オポチューン(駆逐艦)

Last-modified: 2020-04-07 (火) 00:57:13

オポチューン.jpg
オポチューン(HMS Opportune)は王立海軍に所属していた駆逐艦で、O級駆逐艦の一隻
艦名Opportuneの意味は「適切な」「好都合な」という意味である。

注文1939年9月3日
起工1940年3月28日
進水1942年2月2日
就役1942年8月14日
基準排水量満載排水量(戦時)全長全幅吃水主機関
1610トン2220トン105m10.6m2.74m標準型三胴缶2基パーキンソンズ式ギヤードタービン2基
出力速力燃料搭載量航続距離乗員
40000馬力36ノット484トン3850浬/20ノット175名

※竣工時

兵装
45口径10.2cm単装砲×4基
53.3cm4連装魚雷発射管×2基
QF2ポンド砲(4連装ポンポン砲)×2基
20mm単装機関砲
爆雷30個
爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×1基
機雷60発

艦歴 Edit

竣工と最初の任務 Edit

オポチューンは1939年9月3日にサウザンプトン近郊のウールストンにあるソーニクロフト社で起工した、しかし起工して数日も経たないうちに第二次世界大戦が勃発、1940年になると造船所はドイツ軍の空襲に曝され被害を受け更に空襲のせいで部品の調達は遅れて竣工は1942年までずれ込んだ。

試験中にはPW-202船団をブリストルまで護衛した。まだ試験中なんですがそれは
きちんと就役したオポチューン最初の任務は北極船団PQ-18をソ連のムルマンスクまで護衛することだった、9月20日にオポチューンはドイツ軍Uボート*1U-703?に雷撃され損傷していた駆逐艦ソマリ?を救援するよう指示された。
ソマリはすでにアシャンティ?によって曳航されており、駆逐艦エスキモー?イントレピッド?と海軍所属のトロール船ロード・ミドルトンもいたが24日から翌日にかけての強風と荒れた天候のせいでソマリは沈没、オポチューンはソマリの生存者の一部をスカパ・フローまで送り届けた。

トーチ作戦 Edit

1942年10月オポチューンは北アフリカの侵攻作戦であるトーチ作戦に備えて艦隊提督のアンドルー・カニンガムを巡洋艦シラ?のいるジブラルタルまで護衛し、地中海で三日間対潜警戒を実施した。
トーチ作戦が始まり、友軍が上陸しているときオポチューンはH部隊の護衛として配備され作戦を支援した。
10日後、オポチューンは戦艦デューク・オブ・ヨーク?と航空母艦ヴィクトリアス?を護衛しながらスカパ・フロー近海に戻った、帰還途中ヴィクトリアスから発艦したソードフィッシュ?アルバコア?が潜水艦U-517?を攻撃、U-517は損傷のため浮上せぜる得なくなり、U-517の乗組員は捕虜としてオポチューンに収容され、U-517は沈没していった。
その後収容された捕虜達は収容所があるスコットランドグリーノックに輸送された。

1943年 Edit

オポチューンはスカパ・フローに到着した後、北極船団の護衛に戻り、1942年の12月から1943年3月までこの船団護衛を継続して行った。
この間オポチューンはJW-53を悪天候のなか護衛したり、ドイツの機雷原に迷い込んだ商船HB Latrobeを救助したりもした。

3月からオポチューンは大西洋の船団護衛に加わることとなり、4月25日の再配備から1ヶ月以上の間駆逐艦パスファインダー?と空母バイター?と共に潜水艦U-203?攻撃などを支援した。
5月12日オポチューンは再び潜水艦を攻撃、このとき撃沈した潜水艦はU-456?と推定されている。
オポチューンは大西洋での護衛任務とウェスタンアプローチ*2での艦隊任務を数ヶ月間こなし、9月4日にはケベック会談に向かうカナダ首相の護衛も務めた。
          ウェスタンアプローチ.PNG             
              ウェスタンアプローチの範囲

1943年10月オポチューンはリーダー作戦に参加し、ノルウェーのボードーを攻撃するアメリカ空母レンジャー?や王立海軍の戦艦や巡洋艦を護衛した。

シャルンホルスト沈没 Edit

12月オポチューンは夜通し北極圏を進みソ連行きの船を護衛していた。
クリスマスの12月25日、ドイツの戦艦シャルンホルスト?がJW-55Bを攻撃するために出撃したという情報が入ってきた時、オポチューンは戦いに加わるために配備された。シャルンホルストがイギリス艦船からの砲撃を受けて逃走を始めた、その後デューク・オブ・ヨークがシャルンホルストに損傷を与えた、速度が落ちたシャルンホルストに対して駆逐艦ソーマレス?ら4隻の駆逐艦が魚雷で攻撃し4本が命中、デューク・オブ・ヨークらの砲撃も重なり満身創痍なシャルンホルストに対しとどめを刺すべくまだ魚雷が残っていたオポチューン、マスケティーア?マッチレス?ヴィラーゴ?は19本もの魚雷を発射、6本の命中を確認、その後シャルンホルストは沈んでいった。

1944年 Edit

年が明けて、オポチューンは3月まで再び北極の船団護衛に従事していたが、数ヵ月後に行われるノルマンディー上陸に備えてドイツのSボート*3の活動に対処するために攻撃の準備をしていた。そして4月には、イギリス海峡のタスクフォース27に正式に配備される前に、ボイラーと軽微な修理が行われた。

4月28日にノルマンディー上陸作戦の上陸地点の一つであるユタ・ビーチ上陸訓練のためにアメリカとイギリスは合同でタイガー演習を実施した、実戦さながらの実弾とアメリカの揚陸艦を使用しての訓練でオポチューンはドイツ軍の襲来を警戒して揚陸艦の護衛についていた。しかしこの演習は機密扱いで機密漏えい防止のためSボートを視認していたのにも関わらず発砲を禁じられ、見てみぬふりしかできなかった砲兵隊や周波数の違いで敵発見の第一報が遅れるなどの不手際が重なり、揚陸艦はSボートの攻撃に晒された。
オポチューンはSボートを攻撃するがSボートは煙幕をはり全速力で脱出、結局揚陸艦2隻が沈没、損傷した。

1944年6月6日上陸作戦当日オポチューンはイギリス海峡の東側海域を巡回しドイツ軍の攻撃を防いだ、オポチューンは7月8月はSボート掃蕩に従事したが現れることは無かった。

終戦まで Edit

ノルマンディー上陸後オポチューンは再び北極の船団護衛や機雷敷設やノルウェー沖での作戦に従事して終戦を迎えた。

戦後 Edit

戦後1950年までオポチューンはポーツマスで潜水艦の訓練と地方艦隊の任務に派遣されるなどし、1952年11月にチャタム工廠配属となり、さらに1953年7月にはポーツマスに転属になり、処分リストに加えられた。オポチューンは1955年11月BISCOに売却された後11月25日Milford Havenに曳航されThos W Wardで解体された。
お疲れさま

関連項目 Edit

駆逐艦一覧

コメント Edit


URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

観覧者数 Edit

現在?
今日?
昨日?
合計?

タグ Edit

Tag: 軍事 王立海軍 駆逐艦


*1 ドイツ海軍潜水艦の総称
*2 グレートブリテン島西部からおおよそアイスランドまでの大西洋海域の名称
*3 ドイツの魚雷艇