『そこの人、ほんまにありがとな』
それは偶然か――必然か
だが、それがどうであれ
八神はやてとの邂逅という事実は変わらない
アスラン・ザラの心に滴を落とした新しい絵の具は、彼のキャンバスをどのように変えていくのであろうか
その影響が現れるのは、今……それとも未来?
それはまだ、誰もわからない
兎のぬいぐるみを受け止めたアスランとディアッカは、持ち主である少女の部屋の前へと辿り着く。
「このコを受け止めてくれて、おおきにな」
「いえ、その……偶然です」
少女の家/ドアの前。
アスランは、自覚せずにはいられない緊張に/気恥ずかしさに耐えながら、ぬいぐるみを少女に手渡した。
「偶然なことあらへんよ。ほんまに凄かったんよ、あの動き」
「……ありがとう」
思わず口から飛び出た謙遜を否定=褒められ、気持ちは混乱。かろうじて、言葉をひねり出しながらも照れを隠すようにうつむいた。
そして、アスラン・ザラ14歳――見下ろした先にある、いつもと変わらない普段着に、他にいい服があったのにと、己のうかつさを悔やむのだった。
「……どないしたん?」
「なんでもないです」
アスランの行動を見るに見かねたディアッカは、念話で問いかける。
(なあ? 一目惚れか)
(なんでそうなる)
(いや……普通に考えて、顔赤くしたらそう思うだろ)
(だから違う!)
(じゃあなんなんだ?)
(いいだろべつに)
念話――その間は沈黙だ。
少年たちの間で議論が交わされているなどとは露知らないはやては、話題を考え……思いつく。
「せや、もうすぐお昼の時間やから、ご飯食べてかへん」
「そこまでは」「お言葉に甘えさせていただきます」
自分の行いが食事をもてなされるほどのことでも無いと思い、アスランは断ろうとするが、ディアッカの言葉につぶされる。
(あつかましくないか)
(相手から誘ってるわけだし、いいだろべつに)
(あのなぁ……)
(それに、おまえもそのほうがいいだろ)
(なッ!)
ディアッカを睨みつけるアスランだが、ウインクであっさりと返される。
むしろ今の行動で墓穴を掘ったともいえた。
一方で、目の前の二人が何を話しているかわからないはやては
「入らへんの?」
首を小鳥のように傾けるしかない。
(アスラン、女性を待たせるのは紳士的じゃねーぞ)
(……わかった)
こうなればもう、仕方がない。
「すいません。自分もおじゃまさせていただきます」
アスランも、昼食をご馳走になることを/あこがれた少女の家に上がることを決めたのだった。
「さあどうぞ……ってせやせや、自己紹介してへんかったな。うちは、八神はやて。よろしくな」はやて――呼称ははやてでいいよと付け加え、ぺこりと一礼。
畏まったように、「自分は、アスラン・ザラです」
気楽に、「俺はディアッカ・エルスマン、よろしく」
「なら、アスランくんにディアッカくんやね……それとアスランくん」
「は、はい」
「べつに、そない固くならんでええよ。それに喋り方も」
「すいま……悪かった」
アスランの了承に満足気に頷いたはやては、彼らを部屋の中へと導いた。
リビングに案内されたところで、藍色の毛並みをした犬がディアッカの目に留る。
虎やライオンに勝るとも劣らない体躯。そしてなにより、顔の中央――『黒い眉毛』が彼の注意を引きつける。
「あの犬、なんて名前なんだ」
「ザフィーラやで」
名前を教えられ、ディアッカは頷きながらザフィーラの前にしゃがみ込むこと十数秒。時々首を捻っては、呟き続ける/考え続ける。
ナニカに取り付かれたようなディアッカの突如の奇行に、訳がわからずはやてとアスランは傍観を決意。
警戒したのか、ザフィーラもじりじりと後ずさる。
さらに数秒。
やがて一人大きく頷いたディアッカは、ザフィーラの肩をポンと軽く叩く。
「よし。ザフィーラ……ちんちん」
期待の込めた表情で。
お前ならできる。きっとできると熱いまなざしと一緒に宣告。
一拍。
ザフィーラの返答は、
ガリッ――拒否。
「ってぇー!」
鈍痛と生暖かさを感じながらディアッカは悶絶するのだった。
「黙れ小僧! よもや、盾の守護獣ザフィーラに“ちんちん”をしろだと! 容赦はせん」
犬が念話を向けてくるというアスランとディアッカにとっては異常事態。だが、状況が状況だった。
「ザフィーラ!」
「主、我はこの少年を許すわけにはいきません」
駆け寄ってくる主に向けてなお。ザフィーラは首を振る。
ヴォルケンリッターの一員/守護獣としての誇りが彼にはあるのだから。
故に、ザフィーラはディアッカの行為は許せない。無論、多少の力は抜いてはいるが……。
「ザフィーラ」
研ぎ澄まされたはやての眼光。
「お座り!」
主の意向には背けない。
「しぃみぃるー」
ザフィーラの顎から開放後、ディアッカはすぐさまはやてによって治療されていた。
「ほんまにごめんな」
頭を垂れるはやて。
風穴ができることはなかったが、彼の手には痛々しいまでの赤い歯型が刻まれている。
その時になって、はやてはザフィーラの手加減を察するが――それでも血の滲む左手を見ると胸が痛む。
包帯を巻き終え、それでもなお赤い斑模様が包帯の上に浮かび上がり、
「シャマルに頼んだら、きっと治ると思うから、今はこれで堪忍な」
目を赤くしたはやては再びディアッカに頭を下げた。
噛まれたディアッカも/噛んだザフィーラも/何もできなかったアスランも――はやての泣く姿にどうしようもないいたたまれなさを感じるのだった。
ただ一つの泣き声以外は全て無音。
重い雰囲気で室内が包みこまれそうになったそのとき、明るいチャイムの音が鳴り響く。
瞬間。
「はやて~ただいま」
赤い何かがはやての胸に飛び込んだ。
「はやてちゃんただいま~」
「主はやて、ただいま戻りました」
それに続き、リビングへと足を踏み込む二人の女性――不在だった八神家の3人の帰還。
仕事を終え、主はやてとの楽しいひとときを楽しみに帰ってきた彼女たち。
満面の笑みを浮かべ、待ちわびていたであろうはやてから「おかえり」の挨拶を受け取ろうとして――笑顔が固まった。
そのうちの一人。シグナムの双眸に殺気が籠もる。
「貴様ら、主はやてに何をした」
眼前――目を充血させたはやてと見知らぬ少年が二人。
捕捉――はやての頬に残る涙の軌跡。
あらぬ予感。
足音を響かせ/背中に業火を携え――シグナムはレヴァンティンの切っ先を少年たちに突きつけた。
「申し訳ない。主のお友達に……」
事情を話され、己の行為がいささか過剰であったと自覚したシグナムは、少年たちに詫びていた。
「いえ、俺達も悪かったので」
即座に答えたディアッカ――皮肉さを封印し、可能な限りの殊勝な姿勢をアピール/二度とあんな思いはごめんだと決意し、素直そうな少年をシグナムの前で演じてみせたのだった。
「はい。これでおしまいですよ。お風呂につけたりしても大丈夫」
治療魔法をかけ終え、シャマルは元気づけるようにディアッカへと微笑んだ。
驚嘆。「って、もう終わりかよ!」 ディアッカ――数秒での治療/完治に目を見開いて。
「シャマルの腕は一流やからなあ」はやて――誇らしげに胸を反らしながらにやけてみせる。
大切な家族の凄さを素直に驚くディアッカ/久しぶりに、シャマルの力を戦力云々として考えない誰かの驚きに、はやての心は自然と弾む。
「さてと……ディアッカのくんの怪我も治ったし、お昼ご飯の用意せんとなー」
時計が教える正午10分前。
残る工程はおかずを温め、料理を分けるだけだが、よし! とはやては気合いを入れる。
おかずを分ける。
ご飯をよそう。
お茶をいれる。
気持ち/隠し味を混ぜる工程は残り少ないが、新しい友達にもより美味しいと思ってもらえるようにと心に決めて/両手で軽く頬を包むように叩いて頷いた。
「なら、俺も手伝うよ」
「ええよー。お客さんやし」
歩み寄るアスランに向けて、はやては首を横に振る。
新しい友達へのご飯のおもてなし。
その用意は、やはり自分自身でしたいもの。
「だが、何もせずに座っておくのも悪いし」
それでも、アスランは止まることなくはやての目の前に立つと、
「……それに、友達だろ。手伝うよ」
アスランは気恥ずかしそうに、笑って言い直された。
正午5分前。
はやての手伝いをしながら、ふとアスラン/胸元に豆狸を刺繍したエプロン/三角巾を装着中は、気になっていたことを口に出す。
「そういえばよかったのか? 二人ぶんの料理も」
「じつは……今日は家族みんなが久しぶりに集まるからはりきって作りすぎてん」
照れ笑いを浮かべ、はやては蓋を開ける/昼食の主役を紹介してみせた。
鍋の中に鎮座する、我こそは! と自己主張する里芋、人参、蓮根、鶏肉etcの数々。
軽く10人分はありそうなその量に、アスランが驚く傍ら、
「筑前煮じゃねーか」
匂いに釣られたのか、台所にやってきたディアッカは、懐かしそうにつぶやいた。
瞬間。
はやての瞳がキラリと輝いた。
「もしかして、二人とも地球の人なん? けど日本人には見えへんし、東洋系でもないし……どこの国の人?」
期待のこもった眼差し/『筑前炊』という単語から、はやてが自分たちを同じ世界の住人だと推測したのだろうとアスランは気づくが、
「いや、俺達は地球生まれじゃないんだ」
アスランは否定する。
自分達が居た世界にも地球はあるにはあるが、世界が違う。
「なんや……ごめんな。つい、筑前炊を知ってるみたいやから期待してんけど……。そやけど、地球以外にも、日本みたいなとこあるんやねー」
世界は広い――と何度も頷いて、はやては予想が外れたことの落胆から気持ちを切り換える。
そして、
「二人はどこの出身なん?」
椀を/おたまを手に取りながら、はやては問いかけた。
出身世界と同じ料理+名前も同じの異世界の料理に興味が湧かないはずはない。
一拍。一考。
「地球とは似たような世界だからな。……プラントは、知ってるのか」
「……もしかして、少し前まで観測指定世界やったC.E.?」
「すごいな。俺たちの出身がすぐにわかるなんて」
しゃもじを握りしめて硬直するアスランを横目にはやてはニヒヒと笑う。
「実はうち、C.E.に派遣されてたアースラの艦長と知り合いなんよ」
「クロノさんと知り合いなんですか」
「昔、お世話になった間柄。今でも会うこともあるし……世界は狭いってことやな。さてさて、みんなを待たせてまうんもよくないし、アスランくんちゃんと手動かしてやー」
答えとしては不十分な言い回し。だが、知り合ってすぐの相手の過去をむやみに聞こうとするほどアスランは野暮ではない。
アスランは最後の茶碗にご飯をよそうと、盆を持つディアッカへと託し、エプロンを脱ぐのだった。
時計の針はちょうど12時を刻み、
「いただきます」
はやての言葉を合図に、椅子に座る一同の混声合唱がリビングに響く。
「美味しい」アスラン――何度も頷きながら、箸を動かすペースが速くなる。
「美味いな」ディアッカ――何か昔のことを思い出すかのように目をつぶる。
自然とほころんぶ二人の少年たちの表情を見つめながら、
「そうなのですよー」
「そりゃ、はやてのご飯は最高だかんな」
「おおきにな」
嬉しそうに答えるヴィータ+リインフォースⅡと照れるはやて。
「私もこれくらい上手に作れたらいいんですけど」
「それは、日々精進するしかないな」
その横で料理談議をするシャマルとシグナム。
1人として血の繋がりはない。けれどそれは、どこにでもある家族の食事風景と同じであった。
午後1時前
ピンポーン。
昼食後の一息とばかりにくつろぐ八神家+二人に、来訪者が告げられる。
「私がでます」
立ち上がりかけたはやてを手で制し、シグナムが対応。
玄関の先――数十秒間のやりとりの後に、彼女は一人の青年を家の中へと入れたのだった。
八神家へと手を上げ、挨拶する青年の声を/表情を/髪型をぼんやりと眺めていたアスランは一つの記憶へとたどり着く。
「あぁーっ!」青年が、空港火災現場で出会った魔導師だと思い出す。
アスランの声に振り向いた青年もまた、目を見開いた。
「二人は知り合いなん?」
僅かばかり前に世界は狭いとアスランにいったはやてだが、予想もしていなかった二人の接点に、興味ありげに問いかける。
「知り合いというか……昔、会ったことが一回あったからな。と、そういや、俺の名前は紹介してなかったな。俺はハイネ・ヴェステンフルスだ。呼ぶときはハイネでいいぞ、アスラン」
「わかりました。けど、ハイネさんが俺のことを覚えていてくれてるとは思ってもみませんでした」
「そりゃあ、あの時は衝撃的だったからな」
「あの時……というのは、やっぱりあの言葉ですか?」
「何だ。自覚あったのかよ」
「あの時は、あの言葉の意味なんてよくわかっていませんでしたけど、今は……」
「気にするなって。それと、ちゃんと本人に伝えることはできてるから安心しろ」
「それは、ありがとうございました……って!」
「そうそう。ちゃんと本人に言ったから」
アスランとハイネの視線の先――会話から放り出されたはやてが頬を膨らませている。
唐突に見つめられ、小さく首を傾げてみせるはやてに向けて、ハイネは言った。
「そういえば、はやては覚えてるか? 去年の4月末に起きた臨海空港の大規模火災」
「ちゃんと覚えてるよ。あの時はほんまに大変やったし、あの事件があったから、あたしは自分の部隊を持とうと決意したわけやし……けど、それがどないしたん?」
「俺はあの時にアスランに会ったんだけど、はやても覚えてるんじゃねえのか?」
一拍。
ハイネは言葉を句切り、アスランを一瞥/白い歯を見せて。
瞬時。
アスランはこの先/ハイネが何をはやてに語ろうとしているのか予測――みるみる血の気が引いていくのを自覚した。
出会ったときの話をするのなら、己が言った過去の爆弾発言についても触れるのは当たり前。
意味をよくわからないまま使ってしまったとはいえ、あの発言主が自分だと本人の前でばらされる己の運命を呪い――しかし、止められない。
アスランが何も言い返さないことを了承と見なしたのか、ハイネは言葉を紡いでいく。
「空港火災でのはやてが可憐でした――って言った奴がいたことは話したよな」
「ちゃんと覚えてるよ。あのときは、嬉しかったけど恥ずかしかったなぁ」
当時を思い返したのか、はやては朱に染まる頬をかきながら――。
数拍。
何か思い至った様子でハイネを見つめるのだった。
「もしかして……」
「その可憐でしたって言ったのがアスランなんだよ」断言。
そうだよな? と、ハイネに肩を叩かれ/真っ赤になったはやてに凝視され――アスランは居心地の悪さを感じながらも首肯した。
このマグニチュード7の報告は、八神家の人々をいろいろな意味で揺るがせた。
突然のことで混乱し、頭を抱えてテーブルに突っ伏するはやて。
小さくため息をつくと、暖かい視線をアスランに送るシグナム。
口を開けたまま、土偶のように硬直するヴィータ。
新しいおもちゃを見つけた子供のような顔をするシャマル。
以下(ザフィーラ)省略
ハイネに事実を言われてしまった以上、黙っていることもできず。
アスランは一人笑い転げていたディアッカを沈黙させ、はやての隣に腰を下ろす。
「その……あの時は、変なことを言って本当にすまない」
「ア、アスランくんやってんね。あの言葉」
「そう……だ」
「あ、けどアスランくんは謝ることやないで。あたしのこと褒めてくれたんは凄く嬉しかったし」
「それは……よかった」
引かれてもおかしくなかった言葉をはやてが受けいれてくれたことで、アスランは胸を撫で下ろす。そして、あの言葉は過去のことだということで両者は視線を交わして即決/頷いた。
と、
「そうそう。ほんとうに喜んでいたのよ、はやてちゃん」
二人のやりとりに気付かなかったのか/故意に見落としたのか、話を掘り下げる者がいた。
「みんなもあの日のこと、何か覚えてない」シャマルは楽しそうに。
「そういえば、嬉しそうに言っていたな。あたしは可憐な女の子らしいでシグナム、と。満面の笑みで。私はあの時の主はやての顔は生涯忘れまい」
シグナムは覚えていることが当然とばかりに自信を持って断言。
「あたしは、はやてが枕抱えて『可憐なんや可憐なんや』ってベッドの上を転がっていたのは見たな」
ヴィータは視線を上に/苦笑い+ため息を付け加えて告白。
「言われてみれば、事件後しばらくの間は、食事の素材が良くなっていたな」
ザフィーラはしっぽを左右に猛烈に振りながら全身を使って伝達。
隣からの視線+数々の赤裸々な暴露の集中に、恥ずかしさに耐えかねたはやてが自室に駆け込むまで、そう長くの時間はかからなかった。
「そういえば、ハイネさんは今日、なんで此処に来たんですか」
自身の湧き出す気恥ずかしさから逃れるように、アスランはハイネに問いかけた。
視線の先の彼の出で立ちは、上下共にオレンジのジャージ。
色のセンスは別として、わざわざジャージ姿で訪問する理由が気になっていた。
「ヴィータに模擬戦しないか? って誘われたからな」
「けど、此処に来たのは予定した時間より1時間は速えぞ。」
時計を見上げ、そして、場所も違うともヴィータは付け加えるが、
「気にするなよ」
ハイネはあっさりと右から左へ聞き流す。
シグナムとシャマルが呆れ顔になることも気にせず、ハイネはことの成り行きを見守っていたアスランとディアッカに誘いをかけた。
「おまえらも見ていったらどうだ」
「模擬戦を……ですか?」
「マジかよ」
「ああ。強い魔導師が戦うのを見るのもいい勉強だからな。しかも、AAA同士なわけよ」
腕を組み、一人大仰に頷いてみせるハイネが周りから浮いていることはさておき、その誘いは実に興味深いもの。
魔導師の……それもAAA同士の模擬戦など、ミッドに知り合いが居る居ないに関係なく、容易に目にする機会は数少ない。
故に、答えは決まっていた。
【クラナガン・訓練施設】
一足先に空へと上がるヴィータを見届けると、
「さて、俺も行くか」
ハイネは変身/黄昏れ時を思わせる橙色を基調したバリアジャケットを纏い、まばゆい光の粒子を散らしながら、空へと上がっていく。
ハイネのデバイス――グフ・イグナイテッド。展開すれば左腕に物理装甲としての盾と、高出力の魔力刃を発生させる武器「テンペスト」が盾に内蔵される。
「手加減はしないぜヴィータ」
「なめんなよタコ! ぜってー負けねーかんな」
互いに睨み合う二人。 勝負の前からすでに、肌をチリチリと焦がすような緊張感/空気が漂い始めていた。
「二人ともやる気満々やなー」
ふたりの覇気にはやては感嘆の言葉をこぼすが、
「ヴィータは主はやての前で、ハイネは教え子となる二人の前で、ぶざまに負けられませんから」
ハイネの次の役目を知らされていたシグナムの言葉で、納得する。彼女は始まりの合図をだすため、向かい合う二人のもとへと飛びたった。
「制限時間は20分。それまでに決まらんかったら引き分けや。ほんならいくで!」
己の相棒を強く握りしめるハイネとヴィータ。
二人は神経を研ぎ澄ませ、呼吸さえも惜しむように始まりの合図を待つ。
数拍。
「レディーファイッ!」
火ぶたが、切り落とされた。
先に動いたのはハイネ。はやての合図とともに、一気にヴィータとの距離を詰めるとテンペストで斬り掛かる。だが、ヴィータはそれを予期していたかのようにシールドを展開していた。
ぶつかり合う橙と赤の魔力光。
押し切ろうとするハイネだが、シールドは破れない。
「失敗か……」ハイネは嘆息。即座に離脱を試みるが、
「そんな攻撃」シールドを自壊させたヴィータは、「当たるわけねーんだよ」
爆発の衝撃でバランスの崩れたハイネにアイゼンを全力で振り下ろす。
ハイネの墜落。
ガジェットを軽くぶっ飛ばしてしまうその力は、シールドを展開したハイネもろとも地面へと埋め込んだ。
しかし、
「まだまだ」ヴィータの強襲は止まらない。
(Schwalbefliegen.)
追撃。鉄球の8発斉射を墜落地点へと手加減なしに叩き込む。
矢のように降り注ぐ火球。
爆煙からは、コンクリートのかけらが盛大に宙を舞っていた。
「ハイネさん!」
「大丈夫だ。ハイネはあれくらいで負けるような奴ではない」
ヴィータの怒濤の攻撃に気をもむアスランの肩に、シグナムは優しく手を置いた。
粉塵が風に流され、クレーターが点在する中央――ジャケットに付いた塵を払うハイネの姿が現れる。ダメージは皆無。疲労度もほぼ皆無。
苦虫をかみつぶした表情のヴィータと、してやったりのハイネが向かい合う。
「なんで一ヶ月やそこらで、防御が固くなってんだよ」声を張り上げ、言いつのる。
ヴィータの不満/彼女の一撃を含め、ハイネにわずかなダメージしか与えていないこと。
「そりゃ~いい同僚がいるからな」
ハイネはヴィータの眼前10メートル先に浮き上がると、テンペストを構えてみせる。
「……なのはか」
「せーかい」
互いの間合いを計るかのように、じりじりと距離を詰めながら、二人の会話は止まらない。
「当たり前だ……だいたい、なんでなのははこんな奴強くすんだよ」
「だったら、どんな訓練内容だったか教えてやろうか」
あまりのヴィータの言葉に、ハイネはどこか遠くを見るような面持ちで呟いた。
静止時間3秒。
その後、ハイネは自虐的な笑みを浮かべて、
「教えてやるぜ?」
トーンダウンした言葉に、ヴィータは心の中で謝罪した。
「シグナム」
「どうした? ディアッカ」
「今までの、二人の模擬戦での対戦成績を聞いときたいんだけど」
AAA-ランクのハイネを相手にAAA+ランクのヴィータが苦戦する今の模擬戦。
今の目の前にある結果が、好不調の差による偶然なのかを問いかけた。
「それなら、ほとんど互角だ」
「マジかよ……」
ディアッカとアスランの予想――今の展開がハイネの調子の良さによるものだと思っていた。
だが、それはシグナムの言葉で否定される。
アスランとディアッカは、互いに見つめ合い、不思議そうに首を捻る。
「なら、二人に質問しよか?」頭上からの問題。
空から下りてきたはやてが、三人のもとへと歩み寄る。
「自分より強い相手に勝つためには、自分が相手より強くないとあかん。そこで、質問。この言葉の矛盾と意味を考えてみてな。これがわかったら、なんでヴィータがハイネくんに苦戦するかわかるはずや」
まるで言葉遊びのような内容に、目が点になる現役訓練生。
意地悪な笑みを浮かべると、はやては二つの閃光に目を向けた。
今の彼らには難しい問題かもしれないと思いながら……
「ちょこまかちょこまかしやがってぇ!」
模擬戦の経過時間はすでに15分。
ハイネ――ひたすらヒット&アウェーを徹底。
ヴィータ――翻弄され決定打を打ち込めない現状。
攻撃の主導権を一度も握ることができず――結果、ヴィータの温度計が沸点を突き抜けた。
「いくぞアイゼン。全力であいつをたたき落としてやる」
『Jawohl.Raketenform. 』
吐き出される二つの薬筒。
「ラケーテンハンマー!」
パワーでは無くスピードを。
ヴィータは、魔力噴射による加速を得て彗星のごとくハイネの元へと飛翔する。
「ドラウプニル」
ハイネの応射。
が、急激なヴィータの急激は機動力の変化に反射が/身体が追いつかない。
瞬間。肉薄。リーチ内。
ハイネがテンペストを構えたときにはすでに、アイゼンが振り下ろされていた。
「これで、墜ちろぉー!」
ハイネの左腕が動くのを視界に捉えながら、ヴィータは加速を生かした強力な一撃を叩き込む。
回避――間に合わない。
防御――可能。しかし、強度不足。
ハイネは展開するシールドは数秒と保たないことを判断し、瞬時に決めた。
無理矢理作り出したシールドを魔力の過剰供給によって爆破する。
ヴィータから少しでも離れるように爆発の指向性を己に向けて/ダメージを無視して、離脱を優先。
しかし、距離が足りなかった
「とどめだぁああああああああああ」
加速を緩めず爆煙の中を吶喊してきたヴィータの鉄槌が唸りをあげる。
一拍。
ハイネの身体は訓練施設の壁面にめり込んだ。
せめて、とばかりに衝突緩衝魔法「フローターフィールド」を展開してみたものの、焼け石に水。
意識が飛ばなかったことに感謝しながら、
「ミスっちまったな」初めて愚痴をはき出した。
AAA+とAAA-の差か――全力でぶつかり合えばパワーでヴィータに押しつぶされることは必定。
故に、可能な限りヒット・アンド・アウェイによって一撃の重さから逃れてきたが、これからは違う。
たった一撃ですら手痛い被弾。その一撃を喰らったハイネは、満身創痍に近い状態だ。
痛みに堪えながらもハイネは壁面から正面――とどめを刺そうと迫り来るヴィータを見据えて考える。
選択肢/回避に専念・防御に専念。しかし、選んだところで望む結果は浮かばず――覚悟を決めた。
未来の教え子の前で無様な敗北は許されない。
故に、たった一つの可能性にハイネは掛けた。
彼の精神に呼応するかのように、ハイネの身体から黄昏れ時の魔力光が溢れ出す。
「いけるな、相棒」
(Clear to go.)
「全力でいくぜ。管理局の白い悪魔直伝! プロテクションEX」
眩しい橙色の球形の膜がハイネを包み込む。
「だったらあたしは!」
(……Gigantform.)
新たに吐き出される薬筒。
「全力でぶち破る」
己の使える最大魔力をもって向き合う両者。
「轟天爆砕!」
空気を突き破り、乱気流を発生させながら振り下ろされる鉄槌。
「これで!」
「止めてやるぜ」
これで勝負が決する――というそのとき、
「20分経過~。模擬戦は終了や」
辺りに響き渡るはやての声/呆気ない幕切れであった。
「ヴィータ、この勝負は引き分けやな」
「はやてー、いいとこだったんだぞ」ヴィータ――餌の前で“待て”をされた犬の如き恨めしげな視線。
時間の都合とはいえ、ハイネのバリアを粉砕する自信があったヴィータははやてに訴える。
「アイゼンが今どうなってると思う?」はやて――苦笑+ポンポンとヴィータの頭を撫でてやる。
意図のわからない質問。
しかし、はやてが言うなら、とヴィータはアイゼンへと視線を落とし――刹那、事態の衝撃さに瞳を大きく見開いた。
眼前。機能をフリーズしている己のデバイス。
唖然とするヴィータに向けて、はやては答えを告げた。
アイゼンがハイネを叩き落とそうとした瞬間。ハイネの左腕から繰り出された魔力の鞭、スレイヤーウィップによる攻撃/アイゼンに巻き付き、魔力を過剰放出したことでデバイス自体にダメージを負わせ、ギガントシュラークを使用時の魔力負荷が一時的なシステム障害を発生させたのだった。
「いいところというよりも、ヴィータの負けだったのかもしれないな。プロテクションでヴィータに全力を出させたハイネが流石というのかもしれないが」
シグナムの呟き。ヴィータの思った己の優勢が虚像であったことを指摘され、
同時。「ハイネ!」機能を停止したままのアイゼンを突き付けながら言い放っていた。
「次はぜってー負けねえぞ」
近日中の再戦を申し込みを告げられ、ハイネは苦笑する。
ヴィータと戦うには、今よりも防御力を上げることは必要条件。戦術の幅を広げるためにも、更なる研鑽が強いられている現実。
「俺はあの防御力アップのトレーニングなんかしたくないんだけどな」
再びハイネが思い返した過去。
それは、ひたすら高町なのはのディバインバスターを受け止め続けるという、トラウマに成り兼ねない地獄のトレーニング。
当たる訳にはいかないという想いが集中力を研ぎ澄まさせ、己の限界を引き出させる。
だが、受け止めれば受け止めるほど出力が上がっていくディバインバスター。
「ハイネくん、もう一発いってみようか」というレベルアップという名の死刑宣告。
ディバインバスターで吹き飛ばされたり、アクセルシューターで鉢の巣にされたりetc……
いつのまにか、ハイネの体中からは冷や汗が溢れだしていた。
できればあの訓練は二度とごめんだと体が、脳が、魂が主張する。
「ハイネ。大丈夫か」
ハイネのただならぬ様子にシグナムが声をかける。
血の気が引いた顔。荒い、不規則な呼吸。異様な汗の量。小刻みに震える四肢。
これだけの症状がでれば、聞かれることは当然だろう。
「だい…」
ハイネは大丈夫だと言おうとするが、視線の先、シグナムの後ろではやてが端末で誰かと会話しているのが目に入る。
そして、コーディネーターの耳の良さゆえに聞こえる『ある少女』の名前。
「ハイネくん、なのはちゃんがまたトレーニングがんばろうねって言うてたよ」
だからだろう、はやての言葉に彼は何も言わず、素直に頷いた。
【八神宅前】
いつのまにか日は暮れ始め、訓練校の門限/アスランとディアッカの帰る時間が迫っていた。
「また来てもいいか」
「もちろんや。今度はアスランくんとディアッカくんの友達も連れてきてくれてええよ」
アスランの言葉にはやては笑みで返し――すると、ヴィータが二人の会話に参加した。
「なあなあ、今度あたしと勝負しねえか」
「……遠慮します」
「いいじゃねーか。ディアッカも一緒でいいぞ」
待機形態に戻ったアイゼンをつまみ上げながらヴィータに模擬戦を挑まれ、冷や汗を流すアスラン。そんな彼を、はやては楽しそうに見守っていた。
そして、そんな三人を見守っている影が二つ。
「おまえは話に参加しなくてもいいのか」
「ま、いいんじゃねー?」
頭の後ろで手を組むと傍観者を決め込むディアッカに/背伸びしようとする少年に、
「なるほどな。……そういえば、おまえは主の質問の答えはわかることはできたのか」
すると、ディアッカは首を竦めて答えた。
「わかんねーよ。今はまだな」
「今は……か。明日には解っていそうな言い方だな」
「買い被りすぎだな」
即座の否定。しかし、やってみせるとばかりに自信に満ちた顔がそこにはあった。
別れの挨拶を交わし、帰路を歩むアスランとディアッカ。
「なあ、アスラン」
「なんだ」
「今日は着いてきてよかっただろ」
「たしかにそうだな」
今日の出会いが意図したものではないにせよ、ディアッカに連れられてこなければ起こることは/出会うことはない。
憧れ、会いたいと思っていたはやてとの出会い。
そして、思い返されるハイネとヴィータの模擬戦。目を閉じれば、網膜に焼き付いた二人の動きが鮮やかに甦る。
自分よりも遥かに遠い高みの存在。
「俺は、まだまだだな」
空を見上げながら漏らした言葉。
だが、アスランは気落ちしているわけでもない。
スッと上がる口角と、以前よりもさらに増した眼光がそれを物語る。
「無茶はすんなよ」
後はどうにでもなれとばかりに、ディアッカは大きなため息をつく。
それでも、アスランを心配していたことは変わらない。
アスランは、一言礼を述べようとディアッカに顔を向け……
感謝の言葉を飲み込んだ。
アスランが顔を向けたとき、ディアッカはなぜか笑いをこらえている。
そして、「可憐でしたってのは傑作だったよな~」声を震わせながらの言葉。
それは感謝の気持ちを吹き飛ばすには充分であった。
ゆえに、アスランのやることは一つ。
「忘れろォッ!」
記憶を刈り取るために、全力で拳を振り抜いた。