64DD

Last-modified: 2021-12-18 (土) 00:12:15

64DDとは、任天堂が発売したNINTENDO64の周辺機器。

 
 

任天堂の謎ゲーム機その3

 

そして良くも悪くも空気だったその1その2とは異なり、本機は任天堂全体に大ダメージを与えた超・問題児である。

概要

本機の機能は主に以下の2つ。

フロッピーディスク読み取り

まずは、フロッピーディスクの読み取り機能である。
そもそもDDって何だよという話だが、これはディスクドライブの略なのだ。

と、この時点でゲーム機の歴史に詳しい人は何かを思い出したかもしれない。そう、やってる事はかのファミコンのディスクシステムとそっくりなのである。
実際にフロッピーディスクに対応する目的の一つはディスクシステム同様の「カセットでは不可能な大容量ゲームソフトで遊べるようにする」というものであったから、64版ディスクシステムという側面があったのは間違いない。

だが容量問題の解決だけではない。なんと任天堂、このフロッピーディスクとカセットを同時に接続させる事で、新ステージの追加販売など現在のDLCに相当するシステムを導入させようとしていた。
ちなみにまだ1990年代の話である。先見の明があると言うべきか。

 

だが64DDには、それ以上に革新的な機能が備わっていた!

ネット接続

……はい。読んで字の如く、ネット接続機能が付いていた。
ちなみにまだ1990年代の話である。先見の明ありスギィ。

とはいえ、1990年11月3日のメガドライブの時点でハードをネット接続させる周辺機器は存在している。なお、「あの」固定電話回線の時代に(みかかとか)、株価とか見てどうすんの?という先見の明あるのかないのか分からない感じだった。

...64DDのネット接続における内容としては、「ランドネット」という付属ソフトを使用する事により、ブラウザ閲覧や64DDユーザー専用BBSの利用、一部ゲームソフトの交流機能(当時はまだ本格的なネトゲは無かったので投稿系のもののみだった)が可能だった。
ちなみにBBSはマナーが悪い利用者がいた為、後に一部機能が制限されたというまるで後のMiiverseみん活廃止事件である

 
 

ああ、なんて夢のある構想の数々!

 
 
 

でも現実は残酷だった。(デデドン!)

大失敗!

結論を先に述べよう。
上記の構想の殆どは実 現 し ま せ ん で し た(絶望)

 

一体何がいけなかったのかと言うと、もはや「全て」としか表現しようが無い。

 

特に大きかったのは発売の大幅な遅延である。
本機は64本体に多少遅れて発売される予定だったのだが、開発が遅れに遅れてしまった結果、実際に発売されたのはなんと本体から3年半遅れの1999年末であった。

そして、その間に64自体を取り巻く環境が著しく悪化していた。
何故なら、最大のライバルであるPlayStationの側ではメガヒット作が出まくっていたのに対して、64側はマリオ64等の名作を輩出こそしたが中々ソフトの数が揃わず、結果的に本体の売り上げもPSを大きく下回ってしまったからである。

肝心の本体が苦戦してしまっては元も子もない。
しかもソニーが超高性能な新ハードを開発中という噂まであった。(勿論後のPS2の事である)そんな状況下ではもはやDDを捨てて本体の立て直しに注力せざるを得なかった。

 

さらにようやく発売してみてもアフターケアまでgdgdであった。
そもそも販売形態がまさかの通販限定であり、子供も大人もおねーさんも手出ししづらい代物と化してしまったのである。
敷居が高くて遊んでもらえないという点は、残念ながらサテラビューの反省が生かされない結果となってしまった。*1加えてネット部門の運営の質もお世辞にも上手では無かったらしい。

 
 
 

そんな64DD、最終的な売り上げ台数は驚異の15000台に留まってしまった。
開発当初の力の入りようを考えると、余計に深刻さが増す。

代償

これだけでも悲惨だが、被害はそれだけに留まらない。
というのも、64のソフトには当初64DDの活用を完全に前提条件として企画or開発されていたものが多かったのである。
それらは当然何らかの修正が加えられたが、中には開発自体が中止になってしまったものも存在する。しかもたくさん。

中でも有名なものを2つ挙げよう。

 
 

……ん?って思ったそこのキミは正しい。
そうこの2本、あろうことか最終的にプレステに移籍して発売されてしまった。
つまり64DDの失敗は、ファミコンやスーファミを支えた日本を代表する大作RPGシリーズの双璧が、両方ともPSに移動するという最悪の事態を招いてしまったのである。
このうちFFの方は64DD以外にも様々な要因が絡み合った泥沼な案件らしいのでなんとも言えないが、ともかく一因となったのは事実であろう。

他に、任天堂自社ではMOTHER3も有名。こちらはほぼ全面的な作り直しを経て6年後の2006年にGBAで発売されたが、リュカくんはそれまで6年間もデビューをお預けにされてしまった。

 

意外な所ではネットサービス関連でも影響があった。
64DDの失敗を重く見た任天堂は、次世代のゲームキューブでは一転してネット関連に消極的になった。結果、それまで温めていたネットを使った遊びの開発が停滞した。*2

GCのさらに次のWiiで再び本格的なオンラインサービスに挑戦するが、その頃にはPS3やXBOXにオンラインのクオリティで先を越されてしまっていた。

経営判断としてはGCでネットを断念するのはやむを得ない事だったかもしれないが、もし64DDが成功してノウハウを蓄積した任天堂がネットを使った面白い遊びを出しまくっていたら……なんて今更考えても仕方ないのだが。

せめてもの救い

さて、これほどの失敗なら、さぞかし経営面のダメージも大きかっただろう…と思いきや、実際にはなんだかんだでなんとかなった。

なぜかって?それはポケモンフィーバーが同時期にあったからである。
無名の弱小開発メーカーでしかなかったゲーフリが突然生み出したこの神ゲーにより、マリオに匹敵する人気シリーズが思いがけない所から誕生しただけでなく、それまでオワコン化していたゲームボーイ自体が息を吹き返し、携帯機の市場自体が活性化しだしたのだ。

これらによって収益の面では64の不振をカバーし、経営危機に陥るような事態は回避する事が出来たという。

最後に

2020年代。Nintendo Switchが大ブームを起こしたり、数々の名作ゲームを発売したりと、任天堂は絶好調である。
だがその裏には、このように大きなやらかしをしてしまった歴史もあるのだ。

64DDの失敗の後も任天堂は諦めず、数年後にはWiiニンテンドーDSという斬新なゲーム機で再びブレイクした。その後今度はソシャゲに押されて大苦戦してもやはり諦めず、Switchを開発してみたび復活を遂げてみせた。

この不屈の精神こそが、任天堂の本当の強さなのかもしれない。

関連項目

コメント

  • 圧倒的記事不足です。有識者編集希望。 -- 2021-12-05 (日) 18:26:16
  • SCEのサード囲いもすごかったが岩田聡をもってして開発に苦い思い出がある64自体にも問題があると思う。業績的には携帯機とピカ様が稼いでたしDDが会社を傾けたわけでもない -- 2021-12-14 (火) 22:28:32
  • 難癖つけといて傍観はセコいと思ったので色々足しといた -- 2021-12-16 (木) 23:18:17
  • 何このクソ記事。64DDは磁気ディスクであってフロッピーじゃないんだが…(トップに出てくる日経記事は発売前の誤報)。DQ7もFF7も64DDで出そうとしてたってソースは無い(前者は別wikiがわかりやすい反論を書いてる)し、アフターケアはむしろ気前良かった(当初レンタル品だったのを返却不要にしてくれた)し、これ書いた奴って人の失敗を笑いたいだけでロクにソースとか調べてねぇだろ。痛すぎる。 -- 2021-12-17 (金) 13:31:58
  • PS対SS無視して失敗とか言うから疑問符だったけどマジかよ...爆破解体しろ -- 2021-12-18 (土) 00:12:15

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Tag: 任天堂 NINTENDO64 ニンテンドウ64


*1 ただ、社外まで巻き込んだ複雑な大人の事情によって通販になってしまったという話もあり、ハッキリ言ってかなり複雑
*2 申し訳程度にLAN端子は付いているがほぼ活用されず。例外として、当時人気だったオンラインRPG「ファンタシースターオンライン」をGCで遊んでた人はまあまあ居たらしい