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第一号海防艦

Last-modified: 2019-04-24 (水) 20:54:51

第一号海防艦*1は日本海軍の海防艦、丙型海防艦の1番艦である。

竣工直後の第一号海防艦.jpg

神戸沖にて撮影された呉へ向け出港直前の第一号海防艦
(1944年3月1日)
基準排水量全幅吃水主機関
745トン8.4m2.9m艦本式23号乙8型ディーゼル2基
出力速力燃料搭載量航続距離乗員
1900馬力16.5ノット重油106トン6500浬/14ノット123名
 
起工1943年9月15日
進水1943年12月29日
竣工1944年2月29日
最期1945年4月6日被爆沈没
除籍1945年5月25日
 
兵装(計画時)
45口径12cm単装高角砲2基
25mm3連装機銃2基
三式爆雷投射機12基
爆雷投下軌条1基
九五式爆雷120個
ソナー
九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
レーダー
22号電探




概要 Edit

第一号海防艦は第二次世界大戦中に建造された海防艦でこれ以降の海防艦は全て番号となる。

第一号は建艦献金の一部を建造費に充てて建造されたため報道宣伝等では「報國第一號海防艦」と呼ばれることもあった。

第一号海防艦 艦尾.jpg

上記の撮影直後に撮られた写真、あまり撮られない艦尾の様子が分かる。

艦歴 Edit

1943年9月15日に三菱造船株式会社神戸造船所にて起工する、この時の仮称艦名は第2401號艦であった。
1943年12月22日に「第一號海防艦」と命名、第一號型に類別されて晴れてネームシップとなった。まあ丙型海防艦って名前のほうが通りは良いけれど
ついでに本籍は呉鎮守府と仮定された。

長いので以降この艦は「第一号」と記載する。

1943年12月29日進水する、このときの様子が映像に納められており今でも閲覧可能である。

1944年1月25日に造船所内に艤装員事務所が設置され事務作業が始まる。
1944年1月30日艤装員長に海軍少佐の海老原義一郎氏が任命される。
1944年2月29日竣工、事務所が撤去されて正式に警備海防艦として呉鎮守府所属となった。
初代艦長には艤装員長だった海老原義一郎氏が任命された。
1944年2月29日に呉鎮守府部隊呉防備戦隊配備され翌月20日に海上護衛総司令部第一海上護衛隊に配備される。

1944年4月5日テ03船団を門司から高雄(台湾)まで護衛する、その後高雄から出航するタサ17船団を途中まで護衛、4月25日楡林(中国)に入港する。
4月30日テ03船団を護衛し楡林から高雄まで護衛する、途中対潜掃蕩を行っている。
その後5月19日までは高雄~楡林を往復する日々が続いた。

5月19日楡林から昭南*2までホ01船団の護衛をした。
その後10日ほど昭南島近海での船団護衛に従事する。

1944年6月3日に昭南からマニラ(フィリピン)に向けて出航するホ02船団の護衛につく、しかし同じく護衛についていた第十五号海防艦が潜水艦からの攻撃を受けて沈没するという悲劇に見舞われたものの船団は無事にマニラに到着した。

その後マニラから高雄に向けての船団護衛をし、6月20日ホ02船団を護衛して高雄を出港、目的地は日本の門司だった。
しかし6月24日23時54分護衛の努力も虚しく陸軍徴傭船*3「玉鉾丸」、海軍配当船*4「那須山丸」「建日丸」「臺南丸」の四隻が潜水艦からの攻撃で沈没してしまった。第一号は敵潜水艦を攻撃するものの手ごたえは無く翌々日門司港に到着した。

その後呉にて整備作業に入り9月初頭まで整備と本土~高雄~マニラの船団護衛に従事した。

1944年9月5日に海上護衛総司令部第一海上護衛隊第十一海防隊配備*5となった。

1944年9月8日に東港(台湾)からラポッグ(フィリピン)に向けて出航した、途中潜水艦からの攻撃で徴用船の「豐岡丸」「滿洲丸」を失う被害があったもののラポッグに到着、9月空襲に見舞われて護衛していた船が沈没するなどの被害を出しつつおおむねフィリピン付近で活動した。

タモ26船団を護衛して10月6日門司に到着した。
門司に到着するのと同じタイミングで艦長が変わり*6有馬國夫氏が艦長に就任した。
その後佐世保で修理と整備をしてモマ06船団の護衛のため1944年10月12日に門司を出航し高雄に向かうが「御影丸」が被雷沈没、「月山丸」被雷中破という被害を被りつつ高雄に到着した。

1944年11月1日にモマ06船団を護衛するために高雄を出航、一隻の損失もなく11月9日マニラに到着した。休む間もなく1944年11月12日にマタ32船団をマニラから高雄まで護衛、出航してから二日後同じく護衛についていた第五号海防艦が潜水艦の攻撃で被雷する、その後10分もしない内に海軍配当船の「第五雲海丸」が同じく被雷沈没してしまう。潜水艦の攻撃は止まず第五雲海丸が攻撃を受けてから丁度二時間後には運送艦「鞍埼」が被雷沈没した。
そして追い討ちをかけるように日付が変わった頃第五号海防艦は力尽き沈没した。
悲惨なまでの被害を出してはいるが第一号自体に損傷は無く更に二日後に高雄に到着した。

その後年末年始にかけてフィリピンと中国近海の護衛任務に従事した。

年は変わって第一号は1945年の1月24日から2月4日まで呉で修理と整備をした。
整備後門司に向かいそこから昭南に向かうヒ97船団の護衛を務め、2月20日無事に到着した。
2月24日に昭南を出航し船団と合流、護衛をして3月3日聖雀*7に到着した。
同日アメリカの襲撃を避けて大陸沿いに中国へと向かうために出航、途中「ぱれんばん丸」と「良栄丸」が沈没して護衛対象を失うという悲劇な遭いながらも3月12日に楡林に到着した。

3月25日ナトラン(ベトナム中部)に在泊しているヒ88J船団に合流するために出航、3月27日無事にナトランに到着する。

3月28日第一号はヒ88J船団を護衛して出港した。

編成は「海興丸」「阿蘇川丸」「鳳南丸*8
三隻の輸送船に対し護衛艦艇が海防艦が満珠?第十八号海防艦?第二十六号海防艦?第八十四号海防艦?第百三十号海防艦?第百三十四号海防艦?(旗艦)

その他駆逐艦天津風?*9、駆潜艇の第九号駆潜艇?第二十号駆潜艇?と日本海軍にしては大規模なものだった。

しかしナトランを出港して僅か二時間半後にはアメリカ軍の空襲が始まり阿蘇川丸が撃沈された、空襲が終わったのもつかの間すぐに潜水艦による攻撃が始まり鳳南丸が被雷し擱坐*10、護衛艦艇は沈没した船の乗り組み員の救助や対潜掃蕩に奔走した。

3月29日船は生き残ったたった一隻の海興丸の周囲をぐるりと囲うようにして北上を続けたが潜水艦からの攻撃で第八十四号が被雷、大爆発を起こして瞬時に沈没、正午にはまた空襲に遭い唯一生き残った海興丸と第十八号と第百三十号が沈没してしまった。あーもうめちゃくちゃだよ

夜間になってもアメリカ軍の空襲は続き第百三十四号が損傷した。

3月30日三亜(中国)に到着するもすぐに空襲に遭い第二十六号が損傷した。

幸い第一号は致命的な損傷を受けることなく三亜に到着その後損傷した第二十六号以外の護衛艦艇は香港に移動した。
香港に到着するも安息など無く空襲が繰り返される中出航準備をして4月4日夕方にホモ03船団を護衛し香港を出港した。

ホモ03船団の編成は香港で合流した「第2東海丸」と「甲子丸」
護衛艦艇は生き残りの駆逐艦天津風、第百三十号海防艦(旗艦)、第九号駆潜艇、第二十号駆潜艇、そして第一号だった。*11

の面々で一路門司を目指した。

しかし翌日5日未明から空襲が始まり午前3時には第2東海丸が沈没、午後3時にも空襲に遭い甲子丸が損傷したところから浸水して沈没、早くも護衛対象を失う結果となった。

駆潜艇は沈没した二隻の乗組員を救助したあと香港へと引き返していった。

ここにいたるまで第一号は大きな損傷も無く第百三十四号と共に航行を続けた。*12

なんだかんだで生き残ってきた第一号だったがついにアメリカ軍が第一号に牙を剥いた、アメリカ陸軍航空隊B-25?の空襲が始まり第一号は応戦するも被爆、横転し沈没、漂流していた乗組員に対しても攻撃が加えられた、負傷者20名が救助されたが何れも負傷が原因で病院で息を引き取った。

艦長有馬國夫少佐以下乗員155名全員が戦死するという壮絶な最期だった。
総員戦死のため最期はあまり明らかではない。

1945年5月25日除籍

2012年に厦門沖から艦の残骸が発見され、中国の当局はサルベージを禁止するとともに無断で引き上げられた30トンあまりの残骸を差し押さえて文化財として保護している。遺留物の砲弾薬莢や名札の人名などから残骸は第一号はないかとされている。

最期について Edit

総員戦死のため第一号の最期の詳細は分からないがアメリカ軍によって最期の様子を写した写真が残っている。
第一号海防艦.jpg

激しい空襲の最中必死に応戦する第一号

第一号海防艦被弾.jpg

被爆した瞬間の第一号

第一号海防艦沈没.jpg

横転し沈みゆく第一号、船体にしがみつく乗組員と周囲を漂流する乗組員が確認できる。

関連項目 Edit

軍用艦一覧
第五号海防艦・・・報國第二號海防艦
第八号海防艦?・・・報國第三號海防艦

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Tag: 軍事 海軍 海防艦






*1 本来の表記は第一號海防艦
*2 当時日本がシンガポールを占領していたので日本が昭南と名付けた
*3 陸軍が運用する民間の船のこと
*4 海軍が運用する民間の船のこと
*5 第一号以外には第三号海防艦、第五号海防艦、第七号海防艦がいた
*6 海老原義一郎氏は喀血で入院してしまった
*7 ベトナム南部現在はブンタウという名前になってる
*8 鳳南丸はイギリス船のウォー・サンダーを拿捕したもの
*9 船体の四割を失う大損害を受け応急の修理がなされてはいるが護衛対象に一時指定されるほどアテにされていなかった
*10 わざと座礁して沈没を防ぐこと
*11 満珠は出港準備中に空襲により大破し行動不能に陥ってしまった
*12 天津風は速度が出ず取り残されていった