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第二百十五号海防艦

Last-modified: 2019-05-01 (水) 16:35:22

第二百十五号海防艦*1は日本海軍の海防艦、丙型海防艦*2の51番艦である。

第二百十五号海防艦.jpg

1944年12月30日竣工後即日呉に向かうところを撮影された第二百十五号海防艦*3
基準排水量全長全幅吃水主機
745トン67.5m8.4m2.9m艦本式23号乙ディーゼル2基2軸
出力速力燃料搭載量航続距離乗員
1900馬力16.5ノット重油106トン6500浬/14ノット125名
 
起工1944年7月20日
進水1944年11月10日
竣工1944年12月30日
除籍(日本海軍)1945年10月5日
除籍(復員庁)1947年7月16日*4
 
兵装(計画時)
45口径12cm単装高角砲2基
25mm3連装機銃2基
三式爆雷投射機12基
爆雷投下軌条1基
九五式爆雷120個
ソナー
九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
レーダー
22号電探




艦歴 Edit

竣工まで Edit

1944年新潟鐵工所新潟工場*5にて起工、仮称は第2508號艦だった。
9月1日第一号型第二百十五号海防艦と命名され本籍が佐世保鎮守府と仮定される。
11月5日艤装員事務所を工場内に設置し事務作業が始まる。
11月10日進水する。
11月25日艤装員長に海軍少佐の斎木功氏が着任する。
12月30日竣工、艤装員事務所が撤去され警備海防艦として正式に佐世保鎮守府が本籍となる。
艦長には艤装員長だった斎木功氏が着任し呉鎮守府部隊呉防備戦隊に編入される。

竣工後 Edit

1945年2月26日佐世保鎮守府部隊に編入される。
3月27日鎮海警備府電令作第15号:第百三戦隊司令官の指揮下にりしばらく佐世保と朝鮮半島周辺で活動する。
3月*6に佐世保を出港、3月30日午前8時48分左主機故障修理のため巨文島*7に停泊、翌日荷衣島*8
7月14日函館港内でアメリカ空母艦載機の攻撃を受け損傷、翌日北海道の福島沖にてまたもアメリカ艦載機の攻撃を受け損傷した。

8月5日大湊警備府部隊第二十三海防隊に編入される、
8月15日青森県大湊にて終戦を迎える。

10月5日除籍
12月1日特別輸送艦として入籍、以後復員任務*9に従事する。
12月20日艦名を海第二百十五號に改称する。

1947年7月6日もしくは16日に除籍、同日中華民国に賠償艦として引き渡され遼海と改称する。

その後中共内戦に参加、1949年に台湾に脱出、1955年*10頃退役したと思われる。

第二百十五号海防艦 基隆.jpg
基隆(きいるん)にて撮影されたといわれる第二百十五号海防艦

関連項目 Edit

軍用艦一覧

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Tag: 軍事 海軍 海防艦






*1 本来の表記は第二百十五號海防艦
*2 正確には第一号艦型海防艦
*3 写真出典 世界の艦船2017年12月号増刊日本海軍護衛艦艇史35P
*4 7月16日という記述もある
*5 現在の新潟市
*6 日付は分からない
*7 朝鮮半島南部の島
*8 朝鮮半島南西部の島
*9 海外に残留する日本人を国内に帰還させること
*10 1960年に除籍とも言われる