W-Seed_運命の歌姫◆1gwURfmbQU_第52話

Last-modified: 2008-02-08 (金) 21:29:31

 オーブ首長国連合、オーブ海軍が国防本部のあるオノゴロ島を進発する。ト
ダカ一佐総指揮のもと、艦艇数二四〇隻、空母タケミカヅチを旗艦とし、およ
そ二個艦隊半ほどの兵力であった。機動兵力となるモビルスーツ隊は、陸上部
隊からも多数海軍に回させており、総力戦に相応しい陣容だったといえよう。
 対するファントムペイン艦隊は、前大戦でオーブ解放作戦を指揮した経験の
あるダーレス中将を司令官とし、艦艇数七二〇隻、実に六個艦隊もの大兵力を
投入してきている。
「敵は我が方の三倍か……よくもまあ、これだけの数を揃えたものだ」
 索敵士官からもたらされた敵軍の情報を読みながら、トダカは呆れたように
溜息を付いた。
「帰る頃には、少将の辞令が待ってるかも知れませんな。まあ、オーブ海軍の
指揮を執ったのが一佐というのも変な話でしょうが」
 少将への昇進、つまりトダカは死後の特進を暗示しているわけだが、彼の言
うとおり、艦隊指揮は本来少将や中将などの将官クラスの任務であり、彼のよ
うな佐官がすることではない。
 それがどうして、こんなことになったのかと言えば、オーブは前大戦以降、
人的資源が不足していたのだ。
「前大戦で死んだ、ティリング提督を初めとした一流の将帥が生きていれば、
俺なんかがこんな苦労を背負い込むことも無かったんだがなぁ」
 本気か冗談か、どちらともわからない口調でトダカは副官に語ったという。
トダカは毒舌家で神経の太い男として知られているが、そんな彼にしてみても
自分の指揮に国家の存亡が掛かっていると思えば、重圧を感じないわけにはい
かない。
「まったく、誰かに変わって貰いたいぐらいだ」
 ぼやきながらも、トダカは彼の指揮下に入った分艦隊指揮官や副官のアマギ
と共にファントムペイン艦隊とどう戦うかと言うことを協議し続けた。結果、
オーブ海軍は領海ラインギリギリに展開し、敵を迎え撃つと言うことが決まっ
た。これはオーブが領海外で戦闘行為を行う権利を有していないからであるが、
対した問題ではなかった。
「敵は我が方の三倍だ、艦隊が数が三倍と言うことは、敵は何をするにも三倍
の労力と消費を伴う。飯を食うのにもな。我々の勝機はそこだ」
 トダカは敵の総数の多さを逆手に取り、持久戦に持ち込むことで敵軍の消耗
を誘い、補給を費えさせ撤退に持ち込むという作戦を立てた。というより、数
で劣るオーブ軍には、作戦らしい作戦はこれしか立てられなかったのだ。
「敵に勝つことではなく、敵に負けないこと、これを徹底するしかない」
 ファントムペイン艦隊を全滅させる必要はない。ただ、相手を間断なく消耗
させて撤退に持ち込めばいいのだ。もっとも、三倍という兵力差の前ではそれ
自体が難しいのではないかという見方もあった。

 そして、オーブ領海ギリギリのラインで、遂に両艦隊は相見えた。三分後、
砲撃が開始され、戦端が開かれた。

         第52話「カガリの決断」

 戦闘が開始されてから三十分余り、両軍は砲撃による応酬を続けていた。本
来なら、両軍共にすぐにモビルスーツ部隊を発進させ、激しい空戦が行われる
はずなのだが、今回は違った。
「我が艦隊と敵との間に多数の機雷群を確認! 数、計測不能!」
 索敵士官からの報告はダーレスを思わず唸らせた。彼はオーブ軍が持たない
水中モビルスーツを主力として投入し、一気にオーブ海軍を叩くつもりだった
のだが、機雷群にそれを阻まれてしまった。
「こう機雷が多くては艦隊も進むに進めんな……仕方ない、工作型水中モビル
スーツを発進させて、機雷の撤去を急がせろ。当面は、ウィンダム隊を主力と
して扱う!」
 ファントムペインがウィンダム隊の発進を始めたことを知り、トダカは自分
の作戦が成功したことを知った。
「こちらもムラサメ隊を出撃させろ!」
 指揮座から命令を飛ばすトダカは、その横に急遽設置された「最高司令官代
理」の席に座るウナトに振り向き、
「とりあえず敵の水中モビルスーツ封じ込めには成功しました。しかし、まだ
五分とは言い難いですな」
「うむ……いざこうして目の前にすると、敵の数の凄まじさに圧倒されるな」
 ウナトは軍務においては素人で、用兵学もまるきり知らない。ただ旗艦に同
乗しているだけとも言えるが、死ぬ覚悟でここに来ているウナトの存在を、艦
橋クルーは概ね好意的に見ていた。
「さて、そろそろモビルスーツ隊が激突しますよ」
 最初に動いたのはファントムペインで、前衛部隊から出撃したウィンダム隊
が海上を飛び越えオーブ艦隊へと向かった。これに対し、オーブ軍もまた自軍
が誇る可変型モビルスーツ、ムラサメ隊を発進させた。指揮をするのは、陸上
部隊から転身してきた馬場一尉である。
「ウィンダムは直線上の動きは速いが、運動性は低い。ムラサメの動きを見せ
つけてやれ!」
 実戦レベルの勇者であれば、オーブ軍にも無数存在する。馬場一尉率いるム
ラサメ隊はその機動力と運動性を持ってウィンダムを翻弄し、次々に撃墜して
いった。
「みたか、ムラサメの力を!」
 誇るムラサメ隊のパイロットは押されて後退をしつつあるウィンダム隊を追
撃し、突出した。勝ちに乗じて、艦隊に攻撃を仕掛けようとしたのだろう。
「いかん、あれでは前に出すぎだ」
 それを見たトダカは舌打ちをすると、すぐにモビルスーツ部隊を下がらせよ
うとしたが遅かった。
 敵艦隊に突撃したムラサメ隊は空対地ミサイルと、66A式空対空ミサイル「ハ
ヤテ」による対艦攻撃を開始した。トダカ一佐が驚いたのは、この攻撃でファ
ントムペイン艦隊の前衛が崩れかかったことだ。一箇所に集中したビームとミ
サイルの嵐が艦隊を分断し、引き裂くかに見えた。
「慌てるな! 敵の数は少ない。モビルスーツ隊で敵を艦砲の射程に誘い込ん
で敵を確実に撃ち減らすのだ」
 前衛部隊の指揮官は冷静に対処し、突出してきたムラサメ隊の駆除に掛かっ
た。これを悟ったトダカは馬場一尉に直接回線を繋いで、血気盛んな彼らに後
退するように怒鳴った。確かにムラサメ隊は押しているが、無闇に攻撃を続け
ていては早々に限界点に達してしまう。トダカにはその危惧があった。
 命令を受けて馬場一尉は、全部隊に後退を命じ、戦線を下げようとした。
「奴ら勝ち逃げするつもりだな。後退する敵に砲火を集中させろ!」
 ファントムペイン艦隊と、ウィンダム隊から激しい砲火が放たれた。それは
先ほどのムラサメ隊と比較にならず、ムラサメ隊は痛撃を被った。ウィンダム
隊による怒濤の反撃が開始され、馬場一尉の部隊はあわや壊滅に危機にあった
が、そこにオーブ軍モビルスーツ部隊の第二陣、イケヤ一尉の指揮する部隊が
援護に現れ、馬場隊の壊走を阻んだ。
 ムラサメとウィンダムはビームライフルやビームサーベルでの攻防を繰り広
げ、数で劣るムラサメは何とか善戦をしていた。それでもトダカは自分たちが
不利であるという認識を変えなかったし、現に最初の一撃を除いてオーブは戦
闘で有利な位置には立っていなかった。

 敵の抵抗が思いのほか激しく、しかも一時は前衛部隊をかき乱されたという
事実はダーレスのプライドを著しく傷つけた。敵に三倍近い兵力を持っている
と言うことは、勝って当然の戦いなのだ。それが一瞬でも不利になったとのは、
指揮官が無能だからではないか? 以前の失敗を未だに引きずっているのか、
ダーレスはそのように考えていた。
「数の少ない敵は正面から攻めるばかりで、左右や後背に回り込むことが出来
ない。だが、こちらはそれが出来るはずだ」
 ダーレスは指示をだし、ユークリッドを始めとしたモビルアーマー部隊を出
撃させ、オーブ艦隊の右翼に攻撃を開始させた。モビルアーマーの攻撃力で敵
を側背から分断しようというのだ。
 これによって、三八隻いたオーブ軍の右翼は僅か一時間半足らずで七隻にま
で撃ち減らされ、集団として機能することが出来なくなってしまった。砲撃が
続けられれば、ダーレスの作戦通りオーブ軍は分断されていただろう。
「艦長、敵のモビルアーマー部隊が右翼を打ち崩しにかかってきています。こ
のままでは……」
 副官のアマギから報告を受け、トダカは顔を顰めた。一時間半足らずでここ
まで右翼部隊を削り取られるとは思っていなかったのである。敵のモビルアー
マーはそれほどまでに強力なのか。
「副司令官に右翼の援護をさせろ。それから、ゴウ、ニシザワ、両ムラサメ隊
を右翼の守りに回らせて、防御を固めるんだ」
 出撃したゴウ、ニシザワ、両一尉のムラサメ隊はビームによる苛烈な銃撃で
敵のモビルアーマー部隊を押し戻すことに成功した。だが、陽電子リフレクタ
ーを標準装備するモビルアーマー部隊を全滅させるには至らず、後方に下がっ
て長距離砲での砲撃を開始したユークリッドらにじわじわと傷口を広げられて
いった。
 こうしてオーブ軍は各所において善戦していたが、物量と性能で勝る敵軍を
撃退するという選択肢はもはや無いに等しかった。この上は、出来る限り戦闘
時間を引き延ばし、敵を消耗させるしかない。
「ふんばれよ! ここで我々が敗れては、国の未来はないぞ!」
 トダカの檄が轟く中、オーブ軍は攻撃を続けている。戦いはまだ、始まった
ばかりであった。

 全世界が注目するファントムペインとオーブの戦いであるが、それぞれの指
導者は同じ場所でその戦いを見ていた。そう、オーブ首長国連合代表カガリ・
ユラ・アスハは今、ファントムペインの本拠地ヘブンズベースにいるのである。
 当初、ファントムペイン艦隊がオーブへ向けて出撃したことを知ったカガリ
は、怒りに我を忘れてジブリールに掴みかかった。その鼻っ面に一撃喰らわせ
てやらなければ気が済まないと、生来の勝ち気な一面を前面に出したものだ。
 しかし、病的なまでに白い肌をしている割りに、意外とジブリールは揚力が
あって、カガリは簡単に押さえ込まれてしまった。
「まあ代表、落ち着いて」
 暴れるカガリを宥めるジブリールは、至って冷静であった。カガリは、彼の
体から滲み出る余裕の色が気にくわなかったが、一国の代表が殴り合いの乱闘
を起こしたとあっては立場がない。歯ぎしりしながら、ドカッとソファに腰掛
けた。
「何で艦隊を送ったんだ? 私を呼びつけたのなら、私を人質にすればいいじ
ゃないか!」
 無用な血が流れることを嫌うカガリは、当然の如くジブリールに問うた。フ
ァントムペインにしたって、オーブ軍と戦って無傷に済むとは思えず、一体ど
んな企みがあるのか?
「企みなどと、そんな大層なものではございません。なるほど、確かにあなた
を人質に取れば、案外ことはすんなり運んだかも知れない。ですがそれでは…
…」
「それでは何だというのだ?」
「それではあまりにも興がなさ過ぎる」
 カガリは呆気にとられてしまった。彼女にはジブリールのそれが、不遜なる
大言壮語に思えたからだ。
「失礼、冗談ですよ。まあ、理由はいくつかありますが、一つに私も少しばか
り対面を気にしましてね。か弱い女性を人質に取ったなどと卑劣な言われよう
は避けたいのです」
「か弱い女性か……フン、他には何がある?」
「二つめは貴方を人質に取ったのでは、オーブは保有する軍事力を損なうこと
がありません。条約成りで軍備の縮小や解体を命じても、上手くいく保証はど
こにもない」
 確かにその通りだ。政治家として日々の勉学を欠かさず、周囲の言葉を常に
気にするカガリは、いつの間にかウンウンと頷いてしまっている。
「三つめはオーブ軍を倒すことによって、それに群がる、失礼、かの国を頼り
にする周辺国の気概を削ぐことが出来ます。オーブですら敗れたんだ、我々に
は何も出来ない、とね」
「つまり、オーブを見せしめにするつもりなのか」
「その言い方は綺麗ではありませんね。私はオーブをベルリンに次ぐ、実例に
したいのですよ。我々、ファントムペインに逆らえばどうなるかを世界に知ら
しめるための」
 二人の居る室内には大型のスクリーンが用意され、リアルタイムで戦場の様
子が映し出されている。
「スナックとジュースでも持ってこさせますか? これほど臨場感溢れる見世
物もないでしょう」
「結構だ!」

 こうして二人はかれこれ、十時間以上ファントムペインとオーブ軍の戦闘を
観賞している。ジブリールは何くれとなくカガリに話しかけるが、カガリは始
終無言で、オーブ軍の戦う様を見つめている。ジブリールはその隣で一人飲み
食いをし、映画館さながらに映像を楽しんでいた。しかし、終わりまでの時間
が明確である映画と違い、実際の戦闘は果てしなく長く、しかも時折単調だ。
例えば、ただの砲撃の応酬を一時間以上続けたり、艦隊運動に三十分以上平気
で掛かる。始めは熱中していたジブリールもやがて飽きてきたのか、欠伸など
をし始める始末だ。カガリは苛立たしげにそれを睨む。
「失礼、ちょっと席を外します」
 しばらくして、突然ジブリールがそう言いだした。
「どこへ行くつもりだ?」
 また良からぬことを企んでいるのではないかと注意してカガリは訊くが、ジ
ブリールはサラリとした顔で、
「いえ、少し用を足しにね。いささか、飲み食いが過ぎました」
 ジブリールの座っていたソファの前のテーブルには、彼が食い散らかした、
というと少々下品だが、多量に接種した食物の数々が残っている。
「代表も行かれたほうが良いですよ? どうせ十分やそこらで終わらない長丁
場です」
「なっ!」
 仮にも女性にトイレを勧めるとは、何を考えているんだこの男は! カガリ
は怒りに震え、心の中で大きく舌打ちした。ジブリールの一言で、急にその辺
のことを意識してしまったのである。一度意識してしまうと、どうしても行き
たくなるのがトイレというものだが、こんな時にトイレなど行って良いはずが
ない。結果、カガリは我慢することになり、ジブリールが長々二十分も用を足
して戻る頃にはかなり辛そうな表情になっていた。
 ジブリールはその顔を見て、失笑すると、
「代表、かなりお顔が残念なことになっていますよ。悪いことは言いません、
行ってこれたほうがいい。スッキリしますよ?」
 このセクハラ野郎! カガリは今度こそジブリールに殴りかかり、その息の
根を止めてやりたかったが、この時は凶暴的な本能より、理性に従った。悔し
さに歯を噛みしめながら、カガリは一時退出したのである。

 それ以降、カガリは最低限のことには妥協するようになった。捕らわれの身
に近い状況であるから、元々相手の言うことには逆らえない一面もあったのだ
が、用意された飲食物を少量は摂取したりもした。だが、ジブリールと違って
カガリの胃は緊張で縮こまり、飲み物を僅か口に含むだけで精一杯だった。
「少し、隣室で仮眠をしてきます。代表もお休みになるのでしたら、部屋を用
意しますが?」
「寝たければ、勝手に寝てしまえ!」
 ジブリールがわざとこのように人をおちょくって挑発していることはカガリ
もわかっているが、それも彼の余裕が為せる技だろう。彼には寝て起きたらフ
ァントムペインが勝っていた、で構わないわけで、勝つ瞬間を見る必要などど
こにもないのだ。だからトイレにも行けるし、仮眠もとれる。
 カガリには寝てる暇などありはしなかった、彼女はリアルタイムで映される
戦場を見つめながら、ただただオーブ軍の勝利を祈っていた。彼女には、そう
することしかできないのだ。
 その戦場では、夜から朝にかけて、両軍が砲撃を続けながらも一時後退して
いた。長時間の攻防を続けたことで、兵士たちの疲労の色が濃くなってきたか
らだ。戦場という特殊艦橋に身を置く兵士たちは、他の艦橋の倍以上に体力を
消耗し、疲労する。極限まで高まった緊張、いつ死ぬかわからない恐怖は彼ら
の体を縛り付け、寝ることも食事を取ることも許さなかった。
 食事に関して言えば、ある程度場慣れした兵士たちは普通に接種することが
出来るのだが、経験の浅いものは飲料水を口にするのがやっとだった。カガリ
の例ではないが、緊張で縮んだ胃に食物を入れたところで、嘔吐感に苛まれて
全部吐いてしまうのだ。また、睡眠に関してはもっと過酷な現実が待っており、
兵士たちはまず睡眠を取ることを拒む。緊張で寝付けないからではない。緊張
で寝付けないだけなら、睡眠薬など、眠気を諭す軽めの薬物を使えば済むだけ
で、彼らが眠らないのは寝ている間に乗艦する艦が撃沈され、起きることなく
冥界の門をくぐるのが怖いのだ。だが、これには色々な意見があり、痛みや苦
しみを憶えずに死ねるのだから、むしろ幸せではないかという考えを示す者も
いなくはなかった。

 明けて、翌日の戦闘が正午に差し掛かろうとした頃、両軍の兵力差が現れ始
めた。夜通しで機雷の排除を続けた水中工作隊が、ある程度の機雷排除に成功
し、ファントムペイン艦隊はこぞって前進を始めたのだ。これに対し、オーブ
軍は砲撃を持ってそれを阻み、新たな機雷原を設置しようとするがファントム
ペインの勢いに押しつぶされようとしていた。
 兵力差は即ちダメージ回復の早さでもある。オーブ軍が砲火によって敵軍に
穴を開けても、艦隊数を誇る敵軍はすぐにその穴を埋める。しかし、オーブ軍
に開けられた穴は開いたまま、塞ぐだけの兵力がもう無いのだ。
「もう少し戦えるかとも思ったが……」
「これ以上は無理そうか?」
「やれるだけは、やってみますがね」
 携帯食料による昼食を取りながら会話する、トダカとウナトである。トダカ
は昨日と変わらぬ風貌であったが、ウナトは若干疲労の影がちらついている。
彼も政務で徹夜続きのことが多いのだが、それとこれではわけが違うのだ。
 トダカは戦局を見つめながら、何かの作戦を立てたらしく、副官のアマギを
呼んで、指示を出した。
「全艦載機を前線に投入しろ。司令部直属の機体、艦艇もだ。急げよ」
 正午から夕方にかけての戦闘は、ファントムペイン艦隊の将兵に苛立ちを覚
えさせるものだった。それは、敵モビルスーツ部隊の戦い方で、彼らはウィン
ダム隊と戦うに際して、決して撃破はせず、背部のジェットストライカーのみ
を狙うようになったのだ。航空ユニットを破壊されたウィンダムは、当然海面
に落ちるわけだが、撃破されたわけではない。パイロットは無事だし、機体だ
って修理すれば使える。故に、ファントムペインは墜落した味方を救助する羽
目になり、その手間と労力は多大なものだった。救助班の中にはどうせ撃つな
ら撃破すればいいものをと言ってはいけないことを呟く者もおり、オーブ軍の
巧妙なる作戦に舌打ちせざるを得なかった。

 局地的に見れば、オーブ軍は決して不利ではなかった。敵との圧倒的な兵力
差があるにもかかわらず、各所で善戦し続ける部隊は優秀であり、指揮官のト
ダカが有能である証拠を示すものだった。

 対するファントムペインは、常に優位であり、有利であるはずなのだが、未
だに自軍の自軍の勝利を確信、確立することが出来ずにいた。完全に守勢へ回
ったオーブ軍に対し、攻め倦ねていると言ったところか。
 ファントムペインは一度ならず、正面の敵に対してモビルアーマー部隊を中
心とした火力を誇る部隊による砲撃を行った。しかし、オーブ軍は馬場、イケ
ヤ、ゴウ、ニシザワのムラサメ隊を結集して徹底的な反撃を行った。強烈な抵
抗によってモビルアーマー部隊の砲撃は失敗したが、この攻防の最中、オーブ
軍はイケヤ一尉が砲撃によって機体を破損、戦死していた。
 敵が持久戦を強いて、こちらの消耗を誘っていることはダーレスも承知して
いた。故に彼は攻撃を強め、トダカは守りを固める。ダーレスは艦隊指揮官と
して自他共に認める高い能力を持っているが、そんな彼でさえオーブ軍に苦戦
をしているのだ。
「閣下、敵は既に勝つための戦法を捨てています。防御を徹底し、こちらの物
資、エネルギー両面の底が付くのを待つつもりなのでしょう」
「うむ……」
「ヘブンズベースや、スエズとの補給線の長さを考えますと、やはり早期決戦
に持ち込むべきかと小官は思いますが?」
 戦術参謀の意見することは、ダーレスにもわかっている。ファントムペイン
艦隊は、その気になれば一撃でオーブ軍を打ち負かすことが出来る秘策を持っ
ている。だが、ダーレスには躊躇いがあった。彼は出来ることなら、実力を持
ってオーブを下したかったのである。
「……仕方がない、旗艦格納庫に連絡。デストロイの出撃準備を急がせろ。最
終局面は近い、デストロイの砲火で敵軍を薙ぎ倒すのだ!」

 先日ベルリンの街を廃墟に変えたデストロイであるが、オーブやザフト、そ
れに世界が驚いたことに、何とこれは一機ではなかった。ジブリールはロゴス
の潤沢なる資金力を使えるだけ使って、デストロイを量産したのである。そし
て、ダーレス艦隊にはデストロイ二号機が配備されていたのだ。ベルリンの際
は、急遽あり合わせの即席パイロットで済まされたが、今回は違う。デストロ
イ用に人体改造を施された、適合率の極めて高いパイロットを搭乗させ、万が
一またぼうそうするようなことがあったとしても、今度は遠隔操作でコクピッ
トを自爆させることが出来るようになっている。
 司令部からの命令を受けたスタッフが、デストロイを起動させる。工程はベ
ルリンの時とさほど変わりないが、今度は足場のない海上が戦場であるため、
常にモビルアーマーモードで戦わねばならない。また、ベルリンの時と違って
敵はモビルスーツだけではない。大多数の艦隊にどこまで通用するか? 謂わ
ば、試験的な意味合いも兼ねた投入だった。
 そして、試験のサンプルとして使われることになったオーブ軍であるが、さ
すがにデストロイが出現したという事実は彼らの度肝を抜いた。
「艦長、あれは――!」
 叫ぶアマギの声には明らかなる狼狽の色があり、呻きに近いものだった。ト
ダカは無言であったが、その頬には隠しようのない冷や汗が流れていた。
 しかも、デストロイの登場で勝利が目前に迫ったことを察知した敵軍が挙っ
て殺到し、我先に「デストロイに続け!」と進撃を始めたのだ。

「エネルギー砲を使わせるな! デストロイの進行速度と、武装の射程距離を
計算しろ。的はデカイ、全艦及び全モビルスーツで一斉射撃を行えば、破壊で
きるはずだ!」
 それは事実ではなく願望であった。だが、オーブ軍はその一縷の望みにかけ
る以外、もはや取るべき手は無かったのである。オペレーターたちが必死で、
それも可能な限りの早さで計算し、トダカに解答を渡した。トダカは全軍に指
示をだし、デストロイへの攻撃可能ポイントに狙点を固定させ、一斉砲撃、集
中砲火の態勢を取らせた。

 そして、オーブ軍が砲門を開いた。

 黒き巨体を前進させていたデストロイでは、自身のエネルギー砲の射程圏内
に入る寸前、正面から津波のように押し寄せてくるビームやミサイルを押しつ
ぶされた。立て続けに行われる、途切れることのない砲撃は陽電子リフレクタ
ーを展開して完全防御態勢を取るデストロイを圧倒し、圧砕しようとした。
 だが、デストロイは無抵抗に攻撃を受け続けたりはしなかった。怒濤の猛攻
に耐え抜き、砲撃を全て弾き返すと、みずからの砲口を使って、オーブ軍に砲
撃を、ベルリンという都市を壊滅させた凄まじく強烈な一発を撃ちはなった。
四門の砲身から発射された高エネルギー砲は、正面のオーブ艦隊を一掃した。
浴びせかけられる強力なエネルギーに、艦艇もモビルスーツも一瞬のうちに吹
き飛ばされていく。連射というより乱射される高エネルギー砲と、プラズマ砲
を前に、オーブ軍は遂に力尽きた。
 崩れかかるオーブ軍に対し、ファントムペインはたたみ掛けるように砲撃を
開始した。オーブ軍のイージス艦や戦艦が次々と爆発炎上し、モビルスーツも
撃ち落とされその数を一気に減らしていった。
「損害率90パーセント! 分艦隊壊滅!」
「ゴウ、ニシザワ両部隊との通信途絶、撃破された模様!」
 救援、援護の来援を請う通信が、旗艦へと入ってくる。それは悲鳴であり、
彼らにはまだ悲鳴を叫ぶだけの力があった。しかし、やがてはその悲鳴すらも
途絶えてしまうのだろう。

「来援したくとも、我々にもう兵力はない……」
 トダカは目を瞑ると、静かに指揮座に腰を下ろした。傷つき、倒れていく味
方を救うだけの兵力は、既に彼の手元にはなかった。旗艦タケミカヅチの周囲
には、三隻の護衛艦と八機のM1Aアストレイが虚しく浮遊するだけであった。
 命がけで戦ったつもりだった。それが力及ばず、完膚無きまでに敗北した。
「申し訳ありません、宰相閣下。どうやら、これまでのようです」
 あらためて立ちあがると、トダカはウナトに向かって頭を下げた。
「頭を上げてくれ、艦長。何の慰めにもならんが、貴官は頑張った。私はそれ
を知っている」
 確かに慰めにはならない。だが、トダカの心が少なからず静まったのは事実
だった。ウナトに対して、さらに何か言おうとしたとき、副官のアマギが叫び
声を上げた。
「艦長、馬場一尉の部隊が敵艦隊に向かって特攻を開始しました!」
「何だと!?」

 ヘブンズベースにて、戦局を見つめるカガリは、自国の軍隊が敗北したこと
を悟り、ジブリールは、ファントムペインの勝利を確信した。
「昨日の時点で終わるかとも思ったんですがねぇ、意外と時間が掛かったよう
で」
 ワイングラスを片手に笑うジブリールの顔を、カガリは直視できなかった。
彼女は絶望に包まれつつあった。
「おや、まだオーブのモビルスーツ部隊は抵抗を止めませんね」
「えっ――」
 カガリは顔を上げ、スクリーンを見る。見れば、ムラサメ隊が次々と敵艦隊
に突撃し始め、爆散しているではないか。
「これは!」
「特攻玉砕、という奴ですか。中世の東洋で流行った風習ですね。あぁ、そう
言えばオーブは元々あの島国の……」
 その声は、カガリの耳に届いていなかった。スクリーンを通してではあるが、
彼女の目の前で、彼女が愛した国の軍隊が、軍人が、破壊と殺戮の嵐に消えて
いく。無謀にもデストロイに特攻して、近づくことも叶わず撃ち落とされる機
体、こんな、こんな無意味な戦いがあるのか。こんなにも容易く、命とは消え
る物なのか。
「まだ、続けますかな?」
「な、に」
 カガリの声は震えている。彼女は涙を流していた、一国の代表として、恥ず
かしいことであった。でも、カガリは泣かずには居られなかったのだ。
「あなたがここで敗北を認め、オーブという国の終わりを世界に告げるのなら、
これ以上の戦闘は無用です」
「降伏しろ、ということか」
「それとも奇跡を期待しますか? 絶体絶命のオーブ軍が、壮絶な逆転劇を遂
げる奇跡を。残念ながら、そんな使い古された脚本では観客は喜びません。子
供向けのアニメーションでも、通用しないでしょうな」
 ジブリールの言葉は、痛烈な事実となってカガリの心を引き裂いた。確かに、
この場で黙ってみていても、ただオーブ軍が負ける様を見続けるだけである。
もう戦局は決した。オーブは、オーブは負けたのだ。
「お前は、何が目的なんだ……」
「というと?」
「オーブを倒し、その先に何をするつもりだ」
 ユーラシア連邦を破り、オーブを敗北させ、ファントムペインは名実共に世
界最強の軍隊となった。その世界において、ジブリールは何をするつもりなの
か?
「私が欲しいのは新たなる秩序と、統一」
「秩序と、統一?」
「そう、旧連合でも為し得なかった、完全なる世界統一国家を作りたいのです
よ。この私の手でね」
「馬鹿な、そんなことが出来るとでも」
「出来ますよ、現にいま、私はその実例を見ている。歴史を振り返ってみても、
統一とは常に武力を持って行われてきた。私はそれをまた実践しているだけに
過ぎない」
 ムルタ・アズラエルでさえその手に掴むことが出来なかった、世界の実権。
世界征服の野望が、達成されようとしている。

「その為にはユーラシアもオーブも邪魔なのです。私は邪魔者を排除するには
暴力を容赦なく振るいます。今も昔も、そうやって私は駆け上がってきた」
 カガリはこの時、ジブリールと自分における最大の差を悟った。彼は自身の
全ての能力を、その野望と陰謀にのみ注いでいる。勝てるわけがない、政治家
としても人間としても未熟な小娘が、こんな稀代の悪党みたいな輩に、勝てっ
こない。
 カガリの全身から、力が抜けた瞬間だった。
「強すぎる力は争いを生む、か」
 カガリは独語した。オーブが狙われた理由は、その持てる力が強大だったか
らだ。ファントムペインと戦い、あらがえる力があったからこそ、オーブは戦
う羽目になった。ならば、もう――
「なんだ、これはどういうことだ!」
 突然、ジブリールが叫び声を上げた。カガリが顔を上げると、ファントムペ
イン艦隊の後背にいて、何か異常が起こったらしい。
「これは、一体……?」

 勝敗は決したものの、戦闘自体はまだ終わっていなかった。負けを受け入れ
ることが出来ないオーブ兵士や、敵を殺戮する快感に支配され辞めることが出
来ないファントムペイン兵士などが激しい攻防を続けていたのだ。
 その時、旗艦タケミカヅチにおいてオペレーターから奇妙な報告が届いた。
ファントムペイン艦隊の後背を、モビルスーツが強襲したらしい。
「なんとまあ……うちではないな。ザフトか?」
 今更になって、ザフトが何のつもりか。
「漁夫の利を得るつもりか……デュランダルならばやりそうだな」
 ウナトは溜息を付くが、さらに奇妙なことに、そのモビルスーツはたった一
機らしい。たった一機で、何をしに来たというのか?
「索敵班、情報を回せ。何が起こっている!」
「それが、ザフト軍機であることは間違いないのですが、敵艦隊を突き抜ける
ようにこちらに向かっています」
「何?」
 当のファントムペインは、元々ザフトによる強襲を予期していた。それがこ
こまで混乱したのは、やはり敵が一機だったからだろう。突然襲来したザフト
の機体はビームライフルのデタラメな銃撃を乱射し、艦隊に手痛いダメージを
与えた。それに気付いたウィンダム隊をビームサーベルで斬り裂いて、一気に
艦列を突き進む。
「これ以上、オーブ軍をやらせるか!」
 トリコロールのボディカラーが光るその機体はインパルス。シン・アスカが
乗る機体であった。彼はカーペンタリアから機体を飛ばし、遅れながらも戦場
に到着したのだ。
 シンは敵の艦列を抜けると、オーブ軍とファントムペインの間に割って入り、
ビームライフルの銃口を敵軍に向けた。まさか、デストロイまで居るとは思わ
なかったが、こうなってはデストロイだろうと倒さなくてはいけない。
『その機体のパイロット、ザフトが一体なんのつもりだ。戦闘に介入するの
か!?』
 オーブ軍の旗艦から、インパルスへと通信が送られてきた。それはどこかで
聴いたことのある声だった気もするが、シンは咄嗟に思い出すことが出来なか
った。

「ザフトからこの戦闘に対し、俺はなんの命令も受けていません」
『何?』
「この介入は……俺個人の意思です! オーブを、故郷を守るために!」

 戦闘が再開され、さらにザフトが単機で乗り込んできたという事実に一番驚
いたのは、降伏を決意しつつあったカガリであろう。しかも、カガリにはザフ
ト軍機に覚えがあった。
「シン……シンが、どうして?」
 呆然と呟くカガリ。かつて、今は亡き父上と、オーブを痛烈なまでに批判し
た彼が、オーブのために駆けつけてくれた。
「なんだ、あの機体は!」
 隣で、ジブリールが不快そうに呟いた。完全勝利の瞬間だったはずなのに、
それが中断されたのだ。
「すぐに撃ち落とさせろ。よりにもよってザフト軍機など、目障りだ!」
 言われるまでもなく、戦場のダーレスはインパルスに対して攻撃を指示した。
この時、デストロイに待機を命じたのは、デストロイの砲火で味方が巻き添え
を食うのを避けたからである。
 向かいくるウィンダムの集団に、インパルスはビームライフルを連射した。
威力を制限したことでの速連射は、ウィンダムに致命傷こそ与えなかったが、
動きを乱すのには成功した。シンは機体を飛ばし、ビームサーベルを引き抜き
斬りかかった。
 凄まじい動きと斬撃が、ウィンダム隊を襲った。早い、モビルスーツとはこ
んなにも早く動けるものなのか!?
 ウィンダム隊のパイロットは、激しい動きで攻撃を繰り出してくるインパル
スの前に圧倒されていた。
「イメージだ、イメージするんだ」
 インパルスのコクピットで、シンは一人呟いている。彼の言うイメージとは、
大軍と戦う際に如何に効率よく敵を倒せるかという、戦闘イメージだった。
「あの時、地中海でみたオデルさんの動きを思い出せ!」
 たった九十秒で、敵軍のモビルスーツ隊を壊走させたことのあるモビルスー
ツパイロット、オデル・バーネットは今、ミネルバにいない。ベルリンや、今
回の出撃を彼が知ったらどう思うだろうか? 怒るだろう、怒るに決まってる。
自分自身、馬鹿なことをしているんじゃないかと思う。でも、何かせずにはい
られないのだ。
「オデルさんと同じ神技は、俺には出来ない。あの人は、俺とは違う。いや、
この世界の誰とも違うんだ」
 オデル・バーネットの持つ異質性、強すぎる機体と、それを操縦するテクニ
ック、どこか物知らずな一面と、変わった価値観……シンは、どこか不思議な
人物であるオデルの正体に、一つの仮説を立てていた。
「でも、オデルさんの十分の一、いや、百分の一で良い、俺に、俺にオーブを
守る力を貸してください!」
 迫り来る三機のウィンダムをまとめて斬り裂いたとき、乱雑な攻撃を続けて
いたウィンダム隊がたじろいだ。シンの力に恐れ戦いたのだろう。
「オーブ軍! 敵軍は俺が食い止める、早く撤退を!」

 叫ぶシンの声に、トダカとウナトは耳を疑った。子供の声、よく聴けば、ま
だ年若い少年の声ではないか。
「天使か悪魔か……世界を救う勇者は幼い少年だと相場が決まっているが」
 トダカは、目の前で激闘を繰り広げるシンに対し、何とも言えない感情を抱
く。推測するに、きっとオーブ出身の兵士か何かなのだろう。前大戦後オーブ
の人的資源が放出されたザフトならあり得ることだし、故郷の危機にいてもた
っても居られなくなったというところか。
「だが、幼い少年に世界を背負わせるなんて、大人たちに甲斐性がなさ過ぎる
じゃないか」

 シンの余りの強さに驚いたダーレスは、一旦全てのモビルスーツ隊を後退さ
せ、デストロイを動かした。
「この前の奴か!」
 シンはビームライフルを速射するが、デストロイの陽電子リフレクターを前
に虚しく弾け飛んだ。
「懐に入り込めれば……勝機は」
 そんなものありはしなかった。乱射されるプラズマ砲の豪雨がインパルスを
襲い、集中したプラズマ砲がインパルスのシールドを破壊した。デスティニー
シルエットを使っても、正攻法で勝つことは遂に出来なかったのだ。フォース
シルエットでは、渡り合うことも難しい。
「でも、だからってぇ!」
 シンは機動力を駆使して、なんとかデストロイに接近するが、デストロイは
間断のない砲火を持って接近を許さない、インパルスはビームライフルも吹き
飛ばされてしまった。二刀のビームサーベルを引き抜くシンだが、二刀流など
格好だけだ。助けに来たつもりが、窮地に立っているのはむしろシンの方だっ
た。
「くそっ、こいつさえ倒せば!」
 放たれるプラズマ砲をビームライフルで弾き返すシンの芸当は、エースに恥
じないものであるが、この時は神技よりも強力な一撃が欲しかった。一瞬でい
い、一瞬でもいいから敵の攻撃が止めば、インパルスは敵のコクピットを貫く
ことが出来る。それなのに……

「艦長、そろそろ覚悟を決めるときかな?」
 ウナトが恰幅の良い体をドカリと椅子に預けながら、トダカに向かって呟い
た。
「宰相閣下も、そう思われますか?」
 疲れてはいるが、笑いながらトダカが受け応える。そして、副官のアマギを
呼んで、全艦に戦線離脱を許可し、旗艦に総員退艦命令を出した。
「総員退艦!? 艦長は、どうなさるおつもりですか」
「我々には、まだやることがあるんでな」
 トダカは強い光を瞳に宿し、副官の肩を叩いた。
「さっさと退艦してくれ。ここから先は、大人だけの宴会だ」
 ウナト共に笑いあうトダカの表情に、アマギは何かを感じた。震える体、震
える手を持って上官に敬礼する。
「了解、致しました!」

 驚いたのはシンである。なんとオーブ軍から旗艦と思われる戦闘空母が突如
前進し、突出を始めたのだから。
「な、空母が何を!」
 ビーム砲を撃ちながら真っ直ぐとデストロイへと向かっている。まさか、特
攻するつもりなのか?
「おい、何やってんだよ! 俺が食い止めてる間に、撤退しろよ!」
 思わず乱暴な言葉遣いで通信を飛ばすシン。回線の繋がったタケミカヅチで、
ウナトがその声に応えた。
『悪いが少年、気持ちだけ受け取らせて貰うよ』
「なんだって?」
『我々には最後の大仕事が残ってるのさ。このオーブ最大の矛盾たるタケミカ
ヅチを沈め、オーブを降伏させるという、大仕事がな』
 タケミカヅチは、戦闘母艦である。そもそもオーブとその沿岸を守るだけが
任務のはずのオーブ軍において、このような空母が存在する理由はない。これ
を建造させたのはウズミ・ナラ・アスハその人だったが、タケミカヅチはまさ
にオーブの力の象徴であり、独自の理念を抱えるオーブの最大の矛盾であった。
「このタケミカヅチが沈めば、オーブは実質的な戦闘力を失う。つまり、今後
煩わしい戦闘に巻き込まれずに済むのだ」
 こんなものがあるから、他国はオーブを頼り、敵国はオーブを恐れる。国を
危機に晒す害悪など、いっそ排除してしまったほうが良い。ウナトとトダカが
下した、一つの決断であった。
「そんな、そんなのって」
 シンはコクピットの中で震えていた。じゃあなにか、この人はオーブを守る
ために命を犠牲にした特攻を行おうというのか。
「守る、俺が守るから! 俺がみんな、みんな守るから! だから」
 叫ぶシンの声は、涙混じりだった。ここでタケミカヅチを行かせては、自分
がなんのためにここへ来たのかわからない。傷つくのも、倒れるのも、自分だ
けでいい。自分だけでいいんだ。
「命を、命を粗末にしないでくれ!」
 その言葉に同意するものがいるとすれば、ヘブンズベースでタケミカヅチの
行動を目の当たりにしたカガリ・ユラ・アスハだろう。彼女もまた、特攻する
タケミカヅチに半狂乱で叫び声を上げ、ジブリールに煩がられている。
『違うぞ少年、その言葉、そっくりそちらに返そう』
「えっ?」
『命とは、確かに守られるべき人類の宝だ。しかし、時にはその命を守るため
に犠牲を伴うことも必要だ。それは国も同じで、国家が国民を守れなくなった
とき、既にその国家に存在価値など無いのだ』
「そんな……」
『そして、そんな時に犠牲になるのは年寄りの役目で、君のような若者でない
ことは確かだ。いいか、少年。人が誰かを守ろうと思う気持ちは正しい、だが、
守ってばかりではダメだ。守った人が、自分で自分のことを守れるように、強
くならなくては意味がないんだ』
 ウナトは、シンの好意こそありがたいと思う。年若い少年が軍を脱走してま
で故郷を守ろうとしている姿には、涙を誘う物がある。でも、シンのそれは守
ることと、守られるもの、その関係の押しつけだった。
「オーブの理念とは、そうした強い人々を作るためのものだったはずだ。それ
がどうしてこんなことになったのか……少年、我々が守るのは国じゃない、人
だ、でも、ただ守るだけじゃない」

 こんな逆境からも立ち直ることの出来る強い人々を、もっと増やさなくては
いけないのだ。
「逆境から、立ち直る……」
 シンは、ウナトの言葉にかつての自分を思い出した。両親と妹を失い、悲し
みに暮れた毎日。それが、今はこうしてなんとか立ち直ることが出来ている。
「でも、そんなの無理だ。みんながみんな、そんな風になるだなんて」
『確かに時間は掛かるかも知れない。それでも、我々はやらなくてはいけない
のだ。でなければ、こんなくだらない戦争が、一生続くことになる』
 ビーム砲を連射するタケミカヅチに対し、デストロイはプラズマ砲を浴びせ
かける。船体が爆発し、肉の変わりに装甲板が飛び出すが、タケミカヅチの速
度は一向に衰えない。エネルギー砲を使って吹き飛ばすべきか、ファントムペ
イン司令部は一瞬判断の時間を要した。
「でも、それでも!」
 シンは機体を飛ばすと、タケミカヅチに攻撃を続けるデストロイに接近し、
エネルギー砲の砲身を叩き斬った。エクスカリバーのそれよりも弱い斬撃は、
砲身を切り落とせこそしなかったが、歪ませるのには成功した。
「俺は……俺はみんなを、オーブを、守りたいんです!」
 聞き分けのない子供のように叫ぶシンを、何故だかウナトは微笑ましく思っ
た。ユウナとはまた違う、こんな子供を持てば自分の人生はいっそう楽しい物
だったのに違いない。
『少年、名を訊こうか』
「……シン、シン・アスカです」
 名乗る名前に、トダカが顔を顰めた。どこかで訊いたことがある気がする名
だが、思い出せなかった。
「シン・アスカか、いい名前だ。シン、私はオーブ宰相ウナト・エマ・セイラ
ンだ」
『宰相? 政治家がなんで』
「君のような少年がもっと早くオーブにいれば、こんな結果にはならなんだの
になぁ」
 悔いるようにウナトは呟いた。
「シン、最後だ。君は離脱しろ」
『ま、待って――』
「オーブ宰相とオーブ軍指揮官が、最後の最期に、子供を巻き込んだなどとい
うことになっては、格好が付かんからな」
 ウナトは叫ぶと、シンとの通信を切った。
「私には、こんな格好付けは似合わんかね?」
「いえ、ご立派でしたよ。ところで、今の少年ですが、思い出しました。前大
戦で一度会っています」
「ほう、どんな子だね」
 トダカは簡単に、シンの境遇をウナトに話した。
「そうか……本当なら、オーブを恨んでもおかしくはないというのに。私など
よりも、あの子の方がよっぽど立派じゃないか」
 既に眼前にはデストロイの巨体が迫っている。デストロイの砲火は確実に当
たっているのだが、タケミカヅチは沈まない。

 ダーレスは暴発の危険性を侵してでも、エネルギー砲を使用させようとした。
だが、その時既にタケミカヅチはデストロイに突撃する瞬間だった。

 タケミカヅチと、デストロイが激突した。

 空母の巨体がデストロイの巨体にめり込んだ。デストロイは内部へと進入し
てくる異物を排除しようと、プラズマ砲を浴びせかけた。
「あっ――」
 シンの見ている目の前で、タケミカヅチは大爆発を起こした。空母の爆発を
前に、さすがのデストロイも機体に激しいダメージを負い、全身に亀裂が走っ
た。
 デストロイが爆発した。タケミカヅチの残骸と共に黒い機体をまき散らし、
ベルリンの時よりも激しく、より完全な形で破壊されていく。
 タケミカヅチは、デストロイを道連れにして消滅した。それは、オーブ宰相
ウナト・エマ・セイランと、オーブ海軍司令官トダカ一佐が戦死したことを意
味していた。

「降伏を受け入れる……」
 タケミカヅチの轟沈を確認し、カガリは一言呟いた。オーブ軍は今、完全に
敗北したのだ。
 ジブリールに案内された部屋で、カガリは世界に降伏の声明を発表した。そ
れはとても、簡素な物だった。
「オーブ首長国連合は、ファントムペインに対し敗北を認め、降伏を受け入れ
る物とする。オーブはその理念を廃止し、一切の軍事活動を停止。私は……私
は、ファントムペインにこの身を預ける」
 これによって、二日間に及んだファントムペインとオーブ軍の戦いは集結し
た。オノゴロの国防本部にして声明を聞いていたユウナは降伏勧告の受諾を決
定し、ソガ一佐に軍令させた。戦場において抵抗を続けていたオーブ軍は、全
ての戦闘を中断し、ファントムペインもそれに習った。
 オーブ首長国連合が滅び去り、終焉を迎えた瞬間であった。

                                つづく