ガンベル事件

Last-modified: 2019-12-08 (日) 19:15:37

ガンベル事件(英:Gambell incident 露:Инцидент с Ан-24 в Гамбелле)とは冷戦最盛期である1972年にアメリカのアラスカ州最西端の島であるセントローレンス島のガンベルという小さな村の空港にソ連の航空機が強硬着陸した心暖まる(?)事件である。

ガンベル空港でのAn-24.png
飛行機に集まるガンベルの住民たち

日時1972年2月27日
原因悪天候による燃料不足
場所ガンベル空港
航空機An-24LR
機体番号CCCP-47195
所属国立民間航空研究所
出発地ウリゴヌイ空港
目的地ブフタ・プロヴィデニヤ空港
乗客12名
乗員3名
生存者15名(全員)

フライト Edit

この日ソ連のAn-24LRは流氷の観測のため12人の科学者と3人の乗員を乗せてソ連(現ロシア)アナディルのウリゴヌイ空港を出発した。普段であれば領空侵犯の監視のために米軍のF-4Eが文字通り飛んでくるのだが今回はいつもとは違った。
An-24LRは強い向かい風とぶつかってしまう、そのため燃料を予想より多く消費してしまい乗員たちの計算の結果ウリゴヌイ空港に引き返すのは不可能と判断、代わりにブフタ・プロヴィデニヤ空港に着陸することを決断する、しかし運の悪いことにブフタ・プロヴィデニヤ空港は霧のために閉鎖されてしまったことが判明、このままでは燃料切れで墜落してしまう、しかし乗員は降りられそうな空港が一つだけあることに気がつきこの空港へ向かった。
その空港とはアメリカ合衆国のガンベル空港で一歩間違えれば領空侵犯として撃墜されてもおかしくなかった、それでもAn-24LRは藁にもすがる思いでガンベル空港に向かい、途中で燃料が尽き二基あるエンジンの片方が停止するというギリギリの状況だったがどうにかガンベル空港に着陸することに成功した。

住民の反応 Edit

ソ連の航空機が着陸したというニュースは当時人口736人だったガンベルの村をあっという間に駆け抜けて住民たちは空港に集まった。
ガンベルの住民たちは困っているソ連の人間を助けるために一致団結し暖と食料を分け与えた、その後An-24LRに搭乗していた人々とガンベルの住民はすっかり仲良くなり時計、コイン、手袋等をお互い交換し合い交流を深めた。
アラスカ州警察はAn-24LRの警備を行った。

燃料を求めて Edit

ガンベルの住民はソ連の航空機が着陸してきた事実をアラスカ本土のノームに報告した、ワシントンのソビエト大使館はアメリカ国務省とアメリカ国防総省に連絡をして航空機の燃料を要請した。
その日の夜にアメリカ空軍アラスカ航空軍団はAn-24LRに搭載すべきジェット燃料(JP-1)の種類について指示を受けた。

 

翌日2月28日に諸々の手順を踏んでアメリカ空軍のC-130は7時に基地を出発して10時28分にアンガレッジ空港に到着、900ガロン*1のJP-1燃料を搭載して14時にC-130はガンベル空港に着陸した。
C-130は燃料の他にチャールズ・E・ケーニンガー(Charles E. Koeninger)大佐、航空軍団司令官、税関長、通訳が同乗していた。
ソ連の人々は突如現れたアメリカの軍用機に緊張した様子だったが通訳がソビエト大使館の要請で燃料が運ばれてきたと説明した。
税関長はAn-24LRの搭乗者の氏名、職業、生年月日を提示するように要請、氏名と職業は提示したが生年月日は拒否した。

さようなら Edit

給油を受けたAn-24LRは19時30分にガンベル空港を離陸、ガンベル村上空をぐるりと一周まわった後にガンベル空港の真上を通過して翼を軽く振って感謝の意を示して西のソビエト領空へと戻っていった。
An-24LRが離陸して10分後に燃料や人員を運んできたC-130もガンベル空港から離陸、こうして下手したら外交問題どころか戦争になったかもしれないガンベル事件は一人の死者を出すことなく終わった。

An-24LRのその後 Edit

An-24LR(CCCP-47915)は2001年に退役して2012年現在はサンクトペテルブルク郊外のプーキシン空港に保管されているという。
保管されているAn-24LR

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*1 3406リットル