イエロー・マジック・オーケストラ

Last-modified: 2021-10-17 (日) 12:43:45

 イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は日本のエレクトロニカ・バンド。略称としては主にYMO(ワイ・エム・オー)が用いられる。

 日本を代表するエレクトロニカ・バンドであり、従来の日本音楽に見られなかった「ポップな音作り」と「ジャズ・レゲエ・クラシック音楽を参考とした曲調」などが絶大な人気を呼び、後続の音楽業界に大きな影響を与えた。特に電子音楽の分野では「YMOチルドレン」と呼ばれる作曲家・演奏家がその後のテクノシーンを牽引するなど、日本における「テクノ音楽」の開祖となったことで知られる。

 イエロー・マジック・オーケストラという名前は、細野晴臣がメンバーだったプロデュース集団「ティン・パン・アレー」で製作した曲「イエロー・マジック・カーニヴァル」とアルバム「はらいそ」での名義「細野晴臣とイエローマジックバンド」、及びその楽曲のコンセプトである「イエロー・マジック(黄色魔術)」に由来する。詳しくは後述。

イエロー・マジック・オーケストラ
Yellow Magic Orchestra

▲公式ロゴ(通称「温泉マーク」)。1981年から使用。
ジャンルテクノポップ、アンビエント、実験音楽
活動期間1978年 - 1983年(メインの活動期)
1993年(「再生」と称した1年限定の活動)
2007年 - 現在(断続的に活動)
レーベルアルファレコード(活動開始~解散まで)
東芝EMI/イーストワールド(「再生」時)
commmons(2007年以降)

▲1980年代のライブ。

▲2010年代のライブ。
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Tag: 音楽 テクノ バンド YMO 80年代

メンバー

メインメンバー

細野晴臣(ほその はるおみ)
1947年7月9日生まれ。
YMO以前にも「エイプリル・フール」「はっぴいえんど」「ティン・パン・アレー」などの日本ロックの黎明期にベーシストとして活躍。その後坂本龍一・高橋幸宏を誘う形でYMOを結成するなど、実質的なYMOのリーダーとして活動する。
坂本龍一(さかもと りゅういち)
1952年1月17日生まれ。
東京芸術大学卒業の理論派音楽家。大学在学中に得たクラシックから民族音楽までに至る幅広い知識により、今日まで愛聴され続けるYMOの音楽性を作る。
高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)
1952年6月6日生まれ。
「サディスティック・ミカ・バンド」活動中に細野晴臣と知り合い加入。類稀な作曲センスとボコーダーによる特徴的なボーカル、そしてライブ用に衣装をデザインするなど、ビジュアル面でYMOを支え続けた。

サポートメンバー

  • 楽曲制作への参加も行なった人物は紫色で表す。
名前担当パート概要
松武秀樹(まつたけ ひでき)シンセサイザー
プログラミング
YMOがテクノサウンドを扱うにあたって、友人である細野晴臣が参加を要請。タンスのような大きさのマシンを持ち、当時まだメイン楽器としての地位になかったシンセサイザーのメンテナンスを受け持ち、海外でも開催となったYMOのライブにも同行。「4人目のYMO」と称されるほど活動に貢献する。
クリス・モスデル(Chris Mosdell)作詞
訳詞
本名:クリストファー・モスデル。YMO初期のボーカル曲において作詞を担当。YMO以外にも歌詞提供や環境音楽の作曲など、様々なアーティストとの関わりを持つ。
ピーター・バラカン(Peter Barakan)作詞
訳詞
3rdアルバム以後、YMOが自ら作詞を手がける方針に転換した際、細野晴臣が「日本語の歌詞ではストレートすぎる」と主張したことにより、英語作詞のサポートのため招聘された。以後YMOの国外活動において大きな貢献を果たす。
鮎川誠(あゆかわ まこと)ギターバンド「シーナ&ロケッツ」のメンバーでギタリスト。初期アルバムにおいてギターのレコーディングを担当した他、第1回ワールド・ツアーでバックバンドとして参加、続く第2回ではシーナ&ロケッツとして前座を務めた。
矢野顕子(やの あきこ)キーボード
バック・ボーカル
ピアノによる演奏を得意とするシンガーソングライター。 1979年の第1回ワールド・ツアーからライブサポートとして参加し、その後1983年に坂本龍一と結婚する。
渡辺香津美(わたなべ かつみ)ギターYMO結成以前から坂本龍一、矢野顕子らと面識があり、「KYLYN BAND(キリン・バンド)」をYMO活動中の1979年に結成。第1回ワールド・ツアーにも参加する。しかしレコード会社・日本コロムビアの意向でライブアルバムには音源が残されていない。

来歴

結成前夜まで

 1970年代、様々なバンドを渡り歩いていたベーシスト・細野晴臣は、俗に「トロピカル三部作」と呼ばれる一連のソロアルバムの中で、「イエロー・マジック(黄色魔術)」という音楽のコンセプトを提唱する。これは中世にかけての魔法を二分化した「黒魔術」「白魔術」の分類を真似て、「黄色人種ならではの音楽を作る」という目標をコンセプトとして掲げたものである。
 だが3部作を製作したところで、細野はレコード会社から「何か一つ大きなプロジェクトをやってほしい」旨、事実上の命令を受ける。いきなりの要請と記者会見(!)に細野は思わず「イエロー・マジック・オーケストラをやります。黄色人種による音楽です」という発表をしてしまう。この時点では「イエロー・マジック」をもじっただけで、これといったアイデアも無かった。ところが冨田勲という人物の「あるアルバム」が、細野の音楽性を大きく変えることとなる。それが1974年発表「月の光」である。ドビュッシーのクラシック音楽をシンセサイザーによってアレンジ・カバーしたこのアルバムに細野は衝撃を受け、シンセによる演奏、さらには「黄色人種のテクノ音楽を作る」企画バンド、イエロー・マジック・オーケストラを思いつく。
 1978年2月19日、細野が製作していたソロアルバム「はらいそ」のレコーディングがひと段落したこの日、細野晴臣はメンバー集めのため、それまでの人生の中から選りすぐって特に目を引いた2人を自宅に招く。それが坂本龍一高橋幸宏の両名であった。細野は坂本・高橋とコタツを囲い、「エキゾチカ*1をテクノでアレンジし、シングルを売る」計画を明かす。坂本・高橋もこれに賛同し、ここで初めてYMOが結成されたのであった。

活動中の動向

初期

 1978年7月10日、メンバーそれぞれのソロ活動やライブ演奏を行いつつ、YMOは音楽製作を開始する。そして同年11月25日、記念すべきファーストアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」が発売された。製作段階でアルファレコードと提携していたA&Mレコードの社員がYMOのサウンドを評価し、翌年5月にはアメリカでも(リミックスした形で)発売される。製作当時通い詰めていたディスコに影響されつつ、「ゲームミュージックを冒頭に挿入する」など、当初の目標だった黄色人種の音楽を表現する画期的なアルバムであった。
 実は、この時のYMOは、日本よりもアメリカで強い支持を受けていた。前述したA&Mレコードから発売されるやいなやオリコン20位を記録。初の海外公演では前座での演奏にも関わらずアンコールを求められるなど、(既に電子音楽のムーブメントが発生していたとはいえ)日本人バンドとしては非常に大きな話題となった。
 そういった観点から、1979年9月25日発売の2ndアルバム「ソリッド・ステート・サバイバー」は、海外のプロモーションを意識し製作されることになった。一番はっきりしている海外狙いの曲はビートルズの「デイ・トリッパー」カバーである。当時イギリスに在住していた坂本・高橋の意向もあり、全編を通してパンク・ロック色のある激しい音使いに変化した。
 ところが、この海外向けとも言える2ndが、日本においてミリオンセラーを記録。特に同アルバム収録曲「テクノポリス」「ライディーン」は日本におけるYMOの顔と言える曲としてその名を轟かせた。
 この頃からライブ演奏においても、その独特なファッションが話題を呼ぶ。中国の人民服を模した衣装や、「テクノカット」と呼ばれるヘアスタイルは、高橋幸宏の指導によるもの。高橋は大学時代に生活デザイン部でファッションを学んでいた他、身内にもその方面を志す人物がいた*2。高橋のセンスが遺憾無く発揮されたYMOのビジュアルは社会現象を呼び、幅広い年齢層にイエローマジックを浸透させる立役者となったのであった。
1980年6月に「増殖」を発表。高橋幸宏の発案「ボーカルものを作る」「コント集団・スネークマン・ショーとコントをやる」を一気に叶えた作品。YMOの楽曲の間に音声によるコントが挟まるというユニークな構成を取る。ちなみに、コントの一作「ここは警察じゃないよ」は有志によりFlashアニメーション(Youtube)が制作されたため、ネット上での知名度が高い。

中期

 テクノを全面に押し出し、爆発的なヒットを産んだ1970年代末。「あまりに売れすぎた」と考えた細野晴臣は、これ以降YMOを「覆面バンド」から切り替え、よりメンバーそれぞれの音楽素養を全面に出そうと考えた。つまり、テクノポップ一辺倒だったYMOの音楽性をより拡張しようと考えたのである。
 1981年の3月、YMOは4thアルバム「BGM」を発表。前作までとは雰囲気が一変し、ドラムマシン(TR-808)を基調とした打ち込み音源オンリーの'重い'アルバムとなった。これにより従来のファンからは幻滅されたものの、それまでYMOを聞いてこなかった層へと刺さり、またメンバーの細野・高橋共に「一番やりたいことをやれた」と語るなど、また違った方面で完成されたイエローマジックを掲げることに成功したのだった。
 しかし高橋幸宏が音楽的才能を徐々に開花させる一方で、坂本龍一は他メンバーとの意見衝突から、段々とYMOへの熱意が薄れてきていた。前述したBGMにおいてもほとんどソロ作品のカバーを提供し、新曲は1本のみ。特に細野晴臣とはレコーディング中でも顔を合わせないなど、目に見えてメンバー同士の不仲が生じていた。
 そういった流れで、同年11月に発売された5thアルバム「テクノデリック」。タイトルの由来「テクノ+サイケデリック」の言葉通り、ミニマル・ミュージック*3などにも影響を受けた、より前衛的なアレンジが施された。「BGM」から続くストイックとも言える出来に、初期との音楽性の乖離も含め賛否分かれる時期であった。

後期

 「テクノデリック」以降、YMOはひとまず脇に置かれ、メンバーはそれぞれ他アーティストへの音楽提供に専念することになった。それもそのはず、本来なら1982年を最後に、彼らはYMOは解散させるつもりだったのである。ところが所属していたアルファレコードはそれに難色を示し、1983年以降もひとまず活動する運びとなった。それを受けた坂本龍一は、「もしYMOが当時の音楽業界に倣って音楽を作ったらどうなるのか?」というコンセプトを思いつく。それを作品に昇華させたのが5月24日発売の6thアルバム「浮気なぼくら」である。楽曲全てがボーカル曲というのはYMOとしては異例の事態であり、「BGM」以来のテクノポップへの復帰にファンは再び困惑する。この頃はメンバーも、メディア出演を激しくした時期であり、特に「トリオ・ザ・テクノ」としてTHE MANZAIへ登場したことは大きな話題となった。それでも相変わらずの音楽としての完成度の高さから、オリコン1位を獲得する。また同年7月には「浮気なぼくら」を全てカラオケへ再アレンジした「浮気なぼくら(インストゥルメンタル)」も発売する。
 しかし、この時期においてメンバー内では「無理をして続けている」感が大きくなり、ついには本当の解散を決定することになる。その後、解散を前提とした8thアルバム「サーヴィス」を製作する。「増殖」を踏襲した、コント集団「S.E.T.(スーパー・エキセントリック・シアター)」による明るいムードの曲調とは裏腹に、メンバーは解散を前にして淡々と作業していたと、後にメンバーは語っている。制作途中の1983年8月15日、メンバーの高橋幸宏は、メディアに対し正式に「散開」を発表。「解散」ではなく「散開」というフレーズを用いたのは、「ファンが解散と聞いたらショックだろうから、表現を柔らかくしたい」という細野晴臣の助言によるものである。その後12月14日に「サーヴィス」が発売。その後は散開直前のラスト・ライブの模様を収めたライブ盤「アフター・サーヴィス」と、活動期間を網羅するベスト・アルバム「シールド」をもって、YMOの活動は一度終了することになった。

「散開」以後のYMO

細野晴臣

 好調な売れ行きを見せていたテクノ音楽から舵を切り、ワールド・ミュージックやアンビエント方面を追求するようになる。また自身を代表とする音楽レーベルを立ち上げ、後続の音楽家を育てる方針も見せた。

坂本龍一

 1983年に映画「戦場のメリークリスマス」の劇伴音楽を担当して以来、映画音楽への世界に足を踏み入れる。また自身のソロ・アルバムも作り続け、オーケストラを主体とした音楽性へと変化していった。

高橋幸宏

 YMO以前の活動であった「サディスティック・ミカ・バンド」やソロ・アルバムの制作に戻ったほか、かねてより得意であったファッション面の才能を生かし、自身のブランドを立ち上げる。

その他の面々

 松武秀樹はソロ・ユニット「LOGIC SYSTEM」を名乗り音楽制作に励む。

 …とこのように、散開してからも各々の道で音楽活動に励んでいた。

「再生」と「YMO

 1993年2月、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏はYMOの再生を発表。10年の時を経た復活は驚きを持って迎えられ、テレビ局や新聞は次々にニュースとして掲載するなどした。再生を発表した記者会見は、ジョン・レノン、オノ・ヨーコの「ベッド・イン」を真似て、ベッドの上に3人が手錠で繋がれた状態というシュールな図で行われた。
 だが、元々所属していたアルファレコードが「YMO」という略称それ自体に商標を登録しており、メンバーですらYMOを名乗る事ができなかった。よって、再生後のYMOは「YMO」(ノット・ワイエムオー)という(あくまでも)新しいユニットとしての活動を始めた。
 1993年5月26日、久々の新作であり8thアルバムとなる「テクノドン」をリリース。かつてのテクノポップ的な明るいサウンドは無く、浮気なぼくらと同様、メンバーそれぞれの独自路線を合わせたような独特の雰囲気を持つアルバムとなった。賛否両論を引き起こしたものの、オリコン2位となり商業面ではひとまず成功していた。しかし一方で、後にメンバーが再生について「無理矢理やらされていた」と語っているように、8月に一度ライブを行ったきり、YMOを再び休止してしまう。

不定期活動開始から現在まで

 とはいえYMOとしての活動が無くなっただけで、細野、坂本、高橋による共作は絶えず行われた。その中でも2001年1月23日に放送された「細野晴臣 イエローマジックショー」では、久々に三人が揃ってカメラの前に姿を現し、どてら姿でライディーンを演奏した。
 2002年、細野晴臣と高橋幸宏がデュオユニット「スケッチ・ショウ」を結成。同年9月19日に1st「AUDIO SPONGE」、2003年2月26日に2nd「tronika」を発売するなど、活発に活動。ライブにはゲストとして坂本龍一が登壇し、かつてのYMO楽曲をリアレンジして演奏するなど、徐々にYMO再始動への機運が高まっていった。
 そして2004年には「スケッチ・ショウ+坂本龍一」という触れ込みで「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」(Human Audio Sponge)を結成。以後3人での活動はこのユニット、略称HASとして行っていった。
 2007年、YMOの「ライディーン」を再アレンジした「RYDEEN 97/07」と、新曲「レスキュー」を公開。ここで彼らは新しく「HASYMO(ハシモ)」(HAS+YMO)を名乗り、YMOとHASの楽曲を分け隔てなく演奏していく事を宣言した。
 2011年には、Yellow Magic Orchestraの名義としては18年ぶりとなる新曲「Fire Bird」を発表。その後も「イエローマジックショー2」および「3」においてメンバー全員が共演を果たしYMOの楽曲を演奏するなど、今日まで緩やかに活動が続いている。

影響

音楽シーンへの貢献

 YMO登場以前の音楽の通念であった「楽器は手弾きするもの」を覆し、コンピュータによる自動演奏という技術を初めて音楽に持ち込んだ。これは細野晴臣による先見性以上に、メンバー全員が生楽器による演奏に長けていたからこそ思い付いた発想であった。
 YMOの活動終了後の1990年代から、YMOに影響を受けた事を公表する音楽家が多く現れ、彼らを総称して「YMOチルドレン」と呼ぶ事がある。
 「電子音楽でどこまで人間の演奏に迫れるか」をある種実験しながら活動したYMOの残した功績は、今日に至るまで幅広い世代に影響を与え続けている。

ファンを公言する著名人

音楽関係者

パロディー

  • オリエンタル・マグネチック・イエロー(OMY)
     細江慎治、佐野信義、相原隆行、佐々木宏人の4人によるパロディユニット。当時ナムコに在籍していたゲーム音楽家たちが結成した。

YMOチルドレン

  • テイ・トウワ
  • 高野寛
  • ケン・イシイ
     いずれもYMOに影響を受けた事を自称するアーティストら。のちに高橋幸宏・小山田圭吾(コーネリアス)と「METAFIVE」を結成し、YMOメンバーとの共演を実現させる。

ボーカロイドP

  • HMOとかの中の人。
     初音ミクによるカバーアルバム「Hatsune Miku Orchestra」シリーズを製作。
  • sasakure.UK
     高校時代に影響され音楽制作を開始。

その他

  • 星野源(SAKEROCK、ソロ)
     音楽性への影響を受けたほか、「イエローマジックショー2」に出演し、YMOとセッションを行う。
  • 山口一郎(サカナクション)
     名盤ドキュメント「ソリッド・ステート・サバイバー」に出演、ファンである旨のコメントを残す。
  • 中田ヤスタカ(capsule)
     テクノドンを聴いたことがきっかけで音楽制作を開始する。
  • tofubeats
     YMO楽器展を鑑賞し、「TECHNODON」リマスターの際にコメントを寄稿する。
  • 石野卓球・砂原良徳(電気グルーヴ)
     両者ともにファン。特に砂原良徳は「カルトQ」においてYMOカルトキングの称号を得るほどのマニア。その後も使用機材の特定への協力や、過去作品のリマスタリングの担当などを行っている。
  • 小池美波(欅坂46)
     自身の父親に影響され聴き始める。YMOを聴いている事が欅坂オーディションでの合格の一助になった。
  • ZUN(上海アリス幻樂団)
     製作楽曲に大きな影響を与える。(東方怪奇談→ライディーン、など)
  • クインシー・ジョーンズ
     マイケル・ジャクソンのプロデューサー。「ビハインド・ザ・マスク」を高く評価し、マイケルに曲のカバーを提案した。

それ以外

  • 塙信之(ナイツ)
     Eテレ「B面ベイビー!」に出演した際、少年時代からのファンであると発言。自身の言い間違い漫才をYMOからの影響であると公言した。
  • 新房昭之
     自らが監督するアニメに多くパロディを差し込む他、「まりあ†ほりっく」では「君に、胸キュン。」を主題歌として採用する。

ディスコグラフィ

  • 順番、アルバム名、発売日は全て日本におけるもの。太字は現在サブスクリプション・サービスで視聴可能なアルバム。

オリジナルアルバム

No.ジャケットアルバム名発売日
1stイエロー・マジック・オーケストラ1978年11月25日
2ndソリッド・ステート・サバイバー1979年9月25日
3rd増殖(X∞Multiplies)1980年6月5日
4thBGM1981年3月21日
5thテクノデリック1981年11月21日
6th浮気なぼくら1983年5月24日
7thサーヴィス1983年12月14日
8thテクノドン1993年5月26日

コメント欄

  • flexboxを有効活用しているだと...!? -- ちっぺっつ 2021-09-16 (木) 21:56:48
  • 読みやすい文体だと思います。私もこんな風に好きなアーティストを紹介してみたい。 -- 紺青(編集者) 2021-10-09 (土) 15:28:25
  • ついったで「読みやすい」って言われてた -- あさかはじゅん 2021-10-17 (日) 12:29:22
  • flexboxプラグイン苦手なんだよなあ... -- あさかはじゅん 2021-10-17 (日) 12:31:01
  • Twitterで読みやすいと書いたのは私です。こことは別名義にしてます。 -- 紺青(編集者) 2021-10-17 (日) 12:43:45

参考文献・関連サイト


*1 アメリカ地方の音楽ジャンル。ラテン民族の音楽に影響されている。
*2 姉の伊藤美恵氏
*3 短いリフやメロディを長時間にわたって反復する音楽のジャンル