていた。

 

「私がシンに何か言う必要もなかったか。ふふ、シンの人徳かな? これ以上盗み見るのは悪趣味だな」

 

 画像を切ったビアンが浮かべた笑みを、もし他者が見ていたならば、子供の無事に安堵した親の様な笑みだと誰もが口にした事だろう。ビアンが浮かべていたのは、そのような優しい笑みであった。

 

 

 強さ以上に危うい脆さを抱えた繊細な心の空を覆っていた鉛色の暗雲が消えたのを感じて、シンは部屋に入ってきた時とは別に晴れやかな顔に変わっていた。胸を張って歩きだそうとしたシンに、おずおずと声が掛けられた。
 いつもは無償の愛情をこめてシンにかけられる声は、シンの荒ぶっていた心の嵐が鎮まったかどうか、案じる響きに満たされている。

 

「シン? なんのお話してたの?」
「ステラ、それにセツコさんも」
「うん」

 

 軽く握った拳を胸元に押し当てて、菫色の瞳をうっすらと潤ませたステラと、その左手を握るセツコが、執務室の扉のすぐ外でシンを待っていた。
 本来特務部隊所属とはいえ末端の兵士であるステラやシン達は、政庁の心臓部である執務室にまで来られる立場にはないが、ステラなど極一部はビアンの許可を得ているから顔パスだ。
 シンとステラがここまで何の咎めもなく来られたのも、同じ理由である。セツコが同伴でも問題視されなかったのは、ステラが頻繁に執務中のビアンの所に顔を出した前例があったからだろう。
 セツコにどうしたんですか、と聞こうとして喉まで出かかった言葉を、シンはすんでの所で飲み込んだ。
心細げなステラの様子と気づかわしげに自分とステラに、交互に目線を送るセツコの様子から、自分に用事があってきたのだと言う位には察せられた。
 シンは、オーブ解放作戦以降の人生が戦いづけであった事もあり、女性から向けられる恋慕の情に関してはかなり鈍感である。
 それでもステラからは限りない愛情を二年近く与えられて、またシン自身もステラに対して抱いている自分の感情を流石に意識している。だから、どうしてステラ達がここに来たのか、すぐに理解した。
 ステラとセツコは自分の事を心配してここまで来てくれたのだ。あの演説を聞いてから憤激に駆られて、その場を立ち上がって去った自分の心を。
 その事が分かる余裕があるのも、ビアンにお前に責任はないと言ってもらえて、両肩に重々しく圧し掛かっていた荷が下りたからこそだ。
 心配そうに自分を見つめるステラの髪に手を伸ばして、ゆっくりと撫でた。
 金色の髪のぷかぷかと空に浮かんでいる雲みたいに柔らかな感触と、少し火照った様な暖かな体温を掌越しに感じ、心地良さげに目を細めて頬をうっすら赤く染めるステラの様子に、シンの心も温まる。
 ステラをあやしているのはシンの方なのに、ステラの元気を分けてもらっているようで、シンは心に残っていたささくれ立った部分が癒されてゆくのを感じて、たまらない愛しさで胸がいっぱいになる。
 自分がステラに抱いている感情の強さを、シンは改めて噛み締める。ステラは大好きな飼い主に頭を撫でられる子犬や子猫の様に薄く目を細めて、心地良さげに体から力を抜いている。
 シンの手を拒絶する素振りなど欠片ほども見せず、ただただシンのしたい様に身を委ねている。
 シンの指一本一本は琴の操者のように細長く繊細な造りなのに、所々剣ダコで覆われていて、細身の見た目にそぐわず硬い。
 ステラはその手が好きだった。木の瘤みたいに硬いタコは、そうなるまでシンが重ねた日々の象徴そのもの。
守りたいと思う人を守る力を手に入れる為に、たくさんの時間と普通の少年らしい生活を犠牲にした証。
 シンの優しさとその優しさから生まれた強さを、シンの手は良く表している。だから、ステラはシンの手が好きだった。
 大好きなシンの手に触れられると、シンが守りたいと願う人の中に自分がいる事、自分もシンの事を守りたいと願っている事を、強く感じる事が出来る。
 眼を細めていたステラが、胸元で握っていた手を伸ばし、飽いているシンの左手の軍服の裾を握って、おずおずと口を開く。くぅん、と子犬の鳴き声に聞えたのは、シンの耳の錯覚とは言い切れなかったかもしれない。

 

「シン、もう怒ってない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。ステラが来てくれたから、もう平気さ。総帥にも励ましてもらったしね」
「本当?」
「うん、本当」
「ん。なら、いい」

 

 シンに髪と頬を撫でられるがままで、その心地良さに夢見る様にうっとりとしていたステラは、シンが浮かべた朗らかな笑みにつられて微笑む。
 ステラはシンの体の中で荒れ狂っていた感情の嵐が静まっている事を敏感に感じ取って、心の底までシンの手にされるがままにする。シンの手は飽きると言う事を知らず、綿あめみたいに柔らかいステラの金髪と頬を撫で続ける。
 握っているステラの左手から力が抜けて、傍目にも緊張の抜けきった様子が分かるのにセツコは微笑する。ステラにとってシンがこの上なく掛け替えのない人なのだと言う事が良く分かる。

 

「セツコさんもわざわざすみません。おれが勝手に怒って勝手に出て行ったのに」
「ううん、私はステラちゃんについてきただけだし。あ、でも、シン君の事が心配じゃなかったってわけじゃないよ。シン君が初めて見る位に怒っていたのには驚いたし、気になったのは本当だから」
「おれ、頭に血が昇りやすくって。だいぶマシになったんですけど、たまに自分でも感情を抑えきれなくなる時があるんです。かっこ悪い所見せちゃって、なんだか恥ずかしいですよ。忘れてください」

 

 はは、と乾いた笑いを一つ零して照れ臭そうに頬を掻くシンの仕草を、セツコは年下の男の子らしいな、と微笑ましく思った。
 シンが元の調子を取り戻しているのを肌と心で感じて、ステラはすっかりご機嫌になり、前にカーラに習った『男の子が元気になる四十八手』――内三十七手がミナによって禁止令が下されている――のひとつをとった。
 別に特別な事をしたわけではなかった。ただ、シンの左腕に自分の両腕を絡めて抱きついたのだ。年齢と比べればずいぶんと大きく育ったマシュマロみたいに柔らかい胸を押し当てて、頭はシンの肩に預ける。

 

「ステラ?」
「ん、ステラの元気、シンに分けてあげるの」

 

 シンは鼻をくすぐる甘く優しいに香りで肺を満たしつつ、腕に感じられる途方もなく柔らかい感触二つと、こちらを見上げるステラの瞳にそれ以上何も言えなくなった。
 少女特有の柔らかな肢体、尽きぬ香泉とでも形容しようか、いつまで顔を埋めていたくなる心地良い匂いは、シンの理性をあっという間に叩きのめしてしまう。
 ビアンに会っていた時とはまったく別種の緊張に体を強張らせているシンの事は知らず、ステラは元気を分けてあげるという言葉通りに、ぎゅうっと抱きしめたシンの腕の存在を確かめる様にさらに強く抱く。

 

「ん~♪」

 

 大好きなシンと体を密着しあって、互いの存在を感じ合える状況が嬉しくて、ステラは鼻歌の様に陽気で、甘い睦事の囁きの様に蕩けた声を出した。
 セツコもいつもの事とはいえ、ステラの人目を憚らない大胆な行動にうっすら口を開いて、何を言えばいいのか、どうすべきかとっさに思いつかず、どうしたものかと少し困った顔をしている。
 そんなセツコの様子を見て、ステラはにこっと笑って、太陽のように輝く笑みと共にとんでもない事を言った。

 

「セツコも」
「……? …………え、ええ!? 私も!!」
「シン、セツコの事が大好きだから、もっと元気になるよ?」
「え、あの……シン君」
「い、いや、セツコさんの事はそりゃ、嫌いじゃないですよ。むしろ、その、すごく美人で近くにいるとどうしていいか分かんなくってその、き、緊張しちゃう位で、っておれ、何言ってんですかね!? ステラもそんな事言ってセツコさんを困らせちゃダメだってば!」
「でも、シン、セツコの事嫌いじゃないって言ってる。ステラは、好きな人と一緒だと元気でるよ? セツコ、シンの事、嫌い?」

 

 慌てふためくシンの事などお構いなしに、ステラは続けて特大サイズの爆弾を連続して投下し、左手を封じられているシンとセツコに一瞬呼吸する事を忘れさせた。
 知らず知らずシンとセツコの瞳が交差して、星色と赤色の瞳の中には二人の姿が、互いの瞳の色に染まって映っていた。
 交差していたのも一瞬、ステラのセリフが耳の奥にこびり付いていた二人は、ぱっと顔を背けて、同じように顔を赤くして俯いた。
 自分が放った言葉の破壊力をいまいち理解していないステラは、揃って同じ反応をしたシンとセツコを不思議そうに見つめている。その間もシンの腕を抱きしめる力は変わらず、二つの豊丘で挟んでいるままだ。

 

「ステラちゃん、あのね? 私は、シン君の事、嫌いじゃないよ。私よりも年下なのにとても真似が出来ない位凄い実力だし、優しいし、すごくいい子だもの。多分、弟がいたらこんな風なのかなって思ってるの」

 

 嫌いじゃない、弟みたいに思っているという評価に、シンは嫌われてはいなくて良かったと安堵するのと同時に、何か失望する様な気持ちになって、自分の心理状態の変化に納得がいかずに少しだけ眉を寄せる。
 どこか言い訳がましくもあるセツコの言葉に、ステラは完全には腑に落ちなかったようだが、それでも大好きなセツコが大好きなシンの事が嫌いじゃないと言う事は嬉しかった。
 だから余計にセツコにもシンを元気にして欲しいな、とも思っていた。

 

「じゃあ、どうしてだめなの?」

 

 小首を傾げて可愛らしく無垢な瞳で訴えかけてくるステラの瞳に射竦められて、セツコはあうぅ、と進退窮まった声を出して、形の良い眉根を寄せてシンをもう一度見つめる。
 シンは何処か縋る様な、訴えかける様な、嗜虐欲をそそる哀れな小動物めいた表情を無意識の内に浮かべている。天性のサディストなら、思わず舌なめずりをするに違いない
普段の清冽で精悍なシンの雰囲気とは真反対の弱々しげな姿に、セツコは下腹部の辺りが熱を帯びるのを感じた。
 そっと、雪花石膏から削り出された彫刻の手の様に美しいセツコの手が、あいていたシンの右手を握りしめた。柔らかく暖かなセツコの手の感触に、シンはただでさえ高まっていた心臓の鼓動が大きく鳴るのを聞いた。
 初めて握るセツコの手の感触に、シンは小さな感動さえ覚えていた。ステラの手とはまた違うぬくもりと柔らかさである。
 全体的にややほっそりしていて、終日シミュレーターで猛特訓に励んでいると言うのに、絵画の中の貴婦人のそれとしか思えないほど華奢で清楚な造りである。
 際限なく高鳴る心臓の所為か、シンの声は未知の快楽を教えられる寸前の青少年の様に、期待と不安に震えていた。

 

「せ、セツコさん?」
「シン君」
「は、はい!」

 

 恥じらいに頬を染めつつも上目遣いでこちらを見つめてくるセツコは、幼い少女のように愛らしく、同時に一国を思うがままにした傾国の美女の様に妖艶で、シンは何も言えず口をぱくぱくと開いては閉じてを繰り返す。

 

「動いちゃ……ダメだよ?」

 

 セツコさんの声は甘い毒だ。シンは心の底から思った。あまりに心地よくて、抗う気力が湧き上がってこない。
 耳からするりと忍び入ってきた声に揺さぶられて、脳はとろりと溶けてしまい、シンは何も考えられない。今のシンなら、幼児だってKOできるだろう。
 左腕から伝わるステラの肉の感触とセツコの声の誘惑に溺れていたシンは、セツコに握られていた右手に伝えられた新たな感触に、息をする事さえ忘れる。
 それは、音にするならこうだった。

 

 むにゅ

 

「!!!!!!!」

 

 鼻がくっつきそうな位近くにあるセツコの白磁の頬が、かすかに白桃のように淡い桃色を帯びていくのを、シンの瞳は映していたが、それどころではなかった。

 

(むにゅが、むにゅが両腕、二つ、セツコさん顔赤い、ステラはうれしそうだな……。胸、おっぱい、密着で柔らかい? 二人とも、いい匂いだな、なんでこんなにいい匂いがするんだろう? それにしても……むにゅ? むにゅ!?)

 

 シンの脳は、およそまともな思考なぞ銀河の果てまで吹き飛ばしていたからだ。

 

 大きくて、柔らかくて、温かくて、すげえいい匂いがしました――byシン・アスカ。

 

 

 地球連合艦隊接近の報がDC軍司令部の間を雷光の速さで駆け抜ける中、オーストラリア大陸の激戦から無事帰還したクライ・ウルブズの面々は交替で一日ずつの休暇が許されていた。
 そんなわけだから、ロックオン・ストラトスことニール・ディランディは、一人でぷらぷらとヤラファト島を歩き回っていた。ティエリアや刹那、デスピニスなど普段一緒に行動しているメンバーの姿はない。
 今日はプライベートだから、流石にそこまで彼らと一緒というわけではないのだろう。艦内に居る時と同じ袖無の合成革製のベストとグリーンのシャツというラフな出で立ちである。
 ヴォルクルスの蹂躙による数万単位の死傷者を出した爪痕は消え去り、街並みを行く人々の体に戦禍の残り香はまとわり着いてはいない。
 噴水のある公園でホットドックを一つ買い、ベンチに腰かけて齧り、良く噛んでからコーラで流しこむ。
 戦争の影が見えない暗雲となってこの街の空をも覆っている筈だが、買い物帰りの親子連れの会話や、暢気に餌を突いている鳩の鳴き声を聞いていると、ついつい戦争の当事者である事さえ忘れてしまいそうになる。

 

「ミス・スメラギとヴェーダはよくこき使ってくれたっけな」

 

 まだ24世紀の世界でガンダムマイスターとして戦っていた頃は、セカンドチームであるトリニティが現れるまで、世界中の紛争幇助と見做した相手に武力介入を繰り返し、休む暇はほとんどなかった。
 一日だけとは言え誰の目を気にする事もなく休暇を満喫できると、逆に忙しかった頃の事が思い出される。
 こちら側にもティエリアや刹那といった問題児が本人としか思えない性格と容姿で現われたが、あちらの刹那とティエリア達は上手くやれているだろうか。
 一度は死に、別の世界に転移などという三文小説じみた境遇に陥った自分が思いを馳せた所で、どうしようもないと頭では分かっているのだが、前の世界の仲間達への思いから、ロックオンはしばしば過去に思いを馳せる。
 ロックオンが家族の仇であるアリー・アル・サーシェスとの戦いでこちらに来た時の状況が、ソレスタルビーイングにとって最大の危機であった事も大きいだろう。
 たった四機しかないガンダムの内一機が、ああも破壊されては迫りくる三大国の部隊への対応にも、並みならぬ苦労を強要されたに違いない。
 前の世界の仲間達を信じてはいるが、年長のガンダムマイスターとしてそれとなく仲間内の関係には気を遣っていた。
戦いの日々が過ぎて、お互いを仲間とはっきり意識出来る関係になるまで、色々と問題があって苦労したからどうしても気になってしまう。
 ましてやこちら側でも刹那とティエリアの面倒を見る事になったのだから、前の世界に残してきた問題児達の事が気になって仕方がないのも無理はない。
 おれって奴は苦労人だねえ、と我がことながら苦笑し、ホットドックの残りを一気に口の中に放り込んで、コーラで胃袋に流しこむ。
 ひとたび戦場に出れば、やたらと前に出たがる刹那やシンの援護に忙しくなるとは言え、こうも何もしなくていい時間が続くと、退屈の度も過ぎると言うもの。尻をぱんぱんと叩いて、ロックオンは立ち上がる。

 

「さて、と。次はどうしたもんか。カーショップにでも顔を出すか……ん?」

 

 立ち上がったロックオンの視線の先に、公園に面した通りを歩く一組の男女の姿が映った。ひょろっと背の高い朴訥とした印象の青年と、やや癖のある髪をバレットでまとめた垂れ目がちの女性だ。
 食料品を詰め込んだ紙袋を抱えたが青年が、長袖のシャツと黒いスラックスで全身を覆っているのに対して、女性の方はオーブの気候に適したラフな格好だった。
 袖無しのデフォルメされたネコのプリントシャツの胸元は、ふっくらと丸く押し上げられていて、下半身の方はほとんど足の付け根でカットしたカットソー、足元はミュールと涼しげだ。
 特別に目を引くような奇異な容貌でも、自ずと耳目を集める端麗な容姿というわけではないが、ロックオンの眼が吸い寄せられたのはその男女が見覚えのあるものだったからだ。
 ロックオンは急いで駆けだし、通りを歩いてゆくカップルの背に声をかけた。

 

「リヒティ、クリス!」

 

 リヒティと呼ばれた青年とクリスと呼ばれた女性は、ロックオンと同じ驚きを共有した顔で振り返る。それは、その二人が確かにロックオンの知る人物であるという証明でもあった。
 そして、二人はロックオンを指さして大通りのど真ん中で思い切り叫び声を上げる。

 

「ああーーーーーーーー!!!!!!」

 

 リヒティの抱えた紙袋から、カボスがひとつぼとりと音を立てて落ちた。

 

 

 生死を越えて再会したリヒティとクリスに案内されて、ロックオンは湾口の近くにある小さな事務所に到着した。事務所の後ろでちゃぷちゃぷと音を立てる波の上に、小舟が一艘浮いている。
 スチールブルーの船体色に、ロックオンは懐かしいものを覚え、事務所に掛けられた看板に書いてある社名を見て、口元に淡い笑みを浮かべた。
 そこには『トレミー・デリバリー・サービス』と書いてあったのだ。それは、生前ロックオンとリヒティ達が拠点としていた船の愛称だ。

 

「もし、あっちの誰かが来た時にすぐ分かるようにって、相談して決めたんすよ」

 

 がらがらと引き戸を開きながら、リヒティが微笑しているロックオンに告げた。さきに見つけちゃいましたけど、と呟いてリヒティとクリスが事務所の中に入るのに続いて、ロックオンも足を踏み入れた。
 中は零細企業に相応しく質素なもので、応接セットが一つと事務用のスチール机が二脚に、がらがらの棚が一つ。奥の方に流しと扉が一つある。扉の奥から二階の居住室に繋がっているらしい。

 

「すぐにコーヒー淹れるね。ロックオンもコーヒーでいい?」
「そうだな、何も入れなくていいぜ。リヒティとクリスの二人だけか?」

 

 冷蔵庫に買い物袋の中身を詰め込んでいるリヒティがしゃがんだ姿勢のままロックオンの質問に答えようとした時、ちょうど奥の扉が開いて新しい人影が姿を見せた。
 新たな登場人物の顔を見て、ロックオンの顔にリヒティ達を見つけた時と同じ再会の喜びと、この世界で出会ってしまった事の悲しみの混じる笑みが浮かびあがる。
ここで出会えたと言う事は、あちらの世界では死んでしまったということなのだから。

 

「おれの知っているドクター・モレノであっているのかい?」
「そうなるな、相変わらずの用でなによりだ。ところで、その右目はどうしたんだ?」

 

 サングラスをかけ、髪を切り揃えてオカッパスタイルにしている四十~五十代ほどと思しい白衣姿の男――ドクター・モレノは唇を吊り上げて笑い、ロックオンの一見健常そうな右目を指さした。
 モレノやリヒティ達が知っているロックオンの最後の姿は、仲間をかばって右目を傷ついた者の筈だ。なのに、いま目の前にいるロックオンの右目は、眼帯をつけるでもなく陽光の下に無事な姿を晒している。

 

「そういえば、どうしたんすか、その右目? ひょっとして……偽物のロックオン?」

 

 冗談交じりに疑わしげに言うリヒティに、瞼を下ろした右目を軽く突いてロックオンは答えを返した。

 

「電子義眼だよ。サイバネ技術の賜物だな。いまのおれは、右目と脳神経系の一部だけサイボーグってわけさ」

 

 茶化した調子のロックオンの言葉の内、サイボーグという言葉にかすかにリヒティの肩が震え、その理由を知るモレノもサングラスの下の目を細める。

 

「どうした? 何か、気に障る様な事を言っちまったか?」
「い、いやあ、流石ロックオン! 死んでもただじゃ起きないっすね。今度から不死身のロックオン・ストラトスなんて名乗ったら格好良いですよ」
「止してくれ、一度は死んだからここにいるんだ。不死身なんておこがましく名乗れないさ」
「はい、お待たせ。ロックオンもリヒティもブラックね」
「お、悪いな」
「クリスのコーヒーは美味いってお客さんの間でも評判なんですよ」
「開店以来ずっと閑古鳥が鳴いているけれどね。はい、モレノさんの分」
「すまんな。大抵の問題はコーヒーを一杯飲む間に解決しているものだが、こればかりは商才がないとどうしようもないな」
「おいおい、それでよく生活が出来ているな。第一、戸籍なんかはどうしたんだ?」
「それは、ぼるくるすだっけ? あれの所為でこの国が大混乱している時期におれ達三人でこっちに来たんす。その時のごたごたに紛れて」
「なるほどねえ、あとはクリスのハッキングでって所か?」

 

 悪戯好きな生徒を叱る様な眼で自分を見るロックオンに、クリスは可愛らしく小さな舌を覗かせて返事をした。
 クリスは知らなかったが、彼女がハッキングした時期は、シラカワ&イクナート印の超悪質魔術混合セキュリティが実装前の事で、実装後であったならば最高軍事機密にもアクセスできる凄腕ハンターのクリスでも危険だった。
 具体的に言うと非正規アクセスをしているのがばれると、逆探知されてハッカーの使用しているパソコン画面に召喚魔法陣が起動し、無限の飢餓に襲われている餓鬼塊が出現して、肉片一つ残さず食われてしまう。
 砂嵐の走るPC画面の前にはただ赤い血溜まりが広がり、クリスも下手をすればその実例の一つになる所だったのである。
 その後、ロックオンが今は傭兵という事でDCに身を置いている事や、こちらの世界生まれの刹那やティエリア達と再会している事などを話し、ロックオンの休暇は予期せぬ再開によって有意義なものとなった。

 

 

 ロックオンが休日を満喫し、シンがこの世の春を謳歌して二日後の事、地球連合艦隊迎撃作戦に向けてDC全体が慌ただしくなる中で、クライ・ウルブズのメンバーも休暇明けから忙しく働く事となった。
 オノゴロ島地下にある艦船用ドックにある広大な機動兵器格納庫に、シン達は集められていた。例によって新型機動兵器の配備か新メンバーの顔見せだろうな、と古参組は察している。
 特機級の格納も想定しているようで、天井まで百メートルはある。シン達が入ってきた入口と反対の壁際には、シートを被せられた機動兵器らしい物体があり、ステラ達は渡されたキャットウォークの上にいる。
 隊員の中でニコニコと世の中楽しい事ばかりといった具合に笑い続けているシンを、スティング達は気味悪げに見ていた。数年来の付き合いだが、ここまで異様に機嫌が良いのは初めて目にする。
 シンに比例するようにステラもなんだか嬉しそうだし、逆にセツコは縮こまるみたいに隅の方に隠れる様にしているし、どうにもこの三人の間で何かあったらしい事は確かだった。
 ひそひそとスティングとアウルとタスクとアクセルが手で口元を隠して、何があったかと若干桃色っぽく推測を交わしていると、アルベロとエペソとビアンが後から姿を見せ、その後ろに一人の女性を連れている。
 やはり予想通りに新メンバーの追加があるようだ。どの国のどんな集団の中に放り込んでも、目を惹く美貌の女であった。
 優美に伸びた四肢のラインと染み一つない綺麗な肌を露わにしている美躯は、息をする事さえ忘れそうな位に完璧で、大抵の美醜観の違いなどなんの問題もないだろう。
 足首から付け根まで大胆に露出し、慎ましく窪んだ臍や深く広い魅惑的な谷間が露わなピンク色の生地の服や、鉤爪みたいなパーツの着いたアクセサリーも奇抜だが、その中身の完成された造形美の方が圧倒的である。
 なにもせずにただそこにいるだけで人々の関心を引く美貌だと言うのに、人間的な生命力や生物的な雰囲気にはまるで乏しく、ともすれば美の女神の彫像を前にしたかの様な錯覚を与える。
 新メンバー紹介もお決まりのパターンで、上司の登場にアウル達は私語を慎むが、自軍の最高責任者直々の登場に、新参組のデスピニスやセツコらは驚いた顔をしている。
 DCの技術的屋台骨を支える大人物とは言え、総帥直々に顔を見せるのだから、このクライ・ウルブズという部隊がDCの中でどれだけ特異な立場にあるか、わかろうものだ。
 さっと敬礼するのに手を上げて答えて、壁際にシートを掛けて立っている機動兵器を背に、アルベロが一つ咳払いをした。

 

「お前達に紹介する。フレモント・インダストリー社からの出向で、今日から預かる事になったエキドナ・イーサッキだ。預かって早々だが、次の戦闘から参加してもらう事になる」

 

 アルベロに促され、一歩前に出たエキドナが沈黙して言葉を待つシン達に向けて唇を開いた。感情に乏しいと言うよりは人間の形をした美しい機械が口を利いている様な印象である。

 

「エキドナ・イーサッキだ。乗機はラーズアングリフを使う。よろしく頼む」

 

 なんとも簡潔な自己紹介だ。フレモント・インダストリー社(FI社)というのは近年、飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を伸ばし、アクタイオン・インダストリーやフジヤマ社、モルゲンレーテからも注目されている軍事企業である。
 DCとも関わり合いが深く、特に脳波を用いた機体制御や遠隔操作兵器に関してはFI社の技術に、喉を唸らせている。
 独特の機動兵器のOSやシステム機器、武装開発を行っていて、エキドナの機体はラーズアングリフだというが、武装や内部危機に関してはFI社製の品を使うに違いない。
 ラーズアングリフとランドグリーズに、レイヴンユニット以外にも拡張性を求める計画があり、その一環としてエキドナが最前線に常に投入され続けるクライ・ウルブズに出向という形になったのだろう。
 ラーズアングリフとランドグリーズに最も習熟しているのはサイレント・ウルブズに出向しているリルカーラ・ボーグナインと、ユウキ・ジェグナンだから、この場に不在である事が惜しまれる。
 シン達の誰にも興味のない冷めた目をしていたエキドナだが、アクセルの顔を視界の内に捉えたときだけかすかに視線を留める反応をした。
 エキドナとは正反対に新しいお仲間に興味津々だったアクセル・アルマーは、自分の方を向いた時に関心を見せたエキドナに目ざとく気づき、自分の頬を撫でつつぽつりと呟く。

 

「エキドナちゃん、どうやらおれに興味ありげなようだぜ、これがな」

 

 ふふん、とどこか誇らしげに言うアクセルの肘を突いて、トビーが釘を刺した。

 

「自信過剰は空振りした時格好悪いぜ」
「モテる男はいつでもやっかみを受けるもんさ」
「そこまで言い切られると何も言う気にならないな。ま、うまくやったら教えろよ」
「あんたも好きねえ」

 

 短いエキドナの自己紹介が終わり、次の話に進む中、エキドナはにやにやと軽薄に笑うアクセルへと再び視線を寄せていた。
何を考えているのか、何を思ってアクセルを見つめているのか、その表情から読み取る事はニュータイプにもできそうにはなかった。

 
 

――つづく。

 
 

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