整然とした部屋に男の声が響いていた。
部屋の中央にはチェス盤が載ったテーブルが置かれ、それを挟む形で2対のソファが配されている。
そして、窓辺には背を向けるようにして事務机が置かれている。
「君はまだインパルスの必要性を疑っているようだね」
「疑いたくもなるさ。
機体を損傷してもコアパーツさえ生きていれば即座に再出撃可能?
馬鹿げている。そんな機能は、優秀な人材の少ない勢力が必要とするものだ。
それに、同じようにパーツごとに換装できるグフイグナイテッドは、コンペに負けたのだろう。
テロリストの発想だよ。
多くの人員を先の大戦で失ったとはいえ、これほどまでにコストの高い機体など必要ない。
その技術、もっと別の使い方があったろうに。まるで彼のために拵えたようだ。
しかし、その彼だがね、君の考えに賛同しはしないさ。
いや、理解すら示さないだろうね。
わたしの問いにすら答えることができなかった彼にはね。
当然、彼は候補の内の一人に過ぎないのだろう」
視線はチェス盤に向けられる。最後に駒を動かしてから、いったいどれだけの時間が経っただろう。
「ああ、わたしも彼が手を貸してくれる望みは薄いと思っているからね。
彼ほどの適任はいないとわたしは思うのだがね」
「しかしそれは能力面でのことだろう。決意が無ければその能力を活かすこともできない」
「もちろんそうさ」
男はソファから立ち上がる。
「彼には力がある。コーディネイターの中で、つまりは全人類の中で、一番だ。
しかし彼はその使い道を知らないし、知ることすら拒否しているように思う。
知らなければ選択の余地などないというのにね」
男は窓からプラント――アーモリーワンを見下ろしながら言う。
「厄介な存在だよ、彼は。
人の命を対価に生まれ、我が隊の邪魔をし、戦争を長引かせ、多くの命を奪った。
もっともそれはわたしにとって都合が良かったがね。
しかし最後は彼に全てを防がれた。
せめてアスランだけでも殺してくれれば、ザラももっと早くジェネシスを使っただろうに」
「もしそうなっていたら、君の選択が正しかったことのなによりの証拠になった」
「しかし、実際にはわたしは完全に敗北した。
彼に敗れ、ジェネシスは地上を焼かず、ナチュラルもコーディネイターも生き残った」
「その点においては、わたしは彼に感謝しなければならない」
「感謝、か。
彼が災いの種のうち、その最たるものであるということは、君もわかっていると思っていたがね」
「もちろんその上で、だよ。
君を止めることはわたしにはできなかった。
君を止める権利を私は持っていなかった。
それは彼の役目で、私の担うべき役割ではなかった。
やはり人それぞれに決められた役割というものが存在するらしい」
「わたしは君という救世主を生み出すために世界を混乱に陥れる悪だったというわけか。
ひどい皮肉を言うものだな。
人を滅ぼそうとした結果が、人を生きさせることを目的とした君に役立つとはね。
しかしこれは君に対してもあてはまるだろう。
世界に平和をもたらす秩序を創るために、秩序を崩壊させる戦争が必要なのだろう?」
「そんな風にとられると、少し困る。
まあ、君のおかげで予定より早くこの舞台に立つことができたのは事実だ。
まだ何人かの役者がそろっていないがね。
君風に言えば、もうすぐ最後の扉が開く、といったところかな」
そう言った後、男はしばらくの間、顔を伏せていた。
こみ上げてくる笑いを最小限に抑えていたようだ。
笑い終わったのか、男は顔を上げると会話を再開した。
「話を中断して悪かった。
もう一人の君に出会ったときのことが頭に浮かんでね。
君にも話しただろう。もうひとりのキラ・ヤマトのことを。
彼の目的は自由になることだった。
しかしそれがかなってしまえば、彼にはもう生きる目的がなかった。
世界に対する復讐も彼には無価値なものだった」
「そこで君が提案した。本物になれば良い、と」
「そうだ。彼はその一言で変わったよ。
彼は解答を望んでいたからね。
たとえそれが偽者の答えであったとしても、彼には答えが必要だった。
目的も無く生きることは苦痛としかいいようが無いからね」
「彼は幸福に暮らしているだろう。それが偽りだとしても生きる目的があるのだから」
男の視線は、宙をさまよう。
「わたしには本物になるチャンスすら与えられなかった」
「しかし君にはレイがいただろう。もう一人の君がね。
そのおかげで、生か死かという状況において、その両方の選択をとることが可能だった。
人は普通、その両者の狭間で悩み、苦しむ。
二つの生を得られた君は幸福だよ」
「たとえ人より短い生だとしても?」
「もちろんだとも、人生はやり直しが効かない。
複数の選択ができるだけで、君は十分なほど幸福さ」
「このわたしが幸福であると、君は言うのか。
本来の役目を果たせず、短い生しか望めぬそんな者にも希望が残されていたとそう言うのかい」
「生きる目的。
人生の意味。
担うべき役。
そういったものを求めたのなら、たしかに君の生は不幸であったかもしれない。
しかし少なくとも、君の生はひとつの経験として、わたしの人生に大いに役に立つだろう」
その言葉の後、部屋は長い沈黙に包まれた。
その間、男は死んでしまったように動かず、まるでその空間だけ時が止まってしまったかのようであった。
ただし、窓から見える景色は確実に時を刻んでいた。
やがて男は立ち上がり、つぶやくように言った。
「我々は、世界の導き手にはなれても、担い手にはなれないのだよ」
数分後、その部屋に来客があった。
客人を迎え入れたのは黒い長髪を持つ男――プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダル。
一方客人はというと、長身の女性――ジャーナリスト、ベルナデット・ルルーであった。