珍宝島

Last-modified: 2022-05-29 (日) 12:16:19

珍宝島(ロシア語: о́стров Дама́нский、ダマンスキー島)は、ウスリー川に浮かぶ面積0.74平方キロメートルの島である。現在は中国の領土として認められているが、1991年まではソ連が領有を主張していた。
ロシア時代に立てられたレンガ造りの建物がいくつか残るほかは、貴重な鳥類の生息地として、黒竜江省鎮宝島湿地国立自然保護区に属している。

歴史

1860年 北京条約においてウスリー川が清とロシア帝国の国境として定められた。しかし、この当時無名だった中州については明確に定義されなかった。

1888年 シベリア鉄道のルート策定のため、ウスリー川を船で下っていた技士兼旅行家のスタニラフ・ダマンスキーが遭難、死体がこの島の近くで発見された。それにちなみ、この島がダマンスキー島と命名された。また、シベリア地域の発展に伴い、ロシア帝国の実効支配の元、島の一部が農地として利用された。

1919年頃 川の国境線は、川の流れの真ん中に沿って引かれるべきだという原則が定まったが、中州や、植民地支配など非対称的な力関係が働いている場合に対しては例外とされた。

1964年 中国とソ連の国境に関する協議が始まったが、成果はなかった。このころから、両国がこの川沿いに数千人単位の国境警備隊員を配備し始める。

1969年 この島で軍事紛争が起きる。(詳しくは後述)同年、停戦。

1991年 この島が中国に属することが確認される。

2004~2008年 中露の国境が完全に確定する。

軍事紛争

1969年3月2日、中国側の舞台がソ連の国境警備隊を奇襲、戦闘が始まった。砲兵が支援する人民解放軍の二個歩兵小隊と、6台のBTP-60に支援された60人のソ連兵は苛烈な銃撃戦を繰り広げた。同日中に、ソ連は兵士と戦車を増派するなど、徹底抗戦する構えを見せたが、決着がつかぬまま戦闘が終わった。

3月15日、人民解放軍は900人の精鋭部隊をもって再び島を攻撃した。波状攻撃によってソ連側の戦車や装甲車10台近くを破壊し、島全体を占拠した。これに対し、ソビエトの内地にまで中国軍が侵攻してくるのを恐れたソ連軍は、機密とされていた最新型のBM-21を36回も出撃させて反撃。弾薬一万発を消費して中国側の補給拠点を壊滅させた。

3月21日、海軍の支援を得ながら、川にうち捨てられていたT-62を中国が鹵獲。その成果は69式戦車に生かされることになった。
この後も、アムール川の中州や新疆の高原地帯で中ソの小競り合いが発生した。
両軍は再び戦闘が起きることを警戒して、合計で100万人もの兵士を動員した。

9月2日、東側陣営の一員である北ベトナムの、ホーチミン主席が亡くなる。その葬儀に際し、中ソの首脳が北ベトナムのハノイで会談。協議の結果、戦闘は停止された。

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