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平戸(海防艦)

Last-modified: 2019-04-29 (月) 01:38:12

平戸(ひらと)は日本海軍が第二次世界大戦中に建造した海防艦、択捉型海防艦*1の9番艦である。

択捉型海防艦.jpg

写真は同型艦の松輪
基準排水量全長全幅吃水主機関
870トン77.7m9.1m3.05m艦本式22号10型ディーゼル2基2軸
出力速力航続距離乗員
4200馬力19.7ノット8000浬/16ノット147名
 
起工1942年11月2日
進水1943年6月30日
竣工1943年9月28日
最期1944年9月12日被雷沈没
除籍1943年11月10日
 
兵装
45口径12cm単装砲3基
25mm連装機銃2基
九四式爆雷投射機1基
爆雷投下台6基
九五式爆雷36個
ソナー
九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基




概要 Edit

平戸は日本海軍が建造し運用した択捉型海防艦の一隻で竣工から一年足らずで沈没してしまった。
艦名は長崎県?の平戸*2島から採られている。

艦歴 Edit

竣工まで Edit

1942年11月2日に桜島造船所*3にて起工、仮称は第318號艦だった。
1943年平戸と命名、本籍を横須賀鎮守府と仮定する。
6月30日進水する。
8月25日艤装員長に海軍少佐の瀬川岩雄氏が着任する。
8月?日*4艤装員事務所を設置し事務作業が始まる。
9月28日竣工、艤装員事務所が撤去される。
警備海防艦として正式に本籍が横須賀鎮守府となる。
艦長に艤装員長だった瀬川岩雄氏が着任する。

竣工後 Edit

1943年 Edit

竣工後平戸は横須賀に移動し訓練に従事したあと神戸に移動する。
10月4日平戸は玉洋丸を護衛して長浦*5に向かい翌日無事に到着する。10月16日にまた玉洋丸を護衛、10月19日室蘭に到着する。
その後平戸は長浦に戻る、10月25日第7025甲船団を護衛して長浦をし出港し翌日神戸に到着する。
10月31日平戸は8031船団を護衛して神戸を出港、翌日長浦に無事に到着する。同日第四艦隊第2海上護衛隊され横須賀に移動する。

11月14日6隻の輸送船からなる第3113船団を駆逐艦?と共に護衛、11月25日無事にトラック諸島*6に無事到着する。

ちなみに出港の翌日海上護衛総司令部指揮下に入る。

12月5日総洋丸と秋葉山丸の2隻の輸送船からなる4205乙船団を特設掃海艇の第8拓南丸と海防艦の御蔵?と共に護衛しトラック諸島を出港する、しかし12月7日アメリカ潜水艦ポーギー? (USS Pogy, SS-266)に発見され魚雷による攻撃を受ける。護衛していた総洋丸に魚雷が命中、火災が発生する。
平戸は爆雷による攻撃を始めるもののポーギーはそれをかわした。秋葉山丸は御蔵と第8拓南丸に護衛されて先行する。
平戸は居残って対潜掃蕩を続けるものの12月8日深夜2時28分鎮火したものの航行不能に陥っていた総洋丸に対してポーギーが浮上して再び攻撃、総洋丸は沈没してしまった。
6時35分敵潜望鏡を発見し攻撃するものの成果はなく総洋丸の人員を救助して平戸は船団*7に合流する。

12月20日無事に横須賀に到着する。

1944年 Edit

12月25日第3225船団護衛を護衛して横須賀を出港、年を跨いだ1944年1月6日に無事トラック諸島に到着する。

1月11日4隻に輸送船からなる第7125船団を駆逐艦白露?第二十九号駆潜艇?と共に護衛してトラック諸島を出発、1月21日無事に横須賀に到着した。
休む間も無く1月25日には3隻の輸送船からなる第3125甲船団を海防艦石垣第五十二号駆潜艇?と共に護衛して出港する、1月30日アメリカ潜水艦スピアフィッシュ?(USS Spearfish, SS-190)に発見され10時05分攻撃を受ける、攻撃は輸送船の玉島丸に命中、22時05分スピアフィッシュは再び攻撃し玉島丸は沈没してしまった。
平戸は爆雷46発を投射したがスピアフィッシュに損傷は無かった。その後平戸の対潜掃蕩を支援するために特設駆潜艇の第8京丸が船団に合流したが手ごたえは無く1月31日には第8京丸は船団から分離した。

生き残った輸送船は2月7日にトラック諸島に到着した。

二日後の2月9日輸送船2隻を護衛して無事に横須賀に到着した。

3月9日平戸は東松二号船団護衛のために東京湾に移動、重要船団護衛のため横須賀で船団会議を開き、10日は東京湾にて訓練を行い12日未明に出港した。

12隻の輸送船に対して軽巡洋艦龍田?(旗艦)、駆逐艦野分?朝風?夕凪?卯月?、敷設艇測天?巨済?という陣容だった。

3月13日船団はアメリカ潜水艦サンドランス? (USS Sand Lance, SS-381)に発見され攻撃をうける。
この日は強風と波浪のせいで視界不良で日本側は奇襲を許す形になってしまった。サンドラスの魚雷は龍田と輸送船の国陽丸に命中して両艦共に沈没、平戸は国陽丸の生存者を救助して反転、東京湾に戻った。

3月22日平戸は輸送船12隻からなる東松三号輸送船団を護衛して東京湾を出発する。

護衛は軽巡洋艦夕張?(旗艦)、駆逐艦旗風?、雷、玉波?、海防艦平戸、能美?水雷艇?、駆潜艇第四十八号駆潜艇?第五十一号駆潜艇?第五十四号駆潜艇?が護衛についた。

3月25日第五十四号駆潜艇がアメリカ潜水艦ポラック?(USS Pollack, SS-180)に撃沈された、しかしその後は被害も無く船団は途中で分割され平戸はパラオ行き船団を護衛して無事に到着した。

5月28日平戸は6隻の輸送船からなるマユ02船団を特設砲艦華山丸と急設網艦白鷹?と共に護衛してフィリピンのマニラを出港、6月1日に無事海南島の楡林に到着した、6月3日10隻の輸送船からなるテ06A船団を先ほどのマユ02船団と同じメンバー護衛して出港、6月13日に無事門司港に到着した。そのまま平戸は万光丸を護衛して佐世保へ向かい無事到着、そのまま佐世保で修理と整備を受けた。

6月22日12隻の輸送船からなるヒ67船団を駆逐艦朝顔?呉竹?、海防艦平戸、倉橋>倉橋?第十三号海防艦?第二十号海防艦?第十三号海防艦?、急設網艦白鷹で護衛して出港した。しかし6月29日アメリカ潜水艦バング?(USS Bang, SS-385)に発見され護衛していた輸送船のさらわく丸とみりい丸が損傷してしまうものの共に沈没はせず護衛艦船の攻撃もあってそれ以上の攻撃は防がれた。
その後は損傷した2隻と元々マニラに向かう予定の船以外は6月30日昭南*8に到着、全船健在だった。

7月14日7隻の輸送船からなるヒ68船団を急設網艦白鷹(旗艦)、海防艦平戸、倉橋、第二十号海防艦、第十三号海防艦、第二十八号海防艦?で護衛して昭南を出港、平戸には特になにも無く*9無事にマニラに到着した。

マニラにて船団の編成替えが行われ空母大鷹?を含む14隻の輸送船を海防艦平戸(旗艦)、倉橋、草垣第十一号海防艦?、第二十号海防艦、水雷艇?が護衛し平戸が旗艦の任にあたった。

7月24日午前6時に編成替えをしたヒ68船団はマニラを出港した。
7月25日船団は運悪くアメリカ潜水艦3隻からなるウルフパック*10に見つかり攻撃を受けてしまう、最初の魚雷攻撃は無事に回避できた。しかし7月26日未明の攻撃で大鳥山丸が魚雷を受けガソリンが引火し爆発の末沈没、ほぼ同時に安芸丸と東山丸が損傷し東山丸は航行不能になってしまった。

更に聖川丸も損傷、その直後傷を負った安芸丸に更なる攻撃が加えられ安芸丸は沈没した。航行不能の東山丸は更に攻撃を受けるがそのまま大火災を起こしつつ浮いてはいたものの7月27日自衛用の弾薬が誘爆を起こして沈没していった。

平戸は損傷によって速度が落ちた聖川丸を護衛してどうにか高雄に到着、高雄で再び編成替えが行われ7月28日輸送船8隻を海防艦平戸*11、倉橋、御蔵、第一号海防艦、第十一号海防艦で護衛して8月3日に門司に到着した。*12

到着する直前に御蔵と共に船団から分離して佐世保に向かい8月3日から8月7日まで佐世保工廠にて船体外鈑の損傷箇所修理修理をした。

8月9日に佐世保を出港同日伊万里湾に到着し船団に合流し8月10日に伊万里湾を出発した。
 
大鷹.JPG

船団に同行した大鷹

平戸が合流したヒ71船団は輸送船やタンカー20隻からなる日本最大の船団で護衛には航空母艦大鷹、駆逐艦藤波?、夕凪、海防艦平戸(旗艦)、倉橋、御蔵、昭南?、第十一号海防艦が護衛についた、特にヒ68船団の時は護衛される側だった大鷹*13が護衛側として哨戒機を飛ばすのは日本にしてみれば厳重な護衛だった。

出発から半日で輸送船1隻が故障で長崎に引き返すトラブルはあったものの何事もなく東シナ海を横断し中国沿岸を南下するも暴風雨を避けて台湾と大陸の間にある澎湖諸島の馬公に8月15日寄港し、ここで輸送船4隻が別行動を取ることになった。

この後の航海で敵潜水艦の危険性が高い海域を通過することから駆逐艦朝風、海防艦択捉松輪佐渡日振?が船団に加わった。

8月17日輸送船15隻を13隻を護衛する形で馬公を出発、しかし翌日18日にはアメリカ潜水艦レッドフィッシュ? (USS Redfish, SS-395)に発見され付近の潜水艦に通報されてしまった。

8月18日午前5時半頃にレッドフィッシュの攻撃が永洋丸に命中してしまった、損傷した永洋丸は駆逐艦夕凪に護衛されて高雄に引き返して行った。

大鷹は航空機を発艦させて警戒を開始、警戒機がいる間は敵潜水艦からの襲撃は無かったが日没になると母艦に収容しないといけなった*14

船団は可能な限り速度を上げてフィリピンのルソン島沿岸を目指したが天候が急変して視界不良のため潜水艦の警戒すらままならなかった、そしてレッドフィッシュが飛び寄せた潜水艦に最初の餌食は航空母艦大鷹だった、ラッシャー? (USS Rasher, SS-269)が放った魚雷が大鷹に命中し大爆発、僅か30分で沈没してしまった。

大鷹の沈没で船団は混乱して視界不良もあって散り散りになって逃走を開始、平戸に座乗していた司令官が生き残った船はサンフェルナンド*15に集結するように指示、19日の正午になって集まったのは輸送船5隻と護衛艦4隻だけだった。

速吸?等残りの輸送船は沈没、護衛していた艦も佐渡、松輪、日振が沈没するという悲惨な結果に終わった。

その後マニラに入港し損傷した艦をはずすなどの編成替えをし6隻の輸送船に対し駆逐艦藤波、海防艦平戸(旗艦)、倉橋、御蔵、第二号海防艦駆潜艇第二十八号駆潜艇?というずいぶんと小規模なものだった。

ヒ71船団は8月26日にマニラを出港、潜水艦の襲撃を受けることもなく無事に9月1日昭南に到着した。

9月6日6隻の輸送船からなるヒ72船団を平戸(旗艦)、倉橋、御蔵、第十一号海防艦、駆逐艦敷波?で護衛して出港、11日に別の船団と合流した。
しかしこの動向は察知されていたのか9月12日に潜水艦グロウラー? (USS Growler, SS-215)に発見されており日本側はグロウラーの接近に気づくことはできなった。

グロウラーが発射した三本の魚雷の内1発が平戸に命中、閃光を発した後に水柱が立ち水柱が消えた頃にはもう平戸の姿は無かった。
船団司令と艦長の瀬川岩雄氏以下106名が戦死、司令部職員も26名が死亡し74名が救助されたが救助後に更に7名が死亡した。

ほぼ一年間の命だったが北に南とせわしなく働いた艦だった。

1944年11月10日除籍

グロウラー.jpg
平戸を撃沈したグロウラー

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軍用艦一覧

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Tag: 軍事 海軍 海防艦






*1 当時の表記は擇捉型海防艦
*2 島の読み方はひら
*3 現在はユニバーサルスタジオジャパンになっている
*4 日付が不明
*5 横須賀市
*6 現在はチューク諸島
*7 元々の船団に合流したのか別の船団に合流したのかはっきりしない
*8 現在のシンガポールのこと
*9 海防艦倉橋が沈没する軽巡洋艦大井?の救助のために一時船団を離脱している
*10 おおよそ潜水艦3隻1チームで連携をとって攻撃する戦術
*11 ヒ68船団のWikipediaと海防艦平戸のWikipediaとですら記述が違うので本当にこの船団に居たのかすら謎、でも8月3日に佐世保に到着したと他のサイトもWikipediaも書いてあるので日本に向かったのは確実らしい
*12 道中第一号と第十一号が敵潜水艦撃沈を報じているが誤認と思われる
*13 ヒ68船団の時は甲板いっぱいに航空機を搭載した航空機輸送船に過ぎなかった
*14 現代の滑走路のように派手に誘導灯をつけないといけなく目立つ上当時はまだ夜間発着艦は名人芸の域だった
*15 フィリピン北部の街