青くない青春/第一話「私立伊入谷高校」

Last-modified: 2021-10-05 (火) 00:23:22

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目次

 

第一話「私立伊入谷高校」

 

 私立伊入谷(いいりや)高等学校。

 

 1943年創設。
 昔から富裕層や名家の子息などの入学率が高いことでも知られる。いわゆる「お嬢様学校」の括りに入るタイプの学校だ。
 とはいえ、近代化が進むにつれてその側面は薄くなり、今ではとっくに男女共学になっているし学費も昔よりは抑えめになっている。教養を深めるという観点で授業に組み込まれていた聖書の学習などは、他の学問の授業にコマを食われていた。

 

 「就職氷河期」と呼ばれた2002年からは学問に力を入れる方針を取ったらしく、偏差値76代、希望者進学率90%代を安定して保っている。とても魅力的な数字だ。 
 そのため、今はもう昔のような富裕層ばかりが通うお嬢様学校ではなく名門校として生まれ変わっている。

 

 ……としても、大人の間ではまだお嬢様学校と言うイメージが先行しているらしく、現在も富裕層が通いがちな学校ではあった。無論、そうでない家庭からの通学の方が、多いことには多いのだが……。

 

 中学三年生ももう終わりの松川 宇佐美は、そんな私立伊入谷高等学校への入学を志していた。

 

 毎年最低気温を更新する厳寒の折、落ち葉が風に吹かれる中、暖房の効いていない底冷えした家に声が響く。

 

「宇佐美、どね、合格ね!?」

 

 松川 宇佐美の母親が、つい先程郵便で届いた結果通知に詰め寄る。
 まだ中身の見えない封筒をひったくらんという勢いの母を

 

「不合格者に結果通知は来ない手筈だから、合格だね」

 

 まだ合格という文字を見ていないにもかかわらず言い放つ宇佐美。
 彼は、息子の進退をまるで自分のことのように横から見つめる母を抑制しながら、焦らすことも胸を高鳴らせることも無く適当に封筒をびりびりと開ける。
 そこには、細かい挨拶は無視して「合格」の二文字がプリントされていた。

 

 母が悲鳴にも似た歓声を上げる。
 耳をつんざく高音に、宇佐美は思わず首をすくめてしまう。

 

「宇佐美……アンタ、アンタ凄いねぇっ!」

 

 宇佐美は、急な誉め言葉に対して思わず目を丸くする。

 

 宇佐美にとって、母はと言えば何をやったって褒めてくれない、抱きしめてくれたり撫でてくれたりした記憶なんて全くない、世間一般で思い描かれる母親の像とは対極に位置するものだった。
 父と離婚してしまったシングルマザーであるから、母性を父性に変換してしまっただけかもしれないが……。
 とにかく、何か悪さをすれば容赦がないのだ。殴る蹴るなど暴行は当たり前、口論になればネチネチと意地の悪い主張をする。
 優しさとか、褒めてくれるなんて言葉とは無縁の印象を抱いていた宇佐美にとって、これは胸の熱くなる言葉ではあった。

 

「一家代々百姓で、不自由ばっかりさせてきたのに、誇れるものも何にもないこの家を……。俺の代からは不自由ない暮らしのできる家にしたいって、アンタ、それでこんなお嬢様学校にって……!」

 

 泣きじゃくりながら感動の言葉を述べる母だったが、そんな母を宇佐美はどうも「いくらなんでも泣きすぎだろ」という冷ややかな目で見ていた。
 宇佐美にとってこの高校受験、如何な難関校であろうと合格をもぎ取ってくる自信があった。
 母の言ったように、代々最底辺の泥水を啜ってきた家をワインをがぶ飲みできる家にしようと幼少のころから猛勉強してきた過去を持つ。
 数学も化学も生物も、現代文も英語も公民も、小学一年生からの積み重ねと中学三年生の一夜漬けを掛け合わせれば、何一つとして及第点に達しないことはないという自信があった。それほどの努力をしてきたし、実際そうなっていた。

 

「そんな泣くもんじゃないよ、母さん。」

 

 宇佐美は言いながら、そうだ、まだ泣くときではないと思った。

 

「本当に辛いのは大学進学だよ。高校でも、まだ何が起こるかわからない。ひょっとすると退学になるかもしれない。それに、高校に通うってなれば学費が嵩む。今まで以上に、生活が苦しくなってしまう。……もちろん、俺がバイトとかして何とかできるところは何とかするけれど」

 

 母はようやく泣き止み、うん、そうよね……とつぶやいて顔を手で覆う。
 息子にみっともないところを見せて恥ずかしいのだろうな、と宇佐美は思った。

 

「よっしゃ! お母さん、今日は腕によりをかけて晩御飯作っちゃるからね!」

 

 母はそう言って、先程の醜態を誤魔化すかのようにして台所へ向かう。
 宇佐美はその背中に「どれだけ母さんが腕によりをかけても、冷蔵庫の中身を考えて虚しくなるだけだよ」と言おうと思ったが、止めた。折角の感動ムードを台無しにしてしまいかねない。ただでさえ寒い家の中、熱くなった母の心まで冷ましたくはなかった。

 

「あっ、そうだ。母さん、(くるる)に合格のこと知らせてくるけど、いい?」

 

 板橋 (くるる)。宇佐美とは13年来の仲である。
 板橋家は車道を挟んですぐ向かいにある。また同じ保育園に通っていて気が合ったので、そのころからよく付き合っている。
 中学校までは同じ学校に通っていたが、実は中学三年間一度も同じクラスになったことはない。高校も、もちろん同じ高校に進んだわけではない。
 そのことは宇佐美にとって、幼少の頃は気にしていなかった刻一刻と近づく別れの時であろう。
 卒業まであともう少し。旧来の友人と他愛のない会話でもして気を紛らわしたいところだった。
 母は、ああ板橋さんね、いってらっしゃいといってくれた。

 

「すいません、宇佐美です。枢いますか?」

 

 宇佐美は板橋家のインターホンを押した。

 

 そういえば、板橋家にはインターホンがある。
 実は松川家には、無い。
 そのことに気付いた瞬間、まだ明確に別れが決まったとかそういうわけではないのにも拘わらず、枢と自分との間が厚い壁で隔てられたかのように感じた。

 

 ……と思った自分を鼻で嗤う。
 国語が苦手だからって、長文問題を反復しすぎたのだろうか?
 そんな考え事をするうちに、板橋家のインターホンから返答が返ってきた。

 

「ん? あぁ、君が宇佐美ちゃん? ちょっと待ってて」

 

 びっくりした。
 今のは知らない人の声だ。え、ちょっと待て泥棒か?
 いろんなことを考えるうちにドアが開く。
 そこから出てきたのは、180㎝はあろうかという巨体に、洒落っ気のない普段着らしいダサいTシャツを着た男だった。
 声を知らないくらいなので、当然、顔も知らなかった。

 

「おー、枢から聞いた通りだな……。さ、どうぞ宇佐美ちゃん。上がって上がって」

 

 だが、向こうは宇佐美を知っているようだった。それに枢のことも。
 まさか他人の家で「どうぞ上がって」なんて言えるわけがないから、一応、板橋家の身内ではあるらしかいが。
 最後の疑問としては、なんでコイツは俺をちゃん付けで呼ぶんだろうという、それのみだ。

 

 男の言葉に甘えて、というよりはいつものように、板橋家に上がらせてもらうとこれまたいつも通り居間で板橋枢とその両親がくつろいでいた。

 

「お、よっすー」

 

 枢はいつものようにして宇佐美を出迎えてくれた。
 それをよっすーと同じように返してから、宇佐美は、自身の合格のことよりもまずはあの変な男についての話を始めた。

 

「え、あの人誰? 俺あの人知らねぇんだけど」
「あえ、宇佐美は会ったことなかったっけ。俺の叔父だよ。板橋 猛。」

 

 叔父、という言葉を飲み込むのには宇佐美には少し時間がかかった。
 宇佐美には、叔父や従兄弟という者がいなかったからだ。
 別に宇佐美の家が特別というわけではない、少子高齢化の賜物である。

 

「叔父さん!? お前、叔父とかいたんだ……」

 

 宇佐美の驚愕に対して、おん、と雑な肯定を返す枢。

 

「……で、そのおじさんが、なんか俺のことちゃん付けで呼んでくるんだけど」
「ああ、猛さんは誰でもちゃん付けで呼ぶんだよ。呼び捨てしないときはさ」

 

 枢の説明を聞いても未だによくわからない人ではあったが、一先ず今回は猛おじさんの話はここまでにしておこうと心に一区切りつけた。
 宇佐美が板橋家にお邪魔しているのは、得体のしれない男の話題に花を咲かせるためではなく、伊入谷高校合格の報せを届けるためなのだから。

 

「あぁ、そうそう、俺、伊入谷高受かったんだ。今日はその報告で。」

 

 その宇佐美の言葉に、枢は「おぉー、流石」と返す。
 枢の両親は、宇佐美の母のように多少過ぎたリアクションをしてくれる。流石に、どこぞやの母親のように泣くわけではないが。
 枢の父に「おめでとう、宇佐美君」と言われると、宇佐美は心の底から「ありがとうございます」と言えた。
 板橋家は、心なしか自宅よりも暖かかった。

 
 

 
 

 その受験生の話よりもおおよそ一年前。

 

 場所は千葉県、房総半島のどこかにあるトウモロコシ畑だ。
 千葉県は北海道と並ぶトウモロコシの名産地。量では未だ北海道に軍配が上がるが、最近は千葉のトウモロコシ産出量も侮れない。
 近年はトウモロコシの1位2位を争って、毎年、双方がバチバチと火花を散らしている。

 

 そんな千葉のモロコシ事情を支えるトウモロコシ農家の一人、金田 聡介は今年で御年63歳となっていた。まだまだ現役だと本人は語る。
 そして、その孫である金田 不知火(しらぬい)は、今年で14歳。ちょうど中学三年生に進級した時期だった。

 

「やー……今年は不作かな。みーんなこの大寒波でやられてしもた」
「いや、収穫が済んだからもう畑に一本も無いだけだよ。収穫した奴は、倉庫にドッサリ置いてあるよ。朝見たでしょ?」

 

 自宅の縁側から、所有するトウモロコシ畑を眺める祖父と孫。
 今年は、例年の最低気温を更新するという、例の大寒波が日本全土を襲っている。この大寒波は太平洋から来るため、特に千葉県房総半島はその大寒波の影響をもろに受けるのだ。
 そのため、聡介も不知火も結構な厚着をして縁側に腰かけていた。

 

「えぇ? なんじゃと? 倉庫とは……なんじゃったかのぉ?」

 

 不知火は聞きながらウザいと思った。
 何しろ、昨日の夜に「来たるべき認知症に備えて、介護の練習だ!」と宣言したっきり、このお爺さんはこのようにすっかりアホを演じているのだ。
 全くなんだって突然そんな馬鹿言いだしたのだろう。本当に認知症になっているのではないのか、めんどくさい。
 ウザ絡みしてくる年寄りは無視するに限る。そう言わんばかりに不知火はおじいさんのボケを回避しまくった。

 

「チェッ。つまんねーの……あ、玄関にある新聞取ってきて」

 

 何度か同じようなことを言ってからようやく折れたらしい聡介おじいちゃんは、不知火の代わりとなる暇つぶしを求め、新聞を要求した。
 別に使いっ走りくらいならなんてことはない不知火にとって、ウザ絡みされるほうが困る。この任務に関しては不平も言わずに新聞を取ってきてやった。
 だが、取ってきた新聞を渡す時、パチッと静電気が起きた。

 

「「いてっ」」

 

 暫しの沈黙の後、二人は「あっ、静電気か……」と気づいた。

 

「ほらぁ、じいちゃんがそんなパチパチしそうなジャンバー着るから」
「えぇ俺のせい……?」

 

 しばらく責任転嫁しあってから落ち着くと、不知火は唐突に「静電気って、どうやって起きるか知ってる?」と聡介に聞いた。

 

「知ってるよ、それくらい。」と聡介は返した。

 

 それだけで会話は途絶えた。

 

 新聞のガサガサめくられる音を聞きながら、不知火もまたトウモロコシ畑を見つめなおした。
 これから、大人になるにつれて彼はこの畑に来ることも無くなるという予定だった。
 不知火は、聡介の手伝いでトウモロコシを栽培しているのであってトウモロコシ農家を将来の夢として掲げているわけではない。具体的な進路はまだ未定。それでも、漠然と、同級生の皆のように社会に出て、デスクワークの仕事をするのだろうなと、そう思っていた。

 

「ブォッハハ!」

 

 新聞を読んでいた翔太が突然吹き出した。その行動には笑いを伴っている。

 

「え、ちょ、どうしたの」

 

 その不審な行いに不知火は疑問を呈す。
 帰ってきた答えは、思いもよらぬ答えであった。

 

「不知火、お前……私立伊入谷高校に行け!」

 

 はぁ?
 と言いたい衝動が不知火を襲う。ただ、その衝動すら喉元で突っかかるほどの衝撃を、不知火は受けた。
 私立伊入谷高校といえば、不知火の学力では到底合格など出来ないはずの高校だ。聡介爺だってそれが分かっているはずなのに、一体何を言っているのか。また認知症か?

 

「この記事! ……ほら、見てみぃ!」

 

 聡介は新聞の一紙面を指さした。
 その見出しは「伊入谷高園芸部、屋上にトウモロコシ畑を無断で」ということだった。

 

「どういうこと?」

 

 不知火は思わず疑問符を浮かべる。
 屋上にトウモロコシ畑って、え、無断で?

 

「伊入谷高の園芸部がな、校舎の屋上一面をトウモロコシ畑にしちまったんだよ。しかも、認可を得ずに無断で!」

 

 まだ気骨のある若者がいたもんだよ、俺の若い頃を思い出すなぁ。
 聡介はそういって豪快に笑ったが、不知火には、だからってなんで……という意見を思い浮かべた。

 

 だが、不知火は何も言わなかった。聡介爺さんはとても頑固で、こういう時は何を言っても聞かない。流石に平成男の気骨とでもいうのか、トウモロコシ畑のこととなると少しのことで癇に触れる。
 だから、不知火は畑のことと関すると途端に聡介爺の奴隷みたいな存在になり果ててしまうのだ。
 どうやら現在、聡介爺は伊入谷高の園芸部の所業に対して極度に興奮しているらしい。
 おまけに、可愛い孫にトウモロコシ畑を継がせようとも思いついたようだ。だから伊入谷高に行けなどと言う無理難題を平気で言い放つ……。

 

 その理由は不知火も知っていた。
 聡介爺がトウモロコシに懸ける情熱は、半端なく凄い。
 なにしろ、乾燥に強く痩せた土地でも育ちやすい「玉トウモロコシ」という品種を新たに作り、当時貧しい人が多かったアフリカやアジアに自分で行って現地で玉トウモロコシを育てて世界の貧困問題に風穴を開けたという遍歴を持っている。34歳の頃だそうだ。
 それはとんでもない偉業だぞという話は、周りの人から耳が腐り落ちる程聞いてきた。事実、聡介爺の友人関係には外国人が多い。トウモロコシへの愛のみならず、そういった社会貢献に対する意志でさえも人一倍だ。

 

 こうなると止められない。
 大変なことに……。それもとびきり面倒なことになるぞ。

 

 不知火は誰にも聞こえぬよう、そう独語した。

 
 

 
 

 時を同じくして。

 場所は東京都渋谷区。
 東京は千葉ほどは寒くなかった。
 千葉と比べて内陸部と言うこともあってか、また高層ビル群が壁のような役割をして風を寄せ付けないのだと語る学者もいる。
 ただ一つ確かなこととしては、東京の建物はみんな暖房をつけているから、だから暖かいのだろうということだ。

 

 そんな東京の温かさの秘訣である空調。
 その開発・生産を担う「立山電機開発」の社長、立山 悠人(はると)はとても勉強熱心な性格をしていた。
 彼は父親が起業した立山電機開発(旧:立山電気)を継ぎ、当時無名だった立山電機開発を海外規模にまで成長させ、名だたる有名企業を抑えて一時期は世界シェア2位を達成した。その偉業も、彼の勤勉な性格によるところが大きい。
 そのため、彼は自らの子供に対しても勉強を勧めていた。
 最も、そのお子さんは勉強については辟易しているようだったが……。

 

(かえで)、もう外は暗いんだぞ。こんな時間まで、外で一体何をやってたんだ」

 

 暖房の効いた暖かな家で怒号が飛んだ。
 悠人は「こんな時間」と言っていたが、まだ午後6時である。

 

「部活。」

 

 悠人が声を荒らげても、楓はそっけなく返す。
 親のお叱りであってもいつものことのように受け流して、せっせと自分の部屋に行こうとする様子は中学生らしいと言えばらしいが。

 

 悠人は、そんな楓の肩を掴んで止める。

 

「あのな、もう三年生だろう。あと1年もしないうちに受験だぞ。大体、どの高校に行くかでさえまだ決まっていないじゃないか」

 

 うるさいなぁ……。

 

 楓の感想はまさしくそれだった。なにしろ多感な時期というやつだから、そう責められたものではない。言っても無駄である。
 いくら受験シーズンに突入した三年生とはいえ、楓にとってはまだ部活動に「区切り」がついていなかった。中学最後の一年、全力を出させて終わらせてほしいというのが楓の意志だった。

 

「でも、言ったでしょ。演劇部を引退してから受験勉強はするから今は演劇させて、って」

 

 楓の所属する演劇部は、1か月後に本番を控えていた。現在はそれに向けて猛練習の日々、自宅においても、寝る間も惜しんでパフォーマンスを高めていた。
 しかし、と悠人は食い下がる。

 

「楓は、将来演劇を仕事にして生きていくつもりなのかい?」

 

 楓の肩がびくっと跳ねた。
 これでも親子だ、悠人にはその反応が何を示しているのか分かった。

 

「……部活で優勝したり、何か賞を取ったとして、続けないのならそれが何の意味を持つんだ?」

 

 楓は一向に悠人の顔を見なかったが、俯き加減に顔の険しさを増していく様子は、少し怖いなと悠人は思った。
 ともあれ、大企業の社長が14歳の子供に気圧されるわけではない。

 

「履歴書のその他の欄に『私は中学、高校生活で部活を頑張りました』と書ける以外に、意味はない……。」

 

 悠人も、言っていて少し心苦しいなとは思っていたようで、楓の肩を掴む力は既にかなり緩んでいた。
 その隙を見計らってか、あるいは単に感情的にか、楓は悠人の手を振り切って、脇目も振らずに自分の部屋へと去っていった。
 楓が部屋の扉を閉めるバタンという大きな音を聞いて、父親としては何とも言えない気持ちになる。

 

「それでも、楓は、一人娘なんだからな。立山電機開発の……。」

 

 悠人はそう呟いて、手近に置いてあった高校のパンフレットをおもむろに手繰り寄せる。
 そのいくつかのパンフレットの中には、「私立伊入谷高校」の文字があった。
 伊入谷高校は、彼の母校だった。

 

 悠人は高校時代、勉強だけでなくグラウンドで駆け回った日のことを、おぼろげながらも辿って行く。すると、突然記憶が鮮明になった。

 

 伊入谷高校は今も昔も、勉学だけでなく部活動でも多く結果を残す学校だ。
 だから伊入谷高では、全校生徒が必ず何かの部に入部しなければならないと校則で定められていた。
 当時は幽霊部員というのがあまり誇れたものではなかったから、例外なく部活動には毎日顔を出さなければならない。
 そのせいで勉強に支障が出るであろうことだけが玉に瑕だなと思いながら、良好な学習環境に釣られて伊入谷高に入学したことはよく覚えている。
 だが、入学して少し経った頃、悠人は、本来注意されるべき幽霊部員となることができた……。
 大学進学において重要な内申点が、暴落的に下がるであろう行為をいとも容易くやってのけられたこと。それが記憶を鮮明にさせている要因だった。

 

 当時悠人の入部していた野球部が総力を挙げて、悠人が幽霊部員であるという情報を周囲には隠蔽してくれたのだ。
 おかげさまで、放課後の貴重な時間を有効に使えた。
 その際、野球部顧問の先生でさえも一緒になって隠してくれたので事実上の許可と言って過言ではないかもしれない。
 その先輩方先生方には、感謝してもしきれないと思っている。今でも、その先輩や当時のメンバー何人かとは今も良き付き合いを続けていた。仕事上で関わり合いを持つようになった者もいる。

 

 ……自分が中学生の頃はといえば、そのようにして部活動も全くせず、「立山電気のためだ」と勉強のことばかり考えていたのものだが。
 一代を経るだけでここまで人は変わってしまうのかなと悠人は疑問に思った。時代性と言う奴だろうか。

 

 再度、母校のパンフレットに目を落とす。
 どうやら昔と違って、今は校舎が千葉にあるらしい。
 東京の校舎がもう古くなったので新しい校舎を千葉に新設したらしいぞ、という話は既に同窓会の席で聞いていたが。

 

「……楓も一人立ちしたい年頃だろうからな。丁度いい。」

 

 立山電機開発社長は、伊入谷高のパンフレットを掴んだ。次期社長の表情を、脳裏に浮かべながら。

 
 

 
 

 座り慣れない席。
 聞き慣れない声。
 見慣れない顔ぶれ。
 ぎこちない雰囲気で満たされた、教室。

 

 こういう時、周りの人間が何を考えているのかは手に取るように分かった。
 来たる高校生活に胸を弾ませる者もいれば、最高学年から最低学年への転身に肩を落とす者もいる。
 嫌な記憶を中学時代に置いてきて、高校生活では新しい自分を形作ろうと努めている者。
 勉強に追われて高校生活を楽しむどころではないだろうとあたりがついていて、青春に関してはとっくに諦観している者。
 難関校たるこの伊入谷高に合格し、それだけで勉強には満足して高校生活では遊び惚けることを考えている者。

 

 いろんなやつがいた。
 特に何も考えていない奴も、謀略を張り巡らしているような計算高い奴も。
 その二つで分けるとするなら、彼は後者の方に入っただろうか。
 ……なに、計算高いとは言っても、彼自身の目的はただ一つ。

 

 これから三年間、高校生活において「性の乱れ」を目にしないこと。

 

 彼は小学校低学年の頃から、幸せそうな一組の男女を見ると破壊衝動に駆られてしまうという奇病を患っていた。そのため彼と同郷の子供の間では一切の色恋沙汰は起こらなかった。
 時には、クリスマスなどに街路を行く幸せそうなカップルの、プロポーズと思しき場面をバナナの皮とブーブークッションで台無しにしたことさえあった。

 

 俗に言う「非リア」だ。

 

 彼が目的を実現するためには、まず学校内で強い影響力を持つ必要があった。不純異性交遊は分からないが、色恋沙汰はほぼ必ず起きる。だから、生徒会長でも風紀委員長でも何でもいい、性の乱れを合法に正せる人間になりたい。
 そういった役職に就くのに有利に働くよう、今日の入学式ではひときわバッチリとキメてやるつもりだった。

 
 

「新入生代表、貫田(ぬきた) (おろし)

 

 スピーカーから彼の名前が構内に響き渡ると、場は一斉にざわめきだった。

 

「おぉっ! 始まったぞ!」
「うっわコイツ顔険しすぎだろw」

 

 画面の前に集まる高校生たちは、ビデオに対してヤジを飛ばしたり感想ダダ洩れになって、言いたいことをとりあえず言いまくる。
 当事者として画面に映りこんでいる彼としては、どうにも神経を逆なでされたような感覚を味わわざるを得なかった。

 

 雰囲気がとげとげしいとか、一年の癖にいかにも生意気な感じがするとか、とにかく適当な罵詈雑言を浴びせかけられて貫田 颪はご立腹の様子だった。

 

「……お前ら言い過ぎだって。生意気なのは若気の至りだから。」

 

 颪は騒ぎ立てている同級生を制止しようとするも、やはりと言うべきか、歴代でも類を見ないと言われるじゃじゃ馬な代のこの三年生達を抑えきることは叶わない。
 なにしろ、校舎の屋上をトウモロコシ畑にしたり、購買の「一個限定! ビッグ焼きそばパン」を通常の焼きそばパンと同じように販売させたり、学校のトイレットペーパーがシングルなのをみんな気に入らずにダブルのトイレットペーパーを持参する「マイトイレットペーパー」風潮も生み出したのは全てこの三年生であった。
 その結束力とバカみたいな原動力は、たとえ生徒会長となった颪であっても止められるものではなかった。

 

「……先生、もう充分ですよね!?」

 

 なぜ、彼ら三年生が今になって入学式を見返しているのかと言うと、それは担任の教師の計らいによるものだった。
 彼ら三年生は、この後入学式を控えている。新入生の出迎えであるとか、そういう役目だ。
 そして、先述の通り何をするか予測できたものではない三年生はひょっとすると入学式でも何をしでかすか。いつの間にかとんでもないことを企てているかもしれない。
 そういう監督不行届を出さないために、担任の教師が編み出した苦渋の策なのだった。だがおそらく、期待はしていない。

 

「んー、けど入学式までまだ時間あるし、暇つぶしにさ」

 

 実際、卒業の近くなった三年生が自分たちの入学式を見返してみる時間という建前にはなっているがほぼほぼ暇つぶしみたいなものであった。そんなだから三年生はじゃじゃ馬のままここまで来てしまったのではなかろうか。
 しかし案外、二年前の映像と言うことで思い出したくない記憶を掘り起こされて意気消沈しているものも約一名いたようであった。
 そうこうしている内にも、ビデオは進んでいく。
 新たなる世代の、私立伊入谷高校新入生を待ちながら……。

 
 

主な登場人物等の整理

 こういう小説を読むとき、登場人物を覚えるのが苦手って人のために、各話ごとに置いときますね。ちょっとネタバレとかするかも。

 

私立伊入谷高校(しりつ いいりや こうこう)
 歴史ある学校であり、昔は単なるお嬢様学校としての教育を行っていたが、「就職氷河期」を経て、将来を保証できるよう学問に力を入れた教育を行う進学校と化している。昔は女子高で、私立伊入谷女学院という名前だったのが現在の校名になって、男女共学になっている。
 希望者進学率は90%を軽く下回る程度、偏差値は代々70台を安定して取る凄まじい高校。

 

松川 宇佐美(まつかわ うさみ)
 伊入谷高校新入生。彼の産まれた松川家は代々百姓だった記録しか残っておらず、家の名が立派だった代は存在しない。
 そのため、現在も多少の生活保護を受けたりしながら生活している貧困層の苦学生である。その負の連鎖を自分の代で断ち切ろうと、小学生低学年の頃から奮起して猛勉強してきた遍歴を持つ。幼い頃から親しい仲だった板橋 枢とは、中学で進路を別々にしてから、これから疎遠になってしまうのではないかと気にしすぎなぐらい心配している。

 

板橋 枢(いたばし くるる)
 宇佐美と、保育園も小学校も中学校も、同じところに通った幼馴染。高校時代からは別々の高校に入り、宇佐美とは学校で会うことはないものの、家が近くなので頻繁にやり取りしている。松川家と比べると、板橋家は比較的裕福である。

 

金田 不知火(かねだ しらぬい)
 伊入谷高の新入生。彼の祖父である金田 聡介は千葉でも有数の収穫量を誇るトウモロコシ農家である。
 不知火自身も祖父の畑の手伝いはしょっちゅうやらされていて、その経験が生きたのか、中学三年間生物の単元だけはテストで一問もバツをもらい受けなかった。
 だが生物以外はからっきしであり、伊入谷高の入試に合格することが叶ったのも、受験シーズンの猛勉強に加えて奇跡が起きたようなものだった。だが、そんな将来農家を継ぐしかないような成績をしていても進路希望表に農家と書いたことは一度もない。あまり農業に対して思い入れがあるわけでもないようだ。

 

金田 聡介(かねだ そうすけ)
 不知火の祖父。不知火を伊入谷高に入らせた張本人。トウモロコシに対する情熱は並々ならず、農家人生で様々な新しい品種を開発している。そのどれもが画期的な形質を持っており、世界の食糧問題を解決に一歩近づけたと言われている。
 乾燥に強い「玉トウモロコシ」はアフリカの砂漠地域を貧困から救ったとして、ノーベル平和賞の受賞歴を持つ。
 国境を越えた友情を多く持っている。英語は「ハロー」と「ニーハオ」しか喋れないけどな、とは本人の談。

 

立山 楓(たてやま かえで)
 伊入谷高の新入生。立山電機開発社長の立山 悠人の一人娘で、次期社長と目されている。
 本人は中学校時代演劇部に所属しており、かなり精を出していた模様。それゆえに、学力はさほど。平均よりちょっと下程度か。
 だが、父親の立山 悠人が「私立伊入谷高校に行くなら一人暮らしを認める」という条件を出した際には躍起になって勉強に取り組み、見事合格をもぎ取ったため元から勉強ができないわけではないらしい。てか、そんなに一人暮らししたかったのかよ(父親並感)。

 

立山 悠人(たてやま はると)
 立山電機開発現社長。初代の頃はまだ無名に過ぎなかった立山電機開発(旧:立山電気)を、製品の世界シェア2位にまで押し上げた立役者。
 中学生の頃は、父が創業した立山電気が大きくなって、会社の役に立ちたいと思って、電気工学、熱工学、工作などの必要な技術の習熟と、工業大学に通うための学力向上を目標に必死に勉強していた。
 そのため、娘には勉強しろ勉強しろと口酸っぱく言っている。だから娘の反抗期が早かったんですよ、お父さん。

 

貫田 颪(ぬきた おろし)
 伊入谷高校三年生にして生徒会長を務める。非リア、の代名詞だけで今はおおかたの説明がつく。
 三兄弟の次男らしいが……?

 

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