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羽節(海防艦)

Last-modified: 2019-04-29 (月) 01:32:28

羽節(はぶし)*1とは大日本帝国海軍の海防艦、鵜来型海防艦*2の内の一隻である。
鵜来型海防艦.jpg

写真は同型艦の宇久
基準排水量全長全幅吃水主機関
940トン78.77m9.1m3.06m艦本式22号10型ディーゼル2基2軸
出力速力航続距離乗員燃料搭載量
4200馬力19.5ノット5000浬/16ノット150名重油120トン
 
起工1944年8月20日
進水1944年11月20日
竣工1945年1月10日
除籍(日本海軍)1945年10月5日
除籍(復員庁)1947年9月6日
 
兵装(計画時)
45口径12cm連装高角砲1基
45口径12cm単装高角砲1基
25mm三連装機銃2基
九四式爆雷投射機2基
爆雷投下軌条2基
九五式爆雷120個
ソナー
九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀2基
レーダー
22号電探1基




概要 Edit

羽節は鵜来型海防艦の一隻で戦争末期の厳しい情勢の最中に竣工した。
艦名は香川県?備讃瀬戸に位置している羽節岩から採られている。海防艦は通常島名か後半建造された艦は番号だが、羽節は珍しくから採られている。

艦歴 Edit

竣工まで Edit

1944年8月20日に玉野造船所*3にて起工、仮称は第4702號艦だった。
1944年9月1日鵜来型に類別、羽節と命名され本籍を呉鎮守府と仮定される。
1944年11月15日艤装員長に海軍少佐の松島稔氏が任命される。
1944年11月20日進水、艤装員事務所を造船所の兵舎内に設置し事務作業が始まる。
1945年1月10日竣工、警備海防艦として正式に呉鎮守府が本籍となり艦長に艤装員長だった松島稔氏が任命される。
同日呉鎮守府部隊呉防備戦隊に配備された。

竣工後 Edit

1945年2月20日海上護衛総司令部第一護衛艦隊に転属となる。
1945年2月26日モタ39船団を護衛して門司を出発、3月4日に泗礁山*4に無事到着し3月9日台湾の基隆(きいるん)に損害もなく到着した。

1945年3月14日タモ48船団を護衛して基隆を出港、3月17日に舟山*5に到着、3月21日に巨済島*6に到着、翌日下関に無事到着した。

1945年3月25日門司を出港しての哨戒任務に当たる。
3月31日霧の中を航行中に敵潜水艦を探知、二時間ほどの間をおいて爆雷を4~18個投射するも敵潜水艦の撃沈にはいたらなかった*7

1945年4月にはいって敵潜水艦を発見したという通報があり、羽節も急行し対潜掃蕩に加わった。

4月5日海防艦対馬?の指揮下に入り、宇久第八号海防艦?第三十二号海防艦?とともに警戒にあたった、後から沖縄第八十二号海防艦?第百四号海防艦?第八十一号海防艦?第四十一号海防艦?が加わり大規模な対潜掃蕩を行ったが、沖縄、第八号海防艦、第三十二号海防艦が潜水艦を沈めたかもという結果だった。*8

どちらにせよ羽節は手ごたえもなく4月8日に上海に入港した。
1945年4月25日海上護衛総司令部第一護衛艦隊第百三戦隊所属となり7月10日聯合艦隊第七艦隊第百三戦隊に転入、その後終戦を迎えた。

1945年8月26日第一予備海防艦に指定
1945年10月5日海軍から除籍、12月1日に特別輸送艦(復員船)として入籍し復員任務*9に従事した。

1946年9月5日特別保管艦に指定
1947年9月6日除籍、同日賠償艦としてアメリカに引渡しするもすぐに日本国内に売却、同年9月~10月13日にかけて播磨造船所呉船渠にて解体された。

時期が時期だけに武勲には恵まれなかったが沈没することも大きな損傷を負う事もなく復員任務を全うできたことは幸運だったかもしれない。

関連項目 Edit

軍用艦一覧

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Tag: 軍事 海軍 海防艦






*1 当時の表記は羽節
*2 当時の表記は海來型海防艦
*3 現在の岡山県玉野市にある
*4 上海対岸にある島
*5 先述の泗礁山の南に位置する群島
*6 対馬北西にある現韓国領の島
*7 そもそも敵潜水艦が実際にいたかすら怪しい
*8 この時期この海域で米潜水艦スヌークが行方不明になっているが別の日に航空機によって撃沈された可能性も否定できない
*9 国外の兵士や民間人を国内に帰還させること