フルベッキ群像写真

Last-modified: 2020-09-14 (月) 22:22:40

フルベッキ群像写真とは幕末から明治に撮影された古い写真で、ながらく論争の的となってきた曰く付きの写真である。
オランダ系アメリカ人宣教師のグイド・フルベッキとその長男ウィリアム(次女のエマとも)を中心に坂本龍馬ら幕末の志士が写っていると吹聴されている。
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概要

この写真は古くから知られていて、明治28(1895)年には雑誌『太陽』で『佐賀藩の学生たちの集合写真』として紹介されている。その5年後、日本に滞在経験のある日本学研究者のウィリアム・グリフィスがこの写真について「後の政府のさまざまな部署で影響力を持った人々が写っており、本を用いずに大隈重信、岩倉具定(ともさだ)(岩倉具視の長男)、具経(ともつね)同次男)が確認できる」と述べている。
さらにその7年後、大隈重信が著書『開国五十年史』でも紹介され、ここでも明治28年同様にフルベッキと佐賀藩の学生が写っていることが述べられている。また、外交官の森有礼の所有品のアルバムにもこの写真が貼られている。撮影者についても上野彦馬(長崎の写真師で、坂本龍馬や高杉晋作、木戸孝允若き日の伊藤博文などを撮影した。口伝によれば西郷隆盛の写真も撮影したことになっているが未だに発見されていない)であることが明らかになっている。

維新の志士集合写真説

戦後、1974(昭和49)年に日本画家・島田隆資(しまだたかし)が雑誌『日本歴史』において「この写真は慶応元年に長崎にて撮影され、坂本龍馬?ら維新の志士が写っている」としてこれに関する学説を掲載し、話題を呼ぶ。この中には写真の存在しないはずの西郷隆盛の名もあった。
元々は22人が比定されており、島田の論文発表から2年後にも同一人物によりこの写真の研究が発表され、そこではメンバーが30人に増えた。その後幾たびも比定が別人によって重ねられ、現在は幕末の志士説を唱える人々によって写真のメンバー全員が比定されている(著しく根拠を欠くが)。
さらに、前列の真ん中にいる刀を抱いた面長の少年が大室虎之祐(おおむろとらのすけ)つまりすり替わった明治天皇とするいわゆる『陰謀論』まで表れている。2010(平成22)年にはこの写真を着色したものが『幕末の志士の集合写真』として確たる証明もないままに高値で販売され、紙面上で大きな話題となった。
ちなみに、写真に写っている(とされる)メンバーは以下の通り。(加治将一『幕末 維新の暗号』より抜粋)image.jpeg
なお、フランスでコピーが出回り、『お役人に囲まれた大君』(フランス語)とキャプションが書かれ、ここからフルベッキ群像写真と明治天皇を結びつける『隠謀論』も存在するがそもそもキャプションが大きな誤りである(『大君』とはこの時代では徳川将軍を意味する)ためその点においては根拠とはなり得ない。

明らかになった写真の正体

以上のように世間を騒がせたフルベッキ群像写真であるが、結局のところ幕末の志士など写っておらず、被写体の人物はフルベッキが教鞭を取った藩校・致遠館の学生たちであることが近年の研究によって明らかになった。まず、写真のスタジオは上野彦馬が明治元年から使い始めたものであることが同時期の数枚の写真から判明した。そうすると、当時長崎にはいなかった人物がかなり多く(たとえば岩倉具視は京の岩倉村にて蟄居を余儀なくされている)、更にすでにこの世にいない人物が写っていることになる(坂本龍馬、中岡慎太郎は暗殺され、高杉晋作は結核で若くして死去している)ため、島田の慶応元年説は粉砕される。また、当時の写真としては武士たちの羽織の家紋が比較的鮮明に写っていることも挙げられる。
また、2013(平成25)年にはフルベッキと佐賀藩家老の伊東次兵衛(下写真の前列のフルベッキの左隣の初老の人物)が共に写っているガラス湿板写真が発見され、そこにはフルベッキ群像写真と同じ人物が五人写っていることが明らかになった。その写真も明治元年に長崎で撮影されたことが判明している。ちなみに、後列の5人は左から順に中岡慎太郎、横井小楠(よこいしょうなん)、高杉晋作、岩倉具視、大隈重信とされてきた人物である(後列右端の横を向いた男性がフルベッキ群像写真中の『西郷隆盛』に似ているいう指摘もある)。images.jpeg
この写真の撮影の時期はそれら二枚の写真の人物の服装から晩秋かと推測される。以上の証拠から、フルベッキ群像写真の撮影時期は明治元年の可能性がかなり高い。
先ほど述べた明治天皇の『陰謀論』についても、最先端の法歯学により明治天皇の写真と前列の真ん中で刀を抱いて座っている白っぽい服の面長の少年(上のメンバー表で『大室寅之祐』とされる人物)と人相が一致しなかったことから、フルベッキ群像写真がその根拠となり得ないことがわかっている。
このように、フルベッキ群像写真は『ニセモノの歴史価値』が後世の人々に勝手につけられた哀しき写真である。
これまでわかっている人物はフルベッキの二女・エマ(当時4歳。ウィリアムは撮影当時7歳になっているので被写体をウィリアムと断定するには幼すぎる)、
大隈重信、岩倉具定・具経兄弟、相良知安(さがらちあん)(佐賀藩蘭方医)、山中一郎(やまなかいちろう)(江藤新平に師事し、佐賀の乱で江藤とともに戦って捕縛され斬首)など佐賀藩士や一人の薩摩藩士、公家の子息など,明治政府において重要な役職に就いて名を残した人物である。
しかし、西郷隆盛とされる黒い洋服の大柄な男性については今のところ佐賀藩士の一人ともされるが、『黒い洋服の大柄な男性=西郷隆盛』説を肯定する根拠にも否定する根拠にも乏しいため、これからの研究が待たれる。

コメント欄

  • フルベッキ群像写真に関して何でも質問してください -- この記事の作者? 2020-08-06 (木) 00:33:20

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