植物画

Last-modified: 2021-10-22 (金) 21:03:17

概要

植物を細部まで正確に描いた絵のこと。植物細密画、ボタニカルアートともいう。
植物図鑑などで見られる。
植物画(ボタニカルアート)と、植物をモチーフとする一般的な絵画との違いは、植物画は植物学・農学・薬学・地理学、あるいは園芸など植物に関わる学問・産業に資することが目的であった点である。カラー写真技術がまだなかった時代、植物知識は主に実物の標本に頼っていたが、標本は時間の経過で変色・褪色、委縮しあるいは虫の食害を受けることもあり生育時の状態をそのまま保存することは難しかった。そのため、百科事典や植物図鑑に代表される学術文献の挿絵、あるいは園芸業者の販売カタログのように、植物の美しさとは別にその解剖的正確さが要求される場面において、植物が生きているときの状態を精密に描く植物画というジャンルの需要が生まれた。一般的絵画では画家の美意識に基づく取捨選択で植物体の一部を誇張または捨象するが、植物画では花から根までを正確にスケッチし、収録する文献の目的に基づいてその植物の特徴を損なわない範囲での誇張や捨象(例えば、葉と花が同じ時期には出ない植物を一つの挿絵で説明するため便宜的に葉と花の両方ある絵として描く、長大な根のすべてを描かずに根の先端から根元までの途中を省く、など)を施すにとどまる。

我が国における植物図の歴史

本項では、あまり注目されない我が国の植物画や植物図鑑の歴史を追っていく。

大和本草

日本の植物画の歴史は日本における植物図鑑の歴史と重なるといっても過言ではない。
日本でははるか昔から中国などの近隣諸国から薬草などを輸入し用いていた。薬になる植物や動物、鉱物をまとめて本草と呼び江戸時代初期からは本草学と呼ばれる学問が盛んになった。当時の本草学では利用用途により植物を分類していた。
日本人の手による最初の本草学の教科書と言える書物は江戸時代初期すなわち元禄の時代の医者の貝原益軒(1630~1714)の著した『大和本草』である。貝原は当時日本に渡来していた中国の明代の李時珍という学者が記した薬学の教科書『本草綱目』を参考に『大和本草』を世に出した。この書物は明治初期まで漢方医学の教科書として用いられ植物や動物などの効用を知るのには大いに役立ったが図版は収録された生物の一部のみが図版で説明されるのみでありしかも必ずしも正確ではなく想像に任せて描いたもの、幾度かの複写により線が薄れて不鮮明な図も少なくなかった。

アツモリソウの図。『大和本草』より。

本草図譜

やがて化政文化の頃になると江戸幕府旗本御家人にして本草学者である岩崎灌園(いわさきかんえん)(1786~1842)により『本草図譜』(全96巻)が世に出される。
岩崎はこれまでの本草学の教科書に載っている図が不鮮明であったりでたらめであることに不安を覚え、さらに視覚で薬草の特徴を掴むために図を拡大し着色した。描かれた植物の図の殆どは岩崎が自宅などで栽培した植物の模写である。また岩崎は蘭学が日本に大きな広がりを見せたことにも目をつけそれまでの本草学の教科書に書かれることがなかったポルトガル語での名前やオランダ語での名前を書き加えたりもした。外来植物の図の一部はドイツの植物学者のウェインマンの記した「花譜」「薬用植物図譜」を転写しているものもある。これらの図は岩崎の「東西世界のすべての薬草類の効用を日本に知らしめる」という岩崎の意志からのものだが当初は蘭学界の批判を多少受けたという。本書の図も現在の植物図鑑と比べると完全に正確とは言い難いものの美しい色彩と鋭い観察眼は眼を見張るものがあり、イラスト集としても楽しめる。
1921(大正9)年には巻末に学名と新たな解説をつけられた上で再出版され、多くの人が岩崎の図譜を知ることとなった。現在でも本書の図版の一部を抜粋し説明を加えたものが出版されている。

キクの図。『本草図譜』より。この図は大正時代の復刻版のものである。「洋菊」とあるので現在のポットマムと近いと思われる

カボチャ類の図。左はニホンカボチャの一種のキクザカボチャで食用になる。左はキントウガというペポカボチャの一種であり大型の果実は食用にならず観賞用とする。

毛利梅園の植物図譜

岩崎と同時期の学者に毛利梅園(1798~1851)がいる。彼もまた幕臣にして学者であり、生涯のうちに多くの写生画を残している。この頃になると博物図のたぐいは模写が多かったが梅園は実写にこだわりを持ち絵師でないにもかかわらず繊細な植物画や動物画を残している。
彼の植物に関する著書は代表的なものに「草木実譜」「梅園草木画譜」「梅園菌譜」がある。ただ、梅園の功績が知られるのは明治以降のことで生前は全くの無名に等しかった。

マリーゴールドとタムラソウの図。『梅園草木花譜』より。『梅園草木花譜』は春之部4冊、夏之部8冊、秋之部4冊、冬之部1冊の計17冊からなる合計約1400種類を収録した植物図譜である。この図譜が出版される頃にはヒマワリやアスパラガスなど西洋の園芸植物が多く日本に導入されており本書にも掲載されている

コショウとクチナシ、カキ(キザワシというのは木になったまま完熟し柔らかく甘くなった状態を言う。傷みやすくなっているため市場にはこうした状態で出回ることはない。)とブドウのそれぞれの果実の図。『草木実譜』より。『草木実譜』には果物や果菜、野草の果実や海藻などの図が収録されている

マツタケの図。『梅園菌譜』より。食用キノコや毒キノコの専門の図譜である

本草図説・遠西舶上画譜

他に岩崎と同時期の本草学者・高木春山(?~1852)により出版された『本草図説』がある。こちらは植物のみならず動物や鉱物などの彩色図版を収録したもので現在でいうところの生物百科事典であるが現在はオリジナルの手描きの図版が残っているのみである。平成初期にこの図版を元に解説を加えた書籍が販売されたが出版元が倒産し現在は絶版となっている。

ケシの図。『本草図説』より。現在は法律によりケシの栽培は規制されている*1が江戸時代には観賞用の花として花壇で普通に栽培され、戦前まで続いた
ペリー来航の一年前には岩崎と同じく幕臣であった馬場大介により『遠西舶上画譜』が出版され西洋の植物を中心に取り上げた図譜(ヒョウタンなど日本の植物も一部収録されている)で当時の日本人が初めて目にする園芸植物を簡易な説明とともに紹介するものであった。

トマトの図。『遠西舶上画譜』より。当時は青臭い匂いが強く観賞用とされ唐柿と呼ばれた

オクラの図。『遠西舶上画譜』より。当時は筆者も名を知らなかったためか「不詳」となっている。食用としての栽培が始まるのは明治以降。

草木図説

幕末になると信州の植物学者の飯沼慾斎(いいぬまよくさい)が『草木図説』を世に出す。この書物は今までの本草学の書物とは一線を画すものであった。構成としては『草部』20巻、『木部』10巻、『禾本・無花部』の全40巻からなる。
これまでの本草学の書物は食用や薬用など用途ごとに植物を羅列していたのであるが飯沼は西洋の植物学にならって学名や科名ごとに植物を整理しそれを書籍化した。オランダ名やラテン語名には読みやすいようふりがなが振られている。図版も葉脈や雄しべ雌しべの形状なども正確に描かれており、飯沼の顕微鏡を使った研究の賜である。この書物は当時としては最先端であり明治期になると2回にわたり増刷された。明治期から昭和期を生きた植物学者・牧野富太郎もこの書物の校訂に関わり新たに図を描き足したり学名を幾分か修正した。本来の図版は一部着色されていたが幾度かの増訂によりモノクロの線画となった。飯沼の生前に『草部』が出され『木部』が出版される前に飯沼が死去したため長らく日の目を見なかったが1977年に保育者より初めて出版された。『木部』の草稿(図版や解説の下書き)は現在国立国会図書館デジタルコレクションにて公開されている。
『禾本・無花部』は現在に至るまで未刊のままである。

ジャガイモ(ジャガタライモ)の図。『草木図説』より。

有用植物図説・千種之花

時代は明治へと変わり、新たな植物図鑑である『有用植物図説』が出版される。文明開化による日本の西洋化に植物図鑑も西洋化の波が押し寄せた。植物学者の田中芳男と小野職愨が解説を手掛け図版の版画は服部雪斎が担当した。図版は木版刷であるから江戸時代の浮世絵の名残りを感じさせるが学名や科名を明記するなど現在の植物図鑑の原型がほぼ出来上がりつつあったと言っても過言ではない。
「有用植物図説」より少し遅れて世に出されたのが絵師・幸野楳嶺(こうのばいれい)(1844~1894)による「千種之花(ちぐさのはな)」である。本書は季節ごとに植物を分類分けし、それぞれの植物の果実や花を描いている。彼は学者ではなかったが植物の精緻な特徴を見事に捉え描いており、多少くすんだ色合いではあるものの美しい着色を図版に施してもいる。
西洋化する日本において日本画の美しさを残した素晴らしい画集である。
明治後期以降の植物図鑑の歴史は内外植物原色大図鑑を参考にされたい。

柑橘類やハスの実、ヒシの図。『有用植物図説』より。現在でもハスの実は中国料理の1食材であるしヒシも果実を茹でて食用にする習慣が残る

マクワウリの図。『千種之花』より。おそらく果皮が緑色のギンマクワの系統とされる

書評

  • 昔植物のスケッチ書かされたなぁ(どうでもいい) -- 秋のななくさ(編集者) 2021-09-25 (土) 15:46:09
  • わぁ、凄い、上手。配色がとっても綺麗。 -- りんまり。 2021-09-26 (日) 16:48:29

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*1 あへん法により麻薬用のケシの栽培は違法となっている。ただしヒナゲシなど麻薬成分の殆どない品種は対象外