スペイン/フランコ体制

Last-modified: 2021-12-10 (金) 22:30:48



このページは『特化月間企画:土地記事作成』において『優勝』した記事です

スペイン国は、イベリア半島に1936年から1975年のスペイン王政復古前まで存在した、王を空席とする世界最後のファシズム政権である。

スペイン
国旗
基本情報
公用語スペイン語
国歌擲弾兵行進曲?
首都マドリード?
最大の都市マドリード
海外領地モロッコ南部、西サハラを保有していたが1970年までに島以外全て放棄した。現在のサハラ・アラブ民主共和国問題の原点である。
 

エスタド・ノヴォ?体制のポルトガル*1と共に、戦後までファシズムが生き延びたという稀有な事例だ。

歴史

内戦

フランコは元はただの軍人だった。

第一次世界大戦後、景気悪化でクーデターが起こったためアルファンソ13世は退位し誕生したスペイン第二共和制が成立した。
しかし、この社会主義国の行った政教分離が国民の反発を招き、それに煽られたファシズム及びカトリック信者らの軍vs社会主義の政府のスペイン内戦が勃発した。

実はフランコの所属する反乱軍にはナチスドイツアドルフ・ヒトラーイタリア王国ベニート・ムッソリーニ?が、
政府軍にはソビエト社会主義共和国連邦ヨシフ・スターリンメキシコが支援していた。
スペイン内戦は第二次世界大戦よりも10年早いミニチュア第二次世界大戦といえるものだったのだ。

また、ドイツ軍による爆撃も行われ、ゲルニカを舞台としたピカソゲルニカ(絵画)?も有名である。

その後、何を思ったのかフランコら陸軍が寝返り、当時スペイン領であったモロッコで蜂起。本土に攻めいった。当時の反乱軍隊長は別の人物だったが目覚ましい功績をあげたフランコが反乱軍の元首に就任。
そして1938年正式にスペインにてファシズム国家が誕生した。
しかしドイツほど発展せずカトリックの伝統的な統治との融合がなされていたものだった。

第二共和制の残党はフランスで亡命政府を作り対抗した。

ファシズムということはもちろん反対派の弾圧である。
フランコは国内の共産主義者など約27万人を収容。最終的に5万人ほどが処刑された。
「少なくない?」と思ったそこの君はとても冴えている。
実は収容される家庭でどさくさキルされた人々はなんと50万人にのぼるといわれている。

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フランコ


これはスペイン人を収容したフランスの建物。亡命者には社会主義者も多かった。

日独伊防共協定?から第二次世界大戦

スペインは防共協定の第二陣国として満州国やファシ化していたハンガリーとともにコミンテルンへの対抗として参加した。前政権が左派政府だったこともあるだろう。

第二次世界大戦がはじまるとドイツに参戦を熱望されたが、フランコは荒れた国内を立て直すために枢軸国への参加を断念した。
しかしナチスドイツの優勢を確認してのちに非交戦国として親枢軸国の中立国としてふるまった。実際に義勇軍を送っている。

しかしちょび髭がソ連に押され始めると1943年ごろまでに枢軸国を見限りその後も中立を保った。
フェリックス作戦がその例である。

しかし大戦前半のふるまいをヨーロッパは許さなかった。

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防共協定の原文

戦後から王政復古

ヨーロッパは戦後まで生き残ったファシズム国家を拒絶した。アメリカの支援やEUの前前身となるEECへの参加も認められなかったのだ。
さらに国連総会でスペインの政府に対して断交を加盟国に求められ、実際に大使を呼び戻した国もあった。

こうした措置も受けフランコは憲法を改訂し国号を「王国」と改め、自分を国王の最終摂政とし、さらには東西冷戦がはじまったことによって権力を落とすことなくある程度の経済制裁の緩和に成功した。

その後も欧州のスペイン批判が続いたが武力制裁を受けることなく高度経済成長期(スペインの奇跡)を迎えた。

しかしフランコには死期が迫っていた。
フランコは次期国王としてアルファンソ13世の孫であるフアン=カルロス1世を指名した後、1975年11月20日に遂に死去した。

新国王のフアン=カルロス1世は当初、フランコ本人あるいはその側近のスケープゴート的存在であると国内外から認識されていた。
しかし大方の予想に反して、フランコが死去すると同時に積極的に民主化に着手したのだった。
フランコ派の議員の多くもこれに賛成した。そして反対派の権力者も暗殺され、ここに独裁政治は終わった。

そして今のスペインが誕生した。

民主化は無事に成功しEUにも加盟。世界の観光地としても人気を集める国となった。
この国の成立には形はどうであれフランコの功績は大きいといえる。

とはいえ他のファシズム国と同じく理不尽な有罪判決や人権停止があった。
よって現在のスペインではフランコを称える集会などは禁止され、フランコは激しく非難されている。
ソ連で言うところのフルシチョフ時代のヨシフ・スターリンのような状態と言えるだろう。*2

人権を侵害してはいけない(戒め)

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きれいだねぇ

国歌

  • スペイン語

¡Viva España!
Alzad los brazos, hijos
del pueblo español,
que vuelve a resurgir.
Gloria a la Patria que supo seguir,
sobre el azul del mar el caminar del sol.

¡Triunfa España!
Los yunques y las ruedas
cantan al compás
del himno de la fe.

Juntos con ellos cantemos de pie
la vida nueva y fuerte de trabajo y paz.

  • 日本語訳

スペイン万歳!
武器を取れ、
スペイン人民の子供達よ
再び帰り蘇る人々よ
祖国に栄光あれ
海の青き流れと太陽の辿る道を知った祖国に

スペインの勝利!
金床と車輪が
韻律を奏でる
信念の賛歌を

それらと共に立ちあがり歌おう
困難と安息から生まれる力強い新たな生命を

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*1 こちらは1974年の革命で崩壊
*2 もっとも、スターリンは再評価されているが