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第五号海防艦

Last-modified: 2019-04-24 (水) 20:55:37

第五号海防艦*1は日本海軍の海防艦、丙型海防艦*2の3番艦である。

第五号海防艦.jpg

1944年3月に東京湾にて撮影されたと推定される第五号海防艦
基準排水量全長全幅吃水主機
745トン67.5m8.4m2.9m艦本式23号乙ディーゼル2基2軸
出力速力燃料搭載量航続距離乗員
1900馬力16.5ノット重油106トン6500浬/14ノット125名
 
起工1943年10月23日
進水1944年1月15日
竣工1944年3月19日
最期1944年9月21日被爆沈没
除籍1945年5月25日
 
兵装(計画時)
45口径12cm単装高角砲2基
25mm3連装機銃2基
三式爆雷投射機12基
爆雷投下軌条1基
九五式爆雷120個
ソナー
九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
レーダー
22号電探




概要 Edit

第五号海防艦は第二次世界大戦中に建造した海防艦の一隻で輸送船の護衛中に空襲に遭い撃沈された。
建造にあたり献金の一部を建造費用に充てたため非公式に報國第二號海防艦とも呼ばれた。

艦歴 Edit

1943年10月23日鶴見造船所にて起工、仮称は第2403號艦だった。
12月22日第一号型の第五号海防艦と命名され本籍が呉鎮守府と仮定される。
12月29日対外的には報国第二号海防艦と呼称されることが決まる。

1944年1月15日進水する。
1月30日艤装員長に海軍少佐の桐山勝三氏が任命される。
2月1日艤装員事務所が日本鋼管株式會社鶴見造船所内に設置され事務作業が始まる。
3月19日めでたく竣工、艤装員事務所が撤去される。
同日警備海防艦として正式に呉鎮守府が本籍となり呉鎮守府部隊呉防備戦隊に編入、艦長は艤装員長だった桐山勝三氏が任命される。

4月11日海上護衛総司令部第一海上護衛隊に編入される。
4月13日から4月22日まで第五号海防艦は呉海軍工廠に入渠して船体と機関整備を行う。

4月23日輸送船を護衛するために門司に移動する。
5月3日11隻の輸送船からなるヒ61船団を護衛して門司を出港する、5月8日にあかね丸が攻撃を受けて小破、第七号海防艦?と共に敵潜水艦を制圧しつつ一隻の損失も無く経由地のマニラに5月10日到着した。

5月12日ヒ61船団を護衛してマニラを出港、17日無事にシンガポールに到着した。

5月23日8隻の輸送船からなるヒ62船団を護衛してシンガポールを出港、しかし28日に神鳳丸が機関故障を起こしてしまう。
第五号海防艦、第七号海防艦、第十三号海防艦?は神鳳丸に付き添うことなり船団から分離、船団本体から一日遅れたものの30日に無事にマニラに到着した。

6月1日引き続きヒ62船団を護衛してマニラを出港、船団は6月8日無事に門司に到着した。
6月10日から6月18日まで第五号海防艦は佐世保海軍工廠に入渠し電波探信儀の設置工事を行った。

6月22日ヒ67船団を護衛して六連*3を出発、しかし6月29日にみりい丸とさらわく丸が攻撃を受けて小破してしまい第五号海防艦は対潜戦闘を行ったが戦果は無かった、しかしこの戦闘で第五号海防艦はスクリューとプロペラシャフトを損傷してしまった。
航行には支障はなかったのでそのまま護衛を続行、30日無事にマニラに到着した。
その後マニラ対岸のキャビテに移動、7月7日から8月2日までキャビテの第百三海軍工作部に入渠して修理を行った。

修理完了後に8月8日と8月9日はマニラ湾口にて対潜掃蕩に従事した。
8月12日24隻の輸送船からなるマタ26船団を護衛してマニラを出発、しかし翌日に武津丸が潜水艦からの攻撃で沈没、8月16日あさか丸を救難した。
8月17日に台湾の基隆に到着した。

8月20日14隻の輸送船からなるタモ23船団を護衛して基隆を出港、8月22日にアメリカ潜水艦のピンタド?(USS Pintado, SS-387)からの攻撃で第二圖南丸が沈没してしまったものの船団は六連沖に到着、第五号海防艦は同地にて船団から分離し佐世保に移動の後に8月27日から8月29日まで佐世保工廠にて機関整備や上部艦橋指揮官用八糎高角双眼望遠鏡防震装置の改装工事を行った。

8月31日第一号海防艦第三号海防艦?、そして第五号海防艦はモタ25船団を護衛して寺島水道*4を出発して無事に基隆に到着、3隻はその後高雄に移動した。

9月5日海上護衛総司令部第一海上護衛隊第十一海防隊に編入される。
同日第七号海防艦を加えた4隻は11隻の輸送船からなるタマ25船団を護衛して高雄を出港した。
しかし翌日東港*5沖にて永治丸が損傷*6して沈没してしまう。
船団は一旦東港に退避、8日に再び出港するも翌日豊岡丸と満州丸がアメリカ潜水艦のクイーンフィッシュ?(USS Queenfish, SS-393) に撃沈されてしまった。
この事態を受けて9月10日にルソン島北西のラポック湾に退避した。

翌日ラポック湾を出港したがフィリピン南部がアメリカ軍の攻撃を受けていると言う一報を受けてマニラ近郊のスービック湾にて一旦停泊、その後退避の為に北上してサンタクルスに退避した。
アメリカ軍による攻撃が終わったため船団は出港して9月18日にマニラに到着した。

9月20日に6隻の輸送船からなるマタ27A船団を護衛してマニラを出港した。
しかし翌日の9月21日スービック湾の沖でアメリカ軍の艦載機*7からの攻撃を受ける、この攻撃で豊橋丸が沈没、スラカルタ丸が小破、第一小倉丸が大破してしまう。

第五号海防艦は必死の対空戦闘を行ったが爆撃で炎上、21日の19時に搭載していた爆雷が誘爆し沈没、桐山艦長以下10名が戦死、更に7名が収容された艦上で死亡した。

1945年5月25日 除籍された。

関連項目 Edit

軍用艦一覧
第一号海防艦・・・報國第一號海防艦
第八号海防艦?・・・報國第三號海防艦

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Tag: 軍事 海軍 海防艦






*1 本来の表記は第五號海防艦
*2 正確には第一号艦型海防艦
*3 山口県西部の島
*4 現在の長崎県西海市
*5 高雄の南
*6 潜水艦もしくは機雷による損傷
*7 第38任務部隊