Top > 天草(海防艦)


天草(海防艦)

Last-modified: 2019-04-29 (月) 01:39:00

天草(あまくさ)は大日本帝国海軍択捉型海防艦*1の11番艦である。

天草.jpg

1943年11月、大阪湾を航行中に撮影されたと推定される写真
基準排水量全長全幅吃水主機関
870トン77.7m9.1m3.05m艦本式22号10型ディーゼル2基2軸
出力速力航続距離乗員燃料搭載量
4200馬力19.7ノット8000浬/16ノット147名重油200トン
 
起工1943年4月5日
進水1943年9月31日
竣工1943年11月20日
最期1945年8月9日被爆沈没
除籍1947年5月3日
 
兵装(計画時)
45口径12cm単装砲3基
25mm連装機銃2基
九四式爆雷投射機1基
爆雷投下台6基
九五式爆雷36個
ソナー
九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基




概要 Edit

「天草」は大日本帝国海軍が第二次世界大戦において運用した択捉型海防艦の一隻で最期は女川でイギリス海軍所属の艦載機に撃沈された。
艦名は熊本県?の天草諸島から採られている。

艦歴 Edit

竣工まで Edit

1943年4月5日に桜島造船所*2にて起工、仮称は第321號艦だった。
1943年7月31日に天草と命名、本籍を横須賀鎮守府と仮定される。
1943年9月31日進水する。
1943年10月15日艤装員長に海軍少佐の篠田良知氏が任命され三日後には造船所内に艤装員事務所が設置され事務作業が始まる。
1943年11月20日竣工、同日艤装員事務所も撤去された。同日中に艤装員長だった海軍少佐の篠田良知氏が艦長に任命され横須賀鎮守府が本籍となる。

竣工後 Edit

竣工同日にそのまま海上護衛総司令部第二海上護衛隊配属となる。
1943年12月3日秋津洲?の護衛をして横須賀を出発し12月9日トラック諸島*3に無事到着する。
翌日トラック諸島にやってきた長良?を出迎えて護衛した。

1943年12月15日第4215船団を護衛してトラック諸島を出発、12月28日無事に横須賀に到着した。
年末年始にかけて護衛のために横須賀~トラック諸島を往復した。

1944年4月1日東松四号船団を護衛するために横須賀~東京湾口の船団航路の対潜警戒に当たる。

16時天草、隠岐第二号海防艦が船団に合流する。
18時半遅れて第二十七号掃海艇?が船団に合流して前方を警戒する。

4月2日7時半敵潜水艦出現により船団が南方に一時退避、天草、第二号、元々護衛についていた第三号?が爆雷攻撃を開始する。
8時元々護衛についていた水雷艇?が潜水艦らしきものを探知して爆雷を12発投下

4月3日7時掃蕩をやめて船団を追いかける。
14時57分陸軍の船東征丸に魚雷が命中する。
15時10分天草、元々の護衛についていた御蔵?が爆雷攻撃を始める。
15時半第二号が加勢して爆雷14発投下する。
16時15分東征丸が沈没する。

4月9日17時42分制圧をやめて昭瑞丸と共にトラック諸島に向かう。
20時トラック諸島に到着

1944年7月18日横須賀鎮守府部隊に転属、警備海防艦に再度分類される。

1945年横須賀鎮守府部隊第一特攻戦隊転属となる、女川防備隊として女川湾に移動する。
同地には標的艦大浜?第四十二号駆潜艇?がいた。

1945年8月9日9時半イギリス空母のフォーミダブル?艦載機F6Uコルセア?が発射したロケット弾が右舷中央部に命中、転覆着底し71名が戦死した。天草は1機撃墜したようである。

1945年9月15日に除籍、着底した船体は日本サルベージによって浮揚され1946年から1948年にかけて解体された。

現在女川町内に天草らの奮闘をたたえた慰霊碑があり同艦の錨が添えられてある。

ちなみに天草、もしくは他の在泊艦艇が撃墜した航空機の操縦士だったカナダ海軍のロバート・ハンプトン・グレー大尉は第二次世界大戦最後のカナダ人戦死者でこちらの記念碑も女川町にある。

フォーミダブル.jpg
航空母艦フォーミダブル

F6Uコルセア.jpg
F6Uコルセア

関連項目 Edit

軍用艦一覧

コメント Edit


URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

観覧者数 Edit

現在?
今日?
昨日?
合計?

タグ Edit

Tag: 軍事 海軍 海防艦






*1 当時の表記は擇捉型海防艦
*2 跡地はユニバーサルスタジオジャパンになっている
*3 現在はチューク諸島と呼ばれる