モンゴル

Last-modified: 2022-01-08 (土) 23:27:12

モンゴル国(モンゴル語: Монгол Улс)は、東アジア北部に位置する共和制国家。東と南の二方向を中国内モンゴル自治区と、西を新疆ウイグル自治区、北をロシア連邦とそれぞれ接する内陸国。

モンゴル国
国旗
基本情報
公用語モンゴル語
首都ウランバートル
最大の都市ウランバートル
面積1,566,500㎢(18位)
人口3,238,479人(131位)
通貨トゥグルグ(MNT)

概要

中国の北に位置する、草原が広がる高原の国。

国名の「モンゴル」は民族の名前そのままである。
現在のモンゴル人の先祖はかつて強大な勢力を誇り、他の遊牧民族を束ねたり中国を支配したり、チンギス=ハンが樹立したモンゴル帝国の時代にはユーラシア大陸の過半を征服するに至ったこともある。

近代以降は共産主義を採用した歴史もあって首都ウランバートルの住民を中心に現代的な生活を送る人々も増加しているが、それでもなお遊牧生活を続ける人々は多く、伝統が継がれている。

なお、人口密度が世界一低い国でもある。(2.1人/km*2)

日本では強い力士を多数輩出していることで有名である。また、モンゴル帝国と鎌倉幕府が元寇?で激しい戦いを行った歴史もある。

歴史

下記の「略史」及び、詳細は「モンゴルの歴史?」を参照。


前史~遊牧民と古代中国

紀元前4世紀~紀元93年頃、モンゴル高原にて「匈奴」という民族が中核となってできた遊牧国家が誕生する。
同時期の中国が春秋戦国時代であった事もあり、この時代以降、モンゴル地方のある程度詳細な歴史記録が残されている。

その匈奴はモンゴル高原を中心に一大勢力を築いていた。度々中国に侵略しており、あの有名な秦の始皇帝も、紀元前215年に万里の長城を築いて匈奴の侵入防止を試みている。

紀元前3世紀~6世紀ころに匈奴の力が衰えてくると、「鮮卑族」が勢力を増すようになる。
鮮卑族は、かつて匈奴に滅ぼされたモンゴル系の遊牧騎馬民族「東胡」の子孫に当たる。鮮卑族はその後いくつかの部族に分裂し、その一つは万里の長城を越えて中国北部に侵入し、北魏を建国した。

5世紀~6世紀頃に鮮卑族が中国内地に移動すると、同じく「東胡」を祖先にもつ「柔然族」が、モンゴル高原で勢力を拡大する。
テュルク系遊牧民「高車」を従えてタリム盆地一帯を支配し、鮮卑が支配する北魏(中国)と対立した。

6世紀~9世紀頃、今度は柔然の奴隷だったテュルク系遊牧民族が独立し、「突厥」帝国や「回紇(かいこつ/ウイグル)」国を建国して、モンゴル高原の覇者となった。この頃は中国において漢民族による唐が強力であり、遊牧民たちはやや劣勢であった。

916年~1125年に鮮卑族を祖先にもつ「契丹」が勢力をつけ、満州からモンゴル高原東部に及ぶ帝国を建国。
唐とは違って軍事力がクソザコナメクジだった宋(中国)と和平条約を結び、北アジア最強国となって文化を発展させる。
しかし最後はぽっと出の満州の狩猟民族「女真」が金を建国し、契丹を滅ぼす。そして軍事力が元々弱かったが遊び好き皇帝の徽宗のせいで完全にだめになった宋をも滅ぼし、中原の北半分も女真族の支配下となった。

 

栄光のモンゴル帝国

……そして13世紀。ついに、現在のモンゴル族が台頭する時がやってくる。ここまで長かった……

テムジンという男が現れ、北モンゴルの様々な部族を統率していった。そして長年の戦いの末、ついに彼はモンゴル族全体の統一に成功する。
テムジンはモンゴル族による帝国を成立させ、そして自らに相応しい称号を名乗った。

最高の君主、「チンギス=ハン」の誕生である。

偉大な王チンギス=ハンの没後もモンゴル帝国はどんどん成長していった。
モンゴル高原の中央部にカラコルムという新都を建設し、北アジアや中央アジアだけでなく、中東のイスラム圏やロシアにまで勢力を広げて空前絶後の大帝国となった。

1271年、チンギスハーンの孫であるフビライの手により、ついに中国全土すらモンゴルによって統一された。
これを契機に、国号を「」に改める。そして都を北京に遷し、その後も次々と軍事的勝利を収めてさらに支配地を拡大した。
日本征服をも企み、1274年には服属させていた高麗人を無理矢理動員しつつ大軍で日本を攻めたが、これは失敗に終わった。(これが所謂「元寇」である。)

 

だが、そんな元ひいてはモンゴル族の栄光にも次第に陰りが見えてくる。同時に、長年異民族に支配されていた漢民族の逆襲が始まろうとしていた。
そしてついに1368年、漢民族による新たな帝国、明が中国の大半を統一。モンゴル人は北へ退去し、その後は「北元」と呼ばれるようになった。

近代以降~清への服属、そして再独立

時間が経つにつれて北元は国としてのまとまりが弱まっていき、各部族の独立性が高まっていった。
そんな中、モンゴルの東方にある満州地方で、かつての女真族改め「満州族」が強大化。清を建国し、明を滅ぼして中国の支配者となる。
そして1755年にはモンゴルも清の支配下に入るのだった。

19世紀を迎えてロシアのアジア進出が激化すると、清はロシアからの侵略を防ぐ目的もあり内モンゴルに漢人をたくさん住ませ、遊牧地を耕地に変えた。
これはモンゴル人の掟に反する行為であり、モンゴル人の間に反漢・独立感情を刺激した。
そして1911年、清で起きた辛亥革命を機に、北モンゴルはロシア帝国の協力を得て、数百年ぶりの独立を果たした。ロシアがモンゴル人に協力した背景に帝国主義的野心があったのは自明であるが、それはともかく中国から離脱するのには無事成功したのである。

だがここで、モンゴル独立運動のバックにいたロシアがソ連にチェンジ。その煽りを受けてモンゴルも共産化の道へ進み始める。
1924年~1990年にソ連の圧力により、モンゴル人民革命党の独裁による徹底した社会主義政策を行った。
1930年前後には、厳しい宗教弾圧と遊牧の強制農耕化などを行い、反対した多くの人が殺された。

冷戦終結を迎えて1989年に民主化運動が起き、翌年、一党独裁が終わりを迎える。
その後は国号を「モンゴル国」と改めて新憲法を制定し、民主主義国家になって現在に至る。

略史

・1911年
辛亥革命,中国(清朝)より分離,自治政府を樹立
・1919年
自治を撤廃し中国軍閥の支配下に入る
・1921年7月
活仏を元首とする君主制人民政府成立,独立を宣言(人民革命)
・1924年11月
活仏の死去に伴い人民共和国を宣言
・1961年
国連加盟
・1972年2月
日本とモンゴル外交関係樹立
・1990年3月
複数政党制を導入,社会主義を事実上放棄
・1992年2月
モンゴル国憲法施行(国名を「モンゴル国」に変更)

地理

地形

国土の79%は草原というまさに壮大な「草原の国」であるが、一方で北西部には高い山が連なっており、タイガと呼ばれる針葉樹林帯がある。この辺りの風景はモンゴルというよりはシベリアをイメージした方が近い。
また南東部にはゴビ砂漠が広がっている。

生態系

草原には、レイヨウ、サイガ、ノウサギ、キツネ、オオカミ、アナグマなどの哺乳類が生息。
ゴビ砂漠には、コウジョウセンガゼル、サイガなどのほか、ロバ、ラクダの野生種、クマ、ユキヒョウなどの野生動物がいる。他にもアイベックス(野生ヤギ)、ビッグホーン(オオツノヒツジ)といった貴重種が見られる。

政治

1990年の民主化後に自由選挙による複数政党制を導入し、1992年の新憲法公布後はともに直接選挙で選出される一院制の国家大会議と大統領が並立する二元主義的議院内閣制(半大統領制)を採用している。

経済

経済面に関して2011年の調査では、1日2ドル未満で暮らす貧困層は115万人と推計されており、国民の40パーセント以上を占めている。
おもに畜産業と鉱業が中心で、モリブデンは世界屈指の埋蔵量を持っている。また畜産は、そのほとんどが遊牧で行われている。
内陸国ではあるが、便宜置籍船の手数料を取るビジネスも盛んであり、約400隻を超える船舶が認められている。

民主化以降,日本を始めとする各国や国際機関の指導,助言及び支援により市場経済化に向けた構造改革を推進し,1994年に初めてプラス成長に転じた。
その後も順調に経済が発展してきたが,2008年,世界的な金融・経済危機の影響を受け,2009年にはマイナス成長となった(-1.3%)。その後,2010年に入り,鉱物資源分野の順調な発展に加え,鉱物資源の国際相場の回復が内需の拡大を後押ししたことにより,2010年の経済成長率は6.4%,2011年には17.3%とV字回復を果たした。

2012年12.4%,2013年11.7%と高い経済成長を続けたが,資源ナショナリズムを背景とする制限的な対モンゴル投資政策や法律の制定により,対モンゴル外国投資が激減したほか,中国の景気減速や世界的な資源安の影響により主要産業の鉱業が不振となり,2015年の経済成長率は2.3%,2016年は1%まで落ち込んだ。
こうした厳しい状況を踏まえ,モンゴル政府は2017年2月,国際通貨基金(IMF)との間で拡大信用供与措置(EFF)の受入れに合意した。その後,IMFのEFFに基づく財政政策,金融政策及び銀行の改革に取り組み,モンゴルのマクロ経済指標は順調に回復。不安定な景況サイクルを再び繰り返さないよう,財政規律を維持し,堅実な経済・財政運営に努めることが課題。

主要産業

鉱業,牧畜業,流通業,軽工業

名目GDP

32兆1,660億トグログ(約122億米ドル(2018年,NSO)

一人当たり名目GDP

4,009米ドル(2018年,世界銀行アトラス・メソッド,NSO)

経済成長率

7.2%(2018年,NSO)

インフレ率

6.9%(2018年,NSO)

失業率

7.8%(2018年,NSO)

貿易総額

約128億9千万米ドル(収支:+約11億3千万米ドル)(2018年,NSO)
(1)輸出 約70億米ドル
(2)輸入 約59億米ドル

主要貿易品目

(1)輸出 鉱物資源(石炭,銅精鉱,蛍石など),原油,牧畜産品(カシミア,皮革)
(2)輸入 石油燃料,自動車,機械設備類,日用雑貨,医薬品

外貨準備高

約36億米ドル(2019年2月時点,モンゴル中央銀行)

主要貿易相手国(上位5か国)

(1)輸出 中国,イギリス,ロシア,イタリア,シンガポール
(2)輸入 中国,ロシア,日本,韓国,アメリカ
(2018年,NSO)

通貨

トグログ(MNT)

為替レート

1米ドル=2,643.69トグログ(2018年12月31日現在,モンゴル銀行)

2018年度国家予算

収支 約119億トグログ(約35万米ドル)の黒字(2018年,NSO)
歳入 約9兆2,349億トグログ(約35億米ドル)
歳出 約9兆2,229億トグログ(約35億米ドル)

文化

国民

民族

モンゴル人(全体の95%)及びカザフ人等

言語

モンゴル語(国家公用語),カザフ語

宗教

チベット仏教等(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年前半)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)

食文化

モンゴル料理は伝統的に、「赤い食べ物」と呼ばれる肉料理と、「白い食べ物」と呼ばれる乳製品に分けられる。
主食は小麦や米だが、量的には肉が主食並みの量を占めることも多い。
肉料理は羊肉が中心で、茹でる(煮る)料理と、蒸す料理が中心(生ではほとんど食べない)。また、香辛料をほとんど使わないのもモンゴル料理の特徴である。

牛肉は基本的に干したものを調理し、馬肉は西部に住むカザフ人がよく食べる。一方、ラクダ肉はゴビなどの砂漠地域で主に食べられる。豚肉や鶏肉は、草原で放牧する家畜でなかったため、モンゴル料理ではあまり用いない。

また、モンゴルでは「5種類の家畜」と呼ばれる、ウシ、ウマ、ラクダ、ヒツジ、ヤギ、ヤクから、それぞれ乳をとる。伝統的には、生乳を飲むことはあまりなく、専ら加工品にす?。一般的にウシの乳からは乳製品を作り、ウマの乳は馬乳酒として利用する。*1

乳製品は、クリーム状の「ウルム」や固形状の「アーロール」、飲料の「アイラグ(ツェゲー)」など、きわめて多くの種類がある。「スーテーツァイ」と呼ばれるミルクティーも一般的である。
小麦からは、「ボーズ」や「ホーショール」など具材を包む水餃子風の料理や、「ツォイバン」などの麺料理、「バンタン」などのスープ料理、「ボーヴ」などの揚げ菓子が作られる。
野菜や果物も内モンゴル自治区およびモンゴル国北部を中心に栽培され、現在のモンゴル料理では一般的な食材になっている。

住居・衣装

モンゴルの遊牧民の家は「ゲル」と呼ばれ、木・フェルト・布でできた移動式テントで生活している。
組み立て、解体、運搬、修理が簡単にでき、雨風も防ぐことが可能。モンゴルの厳しい自然に負けない、非常に機能的な住居と言える。

伝統的な民族衣装は「デール」という。木綿や絹でつくられており、冬には毛皮などをプラスして、寒さを防ぐ。
若者を中心にカジュアルな服装が一般的になった現代でも、デールは正装として普通に着用されている。

言語・音楽・スポーツ

ホーミーという、一人の人間が2つの音声を同時に発するという世界中でも他に例を見ないモンゴル独特の歌唱法の歌がある。1つの声はだみ声で、もう1つはきれいに澄んだ声。これは風や川の流れなど、自然の音を表現していると言われる。
さらに、「馬頭琴」という楽器もモンゴル音楽には欠かせない。

モンゴル人は昔から馬に親しみ、大切にしており、モンゴル人のほとんどすべての人が自由に乗馬できる。
年に一度の民族祭典「ナーダム」では、5~13歳の子供が騎手を務め、18~38キロの直線コースを競う。

その他、伝統的な競技に相撲と弓道がある。相撲は日本相撲とは違い、たくさんの相撲取りが一斉に闘うという格闘技である。とはいえ日本で活躍するモンゴル出身力士の強さとは少なからず関係があると思われる。

コメント欄

  • 国歌のリメイクバージョンすき -- ジバロ 2021-12-06 (月) 20:38:09

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*1 余談だが、カルピスはモンゴルの馬乳酒がヒントになって誕生した。