桃太郎

Last-modified: 2022-04-21 (木) 18:07:56
 
書名 The Book Name桃太郎
十進分類 NDC91 日本文学
著作者 The Writer芥川龍之介
出版年月日 The Issued Date大正13(1924)年7月日
 
著作権不侵害の証明
Non-infringing-copyright Prove
編集者八百屋長兵衛
理由著作者の著作権が消滅しているから
なし
 

他言語版 Languages

概要

芥川龍之介による、桃太郎のブラックな再話

 

本文

むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃の木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地だいちの底の黄泉よみの国にさえ及んでいた。何でも天地開闢(かいびゃく)の頃おい、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)黄最津平阪(よもつひらさか)に八つの雷を(しり)ぞけるため、桃の実を礫に打ったという、――その神代(かみよ)の桃の実はこの木の枝になっていたのである。
 この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅の衣蓋(きぬがさ)に黄金の流蘇(ふさ)を垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実は(さね)のあるところに美しい赤児を一人ずつ、おのずから孕んでいたことである。
むかし、むかし、大むかし、この木は山谷を(おお)った枝に、累々と実をつづったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉になり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄ばみ落した。実は雲霧の立ち昇る中に遥か下の谷川へ落ちた。谷川は勿論もちろん峯々の間に白い水煙をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
 この赤児を孕んだ実は深い山の奥を離れた後のち、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本中の子供の知っている通り、柴刈りに行ったお爺さんの着物か何かを洗っていたのである。……
桃から生れた桃太郎ももたろうは鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度したくに入用のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧には、これも桃太郎の註文通り、黍団子さえこしらえてやったのである。
 桃太郎は意気揚々と鬼が島征伐の(みち)にのぼった。すると大きい野良犬が一匹、()えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一の黍団子だ。」
 桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴ともしましょう。」
 桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
犬はしばらく強情に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴ともをすることになった。
 桃太郎はその後のち犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食えじきに、猿や雉を家来にした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲なかの好い間がらではない。丈夫な牙を持った犬は意気地のない猿を莫迦にする。黍団子の勘定に素早い猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍い犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
 その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱となえ出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠えたけりながら、いきなり猿を噛み殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹の仇打ちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心させたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇を使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物は一つも分けてやらないぞ。」
 欲の深い猿は円い眼めをした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出の小槌という宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途を急いだ。
鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣ではない。実は椰子のそびえたり、極楽鳥のさえずったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生をうけた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽的に出来上った種族らしい。瘤取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。
一寸法師の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣の姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山の酒吞童子や羅生門の茨木童子は稀代の悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露わしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋に酒ばかり飲んでいたのは確かである。
その女人を奪って行ったというのは――真偽はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光や四天王はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家ではなかったであろうか?
 鬼は熱帯的風景のうちに琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗すこぶる安穏に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機を織ったり、酒を醸したり、蘭の花束をこしらえたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙の脱けた鬼の母はいつも孫の守りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒吞童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角の生はえない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならばまだいいのだがね。男でも女でも同じように、うそはいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚れは強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒を忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、ていていとそびえた椰子の間を右往左往に逃げ惑まどった。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好いい家来ではなかったかも知れない。が、饑えた動物ほど、忠勇無双の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺しめころす前に、必ず凌辱をほしいままにした。……
 あらゆる罪悪の行われた後のち、とうとう鬼の酋長は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参した。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日のように、極楽鳥のさえずる楽土ではない。椰子の林は至るところに鬼の死骸を撒まき散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来を従えたまま、平蜘蛛のようになった鬼の酋長へおごそかにこういい渡した。
「では格別の憐憫により、貴様たちの命は赦してやる。その代りに鬼が島の宝物は一つも残らず献上するのだぞ。」
「はい、献上致します。」
「なおそのほかに貴様の子供を人質のためにさし出すのだぞ。」
「それも承知致しました。」
 鬼の酋長はもう一度額を土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明かし下さる訣には参りますまいか?」
「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱かかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訣わけでございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
 鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後ろへ飛び下さがると、いよいよまた丁寧におじぎをした。
日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々とくとくと故郷へ凱旋した。――これだけはもう日本中の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛かみ殺した上、たちまち鬼が島へ逐電した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形やかたへ火をつけたり、桃太郎の寝首をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎はこういう重ね重ねの不幸に嘆息を洩もらさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩さえ忘れるとはけしからぬ奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面を見ると、口惜しそうにいつも唸ったものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明かりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉をかがやかせながら。……
人間の知らない山の奥に雲霧を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕らんでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢へもう一度姿を露らわすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……

 

文書ファイル版

 

編集者より

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