日本史

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  1. 日本の歴史のこと。
  2. 1を対象とする歴史学の分野。
  3. 1について学ぶ高校の科目。
  4. 宣教師ルイス・フロイス?の著書"Historia de Iapam"のこと。フロイス日本史。


日本の歴史

原始・古代

旧石器時代

10万年前日本列島に人類の痕跡が見つかる(金取遺跡で石器が出土)
18000年前沖縄に浜北人、港川人が出現

縄文時代

1万年前海面が上昇(縄文海進)し、日本列島が出来る
5000年前縄文時代の最盛期
3000年前稲作が伝わり、西日本で稲作が始まる。*1

弥生時代

1年頃「漢書」地理志、倭国からの遣使に関する記述「それ楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る。歳時をもって来り献見すと云ふ」*2
57年奴国の王が中国の後漢に朝貢し金印を授かる
107年倭国の王・帥升*3が生口(奴隷)を後漢の皇帝に献上
2世紀後半倭国大乱
239年邪馬台国の女王卑弥呼が魏に朝貢
248年卑弥呼が亡くなり、男王が即位するが国内は混乱する。卑弥呼の親族(宗女)である壱与という女性の王が即位する
266年倭の女王、晋に遣使する。これ以降、316年までは書物による記録はない

古墳時代(不詳~710)

316年仁徳天皇が民衆の税を三年間免除する
4世紀前半巨大な前方後円墳が数多く造営される
369年倭国、朝鮮(伽耶(任那))に出兵。百済王の世子、倭国に七支刀を贈る
391年倭、高句麗と戦う
413年倭国、東晋に遣使する
421年倭の五王の倭王(さん)(応神天皇か仁徳天皇か履中天皇)、中国南朝の宋に遣使する
438年倭王(ちん)(反正天皇か)、中国南朝の宋に遣使し、「安東将軍倭国王(あんとうしょうぐんわこくおう)」となる
443年倭王(せい)(履中天皇か)、宋に遣使し、「安東将軍倭国王」となる
451年倭王済、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東将軍倭国王」称号を与えられる
462年倭王の世子(こう)(安康天皇か)、「安東将軍 倭国王」の称号を与えられる
479年倭王()(雄略天皇とほぼ確定)、宋に遣使氏、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東将軍 倭国王」の称号を与えられる
507年武烈天皇に子がなく、大伴金村と物部麁鹿火(もののべのあらかい)により北陸から継体天皇が迎えられる
527年筑紫の豪族・筑紫野国造磐井(ちくしのくにのみやつこいわい)が新羅と結託し乱を起こす。物部麁鹿火(もののべのあらかい)らがこれを鎮圧。
538年*4百済の聖明王が仏教を伝える
540年頃大伴金村、任那問題の影響で失脚
552年仏教を巡り、祟仏論争が起こる
585年物部守屋、仏殿を焼き、仏像を捨てる

飛鳥時代(592~710)

587年丁未の乱。蘇我馬子(崇仏派)・厩戸王(うまやどおう)(聖徳太子)*5らが物部守屋(廃仏派)と対決し勝利
592年蘇我馬子、東漢直駒をして崇峻天皇を殺害
593年厩戸王の執政。推古天皇の摂政となる【厩戸王・馬子の共同統治】
四天王寺建立
594年仏教(三宝)興隆の詔が出される
596年飛鳥寺(法興寺)完成
600年遣随使の始め
阿毎多利思比孤(アマタリシヒコ)が隋に遣使される*6
603年冠位十二階を制定
604年憲法十七条を制定
607年法隆寺建立
607年小野妹子を隋に派遣
610年厩戸王「三経義疏(さんきょうぎしょ)*7」法隆寺金堂、玉虫厨子
620年厩戸王・蘇我馬子ら『天皇記』『国記』
623年鞍作鳥「法隆寺金堂釈迦三尊像」法隆寺五重塔☆三論宗
630年遣唐使の始め
643年蘇我入鹿、山背大兄王(やましろおおえのおう)(厩戸王の子)を襲撃し山背大兄王は一族もろとも自宅に火を放ち自殺
645年7月10日乙巳の変(蘇我入鹿討伐、蘇我蝦夷自殺)
645年孝徳天皇即位
大化改新
645年高向玄理(たかむこのくろまろ(げんり))(みん)、国博士となる
646年改新の詔を公布
649年右大臣蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)が謀反の疑いを受け、自害する
652年最初の班田収授法が施工される
658年有馬皇子、謀反の計画が暴露され処刑される
663年白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗。太宰府に大野城を築く
667年近江大津宮に遷都
668年中大兄皇子即位(天智天皇)。近江令を撰上
672年壬申の乱。天皇専制支配体制確立
673年天武天皇即位
680年天武天皇、薬師寺建立
684年八色の姓を制定
689年飛鳥浄御原令施行
694年藤原京に遷都。律令体制の確立
697年持統天皇、草壁皇子の子の軽皇子(かるのみこ)(文武天皇)へ譲位する
701年大宝律令制定
701年高松塚古墳築造、同壁画 法隆寺金堂聖観音像 薬師寺東院堂聖観音像 薬師寺金堂薬師三尊像

奈良時代(710~794)

710年平城京遷都
712年『古事記』成立(太安万侶)
出羽国が置かれる
713年『風土記』成立
大隅国が置かれる
720年日本書紀成立
723年三世一身法制定、百万町部の開墾計画
724年聖武天皇即位。陸奥国に多賀城を築く
729年律令体制の動揺。藤原四兄弟(武智麻呂(むちまろ)宇合(うまかい)房前(ふささき)麻呂(まろ))による長屋王の変。長屋王、家族ともども自殺
光明子、立后される
730年薬師寺東塔
734年遣唐使の井真成(いのまなり)、長安で没す
735~737年このころ日本全土で天然痘が大流行。藤原四兄弟、全員天然痘により死去
740年藤原博嗣の乱が勃発
12月、聖武天皇、恭仁京の建設を開始する
741年大仏建立の詔
743年墾田永年私財法
753年日本の依頼を受け、唐より鑑真が来日する。鑑真により唐招提寺が建立される
757年橘奈良麻呂の変が勃発
養老律令制定
758年孝謙天皇が譲位し、淳仁天皇が即位する
藤原仲麻呂、「恵美押勝」の名を賜る
764年恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱
淳仁天皇を廃して淡路に配流し、孝謙上皇が重祚して称徳天皇となる
769年宇佐八幡宮神託事件が起こり、和気清麻呂が大隅国に流される
770年称徳天皇が崩御し、道鏡が下野薬師寺別当に左遷される
784年桓武天皇による長岡京への遷都、
785年長岡京建設の責任者であった藤原種継が暗殺され、桓武天皇弟早良親王が流罪となる。大伴家持、藤原種継暗殺事件に関与したという容疑をかけられとして官位剥奪。*8
788年最澄が比叡山に延暦寺を建立する

平安時代(794~1068)

794年平安京遷都
797年坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される
810年薬子の変。藤原冬嗣、蔵人頭に任命
819年空海が高野山に金剛峯寺を建立する
820年藤原冬嗣ら、弘仁格式を編纂する
838年最後の遣唐使が送られる
842年承和の変。伴健岑(とものこわみね)橘逸勢(たちばなのはやなり)ら処罰される
848年唐留学中に廃仏に直面した円仁が帰国する
857年藤原良房が太政大臣に就任
858年藤原良房が事実上の摂政となる
866年応天門の変。伴善男(とものよしお)、紀夏井ら配流
藤原良房、摂政となる
876年清和天皇が譲位し、陽成天皇が即位する
877年藤原基経、関白となる
884年藤原基経が陽成天皇を廃位し、光孝天皇が即位する
889年高望王(平高望)が平姓を賜る(臣籍降下による桓武平氏の成立)
894年菅原道真の建議により、遣唐使が廃止される
877~88年阿衡の紛議*9
903年菅原道真が配流先の大宰府で亡くなる
905年「古今和歌集」成立
909年藤原時平が若くして亡くなる。これ以降都の近辺では災害が相次ぎ菅原道真の関係者の多くが病気などで命を落とし人々に道真のたたりと噂される
927年藤原忠平らが、延喜式を選進する
935年紀貫之が「土佐日記」を著す
938年空也、都で念仏を説く(市聖(いちのひじり))
939年平将門が常陸、下野、上野、の国府を襲い、新皇を称す
940年平将門が平貞盛(将門により倒された将門の叔父にあたる平国香の遺児)と押領使の藤原秀郷によって討たれる
941年瀬戸内海で海賊行為を行っていた藤原純友が小野好古らによって討たれる
969年安和の変。源満仲の密告により源高明失脚
970年藤原伊尹が摂政に就任する
972年藤原兼道が関白に就任する
988年尾張国郡司百姓が国司・藤原朝臣元命(ふじわらのあそんもとなが)を告訴する。元命のちに免職
990年藤原兼家が関白に就任し、藤原道隆が摂政・関白に就任する
995年藤原道兼が関白に就任するが、間もなく没する。藤原道長が事実上の摂政となる
996年藤原伊周、隆家が道長と対立し左遷される
996年清少納言が「枕草子」を著す
1001年紫式部が「源氏物語」を執筆し始める
1008年「源氏物語」の一部が流出し、1010年初め頃までにほぼ完成する
1017年藤原頼道、摂政に就任し、藤原道長が太政大臣に就任する
1019年刀伊(トイ)の入寇。刀伊(中国北方の女真族)が博多を襲撃するが守護の藤原隆家率いる武士団がこれを撃退
1028年平忠常の乱が勃発
1051年前九年合戦が起こる
1053年平等院鳳凰堂が建立される
1060年藤原教通(のりみち)が左大臣に就任する
1061年藤原頼道(よりみち)が太政大臣に就任する
1062年前九年合戦が終わる
1068年後三条天皇が即位する

中世

平安時代(1068~1192)

1069年延久の荘園整理令
1072年後三条天皇が譲位し、白河天皇が即位する
1083年後三年合戦が始まる
1086年白河天皇が譲位し、堀川天皇が即位する。白河上皇の院政が始まる
1087年後三年合戦が終わる
1091年源義家への荘園寄進が禁じられる
1094年藤原伊房ら、遼との私貿易で処罰される*10
1095年延暦寺僧徒、入京し強訴
1096年京都で田楽が流行する。白河上皇が出家し、法皇の位に就く
1098年源義家、院への昇殿を許される
1107年堀川天皇が崩御し、鳥羽天皇が即位する
1121年藤原忠道が関白に就任する
1123年鳥羽天皇が譲位し、崇徳天皇が即位する
1124年平泉中尊寺で金色堂が建立される
1128年奥州の藤原清衡が没する
1129年鳥羽法皇が院政を始める
1132年平忠盛が昇殿を許される
1137年興福寺僧徒が入京し強訴する
1141年崇徳天皇が譲位し、近衛天皇が即位する
1155年近衛天皇が崩御し、後白河天皇が即位する
1156年保元の乱。後白河天皇方勝利。崇徳上皇は讃岐に流されほどなくして憤死
1159年藤原通憲(信西),信頼や源義朝(義経や頼朝の父)の攻撃を受け為す術なく自殺。
平治の乱が起こり平清盛勝利。義朝は謀殺され頼朝は伊豆に配流。頼朝の異母弟である義経は7歳から仏門に入ることを母の常盤御前が清盛に談判し、清盛は常盤御前と肉体関係を結ぶことで承諾した。
1177年鹿ヶ谷の陰謀。僧・俊寛や藤原成親ら鬼界ヶ島に配流される。首謀者の一人である西光は斬首
1180年5月 源頼政・以仁王の挙兵
安徳天皇の即位
8月 石橋山の戦い
10月 富士川の戦い
1181年平清盛、熱病(おそらくマラリア)で死去。このころ平氏の統治領域である西国で養和の飢饉が起こり、これと清盛の死によって平氏の勢力が大きく削がれた
1183年5月 倶利伽羅峠の戦い。木曽義仲のゲリラ戦法*11で平氏惨敗
7月 木曽義仲が入京する
寿永二年十月宣旨
1184年1月 宇治川の戦い
2月 一の谷の戦い
2月 屋島の戦い
朝廷(後白河法皇)の命を受け源義経が京の治安を悪化させていた木曽義仲を斃す
1185年檀ノ浦の戦い(源義経により平氏滅亡)。この直後義経と頼朝が対立する。頼朝、義経と叔父の行家を捕らえるために守護と地頭の設置の許可を後白河法皇に要請。
1189年義経、奥州藤原氏4代目・泰衡に攻められ衣川の館で自刃(衣川の戦い)。頼朝、泰衡を義経を匿った罪で攻め滅ぼし奥州を平定する
1191年日本における臨済宗の開祖、栄西が中国(南宋)から帰国

鎌倉時代(1192~1333)

1192年源頼朝,征夷大将軍に就任
1199年頼朝亡くなる←大江広元、三善康信、北条時政、梶原景時、三浦義澄、比企能員、和田義盛ら貴族と御家人による13人の合議制成立。源頼家が家督継承
1200年梶原景時、敗死。景時の死を持って梶原家断絶
1203年比企能員、謀殺される(比企氏の乱)
1203年源実朝が将軍に就任する。北条時政が執権に就任する
1204年源頼家が幽閉先の伊豆の修行寺で殺害される
1205年時政が、平賀朝雅の将軍擁立に失敗し出家する(牧氏の変)。北条義時が執権に就任する
1212年新制二十一条ができる
鴨長明により『方丈記』が成立
1213年和田合戦(和田義盛討ち死に)
1219年源実朝が鶴岡八幡宮にて頼家の遺児である公暁(くぎょう(こうぎょう))に暗殺される
1221年承久の乱起こる。後鳥羽上皇を隠岐に、土御門上皇を土佐に、順徳上皇を佐渡に配流。六波羅探題を設置
1224年親鸞が浄土真宗を開く。北条泰時が執権に就任する
1225年連署、評定衆を設置
1232年北条泰時、御成敗式目を発布。
1246年北条時頼が執権に就任する
1247年三浦泰村、敗死(宝治合戦)
1249年引付衆設置
1252年皇族将軍の下向(宗尊親王)
1253年日蓮が日蓮宗を開く
1260年日蓮が「立正安国論」を著す
1268年北条時宗が執権に就任する
元が日本に服属と朝貢を要求→拒否
1270~73年三別抄の乱
1274年文永の役(一度めの元軍襲来)。元軍予想外の抵抗を受け撤退する*12
1275年異国警固番役の強化
1276年長門探題を設置
防塁(石築地)が築かれる
1279年元が南宋を滅ぼし中国全土を支配
1281年弘安の役(二度めの元軍襲来)。元軍、嵐により撤退する
1285年霜月騒動。内管領平頼綱が安達泰盛を滅ぼす
1293年平頼綱の乱
鎌倉を大地震が襲う
1296年鎮西探題設置
1297年永仁の徳政令が出される
1317年文保の和談→両統迭立
1324年正中の変(後醍醐天皇が倒幕を計画する)
1331年元弘の変(後醍醐天皇が再び倒幕を計画)。楠木正成が挙兵する、幕府が光厳天皇を擁立する
1332年後醍醐天皇が隠岐に配流される
1333年後醍醐天皇が隠岐を脱出
足利尊氏による六波羅探題への攻撃と新田義貞の鎌倉への攻略により鎌倉幕府滅亡。執権北条高時自害
記録所・雑訴決断所・武者所の復活

建武の新政(1333~1335)

1333年鎌倉幕府滅亡→後醍醐天皇による朝廷中心の新体制の政治が開始(建武の新政)
1335年二条河原落書、成立か
護良親王が殺害される

南北朝時代(1335~1392)

1335-1336年延元の乱(足利尊氏が後醍醐天皇の政権に対して挙兵)
1335年中先代の乱*13。足利尊氏により鎮圧されるも尊氏と後醍醐天皇が対立する
12月、箱根・竹ノ下の戦い(足利尊氏は新田義貞を破る)
1336年足利尊氏、建武式目を発布
5月、湊川の戦が起こる、足利尊氏が新田義貞と楠木正成軍を破る
8月、光明天皇が即位する(北朝)
12月、後醍醐天皇が吉野に移る(南北朝の時代が始まる)
1337年西は九州、東は関東までを巻き込んだ南北朝の内乱がおこる。
1338年足利尊氏、征夷大将軍就任
1339年後醍醐天皇崩御。尊氏、天龍寺を建立
1342年天龍寺船を元に派遣
1349年関東の統治機関である鎌倉府が出来る。鎌倉府の初代長官(鎌倉公方)は足利基氏。補佐役として関東管領(主に上杉氏一族の世襲)が置かれる。
1350~52年観応の擾乱
1351年倭寇が高麗沿岸に侵入する
1352年観応の半済令。戦乱の為、守護が年貢の半分を徴発可能になる。これにより守護の支配力が強くなり守護大名と発展する。
足利尊氏が弟の直義を毒殺か?*14
1358年足利尊氏が死去
1359年足利義詮が2代目将軍となる
8月、筑後川の戦い
南朝:懐良親王と北朝:少弐頼尚(しょうによりなお)の戦い。南朝の勝利。九州地方は南朝が支配するようになる。
1367年高麗が倭寇の禁止を要請する
1368年足利義満が3代目将軍となる。応安の半済令が定められる
1374年観阿弥・世阿弥が新熊野神社で猿楽(能)を上演する
1378年足利義満が京都室町通に花の御所を造営する
1379年康暦の政変*15
1389-1390年土岐康行の乱*16
1391年明徳の乱*17
1392年明徳の和約(講和)により南北朝の内乱が終わる。

室町時代(1335~1573)

(1392年以前のできごとは南北朝時代の項を参照)

1394年足利義満が将軍職を義持に譲る
1399年守護大名である大内義弘が幕府に反乱を起こす(応永の乱)。
1400年守護大名の小笠原氏が国人領主との合戦に敗れる(大塔合戦)。
1401年足利義満が僧侶・祖阿(そあ)と博多の同朋衆の一人・肥富(こいづみ)を明に派遣
1402年8月、足利義満が倭寇を禁止する
9月、明使が「日本国王源」宛の国書を送る
1404年日明貿易(勘合貿易)を開始する
1411年飛騨(現代の岐阜県北部)を治める姉小路氏の内紛が幕府によって鎮圧される(飛騨の乱)。
明との国交が一時的に断絶
1414年公家である北畠満雅が反乱を起こす。
1416年上杉禅秀の乱
1419年李氏朝鮮が対馬へ侵攻する(応永の外寇)*18
1423年足利義量(よしかず)が将軍に就任する
1428年正長の土一揆。「正長元年ヨリサキ() カンへ四カンカウニ ヲ井メアルヘカラス」*19の碑文で知られる
1429年足利義教が将軍に就任
北畠満雅が再度反乱を起こすも失敗、敗死する。
播磨の土一揆
中山王の尚巴志が琉球を国内統一。琉球王国を設立し都を首里におく
1432年勘合貿易復活
1438年永享の乱。足利義教が鎌倉公方・足利持氏を滅ぼす
1440年室町幕府が関東の豪族による反乱を鎮圧する(結城合戦)。
1441年嘉吉の乱。守護大名である赤松満佑*20が、室町幕府第6代将軍だった足利義教を暗殺。その後、赤松満佑は幕府によって討伐される。
1443年足利義政が将軍に就任する
禁闕(きんけつ)の変- 後南朝の組織による後花園天皇の襲撃事件
1452年細川勝元が管領に就任する
1454年畠山義就(よしなり)・政長の家督争いが起こる
1455年足利成氏(しげうじ)が今川範忠(のりただ)に敗れ、下総古河へ逃れる
1455年-1483年享徳の乱。*21
1457年太田道灌が江戸城を築城する
コシャマインの戦い(現在の北海道、渡島半島)、アイヌが酋長のコシャマインを擁立し和人の進出に対して蜂起するも鎮圧され
1460年武蔵国男衾群を治めていた畠山氏の後継者問題が室町幕府の派閥抗争へ発展、嶽山城の戦いが勃発
1463年嶽山城の戦いが終わる。
1466年文正の政変足利義政の側近(伊勢貞親・季瓊真蘂(きけいしんずい))が追放される。その結果、将軍による政治の権力が衰え応仁の乱へと続く。
1467年応仁の乱
1471年蓮如が越前に吉崎御坊を建立する
1474年一休宗純が大徳寺の住持に就任する
1477年応仁の乱が終結する*22
山城の土一揆が起こる
1479年蓮如が山科に本願寺を建立する
1480年京都で徳政一揆が起こる
1485年山城国一揆

戦国時代(1486~1573)

1488年加賀の一向一揆。一揆は冨樫正親を倒し、事実上の傀儡守護を擁立した
1493年明応の政変により将軍義材(のちの義稙)が失脚。細川政元が義澄を擁立
山城国一揆が崩壊
1507年細川政元が暗殺される。義稙、上洛し管領・細川澄元が追放。義稙、将軍職に復帰
1510年三浦の乱。李氏朝鮮の三浦(釜山浦・薺浦・塩浦)で起きた対馬の宗氏・恒居倭人(貿易の為に朝鮮に居留している日本人)の反乱。
1511年船岡山合戦。足利義材・細川高国・大内義興と足利義澄・細川澄元との争い。足利義材の勝利。
1516年北条早雲(伊勢新九郎)が相模を平定
1519年今川義元誕生
1521年武田信玄誕生
1523年寧波の乱。大内氏と細川氏による勘合貿易の争い。この頃より密貿易などを目的とした後期倭寇が盛んになる。
1526年今川仮名目録成立か
1527年斎藤道三が美濃守護大名の土岐氏*23を追放し美濃を支配する
1534年織田信長誕生
1536年天文法華の乱
1537年豊臣秀吉誕生
1536年天文法華の乱
1541年郡山城の戦い
武田信玄が父、武田信虎を追放し甲斐を支配する
1542年斎藤道三が土岐氏を追放し美濃国を奪う
1543年徳川家康誕生
ポルトガル人を乗せた中国人倭寇・王直の船が種子島に漂着し鉄砲を伝える
1549年フランシスコ・ザビエルが来日する
松平竹千代(徳川家康)が、今川氏の人質となる
1551年大友義鎮がザビエルを招きキリスト教布教を許可する
1553年川中島の戦いが起こる(上杉謙信と武田信玄が1564年まで、計5回も戦う)
1555年厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢*24を破る
1560年6月12日桶狭間の戦い?(織田信長が今川義元を破る)、石田三成誕生
1563年ルイス・フロイスが来日する
1565年将軍・足利義輝が三好三人衆(三好家の残党)に暗殺される*25
1568年信長、15代将軍足利義昭を奉じて上洛
1570年足利義昭、将軍家が信長による傀儡政権となることを恐れ信長と敵対する
金ヶ崎城の戦い。織田・徳川連合軍が浅井長政と朝倉義景の連合軍に大勝
姉川の戦い。織田・徳川連合軍が浅井長政と朝倉義景の連合軍に大勝
1571年信長による比叡山焼き討ち。記録により異なるが死者数は1500人、もしくは3000~4000人といわれる
1573年三方ヶ原の戦い。徳川家康、武田信玄に大敗
足利義昭が京から追放され周防の鞆に移住(室町幕府滅亡)、武田信玄病没

近世

安土桃山時代(1573~1603)

1573年4月、武田信玄が亡くなる*26
7月、織田信長が足利義昭を河内へ追放したため、室町幕府が滅亡する
8月、朝倉義景と浅井長政が信長に敗れ自害し、両家とも滅亡する
1574年信長により「伊勢長島の一向一揆」が鎮圧される
1575年長篠の戦い
1576年信長が安土城の築城に取り掛かる
1577年松永久秀、信長に反乱を起こし自害
1578年上杉謙信病没
耳川の戦い。島津義久が大友義鎮に圧勝
1579年5月、安土城天守閣が完成する
7月、徳川家康の嫡男・徳川信康が武田家内通の疑惑により自害。その母の築山殿も自害
1580年石山戦争終結。本願寺顕如、信長と和解
1581年信長、伊賀を平定
1582年天目山の戦い(武田勝頼の自害により武田家滅亡)
本能寺の変(明智光秀の寝返りにより織田信長本能寺にて自刃)
羽柴秀吉、織田信長の命を受け毛利輝元の本拠地である中国地方攻略
山崎の戦い。羽柴秀吉は輝元と和睦し京都山崎まで向かい(中国大返し)、光秀を討伐。
伊賀忍者を率いる徳川家臣の服部半蔵*27による徳川家康の伊賀越え
1583年清洲会議。織田家の正式な後継者が信長の孫に当たる三法師(秀信)に決定
賤ヶ岳の戦い。秀吉、柴田勝家・織田(神戸)信孝を打ち破る。これにより名実ともに織田家の後継者となる
1584年小牧・長久手の戦い。戦況は徳川家康・織田信雄(のぶかつ(のぶお))連合軍に利があり、羽柴秀吉は徳川・織田連合軍と和睦
1585年四国平定。長宗我部元親、秀吉に降伏
羽柴秀吉、関白就任
第一次上田合戦。徳川家康、真田昌幸に敗れる
1586年秀吉が太政大臣に就任、豊臣姓を賜る
大友義鎮が秀吉に謁見
上杉景勝と徳川家康が秀吉に臣従する
1587年九州平定。島津義久・義弘兄弟、秀吉に降伏
バテレン追放令が出される
1588年海賊禁止令が発布される
刀狩令が発布される
1589年豊臣鶴松が生まれる(しかし、1591年に亡くなる)
1590年小田原合戦。北条氏政、秀吉に降服。豊臣秀吉による天下統一成る
1591年秀吉が刀狩令などの身分統制令を定め、士農工商の身分体系を確定する
秀吉の弟・羽柴秀長が病死。これより、秀吉の独裁政治に歯止めが効かなくなる
秀吉の命により、千利休が切腹する
1592年奥州平定。伊達政宗、秀吉に臣従
文禄の役(朝鮮出兵、壬辰倭乱)。明国との戦いが多かったため、日明戦争とも呼ばれる。結果的に戦争は膠着状態となり、対馬の宗義智が和平交渉を取り持つが決裂
1596年慶長の役(朝鮮出兵、丁酉倭乱)。最終的にはなんの成果も得ることもなく*28、豊臣秀吉の死去により明国との講和後に撤退。豊臣政権の弱体化の原因の一つとなる
サン=フェリペ号事件
1598年秀吉、五大老*29・五奉行*30を制度化
豊臣秀吉病没。加藤清正ら朝鮮から撤退
1599年七将*31による「石田三成襲撃事件」
前田利家、長宗我部元親が相次いで病死。これにより石田三成ら豊臣家臣の「文治派」と加藤清正ら「武断派」の対立が激化
伊集院忠棟が主君の島津家久(忠恒)に謀殺される
1600年第二次上田合戦。徳川家康、真田昌幸に敗れる
関ヶ原合戦。石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍に分かれ、西軍の小早川秀秋の寝返りと吉川広家の東軍への内通により東軍の勝利。戦後石田三成は捕縛され斬首。大谷吉継は陣中で自刃
1602年井伊直政が関ヶ原の戦いで受けた傷がもとで病死

江戸時代(1603~1852)

1603年徳川家康が征夷大将軍に就任し、江戸に幕府を開く
出雲阿国がかぶき踊りを創始
1605年徳川家康、秀忠に将軍職を譲位。自らは駿府に隠居し大御所として実験を握る
1609年薩摩藩主・島津家久(忠恒)が琉球王国に侵攻する。これにより琉球王国は、日明両属となる
1610年家康、京都の商人・田中勝介をノビスパン*32に派遣
1611年加藤清正が急死*33
1612年禁教令が出される
山田長政が長崎から台湾を経由しシャム王国(現在のタイ)に渡る
1615年大坂冬の陣。一度は和平交渉に持ち込まれたが徳川軍が密かに大坂城の堀を埋めていたことが判明し交渉決裂
大坂夏の陣。豊臣秀頼、母の淀君と自害。真田幸村ら豊臣家重臣の多くが討ち死に。豊臣家滅亡
武家諸法度(元和令)
禁中並公家諸法度
1616年徳川家康病没
ヨーロッパの寄港地を平戸と長崎に限定
1627年紫衣事件。僧の沢庵が讃岐小豆島に流される(のち許され家光の信頼高く侍講となる)
1623年徳川家光が江戸幕府三代 征夷大将軍に就任する
1630年山田長政が毒殺される
1631年駿府の徳川忠長が乱交をはたらき幽閉され、翌年改易される。後に傷心のあまり自害
1633年奉書船以外の海外渡航を禁止する
1635年日本人の海外渡航・帰国を全面禁止する
武家諸法度(寛永令)
1636年伊達政宗死去
1637年島原の乱。首謀者の天草四郎時貞含め一揆軍全滅*34
1639年ポルトガル船の来航を禁止
1641年オランダ商館を出島に移す、これにより鎖国が完成する
1642年寛永の大飢饉
1643年田畑永代売買禁止令を制定
1651年徳川家綱が4代将軍に就任。幼年のため叔父の保科正之が大老となり家綱を補佐する
慶安の変。由井正雪による幕府転覆計画。幕府に露見し転覆は未遂に終わり、正雪とその従者である丸橋忠弥斬首。
1655年宇喜多秀家、八丈島にて老衰のため死去
1657年明歴の大火。これにより江戸に甚大な被害が出て江戸城は天守閣が焼失。大老の保科正之が被災者たちに食料衣類、避難所の援助を行う
徳川光圀が「大日本史」の編纂に着手(完成したのは1904年)
1663年武家諸法度(寛文令)
1669年シャクシャインの戦い。アイヌ人による和人(シャモ*35)への蜂起
1673年三井高利が越後屋呉服店を開く
1675年島谷市左衛門が小笠原諸島を探検し、幕府に土産をもたらす
1680年徳川綱吉が五代将軍になる
1682年井原西鶴の「好色一代男」が刊行される
1683年武家諸法度(天和令)
1685-1709年生類憐れみの令
1694年江戸に十組問屋成立、大坂に二十四問屋成立
1702年赤穂事件
1707年富士山が噴火する(現在、最後の噴火)
1709年徳川家宣が6代将軍就任
徳川家宣、 新井白石らを登用。「正徳の治」
新井白石、シドッチ(ヨワン・シローテ)を尋問
生類憐れみの令廃止
1710年武家諸法度(宝永令)
1713年徳川家継が7代将軍となる
1715年新井白石による海舶互市新例
1716年徳川吉宗、将軍就任
1716~45年享保の改革
1717年武家諸法度(享保令)
大岡忠相を江戸町奉行に登用する
1719年相対済し令
1721年目安箱設置、庶民の直訴を受け付ける
1722年上げ米の制
小石川薬園(現在の小石川植物園)が出来る
1723年足高の制
1732年享保の大飢饉が起こる
1735年青木昆陽がサツマイモの性質・栽培法などを記した「蕃薯考」を著す
1742年「公事方御定書」制定
1745年徳川家重が9代将軍となる
1755年宝暦治水事件
1758年宝歴事件
1760年徳川家治が10代将軍となる
1768年田沼意次が側用人に就任する
1771年御蔭参りに200万人が参加し、伊勢神宮を参拝する
1772年田沼意次が老中に就任
明和の大火
1774年杉田玄白・前野良沢らによる「解体新書」完成
1776年平賀源内がエレキテルを復元
1782年印旛沼・手賀沼の干拓が行われる
1786年将軍徳川家治病死。田沼意次、老中を罷免される
林子平が「海国兵談」を出版
1787年松平定信による寛政の改革
1792年ロシア使節ラクスマンが根室に来航。同時に漂流民としてロシアに流れ着いていた元商人の大黒屋光太夫が帰国
1793年徳川家斉による大御所時代
1800年伊能忠敬、日本地図の制作のため測量開始
1804年ロシア使節のレザノフが長崎に来航
1808年フェートン号事件。事態を重く見た長崎奉行・松平康英が自刃
間宮林蔵による樺太探査
1818年伊能忠敬死去
1821年『大日本沿海與地全図』が伊能忠敬の弟子達の手により完成する
1825年異国船打払令
1828年シーボルト事件
1830年水戸藩主・徳川斉昭が藩政改革を行う
薩摩藩家老・調所広郷(笑左衛門)が藩政改革を行う
1833年天保の大飢饉
1836年郡内騒動
加茂一揆
1837年モリソン号事件
大塩平八郎の乱
生田万の乱
1838年江戸で大火災
中山みきが天理教を創設
緒方洪庵が適々斎塾を大坂にひらく
天保国絵図が完成
1839年蛮社の獄。高野長英と渡辺崋山及びその関係者が投獄。しかしこれを機に幕府の異国船への対応が寛容なものとなる
1840年長州藩士・村田清風による藩政改革
長崎町奉行の高島秋帆が海防に関する意見を幕府に奏上
三方領知替え*36
1841年水野忠邦、老中就任。天保の改革はじまる
渡辺崋山、自宅で自殺
1842年薪水給与令が出され、打払令が緩和される
1843年天保の改革の失敗により水野忠邦が失脚。阿部正弘が老中職就任
1850年高野長英、脱獄し薬品で顔を焼いて逃亡し妻子と共に生活する。後に捕方に自宅に踏み込まれ、逃走するも撲殺される

近現代

江戸時代(幕末、1853~1868)

1853年ペリー率いる蒸気船が浦賀に上陸
徳川家慶→家定が将軍職就任
1854年日米和親条約締結
1856年アメリカ総領事ハリス・下田に到着
吉田松陰が叔父の玉木文之進の私塾であった松下村塾を再興
1858年日米修好通商条約締結、安政の大地震起こる。
井伊直弼が大老となる
徳川家茂が将軍職就任
1859年井伊直弼による安政の大獄(吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎など多くの尊攘派が斬首。梅田雲浜は獄中にてコレラにより死去、水戸藩主徳川斉昭、一橋慶喜は謹慎を命じられる)
1860年桜田門外の変で井伊直弼、関鉄之助ら水戸藩士と薩摩藩士の有村次左衛門により首をはねられ絶命。勝海舟・福沢諭吉ら渡米
1861年ヒュースケン暗殺事件
第一次東禅寺事件
1862年皇女和宮と将軍・徳川家茂の婚礼
第二次東禅寺事件
坂下門外の変(安藤信正襲撃)
寺田屋事件。薩摩藩士の有馬新七ら死亡
生麦事件、薩摩藩士(海江田信義、奈良原喜左衛門)がイギリス人(リチャードソン)を殺傷する
政事総裁職にして福井藩主・松平慶永による文久の改革
榎本武揚、西周(にしあまね)らイギリスに留学
1863年伊藤俊輔(博文)ら長州藩士によりイギリス公使館焼き討ち
井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔、野村弥吉(井上勝)がイギリスに留学
7月、薩英戦争
8月、八月十八日の政変
七卿落ち。三条実美ら京を追放される
天誅組の変。土佐藩士・吉村虎太郎と公卿・中山忠光が挙兵
生野の変。福岡藩士・平野国臣ら挙兵
近藤勇、土方歳三、沖田総司らにより新撰組結成
1864年蛤御門の変。幕府・薩摩対長州の戦となり久坂玄瑞ら自刃。
第一次長州征伐
四国連合艦隊下関砲撃事件
1866年坂本龍馬・中岡慎太郎により薩長連合成る
第二次長州征伐。薩摩が幕府からの出陣要請を無視
家茂急死*37、徳川慶喜が将軍職就任
孝明天皇崩御*38
1867年大政奉還
坂本龍馬・中岡慎太郎京都近江屋にて凶刃に斃れる
王政復古の大号令、小御所会議。徳川慶喜に辞官納地を命ずる
1868年正月 鳥羽伏見の戦い
3月 江戸城無血開城。西郷吉之助(隆盛)と勝海舟の会談
4月 近藤勇斬首
6月 上野戦争
8月 会津戦争

明治時代(1868~1912)

1868年9月明治天皇、東京に遷都。明治と改元
1869年五稜郭の戦い(戊辰戦争終結)
江戸を東京に改称
版籍奉還
蝦夷地を北海道に改称
兵部大輔・大村益次郎と山県有朋が陸軍の軍役制を制定
大村益次郎が暗殺される*39
1870年大教宣布の詔
1871年地租改正、廃藩置県
戸籍法(壬申戸籍)を定める
警察制度発足。川路利良、欧米の警察制度を視察し帰国して後は初代警視総監に就任
岩倉使節団洋行
新貨条例
1872年学制公布
国立銀行条例
太陽暦の採用
新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通
琉球王国を琉球藩とする
群馬県に富岡製糸工場が作られる
田畑勝手作りの禁、田畑永代売買禁止令の解除
1873年明治六年の政変。西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎ら政府を辞す
地租改正
1874年台湾出兵
佐賀の乱。江藤新平・島義武、斬首
政商の一つである小野組が経営破綻
板垣退助らが愛国公党を設立する
板垣退助らが立志社を設立する
民選議院設立の建白書が左院に提出される
1875年ロシアと千島樺太交換条約
江華島事件
讒謗率・新聞紙条例
木戸孝允、大久保利通、板垣退助による大阪会議
板垣退助が愛国社を設立する
1876年日朝修好条規
廃刀令
太田黒伴雄による神風連の乱(敬神党の乱)
宮崎車之助による秋月の乱
前原一誠・奥平謙輔による萩の乱
1877年西南戦争(西郷隆盛戦死)
木戸孝允持病が悪化し他界
1878年紀尾井坂の変。大久保利通、不平士族らに斬殺される
地方三新法
竹橋事件
寺島宗則が税権の回復を要求。アメリカは賛成したがイギリスとドイツの反対により失敗
1879年琉球藩を廃し沖縄県を設置(琉球処分)
1880年国会期成同盟
集会条例制定
刑法・治罪法制定
1881年明治十四年の政変
板垣退助が自由党を結成
国会開設の勅諭
1882年大隈重信が立憲改進党を結成
朝鮮半島で壬午事変勃発
1883年鹿鳴館開館
1884年群馬事件
加波山事件
朝鮮半島で甲申事変勃発
大同団結運動
1885年内閣制度確立(第一次伊藤博文内閣)
天津条約
大阪事件
1886年ノルマントン号事件
1889年大日本帝国憲法?発布
大隈重信が国粋主義の結社・玄洋社に所属する青年*40から爆弾を投げられ負傷
1890年第一回衆議院議員選挙
第一回帝国議会
教育勅語の発布
府県制、郡制の成立
1891年大津事件。青木周蔵が責任を取り辞職
足尾銅山鉱毒事件
1894年甲午農民戦争
日英通商航海条約
1894~95年日清戦争。陸奥宗光により領事裁判権の撤廃に成功
1895年下関条約調印
三国干渉により、遼東半島を清へ返還
1898年朝鮮半島の主権を日露両国確認
1899年日英通商航海条約が発効される、不平等条約が改正される
青木周蔵による改正条約(有効期限12年)
勝海舟死去
1900年義和団事件
軍部大臣現役武官制が定められる
1901年官営八幡製鉄所の操業開始
治安警察法
1904~05年日露戦争
東郷平八郎による日本海海戦
1905年日比谷焼き討ち事件
第二次日英同盟
ポーツマス条約締結
1906年鉄道国有法
韓国統監府開庁
米英、満州の門戸開放を日本に要請
ロシアから南樺太を受領
1907年ハーグ密使事件
1908年ロシアと樺太境界に関する協定
1909年伊藤博文ハルビンにて凶弾にたおれる
米国務長官の満州鉄道中立化案(翌年、日露これを拒否)
1910年幸徳秋水らによる大逆事件。幸徳ら犯行に及んだ者の殆どが大逆罪が適用され死刑
韓国併合
1911年小村寿太郎により関税自主権回復
第三次日英同盟
1912年7月30日明治天皇崩御。大正と改元

大正時代(1912~1926)

1912年7月、明治天皇崩御 大正と改元
8月、鈴木文治らが「友愛会」を結成する(労働者団体)
9月、乃木希典 殉死
12月、第一次護憲運動
1913年大正政変
徳川慶喜死去
6月、軍部大臣現役武官制度を撤廃
10月、中華民国承認
12月、立憲同志会(「桂新党」構想の具体化)設立
1914~18年第一次世界大戦。日本は日英同盟の立場より参戦。毒ガス・機関銃・火炎放射器・戦車・潜水艦・飛行機などが使用され、犠牲者は約1000万人となる
1914年1月、シーメンス事件。ドイツ帝国のシーメンス(企業)が日本海軍へ賄賂。山本権兵衛内閣総辞職
7月、オーストリア、セルビアに宣戦布告
8月、日英同盟を理由に、日本は対ドイツ宣戦布告
1915年大隈重信、初代中華民国大統領・袁世凱に二十一箇条の要求を提示
1918年米騒動。富山県に端を発し全土に広がる。米商人がシベリア出兵に際し米を民間に売り渋ったのが原因。寺内正毅内閣総辞職。
1919年1月 パリ講和会議
2月 普通選挙期成同盟、各地で起こる
3月 三・一独立運動 - 朝鮮での独立運動(主要人物33人は宗教関係者)
4月 パリ講和会議、山東省におけるドイツ利権を日本が継承することを承認
5月 選挙法改正、直接国税三円以上の男子に選挙権を付与。五・四運動 - 中国でパリ講和会議に反対した反日・反帝国主義運動
6月 ヴェルサイユ条約 第一次世界大戦の講和条約。ドイツは植民地・国外利権の放棄。膠州湾租借地は日本が継承。ドイツは南洋諸島を日本に譲渡。ドイツは連合国に賠償金1320億金マルクを支払。*41
1920年1月 国際連盟発足。日本、常任理事国として加盟
森戸辰男がクロポトキンの研究を咎められ東京大学を停職処分となる(森戸事件)
1921年11月 原敬首相、東京駅頭で暗殺
皇太子裕仁親王、摂政就任
海軍軍縮のためのワシントン会議開催(日英米仏伊)
12月 日英米仏四カ国条約成立
日英同盟廃棄
1922年2月 ワシントン会議
3月 全国水平社が結成される(部落解放運動)
4月 日本農民組合が結成される(農民運動)
6月 シベリア派遣軍撤退完了
7月 陸軍で「山梨軍縮」進行
日本共産党、非合法に結成
9月 立憲国民党解党
10月 イタリアでムッソリーニのファシスト党によるローマ進軍。ムッソリーニ内閣成立
12月 ソビエト連邦成立
1923年9月1日関東大震災。首都圏に戒厳令
1923年亀戸事件*42、甘粕事件*43、流言飛語による朝鮮人殺害事件の発生
12月 虎ノ門事件。社会主義者の難波大助が摂政宮裕仁親王(昭和天皇)を狙撃。第二次山本権兵衛内閣総辞職
1924年第二次護憲運動
5月 第十五回総選挙。護憲三派圧勝、憲政会が第一党となる
1925年ラジオ放送開始
治安維持法、衆議院議員選挙法全改正(普通選挙法)

昭和時代(1926~1989)

1928年3月15日三・一五事件
同年6月8日張作霖爆殺事件
1929年四・一六事件
世界恐慌
昭和恐慌
1930年ロンドン海軍軍縮会議
浜口雄幸、銃撃を受け負傷
1931年柳条湖事件
渋沢栄一病没
浜口雄幸、破傷風により。浜口内閣総辞職
1932年満州国建国
同年5月15日五・一五事件、政党政治の終焉
同年9月15日日満議定書(日本が満州国を正式に認めた)
1933年滝川事件
日本、国際連盟を脱退
1935年美濃部達吉による天皇機関説事件
岡田啓介による国体明徴声明
1936年2月26日二・二六事件
1936年西安事件。張学良が蒋介石を説得し、第二次中共合作が実現
1937年盧溝橋事件、日中戦争開戦
矢内原事件
南京占領
1938年1月第一次近衛声明「国民政府ヲ対手トセズ」として蔣介石との和平交渉を打ち切り
1938年11月第二次近衛声明「東亜新秩序」の建設表明
1938年12月第三次近衛声明「近衛三原則」(「善隣友好」・「共同防共」・「経済連携」)を表明)
汪兆銘を重慶から脱出させる
1939年3月資金統制令
1939年7月国民徴用令
1939年10月価格等統制令
1940年3月南京に新国民政府(日本の傀儡政権)を樹立
1940年7月七・七禁令
1941年12月8日マレー作戦開始
日本軍による真珠湾攻撃
1942年ミッドウェー海戦で大敗。此処から日本軍の戦局が悪化する
1943年アッツ島の戦い、学徒出陣の開始
1944年サイパン陥落、絶対国防圏崩壊、東條内閣総辞職
本土攻撃が開始。学童疎開が行われる
昭和東南海地震(M7.9)発生
1945年4月1日沖縄での本土決戦(6月22日終結)
1945年8月6日広島に原子爆弾投下。死者推定14万人(諸説あり)
1945年8月8日ソ連が中立条約を一方的に破棄し満州に攻略
1945年8月9日長崎に原子爆弾投下。死者推定7万人(諸説あり)
1945年8月14日日本がポツダム宣言受諾
1945年8月15日玉音放送(終戦の日)
1945年9月2日重光葵・梅津美治郎がミズーリ号上で降伏文書に署名。正式に終戦を迎える。
1945年労働組合法
1946年相沢忠洋、関東ローム層から打製石器を発見(日本にも旧石器時代があったことを証明)
労働関係調整法制定
1946年1月4日公職追放指令
1946年11月7日日本国憲法草案成立
1947年2月1日ゼネラルストライキがマッカーサーの指令により中止
1947年5月11日日本国憲法公布
1947年労働基準法
1948年昭和電工事件
1949年湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞。日本人初のノーベル賞受賞者となる
下山事件・松川事件・三鷹事件(国鉄三大ミステリー)
1952年奄美群島が日本に返還される
1952年5月1日血のメーデー事件
1953年テレビ放送の開始
1954年第五福竜丸、ビキニ環礁にて被爆
造船疑獄、犬養健が指揮権を発動
1959年~1960年安保闘争
1960年1月19日新日米安全保障条約・日米地位協定締結
1960年7月19日安保問題の責任をとり第二次岸信介内閣が総辞職
1960年所得倍増計画の発表
1964年東海道新幹線開通・東京オリンピック
1968年小笠原諸島が日本に返還される
1972年沖縄が日本に返還される
1974年第4次中東戦争によるオイルショック
1976年ロッキード事件
1985年電電公社・日本専売公社・国鉄の民営化
1985年8月15日日本航空123便墜落事故発生
1988年消費税法施行(3%)
リクルート事件
1989年1月7日昭和天皇崩御

平成時代(1989~2019)

1989年1月8日「平成」に改元
1990年湾岸戦争開始
1992年PKO協力法、自衛隊をカンボジアに派遣
1993年「嘘つき解散」後の衆院選で自民党大敗
1993年8月9日細川護熙内閣が成立、55年体制の崩壊
1994年6月30日村山富市内閣成立、自民党が与党に復帰
1995年1月17日阪神淡路大震災
1995年3月20日地下鉄サリン事件
1996年~1997年在ペルー日本大使公邸占拠事件*44
1997年消費税が5%に引き上げ
1999年国旗・国歌法施行
2000年旧石器捏造事件
三宅島の噴火
2001年9月11日アメリカ同時多発テロ
2001年11月2日テロ対策特別措置法
2003年イラク戦争、イラク特措法が成立
2005年~2007年郵政民営化
2005年JR福知山線脱線事故
2008年リーマンショック
2009年民主党が衆院選で大勝し鳩山由紀夫内閣が成立
2011年3月11日東日本大震災
2012年衆院選で民主党が惨敗、第二次安倍晋三内閣成立
東京スカイツリー開業
2014年消費税が8%となる
2016年熊本地震
平成上皇陛下の「生前退位」宣言
2018年大阪府北部地震

令和時代(2019~)

2019年5月1日徳仁親王即位 令和と改元
2019年7月18日京都アニメーション放火事件
2019年10月1日消費税が10%に増税
2020年4月新型コロナウイルスによる緊急事態宣言発令
2021年1月7日二度目の新型コロナウイルスによる緊急事態宣言発令
2022年2月24日ロシアがウクライナに対し軍事侵攻を開始
2022年7月8日安倍晋三元総理が演説中に銃撃を受け死亡

コメント

  • 明治からはすべて「近代」でまとめたほうが良いのでは…? -- 2020-10-23 (金) 19:15:29
  • 古代から近現代まで大まかにまとめました -- 2020-11-04 (水) 22:56:15
  • ファンには悪いけどSwitch発売だとか歴史的出来事と呼べないことを書くのはやめてください -- ペンペン 2021-08-16 (月) 16:52:29
  • 平成が少なすぎだと思ったのでとりあえず山川の教科書から引っ張ってきました -- 2021-11-28 (日) 00:15:01
  • 令和に消費税と徳仁親王即位を書き込みました -- 2021-11-29 (月) 12:54:13
  • 江戸時代の欄に大幅に追加しました -- みなもと太郎次郎三郎 2021-12-13 (月) 22:05:02

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Tag: 歴史 日本 日本史


*1 従来は濃厚の開始は弥生時代からとされていたが研究の進展により縄文時代末期に中国の黄河経由で日本に稲作が伝わっていたことが判明した。イネ以外にソバやヤマイモ、大豆やヒョウタンなどが栽培されていたという
*2 楽浪郡に倭人がいて、倭人の国は百あまりに分かれている。楽浪郡には定期的に貢物を献上していた
*3 中国の歴史書において最初に登場する日本人
*4 552年の異説あり
*5 親王宣下を受けていない場合皇族の男性は王と呼ぶのが正式
*6 この時の遣使は、国書を持っておらず、隋から相手にされなかった為、日本側の歴史には残っていない
*7 現存せず書物名のみが知られるため実在を疑う説もある
*8 ただし本人は事件の直前にすでに病死している
*9 887(仁和3)年、宇多天皇即位直後、摂政の藤原基経に関白就任を求める宇多天皇の詔のなかに、基経を「阿衡」に任じるという語があったが、基経は中国の古典では「阿衡」は名ばかりの名誉職に過ぎないと抗議したため、天皇は詔を撤回して、その起草者の橘広相(たちばなひろみ)を処分した事件
*10 日本と遼には正式な国交が結ばれていなかったため
*11 角に松明をくくりつけた牛を敵陣に放つ
*12 一般的には元軍は嵐(台風?)により撤退したこともされるが、現在の日付に換算すると11月中旬に当たるため現代では否定されている。
*13 鎌倉幕府最後の執権・北条高時の遺児である時行が幕府最高を目指し反乱を起こす
*14 毒殺説を否定する説もあるが状況が状況だけに毒殺された可能性が高い
*15 斯波氏が細川頼之を失脚させる
*16 足利義満が土岐氏を陥れる謀略で土岐康行が敗死する。土岐氏の守護領国は3国から1国になる。美濃の乱とも呼ぶ
*17 足利義満が山名氏を陥れる謀略で山名氏清、山名満幸を滅ぼす。山名氏の守護領国は11国から3国に激減する。
*18 沿岸を荒らし回る日本の海賊(倭寇)の討伐と国民の救出が目的だったとされる
*19 正長元年より以前の、神戸(かんべ)四箇郷における負債は一切消滅した
*20 現代の兵庫県と岡山県にまたがる地域一帯を治めていた
*21 鎌倉公方:足利成氏が関東管領:上杉憲忠を暗殺した事からはじまった関東地方の争い。
*22 西軍の総大将である山名宗全と東軍の総大将である細川勝元が戦乱のさなか病死し、戦闘が膠着状態に陥った
*23 土岐頼芸。道三の主君に当たる人物で道三に追放された後に尾張の織田信長を頼り織田家家臣となった。甥の頼純が急死(公式には病死とされているが状況が状況だけに毒殺の疑いが濃い)したこともあり斎藤家に不信感を抱き始めていた
*24 元大内家臣だが主君の大内義隆を暗殺し事実上周防・長門の支配者となっていた
*25 教科書では松永久秀による犯行とされるが久秀はこれに関与しておらずむしろ子の久通が義輝を暗殺したいと言い出したためこれを制止している
*26 陣中で病死とも進軍中に狙撃され死亡したともいわれる
*27 創作では忍者の扱いを受けているが忍者を率いてスパイ活動をさせていただけで実際はれっきとした武将である
*28 出兵の最終目標には諸説あり、実は今でもよく分かっていない。
*29 徳川家康・毛利輝元・上杉景勝・前田利家・宇喜多秀家
*30 浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以
*31 一般的には福島正則、加藤清正、池田輝政、細川忠興、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政を指す。
*32 メキシコ。ヌエバ・エスパーニャとも呼ぶ
*33 病死とも、豊臣家につくことを恐れた家康が清正との会合中出された料理に毒を盛ったともいわれる
*34 但し一人だけ生存者の存在が確認されている
*35 アイヌ語で「お隣さん」という意味
*36 武蔵国川越藩主松平斉典を出羽国庄内へ、庄内藩主酒井忠器を越後国長岡へ、長岡藩主牧野忠雅を川越へ転封しようとしたもの。実現することはなかったが、数ある三方領知替えの中で最も有名である
*37 病死説が通説だが毒殺説もある
*38 天然痘により死去したとされるが家茂と死亡時期があまりに近いため毒殺説がある
*39 正確には襲撃から2ヶ月後に傷口から菌が侵入し破傷風にかかり病死
*40 来島恒喜
*41 賠償金に関しては2020年に完済予定。
*42 社会主義者10名が労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、9月3日から4日(あるいは9月4日から5日)に習志野騎兵第13連隊によって亀戸署内あるいは荒川放水路で刺殺された事件
*43 甘粕正彦憲兵大尉により大杉栄とその妻にして婦人解放運動家の伊藤野枝と甥が殺害され死体遺棄された事件
*44 中島みゆきの最長の楽曲「4.2.3」のモチーフ