「――ええ、ですから『仕様変更』だと言っているんですよ」
アズラエルが事も無げに放ったその言葉を受け狼狽の色を顔に滲ませながらも
その相手である『生体CPU』の開発責任者はアズラエルに言葉を返す。
「ですが、何故今になって急に仕様変更などと?」
「うん。まあ、その質問はもっともですね。これを見てもらえますか」
そう言いながらアズラエルはディスプレイに幾つかのデータを表示させる。
「君も見ての通り、確かに身体能力の強化という点においては申し分ない数値が出ています。しかし・・・」
ディスプレイの表示が切り替わり被験者の記録映像が流れる。
そこにはエメラルドグリーンの髪をした少年が映し出されていた。
もがき苦しみながら吐瀉物を撒き散らすその醜態に流石のアズラエルも若干眉を顰めた。
「まともな判断力が喪われる上に禁断症状が出てしまうとコレでしょう?
これではあまりに使い勝手が悪すぎるんじゃあないかと思ってね」
「し、しかし身体能力の強化を重点を置くように指示なさっていたのはアズラエル様自身ではありませんか!?」
「・・・まあ、そうなんだけどさ」
開発者の反論にアズラエルも流石にばつが悪そうに答える。
能力のみに固執していたのはアズラエルも同様であり責任はあくまで彼自身に帰するものなのだ。
「気付いた・・・というよりも思い出したものでね。必要なのはあくまで判断力と実行力だった事にさ」
そう言うアズラエルの脳裏にエイプリルフール・クライシスの折
自失し木偶同然となっていた彼を叱咤し、戦う事を選択したアムロが過った。
―――今、僕らの会話をもし彼に聞かれたら・・・間違いなく嫌われるだろうな。
短い付き合いではあるがアムロが人間を戦争の道具に使うような行為に強い嫌悪感を抱いている事は
アズラエルにも容易に知れたことだった。
現にアムロは彼の世界において多くの悲劇を生み出した『強化人間』の事はアズラエルに一切話しておらず
アズラエルもまた『アムロの世界』でニュータイプと同じような感応能力を人工的に引き出す様な試みが
おそらくは行われていた事は疑い無いと察してはいたが
その話題を持ち出す事はおそらくアムロとの間に抜き差しならぬ状況を生じさせるの事になると考え結局、口にする事は無かった。
「よくよく考えれば当たり前の事なんですよ。判断力が欠如した人材なんて何の価値もありません。戦場でも、もちろんビジネスの世界でも・・・ね」
「・・・・・・・・・」
「そういう訳で『仕様変更』です。判断力の維持、そして使用時間の延長・・・出来うるなら禁断症状なんて出ないようにお願いしますよ」
「それではまず投薬する薬剤の見直しを重点的に・・・」
「ん、解かっているじゃありませんか。"強化薬"はうまくいけばかなりの利潤が見込めるからね」
今のアズラエルは生体CPU――"ブーステッドマン"の研究の中で得られたものを活用し
最終的には一般の兵士にも副作用の少ない能力強化薬を提供するという構想を持っていた。
「期待していますよ。多少の身体能力の低下はこの際やむを得ないものとします。あくまで総合的な性能の向上を旨としてください」
「了解しました。では『仕様変更』。早急に進めさせていただきます」
彼は急な要求に内心では正直快く思っていなかったものの
アズラエルの言も正鵠を射るものであるのは確かだと結論づけて結局はこれを了承し部屋を後にした。
一人になったところでアズラエルは先程の己の台詞を反芻する。
―――よくよく考えれば当たり前の事ですよ・・・か。ならば何故今まで気が付けなかった?
アズラエルは自分の視野を狭めていた原因が何であったかを考える。
意外と答えはすんなり出た。それはコーディネイターに対する自身の感情によるものであった。
アズラエルはコーディネイターを激しく憎悪しながらもその能力に羨望と嫉妬の感情を抱きナチュラルである自分を蔑視していた。
それは自分達ナチュラルを『弱い生き物』と称していた事からも伺える。
アズラエルは依然として見せつけられ続けるコーディネイターと自分達ナチュラルの差に絶望しきっていたのだ。
それらの感情がブーステッドマンの研究において彼も気付かぬうちに噴出してしまった結果
強化を能力のみに傾倒していく研究をアズラエルに黙認させてしまったのだった。
「僕は・・・まだ引き摺っていたのか・・・」
アズラエルは自嘲し独りつぶやいた。
彼のコーディネイターに対する感情の源泉は幼い頃、同年代のコーディネイターの少年に全く敵わなかった事に端を発する。
『止めてよね。本気で喧嘩したら僕に勝てるわけ無いだろう・・・』
少年にあしらわれた時に言われた台詞にアズラエルは苦笑しつつ深いため息を吐いた。
くだらない事だと彼自身も自覚はしている。だが、決して消え得ぬ記憶である事もまた事実だった。
「危うく、僕もジブリールの事が言えなくなる所だったということか・・・」
そう言ってターミナルを操作しデータを呼び出す。
それはアズラエルと同じくブルーコスモスに所属しロゴス・メンバーでもある
ロード・ジブリールが提唱するもう一つの強化計画に関係した資料だった。
ムルタ・アズラエルとロード・ジブリールはブルーコスモス内でも対等の立場にあった。
アズラエルの持つ盟主という座はあくまでブルーコスモス内で政治面で特に有力な人物のことを
便宜上そう呼んでいるに過ぎないものであり決して指導者というわけではないのだ。
自然とブルーコスモス内には二つの派閥が形成され互いの派閥が時に協力しあるいは対峙するといった事が
頻繁に繰り返されているのが今のブルーコスモスの現状だった。
その中でアズラエルの派閥が進めるブーステッドマンが
主に投薬を中心とした能力の向上、恐怖と不安の抑制といった物理的な面の強い強化であるのに対し
ジブリール側は精神操作等を中心とした別アプローチからの研究を行っていた。
もっとも、ブーステッドマンの方はつい先程『仕様変更』が決定してしまったのだが。
「今月に入ってもう11も廃棄。支出も尋常ではなさそうですし・・・何を考えているのやら」
アズラエルの今見ているのはジブリールの所有するラボの出所記録だ。
ここで言われている数字は被験体である身寄りの無い子供の事を指す。
強化過程において行われる精神操作はその性質上、被験体の発狂など数多くの問題を抱えており
被験体の消費量はエイプリルフール・クライシスに伴う孤児の増加に比例するように日に日に増していくばかりであった。
ブルーコスモスに引き取られた孤児には未来への選択権など存在しない。
アズラエル側の養護施設にてコーディネイター殲滅を目的とした特殊な英才教育を受け兵士として仕立て上げられるか
ジブリール側のラボで実験動物として消費されていくかという2通りの運命しか残ってはいないのだ。
アズラエル自身は無駄に消費ばかりを繰り返すジブリールのやりようを快く思っていなかったものの
それを止める権限はアズラエルには無かった。
アズラエルは一応の確認を終えると不快感を自覚しつつターミナルの電源を切った。
決して人道主義に目覚めたという訳ではない。
このアズラエルの不快感はジブリールのやりようを模倣しかけていた自分自身に対してであった。
「僕は何時の間にか同じ轍を踏もうと・・・くそ!!」
アズラエルは強く机を叩きその鈍い音が部屋中に響いた。
劣等感から判断を誤るのでは救いようが無いとアズラエルは己を罵った。
だが、そのことが現在のアズラエルの認識は以前とは全く違う事を物語っている。
コーディネイターは決して勝て得ぬ相手などではない。
そして奴らは決して人類の進化の延長線上に在るモノではないと今のアズラエルは確信しているのだ。
『アムロの世界』においてこちらでは手に届かぬほどの優れた技術を生み出していった人々。
記録映像に映し出されていたモビルスーツを己の手足のように操り洗練された起動を行うパイロット達。
そしてニュータイプ。彼らは全てナチュラルなのだから。
―――まあいい、間違いは修正できました。後はこちら次第でしょう。
机を叩く事で若干フラストレーションを発散させ冷静さを取り戻したアズラエルは席を立ち窓に映る空を見上げた。
今、宇宙に居るアムロ・レイをそうする事によって考えられるとでもいう様に。
今頃、アムロの所属する艦隊は資源衛星『新星』を、めぐりザフト軍と戦闘状態に入っている事だろう。
本来アズラエルはアムロに後方で戦術面・運用面での働きに専念してもらいたかったのだがアムロはこれを固辞した。
『モビルスーツの開発計画にGOサインが出たら手伝うさ。だが、今は見ておきたいんだ。自分が戦う相手が何なのかを』
安全な場所にいる事よりも戦場に身を置くことを選ぶ。
現場主義であるアズラエルにはその気持ちがなんとなくではあるが理解できた。それが彼の生き方なのだろうと。
だからこそ無理にひき止めもしなかったのだ。アムロの決意に対しそれはあまりに無粋であろうと考えて。
「アズラエル様。そろそろお時間です」
「・・・分かってますよ」
秘書の連絡に答えアズラエルも動く準備をする。
現在、各方面の有志のもと秘密裏に細々進められているというモビルスーツの開発計画――G計画を加速させる為に。
「主導しているのがハルバートンという点は気に入りませんがね。ロゴスはもうあれでいいから・・・後は軍首脳とオーブか」
未だに連合のモビルスーツの開発がザフトに対して今まで遅れをとっていたのは
実のところ軍内保守派に働きかけるロゴスの影響が強かった。
ロゴス内部でもモビルスーツの生産ラインを新たに開くよりも既存のラインを活用できる
メビウスの生産の方が楽で利潤も大きいという理屈が大勢を占めていたのだ。
だがアズラエルは今日までにロゴスメンバーを数人こちらの側へ引き込む事に成功していた。
ロゴスの介入も緩み、軍首脳部の面々も数日中には押さえられるところまで既に話は進んでいる。
後はロゴス保守派の介入を避けるための場、そしてモルゲンレーテの技術力がG計画には必要であるとアズラエルは考えていた。
「オーブ――ウズミ・ナラ・アスハ。・・・いや、今回は別か」
そう言いながらアズラエルは再度空を見上げる。
―――さてと、君が自分の戦争を始めたように僕も僕の戦いに専念するとしましょうか。
そして今日もアズラエルは打算のみが支配する彼の戦場に出向いていった。
アガメノムン級戦艦ジェファーソン
メビウス、モビルアーマー部隊アルファチームは次々と艦隊に帰投していた。
ほとんどのモビルアーマーは無傷の状態ではあったが
それは自軍が優位な為などではなく単に被弾すればほどんどの場合戻っては来られないからに過ぎなかった。
「戦況はやはり良くないのか?」
帰還するモビルアーマーの少なさにアムロは己の搭乗機――メビウス・ゼロの最終点検を行っているメカニックに声をかける。
「んっ?ああ、一応は膠着状態って奴なんだがな。損耗率が敵に対してどうにもならん。メビウスはいい機体だとは思うがいかんせん・・・な」
「そうか・・・。グリマルディでも相当酷かったんだろ」
アムロの言は先のグリマルディ戦役において100機以上のメビウスが10機ほどのジンに撃墜された事を指していた。
「俺に言わせればグリマルディでのアレは配備から半年も発たない機体にヒヨコどもを乗せちまったのが原因だと思うがね」
「確かにな。俺も一度乗ってみたが決して悪い機体じゃないと思うよ。たぶん錬度の問題だったんだろうな」
「・・・さて、最終点検完了っと。頼むぜ中尉さん。"モビルアーマー乗り"の意地をみせてくれよ。
勝手な話で悪いが俺個人としては『エンデュミオンの鷹』並みの働きを期待させてもらっていますんでね」
シミュレーションを行った際にアムロが出したスコアがよほどお気に召したのだろう。
アムロが配備されてからずっとメビウス・ゼロに付きっ切りだったこの男は獰猛な笑みを浮かべながら半ば本気で言っていた。
その証拠に彼の強い意向によりメビウス・ゼロに装備されている有線式ガンバレルの一機には
アルファベットのAをモチーフにしたマーキングが施されていた。
エースとして名を馳せるのに目印が無きゃ敵が震え上がらないだろうという理屈らしい。
「それじゃあ、期待に答えられる様に精々励む事にするよ」
「おう、行って来い!!」
―――本当は俺はモビルアーマー乗りじゃ無いんだけどな。
アムロはコックピットのハッチを閉め座席に身を押しやる。
モビルアーマーのコックピットはモビルスーツに比べかなり狭くアムロは正直窮屈だと感じ好きになれなかった。
だが、この世界での彼はロンド・ベルのモビルスーツ部隊隊長"アムロ・レイ大尉"ではなく
第10艦隊所属モビルアーマー部隊の"アムロ・レイ中尉"なのだ。
アムロが『前の世界』でも使用していた馴染みのヘルメットのバイザーを閉めると同時にメビウス・ゼロが動きだす。
カタパルト・デッキまで運ばれると、機体の前の発進灯がGOサインに変わった。
「アムロ・レイ。いきます!!」
アムロの声とともにメビウス・ゼロのノズルが閃光を放つ。
同時に放たれたメビウス数十機とともに一気に加速し敵モビルスーツ部隊へと向かう。
アムロ・レイの『この世界』での最初の戦闘が始まったのだ。
アムロは正面に敵モビルスーツ――ジン数機を確認しその隙を捕えようと試みる。
メビウス・ゼロには当然サイコミュは搭載されていなかったがそれでもアムロには外界の『気』を感じ取る事は出来た。
むろん、明瞭なものではなく目が早いといった程度ではあったがそれが戦場においては生死を左右する。
「あれは・・・敵部隊の中にゼロを一機確認。注意しろ!!」
対峙するザフトのモビルスーツ部隊に緊張が走る。
ザフトにとってグリマルディ戦線において撤退までに再三"メビウス・ゼロ部隊"に互角以上の戦いを強いられたことはまだ記憶に新しかった。
「遅い!!」
アムロは、メビウス・ゼロにリニアガンを斉射しその際開いた穴に一気に機体を潜り込ませ敵の陣形を崩す。
そして急旋回し機先を制され混乱する一機のジンの胸部目掛けリニアガンを命中させるが
ジンは大破せず後方に吹き飛ぶだけにとどまる。
「やはり、威力が足りないか・・・それなら!!」
迫ってくる別のジンの76mm重突撃機銃を巧みに避けながらガンバレルを展開する。
ガンバレルはアムロの脳内の物体配置を読み取り、フィードバックしつつジンを包囲する。
至近から放たれた2門の機関砲によってジンの両腕のマニピュレーターが損傷し
その間に距離を詰めたメビウス・ゼロのリニアガンの直撃で今度こそジンは爆散した。
「調子に乗るなよ!!この・・・ナチュラル風情がーーーー!!」
先程リニアガンで吹き飛ばされさらに撃破された味方機を見て冷静さを失ったジンが重斬刀を片手にアムロに接近する。
「当ててしまえば終わりだろうが!!ナチュラル!!」
「侮り・・・いや驕りか!!そんな感情を戦場に持ち込むなど・・・!!」
アムロは敵パイロットから放たれる邪な思惟を認識しつつガンバレルを機体前方に配置して一斉に射撃する。
コクピットに向かい寸分違わず放たれる弾幕の嵐に流石のジンの装甲も砕け散る。
刹那の瞬間、そのパイロットは己の眼でメビウス・ゼロを見た。
「な・・・なんでだよ。なんで俺がナチュラルに殺られ――」
直後、ガンバレルから放たれた砲火にまきこまれ彼の肉体は機体ごと砕け散っていった。
「お、おい・・・あいつ一瞬でジンを2機やっちまったぞ・・・」
「す・・・すげえじゃねぇか!!おい!!」
アムロと同じチームを組んでいるメビウスのパイロットたちが感嘆の声を上げる。
部隊に新しく配属された"ゼロ・パイロット"の予想を上回る技量を目の当たりにした為であった。
≪ブラヴォーチーム各機応答してくれ。こちら1番機≫
「は、はい」
件の相手、アムロからの突然の通信に若干の緊張を交えながら彼らは答える。
≪敵の陣形は崩れている。各機は編隊を乱さず四機一組で残りの敵を味方の艦砲射撃に追い込むんだ≫
「「了解!!」」
アムロの声に彼らは戦意を高揚させる。
自分達のチームに、いやナチュラルにこれ程の腕を持ったパイロットが居る事に。そしてその男と共に戦う事が出来る事に歓喜していた。
しかし、アムロは彼らとは裏腹に今回の戦争の根というべきものを肌で感じ少し暗い気分になっていた。
「ナチュラルはコーディネイターを妬み、コーディネイターはナチュラルを見下すか・・・。頭では解かっているつもりでいたが・・・」
ナチュラルとコーディネイターの両者の溝は果てしなく深い。
異邦人であるアムロには未だ理解できないほどに。
この最初の戦闘においてアムロ・レイの率いるチームは赫々たる戦果を上げ
アムロのメビウス・ゼロもジン7機撃墜という華々しい戦績を飾った。
だが、そのようなアムロの活躍とは関係なく戦闘は長期戦・消耗戦の様相を呈する事になる。
そして、CE70.7月。長期に渡る戦闘での自軍の損耗を重く見たザフトは本国より事態打開のための追加増援を決定。
そのなかにはザフト軍のエリート部隊であるクルーゼ隊も含まれていた。
アムロ・レイとラウ・ル・クルーゼ。二人のエースの最初の戦いが始まる。