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アイアンバナー
シリマーと不可能に抗う粘り強さを称えて作られた。
冷たい風にクロークを叩かれながら、サラディン卿は吹き抜けの階段の一番下へとたどり着くと、防壁の横に掘られた小さな中庭へと足を踏み入れた。シティのオレンジ色の光がアーチ状の窓から注がれ、部屋の中を照らしていた。部屋には、緑豊かなシダ植物や装飾が施された柱、乾ききったタイル張りの噴水などが置かれている。壁に面した小さな金属製のテーブルの前に、ザヴァラ司令官が座っていた。サラディンは自分の元弟子に近づいた。
「自分のオフィスのほうが居心地がいいんじゃないか?」と鉄の豪傑は質問した。
ザヴァラが微かに笑った。「新たな戦いには新たな場所が必要だ」
サラディンもそのテーブルの椅子に腰掛けた。「古風だな」
ザヴァラは膝掛けを掴むとかつての師に差し出した。
「狼は生まれながらにして毛皮を羽織っている」とサラディンが言った。
ザヴァラは笑うと、椅子の下に膝掛けをしまい、目の前にあるラッカー塗装の木の板に視線を向けた。その表面には複数の線が格子状に刻まれており、偏平状の白と黒の石が側に置かれている。「やるか?」
サラディンは石を拾うと、それを板に乗せた。ザヴァラがそれに続いて石を置くと、ゲームが始まった。彼らは黙したまま、順番に石を置き、そして取り除いていった。徐々に盤上が込み入ってきた。サラディンは次に置く石を持ちながら、念入りに選択肢を探った。彼はついにうなり声を上げると、手を振って降参の意思を示した。
「まさかまた誘ってくれるとはな」とサラディンは沈黙を破って言った。
ザヴァラは石をいじりながら、ためらいがちに答えた。「カイアトルに対する意見の相違については残念だと思っている、それは確かだ」
「鉄の豪傑が黙っていると思ったのか?」とサラディンが聞いた。
ザヴァラはため息をついた。「旧友なら私の立場を尊重してくれると思っていた」
「称号は道具にすぎない」とサラディンは言った。「尊重されるかどうかは、その名の使い方次第だ」
ザヴァラは笑った。「では私はそれをどう使うべきだと?」
「それを使ってカイアトルと直接会え。そして始末しろ」とサラディンが言った。「断固たる勝利には断固たる行動が必要だ」
「再びカバルとの全面戦争を望んでいるのか? 黒き深淵まで奴らを追い込むために?」とザヴァラが質問した。「その聖戦でどれだけの者が命を落とすことになる? その後に何が残るというのだ?」
サラディンは皮肉を込めて笑った。「お前は難しい選択を避けるために言い訳を探しているにすぎない。勝利に犠牲はつきものだ」
「お前はその犠牲を名誉だと考えている。だが私にとって犠牲は犠牲でしかない」とザヴァラは断言するように言った。「私の過ちによる被害者たちだ」
「豪華な司令部から判断するのは簡単なことだ」とサラディンは不愉快さを露わにしながら唸った。「だが近いうちに、お前は追い込まれることになる。勝利の兆しはなく、器用に回避することもできない。そこにあるのは破滅と、誰がそのツケを払うかの選択肢だけだ」
「戦争には戦死者の数よりも多く価値観が存在している」とザヴァラが重々しく言った。
サラディンはシティの輝く光を眺めた。「そうかもしれない、だが必ずしも選択肢があるとは限らない。時にはそれが自分に有利な結果をもたらすこともある。だが友人らが炎に包まれる中、扉の外に閉め出されてしまう時もある」
ザヴァラは鉄の豪傑の顔に刻まれた深い溝から苦しみを感じ取った。「私も多くの者を失ってきた」
「お前がこれから失う命に比べればたいした数ではない」とサラディンは答えた。
ザヴァラはため息をつくと、背中で手を組んだ。「これまでずっと期待を裏切ってしまってすまない」
サラディンは首を振ると立ち上がった。「お前は想像していた以上の結果を出してきた。ただ、お前ならもっとやれるはずだ。お前はまだ我々が求める存在にはなれていない」
ザヴァラも立ち上がった。「それはともかくとして、私が司令官であることには変わらない。だからこそ私に従ってもらう必要がある」
サラディンがニヤリと笑った。「狼を手なずけようとするほど馬鹿でもあるまい、古き友よ」
ザヴァラは身動ぎせず、鉄の豪傑に視線を合わせ続けた。
サラディンはため息をついた。「カイアトルの出した条件にはお互いに反対している。それで十分だ」と言うと、彼は立ち去ろうと振り返った。だが司令官が彼の肩に手を掛けた。
「職務という縛りのない場で会えてよかった」とザヴァラが言った。サラディンはうなずくと、その場を立ち去った。
ザヴァラは再び椅子に座ると、小さくなる鉄の豪傑の足音を耳にしながら、ゲームの結果を検証した。
「ダメだ。フォールンがバナーで戦うことは許さない。その権利はガーディアンのためだけにあるのだ。だがどうしてもと言うのなら、ガーディアンがフォールン製の武器を戦いに持っていくことは許可しよう。なにしろ、お前は武器職人なのであろう?」――サラディン卿がとあるエリクスニーに言った言葉
飛んできた瓶が頭に命中すると、エリクスニーはよろめいて人通りの多い道の端へと押しやられた。瓶が地面に当たって砕け散った。彼の周りに人だかりができ、大声で罵声を浴びせ始めた。目の上にできた深い切り傷から黒ずんだ青い血が流れている。ネオンを輝かせながら低音をリズミカルに響かせるクラブと、カバル大戦が残した瓦礫に塞がれた道に挟まれた彼には、逃げ場がなかった。
「暴力はやめてくれ。ビリクシスの友よ!」と彼は叫んだ。2本の腕で自分の頭をかばいながら、他の腕を群衆を押しのけるように前に突き出している。「兄弟を探している――行方不明なんだ、頼む!」
群衆はその言葉を無視し、その熱が激しさを増していく。彼らはラクシュミ IIの言葉を口にしていたが、その多くが若すぎるか純粋すぎたため、無自覚だった。ビリクシスは一度に投げつけられた聞き覚えのない言葉の意味を理解できなかったが、暴力的な声の調子がどんなものなのかはよく知っていた。彼の姿がそれを証明していた――その瞳の中の恐怖が、それをより明確にした。彼は自らの兄弟の身を案じていた。憎しみが彼の心に根付き始めていた。
群衆の中から1人の鋳造作業員が歩み出てくると、威嚇するようにショットガンに弾を込めた。彼は手を震わせながら、エリクスニーに狙いを定めた。「家族のことが気がかりか!?」その人間は叫んだ。ビリクシスは彼が何を言っているのか分からなかった。「お前たちは俺の妹をさらった! 彼女は地球からタイタンに物資を輸送していたんだ。お前たちはそれを襲った!」
「ビリクシスはそれには――」ショットガンの爆発音によって彼の言葉は遮られた。彼の横の地面が粉々になった。ビリクシスは膝をついて震えた。「頼む」と彼は言うと、そのままの姿勢で、身を守るために先ほど投げつけられた瓶の欠片を拾った。
群衆が激怒し叫んだ。
鋳造作業員はビリクシスに迫ると再びショットガンに弾を込めた。すると突然、霧と冷気がその場の空気を包み込んだ。ショットガンが一瞬にして凍り付き、ガラスのように砕け散ると、濃青色のステイシスの破片となった。作業員は後ずさると、半分凍った自分の腕を掴みながら叫び声を上げた。
ビリクシスは作業員の後ろにいた群衆に割れ目ができていることに気づいた。すると、黒と金の装飾のついたアーマーに身を包んだ1人のハンターが2人に近づいてきた。暗黒が彼女の手にまとわりついている。複数のステイシス・クリスタルが、小さな衛星のように彼女の周りを周回していた。
「そこまでだ!」アイシャが叫んだ。「お前たちは自分を恥じるべきだ! 自分の姿を見てみろ!」
アイシャは、もう片方の手で怪我をした作業員の首元を掴むと、そのまま群衆の中へと押し戻した。「私に消されたくなかったら、今すぐここから立ち去れ!」アイシャの足下で風が渦巻き、暗黒の風が結晶の破片を巻き上げた。群衆は大きな波のようにいっせいに引いた。中には慌てて他の者につまづく者もいた。
群衆が四散し、アイシャがステイシスの鎌を消すと、彼女の足下で渦巻いていた風もおさまった。彼女は振り返ると、ビリクシスを見て手を伸ばした。「すまない」彼女の声から緊張感が伝わってきた。彼女がヘルメットをかぶっていたため、彼にはその表情を見ることはできなかった。
ビリクシスはその手を掴まなかった。彼の目はまだ恐怖に満ちていた。憎しみも消えていなかった。
「安心してくれ」とアイシャはゆっくりと言うと、再び手を伸ばした。「もう安全だ、彼らは――」
「安全ではない」ビリクシスはアイシャにぴしゃりと言った。その視線は彼女の手に注がれ、そして再び彼女のヘルメットへと戻った。「お前はエラミスと同じだ。精神を汚染されている」
アイシャの呼吸が喉の奥で引っかかった。すると彼女は差し出していた手をゆっくりと下ろして、グローブをはめた手を少しの間握りしめた。「お前は怪我をしている。とりあえず医者まで案内を…」彼女の声が次第に小さくなっていった。ビリクシスは青い瞳で彼女を凝視したまま、既に通りのほうに後ずさっていた。
彼女は肩に、そして心にのしかかる重みを感じた。
そのエリクスニーは、アイシャを果てなき夜空の下に1人取り残し、影の中へと姿を消した。