丹陽(タンヤン)

Last-modified: 2018-08-16 (木) 04:00:58

画像

dānyáng.jpg

基本データ

No.198
レアリティ{{{☆}}}
ゲーム内名称{{{簡体字}}}翻訳名称{{{名}}}
所属/艦級{{{艦級}}}
艦種{{{艦種}}}
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久{{{耐久}}}火力{{{火力}}}
装甲{{{装甲}}}雷装{{{雷装}}}
回避{{{回避}}}対空{{{対空}}}
搭載{{{搭載}}}対潜{{{対潜}}}
速力{{{速力}}}索敵{{{索敵}}}
射程{{{射程}}}{{{運}}}
最大消費量
燃料{{{消費燃料}}}弾薬{{{消費弾薬}}}
艦載装備
{{{艦載1}}}{{{装備1}}}
{{{艦載2}}}{{{装備2}}}
{{{艦載3}}}{{{装備3}}}
{{{艦載4}}}{{{装備4}}}
強化経験値 (火力/雷装/装甲/対空) 0/0/0/0解体資源
(燃料/弾薬/鋼材/アルミ材)
0/0/0/0
改造チャート・必要な核心 種類/数
{{{艦船名}}}艦船名?({{{Lv}}}) ({{{~}}}核心×{{{n}}}) 
 
SD
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グラフィック

 
通常グラフィック:ノーマル

quan-zc-318.png

通常グラフィック:中破

quan-zc-po-318.png

入手手段/ドロップ海域

イベント時の限定入手。
建造イベント『溫暖的春節』(2017年1月24日~2月6日)より、通常建造に追加された。

性能や運用について

本作・主人公(ヒロイン)。
劇中では彼女と大和(やまと)が鋼鉄少女の主軸として描かれている。
実装当初、改1にすら出来ぬ仕様に戸惑いがあった。
しかし、フル改造すれば数値的には改二に匹敵するとんでもない駆逐艦であることが判明。
改造なしでスキルも習得可能。
更に鞍山(アンシャン)洛陽(ローヤン)とコンビを組むことでその性能をさらに引き上げ、圧倒的な回避率と雷撃能力でグローウォームに次ぐ駆逐主力として採用率は有頂天に。
推奨は雷雷+α(状況に応じて換装)
現行、雪風が導入されたら改二の位置につくとも噂されている・・・。
→実際は雪風(ゆきかぜ)として別の艦として実装された。雪風を改造しても本艦にはならず、また雪風改になるとレアリティを追い越される。
また、雪風にはボイスが実装されているが本艦には未実装である。

来歴

太平洋戦争(大東亜戦争)当時の主力駆逐艦(睦月型駆逐艦、吹雪型駆逐艦、初春型駆逐艦、白露型駆逐艦、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦、丙型島風)約60隻の中で、雪風は唯一終戦まで生き残った駆逐艦である。
日本海軍の駆逐艦は激戦区に投入され非常に損耗率が高かったが、雪風は第16駆逐隊や第17駆逐隊の姉妹艦(初風、天津風、時津風、浦風、磯風、浜風、谷風)、第27駆逐隊の時雨等と共にスラバヤ沖海戦から坊ノ岬沖海戦(戦艦大和特攻)まで16回以上の主要な作戦に参加した。その中でも雪風は戦果を上げつつ一度も大きな損傷を受ける事なく終戦を迎え奇跡の駆逐艦と呼ばれた。戦中より雪風のその幸運ぶりは広く知られ、呉の雪風、佐世保の時雨と謳われた。
終戦後、雪風は日本海軍解体に伴い除籍後中華民国に賠償艦として引き渡され丹陽と改名、同国海軍の主力艦として活躍した。1969年(昭和44年)夏、台湾にて座礁し解体された。

 

丹陽として
1946年12月30日、雪風は特別保管艦に指定され、戦時賠償艦として連合国へ引き渡される事となった。
仮設乗組施設等は撤去された。
乗組員たちは最後まで入念に整備を行い、連合国側から「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と感嘆された。
このため海防艦四阪とともにモデルシップ(最優秀艦)に指定された。

 

1947年7月3日、雪風は上海に到着、7月6日に中華民国に引き渡されて丹陽(タンヤン)(DD-12)と改名された。
これより中華民国海軍旗艦として行動することになる。
引き渡しの際、乗船していた雪風幹部によれば、中華民国出身の将校たちは、雪風の整備が行き届いていることに感嘆。台湾出身の将校たちは最敬礼で迎え、幹部たちの手を取り、涙ながらに「兄からの最後の贈り物。今までの御恩は決して忘れません」と台湾語で感謝した。この事実は中華民国にとって不都合なものであり、後に雪風幹部達に対して緘口令を出した事も、台湾との確執の一因という。

 

雪風は引き渡し時には武装撤去の状態であったが、再武装化に対し中華民国軍は接収した旧日本軍の台湾などに残った火器による九六式二十五粍高角機銃から始め、後部の2番、3番砲塔を九八式10センチ高角砲に、前部の1番砲塔は八九式12.7センチ連装高角砲に独自な形状の砲塔を付けて装備している[362]。その後弾薬補給の問題からアメリカ式の砲に換えられた。アメリカ式に換装後の武装は、オープントップの38口径5インチ単装両用砲3基(本来の主砲砲塔の位置に搭載)、オープントップの50口径7.6センチ単装両用砲2基(本来の魚雷発射管の位置に搭載)、ボフォース40ミリ連装機銃4基8門(初期)ボフォース40ミリ単装機銃10基10門(後期)、爆雷投下軌条となっている。艦橋下部が前に延長され、船首楼も第一煙突直前まで延長されるなど、上部構造の印象は雪風時代から大きく変わった。

国共内戦での国民党軍の敗北に伴い、その他の艦艇とともに上海から台湾の基隆に逃れた。蒋介石総統が渡台した際には、その乗艦になったとされる。
このときの丹陽の艦長はこの功績により数階級特進したという。また上海と台湾を三往復して故宮博物院の財宝を輸送した。 その後、左営で再武装工事を受け、引き続き中華民国海軍所属として第一線で活躍した。
1958年の八二三金門砲戦など、中国人民解放軍との間で発生した幾度かの実戦に参加したとみられる。
1953年8月には中華民国海軍総司令馬紀壯中将指揮の元で太昭(旧アメリカ海軍キャノン級護衛駆逐艦「カーター」)、太湖(旧アメリカ海軍キャノン級護衛駆逐艦「ブリーマン」)とともにフィリピンを訪問した。
1954年6月、ソビエト連邦油槽船トープスを拿捕し、乗組員を拘束した。これは中華民国とソ連の間で外交問題に発展した。

 

当時の乗組員によると艦齢20年をこえた丹陽は29ノットを発揮するのが限度だったという。
1958年9月3日の料羅湾海戦(九二海戦)では中国人民解放軍の攻撃で損傷した砲艦「沱江」の救援に当たった。
1959年8月3日、中国人民解放軍海軍のコルベット2隻と交戦、1隻撃沈、1隻撃破の戦果をあげた。
またフィリピンやインドネシアで現地住民と華僑とのあいだで民族衝突事件がおきるとその都度現地に赴き華僑を収容保護していたという。
1964年12月に行われた観艦式では雄姿を見せたが[372]、機関の老朽化によって1965年12月16日に退役、1966年11月16日付で除籍された。訓練艦として就役していたが、1969年夏に暴風雨により艦底破損、艦齢29年で解体処分となった。1971年12月31日までに解体された。

 

旧乗員が中心となって結成された「雪風永久保存期成会」(会長:野村直邦)などの活動もあり、「最後の日本海軍艦艇」の日本への返還が希望され、実現一歩手前までこぎつけたとも言われる。
しかし艦艇研究家の田村俊夫が調査した所では、中華民国側は雪風を日本へ返還しない事を決めていたという。その後1969年に台風による浸水で損傷した為、1970年に解体されたとの連絡があった。
1971年12月8日、中華民国政府より舵輪と錨のみが返還され、雪風の舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。
また、雪風のスクリューは台湾の左営にある海軍軍官学校に展示されている。

コメント

  • 演習相手の画像使用してるため、装備は適当です。 -- 練習? 2016-11-17 (木) 22:53:27
  • 図鑑画像に差し替えておきました。 -- 2016-12-02 (金) 21:52:00
  • 贈り物は錨 錨がどっかの施設に保存されてるからそれが元ネタかね -- 2018-07-17 (火) 19:21:22
  • 2種類のグラフィックを追加しました。 -- 2018-08-16 (木) 04:00:58