アンダーカレント

Last-modified: 2008-09-28 (日) 09:27:03

アンダーカレント/豊田徹也

364 名前:アンダーカレント 1[sage] 投稿日:2006/11/16(木) 00:39:59 ID:???

だいぶ期間が空いてしまいましたが『アンダーカレント』やります。
作者は豊田徹也、講談社アフタヌーンKCDX、全1巻。

・undercurrent(英)
 1:下層の水流、底流
 2:(表面の思想や感情と矛盾する)暗流

・本編
 亡き両親の跡を継ぎ銭湯「月乃湯」を切り盛りする関口かなえは、婿養子の悟と平穏な生活を送っていた。
 だが、ある日突然悟が失踪。失意のかなえは暫く銭湯を閉めるが、程なく再開する。
 銭湯組合から派遣された堀という男を雇い、何となく同居する事になる。
 堀は防火管理やボイラー技師資格を持つ即戦力の、寡黙で、どことなく不思議な雰囲気の男。
 仕事に追われ、失踪事件に何の進展もなく、かなえと堀は食事と銭湯の後片付けを共にするだけの、奇妙な日々が過ぎる。
 悟の事が気にならない筈もなく、毎日身元不明の死体や自殺者のニュースに目を走らせるかなえ。
 そんな折、スーパーで学生時代のゼミ仲間・菅野に再会したかなえは、悟の事を打ち明ける。
 調査会社に勤める菅野の夫のつてで安く調査を頼んだかなえは、探偵・山崎に会う。
 山崎に悟の事を聞かれたかなえは、自分が本当は彼の事を何も解っていなかったのではないかと思い始める。
 女性や金銭のトラブルもなく、夫婦仲も良好。両親とは既に死別している。手掛かりになるような日記や手紙も無い。



366 名前:アンダーカレント 2[sage] 投稿日:2006/11/16(木) 01:12:32 ID:???

 人当たりも面倒見も良く、責任感があると思われていた悟。
 しかし山崎は言う。
 「話を聞いてる限り、僕には彼が自分の本質を周囲に見せまいとする隠蔽作業を続けていたという絵しか浮かばないな」
 会った事も無いのに何が解ると反論するかなえに、山崎は更に言う。
 「奥さん、人をわかるってどういう事ですか?」
 2人で過ごした日々の中、いつもかなえばかりが喋っていて、悟は微笑みながら相槌を打つ程度であった事が思い出された。
 とりあえず3ヶ月の期限を切り、調査を依頼したかなえは山崎と別れた。
 その後、山崎からの報告で、かなえは自分が聞いていた悟の経歴が殆ど嘘であった事を知る。
 かなえの知る悟は兵庫出身の交通遺児で、幼い頃から施設で育った。
 だが実際の悟は山形の出身で、両親は2年前まで存命、高校を卒業するまで同居していたという。
 そこから何があったのか悟は山形を去り、両親とは没交渉となり、会社員時代にかなえと知り合う。
 かなえと同時期に親しくしていた女性の同僚がおり、彼女に持ち上がった横領疑惑を被って辞職後、関口家の婿養子となる。
 辞職後の彼女と悟に接触は無い。
 どれもかなえには初めて知る事実であった。
 山崎を前にかなえは呟く。
 「彼がどういう人間だったか、よくわからなくなってきてるんです。
彼は色んな事を話してくれたけど、本当に大事な事は話してなかったのかも…
時々、彼は私に何かを伝えたがっていたように思うんです。
ちょっとした表情とか間とか…沈黙とか、そういったものを私も感じてたと思います。
でも、日々の暮らしの中で、そういうものも顧みなくなっていたんですね…」



367 名前:アンダーカレント 3[sage] 投稿日:2006/11/16(木) 01:47:08 ID:???

 一方、堀は月乃湯の近くに安アパートを借り、通いになったが、仕事がてらに夕飯はかなえ宅で済ます。
 常連客はかなえと堀の仲をあれこれと詮索するが、本人達は至ってマイペース。
  そんな中、常連客である美奈の娘・みゆが鞄を道路に残し、行方不明に。
 幸いにもみゆは無事に保護されたが、恐慌する美奈や周囲の人々を見たかなえは、25年前の誘拐殺人事件を思い出し、倒れてしまう。
 被害者の名は「さなえ」という、かなえと仲の良い女の子だった。
 名前も年も顔も似た2人は、よく服の取り替えっこをして遊んでいた。
 違うのは髪型ぐらいのもので、かなえはロング、さなえはショートだった。
 最初に男に腕を掴まれたのはかなえだったが、助けを呼ぼうと大声を出したさなえが口を塞がれた。
 かなえは走った。後ろから男の声が追いかけてきた。
 「誰にも言うんじゃないぞ!言ったらお前を殺すぞ!!いつでもお前を見てるからな!!」
 帰宅したかなえは、さなえの行方を尋ねる母親に「知らない」と答えた。
 そうして、さなえの絞殺溺死体が遠くの池に浮かんだ。
 その後、かなえは長かった髪を切り、さなえとそっくりになった。
 本当は自分が死ぬ筈だったという想いに苛まれ、かなえは繰り返し同じ夢を見るようになった。
 夢の中でのかなえは幼かったり、現在の姿であったりするが、いつも誰かに首を締められ、ゆっくりと水に沈められてゆく―――
 堀に運ばれ、月乃湯の二階で目を覚ましたかなえは泣きながら言う。
 「堀さん…私の首をしめて…私を殺して。お願い…」
 堀は無言でかなえの額に乗せたタオルで彼女の涙を拭いてやり、かなえは眠りに落ちてゆく。


368 名前:アンダーカレント 4[sage] 投稿日:2006/11/16(木) 02:19:45 ID:???

 暫くは堀が月乃湯を切り回し、2人はかなえの回復を待って散歩に出かける。
 「みゆちゃん、昨日お風呂に来ましたよ。元気そうでした」
 「そう…よかった」
 見つめ合う2人。
 「堀さんはどうして時々、そんな懐かしそうな目で私を見るの?」
 「…そんな事はないですよ。気のせいです」
 月乃湯へと戻りながら、かなえは言う。
 「堀さん、一つ約束してほしい事があるんだ。
ここから出ていく時は、黙って出て行ったりしないでね」
 そして相変わらずの日々の中、山崎から悟発見の電話が入る。
 山崎のセッティングで悟と会うかなえの気持ちは穏やかだった。
 久しぶりに見る悟は少し髪が伸び、薄く髭を生やしていた。
 責めるでもなく、一番聞きたかった事を聞く。
 「どうして黙って消えたの?」
 「僕は子供の頃から大嘘つきでね、何の罪悪感もなくスラスラと口からでまかせが出るんだ。
外面がいいから始めの内は皆信じる。でも、おかしいと思う奴が1人2人出てくる。
一つの嘘をつき通すのに、更に10も20も嘘をつき続けなきゃならなくなって…
やがて破綻が来る。そしてその場から逃げる。ずっとこれの繰り返しだよ。
会社を辞めて銭湯の仕事に就いたのは、本当は会社にいられなくなったからなんだ。
会社の子の不祥事を僕が肩代わりしたように見せかけたけど、本当は僕が全部やったんだ。
ひどい男だろう?
なんでこんな男を信じるかって思うよね。
でも、人を信じさせる事なんて簡単なんだ。
僕はその人が何を信じたがっているか、何を言ってもらいたいかが手に取るように解る。
そしてそれを与える事ができる。
人は本当の事より、心地いいウソの方が好きなんだよ。
皆、本当の事なんか知りたくないんだ。騙されたがっているんだよ」


369 名前:アンダーカレント 5[sage] 投稿日:2006/11/16(木) 02:43:02 ID:???

 長い告白の後、かなえは尋ねる。
 「私の事もそう思ってたの?
結婚したのも、会社の嘘をごまかすためだけだったの?」
 「もう僕には何が嘘で何が本当なのか、よくわからない。
…でも、君には本当の事を打ち明けたかった。
君に…助けてもらいたかった。
でも、どうしても駄目だった。何度も君に伝えようとしたのに、怖くて…」
 「あなたは私に必死にサインを出していたんだよね。今となってはそれが解る。
私達、お互いの事、何にも解ってなかったのかもしれないね」
 「そうだね…」
 署名捺印した離婚届を送るからと席を立つ悟。
 「まだ、どうして出て行ったのか聞いてないよ」
「…僕は嘘つきだからね。
君のことが本当に好きで、だから一緒にいるのが辛くなった
…っていうのでどう?」
 かなえも席を立つ。
 「最後に思いっきりひっぱたいていい?」
 「いいよ」目を閉じた悟に、かなえは自分の巻いていたマフラーをかけてやる。
 「風邪ひかないでね…
私達、もっと前にこんなふうに話せたら良かったね」
 「うん…」
 少し距離を空けて立ち、二人は互いに「さよなら」と言った。


370 名前:アンダーカレント 6[sage] 投稿日:2006/11/16(木) 03:39:00 ID:???

 かなえが悟に会いに出かけて間もなく、堀は小さなボストンバックを提げてバス停へと歩いていた。
 堀の将棋仲間でもある、常連客のサブ爺が話しかけてくる。
 「この間の連れ去り事件、子供が無事で良かったのう。
…そう言えば昔、もっと酷い事件が起こった事があったなあ」
 結局犯人は捕まらなかっただの、被害者家族はすぐに引っ越してしまっただの、被害者には5つ上の兄がいただの、つらつらと事件のあらましを語りながら、サブ爺は堀の後を歩く。
 「それで、今頃何をしに来たんじゃね、お兄さん」
 堀はさなえの兄だった。
 バスを待ちながら、堀は告白する。
 堀は特に何をしようと思ったわけではなかった。
 さなえの事件後、母親はおかしくなり、一家は離散した。
 この町には長らく来なかったが、仕事で訪れた時、かなえを見かけた。
 すぐにあの時の女の子だとわかった。
 さなえが生きていたら、こんなふうじゃないかと思った。
 それからは何度かこの町を訪れて、かなえを見守っていた。
 月乃湯の休業で悟の失踪を知った堀は、自分でも解らない気持ちのまま、かなえの下で働き始めた。
 普段のかなえは事件を忘れているよいに見えたが、みゆの事件で、彼女もまた傷を負い、今も苦しんでいる事を知った。
 素性を明かせば、かなえを更に苦しめる事になるだろうと、堀は黙って去ろうと決めたのだった。
 「一人の女の子を挟んで繋がっとる二人だろう?
互いに苦しみをぶつけ合えばいい!傷ついたら泣いて、その事を伝え合えばよい!」
 「僕がかなえさんにしてあげられる事は何もないと思います。
僕はここに来るべきじゃなかったんです」
 「どうしても行くのか?」「ええ」
 「そうか…それもまた人生。達者でな」
 サブ爺が去った後、一人ベンチに座ったまま、堀はバスに乗れずにいた。
 やがてボストンバックを持ち、月乃湯への道を戻り始めるのであった。

【終】