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目斗(海防艦)

Last-modified: 2019-05-01 (水) 16:33:02

目斗(もくと)は日本海軍の海防艦、日振型海防艦の8番艦である。
目斗.jpg

昭和20年2月に大阪湾で撮影されたと推定される「目斗」*1
基準排水量全長全幅吃水主機関
940トン78.77m9.1m3.05m艦本式22号10型ディーゼル2基2軸
出力速力航続距離乗員
4200馬力19.5ノット5000浬/16ノット150名
 
起工1944年11月5日
進水1945年1月7日
竣工1945年2月19日
最期1945年4月4日触雷沈没
除籍1945年5月5日
 
兵装
45口径12cm連装高角砲1基
45口径12cm単装高角砲1基
25mm3連装機銃2基
九四式爆雷投射機3基(推定)
爆雷投下軌条2基
爆雷120個
レーダー
22号電探
ソナー
九三式水中聴音機1基
三式水中探信儀1基

 





概要 Edit

「目斗」は大日本帝国海軍が第二次世界大戦において運用した日振型海防艦の一隻で、日振型は主に南方航路(東南アジア~日本)の輸送船護衛に用いられた。
「目斗」もその例に漏れず南方航路での護衛に従事する...はずだった
艦名は台湾澎湖諸島の目斗嶼から採られている。

艦歴 Edit

1944年11月5日に起工、この時の仮称艦名は第5262號艦だった、しかし同日には目斗と命名される。
そして種別海防艦、艦型が御藏型*2に制定され
仮指定ではあるが佐世保鎮守府に本籍を置き着々と軍艦としての準備が整い始めた。

1945年1月5日艤装員長に海軍少佐の長橋喜間太氏が任命された。

1945年2月19日に日立造船株式會社櫻島造船所*3にて竣工し、晴れて正式に佐世保鎮守府が本籍となり、艦長に長橋喜間太氏が任命された。
しかし所属は呉鎮守府部隊呉防備戦隊だった。

1945年4月4日沈没した
...原因は機雷だった
このとき既に日本軍はぼろぼろで爆撃機の侵入を許すなど本土上空も既に危険な状況だった、米軍はそんな日本にとどめを刺すべく飢餓作戦と称し航空機での機雷投下を実施し、神戸港等の重要港や交通量の多い海峡といった海峡に機雷を投下しまくった。

そんな折に目斗は関門海峡を航行中に運悪く機雷に触れてしまい損傷、そのまま沈没してしまった。
悲しいかな、僅か45日の生涯、結局南方航路はおろか太平洋や日本海といった日本近海に進出することも叶わなかった。

45日で沈没は海防艦の中では三番目に短い*4

よく写真残ってたなと思う

関連項目 Edit

軍用艦一覧
第七十三号海防艦・・・完成後12日で沈没
六連(海防艦)・・・完成後34日で沈没

  • 日振型海防艦?
    • 日振?
    • 大東?
    • 昭南?
    • 久米
    • 生名?
    • 四阪?
    • 崎戸?
    • 目斗
    • 波太
    • 大津(未完成)
    • 友知(未完成)

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Tag: 軍事 海軍 海防艦






*1 写真出典 世界の艦船2017年12月号増刊日本海軍護衛艦艇史19P
*2 書類上日振型は存在せず日振型の艦たちは書類上御蔵型とされた。
*3 現在はユニバーサルスタジオジャパン
*4 最も短命だったのは第73号海防艦の12日間、二番目に短いのは六連で34日間